ヤンデレな生き方(前編)























 その事件は6年前に起こった。
 子供が一人、夫婦が一組殺された。
 彼らにとって、それが全てのはじまりだった。
 彼らの『今』を形成する雛形が誰も気付かないままに組み立てられた瞬間だった。






 









「彼女って、実際ヤンデレよね」

 ヤンデレ、という言葉の意味を私が知ったのは、あるオタクな友人に教えてもらった時だ。
 主に空想世界の美少女達のキャラクターを指し示す言葉で、
 精神的に凄い病気な状態で誰かに異常なまでの愛情を注ぐヒロイン達、もしくはヒロイン達の状態を指すらしい。

 それを聞いた時、なるほど、と私は納得した。
 私にその言葉の意味を教えてくれたオタクな友人が私の幼馴染、その恋人である女の子を指してそう言ったのは間違いではない……というよりジャストフィットだと。

「あー、まぁ、そうだな」

 青空の下に展開されている、いつもどおりの登校風景の中。
 我が家の隣の大きな家に住んでいる幼馴染はそんな私……来栖路恵(くるすみちえ)の言葉に、読みかけの推理小説を閉じて頷いて見せた。
 こうして一緒に登校するのはいつもの……幼稚園の頃から続く日常だった。
 それはこの男、業都進(ごうとすすむ)が『彼女』と付き合うようになった今も変わらない。
 ついでに言えば、歩きながら本読むなって何百回と注意したのにやめないのも変わらない。

「近頃は割と絶滅危惧種なポニーテールなお前の髪型も変わらないな。
 さておき、確かにアイツはヤンデレだよな。ああ、間違いないとも」
「……私から話題振っておいてなんだけど、アンタが納得していいの?」
「別にいいさ。ホントのこと言ってるだけなんだしな」
「うん、まぁ、そう、かな」

 思い浮かべるのは、話題に上げたその少女の事。
 つい先日からコイツと付き合い出した『彼女』……雨音愛(あまねあい)。
 成績優秀、才色兼備、文武両道……その手の美辞麗句を上げても足りないとさえ言われている(おまけに家は江戸時代から続く名家でお金持ち)、私達の学校の生徒副会長にして私達のクラスメート。

 彼女は何の因果か運命か、私の横で間抜け面しているこの馬鹿に惚れてしまったのだ。
 コイツに告白する前、私に相談と確認(幼馴染だからか関係を誤解していたらしい)をしに来た際に私は何度も何度も忠告した。
 コイツは色々な意味で普通じゃないから止めとけ、と。
 顔と頭がかなり良くて、割と裕福な家にいるから使える金が大きいのは認めるけど、それ以外はほぼ全滅だと。
 ……若干誇張が入っていたりするが、それはあくまで彼女の気持ちを止める為に他ならない。

 ちなみに、私は横にいるこいつの事を異性感情で見たりしていない。
 幼馴染同士が恋愛感情しか抱かないなんていうのは、恋愛ゲームのやりすぎだと私は思う。
 その証拠に私にも彼氏いるしね。

 閑話休題。
 そうして私はこの馬鹿を諦めさせようとしたのだが……その際に逆に思い知らされたのだ。
 彼女のコイツへの深い気持ちと、彼女の、えーとそのなんて言いますか、そう、ヤンデレっぷりを。

『だからね? アイツは止めておいた方がいいと……』
『どうして?』
『いやだから、今さっき説明したとおり……』
『うん、それは聞いたわ。でもね、それがどうして障害になるのかなって』

 思い出すだけでもゾッとする。
 その時私が並べ立てた内容は、えーと、確か、少なくとも普通の女の子ならかなり引くモノだった。
 内容は忘れたけど、自信を持って言える。
 私自身言ってて悲しいやら恥ずかしいやらだった。
 ぶっちゃけ下ネタも結構あったのよ、確か。
 にもかかわらず、彼女は引くどころかそれを一笑に付した。しかも、その笑いたるや……

「うん、言い過ぎって事はなかったかな」
「なんの話?」
「うっひょわぁぁっっ!!」

 唐突に耳元で囁かれ、私は素っ頓狂な声を上げた。
 当然周囲の注目を浴びるが、私としてはそれどころじゃなかった。
 噂していた当人……雨音愛さんが現れたのだから。

「おはよう来栖さん。そして、おはよう。進さん」

 進さん、の所は甘ったるい、ハートマークでも付きそうな声音だ。
 いや、視覚的には見えないだけでオーラとか気とかそういうモノが見える人にはハートが見えてるのかもしれない。そう思えるほどの甘ーい声だった。

「おう、おはようさん」

 そんな声にも慣れっこなのか、基本的に図太い神経の持ち主だからか、
 進は普通に挨拶を交わす。素直に大したものだと思いつつ、私も挨拶を口にした。

「あはは、おはよう……」
「それで、なんの話をしていたのかしら?」
「あー、その、貴女の話を」
「お前がヤンデレって話だよ」
「……私が?」
「というかヤンデレの意味分かるか?」
「ええ、分かるわ。前に久遠君に教えてもらったし、ね」

 彼女の語る情報源は私と同じだった。
 というか、もしや久遠君、面と向かって本人に……いや、ないとは思うけど。
 そんな私の危惧など知る由もなく、雨音さんは言葉を続けた。

「それにその手の登場人物が登場する創作物は昨今多いし、
 危険な精神状態の若者が起こす事件やそれに関連するニュースも多い。
 ここ最近ではそうね、
 相手の事が好き過ぎて他の女の子と話すのさえ耐え切れなくなって刺し殺すという若者の愛憎劇としてはシンプルな事件とか、
 創作物に影響されて恋人を取り返そうとして脅しのつもりでカッターナイフを取り出して結果恋人もその相手も殺してしまったり、
 何年か前にそれと近い事件を彫刻刀で起こした誰それが出所したりとか、
 フラレタ腹いせに好きだった人の食べ物に毒物混ぜたり……
 って微妙にヤンデレとは関係ないものも混じったわね。
 あと、そういうものを取り扱う際にマスメディアが所謂二次元を悪い意味で引き合いに出すときに使ったりで、
 その手の単語は記憶になくても聞き慣れるものよ。
 常識的な範囲でニュースを見ていれば、ね」
「確かにそうね」
「だから、ヤンデレの意味は教えてもらわなくても理解は可能よ。
 まぁ、それはさておき……確かに私病的なまでに進さんの事好きだけど……
 ヤンデレってほどじゃない気がするわ」
「そうかなぁ?」
「そうよ。一週間位監禁して付きっ切りでお世話したいとかちょっと思ったりはするけど、
 行動には移さないもの」
「……ソレを思うだけでも十分ヤンデレって言うんじゃないかなぁ」
「まったくな」
「ふふふ」
「いや、雨音さんが笑うところかな、そこ」

 しかし、よく分からない事がある。
 私が知る進は基本的に人と深く関わろうとしない人間だ。
 表層的な人付き合いこそいいが、ある一定以上になると距離を置いたりする。
 彼女にコイツへの告白をやめさせようとしたのは、その辺絡みで色々あるからだったりする。
 だが、当人はあっさり彼女の告白を受けて付き合う事になっている。
 コイツはなんで雨音さんと付き合うことにしたのだろうか。

「うーむ、謎ね」
「いや、別に謎でもなんでもないだろ。気に入ったから付き合う事にした。それだけだ」
「なるほど……って、えっ!? 思考駄々漏れっ!?」
「気付いてなかったかもしれんが、所々口にしてたぞ。
 いい加減しっかり意識持てよ。幼馴染として俺は凄く心配だぞ」
「…………ふふふ」

 わあ。雨音さんってばなんて素敵な笑顔(棒読み)。
 見た目は凄く綺麗な笑顔なのに、その表情の内から黒いものが噴出してる……ような気がする。
 これでも私に対しては割合信頼してくれてるのはここ一ヶ月位の付き合いで分かってるんだけど……それでも、その笑顔を向けられると怖いなぁ。 

「おい、心配すんな。コイツに恋愛感情は欠片もない。女として愛してるのは愛だけだ」
「……ふふふ」

 おー。さっきと同じ笑い声なのに、今度は輝かんばかりの笑顔ですよ。
 うん、まぁ、こうなると確かに凄く可愛いんだけどね。

「……何か?」
「ううん、何もなんとなく見てただけ」
「そう」

 そう言いながら彼女は黒く艶やかで長い髪をふぁさっとかき上げ、整えた。
 普通腰くらいまで伸ばしていると逆にキモかったりするんだけど、彼女はそんな感じがまったくしない。
 ホント美人は得だなぁとシミジミ思う。

 実際、この二人は並ぶと絵になる。
 180cm越えのガッシリした長身と何処か冷めた感のある眼差しを内包した優男系美男子(認めたくはないが)と、
 ヤマトナデシコな雰囲気を纏う黒髪の美少女。
 ハッキリ言って、そんじょそこらのアイドルでもこの二人にはそう簡単に太刀打ちできないだろう。

 それはそれとして、進の愛してるって台詞に説得力があるんだかないんだかは、付き合いが長すぎて微妙だ。

「ま、アイツ……人河がお前と付き合ってくれるようになったから心配は軽減されたんだけどな」
「へぇー。彼のこと信じてくれてるんだ。うふふ」

 誰かに『彼』の事を信頼してもらえると悪い気はしない、というか嬉しくなる。
 それが基本人を遠ざけるコイツなら尚更だ。そんな風に素直に喜んでいたのだが。

「色々テストしたからな」
「ええ、そうね。確かに人河くんは素晴らしい人だと思うわ」
「ゑ」

 うんうんと頷き合う二人に、思わず足が止まった。
 次の瞬間、私は二人の言葉の意味を理解し、思わず叫んでいた。 

「って、またテストとか観察とかしてたのっ!? しかも貴女まで一緒になってっ!!」

 これが、私がコイツを人として問題ありだ思うと主な理由。

 コイツは基本周囲の人間を『疑って』かかる。
 ゆえに、知り合った瞬間からコイツにとってその人間はまずデータ収集の対象となる。

 そうしてデータを収集して、
 ある程度信頼できると分かるとそこそこに親しくし、
 逆であれば極力付き合いを避けるという、ある意味では最低な奴なのだ。

 更に言えば、その為に普段から推理小説・ミステリー、
 果ては犯罪心理学やらの専門書を読み漁り、
 家の金プラス何やら黒っぽいバイトで稼いだお金で妙な情報ネットワークを作り上げている始末。
 お前は何処の漫画の住人だ。

 まぁ昔色々あったから、私的にはしょうがないって思ってあげたい……って駄目だ、
 やっぱり許せん。他ならまだしも彼を……。

 そんな私の抗議の篭った眼差しを見て、
 基本何事にも動じないコイツと彼女が珍しくそれぞれ表情を動かした。

「いやぁ、お前の事心配だし。お前と付き合う奴の真贋チェックぐらいはなぁ」
「私は進さんに協力したかっただけだから。大丈夫。
 この人は誰かの事をペラペラ喋るような人じゃ……」
「喋らないからっていいわけないでしょうがっ! 
 モラルとか常識の問題でしょ! 人をモルモットか何かと勘違いしてんじゃないの!!」
「……ぬぅ。お前の事を心配してやったのに」
「理不尽ね、進さん」
「理不尽なのはアンタラの思考だっ!!」
「まぁまぁ。朝から元気がいいのはいい事だけど、そんなんだとすぐ疲れちゃうよ」
「あ」

 いつのまにかそこにいたのは私と付き合ってくれている彼氏さんこと、人河良(ひとかわりょう)くん。
 髪を染めたりなんかしていない、全てが校則どおりの、中肉中背で、何処にでもいそうな、
 何処からどう見ても人畜無害な、そんな男の子。

 その男の子……良くんは凄く優しい笑顔をニコニコと私たちに向けていた。

「や、おはよう」
「おはよう……」

 うう、凄く恥ずかしい。
 この人は、お馬鹿な私も好きでいてくれる人だけど、だからこそ恥ずかしいと言うかなんというか。
 古典的かもしれないが、穴があったら入りたい気分だ。

「よう、人河」
「おはよう人河君」
「うん、おはよう。相変わらず仲が良いみたいでうらやましいな」
「ふふふ、ありがとう」
「………むー。人が良すぎだよ」

 そんな笑顔をコイツラに向ける事はないのに。
 不満気な顔を浮かべると、良くんは少しだけ困ったような笑顔を浮かべた。

「そんなことはないよ。それに僕は二人に感謝してるんだ。
 さっき話してたテストのお陰で僕の気持ちを確認させてもらったし、それに……いや、なんでもない」
「むー。なになに、凄く気になるんだけどー」
「いやいや、気にしなくていいことだよ」
「うーん、良くんの笑顔見てると全部おっけー」
「……なんだろうな、凄くムカつくぞ」
「気持ちは分かるけど許してあげて進さん。好きな人の前だと乙女は皆そんなものだから」
「それを口実に俺にくっつくのがお前の言う乙女か。黒い、根が黒いよお前」
「黒くて構わないわ。進さんにくっつけるのなら」

 そんな最近の調子で私達は学校への通学路を進んでいった。
 正直な所、最近のこんな日常は結構楽しかったりする。
 そう思っていた矢先にその日常が壊れるのだから、もしいるのなら神様は質が悪いと言わざるを得ない。










 
「今日からこのクラスの一員になる花尾香子さんだ。
 以前は……えーと確か、なんだ、北の方にいたらしい。
 詳しい事は本人に聞け。仲良くな」
「花尾香子(はなおこうこ)です。よろしくお願いしますね」

 肩まで伸びた薄く染めた茶色の髪が、お辞儀と共に微かに揺れる。

『おおおおっ!!』

 転入生の女の子の笑顔に男子は雄叫びを上げた。
 うわぁ、我がクラスながら馬鹿ばっかり。
 まぁ、そうなるのは理解できないでもない位には可愛いけど。
 流石に雨音さんレベルと比べると少し見劣りするかな。

「……へぇ。結構可愛いな、少なくとも顔は」
「そうねぇ」

 進の言葉に笑顔で呟く雨音さん。
 でも、雨音さん、眼が笑ってない眼が笑ってない。
 シャーペンをカチカチカチカチカチ押し続けるのやめてほしいなぁ。あ、芯が落ちた(2本目)。

「あそこに無駄に顔の作りがいい男子生徒がいるだろ。その隣の空いてる席がお前の席だ」
「……………はい、わかりました」

 無駄に顔の作りがいい、というのは進の事に他ならない。

 そう言えば、昨日の放課後、学級委員が机を持ってきてたっけ。
 真ん中辺りに席を作ったのは一番後ろだと授業に支障があり、
 一番前よりは苦情はないだろうという教師なりの配慮なのだろう。

「こんにちは」
「……コンニチハ」
「そう硬くならないでよ。仲良くしましょう?」

 ちなみに。
 この間雨音さんのシャーペンから落ちた芯は計4本。
 伸びきったシャーペンを押し出す芯が最早ない事にも気付かず彼女はシャーペンをカチカチ押し続けていた。 








 その後の時間も転入生さんは事あるごとに進に話しかけていった。
 教科書がない、授業の進行程度などなど。実に転入生にありがちな理由で。
 そしてその度に雨音さんののシャープペンやらボールペンのノック音が響き渡って、周囲の人間達は皆恐れ戦いた。
 皆、雨音さんの進ラブっぷりを知っていたからに他ならない。
 何で知ってるのかって? 
 そりゃあ毎日毎日ラブラブな会話(基本一方的)を繰り広げていて気付かないハズがない(凄まじく病的だって事を知っているのは私ぐらいみたいだけど)。
 ともあれ、そんな長いような短いような戦々恐々な時間が約四時間過ぎ、昼休みの時間が訪れた。

「やっと、昼御飯ねー」
「ふむ。じゃあ最近の面子で食べるか」
「おーけー」
「進さんと一緒なら何処までも」
「うわぁ、凄い甘声」

 そんな会話を交わしながら廊下に出る。
 最近の面子というのは、私と進と雨音さん、そして良くんの四人。ちなみに良くんだけ別のクラス。
 アイツが良くんの『テスト』を行った理由にそれがあるのだろう。
 というか、ウチのクラスの全員が程度の差はあれ(気付いていない者が大多数だが)コイツのテストを受けている。

 詰まる所身近にいなかったがゆえに、
 改まった形でのテストを受ける羽目になったのだ……私が原因とは言え、申し訳ない。
 今度ちゃんとした形でしっかり謝らないと。うん、謝る謝る。絶対に謝る。
 これ以上ない位謝る。

 ……そうして千回ほど謝罪について硬く決意したから話を元に戻そう。
 通常、近くに付き合うようになった彼氏彼女なら二人だけの世界が展開されるだろうに何故四人なのか。

 それは私が雨音さんの行動(というか奇行)を危惧しての事だった。
 ちなみに、この行動(勿論本音は伏せている)意外な事に彼女からの抗議っぽい意見や視線や私への病んだ行動はない。
 彼女は私についてはある程度信用してくれているのかもしれない(雨音さん達に続く形で私に良くんという彼氏が出来たのも大きいと思うが)。

 だが、他の女の子になると歯止めが利かない可能性がある。
 余計なお世話なのかも、とも思うのだが、
 あの、時折見せる黒い気配や淀んだ眼、
 その際の言動を見聞しているとそう思ってしまうのだ。

 だからこそ、万が一の事態を想定して、昼食を一緒にしているのである。
 アイツの事は言えた義理じゃないと思わなくはないが、これも周囲の安全の為。
 以前はラブラブ(桃色というより若干黒色)な空気に耐え切れず遠目からの監視だったが、
 今は私も彼氏が出来て、耐性がついたので同行には困らない。
 良くんは事情を話すと快く同意してくれたし。嫌な顔一つせずに。
 うん、そういう所が大好き……。

「何やら忘我してるみたいだけど……ちょっといい?」
「は? え? あ、なにかな」

 慌てて我に返り振り向くと、転入生の彼女……花尾さんが立っていた。
 彼女は紹介された時のにこやかな笑顔のままで言った。

「そのお昼ゴハン、私も混ぜてもらえないかな?」
「……他を当たってくれ」

 進は知らない人間に対しては万事この調子だ。
 もしかしたら人見知りかと思った時期もあったけど、別にそんな事はない。
 単純に基本人間不信なんだろう。

 何故そうなったのかというと、6年前。
 コイツはある事件に巻き込まれて家族を失っている。
 その事件があまりにも理不尽過ぎたからだ。
 私にとってもそうだ。
 私自身あの時の事を思い出そうとしても、思考停止するのが殆どなのだから。
 そう思うと、短期間でコイツとそれなりに親しくなった雨音さんや良くんは大したものなのかもしれない。
 だが、そんな事を知る由もない彼女は、当たり前に、というより少し強引に話を続けていた。

「お願いだからそう邪険にしないで。
 それに隣に座ったのも何かの縁って事で、
 転入当日くらい優しくしてくれても罰は当たらないと思うんだけど?」

 その際、彼女がコイツに向けた、何処かヌラッとした……雨音さんに近い、艶っぽい視線で私は気付いた。
 彼女の狙いはこの馬鹿なのだと。
 コイツを口説きたくてたまらないのだと。

 まぁ、何度も言うようだがコイツは見た目だけはいいからヒトメボレ自体はよくある話だしね。
 ちらり、と彼女の方に視線を送る……って、凄いニコニコしてる。勿論、逆の意味なんだけど。
 それを見てどうしたものか、と私が考えていると。

「いいんじゃない?」

 花尾さんを可哀想に感じたのか、良くんが言った。

「って、いつの間に?」
「いや、さっきからいたんだけど……路恵ちゃんが幸せそうな顔してたから声掛けられなくて……ごめんね」
「ううぅ〜」
「まぁ、それはともかく。
 相互理解に会話は大事だよ。
 言葉も交わしもしないで全てを決め付けるのは早計だと思う」
「……なるほど。確かに理解は大事だな」
「ふふ。ありがとう、名も知らないアナタ」
「あ、はじめまして。隣のクラスの人河良です。
 そこにいる来栖路恵さんと付き合ってる凡人その一です」
「花尾香子よ。よろしくね」
「ええ、よろしく」
「……むぅー」

 そうして昼食を一緒に食べる事になった私達は、
 弁当を持っていない人間の食料を調達した後最近使っている場所である、中庭の休憩所に向かった。

「へぇ、いいね、この場所」

 そこには切り株を模した石の椅子が6脚とテーブルが1つ……それらのセットが3つほど並んでいる。
 それを四つの柱が囲み、潰れ気味の円錐型の赤い屋根を支えていた。
 ここは生徒にとっての憩いの場所、と言いたいが野外である為、風が強い日は砂埃が起こり、雨の日は雨も吹き付ける事もある為、微妙に使い辛い場所だったりする。
 まぁ、そういう理由で利用者が少ないからこそ私達は利用しているんだけど(というか食堂よりは万が一の際の人的被害、というか野次馬が少なくなるよう私が誘導した)。 
 と、理由としては色々あるのだが、個人的には結構気に入っていたりする。

「でしょ? まぁ難も多いけどね」
「立ち話もなんだし、早く食べようよ。時間なくなるよ?」
「うん、そうだね」

 良くんの言葉にそれぞれ頷き私達は切り株に腰掛けた。
 前述の通り石なので、梅雨に差しかかろうとしている今の時期はそこそこヒンヤリしている。夏になっても日陰に入っているのでそれほど熱くなりはしない……と信じたい。

「では、いただきます」
『いただきます』
「皆生真面目なのねー」

 手を合わせる私達に花尾さんは苦笑する。

「当然だろ。命を繋げる為の食事ってのは感謝してもし足りないほどありがたいものなんだ。
 その上味を楽しめるのなら尚更だ」
「私もそう思……」
「ええ、そうね。そう言われればそうなのかもしれない」

 雨音さんの言葉を遮って進に笑いかけて自己主張する花尾さん。
 悪気があるのかないのかはさておき……この場では勘弁してください。
 なんか雨音さんからドロドロとしたものが流れ出てきそうです。
 というか既に空気が多少淀んでいます。

「あ、あのね、花尾さん。人の言葉を遮るのはどうかと……」
「ねぇねぇ、貴方……人河くんだっけ? なんで弁当隠しながら食べてるの?」

 おまけに人の話さえ聞く気がない。さらに良くんにちょっかいを。
 ……今だけ雨音さんの暴走を抑えなくてもいいかなって気がしてきた、うん。
 しかし、良くんはそんな花尾さんにも普通に反応した。

「あーうん。
 その、これ実は路恵ちゃんの手作りでさ。
 弁当自体が恥ずかしいなんて事は全然ないんだけど、僕自身が凄い照れ臭いから。
 本当は皆に見せたいんだけど、恥ずかしさが勝っちゃってるから隠すのを許してもらってるんだ」

 照れ笑う良くん。
 いや、まぁ、その……可愛いやら何やらで全て許せる気分になってきました。

「へぇ、そうなんだ」
「そうそう」

 そうして普通にやり取りをしているのを見て、私は少し反省した。

 全部イライラがなくなったわけじゃないけど、
 良くんがそうして和を作ろうとしてるのにその彼女たる私が乱すのは良くないし、嫌だ。
 そう思った私は、小さく息を吸ってから口を開いた。 

「それと、実を言うと私も少し恥ずかしいからでもあるんだけどね。
 まだまだ不慣れで不格好だから」
「ふぅん……そう言うアナタの弁当が少し黒焦げなのが理由ってわけね?」
「……っ!」
「いや、それは路恵ちゃんじゃなくて僕が作ったものでさ。
 まだ料理に慣れてないから……この間からごめんね、路恵ちゃん」
「いいのよ全然。見た目少し焦げてるけど、全然問題ないしね」
「次こそはちゃんと作るよ。だから今回は見た目駄目っぽい奴は残して。
 お腹空いた分は代わりにパンを買ってくるからさ」
「あ、うん、でもこのままでも十分……」
「へぇ……いいなぁ……」
「え?」
「互いの事をちゃんと思ってるんだね。羨ましいなぁ」

 そう呟く花尾さんの表情には嘘はない。少なくとも私にはそう感じられた。

「私もそういう彼氏が欲しいなぁ。ところで、業都くんって……」
「彼女ならいる。というか気付け。そこにいる雨音愛が俺の彼女だ」
「あ、そうなんだ。でも、私が聞きたかったことはそれじゃないよ」
「じゃなんだ?」
「いや、そのお弁当、ミートボールが多いから、好きなのかなって。
 それだけ。あ、あとすごくおいしそうって思ったかな」
「……ああ。ガキっぽいって笑うか?」
「ううん、そんな事ないよ。私も好きだし……私が好きだった人も好きだったから」
「そうか」
「これ、雨音さんの手作りだったり?」
「う……残念ながら違うわ。進さんの弁当は彼の手作りよ」
「なら、覚えた方が良いよー。なんだったら今度教えてあげようか?」
「考えておくわ。……って、そうじゃなくて、別に作れないわけじゃないんだけど……」
「ああ、そうだな愛。そろそろ弁当作りたいなら作ってもいい」
「えっ!? ホントっ!?」

 キラキラッと擬音が付きそうな位心底嬉しそうな表情を見せる雨音さん。

「ああ。そろそろ信頼してるって証を見せとかないとな。別に面倒ならいいけど」
「作りますっ! 私全身全霊を懸けてっ!!」
「あ、じゃあ、私も……」
「……悪いがそれは断る。
 俺は自分の口に入れるものはそれなりに信用できるものしか入れない質でな」
「……ふーん。変わってるけど、分からなくはないかな。
 じゃあいつか信用できるようになったら私も作っていい?」
「基本は駄目だ。俺はコイツと付き合ってるからな」
「真面目ねぇー。
 ……でもそういうところをハッキリさせるところ、いい。
 うそつかれるよりずっと」
「……そういうものかな」
「そういうものよ、人河くん。
 君優柔不断そうだから、そういうところ気をつけないと来栖さんにフられちゃうよー?」
「フらないっ!!」 

 昼食の間、花尾さんはそんな感じで皆と言葉を交わしていった。
 思っていたような雨音さんの暴走なんかもなく、実に平和的に(多分)楽しく終了した。

 でもまぁ、一応釘は刺しておかないと。

「花尾さん」
「なにかな、来栖さん」

 教室に帰る途中。
 皆から少し後ろを歩きながら小声気味に話しかける。

「えと、そのね、進と雨音さん付き合ってるのは分かったでしょ」
「うん。それで?」
「いや、それでって……」
「今時彼女いるから諦めます、なんてないない。
 私アタックするから。正々堂々雨音さんの前でね」
「あのねぇ……常識とかないの、貴女」
「常識なんて恋愛にはないわよ。ヒトメボレなんて全然理論で図れないでしょ?」
「そりゃあ、確かにって、そうじゃなくて! 
 これは素直な忠告なんだけどやめといた方がいいわ。
 言っとくけどアイツは普通じゃないわよ」

 あと雨音さんも、という言葉はグッと胸に仕舞っておこう。なんとなく怖い。

「ちょっとぐらい普通じゃない方がいいじゃない。
 それに向こうもまんざらじゃないみたいだし」
「へ?」
「あの時間の中、時折ジッと私の事を見つめてくるわけですよ。これは脈ありだと思うなぁ」
「……」
「大丈夫。10日もすれば貴女も納得できるというか、納得させてみせるから。
 うん、10日でね」

 そう言って、彼女は少し前を歩く進に声を掛けに向かった。
 反対側の隣を歩く雨音さんの顔は良く見えない。

 正直、どうしていいか悩む。
 勿論雨音さんが万が一……もとい千が一爆発しそうになったら止める側に回る。
 それは当然だ。

 でも花尾さんが普通に進の事が好きなら、後はアイツの判断その他次第だ。
 私が口を挟むことじゃない。

 そもそも、なんで私がこんな事で悩む羽目になるんだか。
 アイツが変人で、その彼女もある意味変人なのが問題なのだが……
 というか、アイツはいつからあんな事になったんだっけ。原因は確か……。

「うーん……」
「どうしたの?」

 考えに没頭していたからか、
 前を歩いていた良くんがいつのまにか隣にいた事に私は気付けなかった。
 慌てて顔を上げて反応する。

「あっ、うん……」
「あの二人の事が心配?」
「二人?」
「業都くんと雨音さんの事だよ。
 流石に今日会ったばかりの人と、もう友達の人達だと、ね。申し訳ないとは思うけど」
「……」
「心配しなくても大丈夫だよ。彼は凄くしっかりしてるし」
「そぉ?」
「うん。僕なんか足元にも及ばないくらいにね。その上、優しくて強いよ、彼は」
「えー? 強さはそうかもしれないけど……
 優しさは負けてないというか、ブッチギリで良くんの勝ちだよ」

 私は知っている。どんな人にでも優しい良くんを。
 私は覚えている。あの日くれた、冬の暖炉のようなあたたかさに満ちた優しさを。
 そんな良くんが負けてるなんて、私は思えない。絶対に思えない。

「……ありがとう。うん、頑張るよ」
「? 頑張らなくてもいいのに」

 私は良くんの手を握った。強く強く握り締めた。
 この優しい人が、遠くに行かないように願いながら。

「あははは……」

 顔を赤らめる良くん。恥ずかしいらしく、少しだけ顔を引き攣らせていた。
 手を離そうかとも思ったけど、それでも握り返してくれたから安心して手を握り続けた。

「そう言ってくれるのは嬉しいかな。でもだからこそ頑張らないとね」
「うふふ。そういう良くんが好き。ゆっくりデートとかしたいけど……」
「うん、今は業都くん達の事を気にしてた方が良いみたいだね」

 そう言って良くんは苦笑いを浮かべた。
 
 こうして私達常識人二人ににとって、胃を痛める日々が始まった。













 ……続く。
 






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