第6話(前編) 変わりゆくものと挑戦者達















「……本日はお招きいただきありがとうございました」
「全然そんな事を思ってなさそうな顔だな、ヴァレット」

 熱すぎもなく寒すぎもしない、そんな秋らしさを感じさせる心地良い昼下がり。
 殆ど真顔で感謝の言葉を述べるヴァレットがそこにはいた。
 部屋の奥……彼女の向かいに立っているのは、岡島財閥総帥・岡島黄緑だった。
 そんな彼に、ヴァレットはこの部屋に入った時からの苦い表情のままで呟く。

「誤解が生じていたら申し訳ありません。
 感謝の念はちゃんとあるのですが……いえ、これは私の未熟ですね」
「ふむ、別にいいさ」

 二人がいるのは、岡島財閥の本社社屋最上階にある総帥室。
 この部屋の主というか、建築物そのものの主たる黄緑だけでなくヴァレットがこの部屋にいるのには理由があった……。









 

 平赤羽ウォーターパークでの出来事により、ヴァレットは黄緑に【借り】を作っていた。
 それゆえ彼女はパークの水泳教室協力の後も、しばしば彼に呼び出され、様々な事への協力を要請されていた。
 その【借り】は実際には屁理屈に近いもので、その後も彼はパークに与えていたかもしれない損害の補填などとこれまた屁理屈を追加してもいたが、岡島黄緑の動向が気になっていたヴァレットは、彼の人柄をより深く知る必要もあり、それを承知の上で黄緑に協力を行っていた。
 そうして行っていた協力は、対異能用の防犯対策や道具、その開発への助言などが主だったものだった。
 その際、ヴァレットは警察と連携して一方的に何もしていない異能者を捕まえたりする為のものではないかと危惧し、黄緑自身にその危惧について尋ねた。
 失礼な事は承知の上でも、ヴァレットはそれを尋ねずにはいられなかったのだ。
 ……異能を狩り立てる立場である自分がそれを問う資格がない事も承知の上で。
 
『信用されてないな俺は……まぁ仕方ないが』

 そんなヴァレットの問い掛けに、黄緑は苦笑しつつ「危惧しているような意図はない」と返答した。
 岡島財閥の部署の一つが作った『異能保険』の関係上、
 異能が引き起こすであろう様々な事態や、それを防ぐ為の方法や道具の模索は必須である為で、
 何もしていないような者を捕まえるような事は全く考えていない、というのが黄緑の弁である。

『そうやって少なからず対策を立てていれば、いざって時に皆怪我せずに済む……
 とまでは言わないがそれなりに被害を減らせるかもしれないだろ?』

 彼の口からそれを聞いたヴァレットは素直に疑惑を持った事を深く謝罪した。 
 そういった備えについては、ヴァレット自身心掛けている事でもある。
 それを考慮せずに、事業の都合もあるのだろうが、市民の安全を考えている事に疑いを持った事が申し訳なかったからだ。
 なのだが。

『というのは本音だが。
 それを素直に鵜呑みにするのは危険じゃないかね?』

 直後意地悪げなそんな事を言ってくる黄緑に、ヴァレットはなんとも言えない気持ちとなった。
 彼の言葉が忠告なのは彼女も分かっているのだが、
 そうした遠回りかつ意地悪な忠告を何度も繰り返されては、素直に感謝が言い難い。
 更に言えば、その感謝すらも茶化されてしまうので、ヴァレットはますます黄緑に苦手意識を持つようになっていった。
 彼の部下である篠崎泉次が間に立ってくれなければ、おそらく現状よりさらに苦手意識を持っていただろう。

 閑話休題。

 そうした協力を何度か重ねた、ある日。
 ヴァレットに預けられていた連絡手段たる、
 GPSその他、ヴァレットの居場所を探るような機能を極力オミットした専用携帯端末……
 ヴァレット専用端末の存在を明確に知っているのはヴァレット、黄緑、泉次だけらしい……に連絡のメールがあった。

 ちなみに、端末は岡島財閥保有の施設やロッカーに置かれており、
 ヴァレットが黄緑に呼び出された際に泉次の口から次は何処にあるかを教えられ、
 彼女は定期的に連絡がないかの確認を行い、折を見て場所を移す、という面倒臭い手段が取られている。
 同様の端末を複数準備すれば、いくらか面倒は軽減できるのだが、それを悪用されるリスクが増えるだろう事から却下されている。

 さておき。
 パトロールの道すがらヴァレットが確認したメールの内容は、
 黄緑が彼女に対し、今までの礼と感謝を込めたもてなしがしたい、というものだった。
 それに対し、彼女は即座に断わりの返事を打ち返して、パトロールを再開した。
 感謝やもてなしをされる為に黄緑に協力しているわけではないからであり、自分に対し余計な気遣いをさせたくないという遠慮でもあった。
 あったのだが、その遠慮はすぐさま返って来た返事メールの重ね掛けで徐々に崩されていく事になった。
 
 幾度も重ねられたメールには、こうあった。

『遠慮は無用だ』

『感謝される為に云々考えてるんだろうが、それは感謝したい側の気持ちを蔑ろにしているぞ』

『そもそも礼の言葉ぐらい言わせてくれてもいいだろう』

『今回応じてくれたら補填を理由に呼び出す事はもうしないと約束する』

 ……と。

 








「……まず先に確認しますが、もう補填の必要は本当にないんですか?
 補填が完了していないのであれば、約束は継続しますが」

 ここに至る事を思い返した後、ヴァレットはまず確認すべき事を口にした。
 黄緑はそれに対し、フッ、と鼻で笑うような息を零して答える。

「心配はない。補填は十二分になされている。
 というか、君的に私への協力は気が進まないんじゃないのか?」
「正直に言えば、そうです。ですが、約束は約束ですから」
「生真面目だな。いや馬鹿正直というか」
「……それと、今後も必要があったら呼んで下さい」
「私への協力は気が進まないんじゃなかったのか?」
「貴方個人に対しては、ですよ。
 貴方が行っている事そのものは、平赤羽市のためになる事だと思います。
 それについては力を貸したい、そう思っています。
 ……ただ、補填を理由に色々なイベントに参加させるのは基本勘弁してください。ホントに」
「ふむ。イベント、なんだかんだで楽しんでると思ったんだがな」
「そういう面があるのは否定しませんが、私自身は不慣れなんですよっ!?」

 ヴァレット的に、イベント事に参加している人達の笑顔を見るのは大好きだった。楽しかった。
 だが、そのイベントに自分が馴染めているかというと、それはまた別問題なわけで。
 黄緑がイベントに合わせた衣装を着せようとしてくるのも、さらにまた別問題なで。

 そんな思いからか、ニタニタ楽しげな黄緑を見て、普段は冷静沈着を心がけているヴァレットは思わず声を乱していた。
 直後、そうして上げた自身の声に自分で驚いたヴァレットは、ゴホン、と恥ずかしげに咳払いする。

「……失礼しました」
「いやいや、今後ももっと激しいツッコミを頼む」
「気が向いたらそうします」

 答えた後、ヴァレットは小さく溜息を吐いた。
 当初は岡島財閥総帥という肩書きや、彼自身が時折放つ、肩書きに相応しい重厚な雰囲気もあって強い敬意を払っていた。
 だが彼により様々な事に巻き込まれた今となっては、敬意はしっかと残っているが無茶振りを繰り返す苦手な人間という印象の方が強く、
 彼自身が丁寧過ぎる対応を好まないと度々言っている事もあり、
 彼女自身自覚するほどに少し荒い言葉や対応になる事が増えてきてしまっていた。
 ヴァレットとしては、ちゃんと【年上の大人】への、極端になり過ぎない程度の丁寧な対応を行いたい、とは思っているのだが、思わせてくれないというか。

(本当に、私はまだまだ子供だなぁ……)

 自分の未熟さを棚に上げるような思考になりがちとなっている自身に、ヴァレットは嫌気が差す。
 だからこそ、そんな自分を変えるべく、打ち消すべく彼女は努めて冷静な口調で告げた。

「それでは私はこれで」
「って、帰るのかよ。
 用件が済んだらはいさようならは味気なさ過ぎるだろう。
 それにまだ礼やもてなしも終わってない、というか始まってすらないぞ」
「何度もメールのお返事でも書きましたが、そういう事の為にやっているわけではないので」
「ホンットに頑固だな、君は……。
 もう既に料理その他は準備済みなんだぞ」
「え?」

 ヴァレットが戸惑いの声を上げるのと同時に、黄緑が指を鳴らす。
 すると、その音に反応するようになっていたのか、誰かが最初から待機していたのか、
 総帥室の壁がスライドし、結果隣の部屋と繋がった……というか最初から元々一つの部屋だったのだろう。
 総帥室と合わせる事で、ちょっとしたホール程の広さになったその部屋には、
 まさにパーティーさながらの白いクロスが敷かれたテーブルの上に、様々な料理が置かれていた。
 殆どの料理が出来上がったばかりなのか、湯気が立ち上っている。
 ただ、居並ぶ料理は高級料理フルコース、というわけではなく、寿司やお好み焼き、カレーにハンバーグ、といった家庭の食卓に並ぶものが多数であった。

「こ、これは……」
「君の好みの傾向はパークで取っていた食事で把握してある。量も十二分にあるはずだ。
 食欲をそそらないはずがあるまいよ」
「ぐ、ぐぅ。し、しかしですね……」
「折角用意したんだ。食べなかったら勿体無いだろ。
 今は仕事でいないが、泉次も手配に協力してくれたんだぞ」
「篠崎さんを引き止める理由に使うのはずるいですよ」
「仕方ないな。俺はズルイ大人だからな」
「ぅぐ。ですけど、私は……」
「ほれ、ほれ、どうだどうだ?」

 手近にあったカレーライスを鼻先に押し付けられる。
 こうならないように、こうした誘惑に負けないようにこちらに来る前に昼食は取ってきた。
 が、そもそもヴァレット=草薙紫雲は食が極めて太いのだ。
 多少食べたところで、彼女の腹を満たせはしない。
 紫雲自身、家計を気にするような年頃になった事から近頃は我慢気味なのだ。
 姉・命は、その事を承知しており、そんな妹を気遣って基本大目に食事を振舞っている。、
 が、同時に彼女の将来を見越して(心配してとも言うが)我慢を覚えさせようと量を少なめに調整する事もあった。
 つまるところ、今日はそれらの兼ね合わせの結果、紫雲……ヴァレットの腹は微妙に空いている状態だったわけで。

【ギュウゥゥウウウ……】

 カレーの濃厚な香りが鼻腔をくすぐった結果か、ヴァレットの腹部からそんな音が響き渡った。
 バイザー越しのヴァレットの顔が恥ずかしさで引き攣る。僅かに見える頬も赤らんでいた。

「ぐぅっ……帰ります、私帰ります……!」
「いやいやいや、意外と乙女なんだな君は……。
 いいから食べていきなさい、バチが当たるわけでもなし」
「これで食べて帰ったら私欲望に負けた事になるじゃないですかっ!? そういうのは嫌なんですっ!」
「うんうん、分かってる分かってる。
 今回は仕方ないじゃないか。これだけの料理を無駄にするわけにはいかないんだ。
 作ったコックと手配した泉次に申し訳ないと思わないのか?」
「ぐ、ぐぐ、そ、それはそうですけどっ」

 そうして帰ろうとするヴァレットと引き止めようとする黄緑の言葉が行き交う事、約10分後。

「……はい。ええ。折角なので、いただきます」

 料理が冷めてもいいのか、それは料理を殺す事だぞ、という黄緑の(脅し)言葉がトドメとなり、
 強硬に帰る事を主張していたヴァレットは席に着き、諦めた顔で箸を手にしていた。
 論破されたからか、若干その顔は落ち込み気味であった。

「いや、そんな顔せんでもいいだろ……折角の料理が台無しだ」
「……そうですね。はい」
「ああ、そうそう、ちなみに毒は入ってないぞ」
「いくらなんでもそこまでは疑ってませんよ……」

 励まそうとしているのか、黄緑が口にした冗談めいた言葉にヴァレットはツッコミを入れた後、小さく笑った。
 少なくとも、彼が自分を気遣ってくれている事が理解できたからである。
 であるならば、用意してくれた泉次や料理を作ってくれた方々への感謝も込めて楽しく食べるべきだろう……そう、ヴァレットは気持ちを切り替えた。

「まぁ、料理の一部が激辛とか激甘だったりする可能性は疑いましたけどね」
「……」
「なんで目を逸らすんです?」

 などと、一悶着あった末に、黄緑主催、主賓ヴァレットの食事会が始まった。
 食事前の口論中に出た『自分だけ美味しいものを食べるのはイヤだ』というヴァレットの言葉に対し、
 黄緑が家族向けに冷めても問題のない料理の持ち帰りも準備済みと返していた事で安堵した彼女は、久方ぶりに食欲を全開にしていた。
 あまりに美味しそう、かつ大量に食べる彼女の姿に、追加料理を運んできた人々は大いに喜び、さらに振舞った。
 そうして、食事が続く中で。

「……そう言えば、少し気になってたんですが」
「君から質問とは珍しいな。遠慮なく訊き給え」

 感謝の言葉以外は食べてばかりだった自分に気付いたヴァレットは、
 申し訳なさもあって、会話の種になればと以前から抱いていた疑問について口にした。
 一緒に食事を取っていた黄緑の了解を得た事もあり、彼女は「ありがとうございます」と礼を告げてから問うた。

「駆柳羽唯さんのインタビューで、異能保険について話されてましたが……
 そもそもどうして異能保険を作ったんですか?」
「ふむ。どうして気になるんだ?」
「異能保険を作り出したのは、ここ最近じゃありませんよね。
 つまり、今のように概念種子による事件が多発していない頃から、こうなる事がわかっていた、という事になるんじゃないかと。
 その辺りが不思議に思えたものですから」

 異能対策についての助言の際に、ヴァレットは概念種子について黄緑に説明していた。
 その事そのものは隠すようなものではなく、いずれは明らかになるか、皆自覚していくだろうと認識していたからである。
 ヴァレットとしては、平赤羽市の人々にしっかり説明すべきなのかも、とは思っている。
 だが、それはそれで騒動の種を生みかねないだろう、とも考えていた。
 説明する事が自覚的に能力を使えるきっかけになれば、現状でも増え続けている概念種子による事件がさらに、という事にもなりかねない。
 なので、今の所明確に概念種子について説明しているのは黄緑以外でも数人程度だったりする。
 ちなみに黄緑とは、公表は控えるべきだという意見については一致していた。

 閑話休題。
 だが、こうして概念種子の事件が増えだしたのはここ数年。
 異能保険が始まったのは、更にもう数年前の話だ。
 異能保険の概要については彼女も気になって色々調べていたのだが、
 その内容は異能について詳しく知らなければ作れないものだった。
 更に言えば、この保険は、普通の人間が偶発的に異能を手に入れた状況なども考慮に入っている。
 そう、今の街の状況を見越していたかのように。
 岡島黄緑が並ならない人物である事は理解しているが、
 それでもこの状況を予測するには【一般の知識】だけでは不可能に近いはず……そんな推測を込めた視線を向けると、黄緑はずっと浮かべている笑みを崩さないままに呟いた。

「ここだけの話だがね。俺も実は異能を齧ってるのさ」
「……やはり、そうでしたか。
 異能保険の設立は、異能についてのある程度の知識がなければ無理です。
 内容から察するに、貴方は魔術や錬金術、そういった方面に明るいのでは?」
「流石だな。
 俺のご先祖は、元々どこぞの術士だったんだが、当時ライバル関係にあった術士の一族に巻き込まれたというか巻き込みにいったというか、らしくてな。
 ここ、平赤羽市をいつか来る何かから守る結界を張る話に一枚噛む事になって……みたいな話とか術とかがぼんやりとだが継承されててな。
 ……その辺り、ヴァレットは知っているのか?」
「それなりに」
「やはりな。なら話が早い。
 ともかく、そういう関係で俺は術を多少齧ってるし、この街に何かが起こるらしいのを知ってるというか聞いてるというか。
 ここに根を張る企業の長としても、この街の住人としても、それに対して色々備えておくのは当然だろう?」
「なるほど」

 それなら彼が異能保険を作れるのも、平赤羽市の現在をある程度予測できたのも納得はいく。
 もっとも、普通の人々が異能を得る、という状況まで予測出来たのは気になるのだが……。

(……この人なら、不思議ではないのかもしれない)

 話しぶりから察するに、彼の先祖の伝承はかなり磨耗しているのだろう。
 にもかかわらず、ある程度今を見通せていた、というのなら、それを可能にした彼自身の着眼点や読みが際立っている、という事に他ならない。
 岡島財閥総帥としての手腕も凄まじい事は篠崎泉次からもよく聞いている。
 彼ならば、常人では気付けないヒントの欠片を拾い上げて、予測困難な未来を見越すのは可能なのかもしれない。

「それに……失敗は繰り返したくはないんでな」
「え?」
「十年前……あの不思議な雪が降った日、一人の少年が、何かに巻き込まれて、怪我を負った。
 その事を知っているか?」
「……いえ」
「ふむ、まぁ当然だな。
 君が見た目通りの年齢と仮定すると、まだ幼い頃だったろうからな。新聞を読む習慣もあるまい。
 かくいう俺も平赤羽市をよりよくする計画に着手し始めたばかりだったし。
 さておき、その少年が巻き込まれたソレは、少年自身も記憶が混濁していたこともあってな、
 事件なのか事故なのか、今でもよく分からない事になっている。
 だから、それについて曖昧なまま十年が経過してしまった」
「その、少年は?」
「ああ、今は普通に生活しているよ。平赤羽市からは引っ越してしまったが」
「そう、ですか」
「そういう意味では、もう忘れ去られた今更な出来事なのだろうが。
 俺個人としては気に食わないのさ。
 我が愛すべき平赤羽市民がよく分からない何かに巻き込まれて、怪我を負い、満足な補填もされないままだった事が」
「……だから、異能保険を作ったんですね?」
「まぁ発想としては元からあったんだがね。
 それに関係した幾つかの出来事で、明確に為すべき事だと理解出来た。
 術士だったご先祖には感謝だよ。
 そもそも異能の事を知らなかったら、それを知るという過程を経る必要があり、時間を無駄に浪費するところだった」

 言いながら、テーブルナプキンで口元を拭きつつ席を立ち、ヴァレットに背を向ける黄緑。
 当然その表情は見えないし窺い知れないが……その心情は、なんとなくかつ僅かでしかないだろうが、分かるような気がした。
 紫雲もまた、先祖から受け継いだ土台があるからこそ、今現在ヴァレットとして活動できている……未熟な点が多い事は反省としても……のだろうから。
 ただ、それはそれとして、ふと気に掛かる事に気がついた。 

「ん? 街の結界の術士がご先祖? でも……」
「ああ、もしかして伝承にある面子と苗字が違うって話か?
 ずっと苗字や一族のあり方を変えずに伝承や術を粛々と伝え続ける、なんて中々出来ないだろう?
 それが異能や突拍子もないものなら尚更だ」
「……それは、そうかも、ですね」

 ソレをずっと続けてきた末裔がここにいます、などとは言えず、ヴァレットはそう言うに留めた。
 やはり姉がたまに口にするように、自分達……草薙家がおかしいのだろうか、そう考えたりする紫雲であった。
  
「しかし、君は詳しいな。まるで当事者のようだ」
「……まぁ、異能絡みでは色々ありましたから。
 疑問に御答えいただきありがとうございました」
「いやいや、その辺りに突っ込む人間は中々いないからな。
 こちらも楽しませてもらった。……あぁ、喋って喉が渇いたな。
 ヴァレット、コーヒーは飲むかね」
「折角なのでいただきます」

 数分後。
 食後のデザートを食べ始めていたヴァレットの眼前にはコーヒーカップが置かれていた。
 一見だけでも高級そうなカップには、なみなみとコーヒーが注がれている。
 それはいいのだが……。

「?? なんで私に二つ差し出すんです? 岡島さんの分はあるようですし……」
「なに、何の趣向もないのは詰まらないんでね」
「だからって料理に激辛激甘料理を混ぜてくるのはどうかと……」
「いや、君どちらもさらっと食べてたと思うんだが……ともかく飲んでみたまえ。
 所謂飲み比べ、という奴だ。君の感想が聞きたい」
「はぁ、まぁいいですけど……」

 ただの戯れなのか、何か意図があって行っていることなのか。
 判断はつかなかったが、とりあえずヴァレットは言われるがままそれぞれ一口ずつ口に含んでみる。

「どうだ?」
「……片方は、味が薄い、というか癖がなくて、飲み易い感じですね。
 スゥーッとこれはコーヒーだなって匂いが空気みたいに通っていくような味です。
 もう片方は、薫りが濃厚……産地の薫りなんでしょうか。
 舌にじんわりと豊潤な味わいが浸透していくような、そんな味がします」
「ほぉ。中々に的確な表現だな。味覚が壊れてるわけではなさそうだ。
 ……では、質問だ。どちらが美味いと思う?」
「え? どちらも美味しいですよ?」
「え?」

 ヴァレットの答に黄緑は眼を丸くした。
 彼のそんな表情を見るのは初めてだった事も含め、彼女もまたキョトンとした表情になっていた。

「……マジか?」

 数秒間固まっていた黄緑は、気を取り直しきれていないのか困惑したまま尋ねる。
 ヴァレットはその困惑の理由がよく分からずに首を小さく傾けた。

「マジですが。
 両方とも、それぞれの味の良さがあって美味しいと思いますよ」
「あー、うん、そうか。そう来るかー。
 ……ぬぅ、これは少し予想外だ」
「???」

 そうして互いに戸惑っていた、そんな時だった。

「……?」
「どうかしたか?」

 何かが聞こえたような気がして、ヴァレットは席を立った。
 そのまま窓際に歩み寄り、外……正確には、ずっと下方の街の状況を見据えてみる。
 
「パトカーが何台も……?!」
「ふむ。あの数はおかしいな。尋常じゃない」
「ええ」

 岡島財閥本社社屋の真下の道路をパトカーが走っていく姿……それ自体は珍しくはない。
 だが、それが十数台一緒くた、ともなれば珍しいを越えて異常とさえ言える。
 ヴァレットによりその異常に気付いた黄緑は自身のデスクにおいてあった内線専用の電話の受話器を取った。

「俺だ。パトカーが走っていくのは知っていたか?
 ……そうか。何があったのか分かるか? なに……?!」

 おそらく階下の部下に状況の確認を行っているのだろう。
 その黄緑の顔が、先程までの笑みから真逆の表情へと見る間に変わっていく。
 ただ事ではないのは間違いなさそうだった。

「……そうか、すぐさま調べておいてくれて感謝する」
「何があったんですか?」

 受話器を置いた黄緑にヴァレットは尋ねる。
 バイザー越しに自身を僅かに見上げるその視線は、真剣そのもの……それを感じ取った黄緑は同様の視線を彼女に返しつつ、答えた。
 
「駅前の銀行で強盗事件が起こったそうだ。
 明確な事は今の所わからないが、強盗犯は複数で不思議な力を使っているらしい」
「……!!」

 黄緑の言葉にヴァレットは息を呑んだ。

 平赤羽市では、様々な……予測不可能な事が巻き起こる。
 それらに比べれば、現実に起こり得る可能性は、むしろ決して低くないはずの【銀行強盗】。

 だというのに、ヴァレットには、今現実に起こっている【起こり得る犯罪】が何故か恐ろしく異質に思えた……。
 










 ……続く。






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