第2話 真実と追いかける妹達
草薙紫雲は男装少女な高校生であるが、その事を知っている人物は限られている。
そもそも何故男装しなければならないのか、その始まりは草薙家に伝わる様々なものに理由があった。
草薙家の言い伝えにはこうある。
特殊な力を持つ者達が多く現れ始める時代、世界を滅ぼす魔物が現れる。
そして、その魔物を倒すべく、草薙家の中にそれを倒す【運命の男児】たる存在も現れる、という言い伝え。
その【運命の男児】誕生を分かり易くする為なのか、他に何らかの理由があるのか、草薙家は代々女系の、というより女しか生まれない一族であった。
一族の事情を理解し、婿入りを承諾してくれる男の存在でどうにか一族の血は絶やさずに来たものの、かつてより今現在まで男児が生まれる事は一度としてなかった。
そんな状況を自分達なりに打破出来る可能性の模索の為、草薙家が時々行ってきた事……それが男装であった。
一つは、万が一運命の男児が生まれなかった時の備えとして。
一つは、女性では負担が大き過ぎたり、女性的に理解や行使が難しかったりする【術】を、可能な限り純度を維持したまま伝承する為に。
草薙家は二人以上の伝承可能者がいた場合に限って、伝承者のいずれかに男装させ、可能な限り男として育てる……そういう決まりをずっと続けていた。
そして今代、その決まりの対象として選ばれた……否、自分からそれを望んだのが紫雲だった。
……とまぁそういった事情があるのは事実だが、要は【色々相続するに相応しい男が生まれなかったから女を男として育てるしかなかった】という、漫画とかではよくある話なのだ。
ただ問題なのは、そのよくある話に別の問題が絡んでしまった結果、男装により必要性が出来てしまった(少なくとも紫雲的には)事だ。
別の問題、すなわち『魔法少女』としての力が紫雲に与えられた事がそれである。
与えたのは、異世界良識概念結晶体【ピース】という存在の一つ、自らをクラウドと名乗る存在であった。
紫雲に与えられた、この世界で怪しまれずに活動するのに支障のない黒猫の姿となった『彼』が語ったのは、紫雲達が生きる世界に迫る危機だった。
異なる世界を渡り歩きながら世界を壊して回る強大な破壊者……それが紫雲達の世界に狙いをつけている、と彼は言った。
それに対抗・撃退すべく十年前に蒔かれたのが異能の種【概念種子】であり、
クラウドは、その【概念種子】の持ち主の中でも特に強く・才ある者に更なる力を与えるべくやってきたのだという。
クラウド自身、胡散臭く思われて当然だと零すその事実を、紫雲はあっさり信じた。
クラウドが信用出来る存在だと直感した事もそうだが、クラウドが話した事柄が草薙家の伝承と大筋で一致していたからでもあった。
それらの事情と持ち前の正義感から、この状況を捨て置けないと考えた紫雲は、
クラウドが申し出た協力要請に応え、更なる力……多少の能力強化と【破壊者】や【概念種子】を封印・消滅させる浄化の力を、
これまで【破壊者】に滅ぼされてきた世界群が滅ぼされながらも作り上げてきたその力を受け取った。
自分がその力に適しているかどうか、それは正直分からなかった。
だが、あえて自分を選び、託してくれたクラウドの気持ちに応えたかったから。
そして、本当に世界に危機が迫っていたのなら、それを防ぐ為に自分の出来る事をしたかったから。
そうして【概念種子・正義】を持つ男装少女・草薙紫雲は、浄化の力を手に入れた。
その力と自身の概念種子を最適化し、活性化・具現化させた姿こそが【魔法多少少女ヴァレット】であった。
かくして、紫雲は周囲に迷惑を掛けるような概念種子の封印と、
それとは関わりはないが正義感ゆえに放っておけない事件や事故の解決のため、ヴァレットの姿と力を使い、平赤羽市を奔走するようになった。
当初、紫雲は草薙家の事情に引き攣られての男装を続けていた訳だが、
そうした活動の中で、ヴァレットの正体を隠し、撹乱する為の手段としての男装の必要性をより強く意識してしていくようになった。
所謂正義の味方にとって、正体の露見は危険極まりない事である。
正体が知れ渡ってしまえば、その正義の味方にとっての家族や友人に迷惑を掛け、最悪危険に晒しかねないからだ。
特に自分の基本的な活動は、個人が持つ特殊な才能を奪い取るという身勝手なものだ。
勿論他人に迷惑を掛けるような状況・事柄の場合のみと限定してはいるが、それでも自分勝手には変わりないというのは重々承知している。
現に何度か能力を封印し、警察に逮捕してもらった者の中にはヴァレットへの復讐を誓う者もいた。
だからこそ紫雲は、改めてヴァレットの正体を隠し、自身が女である事を隠す事を誓った。
自分が女だと周囲にバレてしまえば、何故男装していた、という疑問からヴァレットの事を連想しないとも限らないからだ。
可能性は低いかもしれないが、万が一そうなってしまった時の危険性を考えれば、必要以上に警戒するのは当然……少なくとも、紫雲はそう考えていた。
最早嘘を吐いている後ろめたさという理由だけで男装していた事を明かすわけにはいかない。
そんな訳で、紫雲は今日も今日とて男装を続けていたのだが。
「うーん……」
放課後、教室の後ろの黒板に書かれた予定を眺めて、紫雲は小さく唸った。
明日の日付の欄には【健康診断・身体測定】の文字。
男装している紫雲的には鬼門となる出来事の一つである。
対策というか回避法は既に準備済みなので、これ自体は別にいいのだが……。
「うん? どうかしたの?」
考え込む紫雲に声を掛けてきたのは、同じ研究会に所属している新城入鹿。
ジオラマと特撮(と最近は少しヴァレット)に熱意を捧げるクラスメートの男子である。
「あー、いや、なんでこの時期なんだろうなぁって」
まさか考えていた事をそのまま言える筈もなく、紫雲は実際に浮かんでいたもう一つの疑問を口にした。
「身体測定? ああ、なんか頼んでた医者の一人が直前で病気になったりで先延ばしになってたらしいよ。
ホントはもう少し早くしたかったらしいけど、タイミングが合わなかったって、顧問の先生が言ってた」
「橘先生が? そうだったんだ。
でも、何も一学期も終わりそうな時期にやらなくてもいいのにね」
「まぁ確かにね。そう言えば、この帳尻合わせの為に二学期の身体測定、少しズラすらしいよ」
「へぇ。……こういうの一つズレると大変だよね。うちの学園、行事色々あるしね」
「元々ここまでずれ込んだのもそのせいだしね」
「お前ら、いつまでそこで喋ってるんだ?」
そうして話し込んでいる二人に声が掛かる。
声の主はクラスメートであり、二人と同じジオラマ同好会に所属している……正確に言えば紫雲ともども最近所属するようになった……久遠征だった。
「話があるんなら部室に行きながら喋ればいいだろ? 非効率的だな」
「効率云々で言うなら二次元美少女に色々捧げまくってる君の人生そのものの効率が……あ、うんごめん、僕も人の事言えないや」
「うむ。自覚があるのは大変結構。
そもそも人様の人生、生き様や趣味に効率を求めるなど愚かしい事よ……」
「効率云々最初に言い出したのは久遠君だろ」
「行動の効率の話をしてただけだ。一緒にしてもらっては困る」
「……うぐぐ」
「やめときなさいよ、新城君」
三人の横合いからそう言ったのは、彼らのクラスメートである高崎清子。
後方の扉から教室を出ようと通りかかったところだったのだろう。
鞄を持った清子は半身だけ振り向いて言った。
「ソイツの口の達者さと屁理屈は半端ないから。
この間だって互いに碌な目にしか合わなかったでしょ」
「俺からすれば、俺の口が達者なんじゃなくて突っ込まれる要素のあるお前に問題があると思うが」
「問題児に問題があるって言われたっ!?」
「いやいや、俺は学校的に問題を起こした事なんか一度もないだろ? 学校的には超優等生だ。
むしろ中学時代に一度とは言え騒ぎを起こしたお前の方が……」
「わーわー! 何言ってんのっ!?」
「……超優等生って自分で言えるのは凄いよね」
「実際、久遠君は優等生だからね。
自分の趣味の時間をちゃんと作りながらも模範的な生活……うん、見習わないと」
「それは……部分的ならいいけど、全面的にならやめた方がいいよ」
「草薙君、見習わなくていいから。コイツみたいにならなくていいから」
「失礼だな、お前ら」
そんな会話を交わしながら、誰ともなく歩き出した四人は、なんとなく連れ立ってそれぞれの目的の場所へと歩き出す。
紫雲達は自分達が所属しているジオラマ研究会の部室へと、
清子は幼馴染兼クラスメート兼彼氏である直谷明が助っ人に行っているという部活が行われているという体育館へと。
「というかさ。二人とも、コイツ研究会で迷惑掛けてない?」
「……お前、俺が何言っても怒らない聖人か何かと勘違いしとりゃせんか?」
「ま、まぁまぁ。高崎さんは久遠君を心配してるんだよ」
「……それはないない。絶対にないからね、草薙君」
「……高崎さんの一見フリかなにかにも思える発言はともかく、
久遠君は何もしてない、というよりいてくれてかなり助かってるよ」
「え? マジなの新城君」
「うん。マジで」
「そうだね。
僕達だと言葉に出来ない微妙なニュアンスをちゃんと的確な言葉にしてアドバイスしてくれてるよ」
部活で行われている事を思い浮かべながら紫雲は同意した。
実際、ジオラマや動画制作中における征のアドバイスは、
理に適った的確な言葉……少なくとも二人をちゃんと納得させられるものだった。
「ふぅむ。草薙君までそう言うんじゃ、信じるしかないわね」
「……お前の中の俺の信頼度の低さにたまに泣けてくるなぁ。幼馴染なのになぁー」
「嘘吐き。そんな繊細じゃないでしょアンタ」
「ひっでぇなぁ。俺だって多感な思春期の若者だってのに……」
そうして征がぼやいた直後。
「ホンット、多感な思春期の若者の気持ちが分かっとられませんね、部長はっ!」
突然大きな声が廊下に響き渡った。
放課後の為、行き交う人はそう多くないが、それでも何人か……紫雲達も含む……は思わず足を止めて声のした方へと視線を向けた。
そこには、階段の前で口論している二人の女生徒がいた。
「駆柳さん、私もその多感な思春期の若者なんだけど……」
「だったら感性が劣化したのと違います?」
「あのねぇ」
京都弁に近いようで関西弁が混じっているような、微妙な違和感のあるイントネーションの言葉遣いの、駆柳と呼ばれた女生徒がまくし立てるのに対し、
もう一人の女生徒は結構ひどい事を言われているのもかかわらず、冷静に受け答えを続けていた。
言い争いの度合いによっては仲裁に入るべきか、と考える紫雲だったが、ヒートアップしていても険悪な空気は感じなかった事から傍観に留める。
ただ、駆柳という苗字には聞き覚えがあり、その点が気に掛かったが、即座には思い出せなかったのでとりあえず状況推移を見守り続けた。
そんな紫雲他複数の視線に追われながらも、駆柳という少女は言葉のテンションを下げる事無く言葉を続ける。
「若者は刺激的な出来事をいつも求めとるんです。ニュースにしてもそうです。
そんな若者がメインターゲットなのに、行事だけを粛々と書き連ねる学園新聞なんて、何の価値があるんですっ?!」
「いや、そうじゃないニュースの為にわざわざウェブ版があるんじゃないの。
あっちだって、貴女の書く記事で結構ギリギリな事になってるのに、
この上大本の学園新聞でさえ過激になったら新聞部そのものが生徒会や先生達から睨まれるから」
そのやりとりを聞きながら紫雲は、ここ慶備学園の新聞部について幾つかの事を思い出していた。
数年前までここの新聞部に在籍していた卒業生の一人が、平赤羽市で幾つかのスクープをたった一人で掴んだ事で、現在結構な有名人になっている事。
というか、在籍中から色々な型破りな記事を書いて伝説になっている事。
そんな彼女の恩恵を受ける形で、ここの新聞部はかなり自由な記事を書く事が許されているらしい事などなど。
そう言えば、その卒業生は確か……。
「というか、ウェブ版も少し記事内容を見直したほうがいいんじゃない?
危ない記事の話題になってる人、いくら名前を出してないとは言え、最近は気付く人は気付くレベルになってきてるし」
「別にええやないですか。
甲子園に出たからって調子こいて女とっかえひっかえ、二股三股やってる奴とか、
アニメに入れ込み過ぎてネットの呟き欄をネットニュースに取り上げられる位炎上させたりとか、
そういう連中の名前が出た所で困るのは当人達位で、皆はむしろ知りたいはずです。
折角情報提供してくれる人もいるんやし、使わんと勿体無い思うんですよ」
二人の会話を聞きながら、清子はジト目視線を征に送る。
「……征じゃないの? アニメ話題での炎上騒ぎって」
「俺は何も恥ずべき事はしてない。正論しか言っていないからな。
恥ずべきなのは夜になっても記事に追記加えて炎上を煽った新聞部の方だ」
「否定しないって事はアンタなのね……はぁ」
「うーん、凄い堂々としてるなぁ」
「いや、見習わないと、みたいな顔をするのはどうかと思うよ、草薙君……」
少し離れている事、自分達の会話に集中している事もあり、
清子達のそんなやりとりなど聞こえていないというか聞いていない二人は、周囲の視線を浴びたまま会話を続けていく。
「それ殆ど名前言ってるようなもんじゃないの?
実際の報道なら負の方向性の記事の場合に実名開示が必要な時もあるけど、
少なくとも私は学園内の新聞においてはその必要があるとは思えないわ」
「おーおー昔は結構アレな記事を書こうとしてたらしい部長の言葉とは思えませんなぁ。
まぁ、もっと過激なおねえちゃんの記事に食われてたらしいですけど」
「……いや、それはホントに最初だけだからね」
「その辺りはさておき。
別に、堂々と大っぴらにやってるんやったらええんです。そんなん記事にするまでもない。
でも、コソコソ隠れてやってるなら話は別でしょう?
コソコソしてるって事は、後ろめたいゆーことのはずです。
後ろめたいから隠す。ならそれは暴いてもいいものやとうちは思うてます。
そして、そういうことやってる連中の名前を明らかにする事こそ報道の意義やと思います」
「まぁ、何かを隠すって事にそういう側面があるのは事実だし、言ってる事が間違ってるとまでは言わないけど。
報道は、ヒトが時に見失いそうな事実や真実を記録し、皆にしっかりと記憶してもらい、それを未来に繋いでいく……そういうものだと私は思うわ」
「……まぁ、それもそうですけど」
「あぁ、別に駆柳さんの記事を全部否定するつもりはないのよ?
ただ、なんというか、最近の駆柳さんは強引過ぎるような気がして……」
「そんな事ないです」
「……その、つばさちゃん。何をそんなに焦ってるの? もし駆柳先輩の……」
「おねえちゃんは関係ない。これはうちの問題やから。
部長がおねえちゃんの後輩で弟子でも関係ない」
「それはそうかもだけど……」
「まぁなんにせよ、もう少しお時間くださいな。
いずれ部長もセンセ方も生徒の皆も喜ぶようなネタを掴みますから。
それこそ、私や新聞部への不満なんか全部吹っ飛ぶようなネタを」
「そんなネタ学園内にあるの? 流石に学園外の事を扱うのはダメだからね」
「ご心配には及びません。凄い出来たてな学園内ニュース、あったやないですか。
今、町で、いや平赤羽市で一番有名人な彼女……ヴァレットの大活躍。
その彼女についてなら皆も喜びますやろ?」
彼女の言葉に、情報を耳に入れていた紫雲の眉が微かに動く。
駆柳という生徒と会話を交わしていた女生徒……話の流れからおそらく新聞部部長だろう……の表情も紫雲よりは大きく動いた。
「え? ヴァレットの……?」
「彼女の正体に迫る、あるいはそのもの。
それを掴めば、学園内は大騒ぎ。まぁ結果的に? 学園の外も大騒ぎになるでしょうなぁ」
「……そんな事できるの?」
「今までに出てるヴァレットの身体情報でも分かる事はあります。
少なくとも、画像データその他から身長・体重・スリーサイズは大体割り出せます。
おあつらえむきに、明日身体測定あるやないですか。
ヴァレットのそれと一致するような、あるいは限りなく近い女子がいたら……おもろいことになるかもしれません」
「そんなの、アテになるのしらね。
そもそも彼女魔法少女だから、いくらでも姿を変えられるんじゃない?
身体情報がある程度一致したって、根拠には足りないかもだし。
大体うちの生徒かどうかだって……」
「ふふ。まぁ普通はそう思うでしょうねぇ。
でもウチには……おっとと、これ以上はやめときましょか。
まぁ期待しててくださいな。
あの偽善者似非魔法少女の正体を暴いてみせます。
話聞いてた皆さんもご期待ください」
最後に、標準語のイントネーションで話を聞いていた周囲の人々にアピールしてから、駆柳は部長に背を向けて歩き出す。
その足が向かった先は他でもない、話を聞いていた紫雲達だった。
正確にはその中の一人……新城入鹿に向き合って、駆柳は言った。
「新城君、この間は取材協力どうもありがとうね」
「え? あ、うん。大した事話してなかったと思うんだけど」
「そんな事ないよ〜 少なくとも彼女の表向きの人となりが分かったわけやし。……だし。
それに……と、これはまだ機密事項機密事項。
ともかく、期待してぇな。新城君も気になるやろ?……でしょ。噂のヴァレットの正体」
「それは、そうかもだけど。個人的にはあんまり気が進まないかな。
この間も言ったけど、ヴァレット本人が隠したいんなら、そういうのはやめた方がいいと思う」
「それはこないだも話したし、さっきも部長との話で言ったでしょ?
良い事してるのに正体を隠す……それは後ろめたい事があるからやとうちは思うとる。
そりゃあ、全部が全部悪い、なんて言うつもりはないけど、少なからず何かしら後ろめたいことあるんなら、そこは暴かんと。……暴かないと、うん。
ジャーナリストの端くれだからね。
じゃ、その時を楽しみに。お友達の皆さんも、その時はよろしく」
「あ、ちょ」
紫雲は慌てて呼びとめようとするも、彼女は風のように駆け出して去っていった。
呼び止めようとした手を力なく下ろしながら、紫雲は呟く。
「……行っちゃった。新城君、彼女と知り合い?」
「知り合い、というか結果的に知り合ったというか。
彼女は、駆柳つばささん。新聞部の副部長。
だからなのか、色々スクープ集めてるらしくて。
ほら、二人にはこの間ヴァレットに助けられた話、したじゃない。
その辺りを何処から聞きつけてきたのか、ヴァレットについて根掘り葉掘り聞いてきて。
ヴァレットが相手してたのには興味なさげだったけど」
「……そうなんだ。ヴァレットについて知りたいって……彼女、どういう人?」
ヴァレットの相手……入鹿が所持していた概念種子の暴走体について聞いてこなかったらしい事に紫雲は安堵した。
少なくとも入鹿が騒動に巻き込まれる事はなさそうだ。
だが、それはそれとして。
ことヴァレットの正体を探っているとなると話を聞かない訳にはいかない。
だが、過剰な興味を示すのは自身がヴァレットだと言っている様な事になりかねないので、慎重に言葉を選びながら紫雲は尋ねた。
「僕も詳しくは知らないよ。
ただ、自己紹介代わりにって渡されたUSBメモリには今まで彼女が書いた記事がまとめられてた。
それで自己紹介になると思ってるところが自己紹介になってるというか」
「……なるほど」
少なくとも熱心なジャーナリスト志望なのは間違いないようだ。
そう思うと、中々に大変な事になるかもしれないなぁ、と紫雲は内心で頭を抱えた。
「それがどんな記事か、は聞くまでもないな。週刊誌のゴシップ記事みたいな感じなんだろ?」
基本的に自分の興味外の出来事には無頓着な征が尋ねる。
その質問に、入鹿は頭を傾げつつ、記憶を手繰り寄せながら答えた。
「……いや、最初の方の、作成日時が古い方の記事はそうでもなかったよ。
陸上部のエースの……名前は忘れたけど。
その人が100メートル走の新記録叩き出した時、
いかにしてその新記録を打ち立てたのか丁寧に熱い文章で書いてたりとか」
「ああ、その記事は私も読んだわね。
その時はプロっぽいというか、新聞っぽいというか、凄く良い記事だなぁと思ってたんだけど。
最近の記事は……ちょっとね」
「うん、高崎さんの言うとおり、最近がちょっと、って感じなんだ。
さっき部長さんらしき人と話してたとおりの、ゴシップ的な記事ばかりになってきてて」
「そうね。
こないだなんか水泳部期待の新人の……盗撮、じゃないけど、それっぽい写真をアップしてて。
推察スリーサイズまで載せてたわね。
なんでも、ある意程度肌が露出してたらスリーサイズを直感的に把握できるとか、
服着てても底上げとかの細工してなければ大体分かるとかなんとか」
「やけに詳しいじゃないか清子」
「その記事にされた子と友達でね、話を聞いてたのよ。
……記事にされた頃、その子、少し渋い顔してたわ。男子の眼が怖いって。
文句言いに行こうかとも思ったけど、その子が良いって言うからその時はガマンしたの」
記事にしてくれたのは事実だから、それで水泳部にもっと注目が集まるなら、と彼女は語っていたそうだ。
そんな彼女の言葉に打たれた事もあり、清子は渋々直談判を諦めたのだ。
「でも、なんかそのままってのも落ち着かなかったから、彼女の書く記事をチェックするようになったわけ。
にしても、ここ最近はホント下品なネタが多くなってきたわね。
そのせいで悪目立ちしてて、真面目な記事書いてる部長さんの存在を食いまくってるし」
「確か、姉がどうのこうの言ってたよな。
その事と何か関係があるのかね。……ふむ」
征はそう言うと、懐から携帯端末を取り出して何かを打ち込んでいった。
「何してるのよ?」
「いや、なんとなく検索して情報が出るかな、と。
当人が隠すような事はない的なノリだったから別にいいだろうと思ってな。
おお、出た出た。多分これが駆柳の姉貴だな」
征の端末から検索されたのは、駆柳羽唯という名前の人物の幾つかの情報だった。
彼女本人が運営しているという情報配信サイト、呟き、彼女についてまとめられたページ……などなど。
「ああ、ちょっと前に何人かの異能者への聞き込みを纏めた本出してた人だったんだね」
「やっぱり、あの本の……」
駆柳という苗字に聞き覚えがあったのは記憶違いではなかったか、と紫雲は内心で呟く。
異能者についての本という事で是非読まねばと購入して眼を通していたが、
それを抜きにしても読み応えのある本だった。
インタビュー一つ一つで対象の人物の人間性を引き出し、紐解いていく形が、一本のドキュメンタリー映画を見ているような感覚を紫雲に抱かせた。
そう思わせるほどの筆力、文章から推し量れる【記事への熱意】。
駆柳羽唯は一流のジャーナリストなのだろう……そちらの業界に明るくない紫雲がそう思えるほどの一冊だった。
「最近は、岡島財閥の総帥へのインタビューとかもやってるのか。
異能事件対応保険とかについて、か」
「この間その辺りについてでテレビに出てたような出てなかったような……」
「おいおい情報は正確に頼むぜ、清子」
「いいかげん、いちいち突っ込むのはやめてくれないかしらねぇ……」
「あ、うん、すまん&ごめん。だから本気でキレるのはやめてくれ。
さ、さておき、どうやら駆柳の姉さんとやらは最近大活躍中、って感じらしいな」
「……最近っていうか、この学園にいた頃からなんじゃなかったかしら?
この間、先生達の噂話をチラリと聞いたんだけど、アイツは昔からとんでもなかったとか何とか言ってたわね。
外部からでも読めるウェブ版学園新聞を立ち上げたのは彼女らしいし、なんか朝昼晩絶える事無く更新しまくってたらしいわ。
問題も多かったけど、やってた事は印象的に赤字って訳じゃなくて、むしろ黒字な感じらしかったわね……あくまで最終的にちょっとだけ」
「ふむ。それでこっちの駆柳は焦ってるのか」
「焦る?」
「よくある話だろ?
尊敬する人に追いつけ追い越せってな。
それが周囲から賞賛されるような兄弟姉妹なら尚の事だろうし」
「確かに、よくある話よね。凄く良い子な妹さんがいてもアンタには無縁の話だけど」
「うむ。妹には俺のような修羅の道は歩んでほしくないものだな」
「遠回しに高美ちゃんを見習えって言ってんのよっ!?
というか、アンタが道を正せばそれでいいでしょうがっ!」
「俺は道を間違えた覚えはないぞ。厳しくも険しい道なのは確かだがな」
「こ、コイツ……」
「それはそうと高崎さん、時間大丈夫なの?」
少し強引な仲裁と清子の時間の心配を兼ねて、紫雲が口を挟む。
清子はそれで元々の用事の事を思い出したらしく、腕時計を確認する。
「あ、そうだった。
……あぁ、もう。腹立つけど、今日はここまでにしといてあげる。
じゃあね、草薙君、新城君。悪いけど、この馬鹿をよろしく」
そう言い残すと、清子はパタパタと駆け出し三人から離れていった。
何処か名残惜しげにその後姿を眺めながら、征が呟く。
「言いたい放題言ってから行ったなぁ、清子のやつ」
「言いたい放題だったのは久遠君の方じゃ……」
征の言葉に、入鹿は呆れ顔で突っ込む。
それに対し征は、やれやれ分かってないなと言わんばかりに手を広げ、頭を横に振った。
「いやいや、実際はトントン位の筈だ。
それをさも俺の方が攻め立てたみたいに……三次元の女はこれだから困る。
そもそもあの駆柳にしても俺までコソコソしていたように言いおって」
「広大なネットの何処かで起こってるちょっとした炎上なんて彼女にとってはコソコソなのかもね。
もしくは、記事のネタがなかったからやむなくかも」
「前者だとすると今時のジャーナリストの認識としては失格だな。
後者なら……まぁ一回くらいは見逃してやろう。
ネタがでない時というのは誰しもあるものだしな」
「うん、それは確かに」
「二人ともなんか実感篭ってるねー」
「なーに、草薙もこれから分かるようになるさ。嫌でもな……くくく」
「そうだね。構図とか動きとか死ぬほど一緒に悩もうよ、草薙君……くくく」
「そ、そうなんだ」
そうして三人はジオラマ研究会部室へと向かって再び歩き出した。
そこまでの雑談は先程までとは打って変わったジオラマやアニメ、特撮関係のものだったのだが、そんな雑談の中、紫雲には気に掛かる事が一つあった。
(……駆柳つばささん。
彼女が新城君に辿り着いたのはどうしてなんだろう?)
前回の事件。
新城入鹿が事件に関わりがある事を知っている人間は、
事件に関わったヴァレット本人であり入鹿に事情を話してもらった草薙紫雲(それとクラウド)と久遠征だけだったはずだ。
少なくとも入鹿本人喋りたがらないだろうし、彼自身は人と喋るのが苦手だと語っている。
入部の際、そういうコミュニケーション下手な人間だから、もし気付かずに失礼な事を言ってしまっていたら遠慮なく怒ってほしいと語っていた入鹿に、紫雲は好感を抱いた。
閑話休題。
そんな入鹿がつばさに話した件については、しつこく聞かれたから仕方なくだと先程語っていた。
だが、そもそもの話。
そのつばさが、何故新城入鹿に話を聞こうと考えたのか、それが分からない。
紫雲自身は学園内で事件について詳しく誰かに語った覚えはないし、話すつもりもない。
征はちゃんとその辺りの良識を持ち合わせているし、二人で入鹿から話を聞いた際に口外するつもりはないと語っていた。
ゆえに彼が不特定多数の誰かに話したとは考え難い。
では、前回の事件の最中、入鹿が暴走・変身した姿を何処からか目撃していたのか……というと、それも考え難いのだ。
もし彼女がリアルタイムでそれを目撃し知っていたのなら、それこそ即座に記事にしていたのではないだろうか。
最近の彼女から考えるに入鹿にちゃんと話を通すかどうかは難しいかもだが、少なくとも詳しい話を聞きに行くはずだ。
そして、入鹿の反応から察するに、暴走体について興味がなさそうなことから、入鹿の種子の暴走をそもそも知らない可能性が高い。
という事は、あの能力暴走体から助け出した直後の彼を目撃した事で最初から被害者と認識していたのかもしれない。
だが、あの時はあの時で、遠かろうと近かろうと誰かがはっきりと彼の顔を見られる状況ではなかったはずだ。
唯一機会があるとすれば、屋上で話をした時だが、その時周囲には誰もいなかった。
他にいずれかのタイミングでの目撃者がいて、その誰かが彼女に情報を提供した可能性もありはするのだが、その場合も色々と疑問点がある。
その誰かしらが噂話として語っているのを聞きつけていたと想定するなら、学園内でもう少し騒ぎや噂になっていてもおかしくない。
そうならない理由として、普段あまりそういう事を語らない誰かが目撃していたというのなら、そこから彼女がどう情報を拾い上げるかが分からない。
あるいは……。
(……今の所、判断材料が少なすぎるか)
可能性は他にも幾つかあるが、現状の紫雲はそう結論付けるしかなかった。
色々な偶然が重なりあった結果、たまたま噂になり難い所から情報を聞き付けたのかもしれないし、
数撃てば当たる的な取材・情報収集の結果、入鹿に行き着いただけかもしれない。
いずれにせよ、暫く彼女の動きには注意しておこう……紫雲はそう判断したのだった。
それから二日経ち。
「あ、おはよう、草薙君」
「おはよーさん」
「おはよう、新城君、久遠君」
夏休みも近付いてきた、暑さを除けば気持ちのいい朝。
一日ぶりの通学路を歩いていた紫雲に後ろから声が掛かる。
ジオラマ研究会の二人だと認識した紫雲は、微かな後ろめたさを感じつつも振り返り、挨拶を返した。
「昨日休んでたね」
「風邪だってな。もう治ったのか?」
「うん、一応学校には通えるくらいに」
「そう言えば、この間の体育……水泳休んでたね。ひょっとして、その頃から調子が悪かったり?」
「……うん、実はその頃から夏風邪気味でね。大事を取って見学させてもらったんだ。
結局昨日休んじゃったから意味なかったけど。
これなら出ておけばよかったかな?」
本来はどうあっても出られないのだが、自分への疑いを少しでも軽減すべく、紫雲はそう言った。
……湧き上がる罪悪感に胸を痛めながら。
「ん? 水泳といえば、この間の時も休んでなかったか?」
「この間は遠縁の親戚関係でちょっとあってね。大事はなかったんだけど」
「まぁ草薙んちは特殊らしいからなぁ」
草薙家の特殊さについて、紫雲は隠すべきところ以外はあまり隠していなかった。
それなら男装についても話せばいいだろう、というのは姉の弁なのだが、紫雲的にはソレこそが隠すべき所だと思っている。
さておき、その【草薙家について】の話がどこまで信じられているのか本当の所は分からない。
話を聞いた面々の大半は『伝統芸の後継者』的な認識をしているようで、紫雲的にはそう間違っていないと考えていた。
ここにいる久遠征もそういう認識寄りの人間である。
「色々親戚付き合いとかも大変そうだ。
でも、それでもこう立て続けに休まれるとなぁ。ひょっとしてお前……」
「……」
征の発言に、紫雲は表面上は冷静を装っていたが、内心ではドキリとした。
冗談でも『実は女なんじゃ』なんて言い出されるのは少し困る。
現在進行形でリアクションに困るというのもあるが、こう日常のひとコマで少しでも『そうなんじゃないのか?』という疑惑を持たれるのが困るのだ。
そういう疑惑の芽は、えてして気付かない内に育ち、後々忘れた頃に花開くものなのだから。
出来れば、そもそも芽が出ない方がありがたいのだが……。
「泳げないんじゃないのかー? 実はカナヅチなもんで恥ずかしいから欠席してるとか」
そうしてハラハラしていたので、征の言葉に紫雲はとりあえず安堵した。
「……まぁ泳ぐのは得意ってほどじゃないけど、それでもサボるほどじゃないよ」
「冗談だよ。そう怒るなって」
返答を慎重に考え過ぎたせいか、声が少し暗くなっていたのを、征は怒ったと思ったらしい。
同様に感じたのか、入鹿が続けて言った。
「久遠君が失礼な事言うからだよ。
そも草薙君がサボったりするわけないじゃない。ねぇ」
「ああ、うん。基本的にはね」
内心ズキズキ痛んでいたが、それを解決する為に真実を言える筈もない。
ただこれだけは伝えておかねばと紫雲は告げる。
「あと、久遠君、別に怒ってないからね? ホントに怒ってないからね?」
「お、おぅ。正直すまんかった」
「いや、だからぁ……」
念押しが逆効果になったらしい事にままならなさを感じつつ、紫雲は別のままならない事についても思案していた。
こういう事があるから、服を脱がざるをえない授業や行事は鬼門なのである。
まず第一に嘘を吐きたくないというのはあるが、それ以上にこの歳になって男装は難しい。
担任他、紫雲本人に関わる教師陣には家の特殊な事情だと姉達を通して話がついているのだが、同級生達を誤魔化すのにも限度がある。
なので、時には無理をしてでも参加しないといけないイベントも出てくるかもしれない。
昔……まだ胸の膨らみが無かった頃は恥を忍んで無理して参加していたが、最早身体的にも羞恥心的にもそんな事出来る筈がない。
何か擬装用の手段を考えないとなぁ、と頭の隅で考えつつ、二人と世間話をしながら学園に到着した時だった。
「そう言えば身体測定やり損ねたけど、計り直ししなくていいの?」
「ああ、それなら……」
「これはっ! うちと違うっ! うちは違う!」
「ん? なんか騒ぎか?」
三人は生徒用玄関たる下駄箱で靴を履き替え、教室へと足を向けた辺りで異変に気付いた。
真っ先に目に付いたのは人だかり。どうやら下駄箱近くの掲示板で何かが起こっているらしい。
いつもの、多少の騒がしさはあるものの穏やか空気はどこへやら、下駄箱周辺は微妙に険悪な空気になりかけていた。
「お、丁度良い所に。おーい明」
「ん? ああ、おはようさん」
征が声を向けた少し先、人混みから少し距離を置いたところに直谷明が立っていた。
紫雲と入鹿を伴いながら明の側に歩み寄り、征は問うた。
「コレ一体どういうことか知ってるか?」
「どういう事もこういう事も、見れば……って、掲示板のはもう剥がされたんだったな。
あ、ネット版ならまだ見れるみたいだ。ほい」
「え? なに?」
「……これは」
明が三人に差し出した携帯端末。
その画面には、デカデカと『慶備学園女子の身体測定結果発表(未完成版)』という見出しが週刊誌さながらに書かれていた。
……どうやら、先日話題に上がっていた慶備学園新聞のウェブ版のページにこの記事が載っているらしい。
「とまぁ、そんな訳でな。
この見出しの下のリンクにはそのものズバリのデータが羅列されてる。
んで、それと同じものが掲示板にも張られてたらしい」
「ふーん。それって正しいデータなのか?」
「……正しいわよ。ええ、それは正しいデータだったわよ」
「うぉっ!? い、いたのか清子」
三人の背後から幽鬼の如くゆらりと現れたのは高崎清子。
沈みきったその表情に、いつもからかっている征でさえ動揺し、からかいの言葉さえ紡げなかった。
「き、清子?」
「笑えばいいわ。ええ、笑えばいい。
どうせ私には足りてないわよ……いや、むしろみんなの発育がおかしいのよ……」
「い、いや、その、なんだ。俺は見てないぞ? 見るつもりもない。
そもそも、お前の体付きが見たまま貧相でも、実際に見ない限りはシュレディンガーの猫同様に不確定で……」
その気はなかったのに結局ある意味でいつもどおりにからかってしまった、
デリカシーのない征の発言に、入鹿・紫雲・明が頭を抱え、清子が拳を握り締めた……まさにその瞬間だった。
「だーかーらー! うちはあんなんせぇへん!」
先程同様に一際強い否定の声を上げたのは、駆柳つばさ。
人混みの中心でありながら、微妙に人が空いた空間……掲示板の前で、彼女は掲示板をバンバン叩いていた。
先日は話し言葉に標準語を組み込もうとしていた様子だったが、
今回は余裕がないのか、喋りやすくするためか、本来の喋り方とおぼしき喋りをしていた
そんな彼女に人混みの一番手前、怒り心頭な女子達が口々につばさに言った。
「じゃあ、なんであなたのだけデータがないのよ!」
「おかしいじゃないっ! やっぱりアンタが犯人なんでしょ!」
「大体一昨日身体測定に注目してるとかなんとか言ってたじゃない!」
「……清子、そうなのか?」
「私は隅から隅まで見たわけじゃないから知らないけど、多分そうなんでしょうね」
一際強いつばさ達の声で色々と有耶無耶になったのか、いつもの調子に戻っていた征と清子が言葉を交わす。
そんな清子の発言をフォローするためか、ネット版の記事を確認していた明が呟いた。
「……うん、そうみたいだな。
彼女、駆柳さんのデータは少なくともネット版の記事には載ってない。
掲示板に張られてた記事は、これをそのまま印刷してたみたいだったから、多分そっちも同様だろう」
そんな明の言葉を聞いていたわけではなかったのだろうが、
紫雲達からすればそう思わせるような絶妙なタイミングで女子達の声が上がった。
同様に携帯でウェブ版の記事を確認していたのだろう。
「ほーら、やっぱり、あんたの名前ここにはないんじゃん!」
「そもそも、学園の公式のページを弄れる奴なんて新聞部関係だけでしょ!」
「んで、最近のアンタの記事読んで、アンタがこれをやってない、なんて説得力無さ過ぎよ」
「さぁ、どう言い訳すんの?」
「黙ってないでなんか言ったら……」
「あーほーかっ! 呆れて声も出んかっただけやっ!」
物理的にはともかく、声で詰め寄っていた女子達の言葉を、つばさはあっさりと切って捨てる。
明に借りた端末で記事内容を確認しつつ、いざとなれば制止に入れるよう状況推移を見守っていた紫雲は、つばさの声に記事確認の手を止めて明確に彼女へと意識を向けた。
彼女は迷いのない視線と言葉、堂々とした態度を崩そうともしていなかった。
「リストにうちの名前が載ってないぃ〜?
そんなんうちを疑ってくださいって言ってるようなものやん。
うちが犯人ならそんな分かりやすいミスはせんよ。
大体あんなんただの数字やないの。
仮にうちがあの程度の記事を書いたって言うんなら堂々と記者名入りで掲示するわ」
「なっ!?」
「ただの数字で済むんならこんな怒ってるわけないでしょうがっ!」
「まぁその辺りは見解の相違やね。
そもそも……」
「そもそも、つばさちゃんにはアリバイ、やってない証拠もあるわ」
つばさの言葉を引き継ぎながら人混みの中から現れたのは、新聞部部長だった。
脇に黒い何かを抱えた彼女は、周囲の視線や「誰?」「関係者?」などと言った言葉を全く気にすることなくつばさの横に立つ。
「部長……」
「ごめんね。色々検証してたら遅くなっちゃった。
つばさちゃんがやってないって証拠をね」
「な、なんですって?」
「どういうことよ」
「サーバーのアップロードの履歴を確認した所、
このウェブ版新聞は確かに昨日の深夜にここ、慶備学園からアップされてる。
データをアップした時刻やアップしたパソコンの機種、その他ログはちゃんと残ってるわ。
というか、いつかこういう騒動が起こるかもしれないって先輩達から言い含められててね。
その辺りのログはあえてきっちり残すようにしてるのよ。
だから、データがアップされたのは学園で、
アップしたパソコンは新聞部専用の、このノートパソコンなのは間違いない」
部長は言いながら脇に抱えていた、何の変哲もないノートパソコンを掲げて見せた。
「IPアドレスとかまでは調べてないけど、多分調べたらちゃんと一致すると思うわ。
さっきまで掲示板に張られてた例のデータの大本、このノートパソコン内に確かにあったわ。
でもノートパソコンは備品だから学園内でちゃんと保管されてる。
昨日もしてもそう。
授業中もだけど、下校の前にノートパソコンを持ち帰ってないかの確認もしてもらってる」
「……前に家に持ち帰って色々書いてたら、学園の備品を勝手に持って帰るなって注意されてな。
顧問の姫矢先生にそれ以来手荷物検査されとるんよ。
部活の出入りも先生が帰り際に施錠したからそれ以降は無理や。
そもそも、うちは昨日帰った後は外出しとらん」
「そして、深夜の学園侵入は……それこそこっそりなんて無理。
防犯システム、学園内の監視カメラ、泊り掛けで番をしてくださってる用務員さん。
これら全てを掻い潜るのは、普通の人間には無理よ」
慶備学園は、県立の学園としては少し過剰すぎるほどに防犯設備がきっちり施されている。
それは学園長の「生徒を預かる以上、しっかりと」という理念によるものなのだが、
平赤羽市特有のおかしな事が起こっても対応が追いつくようにとした結果過剰になってしまったという事情があったりする。
生徒のプライバシーの問題もあり、必要最低限の場所にしか設置されていないが、
それでも全てをフル活用すれば不審者の侵入を察知するには十二分なのだ。
……普通の不審者・侵入者であれば、の話だが。
「昨日の深夜、つばさちゃんが学園に侵入した上でアップロードした形跡でもあるのなら犯人なんでしょうけど……」
「さっきも言ったけど、うちは家におった。
家族に証言してもらってもええし、
家族やから証言が当てにならない言うんなら学園側に掛け合って防犯カメラでも何でも好きなだけ調べたらええ」
「ぐ、うぅ」
「そ、そこまではさすがに……ねぇ」
「う、うん」
二人にこれ以上ないほど証拠その他を突きつけられ、文句を言っていた女性陣はたじたじとなっていた。
そんな彼女らにつばさが向けた表情は……先程までとは打って変わった友好的な笑みだった。、
「ふふ、まぁそうは言うても一度疑いを向けた対象をすぐ信じるなんて無理やろうなぁ。
わーっとるって。うちもそうやからな。
だから、この事件について近日中に調査して記事を作る。
ちゃあーんと犯人、見つけてみせるよって。
まぁ捕まえられるかどうかは分からんけど」
「ええ、そうね。この件は新聞部が責任を持って解決して見せるわ。
つばさちゃんの言うように捕まえる、ってのは無理でしょうけどね。
だって犯人は多分……」
「犯人はうちに記事にされると困る人間……そう、ヴァレットやっ!」
「ぶふぅっ!?」
話の行方を見守っていた紫雲は、何かを言い掛けた部長の言葉を遮った上でのつばさの発言に思いっきり吹いた。
あまりにも脈絡がなかったので過剰に驚いてしまった。
周囲の面々に怪訝な表情をされるものの、なんでもないと誤魔化す。
「きっと正体がバレたら困るとか思ったヴァレットがうちの動きを封じようとこんなんでっちあげたんよ。
うんうん、やっぱりそういう人間やったんやね」
そんなつばさの発言に、紫雲ほどではないにせよ、動揺していた人間は他にもいた。
つばさを糾弾していた女生徒達、そして新聞部部長もまた驚きを隠せずにいた。
「つ、つばさちゃん、それはちょっと……」
「えー……?」
「ど、どうなの、それ……?」
仮にも正義の味方志望を公言しているヴァレットがそんな事をするだろうかとか、
外部の人間である彼女……少なくともヴァレットの正体を知らない人間はそう思うだろう……が、
そもそもこんな事に口出してくるだろうかとか、色々突っ込み所があったりしたためである。
だが、確信があるのであろうつばさは、ははんっ、と自信が窺える笑いを零して見せた。
「まぁ今の所証拠がないのは事実やなぁ。でも、それも時間の問題や。
近々犯人は確実に現れる……その時が楽しみやね。
じゃあ、今はこれでお開きって事でー。はいはいどいてどいて」
「つ、つばさちゃん?! 」
自信満々にそう言い切って、つばさは人混みを割いて去っていき、新聞部部長もその後を追っていく。
残された生徒達はしばらく呆気に取られていたが、
一番の容疑者であったつばさが去ってしまった以上ここに残る意味はなく、
バラバラにそれぞれの教室に帰っていく。
「……あれだけ堂々と言い切ってるんなら、駆柳つばさは犯人じゃないんだろうな」
そんな中で、征がポツリと呟いた。
明もうんうんと頷いて同意する。
「だろうなぁ。
あーいう性格の女の子は、後ろめたい事があったらもう少しそういう反応を零すだろうし」
「……じゃあ、ヴァレットが犯人だっての?」
「そんなわけないよ」
他ならぬヴァレットに助けられた事のある入鹿は、彼にとっては珍しく強い言葉で断言し、清子の言葉を否定する。
そんな入鹿の言葉を、助けられた事について話を聞いて知っている征も肯定する。
……入鹿の事を抜きにしても、二次元寄りなヴァレットを基本肯定しており、ファンでもあるからだが。
「あぁ、俺もそう思うよ。
大体理屈で考えてもヴァレットたんがあんな事をする意味が全くない。
駆柳のやつはヴァレットたんの記事に固執するあまりに視野が狭くなってるな」
「わ、私だってそんな事分かってるわよっ。確認の意味よ、ええ。
……ごめんね、新城君」
「え? なんで高崎さんがこっちに謝るの?」
「だって私の言葉で怒ってたみたいだったから、その、えと……」
「……あ。いや、いまのは別に高崎さんに怒ってた訳じゃなくて、あ、こっちこそごめんというか」
「まぁまぁ二人ともドンマイドンマイ」
「え、何故そこでドンマイ……?」
そうして、清子と入鹿が謝り合うのを明が仲介する中。
「で、草薙は何をそんなに考え込んでるんだ?」
「あ、うん……」
黙してこの状況について思案していた紫雲に、征が声を掛けた。
「もしかして、この状況を何とかしたいとか思ってるのか?」
「う、うーん、そう、かも。
なんというか僕としてはヴァレットが疑われてるのはなんともむずかゆいと言うか」
「まぁヴァレットたんのファン的な意味で気持ちは分かるが、やめとけよ。
変に絡むとお前まで駆柳に疑われるぞ?」
「いやいやいや、ヴァレットは魔法”少女”だからね」
そういう撹乱の意味で男装してるし、とは内心だけの呟きだが、だからこそ”少女”を強調する紫雲。
しかし、征はチッチッと人差し指を立てて横に振って、甘いなぁと紫雲の認識に釘を差した。
「それこそ昨日新聞部の部長が言ってただろ。
魔法だからいくらでも姿を変えられるって。
もしかしたら性別も……それはそれでありだな。二次元的な意味では」
「そ、そぅ……」
あれ?そうすると男装による撹乱の意味はあまりないのでは、と一瞬考える紫雲だったが、
そもそもそういう思考に辿り着くのは少ないだろうし、それを踏まえての二重三重の撹乱にはなるかと改めて認識するに至った。
「さておきだ。あんな奴に痛くもない腹を探られるのは面倒だろ。
放って置いてもヴァレットたん云々の確かな証拠なんか出るわけないんだし、徒労になるから気にしない方がいいぞ」
「……うん。久遠君、ありがとう」
自分を気遣っての征の言葉が紫雲には嬉しかった。
その気持ちに応える意味でも、征の言葉に従って放置するべきなのかもしれない。
だが。
(自分のせいで、他の誰かが痛くもない腹を探られる可能性があるなら……放っておけない)
例え、自分が疑われる可能性が生まれるのだとしても。
紫雲は改めて今回の事件について、自分が……ヴァレットが何とかすべきだという考えを強めていた。
それは何も自分絡みだから、というだけではない。
(それに、おそらくこれは十中八九概念種子……その暴走体が絡んでる)
今回の件の全体像が自分の考えているとおりなら、今回行われた事は普通の人間には少し実行が難しいだろう。
そして、推測通り概念種子絡みの事件であるなら、ヴァレットとして放っておけない。
「でも、ごめんね、久遠君。
やっぱり気になるから、ちょっとだけ調べたりするかも」
「……難儀だなぁ、お前」
「本当にごめん」
そうして心から謝った後、紫雲はこの事件の全体像を掴むべく思考を巡らせていった……。
「測定中に不自然な事はなかったか?」
少し時間が経ち昼休み。
昼食を終えた清子に紫雲は話しかけていた。
昨日休んでいた事から少しでも何かが起こったと思しき場所での情報がほしかった。
そんな訳で、女子の中では親しくさせてもらっていると勝手ながら認識している清子に話を聞く事にしたのだ。
「なんでそんな事聞くわけ?」
「いや、その……本当にヴァレットがやったのかどうか気になって調べたくなったんだ」
「あー……征じゃないけど、やめたほうがよくない? 痛くもない腹を探られたくないでしょ」
「本当に、そのとおりだとは思うんだけど……気になっちゃって」
「……まぁ、いいわ。
草薙君的には拘りたいところなんでしょ? 正義の味方云々は。
だから協力してあげる。
と言っても役には立たないわよ。
私が知ってる限りは、何もなかったと思うから」
おそらくそうだろう、とは紫雲も思っていた。
あからさまな何かが起こっていたのなら、昨日の内にもっと騒ぎになっていたはずだから。
だが、逆に考えるのなら、誰にも気付かれないように動いているモノがそこにはいた、という事だ。
少なくとも身体測定のデータは確かに何処かで盗られているのだから。
清子から話を聞く前に担任に訊きに行った所、身体測定の記録そのものは触られてすらいなかったらしい。
保健室の主であり、学園生徒の健康管理を担っている養護教諭は、そういうデリケートなデータは徹底してキッチリと管理しているとの事で、そういう書類の管理の為に為に私費で金庫すら購入したそうだ。
紫雲の姉・草薙命も彼女とは親しく、昔からの知り合いであり、付き合いも長い事から彼女の真面目さ……度が過ぎる点も含めて……を理解して褒めていたし、紫雲も彼女の人柄は少なからず知っている。
ゆえに、紫雲はその事実に間違いはないだろうと判断した。
なお、担任がすんなりそれについて答えられたのは、養護教諭が新聞部の誰か……特につばさが聞きにくるだろう事を見越し、つばさの担任に伝えていたのを横で聞いていたためだという。
さておき。
そういう状況から、犯人は身体測定の記録のまとめそのものを手にした訳ではなさそうだ。
であるならば、身体測定の記録そのものではなく、測定の一部始終を観察してデータを収集していた、という可能性が高い。
だが、それならば一つ疑問がある。
紫雲が推理しているように、本体から分離した種子の暴走体によるものならば【姿を隠している能力】で手一杯のはずだ。
かつて紫雲がヴァレットとして相対してきた独立した暴走体には、人以上の知性・知能を持つ者もいた。
だがその場合、そちらの方に存在のリソースを割く事でかろうじて活動出来ていたに過ぎない。
言わば生命体の欠片が、生命体本体と同等以上の活動を行うには幾つも越えるべきハードルが存在しているのだ。
つまり、そのハードルを越えた存在でもない限り、
姿を隠す能力を使いながら、百数十人いる女子生徒の身体データを完璧に記憶することなどできないはずだ。
仮に可能だとしても、それだけ高度な異能を駆使しているのなら、強い力の波動は確実に出ているのだ。
であるならば、昨日学園を欠席し自宅にいた自身が察知できないはずはない、紫雲はそう考えている。
自宅を中心にした場合の強い異能の察知能力圏内に学園は確実に入っているからだ。
であるならば、姿を隠しているのは能力としても、データの記録は【普通の手段】で行っているはずだ。
「どんな小さい事でもいいんだ。本当に何もなかった?」
「そう言われてもね……って、あ。そう言えば」
「何かあった?」
「うん……測定してた場所から少し離れたところにね、黒いノートパソコンが置かれた机があったのよね。
なんとなく記録用に使ってたんだろうってと思ったけど、ずっと誰も座っていなかったし……今思うと変ね。もしかして……」
「うん、多分関係があると思うよ。そのノートパソコン、見覚えとかってない?」
「何処にでもありそうなパソコンだったから……あると言えばあるし、ないと言えばないわね」
「なるほど。近くに養護の矢多先生はいなかった?」
「いたわよ。先生が女子の測定担当してたし」
「……ふむ。先生のいた場所からパソコンが置かれたその机は見えたと思う?」
「んー……多分、見え難かったと思うわ。
保健室だと人で一杯になるから、近くの空き教室で測定してたんだけど、
置いてた机や椅子の置き場所がなかったのか面倒だったのか、隅に何個かは積まれて残ってたのよね。
そのすぐそばにあったから、多分見え難かったんじゃないかしら」
「なるほど……」
これで外部の人間・その能力の線はほぼ消えた。
外部の人間・もしくはその能力による産物であるならば、養護教諭の目をそこまで気にするとは思えない。
記録用のノートパソコンが他の人間に見られるのは構わず、養護教諭だけ警戒していたのは、彼女の性格を知っていたからだろう……そう紫雲は考えた。
「ありがとう、清子さん。凄く参考になったよ」
「う、うん。ならいいんだけど……今ので何か分かったの?」
「うん、十分すぎるほどに」
「そう……でもさ、草薙君」
「なにかな」
「仮に草薙君が真相的なものを掴んだとして、どうするの? 新聞部に直談判するの?」
「……あ」
「いや、そこは考えときなさいよ」
ヴァレットとしての対応は考えていたが、草薙紫雲としての対応は考えていなかった紫雲は、清子の突っ込みに苦笑する他なかった。
「……欠席した生徒の再測定なら、明日の放課後行います。
健康診断の方は校医のスケジュールが合わないので後日になりますが」
放課後、養護教諭の元に訪れた紫雲の質問に、彼女……警備学園の養護教諭・矢多佳枝(やたよしえ)は淡々と答えた。
その言葉に、再測定が思ったより早い、と紫雲は内心でだけ呟いた。
早期決着には好都合だが、状況の見極めの為にはもう少し時間が欲しかったのだが、と紫雲が考え込んでいると佳枝が口を開いた。
「紫雲さんの検査は別途命さんが行う手筈でしょう?
再測定は放課後ですから、後から遅れてきたとか事情は作れますし、アリバイその他不安に思う事柄はないと思いますが」
佳枝は命から紫雲の、草薙家の事情をある程度聞いており、紫雲の男装学園生活において便宜を図っている人間の一人である。
なので、紫雲が悩んでいるのはその事だと考えたのだろう。
余分な心配をさせてしまったことを申し訳なく思いながら、紫雲は言った。
「あ、いや、その事じゃなくて、ちょっと他の事が気に掛かってて」
「あぁ、例の測定データの暴露騒ぎですね。
相変わらず紫雲さんは……命さんもそうですが、面倒事が好きですね。マゾですか?」
淡々とした口調で毒舌を吐く佳枝。
一見大人しそうで佳人薄命という言葉がこれ以上なく当て嵌まりそうな容姿の彼女だが、私生活においては、趣味がアウトドア、性格は割と大雑把かつ適当で若干口が悪かったりする。
しかし、一方で仕事には凄まじく生真面目で手抜きを許さず、保健室に訪れる生徒には誠実に向き合い、怪我や病気をした人間にはとても優しい事をよく知っている紫雲は苦笑した。
「面倒事が好きなわけではないんですけどね。……あとマゾじゃないです、ええ」
「そう思われても仕方ない事ばかりじゃないですか、貴女方姉妹は。
まぁそれで助けてもらった事がある身の上としては文句を言うつもりはありませんが。
さておき。
ココに来たのは他に何かあるからじゃないんですか?」
「……僕からは特にないんですが。
ただ再測定があるのなら、多分その時に何か起こるんじゃないかと思って」
「なるほど、事前に警告をしに来てくださったわけですか。
でもそれが分かってるなら貴女がなんとかしてください」
「う。それはごもっともなんですが……」
「分かってます。ジョークです。
測定中に何かしら起こるとしても男装してる貴女が殴りこむのはまずいですからね。
むしろしないでくださいよ? 貴女はそういう自分の立場を忘れてやりかねませんから」
「……はい」
「返事までの微妙な間は気になりますが……それで、何が起こるんですか?」
「事件が起こって、駆柳さんが来て、更にそれら解決の為にヴァレットが現れる可能性があります」
「つばささんは分かります。彼女はそういう無茶をやらかす子ですから。
あっちの姉妹も共通点が多いですね」
「彼女達の事を知ってるんですか?」
「勢い任せに色々なものを追いかけて怪我ばかりして、部長さん付き添いでよくここにきてましたし、きてますね。
本当によく似た姉妹です。
そんなわけなので、彼女がココに来るのは理解できます。
ですが、件の正義の味方が、わざわざここにくるのですか? その根拠は?」
「……なんとなくです。彼女は、こういう事を放っておかないんじゃないかって」
「なるほど。正義厨な貴女の言葉だけに凄まじい説得力です。
全く貴女達ときたら……まぁ、いいでしょう。
そのつもりで心の準備だけはしておきます」
これで予想通りの状況になったとしても、最低限の騒ぎに収まるだろう。
佳枝に……明確に言えば【誰か】に頼らずに事を済ませたい所だが、そう出来る確証はない。
誰にも頼らずに事件を収めるには時間が足りなさ過ぎる。
また、明日再測定の際に【何か】が現れるのは避けられない。
ゆえに、紫雲としては出来るだけ誰かに迷惑を掛けるのを避けたかったが、佳枝に可能性を伝えざるを得なかったのだ。
そんな申し訳なさと心からの感謝を込めて、紫雲は頭を下げた。
「ありがとうございます、佳枝さん。
……あ、すみません。御礼を言うのは少し早かったかもしれません」
「どうかしましたか?」
「もう一つ、聞きたい事があったのを忘れていました。
明日の再測定について、既に測定は済んでいるのに訊いてきた女生徒が二人いませんでしたか?」
「……ええ」
佳枝の答を聞いた紫雲は、やはりか、と内心でだけ呟いた。
「クラウド」
保健室を出て、そのまま下校の徒についた紫雲は、近付いてきた気配を察して口を開いた。
「うん、お待たせ。多少時間が掛かってすまない」
人気のない通学路を歩く紫雲の足元に、何処からともなく黒猫が現れる。
黒猫……紫雲をヴァレットへの運命へと導いた、使者であり戦友たる異世界良識概念結晶体の一体、クラウドはその外見からは想像出来ない人間の言葉を紡いだ。
「ううん、こっちこそごめんね、手伝ってもらって」
「気にすることはないさ。
概念種子がらみなんだろ? それに君の風評被害問題もある」
「私の風評被害そのものはいいんだけどね……この事件絡みが尾を引いて、関係ない人に迷惑は掛けられないから」
「承知しているよ。……そうでなくても事件に首を突っ込んでいた事も含めてね」
「……えっと、その、それで調べてもらってた事は?」
「まず、新聞部内の人間関係については極めて良好だね。
二代目トラブルエディターの異名を冠する駆柳つばさ嬢は、外ではともかく内では尊敬されている。
ああ、ちなみに初代は……」
「駆柳羽唯さんでしょう? 佳枝さんにも話を聞いてきたよ。
当時の新聞部、凄く弱い立場だったらしくてね。
駆柳さんが派手に動き回っていたのは、彼女の性格もあるだろうけど、新聞部の維持の為に必要だったからじゃないかって」
「新聞部を盛り上げて部員みんなの場所を強くする、
そうして足場を固めて読者みんなの期待に応えていく。
それらを結びつけて報道の在り方を今の自分達なりに追及する。
そのためにも今ある記事を全力で書く……か」
「それは?」
「新聞部のモットーらしい。新聞部部室に紙に書いて張ってあった。
ともあれ、部員達の会話をそれとなく聞いただけでもつばさ嬢を心配する言葉ばかりで陰口一つない。
部長とも対立しているわけではない。
一見喧嘩しているように見える事があっても理性的に議論を交わしているのはいつもどおりらしい」
「うん、朝も迷いなく駆柳さんを庇ってたしね」
「それと君も目を通した過去の彼女らが執筆した記事を読んだが、僕も君と同じ見解だ。
今の彼女達があのような一線を越えたゴシップ記事を書くとは決して思えない。
……だが、彼女達の心の100%そうだとは限らない。
誰しにも、勿論君にも言える事だが、100%嘘偽りのない感情・思考というのは中々に存在し得ないものだ。
そして、僅か数%の何かと強い動機が結びついたのなら、概念種子は活性化出来る。
本人の意志に関わりなくね」
「……うん」
入鹿の中にあった概念種子【箱庭】もそうだった。
入鹿自身が望んでいない事を実現しようと勝手に動いていた。
なにも入鹿の事だけでなく、今まで紫雲がヴァレットとして対峙して来た概念種子の大半はそういうものだった。
僅かに頭に浮かんでしまった、普段ならば実現しようとさえ思わない思考や願望のノイズ。
嘘ではないが、決して本心ではない可能性や願望。
人に宿った概念種子はそういうものに極めて反応しやすいのだ。
そうなっている原因として、そういう負の方向性の思考や願望こそ、その人間の本質であり、本性である可能性がある事は否定できない、とクラウドは語る。
概念種子が適合するという事は【その概念種子が持つ意味合い】を適合者が少なからず【所持している】からなのは、紫雲も知っている事実だ。
だが、全てがそうとは限らない。
負の感情で概念種子を発現しても良い方向性に正した人間を、紫雲=ヴァレットやクラウドは何人か知っている。
入鹿のように負の具現を強くハッキリと否定できる人間だって少なからずいるのだ。
あらゆる意味で、概念種子は誰かの中に眠る可能性の一つでしかない。
それをもって種子の所持者の人格や在り方を決め付けるのは、ただの傲慢だ。
クラウドによると概念種子【正義】を宿しているらしい紫雲自身、自分が正義そのものだ、などとは微塵も思わないし、口が裂けてもそんな事を言うつもりはない。
他の誰かがソレを断言していた場合……正直興味がある所なので是非色々話を聞いてみたいと思う所だが、
もしも万が一に自分自身が微塵の迷いもなくそんな事を口にするのを目の当たりにしたら、一切の迷いなく全力で叩き潰しに行く確信がある。
正義の味方。
思考的な意味では色々紆余曲折を経たが、草薙紫雲にとってソレそのものは子供の頃からのずっと変わらない夢だ。
だが、それは何をやっても誰からも肯定されるような存在などでは決してない。
むしろ誰かには否定されて当然の偏った思考だろうし、万人に受け入れられるような存在でもないだろう。
だが、それでも紫雲が目指している夢の形なのだ。
間違ったり歪んだりしている部分があるのなら、試行錯誤して直していき、その上で一生涯かけて追い求めていきたい、そういう夢だ。
そういう夢を描いているのは紫雲だけではない。
おそらくは、駆柳つばさもそのはずだ。
だからこそ。
「だから、そのほんの数%で皆が困ったりしないようにしたいの、私は」
紫雲はこの状況を放ってはおけない。
不本意な形で発現した力のために、本当に信じていたい事や、夢見ている何かを失わせたりはしたくない。
「ああ、分かってるよ紫雲。僕も同じ思いだ。
もっとも擬似生体である僕が思いについて語るのは思い上がりかもだけど」
「そんな事はないよ、クラウド。思い上がりなんかじゃない」
こんな自分に協力してくれるクラウドの存在が紫雲にはありがたかった。
自分一人では気付かずに間違ってしまう所を、冷静に指摘して、導いてくれる。
クラウド自身は肯定していないようだが、紫雲は彼には心がある事を確信していた。
「……そうだといいがね。
さて、本題に戻ろうか。
頼まれた調べごとの一つだが、こちらも君の予想通りだった。
例のものは確かに屋上にあった。
そして、その存在を知っている者は……おそらく二人だけだ。
少し前、二人がそれぞれチェックしに来たのを確認した。
新聞部の部員全員がそれの存在を知っているのなら、そんな無駄な行為はしないだろう」
「だろうね」
その辺りが確認できなければ、少なからず正体露見の危険を犯す事になるがつばさたち本人に話を聞きにいくつもりだったが、その心配はなくなったようだ。
「うん、事件の全体像は間違いなさそう。後は明日か」
出来れば、事をなるべく大きくしないように決着を付けたい所だが……どうなるかは出た所勝負だ。
紫雲としては出来るだけ不確定要素は潰しておきたかったが、対象の能力を推測は出来ても明確には分からない以上出来る事に限界はある。
自身の想定どおりに状況が推移することを、紫雲はただ祈るばかりであった。
「二人とも、忙しそうだな」
そんな紫雲に後ろから声が掛かる。
クラウドも含めて二人と呼んだ事も含めて、紫雲には声の主がすぐ分かった。
「忙しい、というか、うーんなんだろう。上手く言えない感じかな」
「そうか」
振り返ると想像通りの人物……姉・草薙命がそこにいた。
手には買い物後なのか幾つものビニールを手にしている。
紫雲はそんな姉に歩み寄り、手を差し出した。
命は持っていた片方の袋を渡し、その様子を見届けて歩き出すクラウドの後を二人が続いていく。。
「姉さんは、何処に行ってたの?」
「相談と確認だな。ほら身体測定があっただろ。その辺りについてだ」
「じゃあ学園にいたんだ」
なるほど道理で後ろから来た訳だ、と紫雲は納得する。
「まぁな。それ以外でも先生方と話したい事があって色々歩き回ってたが。
……今回は首を突っ込む必要あるのか?」
おそらく佳枝から話を聞いたのだろう。
姉の指摘に、紫雲は少し渋面を形作った。
「概念種子が関わってるらしいから。
そうである以上は放っておけないよ、私としては」
「だが、気は進まなさそうだな」
「ふむ。確かに今回の紫雲は色々と考えているようだ」
「まぁ、うん、そういう部分はあるよ。
でも、ちゃんとハッキリさせないと……」
「……じゃあ、この際お前もハッキリさせたらどうだ?
本当の性別について」
「いや、それはそれ、これはこれじゃない」
そうして話を交わしながら【三人】は家路を辿っていく。
珍しい家族揃っての帰り道が、紫雲はなんとなく嬉しかった。
……話題についてはもう少しなんとかならないかな、と思っていたが。
駆柳つばさに明確な夢が出来たのは数年前。
その夢というのは、姉・駆柳羽唯のようなジャーナリストになるものだった。
姉は、子供の頃から好奇心旺盛で、目をキラキラと輝かせながら、色々なものを調べて回っていた。
同時に彼女は他人のつまらない嘘が大嫌いだった。
調べていた事へのネットなどの答に時折嘘が混じっていたりした事が原因なのだろう。
つばさは、そんな姉と一緒について回るのが好きだった。
姉と同じで色々なものを調べるのも好きだったし、目をキラキラさせる姉も好きだったからだ。
だから、当然姉と同じでつまらない嘘が大嫌いにもなった。
そんな姉が紆余曲折を経て、報道、ジャーナリストに行き着いたのは、極めてらしい事だとつばさは思った。
自分が面白いと思うものについて調べ、そこに隠れた嘘があるのなら暴き、正しい事を調べて伝えていく、これ以上なく姉らしい仕事だ。
変わらず大好きだった姉についていくためにも、
姉と同じように、自分にとって面白いと思うものを調べ、記していくためにも、姉のようになりたい……つばさはいつしかそう思うようになっていた。
だから、学校ではずっと新聞部に所属し、慶備学園でもそうした。
そうしてつばさは彼女なりに様々な記事を書いてきた。
真面目な記事、面白い記事、関係なく全力を注いできた。
ある時、そんな彼女のウェブ新聞の記事、そのコメント欄にこんな言葉が残されていた。
『なんだ、姉の劣化版か』
そういうコメントは記事全体を見回しても一つか二つしかなかった。
だから、それを知った部長や姉、部員達は「気にするだけ無駄」と笑って励ましてくれた。
実際、つばさ自身そう思っている。思っているはずなのに。
(劣化版って、なんや。おねえちゃんはおねえちゃん、うちはうちや……!)
何かが胸に刺さったままになり、いつしかつばさの夢は姉をも越えるジャーナリストになる事へと変化していた。
その変化ゆえなのか、いつしか彼女の記事は、人の注目をいかに集めるかの記事へとシフトしていった。
言葉遣いも、姉と同じ喋りから標準語を混ぜるようになった。
そんな彼女を、新聞部の皆が心配して声を掛ける事は少なくなかった。
その心配が彼女には嬉しかった。
だからこそ、自分がいる新聞部をもっと盛り上げる為にも、もっともっと注目を集める記事を集めたい、そう考えるようになった。
そうした思考の果てに、彼女が最高のネタとしてヴァレットに辿り着いたのはある意味当然の事だったのかもしれない。
そんな折だった。
新聞部のパソコンで新たな記事を書こうとしたつばさが、
あーでもないこーでもないと苦戦する中で、
誰かがデータのゴミ箱に捨てた作成途中の記事を発見したのは。
新聞部の記事は部員それぞれで草案を作り、最終的に備品のノートパソコンで纏められ、そこからウェブ版にアップされたり、印刷されたりしている。
誰かが記事を書こうとして最終的にやめてゴミ箱に捨てた、その事に不思議はない。
事実そういうデータが幾つかあった。
なのだが、つばさはそのデータがなんとなく気になった。
データの名前が文字化けしていたから目に付いた、というのもあるが、それ以上に頭に何かが引っ掛かるようなものを感じていた。
ジャーナリストの端くれとしての勘、と言ってもよかったのかもしれない。
それに従い、つばさは謎のデータを拾い上げ調べた。
結果、その記事は殆ど白紙だったが一番隅に謎の言葉が残されていた事に気がついた。
【ヴァレットは学園にいる。屋上。新城入鹿。知っているかも】
そこに記された言葉はそれだけ。
それ以上の情報はなく、誰が書いたかも分からない。
記事を捨てていたと思しき面々にそれとなく尋ねても、皆そのデータの存在を知りもしないようだった。
出所の分からなさは多少引っ掛かるものはある。
だが、こんな面白そうな題材を放っておくのは勿体無い……そう考えたつばさはヴァレットについて調べる事にした。
魔法多少少女ヴァレット。
巻き起こる様々な異常事態から平赤羽市を守っている(と思われる)特殊能力者の一人。
奇妙な事件の解決への姿勢や、偶然接触した人々の【呟き】などから、御人好しぶりが周知され、現在もっとも市民に支持されている存在。
だが、調べれば調べるほどに、つばさはヴァレットの【人柄】が疑わしく思えた。
度が過ぎる馬鹿丁寧さ、良い事をしているはずなのに隠している素性、事件解決への異常なまでの必死さ。
そういうものが透けて見えるようになり、いつしかつばさはその辺りにヴァレットの【嘘】を感じるようになっていった。
度が過ぎている真面目さも、必死さも、隠している何かへの後ろめたさなのではないか、そう思うようになった。
であるのなら、その正体を暴く事になんの遠慮があるだろうか。
なにより、ヴァレットの記事は、色々な意味でまさにうってつけだ。
注目度抜群の彼女の【本性】を暴く事が出来たのなら、自分は一躍有名人だ。
そんな自分を擁する新聞部も大いに盛り上がるだろう。
自分だけではなく部長の功績にも繋がり、内申もよくなるかもしれない。
その為にも、彼女は自分の想像どおりの、インパクトのある人物であってほしかった。
つばさは気付いていない。
その願いが、焦りからいつしか思い込みに変わっていた事に。
それはどうかとする、部長をはじめとする周囲の声も、余裕のなさから自覚なく殆ど聞き流してしまっていた事に。
(さぁてと……)
そうして様々な思い込みにより頑なになっていたつばさは、本来の彼女よりも強引な行動に出ていた。
すなわち、事件が起こると睨んだ再測定が行われる保健室にカメラを仕込んだ事や、室内のロッカーに隠れて侵入した事である。
と言っても、養護教諭である矢多佳枝には許可は得ている。
……もっとも、許可を得られなかった場合、何らかの方法で現在と同様に潜入していただろうが。
そうして準備してロッカーに入り込み、その中で心の準備をしている内に、保健室には女子が集まり始めていた。
この学園の身体測定は、下着まで脱ぐのが決まりとなっている。
ゆえに、保険室内で制服を脱ぎ、下着姿となっていく姿を、つばさは観察していた。
微妙に皆の表情が不安そうなのは、やはり事件の事が頭にあるからだろう。
盗撮こそ行われたりしていないが、今回がそうならないとは限らないし、また数値だけ知られるだけでも人によっては不快感があるからだろう。
(すまんなぁ、でもちゃんと解決するから堪忍な)
そうして謝りながらも、つばさは女性達の身体データを目測し、自身の考えているヴァレットの身体データと比較していく。
部長はヴァレットの姿はいくらでも変わるかもしれない、などと言っていた。
だが、つばさはそう考えていなかった。
何故なら、ヴァレットの動きは洗練されているからだ。
プロのスポーツ選手や武道の達人、そういった人間達と同様、同質の、何かを極めたもの特有の動き。
仮にヴァレットが普段の彼女とは違う【変身】をしていた場合、
普段の自分と異なる体型であそこまでの動きが出来るとはつばさには思えなかった。
勿論ソレ込みで魔法で何とかなる可能性もあるのだろう。
だが、つばさは『そうではないだろう』という自身の勘を信じる事にしていた。
(2−Cの秋木あきら……身長が低すぎる。
あの子は、同じく2−Cの河谷さち……惜しいなぁ、全体的にちょい太い。
で、あれ……?)
そんな中。
一人、見慣れない人物が混じっている事につばさは気づいた。
後ろ髪は腰よりも下まで、前髪は顔のほぼ全面を覆う……そんな長く伸ばしすぎの黒髪の少女。
着ている下着は、色気のない青いスポーツブラと揃いのショーツ。
だが、だというのに、その少女は女であるつばさから見ても十分な色気と魅力を放っていた。
まるで生まれてこの方肌を晒したことがない、と言っているように恥ずかしげに身体を縮ませている様子。
実際、その肌は本当に日に晒した事がないかのように染み一つなく白い。
しかし、その体付きはお嬢様然とした白さとは裏腹に鍛えられたものだった。
だが、その鍛えられた身体も、年頃の少女特有の柔らかさが残されており、
それらが結びついた結果なのか、全体的に見れば程好い肉感のある身体、という良い印象に収束している。
だが、つばさが注目していたのはその部分だけではない。
体付きから推測される、その見慣れない少女の身体数値。
それは一部を除いてつばさの目測したヴァレットの身体データとほぼ一致していた。
(間違いなくコイツや! やっぱりヴァレットが学園に……!)
自身の推測は間違っていなかった。
そんな喜びと共に、ロッカーを飛び出そうとしたその時だった。
(ロッカーがっ!? 開かない?!)
飛び出そうと身体をぶつけたロッカーの戸は微動だにしなかった。開かなかった。
まるで見えない何かがドアの前に置かれているような……。
その事につばさが戸惑っていると、何処からか声が響いてきた。
低く篭り気味な上にエコーが掛かっているのに、何故かはっきりとつばさの耳に届く。
『お前はそこにいろ。記事は私が用意してやる。
後日いつもの場所に来るがいい』
「……ふざけんなやっ!」
聞こえてきた声の内容につばさは激昂した。
声の主が誰かなどは関係ない。
ネタの提供までは許せても、記事を他の誰かが書く事など絶対に許せない。
自分が書きたいと思った記事は、自分で書き切る。
それを邪魔なんかさせない……そんな思いの中で、つばさはロッカー内で暴れまわった。
「な、なに?!」
「ロッカーになんかいるっ!?」
そうして半裸の女子達が騒ぐ間もつばさはばたばたともがきまわり、結果ロッカーは横倒しに転がった。
扉の入口を塞いでいた何者かもそれは想定していなかったようだ。
「しゃあっー! 舐めた真似してくれたのは誰やっ! ヴァレットかぁっ!」
「ひえぇっ!?」
「きゃあぁっ!?」
横倒しになったロッカーから飛び出したつばさは、あまりの唐突さのせいか、棺桶から現れた吸血鬼かゾンビか……何者かはともかくとして、女子達を驚かせるには十分だった。
「な、なんだ今の悲鳴?」
「保健室からか……?」
そうして女子が悲鳴を上げたことから連鎖して、窓の向こうのグラウンド、廊下を通りかかった人達に騒ぎが広がっていく。
そんな状況に頭を抱えたのは……ロッカー内でつばさが注目していた少女だった。
「あぁ……騒ぎが大きくなっていくぅ……」
こうなる前に静かに事をなそうと思っていた。
保健室に入り込んだ何者かの気配……それを捉えるのに時間が掛かってしまい後手を踏んでしまったのが痛い。
しかし、こうなった以上、最早やるべき事はただ一つ。
その決意を込めて、自身への視線が最低限となった瞬間に少女は叫んだ。
「マジカル・チェンジ・シフト……フォー、ジャスティスッ!」
「なっ!?」
「えっ!?」
直後、そこに現れたのは、平赤羽市民なら殆ど誰もが知っている存在。
魔法多少少女ヴァレットが、様々な意味で簡易版の変身を経てそこに立っていた。
「ヴァレット! やっぱりアンタが……」
「見つけましたよ、そこですっ! パレットボール!!」
つばさがあげる声を封じ込めるような凛とした声を上げながら、ヴァレットはいつのまにかどこからか手に持っていた紫色の光のボールを部屋の隅に投げ付けた。
次の瞬間、パンッ、と何かが割れるような音が響くと同時に紫色の光が広がっていく。
その光が収まった後、ヴァレットがボールを投げ付けた先には……。
「きゃあっ!?」
「な、なんかいるぅっ!?」
タイプライターを胴体に、一眼レフのカメラを頭部に、そして手足をフィルムや新聞紙の束を伸ばしたようなもので形成した異形の怪人がそこには現れていた。
つばさは一瞬だけ呆気にとられていたが、即座に気持ちを切り替えて隠し持っていたビデオカメラを回し始めた。
ヴァレットはその様子を一瞥してから、ふわふわ宙に浮いている怪人に向けて言葉を紡いだ。
「やはり、概念種子の暴走体ですね。
学園に最初から居て、人に感知されない能力を持つ貴方なら、侵入云々はまるで関係ない。
忍び込んだ生徒の誰かがデータを弄る、なんて事よりは現実的です。
少なくとも、この平赤羽市においては。
つまり、概念種子【パパラッチ】。
アナタが測定データ暴露事件の根本的な原因です」
「なっ!? アンタじゃないんっ!?」
「いやいやいや」
つばさの叫びを、パタパタと手を横に振ってヴァレットは否定する。
「調査の為にこの学園に忍び込ませていただいてましたが、ああいう記事を書く時間はありませんでしたよ。
なにせ、そこの彼を追うのに手一杯でしたから」
『それは、こちらの台詞でもある。やはりここにいたか、ヴァレット。
確証は得た。記事のネタはいただいた。これ以上この場にいる必要は……っ!?』
「言っておきますが、もう姿を隠す事はできませんよ。
先程投げたパレットボールは、言わば魔法の防犯カラーボール……と言っても、色は無色ですが。
効果は隠れているものの真の姿を露にする事。
効果であるその【無色】は私以外に落とす事はできません。
そして、その【無色】がついている限り貴方の居場所は最早筒抜けです」
『おのれ……!』
「アナタの活動によってここの新聞部の方々が誤解され、迷惑を被っていると聞きました。
真犯人であるアナタを封印し、騒動を終結させていただきます」
『ちぃっ……! 私は、記事を書くんだ……! 終結など、しない!』
暴走体は、悔しげな声を漏らすと空に浮かび上がり、窓に突進、窓ガラスを割って外へと飛び出した。
それを見たヴァレットは右肩のマフラーを自らむしりとり、半裸の女生徒達に投げ付ける。
マフラーは女生徒達の近くで膨張し大きくなり、彼女達全員の半裸を覆い隠した。
それが十分だと判断したヴァレットは、無言のまま生徒を庇いつつ状況を見守っていた佳枝に言った。
「そこの先生、後の事はよろしくお願いします」
「分かりました。……あぁ、そうでした。ある医者からの忠告です、ヴァレット」
「え?」
「全てを明らかにする必要はないだろう。
それは正義には反する事ではあるまい、です」
「……。ご忠告感謝します」
佳枝の言葉にそう答えてから、ヴァレットは割れた窓から暴走体を負って飛び出していく。
つばさも続こうとするが流石に窓から追うのは難しいと察し、保健室の出入り口から廊下に飛び出した。
「つばさちゃんっ!」
「部長っ!?」
そこで遭遇したのは、新聞部の部長であった。
何故こんな所にいるのか、と思考するつばさだったが、それが愚考だとすぐに理解した。
彼女も事件を追ってここにいるに決まっている。
「部長、見て聞いて知りました?! ヴァレットがここにきよったんですよ!
事件も起こったし大スクープや!
はよう追わんと……」
「……つばさちゃん、それも、大事だけど。
私、貴方に話さなきゃならない事が……そのせいで、貴方は勘違いを……」
「ああ、うん、よー分かりませんけど、分かりました。
後でちゃんと話は聞きますから」
おそらく自分への説教か説得かなのだろう。
昨日の掲示板並びにウェブ版での暴露記事の犯人をヴァレットと決め付けていた事などへの。
確かに今起こっている事でどうやら自分が思っている全体像がブレてきているのは確かだが、今はそんな事を呑気に話している場合ではない。
むしろ、それに関する真実を探究する為に走らねばならない時なのだ。
「ごめんなぁ部長! あとでなぁ!」
「ちょっ!? つばさちゃんっ!?」
そうして話もそこそこに再度駆け出すつばさ。
部長もそれを追いかけるものの、二人の運動能力には大きな差がある。
ゆえに、あっという間に二人の距離は開き、つばさは部長を置き去りに、なお校舎を駆け抜けていく。
「とりあえず、上にあがってったみたいやけど……」
保健室のあった一階から既に数階昇り、その移動の中でも窓から外を確認していたがヴァレット達の姿は見えない。
「ああ、あいつら一体……」
何処に行ったんや、と呟こうとしたつばさの脳裏に先程の言葉が甦る。
『お前はそこで待っていろ。記事は私が用意してやる。
後日いつもの場所に来るがいい』
、
あの怪人が発した言葉。
そもそもの始まりの記事。
それらを脳内で繋ぎ合わせた結果、怪人の行先について思い浮かぶ場所が一つあった。
ソレが正しいかどうかは分からないが、とりあえず行ってみる他ない。
そう決意したつばさは、その場所……屋上へと再び駆け出した。
『2−Cの秋木あきら……身長147cm、体重48kg、BWHは78、58、80。
2−Cの河谷さち……身長170cm、体重64kg、BWHは、86、62、90……』
つばさが屋上に駆けつけると、そこでは先程まで保健室にいた怪人が床に座りながら……正確に言えば宙に浮いたままだがそういう体勢をしていた……屋上の床に置いたノートパソコンに向き合っていた。
その姿に、つばさは驚かずにはいられなかった。
それは異形がパソコンを使っている、というシュールな絵面にではない。
「あんた……何しとるん」
『先程のデータを測定記録に追加している。
今回は人数が少なかったからノートパソコンを使用するという危険を犯す必要が無かった』
「そうやないっ! なんでアンタみたいなもんがうちのパソコンをっ!?」
怪人は、フィルムで構成された【腕】をキーボードの埃除けのようにノートパソコンの上に被せて、そこからキーボードを打ち込んでいた。
そのノートパソコンは、つばさ専用の、つばさしか存在を知らないはずの【もう一つの新聞部の専用ノートパソコン】だった。
怪人が座り込んでいるのは、屋上備え付けの掃除道具などを仕舞ってある二つのロッカーの前。
ただ、そのロッカーの片方は、元々少ししか物が入っていなかったのをいい事に、元々仕舞っていたものをもう片方に強引に押し込む事で、つばさが勝手に私的占有&使用している。
もう一つのノートパソコン含めて、その存在はつばさ以外知らないはずだったのに。
……あるいは、その手法を教えた姉ならば知っているのかもしれないが。
『そんな事は知らない。私はただ新聞部の記事を書くだけだ。
昨日の記事は他の意図もあったとは言え未完成だ。完成せねば』
「知らない事あるかい!? そのパソコンを使うためのキーワードは?! 何処でそれを知ったん!?」
『知らない。私はただ新聞部の記事を書くだけだ』
「あんた……っ!?」
『私はただ記事を書く。それだけだ。
新聞部を盛り上げる、皆の場所を強くする、読者の期待に応える。
そのために記事を書く。記事を書く。記事を書く』
「その、言葉はっ……?」
歪んだり欠けたりしていたが、それは新聞部のモットーだ。
事あるごとに同じ言葉を使っていた人間がいる事をつばさはよく知っていた。
姉・駆流羽唯、新聞部部長、そして……つばさ自身。
その事実に驚愕していた、次の瞬間。
「やはり、そういうことでしたか」
「っ!? ヴァレット!」
一体いつからそこにいたのか。
赤く染まった空に、ヴァレットが浮かんでいた。
改めて自分の目で普通に空に浮いている人間を見るのは不思議な感覚だった。
背にした赤い空もあって、何処か幻想的な光景に見惚れていたが、それも一瞬。
気を取り直して、つばさはヴァレットに問い掛ける。
「ど、どういうことなん?! コイツはなんなん?! さっき言ってた概念種子って……」
矢継ぎ早に問い掛ける彼女に、屋上に降り立ったヴァレットは静かに答えた。
「概念種子、というのは、近年での街で騒ぎの根本的な原因となるものです。
簡単に言えば、人や動物、その他、基本的に生物に宿った特殊な才能の種ですね。
私の魔法も概念種子によるものです。
ただ、これは扱いが難しく、種子の所持者の意志に関係なく持て余してしまう事、暴走させてしまう事も少なくありません。
また、暴走の結果、所持者から離れて実体化し、自動で動き回る事もあります。
そこにいる彼もそういった存在です」
怪人はヴァレットの存在に気付いているのかいないのか、それに構わず一心不乱にキーボードを叩いている。
「……本当に、記事を書く事に特化しすぎた存在のようですね。
姿を隠し、記事の種を探し、記録し、記事を書く。
あるいは、そうする事でなそうとした事があったのか。
いずれにせよ、その他の行動はおまけのようなものなのでしょう」
「おまけ? だったら、あの掲示板に貼り付けたのはどういう……? アンタじゃないんやろ?」
「さっきも言ったじゃないですか、私じゃありません。
……そして、おそらく彼でもありません」
「なっ!?」
「夜中にネットの方に記事をアップしたのは彼でしょう。
貴女が屋上に隠していた、新聞部が使用しているものと全く同型のノートパソコンを使って。
多分貴女は同型のパソコンをいくつも所持して、隠し持っているものを入れ替えたりする事で先生の目を欺き、新聞部部室での作業が難しい時は家やココで記事を書いたり、記事の差し替えを行ったりしていたんじゃないんですか?」
「うっ、なんで、それをっ!?」
「さっきも言ったとおり調査させていただきましたから」
ヴァレットが屋上に何かがあると気付いたのは、入鹿の事件によるものだった。
入鹿が事件と絡んだ……否、ヴァレットと関わっていた場面は屋上だけだった。
であるならば、答は一つ。
あの時は入鹿に気を向けていたため気付かなかったが、
屋上に何者かが存在していたのだ……その姿が見えなかっただけで。
つまり、そういう異能に特化した存在が屋上で何かをしていた、という事。
実際、いかに殺気などの害的な気配がなかったとは言え、先程の保健室でもかなり意識を集中しなければ気配を捉える事すら難しかったのだ。
おそらく姿を隠している際の種子による力すらも含めて分かり難くできる能力だったのだろう。
直接的に人に害を加えないからこそ使用可能な域の気配遮断に、ヴァレットとしては感心と共に己が修行不足を痛感させられたのだった。
さておき、そうして屋上に何かがあると悟ったヴァレットは、クラウドに屋上の調査を頼んだ。
結果クラウドはロッカー内のパソコンを発見、それが新聞部のノートパソコンと同型である事などを確認した。
そうして、それらの状況や幾つかの証拠からヴァレットは【犯人】を特定するに至ったのである。
「昨日言っていたというIPアドレス云々は私も詳しくは分かりません。
ですが、元より詳しいか、ネットである程度調べるか、
あるいはそういう仕組みをそもそも使っていた人に教えてもらっていれば、
遠隔操作によるアップロードは可能なんじゃないんでしょうか?
それが日常的にシステム化され使用されていれば、
彼のように一部の事だけしか出来ない暴走体でも利用する事はなんとか可能でしょう」
そもそも、
かつて駆柳羽唯が絶える事無く記事を更新していたという話や、
征が自身の記事が夜になっても追記があった話など、
放課後以降も記事を更新していたらしい事実がある以上、
それを可能にする手段があるという事だ。
屋上のノートパソコンの存在に気付く事が出来た以上、ネットやパソコン技術にそこまで詳しくないヴァレットでも手段の推察くらいは出来る。
「それにより彼は、大きなネタである私を誘き寄せる狙いと、
新聞部への注目度への増加など幾つかの理由を兼ねて記事を書き、ネットにアップした。
そして結果そのとおりになった。
もし全てが彼の思惑どおりに進み、記事が完成した時、彼はどうするつもりだったのか……そこまでは私には分かりません。
記事を書く事だけの彼は手柄などどうでもいいはずですから。
ですが、いずれにせよ彼に出来るのはそこまででしょう。
あの記事を掲示板に貼り付けたのは…………一体誰でしょうね」
「ちょっ!? そこまで語っておいて、それはないやろっ!?」
「あいにく私はジャーナリストでも記者でもないので。
今の所の私は……ただの正義の味方志望の小娘ですから。
だから、今の私のやるべき事はただ一つ……!」
小さく叫んだ後、ヴァレットはビッ!と人差し指で怪人を指した。
直後、彼女の指から紫光の糸が伸び、あっという間に怪人の全身に巻きつき、動きを封じた。
『おのれっ! 記事、私は、記事を書くんだ……!』
「……何の記事を書くというんですか。
私を誘き出す為の記事で女の子達を困らせた次はなんですか?
私の正体ですか?
私の本性ですか?
それはそれで構いません。
誰かがそれを書きたいという事そのものを、私は止める事はできませんし、本来その権利もないでしょう。
ですが、貴方が書きたかったものは、その程度のものなんですか?
報道というものは、ヒトが時に見失いそうな事実や真実を記録し、皆にしっかりと記憶してもらい、それを未来に繋いでいく……そういう素敵な仕事じゃないんですか?」
『知らない! 私は記事を書く! 皆に見てもらえる記事を書く!
記事を書く事で、もっと大きくなる! もっと強くなる! もっともっと……!』
「……なんなん……」
『大きな、記事、記事記事記事、ネタネタ、注目、注目注目ぅ!』
「……なんなんよ、これぇ……」」
拘束から逃げようと、いや記事の続きを書こうと怪人がもがき、暴れ、がなり立てる姿を見て、つばさはただ不快感しか涌かなかった。
そして気付く。
これは、最近の自分自身そのものなのだ、と。
皆に注目してもらいたいが為に、皆が注目しそうな内容の記事を書くようになり、それが心の何処かでは楽しくなってしまっていた自分自身なのだ、と。
大きな何かに追いつくため。
大きな何かを追い越すため。
自分の存在を認めさせるため。
自分が自分でありたいため。
そういうもののために【動く】そのものが悪い訳ではきっとない。
目標に追いつき追い越そうとする事も、自分の存在を確立させるべくあがく事も、それだけならば輝かしいものだ。
だが、それを追い求めるあまりに、それ以前の本当にやりたかった事を忘れてしまった姿は……言葉に出来ない、胸の痛みを引き起こすばかりだった。
『記事を書かないと、私は、私は……』
「……よく分かりました。貴方はやはり、ただの暴走した概念種子です。
封印、させていただきます」
呆然と涙すら浮かべかけているつばさを見て、ヴァレットは、彼女にこれ以上は見せたくない、そう感じた。
状況に応じてではあるが、出来る限り概念種子の所持者への【確認】を取った上での封印を基本心掛けているヴァレットだったが、今回はそうしない事を決断……しようとしたその時だった。
「ヴァレット……」
「駆柳さん……?」
ぐしぐしと手の甲で目の辺りを拭った後、つばさは言った。
「封印って、これ、消す事なんやろ……?
ごめんけど、ちょっとだけ、待ってくれへん……」
「それは、構いませんが」
「ごめんな。ありがとうな」
そう前置きすると、つばさはもう一度目を拭ってから、先程まで怪人が打ち込んでいたノートパソコンのキーを凄まじい勢いで叩き始めた。
ヴァレットが思わず息を呑むほどに鬼気迫る表情で画面とこちら……怪人を交互に見やりながら途切れる事無く何かしら文章を書き連ねる事三分。
「……もう、ええよ。
待たせてごめんな。
真実、ちゃんと見て、記録したから。
あとは、よろしゅう」
「……はい、承りました。はぁぁぁっ!」
つばさと視線を交わしあい、確かに頷き合ったヴァレットは、裂帛の気合と共に糸が繋がった右腕を、右手を、人差し指を空へと指した。
当然光の糸が繋がっている怪人は、その動きに連動し、夕焼け空へと放り上げられ……。
「描き直しの時間です……! イレイズ・ブレイク!」
それに連動して、空の彼方から飛来した【絵筆】を手にしたヴァレットにより、概念種子の消去・封印を行う、種子専用の必殺技が怪人へと炸裂した。
白く光を放つ軌跡が怪人の全身に広がり、最後により強く輝いた後、怪人は夕焼けに解け消えていった。
その中で怪人から離れた緑色の光球は、多少辺りを不安そうに頼りなく漂った後、ヴァレットの【絵筆】に吸収される。
「概念種子【パパラッチ】。封印完了。
……。駆柳さ」
「ヴァレット、ほんまごめんっ!」
少し間を空けてからヴァレットが振り返った先では、つばさが全力で土下座していた。
コンクリートの屋上の床に頭を擦り付けんばかりに。
「正直、うちはまだアンタの事うっさんくさい偽善者やと半分以上思ってるけど、それでも今回は犯人と誤解してて本当にごめんっ!」
「あ、いえ、頭を上げてください。
今回犯人じゃないって分かっていただけただけで十分ですから」
「ほ、ほんまに許してくれるん?」
「ええ」
「嘘やない?」
「はい」
「マジで?」
「マジです。だから、もう顔を上げてください」
「……そっかぁ……ほんま、おおきにな……」
言葉を紡ぎながらつばさは頭を上げた。
そこにあったのは泣き笑いでくしゃくしゃになった顔。
そこにある【本気】を感じ取ったヴァレットには、つばさへの悪感情など……元よりさほどなかったが……涌く筈もなかった。
「……今回のこと、責任は皆うちにある。
新聞部は、部長や皆は、全然悪くない。
勝手に疑っておいて、虫のいい話やってのはわかっとる。
でも、お願いや、今回悪かったのは皆うちやったって、学園の皆に説明するのを手伝ってくれへん……?」
「それはお断りします」
「えっ!? な、なんでぇっ!? やっぱり怒っとるん?!
納得行かないんなら、うちはちゃんと新聞部をやめるから……!
だから、新聞部は……」
「そうじゃありませんよ。
全部貴方が悪い、なんて事を、私は証明できませんから」
「え、でもだって、あのバケモノはうちの……ほらさっき、言ってた……」
「あれが貴女の概念種子によるものなんて事、私は一言も言っていませんよ」
「え、えぇぇぇぇっ!? ど、どういうこと? あれ、でもだって」
「さっきも言ったとおりですよ。
私は記者じゃありません。
私は、私の出来る事しかできませんし、今回のそれはもう終わりました。
そして……あ、今って録音か録画できます?」
「え? あ、ああ……」
慌ててビデオカメラを回すつばさ。
その様子を頷いてから、ヴァレットは言った。
「そして、あれはあくまで概念種子の暴走によるもので、駆柳つばささんをはじめ、新聞部の誰も悪くはありません。
私の保証が役に立つかは分かりませんが、少なくとも私はそう思ってます。
……こんなところでいいですか?
後は、貴女の判断であり、仕事です」
「う、うちまだ記事を書いていいの……? アンタは許してくれるん……?」
「それを決めるのは私じゃありません。
でも、少なくとも私は書いちゃいけない、なんて思いませんよ。
皆だってちゃんと話せばきっと許してくれます」
「……ありがとうな。
そうやね、うん。皆は、うちとは違うもんな。
うちは……うちは、やっぱりダメなやつなんやな……。
おねえちゃんみたいには、まだ、全然なれへん……」
カメラを下ろし、ガックリと項垂れるつばさ。
実際事件があの怪人によるものだったのは事実で、それを自分は勝手な思い込みで認めようとしなかった。
それは、ジャーナリスト志望の駆柳つばさとしては、やってはいけないことだったのに。
今回の事は勿論反省している。
ヴァレットはじめ迷惑を掛けた人達には謝るつもりだし、二度と同じ過ちを繰り返すつもりはない。
その上でも皆から許されないのであれば……新聞部は辞める。
ヴァレットはわざわざ証言までしてくれたが、
自分のせいで新聞部の皆が肩身の狭い想いをするのなら、辞める。
だが、それでも、やはり夢そのものは捨てきれない。
勝手なのは分かっているが、そうして責任を取った上で、夢に向かってまだ走り続けたいのだ。
しかし、こんな回り道をしていては、姉には一生追いつけない。
そうして自分に失望して顔を落とすつばさに、ヴァレットは優しく告げた。
「……駆柳さん。
私、貴方の気持ち、少しだけ分かります」
「え?」
「私にも姉さんがいるんです。
姉さんは凄く立派な大人で、私はずっと姉さんのような大人になりたいと思っています。
進む道は違っても、大人のあり方としては姉を見習いたいと常日頃思っています」
「……」
「でも、私がそう言うと、姉さんはこう返して優しく笑うんです。十年早い、って。
実際、その通りだと思うんです」
佳枝からのあの伝言。
それを思い返すと改めて実感する。
十年早いのだ、と。
「姉さんはきっと最初からそういう大人じゃなくて、
そうなるまでに色々な経験を時間を掛けて重ねていって、今の姉さんになった。
だから、貴女や私が姉さん達のようになるには、多分まだまだ足りないものがたくさんあるんですよ」
「そ、そんなの、ただの言い訳やないの……?
そんな気持ちでトロトロ歩いて生きてたら、きっとおねえちゃんには……」
ある目標に向けて走っている人間が、くたびれて歩く為の口実。
ヴァレットの言葉はそういうものなのではないか、とつばさは捉えた。
そもそも姉達も何かの目標に向かって駆け抜けたからこその【現在】なのではないだろうか。
仮に姉と同様に走ったとしても、彼女達には追いつけない。距離は一向に縮まらない。
彼女達に追いつき追い越すには、彼女達以上に走り抜けなければならないんじゃないか……。
そんなつばさの声なき言葉を、ヴァレットは理解していたのだろうか。
穏やかに微笑みながら、静かに言葉を紡いだ。
「そうかもしれません。
歩いていたら追いつけないのかもしれません。
でも、だからってずっと全速力で走る、なんて事は無理だと私は思います。
出来たとしても、それはきっと短い距離だけです。
そして、どうにかこうにかずっと全速力で走れたとしても、その速さゆえにきっと見落としてしまう事もある。転んでしまう事だってあるかもしれない」
「それ、は」
ヴァレットにそのつもりがあるかどうかは分からなかったが、つばさはそれは最近の自分自身であるように思えた。
大きなネタを書こうとするあまりに、自分が書きたかったもの、なりたかったものを見失ってしまっていた。
全速力で駆け抜ける、という事は、そういう意味合いも含んでいるのかもしれない。
目標には最短で到着出来る代わりに、周囲を見る暇なんかない、そういう事なのかもしれない。
「ただ、こんな事を言っても、貴方にとっての何が最良かなんて私には分からないです。
人によっては、最短で駆け抜けることこそが最良であり最高、という事もあるでしょうから。
……無責任で申し訳ありません」
そう言って、ヴァレットは深々と頭を下げた。
そうした後、再び顔を上げて、真っ直ぐにつばさを見据えて語りかけ続ける。
「ただ……貴女には、焦って転んでしまった時、それを心配してくれる人がきっといるはずです」
ヴァレットの言葉で脳裏に過ぎるのは、部長や新聞部の仲間達。
自身はちゃんと話を聞こうともしていなかったのに、皆ずっと心配そうな顔をしてくれていた。
「だから、危ないと思った時だけは走る速度を緩めて、周囲を確認してください。
私がお願いできるのはそれだけです。
その上で、貴女が貴女の道を走り続ける事を、私は応援しています。
でも、どうか、自分や他人を傷つけるような急ぎ方はなるべくしないでくださいね。
貴女は、大好きな新聞部の為に新聞部を辞めると言える、とても優しい人ですから」
そう告げた後、ヴァレットは、ふわ……と空に浮かび上がった。
「あ、ちょ、ヴァレット!?」
「ああ、そうでした。これも言っておかないと。
話が長くなってすみません。
さっきも【彼】に対して言いましたが、貴女が私を記事にする、という事を止める権利は私にはありません。
私の正体を探る、という事も同じくです。
ですが、その為に無関係の誰かを巻き込む事は、貴女にしても本意ではないはずです。
だから、こういうのはどうでしょう?」
再び地面に降りたヴァレットは苦笑しつつ【そんなこと】を提案してきた。
その提案に、つばさは目を丸くするしかなかった。
「遅れてごめん」
紫雲は、そう言いながらジオラマ研究会部室である教室に入った。
そこには、中央に置かれたジオラマを眺める征だけ。
「まだ新城が来てないからな。気にしなくてもいいぞ」
「そう言ってくれると助かるよ」
「美術部の方に顔出してきたんだろ? 掛け持ちは大変だな」
「久遠君も似たような感じでしょ」
「俺は草薙ほど真面目じゃあないからな」
「そんな事はないというか、僕もそんな真面目ってわけでもないと思うけど。不真面目ってつもりもないけどね」
「……自覚のない真面目君ほど厄介なものはない気がするなぁ」
「……ぬぅ。ところで、新城君は?」
「アイツは……色々学園内を歩き回って知り合いと話して回ってたぞ。一昨日の事件について」
「一昨日のって新聞部絡みのことだよね?」
あの事件から二日が過ぎ、事態は既に沈静化していた。
それというのも、事件が明けた翌日、つまりは昨日、新聞部が謝罪記事を出したからである。
学園掲示板と、ウェブ版学園新聞両方に。
新聞部は、今回の事件が街を騒がせているものと同質の【異常】によるものだと発表。
あくまで【怪人】が犯人であり、特定の誰かが悪いわけではないというヴァレットのコメントが添えられてはいたものの、新聞部としては、その【異常】・【怪人】を生み出したのは他ならぬ新聞部部員の誰かだった可能性が濃厚だ、と報じていた。
ヴァレットによる解決は、事件の根本的な原因である人物を炙り出す形ではなかったため、今となっては誰が原因なのかは明確に特定できない。
だが、新聞部のあり方、特に駆柳つばさ副部長に問題があった事と繋がっている可能性が極めて高い事を素直に認め、謝罪。
そして、その責任を取る形でつばさは副部長を辞めており、一ヶ月記事を書く事を自粛する旨を記していた。
というか、その記事そのものを書いたのがつばさ本人だったりする。
そうして、新聞部が全面的に非を認め、謝罪、
かつ今後の記事内容について見直していく事を確約した為、
割とあっさりと騒ぎは収まっていった。
だが、そうして沈静化したのには他にも理由があった。
それは、つばさによるヴァレットへの幾つかの質疑応答による記事が、
かつてつばさが宣言していたヴァレットの正体暴きの記事の代わりに掲載されていたからだ。
その記事は、ヴァレットの存在や人格には徹頭徹尾懐疑的ながらも、
今の平赤羽市におけるヴァレットの影響について、これまでの事件のデータを纏めた上で、ヴァレット自身との発言も絡めて記され、極めて濃い記事となっていた。
それによりつばさは見直され、素直に謝罪した事も含め、学園内ではこれ以上の追及は野暮だ、という雰囲気になりつつあった。
また、読み応えのあるその記事は、ネットに掲載されている事もあり、学園を越えて、注目が集まっているという。
……奇しくも、それは少し前までのつばさが想定していた状況であった。
「騒ぎについては殆ど解決したって話じゃなかったっけ。
学園内だとそれを知らない人の方が少ないんじゃ……」
「そうなんだけどな。新聞を読んでない奴とか、ネットしない奴もいるからってさ。
ヴァレットは無実だったってちゃんと広めないとって息巻いてたよ。
事件が解決しなかった時は、新聞部に乗り込むつもりもあったらしい」
「……そう、なんだ」
人と話すのが苦手だと語る入鹿が、直談判までしようとしてくれて、今も誤解を解くために話して回っている……。
入鹿がそんなにまでヴァレットの事を気に掛けてくれていたとは。
紫雲としてはとても嬉しく、胸を熱くする話だったが、それを今顔に出すわけにはいかない。
自分はあくまで【草薙紫雲】なのだから。
「お、なんだ。微妙ににやけて」
そうは思っていても、思い通りにはなっていなかったが。
やはり素直に嬉しい事は顔に出てしまうんだなぁと苦笑しながら、紫雲は言った。
「新城君、いい人だなって思って」
「そうだな。恩人の為に必死になれるあたり、イイヤツだよ。
ああいう奴は三次元でも嫌いじゃないぜ、俺は。
そう言えば、草薙は結局無駄足だったな」
「ちゃんと伝わるべき事は伝わったから、それでいいよ、僕は」
「お前も大概正義馬鹿というかヴァレット馬鹿というか……。
しかし、あれだな。
解決はしたんだろうけど、なんか気に掛かる部分も色々残ってるよな」
「そうかな?」
「そうだろ。
掲示板に測定結果を貼り付けたのは、ホントに怪人だったのか、とか。
あと怪人を生んだのは誰なのか、とか」
「……明らかに出来なかったんだよ、多分。
そもそも無理だったからなのか、明らかにしない方がよかったからなのかは分からないけど」
言いながら、紫雲は昨日の放課後、保健室を訪れた時の事を思い出す。
紫雲は姉・命に計ってもらった身体測定のデータを渡しに、佳枝に会いに行ったのだが。
『佳枝さん、もしかして……貴女は知っているんですか?』
『さぁ、なんのことだか分かりません。
ただ、私から言える事は一つだけ。
世の中には曖昧にしておいた方が都合のいいものもある、という事です。誰か一人だけではなく、みんなの為に。
今何故かそんな事を口にしたくなりましたが、深くは気にしないでください』
そう言って、佳枝は穏やかに微笑んだ。
彼女のその笑みは、姉・命によく似ていた。
だからなのか、改めて紫雲はストン、と何かが胸に落ちたような、納得できたような、そんな気がしていた。
世の中には確かにそういうものもあるのだ、と。
あの時、屋上で怪人を捕らえていた時、追及しようと思えばできた事はあった。
そうしていたら、新聞部の事件記事の【曖昧な部分】はなくなっていただろう。
だが、それは正しい事なのか、どうなのか。
真実を確かな形にしていれば、
新聞部としては、いや駆柳つばさとしては正しい記事を書かざるを得なかったはずだ。
曖昧にした事でそうさせなかったのは、見様によっては新聞部の【正しさ】を捻じ曲げてしまった、のかもしれない。
だが【正しさ】を貫いていた、その時は。
「……でも、僕はそれで良かったんだと思うよ」
もしもを考えても仕方がない。
ヴァレット=紫雲は、紛れもなく選択したのだから。
今回は【正しさ】を貫かない事が正しい、と。
だが、その決断が絶対に正しいと思ったわけでは決してない。
自分が絶対に正しい……そう思い込む事は傲慢でしかない。
今回にしても、自分はただ、自身の都合を重ねた上で、上から目線でモノを言っているのではないか、そんな疑念が頭を過り続けている。
だから、紫雲はこれからもずっと問い掛けていこう、そう思った。
正しい事と、正しくない事を、自分の胸に。
それは、もしかすると自己完結の危うさを孕んでいるのかもしれないが……おそらく、それが自己完結になる事はないだろう。
他ならない彼女も問い掛け続けてくれる事を約束してくれたのだから。
「……ふーん。
草薙ならもっとハッキリさせなきゃって言うもんだと思ってたんだけどな」
「基本的にはそうだね、うん。
ハッキリさせた結果、誰かが不幸になるのが分かっててもハッキリさせなきゃいけない時もあると思うし。
でも、今回はそうじゃなかったって思う。ただそれだけだよ」
「ふむ。まぁ、そういう時もあるか。……って、ありゃ?」
「どうかしたの?」
「いや、今回のウェブ版の記事を見直してたんだけど……この写真、リンク貼ってたっけか?」
征が端末を弄り、紫雲がそれを覗き込んだ、次の瞬間。
「えっ!?」
「おっ!?」
【そのページ】が開かれ、二人は思わず声を上げた。
ヴァレットの写真は、別ページのリンクになっており、その別ページが何を書いていたのかというと。
「【暴露! ヴァレットはEカップだった!】って……」
「な、なにこれぇっ!」
そこには、潜入していた変身前のヴァレットの下着姿の動画が貼り付けられ、
そこから算出されるヴァレットの推定スリーサイズとブラジャーのカップが書かれており、
最後にこんな言葉が残されていた。
【あーあ、真面目な記事書いて疲れたわ。
そっちもうちの本分であり書きたい事やけど、こっちも結構性に合っとるんよ。
両方とも、ジャーナリストとしてのうちやねん。
ヴァレット見てるぅ〜?
約束通り一ヶ月は記事は書かんから、これくらいは堪忍してな。 記者名 駆流つばさ】
(や、やられた……!)
紫雲の顔はしっかり隠れているし、
他の女子は殆ど映っておらず、
数瞬程度映った場合も凄まじく濃いモザイクがかかっているため、
ヴァレットとしてはわざわざ文句を言いに乗り込むわけにも行かない。
その辺りを見切った上で、準備済みだったのだろう裏ページをほとぼりが冷めてから追加してくるとは……。
「ヴァレット、Eカップか。着痩せするタイプだな」
「ふむ……リアリティの為にはフィギュアのヴァレットは作り直したほうがいいかもね」
一体いつの間に来ていたのか、入鹿も記事を覗き込んでふむふむと頷いている。
「折角だし、おっぱいの形もより本物に寄せないとだな。
参考の為にもう一回動画を再生してみるか?」
「……ぐぐ。こういうの見たりするのってヴァレット本人は嫌がるよね、うん。
だけど、リアリティ追求の為には……いやでも、うぎぎ……く、草薙君はどう思う?」
知らないよっ!?と叫びたくもあったが、
同時に恥ずかしさで声が上げられず、
更に、どんな表情をするのがこの場合男子として正しいのかの思考ループに陥った紫雲は、真っ赤な顔で口元を引き攣らせるのが精一杯であった。
「さぁて、そろそろヴァレット気付いたかなぁ〜」
屋上にて、作成していた裏ページを付け加え終えたつばさは、ニヤニヤと笑っていた。
ちなみに、ほどほど反応が伸びたところで裏ページは削除する予定だ。
どんな記事であれ削除はつばさ的にはポリシーに反するのだが、
おそらく自分達の為にポリシーを少なからず曲げてくれたのかもしれないヴァレットに免じて、削除やその後の火消しはきっちり行うつもりだ。
ならそもそもそういうページを作らなければいい、と言われるのかもしれないが、そこはそれ。
やられっぱなしなのは性に合わなかったのだ。
……そもそも悪いのは誰なのか云々考える事はあえてしないでおく。
「ったく、やってくれよったなぁ」
その言葉は、ヴァレットが取った様々な心遣いに対してのものだ。
一昨日の屋上で、ヴァレットはつばさが自身の正体を暴こうとする事、記事を書く事について止める権利はないだろう事を語っていた。
だが、記事はともかく正体については一歩間違えれば、ヴァレット以外の誰かを巻き込む可能性がある。
そこでヴァレットは、記事や正体追及について、一つの提案を出した。
それは、つばさがヴァレットの正体を突き止めたと確信できた場合、それについて確認する、というもの。
正体の正否をヴァレットが嘘偽りなく答える事で、つばさは誤報を防ぎ、ヴァレットは無関係の誰かを巻き込まずに済む。
そして、もしも、正体が正解していた場合。
その時は、改めてその事について話し合わせて欲しい旨をヴァレットは語った。
自身の正体の流布は、自分の家族や友人を巻き込みかねない。
明らかにしたつばさ自身にも迷惑が掛かるかもしれない。
だが、つばさがそれを記事にしたいと思うのを止める事は心苦しい。
だから、ヴァレットとしては、自身の正体を【いずれ明らかにしていい時】まで伏せてもらいたい。
しかし、それがつばさの【報道の自由】を侵害するのもまた事実。
結局の所、互いにどうすべきなのかは、現時点で語ってもたらればに過ぎない。
だから【その時】に話し合おう、という事をヴァレットは提案したのだ。
しかし、それだけでは【正体を伏せる】事になった場合、
ヴァレット側に都合が良すぎるのは他ならぬヴァレット自身よく分かっていたので、
その代わりに、今後個人的に記事のネタ……自分の事が本当にネタになるのか微妙に不安そうだったが……を提供する機会を作る事で折り合いをつけてほしい、とヴァレットは言った。
つばさとしては、正直癪に障るほど納得のいく提案であった。
今回の事の借りはあるが、ヴァレットの記事はますます書きたくなっていたので、ある意味渡りに船な気分だった。
最終的に、つばさはヴァレットの提案を呑む事にした。
顔を合わせる際は互いに分かる符丁をウェブ版の新聞に載せる事にもなった。
だが、つばさがヴァレットの提案を受ける事を決めたのは、ヴァレットのある個人的な頼みによるものだった。
『これは、今回の件を受ける受けないに関係ない、私からの個人的なお願いなんですが……。
もし私が【正義の味方】から離れるような行動をしたと貴女が感じた時は、遠慮なく情け容赦なく全力をもって記事で叩いてください。
私、視野が狭いですから、気付かずに間違ってしまう事、きっとたくさんあると思います。
そういう時、ちゃんと怒ってくれる人がいたのなら……凄く助かりますから。
もしよかったら、お願いします』
行動による間違いを、言葉によって問い掛け、指摘し、正していく。
それは、記者としてこれ以上ない使命に他ならないだろう。
それが正義の味方相手ともなれば、これ以上やりがいのある使命はそうそうない。
だから、つばさはヴァレットと契約を交わす事にしたのだ。
『もしよかったら? は、頼まれんでもやったるよ。
アンタがいつまで正義の味方でいられるのか、どこまでも見張り続けてやるさかい、覚悟しぃ』
すっかりいつもの調子に戻る事が出来た彼女の言葉に、ヴァレットはニッカリとした笑顔でこう返した。
『私はまだまだ正義の味方ではありませんが……そうしてくれるのは望むところです。
よろしくお願いします、駆柳さん』
「ったく、ほんとやってくれたもんやで」
今にして思えば、色々な意味で上手く乗せられてしまったのだろう。
事件の最中もその後もこちらを気遣って……まったくとんだ御人好しだ。
彼女のその部分については、認めてもいいのかもしれない。
しかし、その気遣いは互いにとっていい事ばかり、というわけでもなかった。
ヴァレットはうっかりしていたのか、事件解決になりふり構っていなかったのか、先日の事件の際、いくつも自身の正体のヒントを残してしまっている。
それにより、つばさはヴァレットの正体がここの生徒である確信を深めていた。
そして、つばさ的にその最たるものはヴァレットが概念種子とやらを封印した事で、その出所が何処なのか分からなくなった事だ。
それはつまり、今回の事件を起こした根本原因と、あの怪人の本当の目的が永久に分からなくなった、という事。
一応調べようとはしてみたのだが、何をどうすれば調べられるのかさえ分からないのであれば、どうしようもない。
だから、そっちの事は諦めた。
だが【別方面の事実追及】は諦めるつもりはない。
(ヴァレット。
せっかくアンタは気を遣ってくれたみたいやけど、うちはジャーナリスト志望で、その端くれやからな。
どうやっても明確にならない事はともかく、明らかに出来る部分はきっちり明らかにさせてもらう)
実際の所、そこも含めてヴァレットはこちらに判断を委ねてくれたのだろう。
部外者の彼女ではなく、本当の当事者でちゃんと話し合って、解決出来るように。
だが、見様によっては面倒事に関わらずに逃げた卑怯者、という捉え方も出来る。
全ての責任をこっちに丸投げしただけ、なのかもしれない。
……そう考えてしまう自分の性格は確かに悪いのだろう。
しかし、今更そんな自分を変える事は出来ないのだ。
だから、そうであるのなら、とことんまで疑って、見極めていこう。
ヴァレットという名の正義の味方志望と、
駆柳つばさという名のジャーナリスト志望、その生き方を。
あの時、ヴァレットは【前に進み続ける】場合の事しか語っていなかった。
夢を追わない、尊敬する人を追いかけない、挫折した場合の事を口にすらしていなかった。
だから、そんなヴァレットと【契約】を交わした以上、もう自分は前に進むしかないのだ。
走るにせよ、歩くにせよ。
「そうしていずれうちは夢を叶えてみせる。
まずは、お姉ちゃんに追いつく事からやね。
ま、今はその前に片付けないといけないこと、あるけどなぁ」
そう言いながら、人の気配のした方につばさは振り返った。
呼び出した、事件についての真相を聞かなければならない人物に。
つばさの言葉に【その人物】は力強くハッキリと首を縦に振ったのだった。
……続く。