第1話 箱庭と正義の味方











 とある世界、とある宇宙の片隅に地球という惑星がある。
 その惑星の上には様々な国がひしめきあっているが……そんな中にこの物語の舞台となる【とある島国】がある。

 その島国は、世界でも異彩を放つ国である。
 様々な神や宗教、文化が混在し、そこに住む人々はそれをさして不思議に思う事無く受け入れ、多種多様の神をそれぞれに信じたり信じなかったり、多種多様の文化を楽しんだり楽しまなかったりしながら日々を暮らしている。
 そして、そんな島国の中でも特に異彩を放つ街が一つあった。

 平赤羽市。
 その名を持つ街が異彩を放ち始めたのは……少なくとも多くの人がそう認識し始めたのは、十年前。
 十年前、この街に淡く色取り取りの光を放つ、不思議な雪が降ってから。
 その雪が降った後、平赤羽市には様々な異質な出来事が起こるようになっていった。
 幽霊くらいはご挨拶。
 想像上でしか存在しないと思われていた生物の目撃や、都市伝説の具現、さらには街の位置的に起こりえない、オーロラや白夜など、様々な異常気象が起こるようになっていた。
 この【ありえない世界】の研究の為に世界各国から研究者がやってきたり、不思議な事ラブのオカルトマニアが移り住んできたり、果てはフィクション的な出来事を求めて一部のオタク達までやってくる始末。
 それらを利用して街を活性化させようとした市議会や商売人達の動きもあり、現在平赤羽市は前述通りの【島国】どころか世界でも稀に見る、カオスな都市となっていた。
 しかし、この街の不思議さはそこに留まらなかった。
 魔法、魔術、超能力、霊能力。
 そうとしか言いようがなく、それでいてそうと言い切れない、不思議な能力を持つ人間達が現れ始めたのだ。
 大半の能力は大したものではなかったのだが、ごく一部に本人の意図・意思はさておいても周囲に影響や被害を与えてしまう強い力の持ち主もいた。
 そして、近年。そんな強い力の持ち主は徐々に、だが確実に増加していた。
 そんな異能者達により、平赤羽市の治安は悪化の一途を辿って……はいなかった。
 何故ならば。
 そんな異能者達の【暴走】を食い止めるべく活動している異能者達もまた存在していたからである。

 そうした異能者達の中に【彼女】はいた。










 平赤羽市の住宅街上空を、巨大な雨雲が流れていく。 
 夜空に浮かび上がるそれは、それだけなら何の変哲もない雨雲だった。
 そう。雨雲が浮かんでいる高度が普通の一軒家よりちょっと高い位であったり、雨雲の形がどこか鯨っぽかったり、降り注ぐ雨が時折収束され水鉄砲のように発射されていなければだが。

「うぉぉおっ!?」
「ちょ、なにあれ?!」

 普通の雲と比較すればかなり低い空を飛ぶ雨雲の鯨は、意思を持っているかのようにあちらこちらに動いては雨を降らしたり、通行人に雨を収束させた水流を浴びせかけたりして、平赤羽市全体を水浸しにしていく。
 明らかに異常事態である。
 普通の街ならば、何事かと住民は混乱し、大騒ぎになるだろう。
 しかし、ここ、平赤羽市は違っていた。

「今度はなんだよ……とりあえず撮っとくか」
「あ、あれ可愛ごぼべぼっ!?」
「ぷっははは、お前何やってごぼべぼっ!」

 驚きつつも携帯端末で写真を撮る者、水を掛けられながらもはしゃぐもの、などなど反応はそれぞれだが、ちょっとした騒ぎに収まっていた。
 こんな事は日常茶飯事……とまでは行かなくても、それなりに起こりうる、少しだけ非日常寄りな日常だったから、なのだが、それだけではない。

「……そろそろかねぇ」
「多分?」
「皆、カメラの準備出来てるか?」
「おう!」

 何かを待っているかのように、歩きながら、家の窓から、様々な場所から空を見上げる住人達。
 今回は命の危険がないらしいと感じ取っているからか、そうしている人間は多かった。
 そんな人々の期待に応えてか、夜空の果てで紫の光がキラリと瞬いた。
 直後、瞬きは紫光の帯を延ばす流星に変わり、水鉄砲を放っていた雨雲鯨を牽制するように目にも止まらぬ速さでその周囲を飛び回り……鯨の進行方向に舞い降りた。
 紫色の光を炎のように噴射する事で空に浮かぶのは、魔法の箒……にしては少し太く大きな乗り物。
 そんな流星の大本に立つのは、一つの人影。
 頭には、紫色のベレー帽。
 両耳にはアニメに出てくる人を模したロボット、あるいはアンドロイドについてるようなイヤーガード。
 そこから伸びた半透明の紫色のバイザーは顔の半分ほどを覆っていた。
 女性にしては長身の体に纏うは、黒と紫で彩られた袖が殆ど無いロングコート。
 その下には、出る所は出ているボディーラインが見て取れる紫色のタートルネックと些か短めの黒いスカート。
 足は編み上げブーツと黒いオーバーニーソックスに覆われており、
 腕は指先が露出した他は肘まで覆われた黒い手袋に包まれている。
 夜風にたなびくのは、紫色の長髪とコートの両肩から伸びた白いマフラー。
 普通に見掛けたのなら、コスプレか何かだと思うであろうその姿の存在を、見上げる人々は知っていた。
 それがコスプレなどではない事を。
 そして、彼女が何者なのかを。
 そうして注目を浴びながら『彼女』は、凛とした声で言い放った。

「情熱の赤と、冷静の青。
 二つを持ちて、正義代行の紫と成る!
 魔法多少少女ヴァレット、市内平和と正義探究の為、ただいま参上っ!」
「ヴァレット、キタ――ッ!」
「待ってましたっ!」
「……こんな遅くにご苦労様だなぁ」

 彼女、ヴァレットの登場に、人々は沸いた。
 ある者ははしゃぎ、ある者は拍手し、ある者は感心し、またある者は呆れる。
 彼らが、こんな状況下で冷静(?)に反応出来るのは、彼女の存在があればこそ。
 彼女こそ、暴走異能者を止める異能者の一人、今この街で最も周知された人物、魔法多少少女ことヴァレットである。
 約半年前から平赤羽市に現れるようになり、幾つもの事件に真摯に向き合い、解決してきた事から、今現在彼女はすっかり街の人々に受け入れられていた。

「さて。まずお聞きしなければ。貴方はどうしてこんな事を……」

 恒例の自己紹介を終えたヴァレットは、雨雲鯨に何故こんな事をしているのかを問い掛けようとした……のだが、その問い掛けは途中で打ち切られた。
 その原因は一目瞭然、言葉の最中ヴァレットに向かって打ち出された水鉄砲のせいである。
 しかもそれは一発だけではない。立て続けに二発三発四発と連続して放たれていく。
 ヴァレットはそれに対し、表情を変えず『箒』を動かし回避しつつ、途切れてしまった問い掛けを続けていく。

「……しているのですか? もし理由があれば教えてください」
「相変わらず律儀だなぁ」
「さっさと片付ければいいのに」

 そんなヴァレットに対して、市民達の反応は賛否両論である(割合いつも)。
 相手に問い掛けてから判断を下すヴァレットの真面目さや正しさを評価する者もいれば、
 そんな事をしている間にも被害が広がる場合もあるんじゃないかとさっさと騒動を収めるべきだとする者、
 そもそもヴァレットを未だ胡散臭く思っている者など。
 そうして様々な反応を受けながらもヴァレットは、現在のスタイルを変えていない。
 今しているように、まず何故騒動を起こすのかを問い掛けていく、そのスタイルを。
 しかし、そんなヴァレットの問い掛けに雨雲鯨は何も返さず、只管に水鉄砲を撃ち続けていく。
 しかもそれは徐々に速度と威力を上げていた。

「あの、聞こえていませんか……!? 貴方はどうして……!」
『無駄だ、ヴァレット』

 街への被害を考慮して、鯨よりも高く飛び、攻撃の直撃を街から逸らしながら、
 幾度となく問い掛け続けるヴァレットの脳裏に、何処からともなく男性の声が響く。
 ヴァレットにしか聞こえていないその声の主は、ヴァレットの相棒にしてアドバイザーにして友人たる存在。
 彼女に力を与えた存在である所のクラウドのものだった。
 ヴァレットの自宅から彼女の眼を通して事態を眺めながら、基本的に黒猫の姿をしている彼は言った。

『おそらく、あれは概念種子が本体から離れている』
「うーん、やっぱり暴走状態か……
 一方的なのは気が進まないけど、これ以上騒ぎを続けると、街がどうなるか分からないし、皆さんの安眠を妨害しそうだし……仕方ない。
 エアパレット、ブルー!」

 話し合いは無駄だと意を決したヴァレットは叫びながら足、もとい箒を止める。
 直後彼女の近くの空間に、青光を放つ穴が開かれる。
 そうして彼女が動きを止めた事を好機と見たのか、雨雲鯨は今までで一番強烈な水鉄砲を打ち出した。
 それまでとは違い、人に直撃すれば怪我は避けられないだろう一撃……しかし、それこそがヴァレットの狙いであった。
 空間の穴に手を突っ込み、すぐに抜き放つヴァレット。
 その手は青い光に包まれていたが、光はやがて氷へと変化を遂げていく。

「ハッ!」

 そうしてヴァレットは氷を纏った右手を水流に突き出す。  
 水流は突き出された右掌で防がれる……のみならず、触れた箇所から凍り付いていき、それは雨雲へと到達する。

「……捕まえました」

 雨雲全体はは凍り付きはしなかったものの、凍り付いた水流は雨雲としっかりと繋がっていた。
 雨雲鯨がそれをどうにかしようと反応するよりも早く、ヴァレットは掴んだ雨雲を空高く、ほぼ真上に放り投げた。
 その勢いでヴァレットと雨雲を繋げていた氷は割れ砕けていくが、ヴァレットにとってそれは最早必要のないモノだった。
 世間一般では箒と認識されている、
 実際は『絵筆』である乗り物の持ち手……飛行時、上に乗る際は足を引っ掛けたりもする……を掴み、
 ぶら下がるような形で垂直上昇したヴァレットは、未だ上昇していく雨雲鯨に追いつきかけた所で叫んだ。

「エアパレット、ホワイト!」

 直後、白く光を放つ穴がヴァレットの上方に開かれる。
 同時に、絵筆の中腹部にあった持ち手が、設けられていたレールに沿って絵筆の先端までスライドする。
 ヴァレットはそこから間髪入れずに持ち方を変える。
 そうして絵筆を大剣のように振るいながら、
 流れるような動きで白光を放つ穴に、紫色の光の炎を吐いて推進力となっていた筆先を叩き込み、すぐさま引き抜いた。
 先程まで紫色だった光は、引き抜かれた後消滅した穴と同じ白光に輝き、燃え盛る。

「さぁ、描き直しの時間です……! イレイズ・ブレイクっ!」

 宣言しながら絵筆を剣道で言う脇構えの形で構えたヴァレットは、多少勢いを落としながらも飛行・上昇を続け、
 雨雲鯨のすぐ側を通り過ぎ、追い抜きざまに、白い一筆を雲に描き入れた。
 ヴァレットが完全に雨雲を追い越し、絵筆が雲から離れた瞬間、それは起こる。
 描かれた白線から白光が徐々に広がっていき、それが雲全体に広がったかと思った次の瞬間、雨雲は一際強く光を放ちながら光の粒状になりながら散っていき、やがて完全に消滅した。

『おおぉぉっ!』

 その様子を遠目ながら肉眼で、あるいは双眼鏡なりで確認した人々は歓声を上げた。
 そんな中、消滅の最中雨雲鯨から飛び出していた緑色に輝く光球がヴァレットの持つ絵筆の先端に吸収される。

「概念種子『雨』、回収・封印完了」

 ふわふわと浮遊しながら、自分の身長よりも大きく、見た目ほどではなくてもそれなりに重い絵筆を、ヴァレットはまるでペンでも扱うように軽く回し、楽な形に持ち替えた。

『ふむ。折を見て持ち主に返さないとな。ともあれお疲れ様』
「……」
『ヴァレット? 何か気になる事でも?』
「……あ、ごめんクラウド。
 氷の魔法、今一つ掛かりが甘かったから。
 やっぱり氷なら氷で専用の形態が必要なのかなぁ」

 ヴァレット的には雨雲鯨全体を凍らせてしまいたかったのだが、氷結速度が今一つの為そうはならなかった。
 それ以前に、もっと氷の魔法を上手く使えていたら街への被害を抑えられた可能性もある。
 そう出来なかった自分の未熟さに、ヴァレットは小さく息を吐いた。
 正義代行、とあえて名乗りながらもこの体たらくではまだまだ本当の正義の味方には程遠い。

『その辺りは君が帰ってから話す事にしよう』 
「うん、そうだね」

 クラウドの言葉に頷いたヴァレットは、持っていた絵筆を放り投げた。
 紫の光の炎……魔法のエネルギー・法力を噴出口から吐き出しながら、絵筆は横倒しの状態で空中に静止する。
 その上に飛び乗ったヴァレットは、自分に向かって手を振る人々に笑顔と手を振り返しながら、来た時同様に紫の流星となって、空の果てに飛び去った。

「……ずるいよなぁ。あれが現実だなんて」

 そんな紫の光の軌跡を眼で追い掛けて、一人の少年が呟いた。
 カメラを手にしていた少年の表情は、羨望や悔しさその他様々な感情が入り混じった複雑なものだった。











「昨日もヴァレットたん、大活躍だったなぁ」

 そこは平赤羽市内にある県立慶備学園の二階、そこに並ぶ二年生の教室のど真ん中にあるクラス。
 休み時間の中、まるで自分自身の活躍のように楽しげ、かつ誇らしげに語るのは、このクラス随一の、自他共に認めるオタク野郎・久遠征。
 アニメや漫画、ゲーム、そういったもの全般をこよなく愛して止まない彼は、現実に現れた『魔法少女』も当然の如く愛していた。
 ただし当人曰く、その愛はあくまでアイドル声優を追い掛けるファン的なものらしい。
 さておき、そんな彼をよく知るクラスメート……友人達はそんな彼に呆れたり、苦笑したりしつつ、言った。

「アンタも暇ねぇ。わざわざ見物しに行った訳?」

 呆れ顔をしていたのは、高崎清子。
 成績は上の中、運動神経もそこそこな常識人な優等生で、征の他同じクラスにいるもう一名とも幼馴染だったりする。
 常識人という要素ゆえか、征のオタクっぷりには、女性の観点から嫌悪感を抱く作品やグッズ”も”多く所持している事、色々と振り回されたり、リアクションに困らせられたりしている事等から、あまり快く思ってはいない。

「当然だろ。見物出来ない時ならともかく、昨日は現場が近かったしな」
「そんな暇があるんなら、予習・復習でも……」
「当然済ませてあるさ。その程度は最低限こなさないと、あの子達に相応しい男じゃないからな」

 征が語るあの子達というのは、主に美少女ゲーム関係のヒロイン達の事である。
 久遠征という男は、美少女達との接点である二次元・フィクションをこよなく愛すと共に、
 彼女達に相応しい男たらんと勉強や身体鍛錬など日々努力し続けている……そういう男であった。

「そ、そう」
「そういうお前は予習が甘かったな。さっきの授業の数式、途中もう少し省略出来たろ」
「……ホント、こいつ、なんなのよ」
「いや、こういう奴だろ。ご存知のとおり」

 文句の付け所を失った上、逆に突っ込まれた事で半眼気味に征を睨む清子。
 そんな彼女に苦笑したのは、二人にとって共通の幼馴染、直谷明。
 成績こそ振るわないが、運動神経は抜群で、時折色々な部活の助っ人をしたりしている。
 その助っ人っぷりと、サッパリとした爽やかな容姿と性格から、男女問わず広い交友関係を持っている。
 清子とはこの学園に入る前、紆余曲折を経て彼氏彼女の関係となっており、このクラスの誰もがそれを周知していた。
 ……しかし、互いにまだ照れがあるらしく、関係を問われるとドモったりもしている。

「しかし、まぁヴァレットが活躍してたのは確かだな。
 その辺どう思うよ、正義のヒーロー大好きな草薙」

 幼馴染同士の無駄な(ただし恒例の)喧嘩を避ける為か、明は話を軌道修正する。

「そうだね……僕的には、精進がまだ足らないんじゃないかと思うけど」

 話を振られた人物……彼らの近くの席に座っていた草薙紫雲は、次の時間の教科書類を机の端に置きつつ、そう答えた。

「お、手厳しいな。正義のヒーローについては俺以上のマニーゆえか」
「いやいや、数年前まで不良狩りしてた経験からだろ」
「……あー、うん、両方とも否定はしないけど、後者については、えっと、その……僕の方こそ精進が足らなかったというか」

 言いながら、紫雲は気まずそうに肩を落としながら、視線を下に落とした。
 一見すると、中性的で整った容姿、細身の体付きをした男子学園生である紫雲は、その姿からは想像出来ないほどの腕っ節を持っている。
 数年前、今の学園に入る前は、その腕っ節と強過ぎる正義感ゆえに、平赤羽市を荒らしていた学生連合の一大不良グループを相手取り、最終的に活動を停止させてもいた。
 明とは当時不良グループが絡んだとある出来事で知り合った事からその頃の紫雲を知られており、その頃の様々を後悔し、反省している紫雲的には気まずい部分もあったりする。
 もっとも明自身は自分達が助けられた事もあって、当時の紫雲の行為は恥じる事ではない、賞賛すべき事だと思っていたが。
 閑話休題。

「あー、悪い。そこ突っ込まれたくなかったんだよな」
「いや、直谷君が悪いんじゃないから気にしないで」
「で、草薙的には何が気に食わなかったんだ?」

 征の問い掛けに、紫雲は少し考える素振りを見せつつ言った。

「気に食わない、じゃないけど、もう少しスピーディーにやれなかったのかなって。
 街の被害も考えると、もっと即断即決な対応が必要じゃない?」
「えー? 昨日のは私も動画で見たけど」
『結局見たんじゃん』

 紫雲を除いた周囲の話を聞いていた人々からの突っ込みの声が上がった。
 それに赤面しつつも、清子は言葉を続ける。

「う、うるさいわね。たまたまよ。それはともかく、ヴァレット。彼女、昨日もスピード解決じゃなかった?」
「そうだな。五分も掛かってなかったし、草薙は厳しすぎるんじゃないか?」
「……うーん。何事も状況次第だけど、昨日は三分でいけたような」
「いやいや、何処かの光の巨人じゃあるまいし。普通はもっと時間掛かるだろ。他のヒーローモノでもそうだろ?」
「うん、それは分かってるんだけど、ついね。それにしても……怪獣退治の専門家かぁ……正義の味方の理想の一つだよね」

 どこかうっとりとした表情の紫雲。
 ちなみに、正義の味方関係創作物の鑑賞・読書等は紫雲の趣味の一つだったりする。
 その辺りの知識は征と同等であり、週明け月曜日の学校で日曜日に放送された特撮番組について語り合うのは二人の日常となっていた。
 たまに、そこに一人加わることもあるのだが、今現在その一人は教室にはいなかった。

「幸せそうにウットリしとるなぁ」
「征にとっての美少女ゲーム関係が草薙にとってはヒーロー関係なのな」
「草薙君はこういう所除けば、常識人で良い人なんだけどなぁ」
「うわー。人の趣味を一方的に否定とか。ないわー」
「征ぃっ! 別に否定はしてないでしょっ! あ、ごめんね、草薙君。否定してるわけじゃなくて、その、なんというか」
「あ。気にしないで高崎さん。僕も今みたいについつい熱が入り過ぎる事があるから、駄目な時はそう言ってくれると助かるよ」
「……改めて安易な発言申し訳ありませんでした」
「えっ!? なんで改めてっ?! いやいやいや頭上げてよ高崎さんっ!」
「だって、草薙君良い人過ぎてっ! なんか恥ずかしいやら申し訳ないやらっ!」 
「……むぅ。なんだろう、このなんとも言えない気持ち。これが嫉妬なのか……?」
「知らんがな。……お、新城。お前的にはどうだった? 昨日のヴァレット」  

 そんな会話の中、教室に入ってきた男子生徒に気付き、征は声を掛けた。
 彼の名は新城入鹿。
 征達の日曜特撮談義にたまに参加している人物である。

「……別に」
「冷たい返答だねぇ。ヴァレットは現実のヒーロー・ヒロインだぜ?」
「特撮好きだからってヒーロー好きだって決め付けないでほしいな。僕的にはヴァレットは……」
「「ヴァレットは?」」

 いつの間にか問答を終わらせていた紫雲と征が揃って尋ねる。
 そんな二人に少し身を引きつつ、入鹿は答えた。

「いてもらったら少し困る存在かな」
「こ、困る? それは、どうして?」

 正義の味方好きゆえか、動揺した様子で言う紫雲。
 そんな紫雲には悪いとは思いながらも、入鹿は本音を隠す事無く告げた。

「現実にあんな存在がいたら、フィクションが作り辛くなるじゃないか」
「そんな理由かよ……」
「変なのー」
「お前、それはなくね?」

 入鹿の意見に、周囲からそんな声が上がる。
 思わぬ反応だったのか、はたまた反応の多さゆえか、入鹿は少し動揺した調子で言った。

「い、いや、べ、別にヴァレットを否定してるわけじゃなくて……」
「お前にそのつもりがなくても、前の発言含めると否定っぽく聞こえるぞー」
「うぐっ」

 征の突っ込みに、入鹿は呻くような声を漏らした。

「なんつーか、もう少し言い方が……」

 征がそう言い掛けた時、授業開始のチャイムが鳴り始め、それと同時に次の授業の担当教師が教室に入ってくる。
 そうなってしまえば、話を続ける事など出来ないのは明白で、話に参加していた面々は消化不良感を感じながら、自分の席に戻っていった。
 その中で、ずっと自席に座ったままだった紫雲は入鹿を、その表情を視線で追いかける。 
 眉を顰め、軽く唇を噛んでいた、何処となく不満げな彼の表情が紫雲は気に掛かった。










「あー。そりゃあ、あれだ。新城がジオラマ研究会に入ってるからだろうな」

 少し時間が経って放課後。
 ホームルームが終わり、人がまばらになった教室で、入鹿の様子が気に掛かった紫雲が征に知っている事がないか尋ねると、彼はそう答えた。

「まぁジオラマ研究会らしくジオラマを作ってるのは事実だけど、実際の活動はジオラマを使っての写真撮影や動画作成なんだけどな」
「写真に、動画?」
「見てみた方が早いな」

 そう言うと、征は自身の携帯端末を手早く操作し、表示したページを紫雲に見せた。
 そこには簡素な装丁で慶備高校ジオラマ研究会・WEB支部と記されており、簡単な説明と共にジオラマ写真や動画へのリンクが貼られていた。
 紫雲は、征の許可を得てから、その動画や写真を幾つか閲覧した。

「わぁ……! 凄い、これがジオラマなの……?!」

 写真や動画で展開されていたのは、紫雲も知っているロボットアニメや怪獣映画のロボットや怪獣が、ジオラマの街や山林を舞台に躍動感たっぷりに画面狭しと動き・暴れ回る姿だった。
 おそらくロボットや怪獣の可動フィギュア、プラモデルを少しずつ動かし、アニメーションさながらに撮影、編集する事で制作しているのだろう。
 かなり丁寧に作っているのは素人の紫雲でも窺い知れた。
 基本、動画が短時間だったのはクオリティの維持の為、なのだろうか。
 なんにせよ、紫雲は眼をキラキラさせて感嘆の声を上げた。
 そんな紫雲に苦笑しつつ、征は頷く。

「ああ、そうらしいな。
 こういうのを作ってるのを考えると、あの発言も仕方ないって思えるよなぁ」

 ヴァレットにいてもらったら少し困る。フィクションが作り辛くなる。
 入鹿のあの発言は、本来ありえないものを描く創作者全般が、本来ありえないものが現実に現れた時、多少なりとも抱く気持ちなのかもしれない。

「それに、ジオラマ研究会、潰されるかもしれないらしいし。精神的に余裕がないのかもな」
「ど、どうして? こんな凄い作品を作れるのに……」
「ぶっちゃけ人数だな。
 去年までは研究会じゃなくて部だったんだが、今年一気に人数が減って格下げくらっちまったんだ」

 征の話によると、ジオラマ部は昨年度卒業した面々が主立った活動メンバーだったらしい。
 彼らが抜けた事で興味半分でなんとなく参加していた現在の三年が抜けて、入鹿だけが残された。
 あまり人と接するのが得意でない入鹿は勧誘もままならず、現状の一人活動に至る。
 今まで制作したジオラマ含め、機材豊富ではあったが、一人では出来る事がどうしても限られてしまう。
 現に去年までの動画は、先程紫雲が見た動画より長時間かつより高いクオリティだった。
 その辺り部活動を統括している生徒会もちゃんと調べていたらしく、部から研究会へと格下げさせられてしまった、との事だ。

「今はまだお情けで教室も与えたまんまだが、それもいつまで続くか」
「でも、ちゃんと活動してるんだし。それにほら! 動画を見てる人だって結構いるし……」
「俺もそう思うんだが、再生数がなぁ。去年までに比べて眼に見えて落ちてるからな」

 去年までの動画は、再生数トップのものは100万回ほど再生されていた。
 だが、今年度の動画はトップでも1万がやっと。
 これでは生徒会に色々言われても仕方がない、というか生徒会の立場的にも仕方がないのだろう。
 専用の場所・教室すら与えられない同好会、研究会もあるので、現在の処遇はまだジオラマ研究会を慮っているものだというのは紫雲にも分かる。

「でも、こんなに再生数が落ちるなんて……クオリティ自体は極端に落ちてないのに」
「まぁ、なんというか、この街の状況のせいもあるんだろうなぁ」
「え?」
「ほら。大体去年くらいから変な出来事が激増し始めてただろ? それに半年前からはヴァレットも現れてるし」
「あ……」
「ああいう、フィクション顔負けの現象がそこかしこで起こって、それが世界に認知されてきてるとなぁ。
 当然そういうのに向ける審美眼的な何かも厳しくなるっていうかなんていうか。
 本来、フィクションと現実はどんなに近くなっても、それはそれ、これはこれ、なのにな。
 あ、二次元美少女は別な」
「……」
「スルーされたっ?!」
「あ、ごめんごめん。でも、それはさておき」
「さておかれたっ!?」
「ごめん。後で話はちゃんと聞くから。それで、えと、相談があるんだけど……」










 紫雲達がそんな会話をしていたのと前後して。
 ホームルームが終わった直後、部活棟にある部に……いや研究会に与えられた教室で、入鹿はノートパソコンを開いていた。
 そこに映るのは昨日撮影していたヴァレットが雨雲鯨と戦う姿だった。
 流星さながらに空から舞い降り、箒に乗って縦横無尽に上空を駆け巡り、CGが裸足で逃げ出す現実の魔法を繰り出すヴァレット。
 その姿を見つめて、入鹿は思案した。
 いかにすれば、これを越えるインパクトのある動画を作れるのか。
 臨場感を出す為の平赤羽市のジオラマは、昨年までいた先輩達により半分は完成している。
 後はどんな『登場人物』を使って、どんな動きを見せるべきなのか。
 その感覚を掴むべく、入鹿は脳裏に様々な情景を展開させ、時折ジオラマの上で可動フィギュアにポーズを取らせてみたり、過去に作った試作動画を眺めてみたりした。
 だが。

「あー、くそ……!」

 色々やってはみるものの、これといったものが思い浮かばなかった。

「やっぱりアレを試してみるか……いやいや、それこそ敗北だ」

 去年までは先輩達と相談し組み上げていた事もあり、一人では明確なビジョンを作るのに時間が掛かりすぎてしまう。
 やはり改めて部員を勧誘・募集するべきかもしれない、入鹿はそう考えた。
 少なくとも部員が増えれば生徒会も教室取り上げは言い難くなるだろう。
 だが、基本人見知りの自分に可能だろうか?

「可能性があるとすれば……」

 思い浮かべるのは、同じクラスにいる、あの二人。
 全方向に手を伸ばすオタク野郎・久遠征。
 正義の味方好きで特撮も好きなクラス認知の御人好し・草薙紫雲。
 あの二人なら、頼めばあるいは……。

「いやいやいや、駄目だ」

 久遠は特撮やジオラマの知識も多少なりともあるだろうが、基本美少女関係大好き人間。
 ジオラマに美少女キャラを登場させろと言い出しそうだし、さっきも自分の意見に否定的だった。
 草薙は、ヴァレットについての意見を呟いた時、戸惑いの他……微妙に悲しそうな顔をしていた。
 微妙ではあったが、こちとら細かいところに目を行き届かせて何ぼのジオラマ研究会会長だ。そのぐらい気付く事はできる。
 多分草薙はヴァレットに好意的な人間なのだろう。
 そんな人間に、ヴァレットの存在やインパクトを越えるような映像を、と強制して作ってもらえるとは思えない。
 何より、あんな顔をさせてしまった自分が協力を仰ぐなど虫が良すぎる。

 そう、虫が良すぎる。
 二人とも普段趣味に近い話に付き合ってもらっているだけでも正直ありがたいのだ。
 これ以上は我が侭になる。

 となれば、自分一人で考えるしかない。
 ちょくちょく生徒会長が様子を見に来ている事を考えると猶予はあまりない。
 下手をすれば明日明後日にも部室明け渡しの要請が来てもおかしくない。
 活動資金は自分でバイトなりすればいいとしても、機材を置ける場所を取られるとジオラマ研究会的には致命的だ。
 この教室に見合うなんらかの成果……再生数なり、新作動画なりを早く提示しなければならない。

「あと、少し、あと少しなんだよな」

 少し前から何かが生まれ出るような感じがしていた。
 今までのアイデアとは違う感じがする、だが凄さを確信させる何かが。
 そして、それは昨日ヴァレットの活躍を見てより強くなっている。
 刺激を受けたという事なのかどうか分からないが、さっきまでのどん詰まり感とは裏腹に、今にでも何かが生まれそうな、そんな気がしていた。 
 そうしてその感覚に没入していたからか、入鹿は少し前から響いている戸を叩く音に気付いていなかった。

「誰もいないのかな……えっと、すみません、ちょっと失礼します」

   何度もノックしたのに反応がなかった事から、誰もいないと判断して教室に入ってきたのは、紫雲だった。
 誰もいなければ少し待たせてもらおう……そう思いながら紫雲が足を踏み入れた、その瞬間。

「……キタ――――ッ!?」
「わっ! あ、よかった。新城君いたんだ……え?!」

 紫雲が教室に入ったそのタイミングで、新城の体から緑色の光が放たれ、その光はやがて集まり彼の頭上で緑色の光球を形作っていく。
 その、直径一メートルほどの大きさの光球が完成すると同時に、入鹿は気を失った。
 だが、彼の身体が地面に倒れる事はなかった。
 光の玉から伸びた何本かの細い糸が入鹿に繋がり、まるでマリオネットさながらの状態となる。

「あれは、概念種子、の暴走……!?」

 紫雲は慌てて入鹿に駆け寄ろうとするも、光球から放たれた不可視の衝撃波に吹き飛ばされる。
 動揺は最小限にし、綺麗に着地する紫雲だったが、その間に光球はボコボコと泡立つ様に膨張しながら開け放たれていた窓から飛び出していく。
 勿論入鹿を伴ったままで。

「っ……ジオラマとかは無事か……って新城君っ!」

 窓から飛び出した光球は入鹿を飲み込み、巨大化・変形し、やがて一つの形を取った。
 それは、港に並んでいる大きな倉庫のような風体の建物に2本の足と、8本の腕を倉庫の屋根から生やした『何か』。
 紫雲は立ち上がりながら、足元に気をつけながら地面に降り立った『何か』をキッと見据えた。

「新城君、待ってて。すぐに助けるから」

 言うや否や、紫雲は教室のカーテンとドアを締め切り、改めて周囲に誰もいない事、起動中のカメラの類がない事を確認して叫んだ。

「マジカル・チェンジ・シフトッ! フォー、ジャスティス!!」

 開放の合言葉、キーワードを唱え終わると、
 紫色の宝石が紫雲の胸から生まれ出て、その宝石は巨大な絵筆へと形を変える。
 それに続き、彼女の胸の辺りから服がオセロをひっくり返すように組み替っていく。
 慶備高校男子制服から黒と紫で彩られた装束へと。
 そうして衣装が変換された後、髪が腰まで届くほどに伸びると共に紫色へと変わり、最後に顔の大半を覆う半透明のバイザーが形成され、変身が完了する。
 そう。『彼女』の名は、ヴァレット。
 今、平赤羽市で最も有名な、ヒーローにしてヒロインたる、正義の魔法多少少女。

「……行きますっ!」

 手の動きと連動させた不可視の力でカーテンを開け放った後、
 側で浮遊・待機していた絵筆に向けて、あるいは自分自身に向けて宣言した後、ヴァレットはカーテンの外へと飛び出した。

「しん……いえ、貴方!」

 自身よりも先に外に飛び出した絵筆に飛び乗り『何か』……の周りを旋回しながら、ヴァレットは入鹿に向けて呼び掛けた。
 名前を呼ばなかったのは、それの中にいるもの、それの発生要因となっているものを周囲に悟られない為である。
 これは『概念種子』と呼ばれる、十年前に降った不思議な雪が要因となって発生した、平赤羽市の住人の一部に定着した特殊な力を生み出す才能、あるいは因子の暴走である。
 ゆえに生み出した本人に大きな責任はない……少なくともヴァレットはそう考えていた。
 ヴァレットのように本人の意志で『概念種子』を自在に操る者もいるが、
 多くの場合は、自分の力を自覚していなかったり、精神的な欲求が極限まで高まったりすると、力そのものが本人の意志を越えて勝手に動き出してしまうのだ。
 昨日の雨雲鯨しかり、今までヴァレットが封印してきたモノ達しかり。
 本来『概念種子』の力は、いずれこの世界に訪れる強大な敵に立ち向かう為の力。
 なのだが、それが来る以前に力を悪用したり、暴走させたりで世界に悪影響を与えるような騒ぎを起こし続けてしまえば、色々な意味でそれ以前の問題になってしまう。
 それを可能な限り防ぎつつ、いずれ来る敵に立ち向かう準備を進めるべく、ヴァレット=草薙紫雲は活動している。
 もっとも、ヴァレットが活動する最大の理由は、ヴァレット=紫雲が持つ『困っている人は見過ごせない。可能な限り助けたい』という正義感によるものなのだが。
 上記の理由は、その正義感に連なり、時にイコールとなるというだけだ。
 そして、今。
 ヴァレットは自身の内側から湧き上がるその思いに従い、入鹿を助けるべく声を掛けていた。

「意識を取り戻してくださいっ! これ以上暴走させたら何が起こるか分かりません! だから……!」

 しかし、倉庫の巨人はその声に何の反応も示さない。
 それ自身も自分がなんなのかに呆然としているのかもしれないが、いつまでもこのままというわけにはいかない。
 この状況をどうしたものかとヴァレットが考えていた矢先。   

「うわ、なんだこれ!?」
「あれ見ろよ! ヴァレットいるぞ!」
「おおお、すげぇ!」

 まだ学園に残っていた生徒達が状況に気付き、騒ぎ出し、あまつさえ一部のものは無警戒にグラウンドに入ってくる。
 先程倉庫の巨人が地面に降り立った事で逃げ出した、グラウンドで部活動をしていた面々も目立った動きがない事から距離を置きつつも様子を窺うようになっていた。
 ……彼らは気付いていなかった。彼らの口にしたヴァレットという単語に反応し、巨人の身体が微かに震えた事を。

「皆さんっ!
 危険……かどうかはまだ分かりませんが、不用意に近付かないでください!
 ああぁ、近付かないでくださいってばぁっ!」

 ヴァレットの声が届いているのかいないのか、一部の生徒……紫雲達のクラスメートだった……がある程度近付いていく。
 次の瞬間、グラウンドに降り立ってからは呆然としていた倉庫の巨人の腕の内、何も手にしていない何本かが動いた。

「いけないっ!」

 その動きを危険視したヴァレットは絵筆を急発進、その勢いのまま腕の一本に衝突、生徒に向けて伸ばされたそれを弾き飛ばした。
 直後絵筆から飛び降りながら、それとは別に伸ばされた、掌の大きさですらヴァレットの数倍近くある腕を手刀一閃、こちらも弾き飛ばす。

「大丈夫ですかっ!」
「あ、ああ、サンキュ」
「……あ、ヴァレット! あっち!!」

 突然の展開に驚いてか、腰を抜かしたらしく尻餅をついた男子生徒達が声を上げ、指をさす。
 その先には、こちらに伸ばしたものとは反対側の腕を伸ばし、反対側のグラウンドにいた生徒達を捕まえようとしていた。

「……行って!」

 そうはさせじとヴァレットは近くに待機していた絵筆に命じた。
 命を受けた絵筆はヴァレットを乗せないまま腕の周囲を飛び回り、腕の動きを牽制する。
 その間にヴァレットは圧倒的な駿足で一秒と掛からずに数十メートルの距離にいた襲われていた人々の側に駆け寄った。
 そうして皆を背中に庇いながら、ヴァレットはこの場にいた全員に呼び掛ける。

「皆さん、今の内にこの場から離れてくださいっ!
 この巨人は、私がなんとかします! ……!?」

 瞬間、自分に迫る気配、空気の流れに気付き、ヴァレットは大きく跳躍した。
 数十メートルほど上空に到達した時点で、自分がいた辺りを見ると、そこでは蚊を押し潰すように巨人が手を合わせていた。
 それを見た事で、ヴァレットは巨人の本当の狙いを察した。

「……そういう事か」

 呟いた直後、巨人の腕四本がヴァレットに向けて殺到、彼女を掴み覆い隠した。

「あっ!?」
「ヴぁ、ヴァレットが!!」

 至る所で状況を見ていた人々の声が上がるも、巨人はまるで意に介さず。
 そのまま誰の視線など気にするものかとばかりに、自身の口に当たる倉庫の出入り口をガラララ……ッと重い音と共に開き、その奥へとヴァレットを押し込んだ。

「やっぱり私が狙いか」

 腕の一つに捕まり、捉えられたまま、闇に包まれた巨人の内部、奥の奥へと運ばれながらもヴァレットは冷静だった。
 自身が狙いと分かった瞬間に抵抗を止めて捕獲される事を彼女はあえて選択したのだ。
 そうする事で恐らく外での暴走は収まる筈と踏んだのだが……。

「クラウド! 聞こえる?」
『ああ、聞こえる。そして君と絵筆の視界から状況把握している。
 君の予想通りだ。外の巨人は君を内部に入れてから動きを停止させている』
「とりあえずはよかった……。後はこの中にいる新城君を助けてから種子を封印しないと」

 自身に纏わり付く様な空間内の空気に違和感を覚えながら、ヴァレットは呟く。
 概念種子並びに異界能力封印・消滅能力を状況により取捨選択できる『イレイズ・ブレイク』なら、外からでも種子封印は可能。
 だが、取り込んでいる新城入鹿の位置も分からずにそれを行えば、位置によっては落下・怪我をさせかねない。
 そんな理由もあり、内部状況の確認、並びに新城入鹿の救出の為に、ヴァレットは自身を捕獲させる事を選択したのである。

「……む」

 そんな中、気付けば闇を抜け、ヴァレットは広々とした空間に到着した。

「ここは、平赤羽市……?」
『の、ジオラマだね。まぁジオラマというより特撮のセットだけど』

 巨人の内部に広がるのは、平赤羽市を何十分の一かの縮尺で再現した世界だった。
 あきらかに外から見た巨人の大きさに見合わない広さである。

『おそらく、概念種子『箱庭』の能力だね』
「なるほど」

 納得した声を零しながら、ヴァレットは周囲を見渡した。
 天井には何十もの巨大な照明、そしてそのすぐ下に怪獣やロボット、ヒーローの着ぐるみが糸か何かで数百体ぶら下がっていた。 

「……っ! 新城君!」

 そんな世界の片隅、不自然に切り取られた空間に椅子が一つあり、そこに気絶したままの新城が座っていた。

「新城く……いえ、そこの貴方!!」

 自身が彼を知っている事を隠すべく呼び方を変えて、ヴァレットは呼び掛ける。
 彼女の声が届いたのか、たまたまタイミングが合ったのか、入鹿は身じろぎしながら目を覚ました。

「う、ううん……? ここは……え?! な、なんだここ!?」
「貴方、怪我はありませんかっ!?」
「え? ヴァレット……?! あ、うん、怪我は、ないけど」
「よかった……」

 はぁ、と心底からの安堵の息を零すヴァレット。
 そんな彼女の存在や様子に戸惑いながら、入鹿は問い掛けた。

「こ、ここは一体……?」
「ここは……貴方の持つ特殊な力が生み出した巨大な構造物の内部です」

 少し躊躇いながらも、ヴァレットは真実を告げる事にした。
 彼自身が能力を制御する事を願い、望んで。

「僕の……」
「手足を動かすように、自分との繋がりをイメージしてみてください。
 それが真実だと分かるはずです」
「わ、わかったよ」

 ヴァレットの言葉に従い、入鹿はイメージする……そうする事で彼は直感・理解した。
 これが自分の中から生まれ出たものなのだ、と。

「……ほ、ホントだ……」
「私は、こうして時折暴走してしまったりする能力の封印を行ってるんです」
「封印……」
「はい。
 ですが、暴走したり、悪用したりがなければ、封印を行うつもりはありません。
 こうした能力は、使い方によっては誰かや何か、自分自身の助けや救い、力になる筈だと思ってますので。
 なんとか、制御できませんか?」
「……。よ、よく分からないけど、分かったよ、や、やってみる」

 入鹿がそう言うと、ヴァレットは笑顔で頷いた。

「お願いします。
 もし現時点で制御が難しそうだったり、今の自分には必要ないと思った時は言ってください。
 その時は一時的に封印させていただきますので」

 その笑顔になんとなくの気恥ずかしさを覚えながらも、入鹿はイメージした。
 ヴァレットの解放や、能力の収縮、そういったものを。
 だが。

「!?」

 次の瞬間、天井にぶら下がっていた怪獣達の内何体かが、何かが切れる音の後、地面に落下・着地。思う様に動いていく。暴れていく。
 その様子を、いつの間にか設置されていたカメラが撮影していた。

「なんで!? 僕は、こんな事を考えて……!」

 考えてない、とは言い切れなかった。
 この世界で自由自在に撮影できたら楽しそうだとは思ってしまった。
 だが、あくまでそれは微かにであり、入鹿本人は能力の停止を強く考えた、はずだった。
 そんな入鹿の心の中を自問自答が駆け巡る。
 本当に停止を強く思ったのか?
 本当に願っていた事はどちらなのか?
 自分は嘘をついていたのではないか?
 そんな中。

「ちょっ、や、やめてくださいっ!?」

 ヴァレットの慌てた声が耳に入り、入鹿は思考により俯き加減だった顔を上げて、彼女のいた辺りへと視線を向けた。
 そこには、腕から解放されているにもかかわらず、中空で静止し、無抵抗で服を脱がされようとしているヴァレットの姿があった。
 そんな彼女の周囲には、ヒーローやロボットの着ぐるみが取り囲んでいる。
 どうやら、彼女にそれらのどれかを着せようとしている、さらにはその上で下の怪獣と戦わせようとしているらしい。

「ヴァ、ヴァレット!? か、解放されたんだろ!? 逃げてよっ!」
「さっきの腕は、何処かに行ったんですけど、なんというか、この空間自体が巨人の手みたいなもの、みたいなんです……!」

 どうやら巨人は、自身の内部の空間そのものを手足のように扱えるらしい。
 なのでヴァレットは解放されても『掴まれた』ままだったのである。
 それどころか、自在に空間を動かせるのであれば、単純に巨大な手に掴まれていた時より性質が悪い。
 見えない無限の手が周囲を囲んでいるようなものなのだ。
 これにはさしものヴァレットも抵抗が難しいらしく、服を脱がせようとする動きを完全に防げない状況に陥っていた。

「くっ!? ちょ、やめっ!?」
「ぶっ!?」

 遂にスカートをずり下げられ、純白の簡素な下着が照明の下で露になった。
 さらには。

「いやぁあっ!? ちょ、やめてください〜っ!?」

 上着を捲り上げられてしまい、その下に覆い隠されていた二つの膨らみが外気に晒される。
 ヴァレットの年相応以上な双丘は、下着の類は付けていない事、強引に捲り上げられた事とヴァレット自身の抵抗もあり、瑞々しく跳ねた。

 入鹿は、その様子を目の当たりにしていた。思わず釘付けになっていた。
 興味がないと言ったら大嘘だ。ましてや、ヴァレットだ。

 だが。それでも。

 こちらの視線を意識してか、ヴァレットがより顔を赤らめ、仮面の奥、眼の端に小さな涙を浮かべているのを目の当たりにして、入鹿は強く、ただ強く胸が痛んだ。
 直後、巨人内部の全ての動きが、怪獣が、ヴァレットの衣服を脱がそうとする手が、カメラが、全てが停止した。
 その瞬間、思いの丈を込めて、入鹿は叫んだ。

「もう、いい! こんなの、いらないっ! ヴァレットっ! 封印してっ!」

 こんなものが、自分の本心なら、自分自身だというのなら、その方が良い。
 自分はただ、凄いジオラマを作って、そこを舞台にした作品を作りたいだけなのだから。
 こんな能力がなくたって、女の子を泣かせなくたって、その望みは叶う。だから、いらない。いらないのだ。
 これすらも自分の本心でないのなら、そんなものは無視してしまって構わない。そう思い、叫んだ。

 そうして叫んだ先にいたのは、半裸の少女。
 入鹿の叫びを聞いた彼女は、先程までの羞恥心や動揺を一瞬で心の奥に折り畳み、いつもの凛々しい表情へと戻った。
 そう、ヴァレットとしての彼女に。 

「……承りましたっ! はぁぁぁぁぁぁっ!!」

 凛々しい笑顔で力強く返答したヴァレットは、いざという時まで――入鹿が答を出すまではと温存していた全力を振り絞った。
 全身から紫色の魔法の光を立ち上らせて拘束を断ち切ったヴァレットは、コートとマフラー、紫色の紙を棚引かせながらクルリとその身を翻らせた。
 再び入鹿の視界に入った姿は、既に衣服を完璧に正していた。
 そんな彼女を捉えようと透明の手が殺到しているのだが、最早それはヴァレットを縛れない。
 意に介さず、ヴァレットは堂々と入鹿の元に舞い降りた。

「ここから脱出して、封印を行います。構いませんか?」
「……うん。頼むよ」

 入鹿の願いに力強く頷いたヴァレットは、入鹿を抱え上げる。

「あ、う」
「すみません、恥ずかしいかもしれませんが少しの間辛抱願います」

 そう言って、ふわりと浮かび上がったヴァレットは、来た道へと向かって移動を開始した。
 絵筆に乗っているほど速度は出ていないが、それでも道路を行き来する車やバイクよりは速い。

「み、道、分かるのっ!?」
「ええ、大丈夫です。入る前に糸は繋げておきましたから」

 その言葉の直後、ヴァレットの手首がキラリと輝く。
 そこには紫色に光る細い細い光の糸が巻かれており、その先は何処かへと繋がっていた。
 糸の先に向かって飛ぶ事数十秒、二人の進行方向に外の風景が映る。
 だが、それを閉ざさんと、扉が閉まり始める。
 しかし、ヴァレットは全く慌てる事無く冷静に”命じた”。

「しっかり捕まっててください。……お願い、巻いてっ!」 

 糸が一際強く輝いた次の瞬間、二人の飛行速度が急激に上がった。
 否。飛行速度が上がったわけではない。
 外にいる何かにより、さながら釣竿から伸びる釣り糸がリールを回す事で回収されるように引っ張り上げられていた。
 ヴァレットの推進力に、その力が加わった事により、圧倒的な速度を得た二人は扉が閉じる直前、外への脱出に成功した。

『おぉぉぉぉっ!』

 外で様子を見守っていた人々から歓声が上がる。
 周囲の声の中で、飛行したまま法力の噴出口から糸を繋げていた絵筆を回収したヴァレットは上昇、人のいない校舎の屋上に入鹿を下ろした。

「少し待っていてください。すぐに終わらせます」

 そう言い残して再び空に舞い上がるヴァレットに、怒り狂ったかのように腕が殺到する。
 だが、それは絵筆に乗ったヴァレットをまるで捉える事ができない。
 それどころか、縦横無尽天地無用な動きに翻弄され、互いの手の動きを阻害するばかり。
 そして、それはこれ以上ない隙となっていた。

「……さぁ、描き直しの時間です。
 エアパレットホワイトっ! イレイズ・ブレイクっ!!」

 大きな隙を露呈した瞬間、ヴァレットの掲げ構えた絵筆の噴出口から炎のように吹き上がる白光の絵の具が倉庫の巨人の前面部にVの字を描く。
 直後、刻まれた白線から光が巨人の全身に広がり、やがて最後の輝きとばかりに一際強く輝いた後、倉庫の巨人は消滅していった。
 消滅の中、巨人から脱出した緑色の光球は、辺りをクルクルと彷徨いながら、最終的にヴァレットの絵筆に吸収された。

「概念種子『箱庭』、回収・封印完了」
『おおおおっ』
「すっげー!」

 そうした歓声が上がる中、ヴァレットは入鹿のいる屋上へと再び降り立った。
 その姿を見た入鹿はヴァレットにふらふらと近付いていく。
 入鹿の接近に気がついたヴァレットは、自身の持つ『絵筆』を空いた手で指差しながら言った。

「……貴方の持つ概念種子『箱庭』は、今現在この筆を通して私が預かっています。
 望むのなら今貴方にお返しすることも出来ますが……」
「いや、いい。僕には、今の僕には、いらない」
「そうですか。……勝手な事をしてしまったのであれば、心よりお詫びします」
「あ、頭上げてよ! そ、それはむしろ、僕の方だ!!」
「どうしてですか? 貴方は悪くない。今回の事は、不幸な偶然が重なっただけです。
 怪我人も出ませんでしたし、何かを壊したわけでもない。
 貴方が気に止むような事は何もないんです」
「そんな事、ない。少なくとも、君、には嫌な想いをさせた……!」

 そんな入鹿の発言に対して、ヴァレットは口を開きかける。
 だが、それは矢継ぎ早に吐き出された入鹿の言葉で遮られ、霧散した。 

「その、僕はさ、つぶれる寸前のジオラマ研究会の会長をやってるんだけど、その、色々焦ってて。
 ヴァレットみたいに凄い奴がたくさんいるこの街で、ジオラマとかそれ撮った動画とか作っても誰も見ないんじゃないかとか思って。
 だから、一番目立ってる君の事、心の何処かでいなくなっちゃえなんて思っててたのかもしれなくて」

 あの巨人の中身で『自分』が何をしようと思っていたのか、明確には分からない。
 だがヴァレットを玩具として『弄ぼう』としていたのは、多分間違いがない事で。
 入鹿はそんな自分が許せなかった。

「だから、本当に、ごめんっ!!」

 だから、入鹿は頭を下げた。
 そんな入鹿に、ヴァレットは少し考えた末に尋ねた。

「本当に、悪いと思ってるんですか?」
「ああ、本当にそう思ってるよ……」
「じゃあ、お願いを一つ聞いてくれますか?」
「僕に出来る事なら……」
「ええ、きっとできます。
 これからも貴方が作りたいと思う限り、素敵なジオラマと作品を作り続けてほしい。
 それが私のお願いですから」
「え……?」

 戸惑う入鹿に、ヴァレットは穏やかにただ微笑みながら言葉を紡いでいく。

「貴方は、私みたいな人間がいれば現実離れしたフィクションなんか必要ない、そう言いましたが。
 そんな事はないと私思うんです」
「ど、どうして?」
「だって、私自身特撮とかヒーロー映画とかアニメとか、大好きなんですもん」

 その一瞬、ヴァレットはそれまでの微笑みとは趣の異なる、ニッカリとした爽やかな笑顔を浮かべた。

「え?」

 彼女のその笑顔、言葉は入鹿にとって意外過ぎた。
 ヴァレットのような現実の超常存在にとっての当たり前である『そういったもの』はくだらないものでしかない、そう思っていたから。
 だが、彼女はそんな入鹿の考えをいとも簡単に打ち壊す言葉を続けていった。

「ああいう作品を見ることで、私はもっと頑張ろうって思えるんです。
 あの作品のヒーローみたいに強くなりたいとか、ああいう能力使ってみたいとか……何より、素敵な作品で活躍する正義の味方のような、ちゃんとした正義の味方になりたいって思えるんです。
 だから、そういった作品は私の心の支えなんです。今も、昔も」
「……」
「きっと、誰だってそうだと思います。
 私なんか歯牙にもかけないような強い人でも、心の支えはきっと必要です。
 どんなに体や能力が強くでも、心はずっと強くいられませんから。
 皆に夢を与えるようなフィクションは、個々の強さに関係なく人の心を支える力になってくれます」
「でも、僕のジオラマとかは、そんなたいそうなものじゃ……」
 ストーリーがあるモノではなく、ただフィギュアをジオラマをかっこよく見せていただけ……そう言い掛けた入鹿を、今度はヴァレットが遮った。
「誰かの心を一瞬でもときめかせるものは、十二分に大層なものです。
 少なくとも、私はときめきましたよ?」
「へ? えぇっ?!」

 入鹿は戸惑うものの、ヴァレットはそれ以上は語らなかった。
 ただ笑みを浮かべるばかりのヴァレットに、その件についてこれ以上の詮索は無理だと判断した入鹿は、その代わりになのか、なんとなく往生際悪く呟いた。

「……で、でも、やっぱり、無理だ。
 折角だし、そうしたいけど、一人じゃ僕は……」
「それなら、大丈夫です」
「え?」 
「貴方の身近には、貴方と一緒にジオラマを造ってくれる人がいます。
 少なくとも二人はいます。ええ、断言しちゃいますとも」

 そう言いながら、ヴァレットはフワリと空に浮かび上がっていく。

「きっと近い内にその二人は来てくれますが、
 もし万が一、それが叶わないのであれば、その時は私がお手伝いします」
「えぇぇぇえっ!?」
「まぁ、あくまで万が一ですが、約束します。
 だから……ジオラマ研究会、頑張ってくださいね」
「え、あ、ちょ……」
「それでは、失礼します」

 そう言い残して、ヴァレットは空の彼方に消えていった。
 今日は流星というには歪な軌道だったが。
 入鹿は、呆然とそれを見上げていた。その時は、そうするしか出来なかった。










 そんな事があって数日後。

「とりあえず、廃部&教室没収回避おめでとさん」

 ジオラマ研究会の部室で、征が拍手を送る。
 相手は、研究会会長の新城入鹿に他ならない。
 拍手を受けた入鹿は照れ臭そうに頭を掻いて、言った。

「ありがとう。君と草薙君のおかげだよ」

 入鹿がヴァレットに助けられた翌日。
 ジオラマ研究会に二名の入部希望者が現れた。……ヴァレットの言葉通りに。
 一人はここにいる久遠征。
 もう一人は、今ここにいない草薙紫雲。
 二人は元々ジオラマに興味があった事に加え、
 征は先日の会話の際、少し意地悪な発言をした事への侘び代わりとして、
 紫雲はジオラマ研究会が危機的状況にあると聞いて、入会を決意したのだという。

 入鹿はヴァレットの言葉通りになった事が多少複雑ではあったが、最終的にそれを受け入れた。
 それにより、今日の昼休み、生徒会長本人から廃部や教室没収に暫しの猶予を与えられる事が通達された。
 その結果を受けて、今日の放課後から改めて皆で活動していこうという事になったのである。

 ちなみに、先日二人を誘えない理由として考えていた部分は、
 征曰く『美少女キャラ推したいと思ってるのは事実だが、俺だって時と場所は考えるさ。それが彼女達に相応しい男としての度量ってもんさ』らしく、
 紫雲の方は『んー。まぁ好みは人それぞれだし。それはそれ、これはこれ。気にする事じゃないよ』らしい。
 ……まぁ、入鹿的に紫雲は、ヴァレットに助けられた後で考えていた事を話せば、元々問題にならないような気もしていたのだが。
 閑話休題。

「でも、久遠君も草薙君も幾つか部活に入ってなかったっけ?」

 この学園は、複数所属が認められている部活が多い。
 とは言え、掛け持ちが時間を圧迫するのは確かな事。
 その辺りが気に掛かって尋ねると、征は言った。

「俺は、どこでも臨時のアドバイザーみたいな役割ばっかだし余裕はあるさ。
 草薙は……ジオラマ研究会での経験は他の部でも活かせそうだし、むしろ積極的に参加したいって言ってたからな。多分大丈夫だろ」
「……えと、その、ありがとう」
「ま、俺は感謝されなくてもいいが、草薙にはちゃんと感謝しておくべきだと思うぜ。
 俺を一緒に入会しないかって誘ったのは草薙なんだし」

 あの日の放課後。
 ヴァレットが現れる少し前に、紫雲が征に持ちかけた相談の内容はそれだった。
 無理強いするつもりはないが、話題が合う人が一緒に楽しめる空間を作りたい……紫雲はそう語っていた。
 そして、征はそういう考え方が嫌いではなかった。

「……そっか。うん。そうしとくよ。……イイヤツだよね、彼」
「ああ、何せ正義の味方大好きなお節介焼きだからな」

 そこでふと入鹿の脳裏に何かが引っ掛かった。
 正義の味方が大好き。
 お節介焼きな彼女もまたそんな事を言っていたのだが……。

「しっかし、お前的には惜しいんじゃないか?」
「え? あ、な、何が?」

 その思考は征の発言への思考にシフトする事で霧散していった。  

「草薙が男な事だよ。
 あんなお節介焼きが男で、その相手も男だってのは勿体無い。
 いや、腐女子的には需要はあるかもだが。
 あの顔立ち、女で通しても違和感ないのになぁ」
「まぁ、そうかもね」
「俺は二次元が嫁だからいいけどさ。お前的には、もし草薙が女だったら、こんな趣味に付き合える珍しいヤツってなもんで告白してみたりなんかしたら青春薔薇色じゃね?と思うわけで。
 というかむしろ実は女だったりしてな」
「ははは、まさかー。漫画じゃあるまいし」

 二次元的出来事が溢れている平赤羽市ではあるが、そういう方向の漫画的出来事はないだろう。
 そうして男二人は笑い合った。










「へっくしっ! ……風邪かなぁ」

 その頃、噂の人物草薙紫雲は自宅への道をひた走っていた。
 折角ジオラマ研究会に入ったのだから、手持ちのヒーロー関係のフィギュアや玩具が何かの役に立つかもしれない……そう考えてとりあえず取りに帰っているところであった。
 そうして、走っているうちに、学園からそう遠くない場所にある少し古びた一軒家……自宅に到着する。

「お、愚弟」

 そこで紫雲は家から出てくる途中の実姉・草薙命に遭遇した。
 彼女は、ここからそう遠くない場所にある雑居ビル内の3フロアを使っての個人病院の主をしており、この位の時間は既に病院を閉めている事が多いのだが。

「姉さん。今から病院に戻るの?」
「いや、今日は予約もないからな。
 ただの晩飯の買い物だ。
 今日はカレーにしようと思うが……異論ないか?」
「それはいいねぇー。宜しくお願いします」
「ん。で、お前はどうした? 鞄も持たずに帰宅なぞ」
「あ、うん。昨日話したよね? ジオラマ研究会に入る事になったって。
 それで研究会で使えそうなものを幾つか持って行こうかなって」
「ああ、そういう事か」
「うん。じゃあ、僕は……」
「……愚弟、いや愚妹」

 家の中に入ろうと、姉の横を通り過ぎた直後、呼び止められ、紫雲は足を止めた。

「その研究会、男子2人なんだろう?」
「そうだけど」
「そして、お前とは趣味が結構合っている」
「そう、だけど」
「先祖代々の決まり事とは言え、頃合だろう。
 いい加減、男だなんて嘘吐いて学校にいくのはやめたらどうだ?」

 姉の言葉に、紫雲は唇を皮一枚程度薄く噛んだ。

「その2人はお前を男友達として接しているし、接していく。
 話を聞く限りだと趣味がかなり合うようだし、接する時間が増えればこれから更に親しくなれるだろう。
 だが、いつか嘘がバレた時、その関係は親しくなったからこそ……」
「……姉さん」

 そこで紫雲は、命に向き直り、真っ直ぐに彼女を見据えた。
 命が何を思って言っているのかを理解しているからこそ、ちゃんと向き合った上で。

「心配してくれて、ありがとう。
 でも、そうしないといけないことだから。少なくとも、今は」

 草薙家の特殊な事情と、紫雲がヴァレットである事を隠し、撹乱する為に。
 今はまだ隠さなければならない。

 草薙紫雲が、女である事は。

「……本当に、お前は頑固だな。愚弟」
「……ごめん」
「罰として今日デザート抜き」
「えぇっ!?」
「冗談だ。まぁ今日はカレーの味含めて私好みにするがね」

 そう言って、命は笑って見せた。意地悪げに、楽しげに。そうして紫雲と笑い合った。
 ……前後にほんの一瞬だけ零した負の感情を、弟を装う妹が気付いたかどうか。あえてそこは考えない事にした。










「まぁでも、ホントに女の子だったら……」
「だったら?」

 赤く染まったジオラマ研究会の部室で、少し考えてから入鹿は、言った。

「逆に緊張しちゃうだろうから、草薙君が男の方が助かるよ、僕的には」
「お、お前まさか」

 その返答に征は微妙に身を引いた。
 入鹿は慌てて手を振りながら征がしたであろう思考を否定する。

「いやいやいや趣味は一般的とは言えないかもだけど、そっちは流石にノーマルだからね?」
「ま、それはともかく」
「え、今なんでスルーしたの?」
「で? こうして来たんだ。そろそろ、どんな作品を作るのか、教えてくれよ。
 アイデアがあるとか言ってたろ?」
「……。ああ、そうだね。うん」

 追及しても無駄な気がしたのでそれは諦め、入鹿は質問に答えるべく仕舞っていたあるものを取り出した。
 机に置かれたそれを見て、征は少し驚いた。

「これは、ヴァレットたんの可動フィギュア……?」

 そう。
 全長10センチほどのソレは紛れもなくヴァレットを模したフィギュアであった。

「うん、市販の幾つかフィギュアの似た部分を組み合わせて改造して作ってたんだ」
「これ、随分前から作ってたんじゃないのか? 昨日今日でこの完成度は無理だろ」

 まだ塗装こそ完全ではなかったが、衣装のデザインその他は完璧に仕上がっていた。
 素顔についてはバイザーに隠れて……実はヴァレットのバイザーには認識阻害の魔法が掛かっている……分からないので、なんとなくぼんやりと思い描くイメージに従って可能な限りで再現したものらしいのだが。
 なんにせよ、一朝一夕で作れない事は推し量れる。
 そう思い尋ねると、入鹿は苦笑しつつ、頬を掻きながら答えた。

「まぁ、なんていうかさ。
 多分僕は……本当はヴァレットが嫌いじゃなかったんだろうって思う」

 ヴァレットが現れ始めてから。その存在を知ってから。
 入鹿は自分の『イメージ』を容易く越えていく彼女に苛立ちを覚えていた。
 だから、更にソレを越えていきたいと思い、それを常に忘れない為にもという理由で少しずつ彼女を作っていった。
 気に入らない彼女に『見張られる』事で身を引き締め、よりよい作品作りに繋げようと思っていた。
 だが、今にして思えば、それだけというわけでもなかったのだろう。

「多分本当は、彼女を主役に作品を作ってみたかったんだ」

 その気持ちを、入鹿は素直に認められなかった。
 自分の作品を簡単に越えていくような存在を、自分の作品に落とし込む事に抵抗があった。
 あるいは、実在の人物を作品に出す、という事に照れや躊躇いのようなものがあったのかもしれない。
 あるいは、彼女のいる場所こそ自分が本当にいたかった世界で、自分はきっとそこには入れないと思い込んで、嫉妬で不貞腐れていたのかもしれない。
 彼女のような突飛なモノが現実に存在している事に腹を立てていた事もまた事実だったので、気付いた時はどうしようもない矛盾に入鹿自身うんざりもした。
 だが数日前の出来事を経て、入鹿は気付いた。
 ヴァレットも、自分と同じ・近いものに憧れを抱く、自分と同じ世界に生きている存在・女の子なのだと。
 そして、だからこそ心の何処かで彼女に『憧れて』いたのだと。
 ヴァレット本人に出会い、助けられ、その人柄に触れる事で、入鹿はようやくソレを素直に認められるようになったのだ。

「この間の事件で、ヴァレットに助けられて、ソレがわかったんだ。
 自分が言った事を簡単に翻すのは、男らしくないかもだけど……」
「いんや、それは違うぜ、新城。
 ちゃんと気付いた本当の事をひた隠しする方がよっぽど男らしくないさ」
「久遠君……」
「だから、三人で作ろうぜ。
 現実に負けず、劣らず、それ以上のヴァレットの動画をさ。
 んで本人に見てもらって感想を……って、それは無理か」
「……いや」
「え?」
「きっと、何処かで見てくれてると思うよ」

 もしかしたら、ヴァレットの言葉は、あの時だけのリップサービスにしか過ぎないのかもしれない。
 自分の再犯を防ぐ為の、口だけのでまかせである可能性は否定できない。
 だけど。

『約束します。だから……ジオラマ研究会、頑張ってくださいね』

 そう言って、ただ真っ直ぐに自分を見つめていた彼女を、入鹿は信じたいと思った。

「だから、感想を貰える様な、凄い動画作り、手伝ってくれないかな」
「ああ、勿論」

 そう言って、男二人は笑い合う。不敵に、楽しげに。
 そこに負の感情は欠片もない。あるのはこれからへのワクワク感だけだった。

「ヴァレットたんに感想貰えるかもなら、尚の事頑張らないとなっ!」
「いや、うん、確実に貰えるかどうかは分からないんだけど……まぁ、いいか」

 それから約十分後。
 たくさんの荷物と共に戻ってきた紫雲は、二人から詳しい話を聞いて、色々と複雑な想いを抱く事となる。
 しかし、それがジオラマ研究会の方向に影響を与える事はなく、
 彼らは後にヴァレット公認の動画をネット上に発表し、それまで以上の人気を得て知る人ぞ知る存在になっていくのだが……それはまた別の話である。










 彼らは知らなかった。この時点では気付いていなかった。
 そんな彼らの会話に聞き耳を立てている存在に。

「……ふむ。もしかしたらヴァレットは……この学園の生徒かもしれないわね。
 だとしたら、学園新聞の枠を越えた大スクープになるかも」

 彼女……新聞部副部長・駆柳つばさは、そう呟いて不敵に笑っていた……。








 ……続く。






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