第12話 中と外・7
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
夕焼けに照らされ赤く染まった魔術師の男が呟く。
多少の騒動の後、食事を終えた灰路達はその後も多少ドタバタしつつも平赤羽市を見て回った。
僅かに悪くなっていた互いの空気もその中で解れ、最終的に彼らは中心街の駅前、から少し離れた路地で笑ってその日を終えようとしていた。
彼らが現れる際に乗ってきていたリムジンの再登場も彼らの一日の終わりを示すものの一つであった。
「今日は中々楽しかったよー」
「まぁ、そうですわね、ええ。悪くありませんでしたわ」
平赤羽市中心街を一部文字どおり飛び回って少し驚きの目で見られていた(市民はシャッフェンやヴァレット達で慣れているため)少年の言葉に、
征の先導によるオタクグッズ回収により、言葉とは裏腹にご満悦そうな少女が相槌を打った。
ちなみに彼女のグッズは彼らの一人、大柄の男に持たされている。
男は積めば山のようになるだろう大量のグッズを「機嫌が良いから持ってやる」とノリノリで一人抱えていた。
「それはよかった」
「うんうん、楽しいのはいいよね」
スイーツ食べ歩きでは一行を先導していた明の言葉に、櫻奈が笑顔で頷くが、その笑みは途中から苦笑いめいたものへと変化した。
「次もこうして一緒に遊べたらいいんだけどねー……」
「え? 無理なの?」
「不都合でもあるんですの……そ、それとも、わたくし達が振り回しすぎた……?」
「あ、いや、そうじゃないんだけどね?」
次に会う時は『戦う』事になるのだろう事を考えて表情が曇る櫻奈だが、
櫻奈がオーナである事を認識していない彼らには、その理由が分からないのは当然である。
そして、櫻奈自身もそれを上手く言葉にして説明出来ないので、どうしても濁ってしまうのだ。
「この子は優しいから心配なんだよ。
ヴァレットやオーナと喧嘩した後でも仲良く遊べる状況かどうかが」
少し困惑して言いよどむ櫻奈に助け舟を出したのは灰路だった。
彼は異能者達が自分に意識を向けるように一歩前に進みつつ、言葉を続けていった。
「だから、あいつらと喧嘩するのはいいが、街には迷惑をあんまり掛けないでくれよ」
内心若干ビビりつつも態度だけは堂々と灰路は告げる。
……そして、同時にワクワクもしていた。紫雲と共に不良連中と相対していた数年前のように。
「……ああ、そうだな。
他の誰かに迷惑を掛けるのは本意じゃない……私はそうだが」
「僕だって、まぁ、それなりに?」
「わたくしも迷惑を掛けられないなら掛け返そうなんて思いませんわ」
「俺も嬢ちゃんと同じくだな。因縁を吹っかけてこなけりゃ、な」
魔術師の男の返答に、一同はそれぞれに同意を示す。
それを聞き届け、皆の意思を確認した上で魔術師は改めて口を開いた。
「どうやら、そういう事らしい。
だから、一段落ついたら、また付き合ってやってくれないか、今日みたいに」
「……うん、そういう事なら喜んで! じゃあ、その時はまた……えっと」
笑顔の櫻奈の言葉が中途で停止する。
彼らの事をどう呼べばいいか分からなかったがゆえに。
それを察したようで、魔術師の男が小さく「ふむ」と呟いた。
「そう言えば、私達は名前すら名乗っていなかったな。
しかし、今はまだ本名を名乗るわけにもいかんし」
「そうだな……今後俺達を呼ぶ時は、トランプのあれだ、そのマーク的な、ほらスペードとか色々あるだろ」
「スートですわね?」
「それか? まあ、嬢ちゃんの言うそれでいいや。それで呼べばいい。
俺達丁度そういうマークが入ったマスクやらなにやらつけてたしな」
「あ、そう言えばそうだね」
「俺がスペード。嬢ちゃんがハート、ガキがダイヤで魔術師のオッサンがクローバー。だったか?
そういう事でどうだ?」
「そう呼んでいいってことなのかな?」
「そういうこった。お前らはどうよ?
ほら、今回はちゃんと意見を訊いてるぞ」
何処か自慢げな男の……スペードの言葉に、魔術師の男……クローバーは嘆息した。
「……おっさん呼びは不満だが、進歩も含めて、それでいいだろう。
ついでだ、我々全員をひとまとめにする時はトランプとでも呼べばいい」
「いいねー! なんか、映画とかのコードネームっぽい!」
「そうですわね、中々……悪くないかと」
二人の発言に、超能力者の少年……ダイヤは瞳を輝かせ、
機械を操る少女……ハートは、発言はクールっぽいが口の端が持ち上がるのを隠しきれていなかった。
そんな彼らの様子に、櫻奈はなんとなく「おおー!」と声を上げ、真唯子は小さく肩を竦めていた。
「……安直だけど、変に捻られて名前が覚え難くなるよりは良いわね」
「真唯子に同感だな。個人的には覚えやすい範囲でもう少し捻りたいところだが。
ハートのクィーンとか」
「それいいですわ! わたくしハートのクィーンね?!」
「……クィーンって外見かしらね?」
「同じような外見の人に言われたくないですわね?」
「アタシは女王なんて名乗ってないし」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて、ね。征お前、ホント余計な事言うよな」
「俺は自分に素直なだけだ」
「いや、なに自慢げにしてるんだよ……もう少し自嘲するべきだろ、久遠は」
そうして、彼らは暫しグダグダと会話を続けていった。
平赤羽市特有の、午後六時になると街の自治会が各地で流すBGMが始まる、その時まで。
「ははっ、ここにいるとどうにも話し過ぎちまうみたいだな」
「否定は出来ないな。普通に話せるのが久しぶりだからかな」
「まぁ、そうだな」
BGMに気を取られて会話が止んだ後、スペードとクローバーが呟いた。
なんとなく顔を見合わせた彼らは、これまたなんとなく顔だけだが笑い合っていた。
「いや、普通か? これ」
「普通だよ。……ああ、普通の会話だ」
灰路が入れた突っ込みにクローバーが答える。何処か感慨深げに。
直後、今日一日を締めくくるかのように、スペードが言った。
「お前ら、今日は楽しかったぜ。
そして思わぬ約束が出来て、ありがたかったぜ。
艮野だっけか。約束は守れよ。というか守らせろよ?」
「ああ、守るし、守らせる。
んで、アイツらはアンタらの期待に応えてくれる。楽しみに待ってろ」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
「折角こうして知り合った貴方達の知り合いでも手加減はしませんわよ?」
「うん、そうだね。手加減はしないね」
「……捕獲という目的は果たさなければならないからな。
だがそれは互いに全力を尽くした上でのこと。
手加減をするつもりはないし、されても困る」
「うん、もちろ……もがもが」
弾みで応えそうになる櫻奈の口を真唯子が塞ぐ。
それを「なにしてんだ?」と言わんばかりの表情で眺めていた彼らトランプだったが、
最終的にはただのじゃれ付き合いと思ったらしく「じゃあ、今度こそ、じゃあな」とリムジンに乗り込み去っていった。
『ふぅー』
そうして去っていった後、灰路達はなんとなく息を吐いた。
意図せず一致したそれに、それぞれ苦笑や薄い渋面を形作る。
……真唯子に口を塞がれていた櫻奈を除いて。
「……まったく、もう。余計な事を言わないの」
息を吐いた直後、櫻奈の口を押さえていた手を下ろして真唯子が呟く。
「認識阻害で気付けないとしても、会話的にフォローはしないといけないでしょうが」
「ごめんね、真唯子ちゃん。でもナイスフォロー!」
「はいはい」
「しかし……なんとかなってよかったよ」
「結構ビビッてたもんな艮野、と言いたい所だが、俺も内心は冷や冷やだったぞ。
思いの外、話して分かる面子だったからよかったが……ともあれ草薙達が帰ってくるまでは平和そうだ」
「だといいけど……」
「明?」
「……いや、気のせいだよ、うん」
「……お前の変な予感は割かし当たるからなぁ。外れる時もあるが。
やっぱり草薙に連絡だけ入れてた方がいいんじゃないか?」
「駄目ですよー。
そうしたら紫雲さん、こっこー、じゃなくて速攻帰ってきちゃうかもしれないし」
「……っ」
「どうした真唯子、急に明後日の方を見て肩を震わせて」
「……こっこーがツボにはまったんだろ、可愛かったから」
おそらく紫雲がこの場にいたら同じリアクションをしていたんだろうなぁと思いつつ呟く灰路。
「まぁ、それはさておきだ。
アイツには念の為に多少は説明しとこうかと今日の顛末をメールで送っておいた。
というか、昨日も一応送っておいたぞ」
「え? 大丈夫かな、それ」
「宮古守の心配は分かるが……それを見越したメール内容にしておいたからな」
櫻奈の心配どおり、事態を説明すると紫雲は、即座に帰る、とか言い出しそうである。
だが、そこは草薙紫雲である。
基本生真面目な紫雲は、約束やら良識、規律やらを持ち出されると弱い。
相手ときっちり約束したから大丈夫だと諭せば渋々ながら納得はするだろう。
(まぁ、それでも帰ってきそう気もするのがアイツのアイツたる由縁だが……)
街が危険だと彼女なりに判断すれば、紫雲は躊躇いながらも悩みながらも帰ってくる可能性が高い。
ただ、いずれにせよ、こちらにきっちりメールの返事を送ってきてからだろうが。
それもまた紫雲の真面目さであるがゆえに。
……なのだが、メールの返事はまだ来ない。
送ってから暫く経つのに全く返事がないのは、灰路がよく知る紫雲ではありえないことだ。
もしかして携帯を忘れていったから、なのだろうか?
しかし、それもまた物事全般に念には念を入れる、余念も油断も無い、真面目な紫雲らしからぬ事だ。
やはり、あちらにも何かしらが起こっていないかの確認も含め、一応電話で直接連絡を取るべきなのだろうか。
だがそうすると、電話をするほどの事態が起こっている、と彼女は判断しかねない。
その場合、杞憂であった時はこちらからの電話は薮蛇となる。
そもそもそうなっていたら、紫雲はこちらに何らかの手段で連絡を取ろうとするはずだ。
他の誰かなら心配を掛けまいと黙っている事も、自分には伝えてくれるはずだ。
……少し前まで隠されていたヴァレットの事は、まぁ例外として。
そうでない、という事は、携帯を忘れていった可能性が一番高いだろう。
紫雲だって人間なのだ、そういう時もある。
であるならば、いよいよとなったら電話すればいいだけの事だ。
「だから、とりあえずは大丈夫だろ」
その辺り全てを説明するのは面倒だったので、肝となる結論部分だけ灰路は口にした。
「うーん、紫雲さんは予定どおりの明日まではゆっくりしててほしいんだけどなー。
大丈夫かなー? 帰ってこないかなー?」
「うーむ。アイツ、まだまだ頭は固いからな」
それぞれの見方からだが、紫雲の、ヴァレットの真面目さをよく知っている二人はなんとも言えない、ほんの少し渋い表情で赤から黒へと染まりつつある空を見上げた。
その向こう側にいる彼女が、過剰な真面目さを発揮しない事を願いながら。
「凪と喧嘩したんだって?」
「うん……」
時間としては多少後。
その、時折過剰な真面目さを発揮する紫雲は、姉と一緒に草薙家の風呂場にいた。
ここの風呂場は、温泉施設程ではないが一度に数人余裕で入る事が出来る程度の広さがある。
かつて大勢で暮らしていた名残を残したままの改装の結果である、というのは紫雲も知っている事実である。
閑話休題。
そんな一般家庭よりも広い浴室の、広い湯船に姉妹は向かい合って浸かっていた。
「と言っても夕飯の時に凪がお前の方を意地でも見ようとしなかった時点で十分察せられたがな。
そのせいで足をぶつけて悶絶もしていたが。
過去何度も似たような事はあった……が、今回は少し、こじれてるようだな」
「私が、悪い事をしちゃったから」
「ふむ」
そうして二人して湯船に身体を沈めたまま、
夕飯から続く表情の暗さを姉に指摘され、紫雲は事情を説明する事となった。
草薙紫雲という人間は基本的にこういった事を自ら誰かに話す事はないのだが、今回は相手が凪であり、命だからこそ口にしていた。
……命が既に清子から多少話を聞いている事は知らずに。
「凪の気持ちも、分からなくはないな」
湯船の縁に寄りかかりつつ、命が呟く。
普段なら白い湯船よりも少し肌色、といった具合の彼女の文字どおり雪のように白い素肌も今は少し赤らんでいた。
「お前達的には遊びと表現すると語弊があるかもだが……あえて言わせてもらう。
小さい頃から一緒に遊び続けてきた従姉が、少しずつ、だが明確に変わっていけば戸惑いもするさ」
「変わった……? 私が?」
「この場合は、女らしくなった、という方が正しいか。
お前自身はそんなことはない、そう思っているのだろうが……」
命は改めて湯船に浸かっている紫雲の体付きを眺める。
こうして一緒に入浴するのは久しぶりだが、以前よりもずっと紫雲の身体は女性らしくなっていた。
少年のようだった、ほんの少し角張っっていた体付きは、随分丸みを帯びたものへとなっている。
かつては少女らしくなだらかだった胸の膨らみも、そこだけ切り取れば十分以上に大人だ。
腰の細さに関しては自分よりもずっと女らしい……まぁ元より自分のウエスト周りは太めなのだが。
だが、今命が口にしている変化は、そういう外見的なものよりもむしろ内面的なものの方が大きい。
「凪からすれば変わっていってるんだ。
外見もそうだが、お前は内面的に随分女らしくなってきている」
「……そう、かな」
「ああ、そうだよ。
そして、そうして内外共に女らしくなっていくにもかかわらず、お前は強くなり続けていて、凪は未だに敵わない。
歯痒さを感じても、いちゃもんをつけたくなっても仕方ない事だろう?
だから、お前の女としての部分を垣間見て、抑えきれない苛立ちを感じてしまった……そういう事だろう。
いやはや、思春期だな」
「姉さん……」
「別にからかってはいないぞ。
誰もが通っていく道で、私も私なりにだが似て非なる経験をしてるつもりだ。
お前達の事をからかえも笑えもしないさ。
ただ、そういうものを自分なりに飲み込んでいくのが……と、説教臭いな。
私が歳を取ったのか、お前がそういう話を出来るほどに大人になったのか」
「……私が大人になったとは思えないけど、ほんの少し位は私も歳を取ったんだと思う」
楽しげに笑う命は自分のよく知る姉である。
そんな姉が歳を取った、とは思わないし、そう思ってほしくないと感じた紫雲はなんとなくそう呟いた。
紫雲のそんな思惑を知ってか知らずか、命は苦笑めいた方向へと笑みを変化させる。
「ああ、そうだな。
そういう気遣いを出来るくらい大人になったんだろう、お前も。
凪に対してもそうあったように」
「……どういう、意味?」
「以前の、純粋に子供だった頃のお前なら、凪に対してそういう気遣いめいたものをしていたか?
していなかったんじゃないのか?」
「それは……そうかも、だけど」
確かに、命の言うとおりだろう。
以前の自分なら、喧嘩した時点でもっと凪に強く向けていた言葉があっただろう。
何故そんな態度を取るのか、問い質した上で更なる喧嘩を展開していたはずだ。
だが、今日は出来なかった。出来なくなっていた。
「凪の気持ちを考えて強く言わず、互いに頭を冷やすまではと一時的に距離を取るようになった。
それは他者の事をより深く考えられるようになった、という事。
それは子供だった頃から一歩進んだという事であり、新しく得た強さでもあるだろう」
「でも、それを言うのなら、凪の方がずっとそうだと思うよ」
「ほう? その心は?」
「凪は、私と衝突しないように自分を抑えようとしていてくれたから。
私と話さないようにしてたのも、そういう事なんだろうって、今なら分かる」
凪が自分に対してつっけんどんだったのは、あえて距離を取ろうとしていたからなのだろう。
命が言うような心境に凪があったのなら、そういうものをなるべくぶつけないように堪えてくれていたのだ。
だというのに。
「でも、私はそれを自分の気持ちを優先してたばかりに気付かなかった。
凪といつもみたいに戦えたらいいなって考えてばかりで……凪はともかく、私は全然大人じゃないよ、姉さん」
「私はそうは思わないがな。お前達は確かに大人に近付いているよ。
だが、それゆえに、少し拗れた喧嘩をするようになった、それだけさ。
歳を取るという事は様々な事を知り、シンプルさを失っていくという事だからな。良くも悪くも」
思い当たる事は、多々あった。
確かに自分はかつてより純粋さ、シンプルさを失っているのだろう。
櫻奈や真唯子を見て、時折感じる眩しさを思い出すと、つくづくにそう思う。
最近は、彼女達のように全てを素直に受け取れない……そんな事が増えてきた。
深く複雑に考えていかねば、そう思う事ばかりのような気がする。
だが、それは。
「そうだね……シンプルじゃ、いられないよね」
そう。そうしなければならないこと、だからだ。
単純に、簡単に考える事が、誰かに迷惑を掛けたり、誰かが困ってしまったり……そういう事柄・状況に繋がってしまう。
ゆえに、考えなければならないのだ。正義の味方志望の、草薙紫雲として、ヴァレットとして。
……だが、その結果拗れてしまった関係がある。
「でも、そうだとしたら、良い意味でシンプルだった頃の関係も、変わらなくちゃいけないの?」
言いながら紫雲が思い浮かべていたのは、従兄妹達との関係であり……幼馴染との関係でもあった。
何処か心細げな紫雲の呟きに、命は頭を小さく横に振った。
「そんな事はないさ。
いや、むしろそんな関係こそ変えないように、変わらないように大切にすべきだ。
歳を取れば取るほどに、それは得がたいものへとなっていくからな」
「……どうしたら、変わらないでいられるのかな」
「大事なのは、シンプルであるべき、シンプルであってもいい時と場所、そして関係を忘れない事だ。
大まかに言えば、シンプルな気持ち、そのもの、だな」
「シンプルな、気持ち?」
「大切な誰かに向ける、愛情や友情、そういう心だ。
そういった気持ちを、素直に伝えて、形にする事は、とてもとても大事なことだと私は思う。
一度それを躊躇ってしまうとシンプルだったはずの関係性は、それを皮切りにややこしくなる。
そうだな、誰かと一緒に絡まった糸を解こうとする事によく似ているのかもしれない。
意思疎通をしっかり行った上で正しい方向、手順を踏めば、時間は掛かってもいつかは糸は解けるだろう。
だが、強引に解き解そうと、それぞれが明後日の方向に引っ張り合えば、糸は余計に解けなくなり、拗れていく。
お前も、よく分かっているはずだ」
「……そう、だね。本当に、そう」
……それは、全く持ってそのとおりだと紫雲は実感している。
今日起こった出来事もそうだが、ある大切な幼馴染との関係も、そうだ。
自分に纏わる様々な状況や事情が、糸のように絡み合い、ややこしい事になっている。
シンプルな気持ちを、伝えられずにいる。
「あるいは、糸を鋏で切れば問題は解決するかもしれない。
だが、それはある意味で最悪の解決法だ。
一度そうした上で糸同士をもう一度結び直せばいい……
そう言う者もいるだろうし、それが間違っているとは言えない状況もあるだろう。
だが……その場合結び目が、出来てしまう」
「……それは、解け易くなってしまう、そういう事だよね」
「ああ、そうだ」
一度切れてしまったものは、もう完全な形には戻せない。
もう一度結び直し、関係性が出来たとしても、それは元のものとは違うものだ。
それは、昨日してくれた弓の弦の話とも繋がっているような、そんな気がする。
張り詰めた糸は、弦は、いつかは切れる。
取り替えたとしても、同じように力み続ければ、同様にいつか切れてしまう。
いつまで取替えが出来るのか、分からない。
急場凌ぎで切れた弦を繋ぎ合わせたとしても、長続きするはずもない。
真に射るべき目標が現れた時に、弦すら張れなくなってしまったのであれば、それは敗北だ。
何かが切れる、という事は、取り返しがつかないもので。
だからこそ、繋がっている何かを大切にしなければならない。
鏡のように向かい合っている姉の眼はそう語っているのだと、紫雲には思えた。
「だから、愚妹。
シンプルに気持ちを伝え合う事を忘れるな。
そうすれば、シンプルな関係はシンプルなままに続けていける。
それを維持する事は、成長しない、大人になれない、という事じゃない。
大人になっても忘れるべきでないモノを、覚えていられる、そういう事だ。
そしてそれは、お前がお前自身を見失った時の支えに、指標になってくれるはずだ。
……と。結局説教染みた話になってたな。
私自身まだまだ大人とは言い切れないのに、偉そうに語って済まなかったな」
基本的にはいつもそんな感じで、自分に対しては殆ど、他者に対しても大体は悪びれないのが、自慢の姉、草薙命である事を草薙紫雲はよく知っている。
そんな姉が謝意を口にしたのは、
姉的に今回の会話の内容が恥ずかしかったからなのか……
あるいは、何か、自分に向けては言葉にし難い事柄を含めていたからなのか。
ただいずれにせよ、紫雲としては言いたい事があった。
「……謝る事はないし、そんな事はないよ、姉さん。
今の話、ちゃんと覚えておく」
「……そうか」
「うん」
深い頷きにも言葉にも嘘偽りは微塵もない。
姉の教えは、紫雲の心に確かに届き、響き渡っていた。強く、深く。
そして、だからこそ姉に伝えたい言葉が生まれていたのだが。
「お姉ちゃん達、私も入っていいかなー?」
そんな折、音穏の声が脱衣場の向こうから届いてきた。
「ふむ。長話になっていたか」
「そうだね」
改めて視線を交わして苦笑を交わす、普段は姉弟である姉妹二人。
確かに、結構な長話になっていたのかもしれない。
音穏が痺れを切らしてしまうのは致し方ないことだ。
むしろ、待たせてしまって申し訳なかった。
その思いゆえに、紫雲は言いたい事を霧散……ではなく、頭の片隅に一時的に追いやった。
姉の教えどおりであれば今伝えるべきなのかもしれないが……いや、忘れない事こそが重要だろう。
近い内に、今抱いていた、ずっと抱いているシンプルな気持ちを改めて伝えよう。
「いいよ」
「いいぞ」
そう切り替えた上で、姉と共に音穏を招き入れる言葉を口にした。
すると、その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで戸が開き、今まさに服を脱いだ(脱ぎ散らかしたというのが正解)音穏が現れた。
今か今かと待ち侘びていたとばかりの速さと勢いであった。
「いやー嬉しいなぁーお姉ちゃん達とお風呂は久しぶり……」
「?」
「どうかした?」
浴室に入るや否や満面の笑顔で、それが目を瞑っていても分かるような楽しげだった声が途中で止まる。
その事について、命が首を傾げ、紫雲が尋ねると音穏は言った。というか叫んだ。
「二人とも、おっぱい大きすぎない?!」
「……えぇぇ」
「……愚妹はともかく、私は昔と変わっていないと思うが」
「いや、うん、改めて、この歳になって見て感じた言葉というか。
大きいとお湯に浮くって本当なんだねー。
二人してプカプカしちゃって……すごいなぁーうらやましいなぁー」
キラキラと輝く純粋な瞳で、それこそこれ以上ないシンプルな言葉を上げる音穏。
そんな従妹を、二人は微笑ましいものを見るような、それでいて何処か困り顔な、そんな笑顔で揃って眺めていた。
というか、眺める事しか出来なかった。
……続く。