第8話 中と外・3











 櫻奈が【魔術師】と遭遇した翌日。
 彼女が魔術師と決めた待ち合わせの場所には、櫻奈と彼女から一番最初に事情を聞いた灰路、連絡を聞いてやって来た征、真唯子、明が集まっていた。

「いやー面白い事になってるなぁ。流石オーナたん。主人公体質だねぇ」
「面白いというか面倒臭いと思うけど。なんでそんな事態になるかなぁー」
「ご、ごめんなさい」

 征と真唯子の言葉に……どちらかと言えば真唯子の何処か呆れ気味な声に……櫻奈は思わず謝った。
 そんな櫻奈を安心させるように明は笑いかける。

「櫻奈ちゃんが謝る様な事じゃないだろう。気にするなよ」
「っていうか、直谷、久遠。
 お前らまで来なくてもよかったんだが。俺的には法杖がいればいいんだが」
「むしろあたしが帰りたいんだけどね……自称あたしの保護者が面白そう云々五月蠅いから」
「征はそうかもだが、俺的には乗りかかった船というか、放置するのはなんか気が引けると言うかだからね」
「お前はお前で少年漫画の主人公みたいな事を言ってんな、直谷」
「明の場合、どっちかというと美少女ゲームの主人公じゃないかと俺は思ったり」
「……どう違うのかな?」
「深く考えない方がいいと言うか、知らないでいい事も世の中にはあると思うぞ。
 あー、そうだ。一応アイツにメールは……」

 そうして灰路が何か言い掛けた時、彼らの目の前に黒いリムジンが停車した。

「なんだ、この場違い感溢れる車」

 平赤羽市には奇抜な商店街も多いが、ここはごく普通な趣を残している商店街である。
 そんな、何処にでもある商店街に誰がどう見ても立派な、隅から隅まで磨き抜かれて光沢を放つリムジンは似つかわしくなかった。
 灰路達がそんな違和感に戸惑っている間にドアが開き……昨日の魔術師が姿を見せた。

「おじさん、こんにちはー! って、あれ?」

 魔術師に続いて数人がリムジンから降りてくる。
 その数人……三人に、櫻奈達は見覚えがあった。
 魔術師と一緒にシャッフェンと戦った異能の持ち主達に他ならない。

「おい、なんか増えてるぞ」
「この街に詳しい子と知り合ったと聞きましたので、わたくし達も案内してもらおうと思いまして」

 誰にともなく呟いた灰路の言葉に、金髪碧眼の少女が答えた。
 街に現れた時とは違い、マスクはしておらず、愛らしくも端麗な顔で彼女は優雅に微笑んだ。
 貴族のお嬢様、と言った雰囲気の少女は、優雅さを崩す事のないままに言葉を続ける。

「そういう貴方達は何者なのかしら?」

 異能者達四人と、灰路達五人(遠くからクラウドとフォッグが見守っているため、正確には五人とは言えない面もあるが)が向き合う構図。
 まるで中学時代の不良連中との抗争みたいだなぁなどと思い返しながら、灰路は言った。

「……この子の知り合いっていうか、友達っていうか、保護者の代わりだよ」
「大体同じく」
「同じく。……ふむ、これまた属性をたくさん持っていそうな少女だな」
「……素性とそこのヒトへの突っ込み含めてあたしはノーコメントで」
「一人を除いて随分歳の離れた友人ですのね。本当に友達なのかしら?」
「本当に友達だよー」

 少女の問い掛けに、櫻奈は満面の笑顔でそう答える。
 櫻奈の笑顔に疑惑の棘を抜かれたのか、少女は、ハァ、と小さく息を零した。

「……まぁいいでしょう。しかし随分と大所帯ですわね」
「リムジンに乗ってぞろぞろやってきたそっちに言われたくない。
 あと、今の時代、この位の歳の子が見知らぬ奴に一人で会うのは心配だろうが」

 隣に立つ櫻奈の頭をポンポンと撫でるように優しい手付きで叩きながら灰路は言う。
 そんな保護者的な灰路の言葉に、少女は不思議そうに小さく首を傾げた。

「……やっぱり、そういうもの、なの?」
「そうとは限らないだろ。ウチの親はそうでもなかったし」
「あ、僕も最近はそんな感じだよ」
「その辺りはそれぞれの文化圏や家庭で違うだろう。……私的には君達の行為は過剰だと思うけどね」

 少女の言葉に、正確には灰路の言葉に対し反論染みた反応を示したのは、異能者達三人。
 灰路的には魔術師の語る『それぞれに違う』という意見には納得出来たが、決して過剰だとは思えなかった。
 なので、微妙に濁すような反応を口にする事にした。
 嘘を吐きたがらない幼馴染の影響もあるが、荒波を立てるのが面倒な灰路の気性によるものも含めての判断だった。

「さて、どうかね。んな事より、ほれ」
「あ、そうだった。おじさん、はいこれ」

 櫻奈は灰路に押される形で数歩進み、彼の姉から譲られた魔術関連の品々を詰めたバッグを魔術師に差し出す。
 バッグは入れるものがなかったからと近くの100円ショップで適当に購入したものである。
 そんなバッグの中身を確認して、魔術師は、ほぉ、と感心した声を上げた。

「これはまた……全て揃ってるとは。この街には高名な魔術師でもいるのかな」
「魔術師になりたいって奴ならいる。ソイツが集めてたんだ、それ」

 肩を竦めつつ、灰路が言う。
 そんな灰路を訝しげに一見しつつ、魔術師はバッグの中の品々を改めて物色していく。

「これだけのものを集められて魔術師志望……? えらく知識だけが先行しているようだけど」
「ソイツ曰くネット全盛の今は知識や材料集めるのは簡単なんだと。実地するのがむしろ面倒で」
「ふむ、まぁ組織的な後ろ盾がないと実地は難しいな。
 君がその魔術師志望の知り合いなら、その人物に伝えておいてくれないか?
 もし君が魔術師になりたいのなら適切な組織を紹介しよう、と」
「……気持ちはありがたいけど、そう気軽に誘っていいものなのか?」
「確かに。漫画かなんかだとそういう組織ってホイホイ入れるものじゃない気がするけどな。
 入門試験が難しいとかそもそも秘密すぎて存在が知られてないとか」

 オタク観点からの征の言葉に、物色を終えたのかバッグを普通に手に持ちながら魔術師は苦笑した。
 
「確かにそう簡単に入れるものでもないが、間口はそう狭くない。
 君達もご存知のとおり一般社会的には科学全盛の今、魔術自体今は下火だからね。
 どこかのファンタジー小説や映画のように派手な魔法が使えるのは一握りの才能持ち位だ。
 そんなんだから今魔術は廃れていく一方……ゆえに学びたいと思う人間がいれば勧誘するのは業界的にはありなんだ」
「なんか廃れていく伝統芸能みたいだな……」
「そんなものだよ、魔術なんて。……いや、だった、になるのかもしれないが」
「どういう事だよ?」
「分からないんですの?
 貴方達がよっくご存知の魔法少女達の存在がそれを変えるのかも知れないって事ですわ」
「わた……むぐっ?」
「アイツラがねぇ。
 この世界的には真新しいかもだけど、そうそう革新的な何かに繋がるものなのかしら」

 私達、と言おうとしたのだろう櫻奈の口を、いつの間にやら彼女の背後に回り込んでいた真唯子が塞ぐ。
 ファインプレイに明と征が小さくサムズアップしていたが、灰路はいやいやそれはしなくていいだろお前らと内心突っ込んでいた。
 チラリと、異能者達を流し見る……が、取り立てて大きく疑問に思ったものはいなかったらしく安堵する。

「それは彼ら次第と言ったところかな。
 まぁともかく、気が向いたらそう言っておいてくれ」
「あー……ん。了解した。伝えとくよ。
 ……って、それならそれでアンタの素性なり連絡先なりを知ってないと困るんだが」

 これで一人の素性を知る事が出来るかもしれない、灰路はそう思い、内心してやったり顔をしていた。
 知った所で何が出来る、という訳でもないが、少しでも情報を仕入れておく事は時として突破口になりうるのだ。
 だが、そう思惑どおりに事は運ばなかった。

「うーん、今素性を明かすのは少し困るかな。
 君達を信用云々は関係無く、何処に誰の耳があるか判ったものではないし」
「……そりゃあそうだな」

 至極ごもっともな答に少し消沈する灰路。だがすぐに頭を切り替える。
 今は、腹芸が出来なさそうな櫻奈の代わりに、自分がそれをやるべきだと強く意識していたからである。

「わかった。ソイツに話してみて、そのつもりがあったらこっちの連絡先を教えるよ。
 まだ何日かはこの街にいるんだろ?」
「そのつもりだよ」
「じゃあ……」
「おーい、お前らだけの会話はその辺にしてくんないか?」

 そんな声を上げたのは、大柄の青年。
 灰路的には、昨日圧倒的な身体能力を見せ付けていたのが印象的だった。
 単純な身体能力だけなら紫雲に匹敵するか、下手をすればそれ以上かもしれない。
 
(……力試し、か)

 彼の望みが本当にそれだけなら紫雲は喜んで引き受けるだろう。間違いなく。
 それは紫雲=ヴァレットの御人好しぶりだけでなく、彼女の持つ悪癖ゆえの確信だった。
   
(コイツもアイツと同じ、あるいは似たものって事なのかね)

 灰路がそんな思考をしつつ自身を観察している事に気付く様子もなく、青年は退屈そうに言った。

「こちとら待たされっぱなしなんだが」
「それは悪いと思うが……君は確かヴァレット達との対決の前にこの街の美味しいもの食べて英気を養いたいだけだろう?
 他の面子も街を見ておきたいとか遊びたいとかそういう理由だったはずだ」
「一緒にしてもらっては失礼ですわね。わたくしはビジネスも理由に入っているというのに」
「え? 平赤羽市の充実したアニメのお店覗いていくとかなんとか言ってなかったっけ?」
「そ、それも立派な目的ではありますわね、ええ」
「ああ、それは立派な目的だ」

 少女の言葉に力強く同意したのは、当然というべきかの超オタク・久遠征。
 先程とは違い、堂々とサムズアップして見せた征の姿に、少女は我が意を得たりとばかりに言った。

「そ、そうですわよねっ!? オタク聖地の一つとされる平赤羽市の店舗見学は立派な目的になりますわよねっ!?」
「うむ、無論だ。その崇高な目的に共感出来る俺としては案内せざるを得まい」
「あ、ありがとうございますっ!」
「……」

 少女が目をキラキラさせ、その視線を受ける征の後ろでは真唯子がジットリとした視線を向けていたのだが。
 それはさておき(というか当人達の問題なので助けを乞われない限りはノータッチ)灰路は、このままでは無駄に話題が散らかりそうだと判断、話の方向をまとめる事にした。

「で、結局どうするんだよ?
 お前ら一行に平赤羽市を案内するって事でいいのか?」

 灰路と同様の判断をくだしたのか、色々会話を交わし合って返事をしなさそうな連中の代わりに、魔術師が答えた。

「……そういう事でいいと思う。しかしなんだな、君達は物怖じしないな。
 私達全員が昨日騒ぎを起こした連中だと気付いてるんだろう?」
「流石にな」
「なら何故……」
「なんというか慣れだな。平赤羽市で生まれ育つとこうなると思うぞ」

 あと、灰路自身は紫雲との付き合いでトラブル慣れしているというのも大きい。
 ただし、紫雲がトラブルに巻き込んでいるのではなく、どちらかというと灰路が関わっていく感じであるが。
 紫雲的には灰路を巻き込むのは本意ではなかったのだが、灰路としては放ってはおけなかったのだ。
 基本男(当時はそう思っていた)は放置とは言え、幼馴染が危ない事に首を突っ込むのを放って置けるほど冷たくはなれなかったのである。
 かつての紫雲的には『普段の灰路君らしくないけど、灰路君らしい』という事らしく、強引に手伝いを表明した際は、嬉しいのか心苦しいのか、笑い成分一割の苦笑いを浮かべていたが。

「……なんだろうな、そうして物怖じしないせいなのか君とは妙に話し易い」
「俺的にも物怖じしないのはありがたいぜ。
 地元じゃドイツもコイツもビクビクして話以前の問題だしな」
「あ、僕も僕も」
「男に話し易い言われてもなぁ……」

 男達の言葉が全く嬉しくない、というわけでもないが、諸手を上げて嬉しいとは言いたくない。
 基本的に男はどうでもいい灰路的には複雑であった。
 
(……しかし、ますますアイツっぽいな、どいつもこいつも)

 そうして頭に浮かぶ幼馴染の事を灰路は一時振り払う。
    
「まぁいいや。おい、お前ら、そろそろ歩こうぜ。
 こんな所でずっと突っ立って日射病になりたいか?」
「「日射病?」」

 聞きなれないのか、少年少女達が揃って首を傾げた。
 そんな櫻奈、外国少女、少年の様子に苦笑しつつ、征が解説と突っ込みを入れる。

「今は熱中症、だな。
 まぁ日射病やら熱射病やらをまとめて熱中症って言うんだが……なんでわざわざそっちで言うんだよ」
「……細かい事をごだごだ言うなよ」

 この季節、日射病云々よく言っていたのは誰だったのか……灰路にはすぐに思い浮かんだ。
 振り払ったのに、結局すぐ思い出した事に辟易しつつ、灰路は思う。
 昔の特撮やアニメを見たりする事が多く、昔の単語を使う事も結構多い幼馴染は今頃何をしているのだろうか、と。










「うわぁ、紫雲お姉ちゃん可愛い」
「うーん、誰からも文句絶対出ないくらい似合ってるわね」
「……う、うーん。そう、かな」

 灰路達が異能者達と話していたのとほぼ同時刻。
 少し遅めの朝食の席で、従妹と友人の言葉に紫雲は不安そうに眉を寄せていた。
 短めの丈の白いキャミソールという普段の男装している紫雲ならありえない格好に、彼女は落ち着かずにいた。
 特に両肩がほぼ丸出しで露出しているのがどうにも気に掛かる、というかなんとなく恥ずかしい。

 そもそも何故こんな格好をしているのかというと、普段は男の格好しかしてないんだからいいじゃない、こういう時こそ女の子らしい格好をすべきという、音穏の意見に圧されてであった。
 それを迂闊にも承諾したのは、寝起きが悪い紫雲の起き抜けの頭が大して働いていなかった事によるものが大きい。
 普段なら法力による脳内会話でそれをフォローなり助言なりしてくれるだろうクラウドが不在だった事もあるが。

(もう少し寝起きの悪さはなんとかしないとなぁ……)

 そうして脳内で反省したり戸惑ったりしている紫雲だったが、そんな彼女の苦悩に全く気付いていない音穏は、紫雲とは対照的に何も考えてなさそうな笑顔で、うんうん、と頷いていた。

「可愛さ先行で勢い余って結構大きめの間違って買っちゃったのがここで役に立つとは……」
「それをここに持ってきてる時点で紫雲に着せる気満々よね、音穏ちゃん」
「バレタカー」
「バレバレだろ、馬鹿」
「しっかし、こうなると下に穿くのに良い感じのがなかったのが残念かな」

 紫雲の今の出で立ちは、上半身は少女的なデザインのキャミソール、下半身はスポーティな藍色のスパッツ。
 装いとしてはチグハグなのだが、それが【草薙紫雲】には妙に嵌っており、似合っていた。
 だが、音穏としてはもっと女の子女の子した衣装を着せたかったらしい。

「いや、そもそもキャミじゃなくてワンピがよかったのかも。それでスパッツを脱いでもらって、麦藁帽子を……」
「いやいやいや、こっちでいいよ。これ以上露出が多いのはちょっと」

 今でさえ心許ない感じなのに更に下半身までスカスカなのは紫雲的には避けたかった。

「でも紫雲、ヴァ……じゃなくて、ミニスカ穿いたりした事あるじゃない」
「えぇぇぇぇっ!? 紫雲お姉ちゃんのミニスカっ!? どうして、そんな事にっ!? というか見たいっ!」
「ちょ、音穏、落ち着いて。というか、そんなに興奮する事じゃないよね」
「いやいや興奮というか驚くのは当然だよ。ねぇお兄ちゃん」

 音穏の呼び掛けに、凪はチラリと紫雲の方に視線を向け、すぐさまそっぽを向いた上で「さぁな」と答えた。
 そんな凪の対応を見て紫雲は、なんとも言えない苦味のようなものを感じた。
 昨日からこっち、凪は自分に対してろくに話そうとしていない。
 正確に言えば数年前から反応が淡白になっていたのだが、今年は特にひどい。

「ねぇ凪、僕が何か……」
「ごちそうさん」

 その辺りについて尋ねようとした紫雲の言葉をわざとらしく遮って、凪が朝食の席を立つ。

「俺は稽古場で一汗流してから蝉でも取りに行って来るわ」
「えーまたぁ? いつもみたいに河で遊ばないの?」
「今年はパス」
「あー……もしかして、私がお邪魔だったり?」
「そんな事はないさ、高崎さん。……ま、俺の問題だ。
 だから俺の事は気にせず、高崎さんは三人でのんびり遊んでいってくれ」
「え、ああ、うん。ありがと。……でも気が向いたら一緒に遊びましょ」
「ん。気が向いたらな」

 何処か気だるげに答えつつ凪は部屋を出て行った。
 それを悲しげに見送った後、紫雲は清子に顔を向けて言った。

「ありがとう、清子さん」
「え? 何が?」
「僕の言いたかった事、言ってくれたから」

 気が向いたら遊ぼうと、紫雲も言いたかった。
 だが、凪があくまで自分の言葉を聞き流そうとしている今、それは自分からでは伝わらなかっただろう。
 そうして真っ直ぐに礼を告げる紫雲に、清子は薄い苦笑を漏らす。

「いやいや、言いたい事言っただけだから。ホント、紫雲は生真面目ね」
「昔からこうなんですよー。親しき仲にも礼儀ありとか言ってちょっとした事にもお礼言ったりして」
「あー。それは凄く紫雲らしいわね」
「……そういう気質なもので」

 音穏と清子の言葉に、紫雲は気まずげに頬を掻く。
 そんな彼女へ穏やかな笑みを二人は向けるので、紫雲はますます縮こまるばかりだった。 

「じゃあ、今日はどうしようかー」
「いつもはどうしてるの?」
「お従姉ちゃん達が私達の家に来た時とかは近場のプールに行ったりするんだけど……
 こっちだと屋敷の裏を少し下ったとこにある川で適当にぶらついたりして遊ぶ感じかな」
「遊ぶって……どんな?」
「まぁ色々かなぁ。開けたところで水切り勝負、石積み競争したりとか」
「……そ、そう」
「あー。清子さん、つまらなそうって思ったでしょ。やったらこれが結構楽しいんだから。
 そんな訳でいこいこ。ほら、紫雲お従姉ちゃんも」
「うん。……ところでやっぱりこの格好じゃないと……」
「ダメ」
「そ、そうだよね」

 そうして普通の会話を交わす中、紫雲は別の事も思考していた。
 それは平赤羽市にいる大切な人達の事であり、平赤羽市そのものの事でもあった。

 今頃灰路達は何をしているのだろうか? 何事もなければいいのだが。そんな事を紫雲は思う。

 それというのも、迂闊にも携帯を家に置き忘れてきてしまったからに他ならない。
 出発前に何度も確認したはずなのだが、いつの間にか手元から消えてしまっていた事が不思議でしょうがなかったが、ないものはないのだ。
 その結果として、いざとなれば連絡が取れる状況ではないからこそ紫雲は向こうの事が気に掛かっていた。

(メールなら細々とした情報交換が出来たんだけど……)

 灰路ならば、その手の連絡には理解がある上、迷惑にならない時間帯を推し量れるので、こちらの近況連絡含めてメールしようと思っていた。
 鬱陶しいとぼやきはするだろうが、ちゃんと返事はしてくれるのだ、灰路は。
 最近は彼以外ともメールをするようになり、それぞれの迷惑にならない時間を知りつつあったが、それはまだちゃんとした理解には至っていない。
 なので、もっとも気兼ねなく細やかな連絡がやりとりできるのが灰路だけだったのだが、その彼に連絡出来ないでいるのは紫雲的に痛かった。

(……まぁ、本当に大事が起きてるなら電話はしてくれるよね)

 携帯を忘れたとは言え、そちらで連絡出来ない時の為にここの電話番号を書いたメモを渡してはいる。
 なので、特に連絡がないということは何事も起こっていないはずだ。

 テレビでも特に大きな事件が起こった様子はなかった。
 平赤羽市の不思議な事件関係は、テレビニュースになる事もそこそこある。
 だが、事実確認がある程度できていない場合放送できないのか、報道が遅れることやそもそも放送しない事も同程度、つまりそこそこある。
 もっとも、事件の規模が少し前の【怪獣事件】ほどになれば全く話は変わってくる。
 つまり、テレビで大きな報道がない今はあれほどの事態は起こっていない、という事だ。

 少なくとも、とんでもないと灰路が認識・判断するほどの厄介事は起こっていないのだろう。今の所は、だが。

 であるならば、今は余計な事を考えるべきではないのだろう。
 紫麻達にも「弦を緩める」よう言われたし、そもそもの櫻奈達の気遣いもある。
 紫雲本人としては色々と想定しておきたかったが、皆の気持ちを素直に受け取りもしたいのだ。
 ……そうした思考の結果、結局色々と考えてしまうのだが。

「じゃ、早速行きましょ。ほらほらはやくはやくー」
「……はいはい」

 そうした思考の最中に今にも駆け出さんばかりの音穏の姿を見て、紫雲はその思考をやや強引に打ち切った。打ち切る事にした。
 色々と考え過ぎても今は仕方がないのは事実なのだから。
 そうして紫雲は苦笑しつつ音穏に囃し立てられるままに席を立った。

「……んー。やっぱり、ちょっとキツイけど……まぁしょうがないか」

 着ているキャミソールに若干の違和感……微妙な圧迫感を感じながら。










 ……続く。






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