第5話 草薙家的家庭の事情2












「……あれ?」

 紫雲達が立ち去った後、清子がそんな声を上げた。
 
「え、なになに? どうかした?」

 そんな清子に真っ先に食いついたのは、紫雲達の、父方の従妹である白耶音穏。
 ……そう、父方の従妹。

「いや、ちょっとした疑問というかね。
 貴方達のご両親のどちらかが、紫雲のお父様のご兄弟なのよね?」
「うん、そうだよ」
「つまり、白耶家は草薙家の血筋じゃない……のに、紫麻さんは曾御婆様なの?」
「おー、いいところに気がついたね。……ええっと」
 
 そこまで言った後、音穏はうんうん唸りながら頭をフラフラさせながら思考を続けた。
 もしかして上手く説明できないのかも、と清子が気付き出した時。

「……その辺、ちょっとややこしいんスよ」

 もてなしとしてお茶を出した後、部屋の隅で音穏達の様子を眺めていた凪が口を挟む……というより助け舟を出した。

「ウチの親がアイツラの親父と兄弟で、
 んでその二人の親父が……あのババァ、あー、紫麻ひいばあさんの養子だったらしい」
「え? えっとつまり……」

 言いながら、清子は頭の中に草薙家の家系図をぼんやりと思い浮かべる。
 つまり、凪達の祖父と紫雲達の祖母は血の繋がりはないが兄妹、もしくは姉弟という事になるのか。
 ……成程、それなら家系図上では凪達からも紫麻は曾祖母に当たる。

「へぇ……そういう事もあるのね」
「そうそう。そういうことなの。
 曾御祖母ちゃんいわく、昔はそう珍しくなかったとか何とかだけど、どうなのかな。
 まー、なにはともあれフォローありがと。ナイスお兄ちゃん」
「へいへい。
 ……まぁ、結局の所、血が繋がってない曾祖母なのに変わりはないけどな。
 ウチの親は、それでも繋がりは繋がりだとかなんとかで血が繋がってる感じに思ってるらしいッス。
 無駄に御人好しというか、そういう親なんで」

 言葉こそぶっきらぼうにだったが、凪は薄く笑っていた。
 その表情で、清子は凪がそんな親をどう思っているのか、なんとなく察する事が出来た。
 そして、凪が『良い子』である事を改めて確信した。

 だが、だからこそ疑問に思う。

 何故方向性こそ違えど、同様に『良い子』である紫雲と、妙に険悪な空気っぽいのは何故なのだろうか、と……。 










「さて、ここなら落ち着いて話が聞ける」

 清子達がそんな会話を交わしていた頃。
 紫麻は紫雲達をこの屋敷内でもっとも人が訪れない部屋に連れてきていた。

 屋敷の最も奥、最も隅にあるこの部屋は、構造的に巧妙に隠されており普通に歩いても辿り着けない。
 元々物騒な話をする時の為の部屋だという事らしく、
 それを改装の際も『万が一の時の為』に残しており、現在に至るらしい。

 そんな、少し薄暗い部屋の中、二人に茶を注いだ後、紫麻は言った。

「では、聞こうかね。
 平赤羽市で起こっている事、そして……紫雲が得た力とやらについて」

 その発言に、命と紫雲は互いに一瞥し、視線を交わす。
 ここに来る前に、紫麻に対しては『隠し事はなし』という方向性で打ち合わせしていたのを視線だけで最終確認したのだ。
 それについてクラウドも同意している事もあり、紫雲と命は躊躇う事無く、ここ半年で起こっていた事態・状況について説明した。

「……なるほどねぇ」

 紫雲と命、互いに話の穴をフォローをし合いながら、話す事十五分。
 事の全てを聞いて、紫麻はしみじみとそう呟いた。

「しかしというか、やはりというか、音に聞こえたヴァレットが曾孫とはね」
「え? バレてた?」
「確信、とまでは行かなかったがね。
 録画された幾つかの事件での立ち回りを見ていたら、ピンと来たよ」
「あー……」

 やはり曾祖母の目は誤魔化せなかったか、と紫雲は苦い成分を強めに薄く笑った。
 しかし、それは見る人間が見れば体術から正体に繋がりかねないという、紫雲の懸念が間違っていなかった事になる。
 今後は何か対策を練る必要があるかもしれない、と紫雲は思考する。
 が、その思考は紫麻の言葉で一時霧散する。

「……あの格好はどうにかならんのかい?」
「う。いや、その、どうにも……」

 そっちもやはりか、と紫雲は身を縮こませた。
 紫麻は『その辺り』に関しては結構厳しいのだ。
 かつて、こちらに行く際はちゃんとした服でないと不機嫌になるから着物を着せられていた事もあったから、その頃よりは丸くなってはいるのだろうが。
 いや、そもそもそれは祖母や姉の思い込みで、音穏などはあまり縛りがなかったような気も……そうして紫雲が昔の事を含めて色々と考えていると命から思わぬ追撃が入った。

「さっき話した異世界良識概念結晶体のクラウドによると、あの格好は愚妹の潜在意識から形作られたものらしいからなぁ」
「とすると、お前はあの格好がしたいと常日頃思っていると……はしたないねぇ」
「ぅぐ」

 ここにクラウドがいれば、
 常日頃ではなく、あの時点での紫雲の思考や願望であり云々、と説明してくれるのだろうが、生憎ここに彼はいない。
 現時点では、自分が説明すべき事は命と紫雲がいれば十分だとして、
 『いざという時の草薙紫雲』としての意見を述べる事が出来る存在として平赤羽市に居残ったのだから。
 少なくとも紫雲はそう聞いている。
 なんにしても、今ここに紫雲の味方はいなかった。

「まぁ痛々しさはともかくとして、あのスカートの短さは……」
「いや、その、中身は見せないように努力してるし」
「当たり前だろうさ。……だが、中身を見られた以上になった事があったんじゃないかね?」
「ぁうっ」

 曾祖母が言っているのは、シャッフェンがスカートに突っ込んだり他アレコレの事だろう。
 おそらく、紫雲がヴァレットだとほぼ確信してから、ヴァレット絡みの事件を洗い直し知ったのだ。
 その時の事を思い出したり、自分の未熟さ他への申し訳なさだったりで紫雲は顔を赤く染めた。

「世が世なら世間様に顔向け出来ないだろうにねぇ……未熟者の上に恥知らずかい」
「ぐ、その、そうかもだけど……やるべき事から逃げるわけにはいかないから」
「ん。そうさね。そう思える所は褒めておこうかね」

 紫雲の発言で機嫌を直したのか、紫麻はそれまでの厳しげな表情を幾分和らげながら話を続けた。

「しかし、ヴァレットを続ける意味はあるのかい?
 草薙家として、草薙紫雲として正々堂々と魔を討てばいいんじゃないかね」
「それはあるでしょう」

 紫麻の言葉に、淡々と命が応える。

「ヴァレットという存在自体は……まぁ愚妹のやり方ですからね。
 個人的には色々思う所はありますが」

 ……紫雲的に、前から薄々気付いてはいたが。
 命は、紫雲がヴァレットである事について、全面的に肯定はしていないのだろう。

 元々命は草薙家の宿命云々を好ましく思っていない。
 その辺りの事で、かつて両親と衝突していた事を、紫雲は既に亡くなった祖父母から聞いていた。
 ゆえに草薙家の宿命と関係のある【ヴァレット】についても快く思っていないのは想像に難くない。

 そんな命が、草薙家の【技術】をしっかり継承し、やるべき事をやっているのは、
 そうしなければ助けられないかもしれない誰かの存在を見過ごせないからに他ならない。

 姉が、草薙命という人間が、誰よりも優しく、誰よりも『何かの命』を貴く思っているのを紫雲は深く理解していた。
 それこそ誰よりも。

 だが、それはそれ、気に入らないものは気に入らない、とハッキリ言うのも命なのだ。

 そんな命的に、純粋な助け舟、というわけではないのだろう。
 理性的に……ヴァレットとしての紫雲の活動が必要だと考え……こうであるべきだと判断した上で、述べてくれている。
 だが、そんな冷静で客観的な言葉だからこそ紫麻への説得力がある……紫雲はそう感じていた。 

「その辺りはさておき。
 これから残り四体を倒すまで愚妹がすべき事を考えれば、正体は隠すべきです。
 四体全てが前回の『怪獣』サイズのものであるのなら、秘密裏に始末というわけにはいきませんし。
 それに、何かしら調べたりする必要が生じた時、愚妹には目立つ囮になっていてもらった方がいいかもしれませんから」

 実際それは必要だろう、紫雲はそう思っていた。
 その理由としては、前回の【怪獣事件】で【彼ら】がいつの間にかヴァレット達の戦闘能力のデータを集めていた事にある。
 今現在は戦闘時のデータしか持っていないようだが、今後どうなるか、いや下手をすれば既に変身時以外のデータも集められているかもしれない。

 以前から、偵察や観察の可能性を考慮してはいたが、
 今思うとあの事件以前は明確な敵意や殺意、不穏な気配を殆ど感じなかったがゆえに警戒していたつもりで警戒が緩かった。
 敵の形が不明瞭だった部分があったとは言え迂闊と、紫雲としては痛切に反省している事柄だった。

 だが、今はそれを悔いてばかりいるよりも、現状の改善が優先だ。
 現状【向こう】にどの程度の情報があるのかは分からないが、変身後はともかく変身前のデータに関しては、既に遅いかもしれないが可能な限り隠蔽する必要がある。
 変身後のデータを取られるのも問題だが、それを気にしてばかりではまともに戦えない。
 それよりも変身前のデータを上手く利用されて、まともに戦えなくなる状況に追い込まれる方が余程危険だ。

 現在の所【彼ら】がどのような形で情報を使ってくるのが未知数である以上、必要以上に警戒しておく事に越した事はない。

 そういった事もあり、紫雲達は様々な意味で、より強い警戒が必要だと思うようになっていた。
 あれ以降、紫雲は変身の際、更に周囲を注意するよう心掛ける様になり、オーナやフォッグにもそうすべき旨を伝えている。
 オーナには完成形の認識阻害があり、自分よりも遥かに安全で、必要ないかもしれないが、いざという時の心構えは必要だ。

 しかし、それらは結局の所後手でしかない。

 そうして後手に回ってばかりでは、最終的に負けるのはこちらだろう。
 ここから巻き返す為、いずれ決着をつける時の為にアドバンテージ……向こうの情報は必要だ。

 その為に、自分が目立つ囮になる、というのは紫雲としては大いに賛成だった。
 目立つ事でデータを取られるのが自分だけになる、というのはないだろうが、向こうに入る情報を偏らせる事は出来るかもしれない。

 データを取られる事自体は望む所ではないが、変身前の情報以外ならば取り返しはつく。
 修行して強くなるなり、幾つかの切札、更には奥の手を作っておくなりすればいいのだから。

 勿論、ヴァレット自身が囮になる事で、変身前の情報漏洩の危険が増すのは事実だが……。

「まぁ屁理屈っぽいが、理屈は通ってるね。
 同じ役目を負っているというオーナちゃんとやらに危険が回り難いよう、紫雲の方が目立つべきだろうし」
「はい、私もそう思ってます」

 そう、それにより櫻奈の情報漏洩の危険は少なからずだが減るだろう。
 オーナへの負担や危険はなるべく減らしたい、それは紫雲としても望む所だった。

 もう一人の魔法少女にして、同じ使命を背負う同士にして同志、紫雲にとっては歳の離れた友人でもある、宮古守櫻奈。
 現状、彼女がいるからこそ助かっている部分は大きい。
 彼女でなければ出来ない事もたくさんあるのも事実だ。

 だが、だとしても。
 紫雲としてはやはりオーナには可能な限り普通の少女であってほしかった。
 ……それがオーナの望むところではない、自分のエゴなのは分かっている紫雲だが、やはり少しだけとは言え年上な者としては気にしてしまうのである。

「まぁ、それならそこには目を瞑ろうかね。放っておいてもやるんだろうし」
「ありがとう、曾御祖母ちゃん」
「……礼なんかいらないよ。まったく。
 しかし……何にせよ、伝承の存在が現れたのは間違いないようだね。
 その『怪獣』とやらの性質は確かに伝承と一致する。
 しかし、同時に一致しない部分もある」
「ふむ。確かに」
「そういう事なら、改めて伝承を確認した方がいいだろうね。
 ……あの子の言うとおりになっているのは癪に障るけどね」
「あの子……?」
「お前達の母親だよ。
 あの子は、こういう状況を見越していたのか、ちょくちょくこっちに来ては伝承の確認がてら現代語訳を進めていたからね」
「母さん、そんな事をしてたんだ」
「大体、お前達の母親は……」
「そんな事より曾御婆様。その現代語訳はどの程度進んでいたんですか?」
「……確か、半分くらいだったと思うよ。正確には……5割……53%だったかね。
 こっちに来て作業を終えた後、ご丁寧に進捗状況を告げてから帰ってたからね、あの子は」

 紫麻は、紫雲達の母親……草薙由祈とは顔を合わせるたびに口論していた。

 いや……正確に言えば、口論にはなっていなかったのだろう。

 かつて紫麻は、今紫雲達にしているように、否、それ以上に由祈に対して少し小言めいた事をぶつけていた。
 由祈は色々な意味で紫雲や命とは『違って』おり、言わずにはいられなかった事が多かったのだ。
 今にして思えば、少し言葉が強かったのかもしれない、と紫麻は思っている。

 だが、そうされた由祈の方は、不機嫌さ一つ零さず、平然としていた。
 良い言い方ならば超然、悪く言えばどこか惚けた様子しか紫麻には見せなかった。
 そして、そうして、話をしっかり聞いた後、彼女は『善処します』とだけ答えていた。

 その後は、言葉どおり、改善できる部分は改善し、曲げない所は絶対に曲げず……といった感じで、穏やかに淡々と行動し、発言し、自身の行動の成果を報告しては去っていった。

「あの子は、思い返すと、どうにもこうにも……ああ、いや、今は関係ないね。
 それで、そう、現代語訳か。
 必要があるようだし、そっちは私が進めておくよ」
「え? 私達がやるよ」
「いいや、私がやる。
 大体紫雲、アンタ昔の書物の扱いとか読み方とか分からないだろう?
 アンタの事だからそれを教えてもらった上で、とか思ってるんだろうけど、
 ワザワザ読み方扱い方を教えていたら時間が掛かり過ぎる」
「でも、曾御祖母ちゃん……」

 そこで紫雲は、僅かに表情を曇らせた。
 紫麻はそんな曾孫の顔を見て、なんとなく頬を掻いた。

「……私の健康に気を使ってるんなら無駄ってもんさ。
 見てのとおり、私はまだまだ健康だ。お前達の祖父母や両親に悪いと思える位にね。
 だからこそ、今の内に出来る事をしておきたいのさ。
 折角、運命の時代に立ち会えたんだしね」
「そうかもしれないけど」
「……仮に、紫雲。お前が私の立場ならどうしてたかね?」
「私が翻訳します」

 迷いなく即答・断言する紫雲。
 そんな曾孫に、紫麻は深く溜息をついた。
 
「やれやれ。だったら文句を言うのはなしだろう」
「う。そ、そうだね……」
「翻訳作業そのものに命の危険はないんだし、そこは納得おし。いいね?」
「そういう事だ、愚妹。
 それともお前が調べる代わりに、曾御婆様が変身して戦えるかクラウドに聞いてみるか?」
「いやいやいや、そういうわけにはいかないでしょ、姉さん」
「……勘弁しておくれよ。戦うならまだしも、あんな格好はごめんだよ」
「あ、あんな格好って……うぅ」
「あー……まぁ、ともかく、翻訳はこちらに任せるように」
「……。うぅーん……」
「返事は?」
「……うん、分かった。翻訳はお願いするよ。でも、任せっぱなしは……」
「はいはいはい、手伝って欲しい事があったらこっちから頼むから。
 そうじゃない時は手伝いは必要ないから。いいね?」

 中途半端に了承すると、この過剰にお節介な孫が多少強引にでも手伝いにきてしまうのは分かっていたので、紫麻は先手を打った。
 こう言って置けば、基本的に言う事は素直に聞くので、無断で手伝ったり、強引に手伝いにはくる事はあるまい。

 そんな紫麻の意図を理解したのか、単純に手伝い出来ない事にガックリ来たのか、紫雲は少々肩を窄めた。

 しかし、それも少しの間だけだった。
 紫雲はすぐさま気と表情を取り直し、それならばと尋ねる。

「なら、私達は何をしたらいいのかな? 何か他にやるべき事があるんじゃないかな」
「……」

 つくづく難儀な孫だと紫麻は実感する。
 そんな紫麻の心情を露知らず、自分に出来る事を、と考えて目を輝かせている辺り特に。

 ……だが、そんな孫だからこそ、やっておくべき事が一つある。

「なら、今の内に精々骨休めしておく事だね。
 またいつ次の『破壊者』が現れるか知れたものじゃないんだ」

 こうして常に色々な意味で全力投球の孫なのだ。
 おそらく自分の知らない所でも色々と動き回っており、自分や紫雲自身の想定以上に心身に負担を掛けているだろう。

 そして、本人がそれをそこまでの負担だと思っていないのがまた最悪に性質が悪い。

 勿論、紫雲的には適度に休養は取っているのだろうし、彼女の恐るべき回復力の高さは紫麻も理解している。
 だが、そうして維持している体調は、おそらく限界ギリギリより数歩手前、今の所は活動に支障がない程度レベルでしかない。

 一度何かの拍子で限界を超えてしまえば一気に瓦解……疲労で倒れかねない、危ういバランスのはずだ。

 であるならば、可能な時に多少強引にでも休めておく事も必要だろう、そう紫麻は判断した。

(……幸い、今は紫雲が頼れる人間もいるみたいだしね)

 そんな人間がいなければ、今の紫雲……ヴァレットは、こちらに来ていなかったかもしれない。
 いや、必要上や墓参りなどの理由から来てはいたのだろうが、もっと切羽詰った様子だっただろう。

 そういう様子がない事から、今の紫雲には頼れる者がいる事を察し、紫麻は心中でだけ感謝した。
 紫雲の周囲にいる、色々と面倒臭い孫娘が心許せる者達に。
 
「え? 修行はもうやらないの?」
「去年言っただろう? お前への修行は去年までのもので終わっている。
 少なくとも、私がもう教える事はないのさ。不得意な部分を除いてはね」
「だったら、そこを……」
「それはもう、命でも十分教えられる……いや、命の方が適任だろうね。
 だから、ここでのお前の役割は心身を休める事位さ」
「……あの修行場を借りたりするのはいいよね?」
「許さないよ。というより、修行場が拒むだろうね」

 諦めの悪い紫雲の言葉を、紫麻は一蹴する。

 かつて、先々の事を考えて作られた草薙家の【術】の継承を補助する修行場は、あくまで修行の必要があるモノのみを受け入れる。
 修行の必要がないモノを中に入れるのは余分でしかなく、場の純粋さを損ないかねない。
 純粋さを保つ事により純度を保ったまま【術】継承の補助をしてきた場としては、今の紫雲は拒むべきものだという確信が紫麻にはあった。

 いや。
 そもそも、最早必要がないのだ、どちらにとっても。

「え、そう、なんだ」
「そうだよ。
 というかだね。
 そうして常に力一杯に弦を引き絞って、いざ矢を放つ時に弦を切りそうな者など、修行以前の問題さね。
 時には心身という道具の手入れを行う時期も必要……分からない訳でもないだろう?」
「……それは、そうだけど」
「分かったのなら、高崎さんの所に戻りな。凪達と一緒に遊ぶなりして、弦を緩める事だ」
「私も曾御婆様に同意だ。
 休み、英気を養う事も戦いの準備に他ならないからな。
 櫻奈君も言っていただろう? のんびりしてもらわないと困る、と。
 折角清子君もいるんだ。今はゆっくりするといい。
 その後、父さん達の墓参りをするからそのつもりでな」
「……うん、分かった。そう……するよ」

 考え込んではいたが、二人の言葉が正論だと理解したらしい。
 少し沈んだ声で紫雲はそう言うと、小さく紫麻に頭を下げてから部屋を出て行った。
 
 ……そうして足音と気配が遠ざかる事を確認して、紫麻は呟いた。

「難儀な事だね」
「全くです」
「元々、あの子に課した修行も半分以上は”草薙紫雲”をやめさせる為のものだったはずなのにね……」

 それは、紫雲の祖母、命とも話し合って行われた事だった。
 かつて彼女達……否”草薙家”が紫雲に施した辛く重い修行には、そういう側面があった。
 生半可な事では根を上げない紫雲から”草薙紫雲”を奪うには、そこまでしなければならなかったのだ。

 修行を停止するという選択肢もあった。
 しかし、一度それをしようとした結果、紫雲が自己流の無茶苦茶な鍛錬を始めてしまった為、ご破算となった。

 そんな背景の中、これで最後として最も過酷な修行を行ったのが去年の夏。

 だが、結果として、紫雲はその修行に耐え切り、
 運命の子とされる『男児・草薙紫雲』に継承されるべき体術を完全に身に付けてしまった。

 本来は体術の型、つまり動きと概念を伝えるにとどまる筈が、
 かつて命の奪い合いが今よりも遥かに日常に近かった時代に多くの人間……
 武士や草薙家同様の術士……を屠ったとされる当時の体術を完全に体得してしまったのである。

 この結果に、紫麻は内心では呆然としていた。
 技術の伝承の意味合いで言えば喜ばしい事だ。
 だが、紫麻の心情は喜びとは程遠いものだった。 
 
「それどころか、今になっても修行をせがむ始末だ。お前とは全く逆でね」
「はっはっは、そうでしたね。
 まぁもっとも、私は今も昔も宿命とか伝統は好きではありませんがね」
「そうして拒否していたわりに、教えた術はあっさりかつ完璧に覚えおってからに。
 逆に紫雲はお前が苦手な体術関係を完璧に覚える始末。
 本当に腹立たしい曾孫共だよ」

 小さく、それでいて深い息を吐いて、紫麻は呟いた。 
 
「あの子が男で、本当の草薙紫雲であったのなら、どんなに気が楽だったろうね」

 紫雲が伝承に伝わる『運命の男児』であったのなら、自分は今ほど苦い思いをしてはいなかっただろう、と紫麻は思う。
 曾孫を草薙家の宿命に引きずり込む事への苦悩は変わらずとも、同時に全てを終わらせる希望も生まれていた筈だ。
 ……そこに、様々なエゴが込められていたとしても。

「分からないですよ、曾御婆様。
 男だったら逆に才能のない駄目駄目存在だったのかもしれませんし」
「確かに、そうかもしれないね。……たらればを口にした所でしようのない事だけど」

 もしかしたら。もしかすれば。
 それを言えばキリがない。

 だが、言いたくなる時もあるのだ。
 長く生きていればいるほどに、それは多くなっていく。

 今の紫麻が考えているように。

「私だって、時代錯誤なのは分かっているさ。
 娘の……縁の時点でやめるつもりだったんだよ」

 草薙縁(くさなぎ・ゆかり)。
 紫麻の娘にして、紫雲達にとっての祖母。
 彼女の草薙家としての遺伝の弱さ、それとは外れた不安定な才能や、他幾つかの理由から……縁への【術】の継承には様々な困難があった。
 それを経て、草薙家の存続について、紫麻は諦めを抱き始めていた。

 脈々と受け継がれてきた事、受け継いできた事に不満はない。
 だが、それが子孫にとって負担になるのなら、そう考えもした。

 しかし、そこに生まれたのが……一族にとっておそらく最も異端児となる草薙由祈だった。

「だが……孫娘たる由祈は、積極的に私や縁達の修行を受ける事で、草薙家の【術】を完全に把握した」

 そう、把握。
 由祈は、草薙家が受け継いだ【術】全ての体系や本質、そういったものを完全に理解してしまったのだ。

 極める、というのとは違っていた。
 由祈には使用出来ない術が幾つかあったからだ。

 だが。

「修行場に自身の思考を納得させた上で、術の指導方式を染み込ませる事に成功し、お前にもそれや【術】をしっかりと受け継がせた」
「……」
 
 由祈は自分には使用出来ない【術】でさえ、正しく教え、理解させる事が出来た。
 そして、そのノウハウを【術】ともども娘である命に【ある条件】と引き換えに最小の労力で教え込み、ここにある修行場に【その方法】を刻み付けた。
 それにより、命や紫雲は、由祈にさえ出来なかった【術】をそれぞれ幾つか習得成功させている。
 
「そして、あろう事か”紫雲”の名をあの子に与えた。
 その上での今の状況を……あの子が自ら望んで修行し、草薙紫雲となる事や、それに付随する様々な事を予言していた」

 由祈は、特異な才能の数々を生まれつき持っていたが、もっとも異才だったのが未来を見通す能力だった。

 由祈自身によると、既に確定している事が見えるだけのものでしかない、との事だったが、
 彼女自身が子供の頃から自身の結婚相手や子供の事、自身の結末を淡々と語っていた姿は、紫麻をして恐ろしいと思わせるものだった。

 ただ、紫麻が感じた恐ろしさは、彼女の能力ではない。
 自分の全てが決まっていると知っていたにもかかわらず、その道が己の意志だと語り、迷い無く突き進んだ事にある。

 しかし、そんな母親だったからこそ、命は衝突した。
 母を擁護する父とも口論はあったが、由祈との衝突はその比ではなかった。
 母や命自身だけならまだしも、その時はまだ生まれてすらいなかった妹の人生さえ決め付けられるのは我慢ならない、と。

 そうした衝突の末に、命は【ある条件】を母と交わした。

 自分の好きに生きる、妹にもそうさせる……かつて【術】を継承する条件として、今よりも若く未熟だった頃の命はそれを提示し、由祈はそれを受け入れた。
 だが、それ以前に継承そのものを受け入れない、という選択肢も由祈自らが挙げていたのだ。
 それでも構わないと、母は語っていた。

『受け入れない選択、それもまた勇気。
 前に進む事を選ぶ事が勇気とは限らないわ。
 でも、それは選択の余地があるからこそ。
 選択の余地がない瞬間も、世界にはいくらでも転がっている。
 その上で、命。貴方は何を選ぶの?』

 そんな母の言葉を受けた上で、命は継承を選択した。
 母が語る【選択の余地】を守る……妹の自由や、とても大切な【誰かの命】を助けられる為の力を求めて。

 勿論草薙家の宿命云々は嫌いなままだった。
 だが、それを無視した時【万が一】が起こってしまった場合の状況を、自分は見過ごせない事も理解していた。
 ゆえに、どうしようもなく腹立たしかったが、半分は大人だった当時の命なりに必死に考え、必死にそれを飲み込んだのだ。

 そうして得た力、知識は、今現在の草薙命にとって、なくてはならないものとなった。
 そうして継承したからこその、今があるのだ。

 そして今。
 かつて母が、静かに語った言葉を、命は忘れられずにいる。

『私は何も強制しない。
 偏った教育をするつもりはない。
 貴女が、今私に怒りを抱いているように、あの子にも私に怒りを向けるような一般的な……ごく普通の事を教えるつもり。
 まぁ、教えられる限りだけど。
 でもね、命。あの子は……紫雲は、自分自身の意志で【その道】を選ぶわ。
 誰に教えられるでもなく、ね』

 その時の母親の表情は、何処か悲しげだった。
 もしかすると、彼女もまた、心からは望んでいなかったのかもしれない。
 本当は、紫雲が命のように反発する、草薙家に敷かれた道に抗う事を望んでいたのかもしれない。
 
 だが、真実は分からない。
 もう彼女はこの世にはいないのだから。

「そして、由祈の語った全ては事実となった。
 ……あの子は、紫雲は、曾お婆様によく似ているよ」
「……確か、十代目の草薙紫雲でしたか」
「ああ。
 男として育てられる事を受け入れ、
 自分の為でなく、誰かの為に、自分は好まない嘘を吐く。
 何かを諦めたようでその実何も諦めていないような、強い眼。
 自分の痛みには鈍い癖に、他人の痛みには酷く敏感で……いや敏感であろうとしていた」
「それはまた……本当に、よく似ている」
「でも、だからこそ、私は心配だよ。
 あの子が、曾お婆様と同じ結末に至らないか……」
「大丈夫ですよ、曾御婆様。
 それをさせるつもりは毛頭ありません。他ならぬこの私がね」
「……まぁ、お前がそう言うんなら大丈夫だろうがね。
 しかし、こんな事をお前と話しておきながら、最早私自身はあの子に何も出来ないのが歯痒いよ。
 本当に戦うべき存在が現れた今、最早あの子に在り方を変えろとは言えないし、言ったところであの子は絶対に在り方を変えはしないだろうし……」

 それを紫雲に告げる事は、抗う術を持たない人々を見捨てろという事だ。
 そんな道を紫雲は選ぶはずがない。
 それこそ、紫麻が紫雲と同じ立場ならば、絶対に選ぶわけがないのだから。

「まったく、我ながら不甲斐無い事だね。
 あと、どうせなら私の時代に現れてくれればいいものを」
「……時代は関係ありませんよ。
 同じ時代でも、出来ない事があるモノもいます……まぁ、出来る事はきっちりやりますが」
「それについては私も同じさね」
「それに、何も出来ない、なんて事はないですよ。
 曾御婆様がそうして心配してくださる分、愚妹は自重します。
 アレの性格上、それは少しかもしれませんが、その少しが生死を分かつこともあるでしょう。
 なので、あまり気負う必要はないかと。
 あとそういうのは曾御婆様らしくないです」
「……ふん、お前にしては直接的に気を遣うね」
「家族ですから」
「……そう、だね。 命」
「はい」
「紫雲から目を離さないように、よろしく頼むよ。
 あの子を遠くに行ったという初代様のようにさせたくないよ、私は」
「頭を下げる必要なんかありませんよ、曾御婆様。
 それは、元よりそのつもりですから」
「ああ、そう言ってくれると助かるよ……」

 そうして二人は、その瞬間だけ微笑みを交し合った。

 なんとなく、歳を取ったな、と命は感じた。
 紫麻ではない。自分自身がだ。どうにもこうにも歳を取った。
 紫麻のようにちゃんとした歳の取り方なのかどうかは……まぁ最終的にそうなっていればいいだろう。

「……さて、となると私も現代語訳は手伝わなくても大丈夫ですかね?」
「ああ、問題ない。むしろお前がいると苛々して作業が捗らなさそうだからね」
「はっはっは、そうでしょうね」

 いつしか、二人はいつもどおりの雰囲気に戻っていた。
 知らない者が見れば険悪そうなのだろうが、これはこれで本人達的には悪くない関係性なのである。

「作業中、怪獣連中にこちらが狙われたり、はないでしょうか」
「その可能性は薄いと思うよ。この辺りは平赤羽市を覆う結界と共鳴するモノがある。
 結界を抜けられない……嫌っている【怪獣】とやらがこちらを襲うとすれば、よっぽど切羽つまった時さ」
「結界か……」

 かつて『はじまりの草薙紫雲』が化け物達と戦った際に作ったとされる、被害の拡大を防ぐ為の巨大結界。
 それは今現在も平赤羽市を覆っており、草薙家他、何人もの協力を得て維持されている。

 結界起動時のイザコザで互いに影響を受け合った事から、
 伝承の存在、今で言う【怪獣】は結界外……つまり平赤羽市の外で出入り口を作れず、結界を越える事はできないらしい。

 事実今の所、様々な異常は今の所平赤羽市内で収まっている。
  
「あの結界は確かに、世界を守ってはいる。
 しかし、ソレと引き換えに平赤羽市をどこよりも危険に晒している……」
「だが、同時に平赤羽市を、そこに住むモノ達を強くもしている。
 例の十年前の雪が平赤羽市にしか降らなかったのも、その辺りが理由だろう。
 あの雪の効果が世界中に拡散しなかったのは……都合がよかったのかもしれない。
 広がれば広がった分、効果は薄まっていただろうからね」
「能力者の覚醒が十年で済まなかったり、能力そのものの純度が薄くなったりする可能性もあったという事ですか。
 ……結局、平赤羽市にとって良いんだか悪いんだか」

 いち平赤羽市市民としての命は、複雑だった。

 自身が生まれ育った愛すべき街が、
 ある意味真っ先に絶望しかねない生贄となっており、
 同時に唯一対抗手段を持っている希望ともなっている、この状況。

「まぁ、たらればを言っていても仕方ないか」

 絶望か、希望か。どう転ぶかは分からない。
 ならば、最終的に希望に転ぶよう、後ろから押してやらねばなるまい。

 いつだって、人間はやるべき事をやるしかないのだから。
 自身の家族が、そうしてきたように。
 自分自身がそうあろうとしてきたように。

「……ところで、ここはまだ禁煙ですか」
「なんだい、まだ煙草なんて吸ってたのかい」

 少し不機嫌になった紫麻の表情から、どうやらまだ禁煙らしいと理解し、
 折角吸いたい気分だったのに、と彼女にしては珍しく、命はゲンナリとした表情を浮かべたのだった。







  


 

 ……続く。






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