第1話 彼女周りの最近の日常














 
 8月24日。
 あと一週間で夏休みが終わる、そんな今日。
 そう思うとなんだかつまらないものがある。
 青春謳歌中の若者連中が一つの部屋に集まって、こうして宿題に没頭していると尚更である。

「宿題に没頭してる風味でやれやれな顔してるけど、ペンは進んでないよね」
「ほっとけ。お前もさして進んでないだろ」
「……国語関係は苦手なんだ」

 俺の突っ込みに渋い表情を見せる一見優男なコイツは草薙……草薙紫雲。
 腐れ縁の幼馴染で、今ここにいる面子の中では付き合いが一番長い存在である。
 ……まぁ、にもかかわらず長年気付かなかった(上手く隠されていたからではあるが)事もあって、それについて少し凹みもしたのだが。
 
「意外ね。紫雲は国語苦手なんだ。
 どっちかというと理数系の方が苦手っぽく見えるのに」
 
 紫雲、いや、草薙の言葉に反応したのは、俺達のクラスメートで、よくつるむ仲間の一人である所の高崎清子。
 呟く直前まで自身の隣に座っている、幼馴染にして彼氏(多分)である所の直谷明の様子をぼんやり見ていた辺り、実に微笑ましくもからかいがいがある。
 俺と同様に思うであろう存在も、現在ペンを走らせてさえいなければからかっていただろう。

「そういう風に見える?」
「見えるわねー。なんとなくなんだけど」
「……っと。ふむ。適当な清子に同意するのはアレだが――」
「適当言うなっ! 征にだけは言われたくないっ!」
「――俺もそう思うな。草薙は文系に見える」
 
 宿題に区切りがついたのか、ペンを休め、高崎のごもっともな叫びをスルーして呟いたのは、先で触れた俺同様に思うであろう存在である久遠征。
 直谷や高崎の幼馴染で、その二人と同じく俺や草薙のクラスメートである。

 今、俺達五人がいるのは、草薙の家の客間。
 滅多に使わないらしい部屋をなんに使っているのかというと、細々した理由は幾つかあるがメインの理由はひとつ。
 夏休み末期のお約束、宿題の片付けの為である。

 と言っても、俺達の進行状況はそれぞれで違う。

 俺と直谷は基本やってなくて山積み、
 草薙は色々と忙しい身分ながら(だからこそかもしれんが)合間を縫ってやっていたらしく半分以上、
 久遠と高崎は八割終えているという状況だ。

 宿題の仕上げに目処が立っている久遠、高崎は自身の宿題の残りや試験勉強を進めつつ、俺達の宿題を手伝ってくれている。
 そうして助けてもらっている立場上文句は言いたくないが、常識人かつ優等生な高崎はともかく、夏休み中の様々なオタク的イベントに参加しまくっている久遠が八割終えているというのはどうも納得がいかなかった。
 いなかったのだが、久遠曰く「こういうのをキチンとやってる出来る奴じゃないと二次元ではモテないからな」らしく、それを聞かされるとなんとなく納得してしまった。
 基本三次元より二次元の男なだけに、それ関係の馬鹿っぽい発言の説得力が圧倒的である。

 閑話休題。
 そんな二次元馬鹿・久遠の発言に対し、草薙は顎に手を当て、少し考えるような仕草をした後、呟いた。

「うーん、二人から見たらそうなんだ。
 でも僕的には理数系の方がやりやすいんだよね。
 答が決まってるから楽っていうかなんていうか」
「そういや、草薙は英訳とかも時々詰まるよな」

 清子によって順序が決められ、山積みされた宿題に悪戦苦闘している中、というか現実逃避なのか、口を開いたのは直谷。
 そんな直谷の様子を含めてか苦笑しつつ、草薙は言った。

「うん、そうだね、その辺りもちょっと苦手かな」
「コイツは無駄に色々考え過ぎるんだよ。
 何かしらの翻訳にせよ、現国の”登場人物の気持ちを云々”みたいな問題とかにせよ、色々深読みしすぎるというか。
 中学の頃、教科書のキャラクター、トミーの気持ちを考え過ぎるばかりに超絶な解釈な訳をして教室を爆笑の渦に巻き込んだ事もあるしな」
「ぐぅっ、その事は忘れていたかったのに……」

 俺が当時の事を思い返しながら突っ込むと、草薙は一瞬だけ不満げな視線をこちらに送った後、肩を落とした……と、次の瞬間。
 
「っ!」

 小さく息を呑みつつ、顔を上げた。
 中空を見据えるその視線は、俺達ではなく、部屋の中にある何かでもなく、何かもっと別のものを見ていた。

「な、なに? 何かあったの?」
「何か出たんだな」
  
 草薙の様子の変化に驚く高崎と、対照的にその変化について即座に理解する直谷。
 草薙はそんな二人に向けて頷いて見せると、真剣な面持ちで立ち上がった。

「うん、この感じ、多分シャッフェンさんだと思うけど」
『なんだ、あの馬鹿か』

 草薙の言葉を聞いて、俺含む男連中の空気は先程までの通常モードへと戻っていく。 

「よくやるよなー、アイツも。真唯子……リューゲもいないってのに」
「むしろその位で活動自粛するような奴だったら誰も苦労しないだろ。なぁ草薙」
「えと、その……」

 シャッフェンに対する言葉への何かしらか、久遠達への反応か、いずれかの理由で暫し言葉を詰まらせていた草薙だったが、最終的に”やるべきこと”を優先させたらしく、声を上げた。

「と、とにかく行って来るねっ!」
「おう、頑張ってな〜」

 ひらひらと手を振ったり、応援の言葉を送ったりする俺達に「ありがとう」と笑ってから草薙は外に出て行った。

「あ、ちょ、紫雲っ!? 気をつけてねっ! 
 ……ちょっと! アンタたちねぇ、もう少し心配しなさいよ!!」
「心配?」
「なにを?」
「だ、だって草薙は……!?」

 大声でその先を言おうとして口を閉ざす高崎。
 その先については、この場にいる誰もが理解していた。

 俺の幼馴染にして腐れ縁、生物学的に正真正銘の女でありながら普段は男装し……今日も男のものの衣服を纏っていた……その事を隠して(俺達がその事を知ったのはつい最近である)、俺達のクラスメートをやっている草薙紫雲。

 しかし、それはアイツにとって『片側の姿』でしかない。

 平赤羽市という不可思議な事が起こる街。
 そこで好き放題暴れる不可思議な力を持った連中が起こす事件を解決する為に奔走する、同じく不可思議な力を振るう正義の味方。
 ヒーローにしてヒロインにしてアイドルたる『魔法少女』。
 魔法多少少女ヴァレット……それがアイツのもうひとつの姿である。

 アイツがそうなるに至った事情はおおまかな事しか知らないが、
 そうするに至った心情というか考えというかは、俺的には、いや、草薙紫雲を多少なりとも知っている人間ならば一目瞭然、火を見るより明らか、という奴である。

 それは、草薙紫雲という人間が、どうしようもなく病的な御人好しの善人だからに他ならない。

 そもそもアイツは小さい頃から正義のヒーローが大好きな奴だった。 
 俺と出会って以降十数年微塵も変わらず正義の味方大好きで、正義の味方になりたいと夢見続けている。
 それゆえに困っている誰かを助けようとした結果時折暴走したり、トラブルを起こして停学になった事もあった。
 親切やお節介で人に関わって、結果、助けようとした人間に裏切られたり詰られたりもあった。
 それらの出来事を重ねてもなお基本骨子がまるで変わらない筋金入りの馬鹿。
 それが草薙紫雲だ。
 そんな奴が『たくさんの誰か』を助けられる力を手に入れたら何をするかなんざ、分かりきっている。
 
 要するに、魔法多少少女ヴァレットとは、  色々な思惑や事情から不可思議な力を与えられた草薙が、
 与えられた力に連なる使命達成を最優先とした上で、そこに自身のエゴやら事情やら願望やらを重ねた結果誕生した正義の味方(ただし、現在の草薙的にはあくまで正義の味方”志望”の魔法使い)なのである。
 そして、それゆえにこの街で起こる様々な事件を放っておけず、さっきのように『特殊な力の持ち主』が活動すれば動き、それに見合った行動を起こす。
 普通の事件や事故にも解決協力しまくっているが、主な活動はそちらの異能がらみのあれこれである。
 
 そこに高崎が懸念しているような危険がないかどうかは、正直難しい所だ。
 俺達が知る限り、明確な命の危険があったのは一ヶ月半ほど前に起こった『怪獣事件』ぐらい。

 しかし、それはあくまで俺達が知る限りの話。
 ヴァレット達に魔法の力を与えた連中によると、彼女達はシャッフェン以外の能力者とも多数相対しているらしく、俺達の想像を越えるような危険な状況も確かにあるのだろう。
 
 だが。

「心配はいらないさ、清子」
「明」
「だって相手シャッフェンなんだろ?」
「らしいな。だったらなぁ」
「まぁ、あんまり心配する要因はないな。ヴァレットたんなら一蹴するだろ」 

 基本・日常的にヴァレットや、その年下の先輩である所の魔法少女オーナが相対するのは、
 この街を代表するナンバーワン馬鹿と言っても過言ではないトラブルメーカーこと、
 紅の狂魔術師・マッドマジシャンを自称するシャッフェンが起こす馬鹿げた騒ぎ位で、
 それもヴァレットやオーナがシャッフェンをまるで相手にしない圧倒的な力を持っている為、
 アイツ相手ならば彼女達の活動には危険があまりないように思える、というかほぼないと俺は確信している。
 そして、久遠や直谷もそう思っているようだ。

「そういう事だな。むしろ信頼してるからこそ心配してないんだよ」

 皆の意見を総括して俺が言うと、高崎はそんな俺に半眼気味の視線を遠慮なく向けてきた。
 明らかに納得していない表情である。

「……呆れたわ。信頼とかどうとか関係ないわよ。
 普段男の子の格好してても、紫雲は女の子なのよ?
 ヴァレットが誰か知らない時だって危ない事してるなって思ってたけど、それが紫雲だって知った以上尚更そう思うのは当然じゃない。
 勿論、オーナちゃんにもそれは言えるわ。
 ……二人の存在が身近になってからそんな事を言い出したのは卑怯かもだけど」

 少し前までは正体を知らなかった『遠い他人』だったからこそ単純に応援していられたが、今は素直にそれが出来ない。
 そんな自分勝手さに高崎自身情けなく思ってはいるが、かと言って正体を知ってしまった以上、心配せずにはいられない……というところだろうか。 

「むぅ。それはまぁ、清子の言うとおりかもな」
「相変わらず明は女に甘いな。流石元ハーレム王」
「誰が元ハーレム王だっ!?」
「……馬鹿征は後で制裁するとして」
「何でお前がっ!? というか、俺は事実言っただけだろっ!」
「あんまり思い出したくない事を思い出させたからよ。
 まぁそれはさておき。
 大体ね、単純に心配だから心配なのであって……」
「アイツの幼馴染の俺から言わせてもらえれば、女の子つっても草薙なんだが。
 アイツが昔から馬鹿みたいに強い事を知ってる俺からすれば、それこそ心配無用なのが丸分かりというか」

 アイツは実際強い。超強い。
 平赤羽市で活動していた不良グループを殆ど単独で壊滅に追い込んだり出来る時点でもそうだし、
 俺の知らない所では幽霊や妖怪変化とも戦ってたらしいのも含めると尚更だ。
 そんな確信を込めて発言した俺に、先程より冷たい視線を送りながら、高崎は言った。

「はん、そんなんだから紫雲が女の子だって気付けないのよ、この鈍感男。
 ないわー。約十年気付かないとかないわー」
「ぐっ」

 地味に気にしているところなので、そこを突かれると正直痛いです。勘弁してください。

「でもまぁ、これに関しては艮野の言ってる事に賛成だな。
 俺は、草薙の強さについては詳しく知らない。
 だが、ヴァレットたんの強さについてならよく知ってる。
 不調ならまだしも、最近のヴァレットたんがシャッフェンに負ける姿が俺には思い浮かばん」

 一ヶ月前の『怪獣事件』以降、ヴァレットは絶好調らしい。
 前にも増してシャッフェンを簡単に一蹴するようになり、俺が知る限りでも、シャッフェンがらみ以外の幾つもの大事件を解決しているからだ。
 あの『事件』は、どうやらアイツに何かしらの踏ん切りをつけさせたらしい。
 ……その辺りには俺、いや、俺達に正体を知られた事も絡んでいるのかもしれない。

 閑話休題。

「まぁ、それはそうだな。
 最近の活躍から察するに現場について三分くらいでケリつきそうだ」
「俺は一分だな。その前のシャッフェンとの問答に多少時間が掛かりそうだが。
 アイツ、昔からそうなんだが要らない心遣いとかし過ぎなんだよ」
「いや、だから、そういうことじゃなくて……せめて見に行きましょうよ」
「野次馬か? 高みの見物とは趣味が悪いなぁ、清子」
「征ぃ……そうじゃなくってぇっ!」
「……心配だから見守りに行こう、というのなら、あまりお勧めはしないかな」

 部屋の隅から響いたその声を聞いた瞬間、高崎が微妙に硬い動きになる。
 何故なら、その声の主は人間ではないからだ。
 基本常識人であり常識を大切にする高崎にとっては常識外の存在であるソイツは苦手な存在らしい。
 ソイツ……通常時は黒猫の姿をした生き物でない生き物、
 草薙にヴァレットになるきっかけを与えた異世界良識概念結晶体……クラウドと自らを名乗る存在は、寝転んだまま、尻尾を振りつつ、呟いた。

「君の気持ちはありがたい……紫雲はそう思うだろうし、僕もそう思う。
 だがしかし、その気持ちからの行動として君が危険な場所に赴く事は、紫雲も僕も望まない」
「……」

 あ、高崎の奴硬直してやがる。
 どうやらまだクラウドのヤツに慣れてないらしい。
 まだ一学期程度の付き合いだが、こういう不可思議なものへの耐性は皆無なのは、極めて常識人な高崎らしい気がする。

「……清子君?」
「あ、ご、ごめんなさいクラウド君。でも艮野だって、この間の怪獣事件で無茶を……」
「ケースバイケースという奴だよ。
 正直、この言葉はなんにでも……悪い意味でも利用出来るから好きじゃないんだけどね。
 ともあれ、この間は街全体が危険な状態だったわけだし、比較としては適当じゃない」
「要するに?」

 クラウドの言いたい事を大体察して、俺は先を促した。
 そんな俺の思考を理解しているのか、小さく頷いてからクラウドは言った。

「要するに、不必要に危険な場所に行く必要はないという事だよ。
 ……まぁ、とは言うものの、そもそも灰路君達が言うように危険はないだろう。少なくとも現状ではね。
 そうなると別の意味で行く必要がないと言わざるを得ないね」

 そう語るクラウドは、猫らしい寛ぎっぷりを俺達に見せ付けていた。
 言葉の調子とは正反対なその様子は、ヴァレットの危険がゼロに近い事の証左、アピールをしているのかもしれない。

「それって、どういう……」
「すぐに終わるから見に行くと徒労になるから、だよ、清子君」
「そうかも……だけど」
「ふむ。とか何とか言ってる内に、終わったよ」
「え?」
「話していなかったかもだけど、僕は紫雲と意識をリンクできる。
 要はあっちの状況が丸分かりな訳なんだが……」
 
 クラウド曰く。
 シャッフェンが例によって例の如く理解出来るんだか出来ないんだか分からない理由でガラクタを動かしている事、騒動を収めるつもりが微塵もない事を知ったヴァレットの必殺技『イレイズ・ブレイク』で片がついたらしい。
 まぁこれまた例によって例の如く、本人には逃げられたらしいが。
 ちなみに、決着は戦闘開始一分ジャスト。
 
「ほら言わんこっちゃない」
「……アンタね」

 自分の事でもないのに自慢げな久遠に、不満げな表情を隠そうともしない高崎が何かを言い掛ける。
 
「ただいま……」

 と、そこに草薙が帰ってきた。
 その表情は若干暗い、というか疲れている感じだ。
 詳しい状況は分からないが、疲れている理由については大体の察しがつく。
 ハイテンション馬鹿・シャッフェンを相手にした気疲れとそのシャッフェンを逃がした事への落ち込みの合わせ技といった所だろう。
 この辺りはヴァレット=草薙だと知らなかった時交わしていた世間話でもよく語られていた事でもあるので分かる。
 ともあれ、そうして入ってきた草薙を確認した高崎は、不機嫌そうな顔を一転させた。 

「あ、お疲れー。外暑かったでしょ。何か飲む……って、ここ紫雲の家だったわね」

 そう言って少し恥ずかしそうな仕草と表情を見せる高崎。
 草薙はそんな高崎に小さな笑みを向けた。 

「気遣ってくれてありがとう。
 むしろ清子さんの方こそ、麦茶のおかわりはいらない? 皆もどう?」
「あ、俺欲しいわ。頼むぜ……紫雲ちゃーん」

 俺がそう呼びかけると、草薙はこちらにチラリと視線を向けた。
 呆れているような、怒っているような、なんとも言い表しようのない微妙な温度の視線である。

「……」
「なんだよ?」
「別に。……他の人は、どうかな」
「あー、悪いが俺も頼む」
「こっちはまだ補給必要ないぞ、ヴァレットたん、じゃなかった草薙。でも菓子があると嬉しい」
「図々しい、というか厚かましいわね、あんたら……」
「いやいや、皆お客様だし。僕的には遠慮なく言ってくれる方がいいよ。じゃあちょっと待ってて」
「あ、手伝うわよ」
「いやいやいいって」
「それはこっちの台詞。いいからいいから。手伝わせてよ」

 そうして一見男子と女子の実際女子2名は連れ立って台所の方に向かっていった。
 二人の姿が視界から消えた先を眺めながら、久遠が呟く。

「うーむ。清子の奴、テンション高いな」
「草薙に気を遣ってるんだよ」

 久遠の疑問にあっさりと答えたのは直谷だった。
 久遠と同じく二人が去っていった方向を眺めていた視線をこちらに戻しつつ、言葉を続ける。

「アイツ、草薙がヴァレットだと……というより、女だと知って以来、気にしてるみたいだな。
 多分、知ってる自分が気に掛けないと誰も草薙を女扱いしないから、とか考えてるんじゃないかと思う」

 そう言えば、ここ……草薙家で宿題やる事にやたら積極的だったな、高崎。
 数日前の提案自体は草薙自身だったが、高崎がやたら強く賛成していたのが印象に残っている。
 それというのも草薙に自然体で……女の子らしくいられるように、という高崎の配慮だったのかもしれない。
 ……まぁ、草薙は家でも普通に男の格好してるのが多いらしいから、あんまり意味なかったかもしれんが。

「男は男らしく、女は女らしく、ってか?」
「そういうんじゃないだろうさ。
 単純に『女の子が女の子らしくできないのは辛いんじゃないか?』って思ったんだろう。
 アイツ、普段はキツいけど……ああ、いや、うん、そういう事だから」
「はいはい、惚気惚気」

 まぁ呆れ声をあげる久遠だけじゃなく、俺にも惚気に聞こえたが……それはさておき。

「いや、それだけでもないんじゃないか?」
「というと?」
「ほら、草薙が女だって分かるまでは男4人、女1人だったわけだろ?
 高崎的には最近まで居心地が悪かったんじゃないか?」

 高崎には女子の友達がいないわけじゃない。
 学校では他のクラスの女子と話している姿もよく見かけるし、俺が持っている幾つかの判断材料だけでも、女友達はむしろ普通の奴より多い方だと推測出来る。
 だが、直谷の近くにいたい高崎の都合上で俺らとよくつるむ中、女1人は寂しい……とまでは言わないにせよ、微妙に居心地は悪かったんじゃないかと思う。
 
「ふむ」
「んー…そう、かもな」
「んで、そんな中で草薙が女だと分かったもんだから嬉しくてテンション上がりやすくなってんじゃないかって気が……」
「なんの話をしてるのかしら?」

 俺がそこまで言い掛けた所で高崎がお盆を抱えて戻ってきた。
 その後ろにはスナック菓子の入った袋や箱をを幾つか持つ草薙もいる。

「最近お前のテンションが高いからなんでだろなーって話をしてただけさ。
 やっぱ、仲間内に女子が一人いると違うもんか?」
「そりゃあ、そうよ」

 予想外にアッサリと直谷の指摘を認めた高崎は、テーブルの上、それぞれの近くに麦茶を置き終えてから、改めて口を開いた。

「人をことあるごとにからかうディープオタク男や、
 軽薄で惚れっぽい癖に色々と鈍感な馬鹿男、 
 女の子全般に甘い癖にさっっっぱり女心が分からない幼馴染の中で、
 常識的で優しい女子がいてくれるのが、なんと心強くてありがたくて嬉しい事か……って」

 そこで高崎は、いつからか自分に向けられていた草薙の視線に気付き、慌てた調子で言葉を継ぎ足していく。

「ち、違うのよ、紫雲。
 別に私は貴方の事をこう、緩衝材とか、利用的な意味で見てるわけじゃなくて、その……」

 草薙は部屋の隅、クラウドの近くの床に……テーブルだと勉強の邪魔になると考えたのだろう……お菓子の袋をひとまず置いてから高崎に向き直って、言った。
 その顔に、穏やかな微笑みを乗せて。

「私も、清子さんが近くにいてくれるの、凄く心強いし、嬉しいな」
「う、うぅ……し、しうぅぅぅんっ!」

 あえてだろう、一人称『私』を使いつつのこれ以上ないストレートな言葉に感極まったのか、高崎は草薙に抱きついた。
 咄嗟の事だから反応できなかった……ってコイツはそんなタマじゃないか。
 暴漢か何か、自他に害を及ぼすものなら、草薙は投げ飛ばしている(断言)。
 多分、女の子から抱きつかれるという不慣れな状況で反応しずらかったのだろう。
 逃げもせず、払いもせず、されるがままになった。

「き、清子さんっ……!?」
「うぅぅ、貴方がいてくれて、ホントに良かった……」

 一見男女が抱き合って見えるのは中々複雑というか、リアクションに困るというか。
 横では馬鹿二人が「これが所謂百合って奴なのか?」「いや、これは普通の、素晴らしい友情だ」などと言葉を交わしている。
 だがまあ、それはそれとして突っ込みは入れておこう。

「おーい、ソイツは男装してる魔法少女だぞー。
 身体鍛えるのとヒーローが大好きな正義マニーで、お前が嫌う非常識の塊だぞー」
「ふぅーんだっ! 中身は全然常識的な良い子だもんねぇぇっ!
 少なくともアンタらより全然許容範囲内よっ!」

 紫雲を抱きしめたまま、俺を、というか俺達をキッと睨みつけながら高崎が言う。
 なんだろう、凄い理不尽な事を言われている気がするんだが。

「紫雲っ! そのままのっ、そのままの貴方でいてねっ!? こんな馬鹿共に染まらないでねっ!?」
「いや、あの、その……僕の方が馬鹿というか、皆は馬鹿じゃないと思うけど、えと、その、前向きに善処するね……」 

 高崎の懇願染みた、あるいは懇願そのものの言葉に、草薙は困ったように、それでいて嬉しそうに再度笑うのだった。















「ふむ、皆はもう帰った後か」

 窓から差し込む夕日で赤く染まった、少し前まで騒がしかった客間。
 今は誰もいないそこに顔を出したのは、紫雲の実姉たる草薙命。
 彼女の疑問めいた言葉に、部屋の隅で寝転がっているクラウドが淡々と答える。

「ああ、ほんの少し前に帰ったよ」
「そうか。
 街の方でシャッフェンが現れたらしいから、その余波でまだいるかと思ったんだが」
「今日は予想以上に早く終わったからね。いや、今日も、かな」
「そうか。ところで、クラウド」

 瞬間、クラウドに向けられていた命の視線が真剣味を帯びたものへと変わる。

「やはり、私は君の力を受け入れられないのか?」
「ああ、そうだね」

 一瞬だけの視線に気付きつつも、クラウドはそれについて何も語らず、命の疑問にだけ答えた。
 正確に言えば、答える事しか出来なかった。今はまだ。

「僕とフォッグでは、君をヴァレットやオーナのような浄化能力を持つ異能へと覚醒する事が出来ないんだ。
 すまない」
「ふふ。別に謝る必要はないさ。
 むしろ、ホッとしたところだよ。愚妹のような姿にならずに済んでね」
「……ふむ」

 紫雲の友人たる久遠征なら一部の層には需要があると語ったりする所なのだろうか。
 少し考え込んだクラウドだったが、答は出なかった。  

「さておき、今日は予想以上に早く終わったそうだが、タイムは?」
「シャッフェンとの漫才染みた問答を抜きにするなら一分だね。
 ここにいた皆が、特に清子君が紫雲を心配してたんだが、今回は杞憂に終わったよ」
「そうか。……」
「何か気になる事でもあるのかな?」
「気になる事、ではないが。そうか、清子君が……んーむ」
「ところで、その袋はなにかな? 良い甘さの匂いが漂ってきて、正直堪らないんだが」
「ああ。折角の来客との事で、幾つかデザートを買ってきたんだが……君も食べるかな?」
「ありがたく頂戴しよう。甘いものは好きだ。量があれば尚良い」

 言いながら、落ち着きなく尻尾を揺らすクラウド。
 それを見て命は苦笑した。
 眺めているとただの動物にしか見えないが、それはそれとして言っておくべき事がある。

「クラウド。嬉しい時に尻尾を振るのは犬だと思うんだが」
「ぬぅ。人前では気をつけよう」
「あと、デザート、全部は食べないでくれよ。愚妹に与える分がなくなる」
「心得てるよ。君達姉妹も甘いもの好きなのは知っているからね。
 もっとも紫雲の方は質より量というか、甘いもの好きというより食べ物全般が好きみたいな感じだが」
「その認識は間違っていないと思うぞ。
 確かに特に甘いものが好きだが、食べる事そのものを楽しんでる節があるのも事実だしな。
 なんというか、アレは趣味……というか好きなものの幅が広過ぎる。
 ヒーロー関連が大好きかと思えば、少女漫画も好きなようだし、小遣いで変身グッズを買ったかと思えば、ぬいぐるみを買ったりもする」

 他には、滅多に着る事のない、女性用の衣服や下着をごくたまに購入して、少しずつ増やしているのを命は知っていた。
 時期的には、ヴァレットになり始めて少し経った頃から、だろう。
 紫雲的に、命に対してそれらの購入を隠しているわけではない。
 以前帰宅時に持っていた大き目の紙袋に命が気付き、尋ねた時、紫雲はそれらの購入の事実やその理由を素直に口にして認めもしていた。
 ただ、紫雲自ら男装している手前、おおっぴらに(と言っても明らかにするのは命のみにだが)購入するのも、話題として口にするのもバツが悪いのだろう。
 だから購入について、自ら語るような事はしない。
 ……もっとも、命やクラウドはしっかとそれらの購入物について把握しているのだが。
 
「その辺りは、環境による所だろうね。
 そういう意味では、現状紫雲は少年でもあり少女でもある。恋する乙女な部分を除いてはね」
「……そうだな」
「やはり、君としては紫雲が少年であろうとする事は好ましくないか」
「んー。難しいな。
 私的にはアレが男装する事より、昔からの言い伝えに従う事そのものが気に入らないからな」
「なるほど。
 紫雲の男装は、君達が背負っているものの象徴みたいなものだから、と言った所か」
「まあ、な。
 仮に一族云々関係なくて、趣味や主義で男装していたとしていたら……うーむ、想像できないな。
 少なくとも苦笑い位はするだろうが」
「ふふ、そうだろうね。
 で、近々その男装する理由になった伝承について調べに行くんだって?」










「いや、男装そのものじゃなくて、草薙家の伝承について、ひいおばあちゃんに改めて話を聞きに行くって感じなんだけど」

 勉強会という名の宿題片付け会を終え、それぞれがそれぞれの帰途についた現在、一緒に歩いているのは買い物があるという草薙とそれに付き合っている俺だけ。
 そんな中話題に上ったのは、近々両親の墓参りと調べ物をかねて草薙が田舎行きする事についてだった。
 ちなみに、母方、つまり草薙家にとっての故郷、田舎らしい。

「あと、そのついでにもっと鍛えようかなって感じ」
「そっちは例年通りだな。
 そういや、ひいばあちゃんって、お前的にもう1人の師匠とか前言ってなかったか?」
「変な事ばかり覚えてるね、灰路君は」
「一般男子はそういう面白そうな単語には反応するもんさ」
「……一般はともかく、灰路君はそうだよね、昔から」

 呆れ気味に呟いてから、草薙は言葉を続ける。
 
「ひいおばあちゃんは、魔的な術関連の論理とか心構え的な意味での師匠って感じかな。
 姉さんやおばあちゃんからも教わってたんだけど、僕のそっちの覚えがあんまりにも悪いもんだからか、二人の師匠たるひいおばあちゃんが直々に教えてくれる事になって」
「魔的?」
「陰陽術とか魔術とか、そっち方面の術の事」

 努力、精進の虫である草薙にとって、努力しても出来ない事があるのは悔しい事なのだろう。
 それについて語っている今は若干肩を落とし気味だった。

「まぁ、それでもソレを習ってたおかげでヴァレットとしての魔法の使い方が飲み込みやすかったんだけどね。
 下手は下手なりに、だけど。
 姉さんは僕とは逆にそっち方面に長けてて、普通のお医者様じゃ治せない病気の治療にも使ったりするね」

 その辺りは、以前に少し聞いた事があった。
 命さんは幽霊やら悪魔やらに憑かれた人間や、その経過で負った特殊な病気や怪我を治したりする事も出来るらしい。

 ただし、それは通常の医療行為に該当しない為、当然大っぴらに出来る事ではない。
 ちゃんと誰かが(命さん自身を含む)診察した上で『現代医療の範疇外』だと判断できた場合だけ、患者に了解と秘密を徹底してからコッソリと行っている……との事だ。
 医者として結構な腕らしい命さんが、幾つかの病院からの誘いを蹴って個人病院を続けてるのは、多分その辺に関係があるんだろう、などと俺は思っている。

「じゃあ、お前はそういうの全然使えないのか?」
「いや、初歩の術なら幾つか使えるよ。
 変身した時使う正体撹乱の絵も、初歩の式神の技術というか概念というか、それを織り込んで作るものだし」
「へぇ」

 式神なんてものが使われていた事に改めて驚かされる。
 そう言えばコイツ、昔何かの練習とか言って大量に紙飛行機を作ってたような。
 その時はよく分からなかったし、気付かなかったが、コイツが作った紙飛行機とか妙に長く飛んでたのはその辺りが理由なのかもしれない。

「まぁ、その初歩を使えるようになるまでがホント大変だったんだけどね……。
 自分からも教授を頼んでおいてなんだけど、正直当時は死ぬかと思ったよ。
 でも、ひいおばあちゃんのお陰で初歩は使えるようになったし、体術の方も劇的に磨きが掛かったからね。
 僕的には凄く感謝してる」
「……そういや、夏休みが終わった後は怪我ばっかりしてたよな、お前」

 小学校時代の夏休み終盤、田舎から帰ってきたコイツは体中に絆創膏を張っていた。
 修行云々言っていたのを当時の俺は空手の練習的なイメージしていたのだが、実際は通常考えられるソレより遥かに過酷だったらしい。
 中学時代、ほぼ全身に包帯を巻いた姿を見て、驚きやらなにやらで問い詰めた時に俺はソレを知った。

「あー……あの頃もそうだけどな、最近とか、傷、残ってたりしてないか?」
「へ? ああ、うん。多分そんなに残ってないと思うけど……それがどうかしたの?」
「そうか。……残ってなくて良かったな。そんだけの事だよ」

 横を歩いている草薙から微妙に視線を逸らす。
 正直、今草薙を視界に入れるのは……それが例え手足だけでも……照れ臭かった。

「……。えと。その。あ、ありがとう、灰路君」

 だから、草薙がどんな表情をしているのかを見る事はできない。
 できなかったが、草薙の言葉で、俺はなんとなくホッとした。
 ――なんでホッとしたのかさえ、よく分からないのに。
 だけど、それがまた気恥ずかしくて、ぶっきらぼうな言葉で返してしまう。

「別に。礼言われるような事は言ってないさ」
「ううん。僕にとっては御礼を言うべき事だよ」

 そんな言葉だったのに、草薙は微塵も不快に感じていないようだった。
 そう確信出来る、穏やかな声が隣から響いて来る。

 昔から、そうだった。
 俺が照れ臭さなどから投げやりでぶっきらぼうな言葉を使ってしまった時、草薙は同じ方向の言葉で返す事をしない。
 そこにおふざけを混ぜてしまわない限りは、優しくそれを受け止め、穏やかに返してしまうのだ、コイツは。
 昔は……いや、少し前までは、そうされるのが妙に腹立たしく感じる時もあった。
 今にして思えば、それは……って、それ以上考えたら照れ臭いどころじゃないな、うん。
 そんな理由から、俺が浮かびかけていた思考を脳内で振り払っていると、会話の途切れ……と言っても数秒と経っていないが……を気にしてか、草薙が言葉を続けた。

「……でも、なんとなく今年も怪我しそうな気がするから、なんていうか、その、申し訳ないけどね」
「ああ、まぁ、その、なんだ、気にせず頑張れ。気をつけつつな」
「う、うん。頑張るよ。気をつけつつ、うん。出来る限り」
「おう、そうしろ」
「うん、そうする」
「……」
「……」

 なんとなく、微妙な雰囲気になる俺ら。
 我ながら思春期真っ盛り中学生か、とか突っ込みたくなる。というか、他人事なら突っ込んでいる。

 しかしながら、それが自分事になるとそうはいかない訳で。
 まぁこの辺りは俺がまだ色々と決めかねている、というか、冷静になれないでいるからなのだが。

 何についてかというと、勿論『草薙紫雲=ヴァレット』という存在への、俺の気持ちだ。

 草薙紫雲という男友達については、そもそも嫌いじゃなかった。
 大体嫌いなら十年も腐れ縁をやっていない。

 ヴァレットという存在については、魅力的な女の子として意識していた。
 草薙とイコールの存在だと知るまでは、明確に好意を自覚するようにさえなっていた。

 じゃあ、今の草薙はどうなのか……そこの結論を出せずにいるのが現状だ。

 勿論好き嫌いで語るのなら、好きに傾くだろう。
 しかし、それがダチとしてなのか、女の子としてなのかが難しい。
 それを見極める為に、最近は今までとは違う呼び方や会話を試しているのだが……どうにも、難しいというか、判断材料が少ないというか。
 特に用がないのに今こうして一緒に歩いているのも……あ、いや、これはその辺り関係なく昔からだな。
 その辺りを模索するあまり、つい意味もなくからかうような形になって、草薙を微妙に怒らせてしまう事もあったり、反省もしていたりする。
 
 まぁとにかく、だ。
 俺的には、もう暫くは様子見だ。
 ……と、俺はそう思っているわけなのだが。   

 草薙自身は、どう思っているんだろうか。
 この十年、どんな気持ちで男装していたんだろうか?
 俺の事をどう思っていたんだろうか?
 
「……」
「……」
「……えと」
「……しかし、あれだな」
「な、なにかな」
「お前の場合、頑張り過ぎて余計に怪我しそうっつーか、いつもそんな感じだよな」
「んー、そうかな」
「ガキの時とか体育の授業で全力で走ったり泳いだりして、勢い余って転んだり、水面に思いっきり全身叩きつけたりしてたよな。
 ……って、あれ? お前、昔は水泳の授業出てたよな。確か、男子の水着を……」
「っ!? ちょ、それは思い出さないでっ!」
「えー? その頃はガキだったわけだし別にいいだろ。俺はそれで興奮するようなロリコンじゃないし」
「そういう問題じゃないでしょっ!?」

 珍しく心底動揺しているのか、微妙に女っぽい声音とイントネーションの言葉を吐き出す草薙。
 俺はそれにどうにも違和感、というか、むず痒さを覚えながらも、面白かったのでからかいながら歩いていく。

「じゃあ、今のお前に置き換えてイメージするのはありなのか? 一般常識的にはそっちの方が健全だが」
「そ、そっちも駄目っ!」
「ちっ。ケチ」
「あーもー。灰路君ってば……」

 そんな馬鹿馬鹿しくも愉快な、昔からと同じ様でいて微妙に違う問答や会話は、互いを笑顔にさせながら、俺の家の前まで続いたのだった。
 ……俺の心に、微かなざわめきを残しながら。










 ……続く。






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