第12話 たまにはマジの大決戦・後編1
むかしむかし。
たくさんの世界を旅しながら、たくさんの世界を壊してしまう化け物がいました。
その化け物は全部で五体いて、それぞれ勝手気ままに世界を渡っては、世界中を自分と同じ緑色の結晶にして、世界の全部がそうなるとコナゴナに割って壊して、また次の世界へと渡っていきました。
何故壊すの? そう訊いた世界も壊されました。
ソレに理由なんか無いみたいです。
少なくとも答えてはくれないみたいです。
壊す為に生まれたのか、生まれたから壊すのか、壊したいから壊すのか。
そんな事を誰かが考えても無駄みたいに、化け物は世界を壊し続けました。
でも、壊された世界は、ただ無残に壊されたわけではありませんでした。
結晶になっても、こなごなになっても、意志を残していた世界もありました。
そんな結晶達は、化け物が獲物を求めて世界を繋げる穴を開く瞬間を狙い、化け物が次に狙いを定めた世界に舞い降りて行きました。
その世界を自分達の世界の二の舞にさせない為に。
化け物の存在、戦い方、戦う為の力。ソレを伝えるために。
勝てない事はわかっていました。
それでも、世界の欠片は、幾つもの世界の欠片達は何度も何度も挑みました。
そうして少しずつ、方法を、力を磨いていきました。
例え化け物の正体が神様であったとしても、自分達の世界を、自分達の世界とよく似た世界を勝手に壊すなんて許せなかったから、懸命に。
そうして、世界の結晶はずっと戦い続けてきました。
そんな戦いの果てに、ついに化け物達は私達の世界にやってきました。
そして、それを追って世界の結晶達も私達の世界にやってきました。
まず小さな島国に化け物が現れ始めました。
ソレを食い止めようと結晶達はその島国で元々不思議な力を持っていた一族に接触しました。
彼等は話し合いました。化け物を倒すにはどうすればいいかと。
でも、その時はまだ準備が足りていない事が分かっただけでした。
ヒトに化け物に打ち勝つ特別な力を与えるための種子はまだ完成していなかったのです。
『ならば、今はせめて追い返そう。準備が整うその日まで』
そう決意した一族の長の男は、結晶の意思の同意を得て、結晶世界一つ分を一振りの刀にして、化け物の尖兵達と戦い……ついには彼等を世界と世界の壁まで追い払いました。
でも、特別な力を持っていても人間は人間。
化け物と対等以上に戦う為の代償はあまりにも大きかったのです。
一族の長はいつしか結晶と一つになり、世界の壁の向こうへと消えていきました。
そんな彼が、最後に言い残しました。
自分はついに化け物の致命的な弱点を見つけた。
だから、いつか必ず世界に、輪廻の輪に戻って見せる。
その時こそ、化け物を倒せるときなのだ、と。
彼の血を引く者たちは、それを伝えることにしました。
いつか、然るべき時と場所が来た時、世界の危機を救う為に。
それから、その一族には、女しか生まれなくなりました。
不思議な事に、ずっとずっと女しか生まれませんでした。
まるでかつて壁の向こうに消えた、一族の長の帰還を待ちわびているように。
だから、そう。いつか一族の……私達の子孫に男が生まれたのなら。
その子はきっと、運命の子なのです。
「おしまい」
老婆はそう言って微笑んだ。
孫娘にせがまれて、幾度となく話した自分達のルーツをその日も長々語り終えて疲れたのだが、ソレはおくびにも出さない。
「ねぇ、男の子じゃないと、駄目なの? そうじゃないと皆を守れないの?」
「そう聞いてるわね、私は」
孫娘の疑問にあっさり答える老婆とて、この話を最初から鵜呑みにしたりはしなかった。
見方を変えればこの物語は救世主に憧れる人間の妄想話、あるいはちょっとした新興宗教になりかねない危なさがある事ぐらい分かっていた。
だが、そうじゃない事もまた分かっていた。
ずっと一族に伝わる不思議な力の数々、何百年を重ねても女しか生まれない家系……それらが、自分達の伝承にどうしようもない説得力を与えていた。
「なら、私……『僕』になろうかなぁ。
皆を、守れるのなら」
そんな家系に生まれた幼い少女は、祖母にそう言った。
少女は、憧れていた。
皆を守るヒーローやヒロインに。
両親が早くに亡くなった事で、同世代の子供達に各種行事で『来ない』両親の事を指摘され、そんな些細な事で苛められ、一人遊びが続いていた少女は、皆を守る事で皆と繋がるテレビのヒーローの形にどうしようもなく焦がれていた。
だからなのか、少女は真っ正直だった。
真面目で、優しく、嘘をつかない、そんな少女だった。
そして、そんな少女だったからなのか、そんな少女になってしまったからなのか。
少女は、世界を守る為なら、ヒーローに本当になれるのなら、『男の子』になってもいいかな、彼女はそう思い始めていたのだ。
実際、そんな少女の意思は今代の彼女達一族の望みでもあった。
長い長い間男児……運命の子を得られなかった彼女達は、ある程度の周期と条件が重なった時、自ら男を纏う事で運命を切り開こうとする試みを何度か行っていた。
『その時』が来ない以上無駄なのかもしれないが、何もせず手をこまねいているよりもマシだと。
万が一運命が重ならず、『その時』運命の子が生まれなかった場合に備える意味でも必要だと。
その試みを行う基本的な条件は極めて簡単かつ単純。
一族の伝承者と成り得る人間が二人以上いる事。
幸か不幸か少女には姉が居た。
少し歳が離れた姉自身は、妹……少女の考えに難色を示していた。
だが、少女自身が幼いながらも伝承を理解し、ソレを受け入れ始めていた事、普段は大人しい妹が時として凄まじい頑固さを発揮する事を理解していた為、下手な発言は藪蛇だと判断し、一族の最終決定まで暫し傍観せざるを得なかった。
当時は姉自身もまだそれなりに幼かった事も少女の考えを完全否定出来なかった理由の一つだった。
そんな少女の考え……この現代において尚時代錯誤なソレを貫くための影響力を、この一族は長い歴史で作り上げ十分に持っていた事も少女を少年にする土壌となった。
学校その他に『話を通す』位の事は、この一族には容易い事だったのだ。
だが、最終的に少女の考えを決意に変えたのは、一族云々など全く関係のない、一つの出会いだった。
ある日、かの少女はまともな女の子として最後の一日を過ごそうと、子供なりに目一杯のおしゃれをして公園に出かけた。
その日、その公園には、男の子が一人居た。
初めて出会った二人は遊んだ。
子供の時は、別に知り合いとか友達じゃなくても、そこに誰かいたら一緒に遊ぶもの。
少なくとも二人はそうだった。
そして、少女にとって少年は久方ぶりに自分の境遇を知らない、自分を普通の女の子だと見てくれる存在だった。
少年は少年で可愛い少女の登場に喜び、ややテンション高めだった。
だから二人は楽しく遊んだ。
互いに幼くも素直な好意を抱きながら。
そうして遊んでいるうちに、『雪』が降った。
二人はそれが自分達を含む、多くの人間の人生を変えるものとも知らず、積もれば良いねとか、この雪が積もったらどうなるんだろう、などという他愛もない話をしながら遊び続けた。
そんな中で、少年と少女はこんな会話を交わした。
子供の頃なら、誰もが一度はやるような他愛ないヒーローごっこのはじまりに。
「ヒーローごっこー? お前とー?
女の子ならおままごとじゃないのかよ」
「……いいじゃない。好きなんだから」
「……ま、まぁままごとやるよかいいけどさ。
その、じゃあ、やるか」
「うんっ!!」
「……」
「どうしたの? 顔赤いよ? 大丈夫?」
「だ、大丈夫だ、なんでもない」
「ならいいけど……。
えと、じゃあ、まず私が先に王電仮面やるね」
「うーん…駄目だ、先に俺がやるーっ」
「私がやりたいー」
「お、お前、ヒーローなんか似合わないぞ。その、なんだよ、女の子じゃん。
女は男より弱いから、ヒーローにはなれないだろ」
「……っ」
少女は、何気ない少年の言葉に、何かの感情が沸き立つのを感じた。
それは、自分が『なりたい』と少なからず思っていたものに『なれない』と否定された事への悔しさや微かな怒りだったのか。
その時の少女には、それを冷静に理解出来なかった。
当然の事ながら、少女の幼さゆえの事だった。
だから、少女はただ反発からその言葉を口にした。
「そ、そんなことないもん。
わ……わ、私……お、男の子だもん……男の子に、皆を守るヒーローに、なるんだもん……!」
それは、些細な売り言葉への買い言葉。
そう、少女の家の、特殊な事情が無ければ、ソレで済んだ筈の話。
でも、済まなかった。
少女の家の事情もさることながら。
それ以上に。
その少女が、嘘が嫌いな、あまりにも真っ正直な少女だったからだ。
一度口にした事を簡単には曲げられないような、そんな少女だったから。
些細な事では済まなかったのだ。
「お、おまえ何変なこと言ってるんだよ」
「うう、だって……私……なるんだもん……やりたいんだもん……!」
こうして、少女は望み、決意した。
ヒーローになる事を。
ごっこ遊びの延長だったのかもしれないが、それが決断を後押ししたのは紛れも無い事実。
少年の言葉により、少女が『自分がやりたい事』を自覚した……少なくとも少女にはそう思えた……のは確かな事だった。
だから。
この時を、この時生まれた様々な感情を切っ掛けに、女の子は『男の子』になった。
少なくとも、女の子はそうしようと思っていた。
「わ、悪かったよ。でもさ……」
その時の、男の子の言葉を胸に刻んで。
そんな、どうしようもなく幼い決意が。
『ヒーローになる』という言葉を真実にする為の行動が、嘘が嫌いな自分に『男の子』という嘘をつかせるという矛盾を生み出す事に気付く事もなく。
それから約十年後。
「……ハァ」
進まない宿題に溜息を付いてシャーペンを置いた少年は、時計を見る。
時間は夜の九時。この時間に来客は無いだろう。
「じゃ、着替えようかな」
呟いて、少年……草薙紫雲は、部屋着の上着を脱いだ。
ふと下げた視界に写るのはギチギチに胸の膨らみを締め付け、押え付けたさらし。
少女を少年にする道具の一つ。
「ふぅ」
さらしを解いて、紫雲は一息ついた。
今の所そう大きくは無いのだろうが、それなりに膨らんできているのを隠すのは大変で、凄く息苦しい。
秋から冬の間は毎日やっている肌を微妙に黒くする化粧も結構手間が掛かる。
喉仏を隠す為に首元を隠す動作や服装について油断無く行ったりするのも大変だったりする。
それらは別に強制されているわけじゃない。
祖父母が亡くなっている事もあって、紫雲の姉は、女の子に戻ったっていいと言ってくれている。
だが、彼女はソレを良しとしなかった。
「……今更、ね」
今更止める訳にはいかない。
少なくとも続けられる以上続けるべきだ。
色々な事を知って、自分の抱えるものが真実かどうなのか疑う日もあるにはある。
だが、自分がその役割を果たしさえすれば、もう誰も……今の所想像すら出来ない自分や姉の子供達が……今の自分と同じ事をしなくて済むのだ。
男装したからと言って使命を果たせるとは限らなくても。
使命が確かに存在している保障が何処にもなくても。
僅かにでも可能性があるのなら、何もせずにはいられない。
そう思うがゆえに、彼女は彼である事を続けていた。
それに、もう簡単に女の子には戻れはしない。
戻った時、『彼』は自分の事をどう思うのだろうか。
それが不安だったからだ。
「灰路、君」
彼は……かつて公園で出会った少年は忘れてしまっていたが、少女は、紫雲は覚えていた。
彼は変わってしまった紫雲の中に女の子を見つける事が出来なかったが、紫雲にとって艮野灰路は初めて好きになった男の子だった。
いや……歳を重ねる事に好意は少しずつ少しずつ積み重なっていたので、今尚好きな男の子なのだ。
草薙紫雲は、女の子に甘く、時々妙に律儀で、彼なりの真っ直ぐな信念を持っている艮野灰路が好きだった。
「……馬鹿だなぁ、私って」
あれから十年。
彼が自分の事を忘れても、気付かなくても当然の事だ。
女の事である事を隠す為に色々努力してきたのだから。
まだ胸の膨らみが無かった頃、小さなビニールプールで二人だけで遊んだ際、男の子だと思わせる為に男の子の水着で一緒に遊んだり(当時は少し、今は死ぬほど恥ずかしいのだが)。
トイレに一緒に行ったり(流石に並んで用を足すのは無理だったが、それでもかなり勇気を振り絞った)。
男の子としての話題についていくために、ちょっとHな本を読んで勉強して、その手の会話を交わしてみたり(色々な意味で泣けてきたが)。
(プールの時は危なかったなぁ。水着脱がされそうになったりしたし。
着替えの時とか先生には話を通してても誰かに詮索されるのは避けられなかったし)
正直な所、よくもまぁ今の今までバレずに済んでいるなぁと紫雲自身思っていたりする。
そうした様々な苦悩の連続と努力の積み重ねの末に、紫雲は灰路に自身が男の子であるように刷り込み、思わせる事に成功していた。
そうして灰路が自身を男だと思っている……思わせている以上、彼との恋愛など出来るはずもない。
そうである以上、すっぱりきっぱり諦めて紫雲自身別の誰かを好きになるべきだ。
いや、男装を続けるのであれば誰も好きになるべきではないのかもしれない。
……将来的な事を考えると色々難しい問題だ。
まぁ、いずれにせよ。
艮野灰路に拘り、この所の彼の惚れっぽい性分に苛立つ自分は、あまり『正しく』はない。
『男』でしかない自分が灰路の事を縛るなんて、勝手が過ぎる。
そう分かってはいるのだが、感情の方はままならない。
「はぁ」
そうして、いつもの溜息を付いて着替えを続けようとした時。
「……誰ッ!?」
紫雲は一族により鍛えられた感覚で、背後に生まれた異質な気配を感じ取った。
一応胸元を隠しながら振り返った先。
そこには、何処から現れたのか、緑色に光を放つ宝石……結晶が浮かんでいた。
「……?」
幽霊や魑魅魍魎の類は見た事がある紫雲だったが、これは初めて見るものだった。
結晶は何をするでもなくプカプカ浮いて、ユラユラ揺れている。
いつまでも放置は出来ない……そう考えた紫雲は、恐る恐るながらも結晶に触れた。
次の瞬間、結晶はまるで掃除機に吸い込まれた薄い布か紙切れのように一点に縮み、
ボフン、と間抜けな音を立てて小さく爆発した。
「っ……?」
思わず顔を庇う紫雲。
……そんな紫雲にこんな声が聞こえてきた。
「む。これはまずい時に具現化したな。
お嬢さん、僕は向こうを向いているから速く服を着てくれないか?
どうにも、不味い気がする。」
爆発の後、結晶の代わりに猫が座っていた。
紫色の毛並みと紫色の目……
ぶっちゃければ殆どが紫で構成された、人語を解し、話す猫が。
「……はひいぃぃぃっ!?」
男なのか猫なのか驚くべきなのか突っ込むべきなのか、
どうにもリアクションに困ったのか、
紫雲は白い肌を隠しながらそんな微妙な悲鳴を上げるしか出来なかった。
「……なるほど、話は分かった」
そう頷くのは、紫雲の悲鳴を聞き付け駆けつけた彼女の姉・草薙命。
一応一族の正統後継者だが、基本的に一族の使命云々についてはやる気がなく(というか忌々しく思っている)、表向きの職業である医者の方に重きを置いているマイペースな人間だ。
ちなみに、弟……妹の選択についても良い感情を持っていない。
度々話し合っているものの未だ説得出来ないでいるので新たなアプローチを考えつつ日々を過ごしている。
そんな彼女は若干顔を顰めつつ、自身の考えを反芻するように呟く。
「つまり君は壊れた世界の一部……
良識部分の一部が結晶化した存在で、この世界の危機を伝えに来て、その姿はこの世界で適当に生きていくための姿のイメージを愚弟、いや愚妹から貰ったものということか」
「そういう事だね。信じられないかもしれないけど」
「いや、それだと色々と合点がいく。
十年前の奇妙な雪に始まった、平赤羽市の状況や……我が家に伝わる馬鹿みたいな御伽噺にもな」
「御伽噺?」
疑問符を浮かべる紫色の猫に、紫雲達は説明した。
自分達の家系の事を。
話を聞き終えた猫……紫雲に名を問われてクラウドと名乗った……は人間臭く顎に手を当てるような仕草を見せた。
「……ふむ。どうやら兆候は随分昔からあったようだ。
『奴』は僕達の世界の次にこの世界を壊す気なんだろう。
君達の先祖が戦ったというのは『奴』の尖兵であり、分身体だ。
そして世界の結晶体の僕がこうして今ココに居るという事は、その時期が来たということだ。
十年前の奇妙な雪もこの世界の人間に対応策を与えようとする結晶体の動きに違いない」
「……やれやれ。愚妹よ。
どうやら私達はピタリと御伽噺の実現の時期に当たったみたいだぞ。
だが、言い伝えどおりに男が生まれていない……当てにならないことこの上ないな」
「おそらくそれは……『奴』のせいだろう。
君達が多少は邪魔になると予想して、事象に影響を与えて受け継ぐ者が生まれるという事象をずらしたんだろうな」
「困ったものだな」
「全然困ってない口調だよ、ソレ」
姉の口調に紫雲はなんとも言えない表情で突っ込みを入れる。
そんな紫雲をチラリと一瞥した後、クラウドは言った。
「ふむ。どうやら僕と君達とは利害が一致するようだ。
どうだろう、協力し合わないか?」
「どういうこと?」
「僕は君達の言い伝えの成就に協力しよう。
君……紫雲だったか。
紫雲の中に宿る種子を目覚めさせ、その操り方も教える。
そうすれば君は人を越えた存在になり、人智を超えた力を扱えるようになる。
その力をもって、君達は君達の目的を果たせばいい。
その代わり、僕達の世界の種子を受け、力に目覚めた人達の暴走と『奴』を食い止めて欲しい」
「……それは、復讐?」
「いいや。この世界を僕達の世界と同じ様にはしたくない、それだけだよ」
「うん、それならいいよ」
クラウドの言葉に、紫雲は笑顔で頷いた。
「訊いておいてなんだが、いいのかな?」
「いいよ。
さっきは、それなら、って言っちゃったけど。
復讐だとしても、世界が危ないっていうのなら放っては置けないし」
「まぁ、それはそうだね」
「それに、それだけの事があって復讐じゃないって言えるのは……多分、私には想像出来ない悲しさとか強さがあっての事だと思うから」
「……」
呟きつつ目を伏せる紫雲の口元が微かに噛み締められているのをクラウドは見た。
初対面の、如何にも怪しい存在である自分の言葉を信じ、その上で悲しみや怒りを感じているのが分かる、そんな表情だった。
「そう言える貴方がもし悲しいのなら悲しさを放っておけないし、それが強さならその強さは凄く尊敬したい。
だから、私は貴方を手伝いたいと思ったの。
それに、どっちみち一緒の道を歩く事のなら最初から一緒に行った方がきっといいから。
その方がきっとずっと上手くいくと思う。
その代わり、というか、だけど……」
「なにかな?」
「その凄い力、それ以外の、普通の人助けとかに使ったりしたら、駄目なのかな。
というか使えなかったりする?」
紫雲としては、もしその力で自分に出来る事が増えるのなら、誰かの為に使う事が出来るのなら、有効に使いたかった。
その理由としては至極単純明快。
幼い頃に描いていた願望が形を少し変えながら、ほぼ純粋な善意として今もなお紫雲の中に存在し続けているからに他ならない。
「……。ああ、それは全然使えるし、使っていい」
「そうなんだ。
じゃあ改めて、協力関係成立って事で」
「ありがとう。感謝する」
そうして一人と一匹(?)は握手を交わし、盟約を交わした。
「……じゃあ、種子の目覚めだけど……
お姉さんの方は僕と微妙に波長が合わないからちょっと無理みたいだ。済まない」
「そりゃあいい、楽が出来そうだ」
「姉さん……」
「冗談だ」
確かにやる気がないし、忌々しく思っているのも事実だろうが、やるべき事を放棄する姉でない事を紫雲はよく理解していた。
だから単純に冗談なのだろうと……そこに色々な感情を含んではいるだろうが……紫雲は考えた。
「ところで、目覚めたらどうなるんだ?」
一聞すると興味本位に聞こえる言葉も、紫雲には姉が自分の事を心配してくれているのが分かっていた。
いつも誰にも優しい、尊敬する自慢の姉だからこそ、分かっていた。
「心配しないでいい。
後遺症などは全く無い。ただ『力』が使えるようになるだけだ。
こちらの言葉で言えば……魔法だな」
「ほう? 種子とやらが目覚めれば皆魔法が使えるようになるのか?」
今度は興味の方が勝ると判断出来る口調で呟く。
「ああ。と言っても共通点は無いに等しいけどね。
種子の目覚めによって壊れた世界や平行世界から各々に応じたエネルギー量を各々に応じた形で放出するから。
論より証拠、実際にやってみよう」
一分後。
「ぷ。ははははははははははは!!!!
魔法少女だな、まるっきり! はははははは!!」
「……」
レクチャーを受けて紫雲が変身した姿を見て、命は盛大に笑っていた。
普段男装して女っ気がまるで無い妹のコスプレじみた女の子としての姿がかなりツボに入ったらしい。
その姿に渋い表情を浮かべつつ、紫雲はクラウドに視線を向けた。
そんな紫雲にクラウドは肩を竦めて見せる。
「先に言っておくが、その姿に関して僕に文句を言ってもらっても困る。
その姿は君の潜在願望を形にしたものなんだからな」
「いいじゃないか、おおっぴらに女の子の姿が出来るわけだし。
それにそうなった以上普段のお前の姿から正体を連想される事も少ないだろうしな」
「そりゃ、そうかもしれないけどね……。
というか、やっぱり正体って隠した方がいいのかな」
自身の視界を覆うバイザーを上げ下げしつつ呟く紫雲に、命は言った。
「そりゃあそうだろう。
暴走しているとは言え、特異な……ヒトによっては特別な力を人から『奪う』んだろ?
良い感情をしない奴も出てくるだろう。
そいつらが良からぬ感情をお前に抱く際、お前自身はともかく、お前の周囲の人間を守るには正体を隠す方が都合が良い。
それに、その姿の力で出来る人助けもするんだろ?
どれだけの事が出来るかはさておき、『草薙紫雲』という一男子高校生じゃ出来ない事をしたいのなら正体は隠しておいた方が良いと思うがね」
「……そう、だね」
「お前にも心の何処かでそれが分かっているから、バイザーなんてものが最初からついてるんだろうと思うが」
「なるほど、確かに」
そういうものかな、と紫雲が口を開きかけた時。
彼女の頭に不思議な感覚が走った。
なんというか……頭の中に波紋が広がっていくような、そんなイメージ。
「……! この感覚」
「うん。その感覚が君の同種の放つ……種子の力である法力の波だ。
こちらも論より証拠、行ってみようか」
「うっわー……」
月下、筆に乗った紫雲は目的地に向かう道すがら、初めての飛行を楽しんでいた。
『中々楽しんでもらってるようだね』
家に残っているクラウドの声。
法力を電波のような形で使い、やり取りする特殊な会話法によるものだ。
空気や距離に関係なく話せると言う便利な代物らしい。
「あ、ごめん、早く現場に行かないとね」
『ああ、そうした方がいい。解決した思う存分空の散歩を楽しんでいいから』
「わかった」
そう答えて、紫雲はスピードを上げる。
と、そんな紫雲の視界に『何か』が写った。
その『何か』はヒトだった。
ランドセルのようなジェットを背負い、空を飛ぶ人影。
「あれ、何……? あ。あの人……確か、ニュースに出てた」
紅の狂魔術師・シャッフェン。
近頃町を騒がす変人という事で記憶に新しい。
『ふむ……中々器用な事をする。
どうやらこの世界の魔術と魔法を組み合わせた錬金術による代物だな。
そして、彼も種子を持っているようだね』
「なるほど、不思議な機械はそれで作ってたんだ。
でも、さっき感じたものとは違うみたいだね。種子っていうのを回収する?」
『うーむ』
そうしてクラウドが考え込んでいると、向こうが紫雲達に気付いたらしく接触してきた。
「む……なんだ、貴様。
箒で空を飛ぶとは。あのロリ少女の仲間か?」
「ロリ? ……もしかして、魔法少女オーナの事ですか?
えっと……どうなのかな……」
紫雲が櫻奈と知り合いになり、友人関係になり、自分達が限りなく近い立場に居る事を知るのはまだ少し先の話である。
ゆえに、その時の紫雲としてはそう答えるしか出来なかった。
「ええい、はっきりせんな! 折角の夜空ぶらり一人旅を邪魔……」
「あ、危な……っ!?」
「ぐっはっ!?」
話に集中しようとしていた矢先、ソレが仇となって彼はマンションに激突し、ふらふら〜と地面に落ちていった。
「だ、大丈夫かな、あの人……」
『生体反応はしっかり有るから心配は要らないよ。
どうやら『破壊と再生』の概念の種子を保持してるようだし。
そうそう死なないだろう』
「う、うーん」
後に自分に熱烈ラブコールを送る存在とも知らず、紫雲は素直に彼の無事を祈った。
「な、なにこれ……?」
シャッフェンとの遭遇から一分後、紫雲は魔法少女として初めての怪異に挑んでいた。
其処に有るのは山積みの漫画本や玩具やフィギュア。
その近くにはこの種子の元になったと思われる、漫画をひたすら読み耽る少年が座っていた。
少年は呆けた様子で紫雲にさほど意識を向けていない。
コスプレっぽいとは言え、女の子らしい格好をするのは久しぶりでミニスカートが気になったりする紫雲には幸運な事だが。
「くっ……」
雪崩の様にまとわりつくマンガ本やフィギュアに構わず、
自分と猫のアドバイスからのイメージのままに紫雲は呪文を唱え、力を行使した。
「エアパレット・カラーホワイト! イレイズ・ブレイクッ!」
紫雲が闇雲に放ったこの世界に在らざるものを消去・浄化する魔法は本の大半を消し去った……が。
「あ……飛び散っちゃった……っ」
『初心者』ゆえに掛け方が甘かったのか、完全には消えず一部……辺りを動き回る本が十冊程度残っていた。
「ひゃんっ?!」
もとい、後、自分の臀部と頭を這い回るフィギュアが二体。
「くっ、っと、もうっ!」
しつこく頭とお尻を動きまわるフィギュアを……
フィギュアの形として具現化していた種子をようやく紫雲は引き剥がす。
『まぁ……種子の大本は封印したし大丈夫だろう。
後は自然消滅する。あの少年もじき元に戻るさ』
……彼等は知らない。
この時、紫雲のデータを焼き付けた種子の欠片と、
模倣した紫雲の種子が結びついて一個の生命体を……
後にリューゲ・ヴィオレットと呼ばれる存在を生む事を。
『どうやら君の魔法は色によって発動されるようだな』
帰り道、今度はのんびり飛行しながら紫雲とクラウドは言葉を交わしていた。
「そうなの?」
『ああ。使い道はおいおい自分で見つけ出していくといい。
色だけに組み合わせ次第で色々な事が出来るだろうしね。
まぁ、基本的にはおおむねこんな感じだが、何かあるかな?』
「……名前」
『む?』
「この姿に、名前を付けちゃ駄目かしら」
紫雲はいつの間にか明確な女の子言葉を話すようになっていた。
格好がそうさせるのか、潜在意識の賜物か、そこまではクラウドも面倒を見る気もないが。
『……いいんじゃないかな?
どうやら君の他にも僕のような結晶体に見込まれた魔法少女もいるみたいだし』
「何かアイデアある?」
『うーん。
君の基本的な法力の色と名前からシンプルに考えて、魔法少女ヴァイオレットでどうだろう?』
「んー……ヴァイオレット、か。
ヴァイレット。ヴァオレット…ヴァレット。うん。
ヴァレットにしない? ヴァイオレットじゃ安直だし。
そっちの方が呼びやすそうだし響きいいよね」
『構わないが……なんでイとオを取ったの?』
「んー、いは依存の依を、おは悪もしくは雄、男を取るって事で。
後付けだけど」
『スペル違いの”ヴァレット”の意味は分かってるのかな?』
「?」
『従者って意味だよ。
ああ、もう一つ別にあるね。弾丸って意味の方も。
どちらも発音的には”バレット”だが』
「なら、正義という価値観の従者、弾丸って事で」
『流石と言うかなんと言うか……”正義”の概念種子の持ち主だけの事はあるね。
いいさ。じゃあヴァレット。今後ともよろしく』
「ええ、よろしくねクラウド」
それが、始まり。
後に魔法多少少女ヴァレットと呼ばれる事になる存在の始まりだった。
それから彼女は正体を隠しながら平赤羽市の為に奔走した。
オーナと出会い、共に協力し合う事を誓い、それとは別に友達になった。
平赤羽市の所々で目覚める異能者達の暴走を止め、害になる種子を封印していった。
それらとは関係ない事故や事件の解決にも勤しんだ。
シャッフェンの求愛に顔を真っ赤にしながらも、彼の迷惑行動を停めてきた。
……困った事にヴァレットやオーナの活躍でもっとも目立っているのは、本来のすべき事から微妙にずれている彼絡みのことだったりするのだが、それはさておき。
そうして、彼女は待った。
いずれ来る『宿敵』の来襲を。
だが。
その間に彼女の中で膨れ上がるものがあった。
ヴァレットとして女の子の姿を多くの人に見せる事で、今まで抑えていたものが湧き上がりだしていたのだ。
女の子としての生き方。それへの欲求。
そして……『嘘をついている』という事実への後悔、後ろめたさ。
多くの人に、そして一番想う人間に対して偽りを続けている事への負い目。
全ては、今更だ。
幼かったとは言え、それなりに理解した上で紫雲は道を選んだし、今も続けている。
そして、今の草薙紫雲は艮野灰路の幼馴染で友人。
ある意味で彼に一番近い立ち位置に立っている。
それでいい。それでいいはずだった。
だが、ヴァレットとして灰路と言葉を交わし、紫雲の中に欲求が生まれた。
本当の姿で、一番近くにいたいという欲求が。
だが、反面嘘がバレた時全てが崩れ去る事を彼女は恐れていた。
だから、彼女は色々細工していた。
法力の色と筆で描いた自身の『生きた自画像』を使い、あたかも草薙紫雲とヴァレットが同時に存在しているように灰路に思わせた。
初めて灰路の前にヴァレットとして現れた時は、クラウドに頼み、携帯で写真も撮ってもらった(いざという時の会話も任せていた)。
そうして草薙紫雲がヴァレットの正体じゃないというアリバイを確保した。
以後も色々な仕掛けを施してきたつもりだった。
そもそも変身した時の『仮面』も、灰路に素性がバレる事への恐れではないかと紫雲は思う様になっていた。
だが、気持ちは矛盾していた。
だから、個人的に灰路と出会ったり、会話を交わしたりもした。
正体がバレる危険を冒してまで。
そんな矛盾の積み重ねで、彼女は悩んでいた。
何処までも真っ直ぐで純粋なオーナや、
言葉や態度はともかく、少なくとも嘘偽りない気持ちを自分に向けるシャッフェンとの係わり合いも彼女を揺らしていた。
灰路本人に悩みを見透かされるに至るまで、彼女の悩みは大きくなっていった。
そして今。
ヴァレットこと草薙紫雲は……嘘と真実が交じり合った姿で少年に抱き上げられていた。
一番最初に嘘をついた少年の腕に。
……続く。