第4話 仮面の奥の『女の子』
「相変わらずだな、ここ」
俺、艮野灰路は一人ぼけっと呟いてみた。
気が向くまま久しぶりに足を向けたココは、公園。
昔の俺が『あの女の子』と出会った場所だ。
子供の頃は、ココが凄く広い世界に思えていた。
どれだけ遊んでも遊びつくせない気がしてた。
でも今、目の前で赤さより黒さに傾きつつあるのは小さな世界。
大人の足だと簡単に一周してしまえる、そんな世界だった。
「思えば、俺も結構大きくなったもんだよなー」
でも、この間のあの子はそんなに大きくなってなかった気がする。
ヴァレットの時は成長してるのに……いやいや、まだ同一人物と決まったわけでもないだろ。
……まぁ魔法で大きくなったりして『変身』するのは久遠の奴曰くお約束らしいけど。
「ついでに運命の再会もお約束に追加してくれない、もんか……なっ?!」
思わず言葉の途中でトーンを跳ね上げる俺。
だって、あれだぞ。
言葉どおりになっちまったから、そりゃあ驚く。
「………」
いた。いたんだよ。
ブランコに乗るでもなくブランコの鎖をぼんやりと揺らしてる……女の子が。
あの、俺が昔出会った、女の子だ。
ほんの少しだけ大きくなってるけど、雰囲気から何まで、あの頃のままだ。
理屈じゃなくて、直感的なものだけど……あの子だ。
「……」
女の子もこっちに気付いたらしく、視線を投げかけてくる。
その視線を受けつつ、俺は女の子へと歩み寄っていった。
「あ、アンタ……えと、なんだ……」
あんまり唐突だったんで言葉が思い浮かばない。
そうしてオタオタしていると女の子はスッ……と少しずつ身を引いていく。
この時は「なんでだ」と思ったが。
後から冷静に考えてみれば、怪しい男が夕闇の公園でわけの分からない事を言いながらジワリジワリと寄ってくれば、そりゃあ引く。
女の子に声を掛けまくるいつもの俺なら気付けていた事を、この時俺は完全に失念していたのである。
「俺の事……覚えて……」
「……っ」
伸ばした手が触れるか否か……より少しだけ隙間が出来た距離の段階で、女の子は身を翻し、駆け出した。
「あ。
……って、ちょ、ちょい待ち!
何もしない! 何もしないって!
ただ話がしたいだけ……って、くそ!」
途中までは言葉で足を止めようとしていた俺だったが、ソレは無理らしいと悟り、慌てて走り出す。
いや、追うべきじゃなかったのかもしれないとは少しは思ったんだが、思わず走っちゃったんだよなぁ。
ともかく、公園を出た俺は人気の少ない住宅の群れの隙間を縫って、結構全力気味で走っていく。
だが、女の子は思いの他足が速くてスタミナもあった。
瞬発力はともかく持久力がない俺は離される一方だった。
「……くっそ」
ついには体力が尽きて、俺は膝に手を突いた。
夏時のような額の汗を拭って、顔を上げるも、其処には見慣れた町並みが映るだけ。
「あー……骨折り損かよ……つーかマイナスか?」
改めて自分の行動を思い返すと、非常に問題行動なのではないかと気付き、俺は路上で懊悩した。
「ぐうう……ミスったなぁ……」
諦めと反省を交えつつ、俺は来た道を帰る。
そうして、再びいつもどおりの家路に付こうと曲がり角を曲がった……その時。
「こ、こんにちはー。
あー、じゃなくてこんばんはですね、ごめんなさい」
そんな声が何処からか響いた。
つーか、聞き覚えがある声なのだが……周囲には人一人姿が見えない。
そんな状況にわけが分からず周囲をキョトキョト見回していると、俺を導くように再び声が響く。
「上です、上」
「何……? って」
言われるままに見上げると、そこには意外過ぎる人物が浮いていた。
そう、箒じゃなくて巨大な筆に立って空を飛ぶ、魔法多少少女・ヴァレットが。
「ヴァ、ヴァレット……!?」
「はい。……とと」
彼女はゆっくりと下降すると、ひょいっと筆から飛び降り、地面に着地した。
「えと、あの、改めて、こんばんは」
「お、おう。こんばんは。
……なんかアンタ、息切れてないか?」
「そ、そんな事ないですよ」
このタイミングと彼女の様子に、さっきの追いかけっこが脳裏をよぎるが……。
「? なんです?」
「いや、なんでもない」
なんとなく、その事を口にするのは躊躇われて、俺は話を変える事にした。
……まぁ、ぶっちゃけ折角の機会なんだし、気分良く話したいしな。
「っていうか、なんで俺なんかに声掛けたんだ?
何かの事件の関係か?」
「そうじゃなくて……その、えと。
貴方、三ヶ月前のバレンタインに私が脇に抱えたり巻き込んだりして、ご迷惑お掛けしましたよね?」
「三ヶ月も前なのに……覚えてたのか?」
僅かな驚きを込めて訊き返す。
正直、彼女の忙しさを思えば、俺のことなんざ忘れていて当然だ。
そう思いながら彼女の顔を見ると……赤紫色のバイザーの奥にある眼が穏やかに細められ、ヴァレットは微笑んでいた。
「はい。お詫びはいずれする……そうお約束しましたから。
でも、私は……自分で言うのもなんですが忙しくて、中々貴方を探す時間がなくて……どうしたものかと日々考えていたんです。
そんな感じで今日も貴方の事を考えたりしながら巡回飛行していたら、たまたま貴方の姿をお見かけして……
それで、この好機を逃すべきじゃないと、こうして声をお掛けしたと言うわけです」
「そっか………なんつーか、真面目だな、アンタ」
「他にあんまり取り得がないものですから」
クスクスと聞こえてきそうな笑みを零す姿は、彼女自身の発言を否定しているように思う。
風のような涼やかな声とか、夜風に揺れるきめ細やかな髪とかも立派な取り柄だろうに。
「それで、ですね。
何か、私に出来る事ありますか?
貴方に何かして差し上げる事で、掛けたご迷惑のお詫びとしたいのですけど」
「ぬぬ」
これは……結構凄い事じゃないだろうか。
平赤羽市で話題の魔法多少少女が、俺の要望を叶えてくれると言う。
こりゃあ、はっきり言って大チャンスってなもんですよ。
久遠や草薙が聞いたら卒倒しそうだよ、マジで。
「何か、あります?」
「……ふむ。まぁ色々あるけどな」
実際思いつく事は色々とあった。
その中で、俺はなんとなく一番良さそうなものを口にした。
「そうだなぁ……
じゃあ、俺の事を覚えてくれないか?」
「え?」
「今この平赤羽市で五本の指に入る人気者に覚えてもらうって中々悪い気がしないと思うんだが。
なんつーか、有名人と特別なお知り合いって感じでさ」
例えるなら、人気アイドルの学校のクラスメート、という感じだろうか。
あるいは、有名俳優の隣人とか……まぁ、普通の人より近いのがお得、みたいな感じが伝わってくれるとありがたい。
「……そんな事で、良いんですか?」
「そんな事って、アンタ自分の事過小評価しすぎだぞ。
俺の周囲にはアンタに会いたいとか、話したいとか、そんな奴ばっかりなんだぜ?」
俺の言葉に、ヴァレットはポリポリと頬を掻く。
そうして何処か照れ臭そうに視線を彷徨わせた後、彼女は首を縦に一つ振った。
「……分かりました。
なら、その望み、叶えさせていただきます」
「おう。
俺の名前は、艮野。艮野灰路だ。しっかり覚えてくれよ」
「灰路君、ですね。確かに」
彼女はそう言って、胸に手を当てた。
それは……まるで何か大切なものを胸の内に仕舞うように見えた。
……まぁ、俺の妄想、もとい希望的観測が混じっているのは否定できないけどな。
「でも」
「ん、なんだ? やっぱり嫌だったり?」
「いえ、そんな事はありませんよ。
ただ……折角こうして知り合えたのに、それだけというのもなんですし……もし宜しければ、少しお散歩しませんか?」
「散歩?」
「はい。ちょっとだけ特別なお散歩です」
「?」
彼女が微笑みながら言った『散歩』の意味。
数分後、俺はソレをしっかりじっくり実感する事となる。
「おお〜……やっぱ凄いなぁ、空飛ぶって」
数分後、俺は彼女の申し出から彼女の『筆』の後ろに乗って、彼女と共に空を散歩していた。
彼女の乗る筆先の光る毛に絡みつかれ、しっかり固定された状態で。
「前ん時は楽しむ余裕がなかったから分かんなかったけど……良いな、コレ」
「そうですね。
私も魔法の力を手に入れて初めて飛んだとき、そう思いましたよ。
こうして飛ぶのは、素敵な特典です」
「そうは言うが、シャッフェンみたいな馬鹿達を相手するのは手間だろ。
正義の味方の特典がこれだけってのは割に合わなくないか?」
「それが正義の味方ってなもんです。
むしろ、こんな特典があるだけありがたいですから。
オーナちゃんも手伝ってくれますから、そんなにキツくないですしね。
それに……今、私は十分割に合うものを貰ってます」
「そっか。
ま、分かる気はするな」
誰の視線も気にしないで済む高い空。
既に黒く染まり、星が瞬き始めた澄んだ世界を俺達は緩やかに飛んでいく。
流れていく星と街の灯り……地上と空にある光の粒の狭間という場所は、俺に世界の中心にいるような感覚を与えていた。
そんな中で肌を刺激する春先にしては少し冷たい風は、興奮という心の熱のせいか心地良い。
そう。
俺は今悪くない……良い気分だった。
彼女の正体がどうであれ。
例え、俺の探す少女でなくても、今この時は悪くない。
そんな事を考えている中、彼女がポツリと呟いた。
前方を、あるいは星空を見据えたままで。
「……多分灰路君が考えてる事と私が考えてる事、違うと思うけど」
「? なんか言ったか?」
「いえ、何も。
それはさておき……私に聞きたい事があったんじゃないんですか?」
「何で分かる?」
「……なんとなくです。
初めて会った時も質問されましたし。
えと、その……実はソレで結構印象に残ってたり」
おぉー。
何でも言ってみるもんだな。
「それで、その。
どうして、さっき質問とかをしなかったんですか?
それが灰路君が望んでいる事なら……なんだって、答えたのに」
実際、真面目な彼女の事だ。
そういう形で訊けば、かなりギリギリまで……それこそ自分の正体さえ、答えていたのかもしれない。
そう考えると、惜しいという気持ちは捨てきれないやね。
まぁ、でも。
「んー、なんだ。
アンタに聞きたい事があるのは事実だけどさ。
こうして知り合いになれるんなら、焦らなくても良いかって思ったのさ。
だから、いずれもっとアンタと親しくなった時にでも聞くよ」
それに、そういうのを願いとかで一方的に聞くのは卑怯っぽい。
やっぱり出来るなら『彼女』の口で真実を語って欲しい。
そっちの方が色々とドラマティックだし。
ま、ソレがいつになるかなんて、全然見当も付かないけどな。
それでも……。
「その方が色々な意味で良い感じじゃねーか?」
少なくとも、俺はそう思う。
「……親しくなれればいいですけどね。
こうしてお話とか、あんまり出来ないと思いますし……」
「アンタ、大変だもんな。
まぁ、今日の時間帯この辺にいると思うからさ。
見つけて暇があって気が向いたら声掛けてくれや。
愚痴ぐらいは聞いてやれる」
「灰路君……」
「俺は、それで十分だからさ」
「………………………………ありがと」
ぽつりと放たれた一言。
丁寧語じゃなかったからか、俺はソレに不思議な響きを感じた。
ヴァレットじゃない……ヴァレットの中の『女の子』が口にした言葉のように、俺には感じられた。
なんというか……女の子らしい女の子の声だと、思った。
「ったく。
シャッフェンじゃなくても惚れるな、こりゃあ」
「……はい?」
「いや、なんでもない。
あ、そうそう。後一つ頼みごとがあるんだが、いいか?
手間はそんなに取らせないからさ」
そんな俺の言葉に、ヴァレットは不思議そうにほんの少しだけ首を傾げたのだった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ?!」
「こ、これはっ!?」
翌日。
朝のホームルームの前に、俺はソレを久遠と草薙の奴に見せた。
「ヴァ、ヴァレットたんの間近写真……っ! 艮野、貴様これ……!!」
俺が二人に見せてやったのは別れ際ヴァレットに頼んで携帯で撮った、彼女の写真。
多分、本人許可でこんなに近くで写真取ったの俺が始めてだろう。
そう思うと鼻も高くなるってなもんだ。
「いや、なに。
彼女には貸しがあったんでね。
それを返してもらう一環で……ぐえええっ!」
「貴様……何故、俺を呼ばなかった……!」
「そうだよ。
呼んでくれたっていいじゃないか」
首を絞める久遠と、首を絞めるに至らないまでも少し不機嫌そうな草薙。
そんな二人に慌てて俺は二の句を告げた。
「ちょ、ばか、そりゃ悪かったが……
その代わりに、お前等用の画像を撮らせてもらったんだっての……
首はヤバ、あう、あ、青い髪の死神が見え……」
「ほほうっ! ソレを早く言えっての!」
「え、どんなの!? 早く見せてよっ!」
「私も興味あるわ。見せなさいよ」
「右に同じく。
おい、皆ヴァレットの写真があるってよ」
『マジかっ!』
「げほっ…って、おいいいいいいっ! 押すなっ! 携帯が、いやむしろ俺が潰れ……!!」
そうして始まったホームルーム前の怒涛の時間は、担任教諭が来ても収まる事無く、
というか担任教諭までしっかり画像を保存するまで終わる事はなかった。
………続く。