Slightly bitter Valentine's Day〜たまには少し苦味で〜










2月14日。
その日が何を意味するのか、日本の若者で知らない者は少ないだろう。



バレンタインデー。



多くの女の子は、意中の相手へ渡すチョコと気持ちの準備に忙しく。
多くの男の子は、誰からか貰える事を……勿論出来れば意中の相手に……期待して過ごす。





だが。
この広い世界には何事にも例外が存在する。





気持ちの準備がさほど必要ではない少女や。
貰える事を限りなく期待できない少年もいる。





この物語の主人公は、そんな二人。





二月らしい、冷たい風が吹く中。
青空の下、一人の少女が佇んでいた。
その手には綺麗に包装された赤いハート型の箱を抱えている。

「……今年も持ってきたよ、チョコレート」

優しく囁きかけながら、少女はチョコレートを置いた。

居並ぶ墓の一つ、その前に。花束と共に。

「中身は、いつものビターな感じだから。
 ゆっくり味わって食べてね」

四年前のバレンタインデー……その二日前。
彼女の恋人だった少年は、事故に遭って死んだ。

少年が所属していた部活……その合宿の都合上から一足早いバレンタインデーのチョコを受け取りに行く、その途中で。
だから、彼女にとってのバレンタインは彼の墓参りであり、自分の気持ちを伝え続ける日だった。
あの日、届ける事が出来なかったチョコと共に。

「……まだ、そんな事をしてる」

時節柄の冷たい風に乗って、そんな声が彼女の耳に届く。
手を合わせていた彼女が、声のした方に振り向くと一人の少年が立っていた。
少年は、悲しみと苛立ちを込めた表情のまま、手にしていた花を墓前に挿す。

そうして二人は暫し並んで手を合わせ、それぞれの想いを墓の下に眠るヒトに捧げた。
二人にとって大切な人間の為に。

「もう、四年だよ」

そんな中、少年がポツリと呟いた。
少女は、少しだけ首を盾に振って頷く。

「……うん」
「俺だって、コイツの親友だったからさ。
 哀しいのは君と同じだよ」
「……うん、分かってる」
「でもさ。
 君が毎年こうするのは、ただ引きずってるだけだよ……」
「死んだ人を、好きだった人を弔っちゃ駄目なの?」
「……死んでないだろ、君の中じゃ」
「そうだね」

何の迷いもなく、少女は応える。
その淀みのない返事に少年の顔は歪んだ。
そして、その歪みから生まれた感情の波が、少年の口から溢れ出た。

「君は……っ!
 ずっと、こうしてるつもりなのか……っ?」
「……」
「来年も。再来年も。その次も、ずっと……こうしてコイツにチョコを贈って……!
 君は、もう誰も好きにならないのか……!?」

その感情の波に圧される事無く、少女は少年に言った。

「……答は、前に答えたままだよ。
 私は、ずっとこの人が好き。
 誰かを好きにならないんじゃなくて、その席はもう埋まってるから」
「前のまま……じゃあ、俺でもその席を埋められないのかな……?」
「……」
「アイツの事、忘れろなんて言わない。
 俺だって、忘れないし、忘れる気なんかない。
 それでも、駄目なのか……?」
「……うん」

少女の答に、少年は唇を噛み締めた。

少女には、分かっていた。
この少年が本当に自分の事を好きでいてくれている事。 
同時に、墓の下に眠る自分の恋人の事も大事に思ってくれている事。
その気持ちの両方から……どちらか片方が強いのではなく……ある意味で『ここを断ち切る』事を望んでいる事を。

だから、少女は微笑んで告げた。

「ねぇ。
 もう、私みたいな馬鹿に構ってちゃ駄目だよ」
「な……?!」
「私がココに来る事も、私が彼を想う事も変わらないから。
 貴方こそ、他の誰かを好きになるべきだよ」
「そんな事出来……」

大きく言い掛けた少年の口が止まる。
その視線は少女ではなく、彼女の後ろを見ている。

少年の視線を追って、少女が首を向けた先には白衣を着た女性の姿があった。
女性は困ったように頬を掻くと、苦笑と言うには笑いの要素が少し薄めの顔で言った。

「いや、済まない。
 邪魔をするつもりは毛頭無かったんだが。
 私の目的地が君達の隣の墓でな」
「…………あ、いえ、その。こちらこそ、すみません」
「……すみませんでした」

少女と共に頭を下げ、少年はもう一度少女に視線を送りつつ、その場から駆け去っていった。
その様子を眼で追っていった女性は、少年の姿が見えなくなるやいなや口を開いた。

「―――やはり、こちらこそ済まないだな。
 少し話を聞いてしまった上、彼にとっての大事な話を打ち切ってしまったようだ。
 ……追わなくていいのかな?」
「――いいんです。
 私の答は変わりませんから」
「そうか。
 ……ふむ、今年も綺麗な包装でハート型だな」
「え?」
「良くも悪くも墓場に似つかわしくないものだからな。
 印象に残ってたのさ」
 
女性は口の端を少し持ち上げて幽かな笑みを形作った後、少女の脇を抜け、少年の隣の墓に向き合った。
そうして、手を合わせ数秒だけ瞑目する。

「…………さて、帰るか」
「えっ?」

その余りのあっけなさに、少女は思わず驚きの声を上げる。

「ふむ。何かオカシイかな?」
「あ、いえ。
 オカシイなんて……ただ、少し早いかな、って思っちゃって……」
「まぁ、そう感じるものかもな。
 私にとって墓参りは礼儀や軽い挨拶程度のものでね。
 ちなみに、私との関係が深ければ深いほど簡略化されるぞ」
「…………あの、不躾な事だと承知でお聞きしたいんですけど」
「なにかな? 答えられる事なら答えよう」
「今日は誰の御墓参りに……?」
「弟だよ。
 私にとって、最後の”家族”だった。
 まぁ、ソイツの方には奥さんと一人娘がいるんだがね。
 奥さんは怪我で入院中、娘は今はまだ来たくないらしくて、今日は私だけさ」
「そう、なんですか……」

少し詰まり気味な言葉を少女は返す。
そんな少女に、女性は言った。

「どうしたのかな?
 偉く不思議そうな顔をしているが」
「え? その、あの」
「不躾で失礼だが、教えてもらえないかな。
 どうしてそんな顔をしているのか」

先程自分が発した言葉と同様に言われ、少女は苦笑気味に顔を引き攣らせた。

「……ええと。私達の話、聞かれてたんですよね?
 その、このお墓にはですね、私の……恋人がいるんですよ」
「ふむ」
「私は……色々と彼に話す事とか、報告したい事とかあって。
 だから、凄くココにいる時間が長いんです。えーと、ですから……」
「ああ、大体分かった。
 だから、私がこんなにも簡単に墓参りを済ませられるかが不思議でならなかったんだな。
 ……言っておくが、私は弟と骨肉の争いを繰り広げていたわけではないぞ。
 まぁ、色々あったが……それなりに仲が良い姉弟のつもりだったし、弟もそう思っていたと思う」
「だったら、どうして……?」

尚更不思議でならない……そんな疑問を込めた視線を向けると女性は肩を竦めて言った。

「簡単だ。死者は何も語らないからだ」
「…………っ」

端的かつストレートな女性の言葉に、少女は幽かに息を呑む。
それに気付いているのかいないのか女性は言葉を続けていった。
 
「白衣を着ているから分かるかもしれないが、私は医者の端くれでね。 
 今までたくさんの人々を見送ってきた。
 だからこそ、言えるのさ。
 死者は何かを遺す事はあっても、何かを新しく語る事はない。
 ……まぁ、極稀に超常的な例外もあるようだが、一般的・基本的にはこちらに語りかけてくる事などない。
 あと、警察の証拠的な意味合いでの『死体が語る』というのはノーカウントだぞ」

指をピッと一本立てて付け加える女性。
だが、少女はその様子など眼に入らなかった。
今まで誰に何を言われても揺らがなかった『何か』が目の前の女性との僅かな会話で少しだけだが揺らいでいる事に気付いたからだ。

それは、女性の医者という肩書きゆえなのか。
はたまた、唯一無二と言える存在が眠っているという共通点がそうさせているのか。

なんにせよ、少女にとってソレは看過できるものではなかった。

「だったら、どうして御墓参りをするんですか?」
「さっきも言ったろ? 礼儀と挨拶程度だと。
 長々と思うような事はないし、必要ない。
 何より、私の弟は”こんな所に来るならやる事があるだろ”……とまでは言わないが、
 自分の事に時間を使わせるのは心苦しい……そう思うだろうからな」
「……死者は語らない、じゃないんですか?」
「ああ。死者は語らない。
 だが、生きている時に交わした言葉でも十分分かる事だ。
 ありきたり、だがね」

怪訝な表情の少女とは対照的に、女性は、クスリ、と微笑を浮かべてみせる。
そんな女性へと……というには少し弱々しい独り言にも取れる声で少女は呟いた。

「……それは、私にも言える事、なんでしょうか……?」
「さあね。
 私は君の恋人を知らないから、何も言えんよ。
 君の恋人は、君がこうして自分を思い続ける事を望んでいる……君がそう言うのなら、私には否定出来ないしな。
 あと、君は何か勘違いしてるんじゃないか?」
「何を、ですか?」
「死者を想う事そのものは悪い事じゃない。
 少なくとも、私の様に淡白過ぎる人間よりは遥かに良いさ。
 君のやっている事は人によってはとても美しい行為だろう。
 ただ、人によっては……さっきの彼のような人間にとっては無意味に見えるだけで、な」
「……」
「結局の所、君次第だって事さ。
 君の人生は君のものだからな。
 ただ、余計な御節介を承知でもうヒトツだけ言わせてもらえればだ」

彼女は懐からタバコを取り出し、火を点ける。
その煙を口から零し、一拍ほど間を空けてから言った。

「チョコレートは、生きている人間が食べてなんぼだろう?
 それがバレンタインデーで、その為の気持ちを込めたものなら、尚の事だ」
「…………そうですね。
 それは、凄く分かります」

分かっては、いるのだ。

幾らチョコを作っても。
精魂込めて作っても。
丁寧にデコレーションしても。
ビターな味が好きな『彼』の為に甘さ加減を気にしたとしても。

一番欲しい、『彼』の感想が二度と返って来ない事ぐらい。

そして。
其処に込める気持ちを、生きている彼に向けたのならどれだけ喜ぶのかも。

時間は残酷で。
気持ちが薄れなくても、『彼』の記憶が薄れ。
自分を心配する少年の記憶が、より強く残り始めている事も。

でも。
それでも。

「でも……私が作らなきゃ、誰が作るって言うんですか……死んだ人への、チョコなんて」
「……ああ。そうだな。
 ソレも、紛れもない真実だよ。
 やはり余計なお節介だったかな」

少女の言葉を受けた女性は肩を竦め、笑う。
それは、何処か自嘲的に見える笑みだった。

「やれやれ。
 御節介な弟の墓の前とは言え、慣れない事はするもんじゃないな。
 じゃあ、私は行くよ。
 色々済まなかったな」
「………いえ、私こそ。
 色々とスミマセンでした。そして、ありがとうございました」

少女の礼を背中に受けながら、女性は手を振って去っていった。

その背中を見送ってから、少女は改めて墓に向き直る。
そうして、其処に置かれたチョコの箱を見据えた。
いや……そこに眠る『彼』を、彼女は見据えていた。

「……ねぇ。
 貴方は、どう思う?」

墓は答えない。

墓に眠る者も答えない。

魂や霊が現れて、答えてくれるわけもない。

それが、現実。
少なくとも、彼女にとっての現実。

「……」

暫し考え込んだ末に。
彼女は、無言でチョコレートの入った箱を拾い上げた。
それをどうすべきなのか、分からないままに。

その時だった。

「……これはさ、ここだよね」

彼女の手から、チョコレートが離れる。

それは……いつの間にか戻ってきていた少年の手によるもので。
彼は、チョコレートをそのまま墓前に……元の位置に戻した。

「え……?」
「ゴメン。
 俺、色々言ったけどさ。
 少なくとも、今年のこれはコイツに作ったものなのは変わらないんだよね。
 だから……これはここだよ」
「戻って、きたの?」
「大事な事、言い損ねてたからね。
 さっきの綺麗な人にも発破かけられたし」
「大事な事」

少女の呟きに深く頷き、少年は告げた。

「君以外の他の誰かを好きになる事なんか、俺には出来ないよ。
 それこそ君と同じでね。
 君がコイツを好きで居続けるんなら。
 俺だって君を好きで居続ける。
 君が馬鹿になるなら、俺も馬鹿になる。
 少なくとも、義理じゃないチョコレート貰えるようになるまではね」

少年は、そう言って、笑った。
それは純粋な、と言える笑顔ではない。
それでも、少年は笑っていた。

「……とりあえず、義理チョコだったら帰ってからあげる。
 ホント、馬鹿なんだから。……私と、おんなじで」

少女は、そう言って笑った。
それは純粋な、と言える笑顔じゃない。 
それでも、少女は笑っていた。

そして、二人の中の『彼』も笑っていた。

二人にはそう思えてならなかった。










「……それから、二人がどうなったのか私は知らん」

それから幾年月。
白衣の女性が、一人の女性と共に墓に訪れていた。
彼女にとっての、弟の墓に。

「ん? 気になるか?
 なら、見てみるといい。
 其処が彼女達の大事な人の墓だ」

女性が指さした先。
そこには……ハート型ではないチョコが一つ置いてあった。

「なに……曖昧すぎて結末が分からない?
 ふっ、野暮な事は言うもんじゃない」 

そう言って、女性はタバコ……の形をしたチョコレートを咥えた。

「そこは、空想の余地とロマンがあるって楽しむ所なんだ。
 折角のバレンタインなんだしな」










……END 






戻ります