第二十八話 由縁祈念
 

 









 水瀬秋子が草薙由祈に初めて出会ったのは、由祈が生まれた時だった。

 その時の彼女はまだ由祈という名前ではなかった。
 由祈というのは後々に付けられた字名であり、彼女が辿る運命や能力を隠す為のものだった。

 後にその事を本人から聞いた秋子は、
 親から与えられた本当の名を名乗る事が出来ない彼女の事を悲しく、それについて何も出来ない自分を歯痒く思ったのだが……。
 
 ともかく、その時は別の名前だった由祈に秋子は出会っていた。
 それは、草薙家と縁が深い秋子への『新たな一族の後継者の誕生に立ち会ってほしい』という草薙家の願いによるものだった。

 そうして秋子も見守る中生まれたのは、
 一族の悲願である『男児・草薙紫雲』ではなく、異質な白い眼に白い髪をした女児だった。

 赤子と対面した秋子は、驚きを隠せなかった。
 それは赤子の容姿もさることながら、
 それ以上に彼女が生まれながらに持っていた、言葉では言い表せない『異質さ』による所が大きかった。

 彼女はどんな人生を歩む事になるのか、
 生まれ持った『異質さ』に負けて人ならざる者になってしまわないか……正直な所、秋子は不安に感じていた。
 ゆえに、それとなく様子を窺ったりもしていた。

 だが、その点については杞憂だった。
 そこは過去から様々な経験を重ねてきた草薙家、
 赤子を忌避する事無く、揺るがぬ愛情を注ぎ、真っ当な少女として育て上げていったのだ。
 ……あくまで、草薙家の宿命を背負わせながらではあったが。

 そうして育っていった由祈と秋子が直接再会したのは、由祈が十歳の頃。
 秋子が当時の草薙家の後継者である由祈の母親に会いに行った際、学校から帰宅した彼女と遭遇したのだ。
 はじめまして、と声を掛けるべきか秋子が少し悩んでいる中、由祈はキッパリと秋子に向かって言った。

「……久しぶり、水瀬秋子さん」
「え? 水瀬って、私の苗字は……」
「あ、ごめんなさい。今はまだ違うんだった」
「??? えーと、ともかく、お久しぶり。
 赤ん坊の頃に会ったの、お母さんから聞いてたの?」
「ううん、覚えてたの」

 そう言って、由祈は薄く微笑んだ。
 その笑みに悪意は一切無い。
 むしろ子供らしい無邪気な笑顔だった。
 だが秋子は、そんな由祈の笑顔に、何処か寒気にも似たものを感じていた。

 しかし、その後の秋子と由祈の関係は、その時の寒気とは相反する良好なものとなっていった。

 何処か飄々とした浮世離れな性格ゆえか、草薙家の宿命を背負ったゆえか、
 多少他人との距離を取ってこそいたが、由祈は誰にでも優しく、穏やかでありながらも強くあり続けた。

 他を圧倒する異能を誇る草薙家の中でも一際強い能力の数々を持ちながらも、
 重過ぎるその力ゆえに時折身体の不調を起こしながらも、
 普通の人の暮らしの中に紛れ、人々との繋がりを大切にしながら、
 性格ゆえに傍目からは分かり難いものの、真っ直ぐに育っていった由祈。

 異能を持つ者が簡単に人の道を踏み外す事を知っていた秋子からすれば、由祈の在り方はとても好ましいものだった。
 
 そんな由祈の在り方を見守っている内に、
 いつしか秋子にとって由祈は娘に近しい存在となり、良き友人となっていた。 

 由祈もまた、そうして自身を見守る秋子を慕い、歳の差など関係なく親友と思うようになっていった。
 ……由祈自身が自身の思いについて秋子にそう告げていたし、秋子自身それを感じ取っていた。

 そんな二人の関係性は、由祈が死ぬまで崩れる事はなかった。
 だが、秋子が由祈の異質さを再び目の当たりにする、そんな出来事はあった。
 ……由祈の性格や能力に慣れたと思っていた秋子に冷水を掛けるような、そんな出来事が。

 それは、秋子と由祈の出会いから十数年後の事。
 秋子は結婚し、水瀬秋子を名乗る事となったのだが……その時、秋子は思い出したのだ。

 かつて、子供の頃の由祈が『水瀬秋子』の名前を口にしていた事を。
 その時の秋子は、まだ夫となる人物に出会ってすらいなかったというのに。

 それにより、由祈が”未来”を視ていると推察した秋子は、その事についての疑問を由祈にぶつけた。
 すると、由祈はあっさりとその事を肯定し、それについて語り出した。

「うん。秋子の推察通り。
 私には視えているわ。色々なものの未来が。
 しかし、それは予知とは違う。
 未来というの名の過去を、私は視ているのよ」

 由祈曰く、
 自身が視る未来の光景は、殆どが確定されている過去のようなものでしかなく。
 多少可能性分岐によるブレはあるものの、彼女が見る光景から逸脱したものはこれまで唯の一度も起こりえず、視えなかったらしい。

「その力、草薙家の人達は……」
「知らないわ。貴女以外には能力について口にした事すらない。
 軽々しく話すべきでない事は視えているしね。
 ……まぁ後々もう一人話す事になるんだけど」
「……。ねぇ由祈。もしかして、貴方のこれまでの生き方は……」
「ええ、秋子の想像通り……視える道筋の下にやってきた事。
 だけど、それは私にとって心のままの行動よ。
 私は私の心のままに決められたその道を走っているだけ」
「貴女は、それでいいの?」
「いいのよ。
 陸上選手は決められたルート、もしくはコースの先にあるゴールに向かうでしょう?
 選手それぞれの全力で、精一杯に。
 私もそれと同じなの。 
 勿論、視えているモノが私の意志に沿わないのならコースアウトも辞さないけど……
 私は私の意志のままに進み、その結果コースを走っているだけ。
 ゆえに、これでいいのよ」

 淡々と答える由祈。
 だが、その彼女の表情には確かな感情がある事を秋子は理解していた。
 それだけの時間を共に過ごしていたのだから。

 しかし、だからこそ秋子は畏怖めいた感情を抱いた。

 機械のように決められた事を決められたままにこなしながら、
 人間の心を失わず、人の中で生き続ける。
 狂気染みた生き方にもかかわらず、本人はまるで狂わない……それのなんと凄まじい事か。

 長い……というより、多いと表現すべき秋子の人生経験の中でも、由祈のような人間は皆無だった。

 ゆえに、

(……ヒトにそんな生き方を続ける事が出来るものなのかしら……?)

 そう秋子は思っていた。
 そんな疑念と由祈への心配もあり、秋子は由祈との関係を続けていった。
 皮肉にもと言うべきか、二人はそんな時間の中で今まで以上に親しくなっていった。

 だが結局の所、由祈はその生き方を貫き通した。
 由祈自身が死の間近まで秋子に語ったとおりであるのなら、由祈は自分の道を定められたままに歩き、その果てにゴールに辿り着いたのだ。
  
 他人から見れば、それは通常の彼女の表情や態度のように淡々とした、飄々とした生き様だっただろう。

 だが秋子は知っている。
 それは己が命を限界以上まで燃やし尽くす生き様だった事を。 
 
 そして、それはゴールを……終着を知っていたからこその生き様だった。
 
 人生の終着。
 すなわち、それは死。

 由祈は知っていた。
 自身が早くに死んでしまう事を。
 何故か詳細を語る事はしなかったが『良い死に方じゃない』とだけ秋子に話していた。

 つまり、由祈は知っていたのだ。

 今現在、この瞬間に秋子が知った真実を。 
 草薙由祈と、その夫・草薙一真が、月宮紫苑に殺されるという事を。

「……きっと、貴女の事だから、話さなかった事に意味があるんでしょうね、由祈」

 全ての状況を確認し、天野美汐に伝えるべき事を伝え終えた秋子は一人呟く。
 その眼には、薄く涙が滲んでいた。

「でもね、それでも、私には話していて欲しかったわ。
 貴女が何故こうなる事を受け入れていたのか。
 何故、命や紫雲さんを残して、死ななければならなかったのか。
 話してくれなきゃ、二人に伝えられないじゃない……貴女の、子供達への本当の想いを」
  
 それが自身への信頼の証なのだとは分かっている。
 秋子が話さない事の意味を把握し、適切に動いてくれる事を確信しているからこそ、由祈は何も話さなかったのだろう。

 だが、そう分かっていても、納得が出来ない事がある。

 由祈自身もそうだったはずなのに。
 一真と結婚しようとしていた頃、一族の宿命について命と喧嘩していた頃、そして紫雲を生んだ頃。
 全てを見通していたはずの彼女が戸惑い、悩んでいた事を、親友だった秋子は知っていた。
 分かっていても、思うようにならない事があるのを、由祈もまた知っていたはずだったのに。

 それでも、由祈が今ここで明らかになった事や、幾つかの語るべき事を生前語らなかったのはどうしてなのか。

 それは他ならぬ、彼女が愛した子供達の未来に関わる事なのに。

「ねぇ、由祈。
 貴女には自分のゴールの先にある、子供達の道が、未来がどう視えていたの……?」

 そう呟いた瞬間、秋子の目から涙が流れ落ちた。

 繰り返し流れ続ける『光景』には、
 儚げな、それでいて確かな微笑みを浮かべながら地面に倒れる、血塗れの由祈の姿があった……。











 ……続く。

戻ります