第二十五話 陰陽全進(後編)
「……ごめんなさい」
「観鈴が謝る事はない」
頭を下げる観鈴に、依吹は言った。
出会いから少し経って。
商店街で宿を探した二人だったが、結果として宿は見つからなかった。
「まぁ、観光で利益を得ている街ではなさそうだしな。
仕方が無い。
となると、何処を寝床にするかだが……野宿でもするか」
「あ、あの、まだ待ってほしい。
橋向こうの方ならあるかもしれないから」
「橋向こう?」
「うん。神社があるほう。
そっちのほうになら泊まる所あるかもしれないし、
神社の管理の人なら、その近辺の詳しい事知ってるかもしれないし」
「……ああ、頼む」
正直な所、依吹は徒労に終わる可能性が高い気がしていた。
だが。
「うーん、頑張らなきゃ。
観鈴ちん、ふぁいと」
人の情けが当てにならないこんなご時世に、初対面の人間に対し懸命に世話を焼いてくれる少女がいる。
そんな少女の姿を見るだけでも悪くはないかもしれない……そんな事を依吹は考えていた。
「……観鈴には悪いがな」
「何か言ったかな」
「いや……なんでもない」
微かな笑みを浮かべながら。
依吹は観鈴の後をのんびり歩調でついていった。
何かが、おかしい。
北川潤がソレに気付いたのはここ数日のことだった。
はじまりは、携帯の電話帳に登録された見覚えのない名前に気づいた事。
その由来を探そうと高校時代のアルバムを開くと、見覚えのないはずの名前の少年は其処にいた。
草薙紫雲。
自分のクラスメートだったはずの、見覚えのない存在。
卒業して半年。
いくらなんでも、名前はおろか、存在さえも忘れるのは異常だ。
そう考えた潤は、かつて同じくクラスメートだった、現在同じ医大に通う美坂香里に電話を掛けた。
……まぁ、近頃中々ゆっくり話す時間がなかったので、電話する理由を作りたかったというのも多少あったのだが。
『……北川君も?』
そうして掛けた電話の向こう側の存在は、自身と同じ疑問にぶつかっていた。
「って事は、美坂の携帯にも?」
『ええ、その人の名前、あったわ。
新しいバイト先の人達を登録しようと思って電話帳を開いたら…』
「なるほど。状況は俺と同じか。
つーか、クラスメート、だったんだよな」
『そのはず……というか、高校じゃないプライベートなアルバムの方にも彼が映ってた写真が幾つかあったわ。
でも』
「ああ、俺達の方が覚えてない」
『……写真とか、携帯の方が細工されてるとかは?』
「まぁ、そっちも考えられなくはないんだけどな。
そっちを細工したって言うより、俺達が細工されたって気がするな」
『非科学的ね』
「ああ、俺もそう思う。
だけどさ……なんでか、それに違和感を感じないんだ」
草薙紫雲。
草薙命。
電話帳内に並んだ二つの名前を見ていると、何か不思議な感覚が湧き上がる。
不思議な事がありえるのではないかと言う、不思議な認識が生まれ出てくるのだ。
「美坂も、そうじゃないか?」
『……。
なんにせよ、あたし達だけじゃ埒が明かないわ。
今日か明日でも相沢君や名雪に連絡を取って、話を聞いてみましょう』
「OK。
今日の夜にでも相沢の方に俺が連絡つけて、水瀬に伝えてもらうよ」
『お願いするわ。……ねぇ、潤』
「……どした?」
『大丈夫、なのかしら。
なんだか、あの冬みたいになりそうで……』
「大丈夫だろ」
浮かび上がりかけた不安を遮るように、潤は言葉を被せる。
「いざって時は皆で助け合えば良いさ。
あの冬みたいに」
『そう、ね。
……ありがとう。じゃ、また』
「ああ」
電話を切った後。
潤は、ふと思った。
あの、一年半前の冬。
色々な事が起こったと聞き、自身も関わったあの時間。
あの時のように助け合えば良いと、自分は言った。
だが。
「……何かが、足りない、のか?」
あの時にあった何かが、決定的に欠けている様な……
そして、その欠けているものの正体……少なくともその鍵が『草薙紫雲』にあるような、潤はそんな気がしていた。
「それで、何処に行くの?」
夏の日差しの下、
佳乃に引っ張られる形で診療所の外に出た紫雲は、商店街の外れ辺りでようやく解放され、今は彼女の後ろについて歩いている。
そんな紫雲の質問に対し、佳乃は太陽のような笑顔で告げた。
「いいところだよぉ」
「ぴこぴこ」
「……そうなんだ」
一人と一匹の言葉は具体的ではなかったが、
その明るさは、少なくとも紫雲を納得させるものだった。
「……うん。
この町にはいいところはたくさんありそうだし……期待しとくよ」
「うんうん、任された〜」
「いや、それなんか応対違う気がする」
「むむ、じゃあなんて言えばいいの?」
「ぬ。……ごめん、思いつかないから任されたでいいです」
「……ぴこぴこ」
そんな漫才っぽい会話をしていた時だった。
「あっ」
そんな声が聞こえた方を見ると、女の子が呆然と空を見上げている。
その視線の先……赤い風船がふわりふわりと上がっていくのが見えた。
「風船が…って、え?」
「……っとっ」
佳乃がふと紫雲の方を見た、まさにその瞬間。
紫雲は瞬間的に転化の法で脚力に力を廻し、跳躍していた。
その跳躍は、人の限界を越えたモノ。
あっという間に屋根の高さを越え、
さらに高く飛ぼうとしていた風船に追いついた紫雲は風船の紐を掴んだ。
その後は当たり前に重力に従い、地面に……佳乃と女の子との間辺りに降り立った。
「…はい、これ」
「あ、ありがと、お兄ちゃん」
女の子は紫雲のジャンプに呆然としていたが、
差し出された風船に我に返り、礼を言いながら風船を受け取った。
「どういたしまして。
もう、離しちゃ駄目だよ」
「うんっ。
それじゃ、ばいばいお兄ちゃん」
「うん」
手を振って去っていく女の子を、笑顔で手を振り返し紫雲は見送っていた。
そうして、女の子の背中がそれなりに小さくなった頃。
「わわわわ、紫雲君すごーいっ!!」
「うおうっ!?」
近くに上がった大声が鼓膜に響き、紫雲は思わずのけぞった。
そんな紫雲に、佳乃は輝いた視線を送る。
「あんなに高く飛べるなんて、あれも紫雲くんの魔法?
まるで空を飛んでたみたいだったよぉ」
「ぴこぴこっ」
何故かポテトも感激しているらしく、佳乃と一緒になって興奮の眼差し(多分)で見上げてくる。
二人の熱い視線に、紫雲は思わず照れの混じった苦笑いを浮かべた。
「……うーん、空を飛ぶようなものだったら良いんだけど。
あれは……簡単に言えば、ただ足の力を強くしただけなんだ」
「でもでも、それでも、凄いよぉ」
「ぴこぴこ」
「ははは、ありがとう。
でも、佳乃さんが言う様に空を飛べるような力だったら、もっと良いんだけどね」
「……紫雲君も、空を飛びたいって思うの?」
「んー、まぁね」
紫雲自身、空を飛べたらいいなぁと思う事は良くある。
空の少女との因縁・奇縁は関係なく、それはヒトにとっての憧れの一つだろう。
「やっぱり、空を飛べたらいいなって思うよ。
子供の頃からよく考えてたし」
「子供の、頃から?」
「んー……小さい頃、空を飛べたら誰かに会いにいけると思ってたんだ。
今は会えなくなった両親とか」
幼い頃死んでしまった両親、そして行われた葬式。
その直後、決まり事のように、周囲の大人に『パパとママは空に行ってしまった』と言われ、
当然のように空を飛べたらいいと子供心に思った事を紫雲はおぼろげに思い出していた。
……後に姉に「少なくとも空にはいないぞ」と言われて、頭を混乱させたりもしたが。
「それで、色々話せたらなぁとか……あ、ごめんね変な話して」
佳乃は少し驚いたような、呆けたような、そんな顔をしていたが、
紫雲の発言に気付くと、首をブンブンと横に振った。
「ううん、そんな事ないよ。
それに……あたしもおんなじだったから、よく分かるよ」
「え?」
「うん、よし、決めたっ」
戸惑う紫雲をよそに佳乃は言った。
「あたしがもし魔法を使えるようになったら、空を飛ぶよ。
元々二番目にしたい事だったから。
それで、紫雲君のお父さんとお母さんに会ってきてあげる。
だから、話したい事考えててね」
「……??
魔法が、使えたら……?」
紫雲は思わず目の前の少女を見つめていた。
霧島佳乃。
彼女にも、自分や姉、国崎往人のような何か不思議な力があるというのだろうか……?
「でも今は遊びに行く途中だから、遊びにでっぱーつ!」
「ぴこぴこっ!」
「ぬぅ……って、またこのパターンか……」
思考に埋没しかけた紫雲を佳乃は押し出していき、その後をポテトが追いかけていった。
「……ここは」
川澄舞は、見覚えのある場所に立っていた。
ソコは現実にはもう存在しない、思い出の場所。
金色に満ちた、草原。
そんな幻の草原に、一人の女の子が立っていた。
そこにいるのは……かつて魔物と呼んでいた自分の欠片。
ウサギ耳のカチューシャをつけた彼女は、何か訴えかけるような、悲しそうな視線で自分を見つめていた。
「何か、用?」
『……忘れて、ない?』
舞がその視線の理由を知ろうと尋ねると、
彼女は囁きかけるような それでいて強く耳に残るような声で尋ね返した。
「……何を?」
『舞は、何か大事な事を……大事な人を、忘れてるんじゃないの?』
「……」
そう言われて、ふと思い浮かんだのは。
数日前に出会った『自分を知っていた、自分の知らない誰か』の事。
……もっとも、何故彼の事が浮かんだのか、舞自身分かっていなかったのだが。
「……あなたは覚えているの?」
とりあえず、その事はさておいて訊いてみる。
すると彼女は首を縦に振って頷いてみせた。
『覚えているわ。
私は、かつて彼と共にあった事で、内的な力の繋がりが残ってるから。
でも……私からあなたに伝える事は妨害されてるし、ただ伝えただけじゃ意味がないから教えられない』
「……」
『舞。思い出して。
あなたが何故、幸せな今にいるのかを。
そして、思い出したのなら、皆の力になってあげて』
「皆の、力に?」
『うん。
それで、一人じゃできないことを、皆でやるの。
あの冬に起こした奇跡をもう一度……』
「舞? もうすぐ降りるよ」
「……」
眼を開くと、そこはバスの中だった。
暫し思考を巡らせ、記憶を遡る。
そうすることで、舞は思い出した。
自身の親友である倉田佐祐理と夏休みを如何に楽しむかを相談した末に皆と海に行く事を考え、
旅行プランを調べたり、水着をウィンドウショッピングしたりした後の帰り道にいるという事を。
「どうしたの?
なんだか、難しい顔してるけど……怖い夢でも見たの?」
「……佐祐理」
「?」
「家に帰ったら、話したい事がある」
『彼女』が言っていた事に、嘘はないだろう。
であるならば、色々と考えなければならない。
それをどう話したらいいのか、何をどうすべきことなのか。
説明は難しいし、説明出来たとしても、舞自身手に余る事態なのかもしれない。
だが。
だとしても、心配は要らない。
「……うん、分かった。
大丈夫、佐祐理も出来る事をするから。
それでも駄目だったら、祐一さん達の知恵を借りましょう?」
自分では確実に出来ない事でも、
目の前の親友や、大切な友達の力を合わせれば、
出来ない事かどうかは分からない……いや、きっと、どんな事だって。
「だから、そんな心配そうな顔をしないで、舞」
「……うん」
そう信じているのに。
舞は、正体の分からない喪失感と、不安を感じていた。
「……ここ数年では、氷上シュン、折原浩平他、確定していない人間が数名。
記録には存在しているのに、存在していない人間達。
彼らが消えた先が『えいえん』……えいえんの世界と呼ばれる場所」
紫雲と佳乃がのんびり歩いていたのとほぼ同時刻。
何処かの、図書室のような薄暗い部屋の中で、水瀬秋子が机に積み上げられた書類や本を交互に見つつ、呟いた。
「星の記憶の擬似構成世界……やはり、そういう事なの」
翼人を救う為に旅を続ける一族・国崎家。
その末裔たる国崎往人が連れている少女……川名みさき。
彼女が探しているという、少年。
おそらく『こちら』と無関係ではない……そう思ってはいたのだが。
「これも縁というべきなのかしら……いえ、運命なのね」
歯車が廻っている事を、秋子は実感していた。
物語と物語、世界と世界が噛み合い、運命という機械を動かしている。
そう。
今は、まさに運命が動いている時なのだ。
それはやがて一つの結果を生み出す。
それが如何なるものなのか、今はまだ分からない。
今は最終的な『結果』を出す為の駆動中でしかないのだから。
そして、それは、結果を変えるのは今でしかないという事でもある。
その結果は、歯車同士の噛み合わせ……否。
ヒトとヒトとの繋がり次第で、いくらでも変化していく。
既に形が決まっている歯車とは違い、人は変わっていくものなのだから。
(月宮紫苑……貴方の考えている事は、間違ってはいないのかもしれない。それでも……)
「貴方が、ヒトを自分の目的の歯車として見ている限り、
私達は貴方の思うようにはならない……いえ、なるわけにはいかないの」
娘達や、甥、友人達……自分達の為、そして、ある意味で紫苑の為にも。
決まりきった、悲しみの世界を……破壊しなければならない。
「……だから、行かないと」
そんな決意を胸に秘めつつ、本や書類を纏めた秋子は『図書室』を後にした。
目的の為に、成すべき事を成す為に。
「……なんて事を考えている頃だろうな、秋は」
祐一達が住む町の公園……その噴水の前に置かれたベンチに腰掛けて、
時期外れな、カスタードクリームの鯛焼きを食べながら、月宮紫苑は呟いた。
「それと、それぞれ『違和感』に気付く頃かな。
まぁ……全部徒労に終わるとは思うけど、頑張ってみるといいさ」
紫苑は、食べ終わった後の鯛焼きの包みをクシャクシャに握り潰し、それをポケットに入れ立ち上がった。
「さて。
紫雲もそろそろ動き出すだろうし……
僕も紫雲との約束の範囲内で準備しておこうか」
ちらり、と紫苑が動かした視線の先には。
熱心にスケッチブックに絵を描いている、美坂栞の姿があった。
かくして。
陰と陽、それぞれの存在が自分の目指す、そう望んでいると信じる方向へと進み始めた。
そんな彼らが辿り着く場所は……彼らの誰一人として、予想出来ていなかった。
そう。
今日という日の終わりさえ、予測できない彼らには。
日が落ちつつある世界。
水瀬秋子の娘である水瀬名雪は商店街を歩いていた。
理由としては、近頃家を空けがちな母の代わりに夕飯を作る為の買い物、なのだが。
「……はぁ」
なんとなく、溜息をつく。
祐一が話をしたいと言っていた事。
其処に込められた『何か』に、名雪自身希望を見出せないでいたからだ。
その他に、最近真琴の様子がおかしい事、
母があまり長く家にいない事、
家に泊めた旅人達の何処か切羽詰ったような慌しさなど、気になる事が多々あったのも溜息の理由である。
「ううん、駄目駄目」
そんな自分の思考を、名雪は頭を振って打ち消す。
正確には消しきれてはいないが、なんとか思考の隅におしやる努力をしてみた。
「こんな時だから、私が頑張らないと」
皆に美味しい料理を振舞って、元気を出してもらおう。
そうすれば、祐一の事も真琴の事もきっと上手くいくし、
旅人達の疲れを多少なりとも癒せるかもしれないし、
忙しい母にも少しは家の事を安心してもらえるかもしれない。
そんなプラスな思考を込めるように、少しオーバーに大きく手を振りながら歩き出す名雪。
……だったのだが。
「……え?」
そんな名雪のポジティブ思考は、視界に写った『二人』によってあっという間に立ち消えてしまった。
その二人とは……相沢祐一と月宮あゆ。
名雪が見たのは、ゲームセンター前で呆、としていた祐一にあゆが駆け寄る所。
驚いた様子や戸惑った様子がない事から、どうやら待ち合わせをしていたらしかった。
「……どうして?」
友達だから普通に会って不思議じゃない。
そんな解答が即座に浮かぶが……。
(……違う)
遠目から見える祐一の表情は、友達に向ける表情じゃないような気がした。
もっと、違う何かへの顔をしているように、名雪には見えた。
(あの顔は……)
そんな祐一の顔を、名雪は知っていた。
かつて、雪うさぎを壊してしまった事を思い出した時の……。
「……」
そんな事を考えてしまったからか。
名雪は隠れるようにして、何処かへと歩いていく二人の後を追った。
勿論そんな事をすべきじゃないとは考えていた。
だが、今の名雪の中で良心よりも不安感が勝ってしまっていたのだ。
そうして、二人に気付かれないように歩き続けた名雪は、
商店街から離れ、遊歩道を抜けて、いつしか森の中に入っていた。
二人に気付かれない事を意識し過ぎた為に、
途中二人を見失ったが……ここまでくれば、名雪には二人の目的地が分かった。
かつて。
一人の少女が大怪我を追った…その場所だと。
「……っ……」
名雪は、無意識に走っていた。
もう見つかる見つからないなど関係なかった。
ただ、感情のままに走っていった。
その先に……………………ソレはあった。
「どういう、こと?」
ソレは、大きな切り株の側で……祐一とあゆが、抱き締め合う姿。
祐一の眼から流れるのは、大粒の涙。
あゆの表情には、そんな祐一への深い優しさが感じ取れた。
何かしらの事情がある。
きっと、そうだ。
そう信じたいし、そう信じられるはずだ。
実際、普通の……いつもの名雪ならば、そう判断できる事だった。
だが。
今の……『この夏の名雪』は、そう出来なかった。
「どういう、ことなの……?!」
だから。
今の名雪には、自分自身誰に向けたとも分からない問い掛けを呟く事しか出来なかった……。
……続く。
戻ります