第二十四話 陰陽全進(中編)
『何かに呼ばれたような気がして来てみれば。
少女よ、一体何だソレは』
”彼女”……人の姿を纏いしはじまりの妖狐は、美汐に尋ねた。
美汐はその問いに答えるように、広げた手の上に乗せたあるものを”彼女”に見せた。
ソレは、石。
何の変哲もなさそうな、何処にでも転がっていそうな石。
だが、それにはただの石ではないモノが込められていた。
「……命、さんが法術の”力”を込めてくれたそうです。
元々何か由来のある石らしくて、これに力を込めたら確実に貴女が確認しに来るだろう、と」
『命……そうか、草薙命、もう一人の後継者か。
流石に私達の事をよく理解しているな。
それは私が千年に渡り抱き続けてきた”モノ”に極めて近い。
我等の洗礼を受けしお前がそれを持ってココに来たなら、確認せずにはいられんよ』
「貴方達の、洗礼……?
私は、そんなものを受けた覚えは無いのですが。
少し人とは違う能力を持っているのは事実ですけど……」
『受けているさ。
お前が生を受けた、その時から。
お前が我が子達に出会った時から目覚めたであろう異能がその証。
……まぁ、その辺りはいずれ話そう。
今、話すべき事はそんな事ではあるまい』
その言葉に美汐は表情を引き締め、頷いた。
「はい。
草薙命さんからの言伝を預かっています。
まずは、それを聞いていただけますか?」
『いいだろう』
そうして、美汐は語り出した。
草薙命から……草薙家から託された『伝言』を。
「さぁ、人形劇の始まりだ」
「はじまりはじまりだよ」
美汐の居るものみの丘……その下方にある街の駅前。
国崎往人と川名みさきは、初めてこの街にやって来た時の様に、少し不思議な人形劇を展開していた。
それを物珍しそうに眺めている人々から少し離れた所に、白衣の女性……言わずもがなの草薙命がいた。
彼女は二人や人々の様子、やり取りを静かに眺めている。
いや……眺めているのではなく、『観察』していた。
「どうかしら?」
「……ふむ。
思ったよりは、分かっている、とは思うが……難しいな」
唐突に現れた存在、耳に入った声に驚く事も無く命は答えた。
「少しレクチャーが必要になるかもしれん。
お前もそう思うだろ、秋子」
同意を求められた女性……水瀬秋子は、幽かに頷いてみせた。
「……そうね。
でも、多分ほんの少しのアドバイスで気付くと思うわ。
あの人形の動きには、一番大切なあたたかみが、ちゃんとあるから」
「ふ、そうだな。
まぁ、こっちの事は私に任せておけ。
お前はお前の出来る事を頼む。心配は無用だ」
「ごめんなさいね、つい心配になったものだから」
「こっちこそ悪かったな。
余計な怪我で余計な時間を食わせてしまったしな。
そりゃあ、心配されても仕方ない」
やれやれ、と肩を竦める命。
そんな命に秋子は微笑みを返した。
「っと、そうそう。
心配話で思い出したんだが。
”彼女”はどうしてるか、知ってるか?」
「依吹の事?
……彼女を、心配してくれてるのね」
「ふむ。
なんというか、彼女は愚弟に似てるんでね」
秋子の言葉に、命は何処か照れ臭そうに頭を掻く。
「まぁ、気にならないというと嘘になるな。
もっとも、味方に出来ればいいと思っているのも事実だがね」
「ふふ、貴女らしいわ。
……依吹は、昨日の夜に旅立ったわ」
「旅……?
! そういう事か」
「早ければ、今頃到着している頃よ」
「くくく、やれやれ。さて吉と出るか凶と出るか……」
「今はただ、信じましょう。あの二人を」
二人はぼんやりと空を見上げた。
世界の全てを繋げ、翼を持つ少女がいるはずの、青い空を。
『……なるほど。事態は大体理解出来た』
美汐からの事情説明と『伝言』を聞き終えて、”彼女”はそう呟いた。
『ここ最近、街の匂いが変化したり、我が娘に異常が起こったり……気にはなっていた。
なんとなく分かっていた事だが、やはり状況は最悪だな』
「……私からもお願いします。
この事態の収拾に力を貸してください。
真琴の、為にも」
美汐は、ただ真っ直ぐに”彼女”を見つめた。
一年半前の『あの時』のように。
”紫雲の事”は忘れたままだ。
だが『あの時』の記憶は、消えてはいない。
真琴を護る為に、助ける為に、一緒に生きる為に”運命”に立ち向かった記憶は。
その強い眼差しを受けて”彼女”は言った。
『……少女よ。
これを、お前に託す』
”彼女”はそう言うと、首飾りのようにして自分の首に掛けていた一枚の羽を外した。
そして、それを暫しの間愛しそうに握り締めた後、美汐の首に掛けた。
「これは……大切なものなのでは?」
”彼女”の様子から、想いを込めた大切な品である事は容易に理解できた。
だが、そんなものを自分に渡す心情は理解できない。
だから、美汐は自身の心のままに”彼女”に尋ねていた。
そんな問い掛けに”彼女”は穏やかな表情で頷いた。
『ああ、大切なものだ
私のはじまりにして、思い出。
私が人に憧れた切っ掛けを与えた人々との絆のカタチ、そのヒトツだ』
「なら、どうして……」
『だからこそ、お前に託すのだ。
我等ものみの丘の妖狐に触れて悲しみ、我等に連なる運命に触れて苦しみ、
それでもなお”世界”に立ち向かい、今再び立ち向かおうとするお前に』
「……」
『その羽は法術の力の源流がカタチになったもの。
持っている力は決して強いモノでは無いが、使い方次第で運命への対抗策になってくれるはずだ。
少なくとも、今小細工を弄して回っている”敵”の力を多少なりとも軽減出来るだろう。
”敵”の力が我等や草薙家、国崎家と同種であるがゆえにな』
「私が、これを使うのですか……?」
『それは自由だ。
お前が託したいと思った人物に託すのもいいだろう。
ただ、私がお前に……いや、お前達に、その羽と共に願い、託す事は一つだ』
夏の日差しの中。
その暑さを冷ますかのような風を受けながら、”彼女”は告げた。
『娘と、娘が愛している世界を、宜しく頼む』
「……!」
『手前勝手な願いだが、それがお前達全ての幸福に繋がると私は信じている。
あの、運命を断ち切った少年と、仲間達、そして……お前がいるのなら、それが叶うと信じられるのだ……』
重ねるが、その想いを告げられた天野美汐には、草薙紫雲の記憶は無い。
だが、美汐は知っている。
目の前の存在が自分に掛けている想いの重さと強さ。
そして、自分が為すべき事、護るべきものを。
だからこそ美汐は、強く、深く、頷いた。
其処にあるものを確かに受け止める為に。
「わかり、ました。
この天野美汐。
全身全霊を賭けて、貴女の願いを叶える力の一つになれるよう努力します」
『……その言葉、胸に沁みる。
ありがとう、少女……いや、天野美汐。
草薙家の末裔には、頼まれ事は確かに引き受けたと伝えてくれ。
いずれ、その時が来たならば、馳せ参じよう』
「……あの」
『何だ?』
「貴女の、お名前は……?
私は、名前を呼んでいただいたのに……貴女の名前を私はまだ知りませんでした」
『……ふふ。私の、名前か。
ややこしくなるやもしれんから教える気はなかったんだが……問われては答えざるを得まい』
徐々に薄くなる姿。
そんな中で、幽かに、そして、確かに微笑む”彼女”の顔が美汐の眼に映った。
『私も、真琴だ』
「え……?」
美汐の不思議そうな声が響く中、そうして、彼女の姿は立ち消えていった……。
「じゃあねーあゆちゃん〜」
「……あ、うんっ。またねっ」
少しだけ夏の空気が冷め始めた放課後。
同級生の言葉に少し遅れながらも朗らかに答え、月宮あゆは校門を出ていく。
帰り際の挨拶が遅れたのは、他でも無い。
朝から考えていた『男の子』の事だった。
あれから色々考えたりしたものの、明確な何かは浮かばなかった。
だが、だからと言って考えないわけにもいかず、あゆは悶々とした一日を過ごす事となっていた。
「うぐぅ……困ったなぁ……ハァ…………っ? わわっ」
無意識にやり切れないものを溜息で散らせようとしていたあゆは、唐突な、制服越しの携帯の振動に少しばかり驚いた。
ちなみに、その特殊な環境や状況上、あゆは携帯の所持・許可を全面的に許可されている。
……もっとも、許可されていようとされまいと持ってきているのが最近の学生ではあるのだが。
さておき。
あまり携帯を使い慣れていないあゆは、慌てながらもまず携帯を取り出した。
「あれ、メール……みたい」
振動が既に止まっていた事と、改めて見た画面表示からメールらしいと認識したあゆは、なんとも危なっかしく見える動作で送信先を確認した。
そして、そこにあった名前を見て、彼女は思わず眼を瞬かせた。
「……祐一君?」
そこには相沢祐一の名前と、今から話をしたいという要件が簡潔に書かれた内容があった。
「うーん、なんの用だろ。
ま、いっか」
今から用事は特に無い。
悩んでいる事はあるが、それは祐一には関わりの無い事だ。
ならば、会わない理由は無い……そう考えたあゆは頼りなさげな手付きでOKの意を示した返信メールを打ち、送った。
「ご馳走様でした」
霧島診療所で早めの昼食をのんびり食べ終わり、紫雲は手を合わせた。
……ちなみに、今日は腹五分ぐらいで抑えている。
「ああ、御粗末さまでした。
と言っても、ソーメンなんて、そう大層な準備は掛らないが。
今日は先日のような流しソーメンでもないしな」
「あはは」
聖の言葉で先日の賑やかな昼食を思い出し、紫雲は思わず笑っていた。
「……また、ああいう食事が出来たらいいなぁ」
あんな食事は数えるほどしか経験した事がない。
そう思うがゆえの素直な言葉を紫雲は零す。
そんな紫雲に佳乃は笑い掛けながら、言った。
「そうだねぇ。ああいうお食事、私も大好きだよぉ。
ポテトもそうだよねぇ?」
「ぴこぴこ」
「ふふ、それならまた近い内に食事会を催す事にしよう。
その時は、また君も参加してくれ」
「……はい、御呼ばれしていただけるのなら喜んで」
その時自分がまだこの町にいたのなら……とは言わず、紫雲はそう答えた。
「ねぇねぇ、紫雲君。
今日は今から何するの?」
「え? えっと……午前中と同じ様な事して鍛えようかなって……」
「え〜〜、そんなに鍛えてばっかりだと、息が詰まっちゃうよ。
だから、遊ぼ?」
「………っ」
年齢より幼く見える、無邪気な笑顔を浮かべる佳乃。
その笑顔を見て、紫雲は遠く離れてしまった『彼女』の笑顔を思い出した。
(……ったく……)
紫雲は、内心で舌打ち気味にそう呟いていた。
観鈴にも『彼女』を見て、今は佳乃の中にも『彼女』を見出そうとする自分自身に苛立ちを覚えたからだ。
分かってはいる。
自分がそれだけ強くあゆに会いたいと思っているという事は。
だとしても、それはイメージを重ねてしまう『誰か』に失礼過ぎる……。
「ぬぬぬ……紫雲君、私と遊ぶの嫌なんだ」
「へ?」
自己嫌悪な思考に埋没していた紫雲を、佳乃の声が現実に引き戻す。
「あ、いや、そういうわけじゃ」
「ふむふむ、そういうわけじゃないんだ。
じゃ、バーンと遊ぼーっ」
「ぴこぴこっ!」
「いや、その、だからと言って、そういうわけにも……」
「いいからいいから。でっぱーつ!」
佳乃はそう言いながら紫雲を強引に外へと引っ張っていく。
当惑する紫雲は為すがまま……というか、罪悪感もあって完全にペースを握られてしまっていた。
そんな二人に、聖は笑顔で言った。
「いってらっしゃい。
あまり遅くならないようにな」
「はーいっ」
そうして二人と一匹は、診察室を後にした。
「………………………不思議な、縁だな」
一人残された聖は、そう呟いてお茶を一口啜った。
丁度その頃。
「うう、今日も難しかった……」
補習帰りの神尾観鈴は、海沿いの道を一人で歩いていた。
その途中。
「?」
全身を白い服で固めた、見慣れない人物が海を眺めているのが視界に映った。
「……」
無言で風に身を任せる姿が、何処か寂しげに見えたからか。
……あるいは、同じ様な事をしていた自分とイメージを重ねたからか。
「あの、何を見てるんですか?」
観鈴は、思わず声を掛けていた。
そんな観鈴の声に、その人物は観鈴の方を振り向くでもなく淡々と答えた。
「……特定の何かを、というつもりはない。
ただ、呆けていたかっただけだ。
ここはそういう気分になってもいいと思える良い風景をしているからな」
「うーん……私、あほちんだけど……それは、なんとなく分かる気がする。
ココの景色、凄くキレイだから」
観鈴はそう言うと、その人物と同じ様に海と空しか映らない世界を見つめた。
何処までも広く、何処までも青い世界を。
その人物は、そんな観鈴を一瞥した後に言った。
「……そうだな。
所でお嬢さん。これも何かの縁だと思って、尋ねていいか?」
「なんですか?」
「この辺りに宿泊施設は無いか?
どうにも地図が分かり辛くてな」
「うーん……この辺りにはないと思う。
でも、商店街の方ならあるかも」
「悪いが、そこまで案内して貰えるか?」
「いいですよ」
「謝礼は…………」
「にはは、お礼なんていいですよ」
「そうか。……今時、良く出来たお嬢さんもいたものだ」
「にはは、お嬢さんなんて言われると、なんかちょっとムズ痒いかも」
照れからか、苦笑しつつ観鈴は言った。
「私、観鈴。神尾観鈴です。
良かったらお嬢さんじゃなくて、名前で呼んで欲しい」
「了解した。
私は……依吹。藤依吹だ」
観鈴に答える形で彼女……藤依吹は、自分の名を名乗った。
二人は知らない。
偶然に見えるこの出会いが何を生み、何を変えていくのか。
今はまだ、知る由も無かった。
………続く。
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