第二十三話 陰陽全進(前編)










夢。

夢を見ている。

星。

星が降りそうな空。

その空の、下に。

二人の男の人が立っている。

一人は……見覚えが、ある。
何日か前にウチに来た……男の人……いや、男の子、かな。
悲しそうな顔をしてた男の子。

もう一人は……あれ?
同じ顔を、してる。
同じ、男の子?
でも、この人は……男の人って感じがする。

二人とも、鈍く光る何かを握り締めてる。
その、握り締めた輝きが動き、交叉し、火花が散っていく。

そんな激突の果てに……誰かが倒れる。

ゆっくりと、崩れ落ちていく。

その顔は……。







「っ!!」

そこは、教室の中。

夢の結末を見てなのか、それとも、ついていた頬杖がずれたからか。
彼女……月宮あゆはビクッと身を震わせながら眼を覚ました。

慌てて周囲を見渡すが、特に誰も注目していなかった。
視線を下に落とすと、寝惚けていたのか握ったままだったペンが変な軌跡をノートに描いている。
……今は自習時間だったのが不幸中の幸いという所だろうか。

「……あれ……?」

夢の内容をボンヤリと思い返したあゆは、思わずそう呟いていた。

同じ夢を見て目覚めた事が数日前にあった。
その事は確かに覚えている。

だが……あの時とは『感触』が違っている。

数日前は、夢の中に出てきた『彼』を知っていた気がしたのだ。
今よりももっと深く、強く。

(……なんでだろ)

脳裏に浮かぶのは、夢にも現れた、数日前に『出会った』青年。
ここ数日、気が付くと無意識にその事ばかりを考えていて、あまり眠れない日々を過ごしている。
そして、彼の事を思う度に、何故か胸が痛んだ。
いや、痛いというより……締め付けられているような感覚。

あゆは、この感覚に覚えがあった。

(……祐一くんの時と、おんなじ)

彼女にとっての初恋の少年、相沢祐一。
彼を想っていた時の感覚と同じ……いや、それ以上に締め付けつけられているような、そんな気がした。

あゆがそう認識した、その時。

『…あ、…たね、あゆ』

「え……?!」

ノイズ交じりの声と姿が頭に浮かぶ。

それは……あの青年のもので。
そして、あゆの記憶の中に確かに存在している……そう、あゆに思わせた。

(……???
 どういうこと? ボクは、あの人を……知ってるの……?)

脳裏の……否、心の混乱に、あゆは強くペンを握り締めていた。
手との隙間に浮かぶ汗に気付く事さえなく。










「……祐一?」

水瀬家の玄関で靴を履いていた祐一は、背後から聞こえた名雪の声に顔半分だけ振り返った。
その表情は……何処か後ろめたそうなもののように名雪には思えた。

「その。えっと。具合、悪いんじゃなかったの?」

それでも、名雪はあえてその事には触れずに体調の事だけを尋ねた。
それは、今の祐一が自分に対して真情を話すつもりは無いだろう事を悟っていたから。

祐一が祐一自身の意志で自分に打ち明けるその時まで待つ。
名雪はそう決めていた。

「――ん。気分的なものみたいだからな。
 ちょっと……外に出て頭を冷やしてみる」
「そう……祐一が無理をしてないんなら、良いけど。
 あ、でも外の方が暑いから、頭は冷やせないかもしれないよ?」
「そうかもな」

名雪の軽い冗談を薄ボンヤリと肯定しながら祐一は立ち上がり、ドアを開いた。
夏の日差しと熱気が少し冷房の効いた家に入り込んでいく。

「……名雪」
「なに?」
「帰ってきたら、話したい事がある。
 出来たら時間を空けといてくれ」
「う、うん」
「じゃあ、行って来る」 

そう言って。
祐一は夏の世界へと踏み出し……扉を閉じた。

「……祐一」

避けている……否、自分から逃げているような、そんな姿を見て。
玄関に残された名雪の心の中には言いようの無い不安が滲み、大きく膨らんでいった……。










「そうか。分かった。
 じゃあ、そういう事で頼む」

本来弟の座るべき椅子に座っている命は、そう言って電話を切った。

「……あまり余裕は無いぞ、愚弟」

窓の外の青空を見上げて呟く。

この状況の打開、そして更にその先の為に『草薙紫雲』は必要不可欠だ。
そして、草薙命の弟である草薙紫雲が『本当の自分』を手に入れる機会は、今とココをおいて他に無い。
 
だが、その為の時間を引き延ばすのにも限度がある。
時間が過ぎれば過ぎるほど状況は悪化し……最悪、取り返しのつかない事になってしまう。
一応『手助け』を頼んだり、仕込んだりしてはいるが……。

「どうなるやら、だな。
 まぁ、主役は遅れてくるものかもしれんが」

そう呟き、くっくっ、と不敵とも強がりともとれる笑い声を漏らしていると。

「よう」
「おはようございます」

往人とみさきの二人が何でも屋事務所に入ってきた。

「おはよう、二人とも。もっとも、もう昼近いが。
 食事はとったのかな?
 今日は今からやってもらう事があるから、腹ごしらえはしておいて欲しいんだが」
「一応厄介になってる家で食べた。
 ここで食べなかったのを幸運に思った方が良いぞ」
「ほう? 君達は食べる方なのか」
「まぁ、俺も食べる方だと思ってたんだが……コイツには負ける」

言って往人は、クイクイ、とみさきの方を親指でさした。

「うー。私確かに食べる方だけど国崎君が言うほどじゃないよー」
「それは食パン一斤を余裕で食える奴の台詞じゃないぞ」
「ほほぉ。それほどなら、うちの愚弟とタメをはれるな」
「……アイツ、そんなに喰うのか。あんな細っこいのに」
「アイツは、体力を消費する時はとことん消費するからな。
 その時に備えて食い溜めでしてるんだろう、というのが私の推測だ。
 まあ、基本的には只の無駄飯喰らいだと思うがね」










「へっくちょんっ!」
「む。どうした紫雲君」

その頃。
少し早い昼食に招かれた紫雲は、霧島診療所の敷居を跨ごうとしているところだった。
そこで思いっきりくしゃみをかまし、皆……佳乃、聖、ポテト……の視線が紫雲に集まる。

「風邪? 夏風邪は性質が悪いから気をつけた方が良いよぉ」
「ぴこぴこ」
「あー……馬鹿は風邪引かないから大丈夫だよ。
 多分、何処かの誰かが……姉貴辺りが噂してるって所だと思う」
「紫雲君、お姉さんいるんだ」
「言ってなかったっけ?」
 
眼をパチクリさせる佳乃に苦笑しつつ、紫雲は言った。

「一人、姉が居るんだ。 
 無駄に偉そうで意地が悪いけど……自慢の姉貴だよ。
 ちなみに、聖さんと同じで医者なんだ」
「わぁ、そうなんだ。
 じゃあ、私が一号で、紫雲君が二号だね」
「え? なんのこと?」
「お姉ちゃんがお医者さんな、お姉ちゃん大好き星人」
「う。ま、まあそうだけど……なんでそう思うの?」

色々な意味で思わず赤くなりながらも答える紫雲に、佳乃は笑顔で言った。

「だって、お姉ちゃんの話してた紫雲君、凄くいい笑顔してたから。
 ねー、ポテト?」
「ぴこぴこっ」
「……ははは。かなわないなぁ」

呟いて、紫雲は頬を掻いた。
……正直、悪い気はしなかった。










「へっくちょんっ!」
「夏風邪ですか?」
「……違うんじゃないか?
 大方、噂した事で噂し返されてるってところだろ」
「む。中々に鋭い推察だな、国崎君」

ティッシュで口周りを拭い、笑みを浮かべた命は、その言葉のあと首を微かに傾げた。

「……さて、何の話だったかな」
「今からやる事について、だろ」
「そうそう、そうだったな」

命は頷きつつも手鼓を打ち、二人の立つ方へと椅子の向きを変えた。

「今から君達……というか、国崎君にはある事をやってもらうつもりだ。
 それは今後に必要な事だから、しっかり取り組んで欲しい」
「前置きはいい。で、なにやればいいんだよ」
「人形劇だ」
「……は?」

命の言葉に、往人は思わず眼を見開いた。
それに構わず、命は続ける。

「正確に言えば、人を楽しませる人形劇だ。
 君にそれが出来ているかどうか、見せてもらう」
「おい、それがこの状況と一体何の……」
「関係はある。
 だからこそ、やってほしいと言っているんだ」
「……あのなぁ」
「駄目だよ、国崎くん」

文句を言いかけた往人を、みさきの言葉が遮った。

「みさき……?」

反射的にみさきの方に振り向いた往人は、刹那呆けた。
そこに、顔こそ穏やかだが、真剣な『視線』を自分に向けるみさきがいたからだ。

「命さんは本当に必要だと思うから言ってる。
 声を聞けば、分かる。
 それは、本当に大事な事なんだって」

眼が見えないからこそ言葉の、声の意味を強く感じられる。
そんなみさきだからこそ、命の言葉に秘められた感情に気付いたのだ。 

みさきは真っ直ぐな『視線』で往人を射抜いたまま、告げた。

「だから、やるべきだよ」
「……ちっ」

射抜かれていた往人は舌打一つ零した後、頭を掻いて、言った。

「分かったよ。
 だが、いいのか? 
 アイツとアンタの関係者周辺に気を配った方がいいと思うが」
「心配には感謝する。
 だが、大丈夫だ。私も手をこまねいているつもりはない。
 その為に美汐君に頼んでいる事もある。
 それから、一応幾つか手は打ってあるし……」
「あるし?」
「……いや、そこから先は憶測だからな。ノーコメントで納得してくれ。
 ただ、愚弟が帰ってくるまでもたせられる様に手は打つ。
 だから……とりあえず君を鍛えておこう。
 異論は無いかな?」
「色々あるが……ないという事にしておいてやる」

往人は不満気な表情七割でそう答える。
そんな往人の言葉に、みさきはクスリ、と笑みを零した。

「ああ、それでいい。納得してくれて助かるよ」
「あの。ところで命さん」
「なにかな?」
「美汐ちゃんに頼んでいる事って、なんなんですか?」
「うーむ。まぁ、なんというか……あえて一言で言うなら」

みさきの問いに対し、ふむ、と漏らした後、命は言った。

「伝言だ」










「……また、お会いする事になるとは思いませんでした」

美汐が立つ、その場所。
そこは夏の日差しの中にありながら、違う季節にいるのかとさえ感じさせる空気と風が混じる場所。



人は、ココをこう呼ぶ。

ものみの丘、と。



そんな丘の上で、風に撒かれていく髪を気にも留めず、美汐はただ真っ直ぐ見詰めていた。

『……そうだな。
 こんなにも早く再び出会える日が来るとは、私も思っていなかった。
 しかも、この様な最悪な形で』

平安時代頃の着物に似た衣服を身に纏う、美しい女性を。

そう。
ものみの丘の妖狐……そのはじまりの存在を。







……続く。
戻ります