第二十二話 夢縁朝景










夢を、見ていた。

最初は、雪原。
見慣れた自身の深層世界。

そこから、視界が広がっていく……そんな夢。

たくさんの誰かが何かを語る夢。

夢に向けて、永遠に向けて、空に向けて。
世界の挟間にある世界に、誰かが言葉を投げ掛ける。

それは美しい言葉の連なり。
それは美しい願いの繋がり。

例えるなら、まるで、歌のような。

そして『誰か』がそれに唱和している……。

そう。
それはまるで……。










「……また、夢か」

青空と、夏の日差しの下。
眼を開いた紫雲は、呟きながら身体を起こした。

其処は、誰も使っていない無人駅のベンチ。
美凪に紹介されたその場所で、昨日と同じ様に眼を覚ました紫雲は、ぬぅ、と唸るような声を零した。

「なんだろな、あの夢」

『不思議な夢』と考えて思い浮かぶのは、一年半前の冬の事。

あの頃、紫雲は不思議な夢を見ていた。
それは、自分に……否、相沢祐一に関わる少女達の『本来の結末の一部』……だったらしい。
近頃見る夢は、感覚的にあの夢に近い。

「何か意味がある……って事なんだろうけど」

前回見た時は、紫雲が命の法術によりあゆの記憶を一時的に喪失した時。
それを思い出す為に、あるいは『あの現実』に立ち向かう為に、自分の無意識か法術の力で見たものだと紫雲は考えていた。
なんにせよ、今の夢があの時の夢と同種なら、何かしらの必要があって見ている筈なのだ。
だが……。

「分からないよな、実際」

今の所、意味がサッパリ分からない、というか掴み難い。
ので、現状ではどうしようもなかった。

「まあ、今は良いか……さて」

紫雲はそう言って気分を切り替えていく。

そう。 今は、分からない夢について悩んでいる時ではない。
いつかは皆がいる北の街に帰ると決めた以上、やらなければならない事、考えなければならない事はたくさんあるのだ。

「とりあえず……アレの再特訓しよ」

紫雲は、うーん、と身体を伸ばし、自身の為すべき事の為に動き始めた。










その頃、北の街……水瀬家では。

「祐一、朝だよ」

相沢祐一の部屋の前で、水瀬名雪がノックしながら彼を呼びかけていた。
いつもならとっくに起きてきて名雪を起こしている彼なのだが、今日は起きる気配が無い。
それどころか、全く反応を返してこないのだ。

「……どうしたの、祐一……?」

あまりの反応の無さに、何かあったのだろうかとさえ名雪が思い始めた時。
カチャ、とドアノブが回り、祐一が顔だけを隙間から覗かせた。

「……祐一?」
「……悪い、名雪。
 少し気分が悪いんだ。暫く寝させてくれ」

そう告げるその顔は確かに青く、日常の彼の顔をしていなかった。

「そ、そう……?   なら、私、看病するよ」

心配そうな名雪の言葉。
だが、祐一はそれをやんわりと首を横に振って否定した。

「……いいんだ。 
 大した事は無いから、暫く一人にしといてくれ」
「でも……」
「いいから」

少し強めになった口調に名雪は戸惑う。
そして、その戸惑いによる僅かな硬直が続いているうちに、祐一はドアを閉めてしまった。

「…………昨日の事が、続いてるのかな」

昨日。
具合悪そうに……というより何かに苦悩するように……頭を抱えていた祐一。
苦しそうな表情で自分の手を振り払い、一人で家に帰った祐一。
その後、夕食の時も何処か上の空で、夕食が済んだと思ったら早々に自室に篭ってしまった祐一。

名雪自身、昨日の祐一の行動、その意味や理由は分からない。
ただ、先刻の祐一が昨日の延長線上に居る事ぐらいなら分かる。
しかし、それ以上の事はドアが閉じられてしまった以上どうしようもなかった。

(もう少し時間を置いてから話をしないと……)

そう考えた名雪は、意気を少し消沈させながらも階下に降りていった。

「おはよう、真琴」
「おはよー名雪」

リビングに足を向けると、制服姿の真琴がテレビに向けているのが名雪の視界に入った。
挨拶を返した真琴は、テレビに向けていた意識を名雪に移し、言った。

「ねえ、秋子さんいないんだけど、朝ご飯どうしよう?」
「え、お母さんいないの?」
「うん。秋子さん、さっき出掛けていっちゃった。
 なんか、バタバタしてて朝ご飯作れなかったみたい。
 だから朝ご飯がなくて困ってたのよぅ」

最近、彼女達の母親である秋子は妙に忙しげで、家にいない事の方が多い。
そして、家にいる時たまに見せる表情は、名雪でさえ数えるほどしか見た事が無い厳しいものだった。

「…………」

祐一の『変化』、秋子の『不在』……それは名雪に何かの異変を感じさせた。
自分の知らない所で何か大きな事が起こっているのではないか……そんなイメージを彼女は頭に浮かび掛けた。

「ねぇ名雪ー」
「え?」

だが、それは最早『妹』と呼んでも良いと思える少女の言葉で散らされ、消えていった。

「”え?”じゃないわよぅ。朝ご飯どうするの?」
「あ、ごめんごめん。ちょっと考え事してたから。
 ちゃんと私が準備するよ」
「うん、お願いねー」

それから十数分後。
トーストと目玉焼き、昨日の夕食の残りを並べた朝食風景が出来上がっていた。

「そう言えば真琴、学校……というか、補習はいつまであるの?」

向かい合いながらの食事の中、名雪は問いかけた。

「えっと、今週まで。名雪達は?」
「私達も、もうすぐお休みだよ。
 皆夏休みになったら、何処か遊びに行こうね」
「うんっ」
「……そりゃ羨ましいこったな」
「夏休みか……久しぶりにそんな言葉を聞いたかな」

そう言いながら現れたのは、現在居候中の国崎往人と川名みさき。

「おはよう、二人とも」
「よう」
「おはようございます」
「おはよー。
 昨日遅かったけど、何かしてたの?」

昨日、二人は遅くに水瀬家に帰ってきた。
それを出迎えたのは名雪だったので、真琴は二人が何処で何をしていたのか知らなかった。

「お知り合いのヒトと色々話をしてたんですよね?」
「うん、そうだよ」
「小難しい話ばっかりでうんざりだったけどな」
「ふーん。
 ……ごちそうさま」

興味があるのか無いのか微妙な声を上げつつ食事を終えた真琴は、律儀に手を合わせて席を立った。

「もういいの?」
「うん、作ってくれてありがと名雪。
 じゃあ、行って来るね」
「行ってらっしゃい」
「ま、精々気をつけてな」

その場で真琴を見送る居候二人。
そんな二人をリビングに残し、名雪は玄関先まで見送りに行く。

「……あ、そうだ真琴」
「なーに?」

背中を向けて靴を合わせる真琴に、名雪は言った。

「あのね。祐一が元気ないみたいなの。
 だから、その。
 もしよかったら、真琴から元気付けてあげてくれないかな。
 私、どうも避けられてるみたいだし…」
「……」
「真琴?」
「……じゃ、行ってくるね」

名雪の言葉は、届いていなかったのか。
あるいは……『耳を塞いで』いたのか。

真琴はその言葉に応える事無く、水瀬家を後にした。












舞台は戻って、紫雲以外は無人の駅前。
紫雲は一人、焦げる様な熱さの地面に胡坐をかき、目を瞑っていた。

何もしていない訳ではない。
紫雲は、自身の奥義である『死刀』を錬磨させているのだ。

(……なんだかんだで、僕にはこれ以上の『技』がない)

死刀そのものの更なる発展や成長は有るかもしれないが、草薙紫雲における『技』の発想としては死刀が最高位置なのだ。
なら、それを最高にして最大にして最強と言えるまで鍛え上げるしかない。
なにより、あの月宮紫苑に立ち向かうには、最低限でも現状より『一つ上』には行かなくてはならないだろう。

(……意識を研ぎ澄ませ……)

死刀は、あらゆる現象・力場の力を応用・倍加・変換する技。
ゆえにまず力の流れを感じ取らなければ話にならない。

そういうわけで。
暑過ぎる日差しの下で、紫雲は数時間もの間世界の流れに『耳』を傾けていた。

「……」

太陽の日差し。
微かな風。
遠くで走る車の排気音。
空を飛ぶ鳥達の羽音。
蝉の鳴き声。

そして、地面を抜き足差し足で踏み締めながら、こちらに近寄る『何か』。
静かなソレは、聞いた事のある足の運び……リズムをしていた。
ので、紫雲はその足音の主をなんとなく悟る事が出来た。

「……えーと、何の用事か知らないけど、佳乃さんかな?」
「ふぇっ!?」
「やっぱりそうか」

紫雲がゆっくりと眼を開けると、ポテトを抱えた佳乃が立っていた。
その表情は少しだけ大きめな驚きに満ちている。

「で、改めて聞くけど何か用事?」
「う、ううん。そういうんじゃなくて。
 紫雲君がここにいるってお姉ちゃんから聞いたから遊びに来ただけだよ。
 それより、さっきはどーしてわかったの? 目を瞑ってたのに」
「気配とかで。というか、そういう訓練をしてたから、かな」
「うわぁ……すごいなぁ。
 まるで、魔法みたい」
「……そんないいもんじゃないさ」

キラキラと輝く佳乃の眼を見て、紫雲は苦笑した。
そして、近くに落ちていた小石を拾い上げると、『力』を込めてそれを砕き、磨り潰していく。

「うっわぁ……」
「僕が持ってるのは、こんな『力』を引き出す能力と、その方向のコントロール、それを活かす方法論くらいだよ」

パラパラと砂状になった石を払いながら、肩を竦める紫雲。

「それでも何かの役に立つだろうと信じて頑張ってはいるんだけど……
 魔法使いの魔法みたいに皆を簡単に幸せに……ってわけには中々いかないね。
 まだまだ修行が足りないし、修行してもそういう風には……って、変な話したね」
「ううん。全然変じゃないよ。というか、すっごいなぁって思うけど」
「そう言って貰えると嬉しいな」

そう言って、紫雲は起きた時と同じ動きで、うーん、と身体を伸ばしながら立ち上がった。

「とりあえず一時休憩っと。
 ご飯食べに行くかな」
「ご飯?」
「うん。朝ご飯まだ食べて無いんだ。
 もう昼飯になりそうだけど」

太陽の傾き加減を見た上での紫雲の言葉。
そんな紫雲の顔を見て、佳乃は笑顔で言った。

「ねえ紫雲君。よかったらお昼ごはんご馳走するよっ」
「ぴこぴこ」
「んん?
 気持ちは嬉しいけど、昨日もご馳走になったし……」
「昨日は、お世話になったお礼のご馳走。
 今日は、ただご馳走したいからするんだよぉ。
 だから食べていってよ。お姉ちゃんもいいって言ってくれると思うし。  勿論ポテトも良いよね?」
「ぴこっ」

佳乃の言葉を全面肯定するように一声鳴いて首を縦に振るポテト。

「んー」

そんな二人の熱心な誘いに、紫雲は少し考え込む。

(……そうだなぁ)

よくよく考えてみれば、こういう誘いが受けられるのも、この街にいる間だけだ。
いずれ、帰る時……この街を去る時が来る。

その時までに思い出を作っておくのも悪くは無い。
大切な事を思い出させてくれた、この街の思い出を。

だから。
紫雲は佳乃の言葉に頷く事にした。

「そうだね、じゃあご馳走になるよ」

そんな紫雲の答に、佳乃は輝く笑顔をさらに輝かせる満面の笑みを浮かべた。



……続く。










……続く。
戻ります