第十四話 迷走再会







いつもなら灯が消えている時刻。
だが、この日は霧島診療所の診察室、待合室共に灯が付いたままだった。

その片方……待合室には、二人の人間が長椅子に並んで座っている。

草薙紫雲と遠野美凪。

二人とも、その表情に色はない。
ただ、診察が終わるのを待っているのみだった。

と、そこに。

「ふぅ……」

診察室の扉が開き、聖が姿を見せた。

「……どうでしたか?」

そこに投げ掛けた美凪の問に、聖は答えた。

「そこの彼が言ったように、二人とも命に関わるような傷や怪我は無い」
「そうですか……」

その答に、美凪は安堵を込めた言葉を漏らす。
紫雲は美凪と同じ様に安心しつつも、その事実を聞くのを待っていたかのように、頭を下げた。

「すみません。
 さっきの子……妹さんなんですよね。
 手荒な事をしてしまいました……申し訳ありません……」
「いや、君の判断は悪くない。
 むしろ、危ない所をありがとうと言うべきだろう……
 下手をしたら、取り返しのつかない事になっていたかもしれなかったからな……」

聖は診察室の方を一瞥すると、苦い息を零した。

「神尾さんの首に、跡が残ってしまった。
 すぐに消えるとは思うのだが……申し訳ない事をしたよ……」
「……あの……」
「一つ、いいですか?」

口を開き掛けた美凪を遮って、紫雲は言った。

「……余り立ち入るべき事ではないのは承知していますが……あえて、言わせていただきます。
 彼女の様子は、ただ事じゃなかった。
 もしも力になれる事があったら……」
「佳乃の事は……私にもよく分からないというのが本当の所だ。
 おそらく、誰も力になる事はできないだろう。
 ……迷惑をかけてしまって申し訳ないと思うが」

それだけではないのだろう。
話し難い事、話せない事がある。
紫雲はなんとなくそれを感じ取り、自分が思っていた以上に無神経な発言をした事に気付いた。

(何やってるんだ、僕は……)

「……いえ、僕こそ部外者なのに失礼しました」
「気にしなくてもいい。
 佳乃の事を案じてくれたのだろう?
 見ず知らずだというのに……優しいな君は」
「違いますよ。そんなんじゃないです。
 ただの……自己満足ですから。
 ……それじゃ、そろそろ失礼させていただきますね」

そう言うと、紫雲は逃げるように椅子から立ち上がった。
……実際、逃げていたのかもしれないが。

その心情を知る由もなく、聖はそれに答えた。

「済まないな。
 できれば君にも宿を提供したいんだが……流石に場所がなくてな」
「いえ、そういう訳にもいかないでしょう。
 それに僕は一応男ですしね」
「それはそうだが……」

意識を失ったままの観鈴は、一晩診療所に預ける事になっていた。

本来ならば神尾家……いや神尾晴子に知らせて迎えに来てもらうべきなのかもしれないが、それだと事情を説明しなければならなくなる。

それは誰にとっても不都合であり、辛い事だろう。
誰も悪くはないのだから。

それならば、仲良くなって泊まる事にした、とした方が心配をかけずに済む……そう美凪は提案した。

そして、その信用度を上げる為に、あるいは観鈴に事情を説明する為に、
美凪もまた診療所で休む事にするべきではないだろうかと、簡単な事情を聞いた紫雲が提案し、今に至っていたのだ。

「ところで、何処か寝泊りできそうな場所、ないですか?」
「それがあるなら、私も謝りはしないさ。
 残念ながらこの町に宿泊施設は無い。
 もしかしたら探せばあるのかもしれんが……この時間から探すのは無理だろう」
「うーん……そうですか。
 なら野宿ができるような場所は……」
「それなら、心当たりが一つあります」

そう言った美凪に、紫雲と聖は揃って視線を向けた。







一夜明けて。
日頃の習慣から、いつも起きる時間帯に紫雲は意識を覚醒させた。
眠気を感じながらも諦めて、ゆっくりと眼を開く。

「ん……」

そこが見慣れない場所である事に紫雲は違和感を覚える。
だが、それも一瞬だった。

「ああ……そうだっけか」

昨日の夜。

紫雲は美凪に案内され『ここ』に来た。
『ここ』……今はもう使われていない駅に。
何故か駅舎の鍵を持っている彼女の許可を得て、紫雲は暫しここに寝泊りする事になったのである。

『構いません。
 駅には、人が居た方がいいと思いますから』

本当にいいのかと問い掛けた時の彼女の言葉が思い起こされる。
そして、何かしらの感情を込めた、その表情も。

「ふあ……」

欠伸を噛み殺しながら起き上がり、嵌めたままの腕時計の時刻を確認する。
いつもなら朝食を食べて、仕事場に向かう時間だった。

だから、嫌が応にも思い出してしまった。

「……どうしてるかな、皆」

あの街から敗走した。
その事実は、紫雲の中に深い傷として刻み込まれていた。

皆の身の安全を保障する約束は交わした。
その確認の為に一度は帰ってくることを認めさせた。

その時こそ再戦の時になる……紫雲はそう考えていた。

あの街に帰れば、放っておいても向こうから姿を現すだろう。
向こうがこちらを邪魔だと認識しているのなら確実に。

だが。

「……っ」

拳に力が篭る。

勝てる気がしない。
いや、違う。

戦う気力が涌き上がってこない。

『誰かが、君に助けを求めたかな?違うだろう?
 誰も、君に何も望んでなんかいない。
 君はただ勝手な正義を振りかざしているに過ぎないんだよ。
 自分の力を振りかざす為に』

紫苑と名乗った男の言葉が甦る。

……そうなのかもしれない。
自分があの街にいない事で平穏なら、あの街に戻る必要は無い。

……全てが救われた世界の否定。
確かに、あの男の企みや意志は気に食わない。
だが、それを止める事は本当に許されない事なのか。
世界が安定するのなら、それはそれでいいのではないのか。

そして、なにより露呈された自分の本性。

あの街に戻って、戦う理由は……もしかしたら、ないのかもしれない。

そうしたら、自分は何処に行けばいいのだろうか。

この先、何処でどうやって生きていけばいいのだろうか。

いや、そもそもにして。

草薙紫雲は、そういう名を持つ存在は、生きていていいのだろうか。

「……っ」

そこまで考えて、紫雲は首を横に振った。

「……その答えを少しでも知りたいから僕はここに来たんだ」

何もネガティブになる為に来たわけじゃない。
何かしらのきっかけが欲しかった。
自分の過ちの過去と改めて向き合う事で。

「さて、行くかな」

呟いて、紫雲は立ち上がった。







「帰れ」
「……なのに開口一番がそれか」

少し迷った末に交番で道を聞いてようやっと辿り着いた旧友の家。
海沿いの玄関先で、旧友……群瀬剣は、身も蓋も無く言い切った。

(……なんだか、逞しくなったな……)

それが久しぶりの友の印象だった。
それだけ日々が忙しく、それだけ護るものがあるという事なのだろうか。

(まあ、なんにせよ。覚えてくれてただけでも御の字かな)

正直、この旧友さえ記憶を失っている可能性も考えてはいたが、
その可能性が低いだろう事は、紫雲にも分かっていた。
紫苑の狙いは、当面の間、紫雲を少女達の居るあの街から出す事でしかなく、ここまで足を伸ばす必要性はない……そう紫雲は考えていた。

その予測が少なくともそう的外れではなかったらしい事に安堵しながら、紫雲は言葉を紡いだ。

「帰れって……今日仕事なのか?
 一応日曜日を選んできたんだけどな。
 っていうか、パソコンでメール送ったろう?」
「仕事は無い。メールも受け取ってる。
 だが、お前なんぞと話をするのがもったいない。
 今日は家族の時間なんだよ。
 大体、返事も確認せんと来やがって……」 
「あ。それは忘れてた。ごめん」
「貴様…………
 まあ、それはそれとしてだ」

そこで一旦言葉を切ると、剣は改めて紫雲の顔を眺めた。

「……お前、ただ顔を見に来たって訳じゃないんだろ?」

そう言うと剣は、はあ、と溜息をついた。

「あの何の為に来るのかもよく分からないメールから察するに、お前は厄介事に関わってる。
 しかも、お前がもう一度俺らに……昔の事に向き直ろうとしてる所から考えても、かなりの難題だ。
 違うか?」
「……そうだよ」
「だから、俺としては正直関わり合いになりたくないんだよ。
 どうにも面倒事の匂いがしてな。
 過去に向き合いたきゃ自分の中だけでやってろっつーの」
「う。それはごもっともなんだけど……」
「でも、そう思うならわざわざこうして出迎えたりはしないでしょ?
 ……剣」

そこに響く女性の声に、紫雲は奥の方に目を向けた。

「真紀……」
「久しぶりね、紫雲。それからはじめまして、ね」

もう一人の幼馴染……黒野真紀は剣の横をすり抜けると、
剣の足元に抱いていた子供を下ろし玄関先に座らせた。

「ほら、このおじさんに名前を教えてあげて」
「……やよい」
「おおーよくできたなーさすが俺の子供」
「私の子供だからよぉ」
「……あのー」

いきなり始まった家族団欒に置いてかれた紫雲は所在なさげに呟いた。

「ほら、紫雲も自己紹介」
「う……そだね」

初恋の少女に言われたからというだけではないが、
紫雲はそれに従う形でしゃがみ込み、子供……黒野弥生に視線を合わせた。

なんというか、懐かしいような感覚を覚えた。
この子に出会うのも、こんな事をするのも初めてだというのに。

子供の視線に合わせる事で自分も『子供の視線』に戻っているのかもしれない……
紫雲はそんな事を考えながら、微笑んだ。

「はじめまして。草薙、紫雲だよ。
 紫雲、って覚えてくれるといいかな」
「しうんの、おじさん?」
「……お兄さんがいいんだけどなぁ。もしくは紫雲だけとか」
「しうんのおじさん」
「ははは……分かった、それでいいよ。よろしくね」

弥生と優しく握手を交わしてから顔を上げた紫雲は、視線だけだが再び二人に向き合った。

「それで、真紀。
 さっきの言葉の意味は……?」
「そうだったわね。
 つまりね。
 本当に拒絶するつもりなら、わざわざ出てきたりはしないって事。
 居留守使った方が楽だし、方法ならいくらでもあるし。
 この人は、元々話を聞く気があるのよ」
「おい、勝手に……」
「剣」
「……ったく……」

たしなめるような真紀の言葉に、剣は頭を掻いて言った。

「本当は知ったこっちゃないって放り出したいんだがな……
 コイツが小うるさいし。
 確かに逃げる為の方策を取らなかった俺のミスもあるし。
 お前にはいつぞやの借りもあるしな。
 まあ、少しだけ付き合ってやるよ」
「……ありがとう」
「つーわけで面貸せ」

剣はそう言うと、すぐ側の砂浜を指差した。







「この辺でいいだろ」

二人は砂浜の上に立った。
さっきまで聞こえていた波の音が、より大きく響いていた。

「ちょ……待ちなさいよ……弥生連れてくの大変なんだからねー」
「まって、まって」

そこに、真紀と弥生、二人の声も響いてきた。

「???」

玄関先では二人に話を聞かれるから砂浜で話を聞いてくれるのだろう……
そう考えていた紫雲は、首を傾げた。

「なんで、あの二人を?
 二人にも話を聞かせるつもりなら移動しなくてよかったんじゃないか?」
「誰が話をするって言った?
 ……闘うんだよ」
「なに……?!」

剣の言葉に、紫雲は驚きを露にした。

「その為に近所迷惑にならない所に場所移動をしたんだよ。
 んで、その見物人兼見届け人があの二人だ。
 なにより俺の力の元だから、なんだがな」
「……」
「何で、って顔をしてるな。
 簡単だろうが。
 お前の調子を見るのに、一番相応しいのは『戦い』だからな。
 それはあの冬でも実証済みだ」
「……!!」

紫雲は、その言葉が自分の胸を刺し貫いたような感覚を覚えた。

それは、自分の本性を見透かされているようで。
それは、自分の本性の真実を肯定されているようで。

ひどく、痛いと思った。

だが、それが一番の方法である事も否定できずにいた。

草薙紫雲と『戦い』。
それは決して切り離しては考えられないもの。

そして。

(もしかしたら。
 僕はこうなる事を知っていて、ココに来たのかもしれない……)

そんな思考と想いの中で、紫雲は構えていた。
そうする自分を心の何処かで不思議に思いながら。

そんな紫雲を見て、剣もまた構えを取った。

「……かかってこいよ。
 お前が本当に不調なのかどうか見てやる。
 手加減はするなよ」
「女子供の前だからな……努力するさ」

剣にそう答えて。
紫雲は、砂を蹴った。

自分の答えを、手繰り寄せる為に。







……続く。

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