第十二話 舞台変遷
「命……動けるようになったみたいね」
紫雲と紫苑の邂逅から数日後。
驚異的な速さで回復した……それでも、ようやっと起き上がれるようになったぐらいだが……命の病室に、秋子と依吹が訪れていた。
秋子は純粋に見舞い、依吹はその護衛(と本人は主張)を目的に。
そんな二人を交互に見やってから、命は答えた。
「まあな。治療に全力を傾けていたからどうにか、といった所だが」
そう答える命は包帯を体中に巻いたままだった。
紫苑との戦闘後、命は全意識、全能力を傷の回復にのみ向けていた。
そうしなければ生命が危なかったからなのだが……
「意識に廻せなかったのは失敗だったかもな…………愚弟は、どうしてる?」
その問いに秋子は首を横に振った。
「そうか……」
「あんな臆病者の事はどうでもいい」
不機嫌そうに依吹は言った。
「お前が起きたのは丁度いい。……アレとお前を倒したのは、何者なんだ?」
「ん?」
「悔しいが、貴様は強い。
そのお前をこうもあっさり倒せるとなると……」
「……お前の上司の上司だ。会った事ないのか?」
「…………………話に聞いた事があるだけだ」
「というか、なんで事情説明してないんだ?」
これは秋子に向けての言葉。
ソレを受けて、秋子は頬に手を当てつつ答えた。
「ここ数日間、状況の把握の為に動いてたから詳しい説明を忘れていたのよ」
「そうか。まあ、せいぜいいきなり襲ったりしないような説明をしておけよ。
私としてはそっちの方が都合がいいんだが」
「……?」
命の言葉に依吹は訝しげな表情を浮かべた。
それを見て、秋子は微かに笑った……が、それは長く続かなかった。
真剣な表情で秋子は呟く。
「命」
「なんだ?」
「紫雲さんは大丈夫かしら……?」
「……」
秋子は自分が問うた言葉の答を知っている。
だが、不安に駆られるのは避けられない。
だから、それを打ち消す為の『安心』が欲しかったのだろう。
それが自分一人よがりの考えでは無い事を確認したかったのだろう。
そんな秋子の心情に答えるべく、命は呟いた。
「心配するな。
奴が本当に紫雲の二重存在なら、まだ奴は紫雲を殺さない。
最大限に活用出来る時がまだ来ていないからな」
窓の向こうの景色を眺めつつ、命は言葉を続けた。
「そして、殺されないという事は反撃の機会もあるという事だ。
今の愚弟では、どうあがいてもあの男には勝てない。
なら意地を張っても仕方がない……いかに愚弟でもその判断はできるはずだ。
だから、今はあゆたちの安全も踏まえて、街を出たのだろう。
そして、ソレは正しい判断だ。
ここでごねれば、もっと厄介な事になっていただろうし……あの男の目的はあくまでループの正常化であって、殺人ではないからな。
それに」
そこで、命は秋子に振り向いて不敵な笑みを浮かべた。
「正義の味方というのは、窮地に追い込まれてからが見せ場だろう。
なら、アイツにとって勝負はこれからだ」
数年前の紫雲ならば、その言葉は出て来なかっただろう。
あの冬を越えたからこそ、より強く信じるようになったからの言葉。
そして、それこそが、秋子の求めた答だった。
その答えを確認して微笑みを取り戻した秋子は、心なし嬉しそうに頷いた。
「ええ、そうね。……依吹、どうしたの?」
「……別に何でもありません」
「なら、何故微妙に表情が弛んでるんだ?」
「……っ」
「安心したのかしら?」
ニコニコと微笑みながら言われて、依吹は動揺を露にした。
「そ、そんなことはありません。
もし弛んでいるとしても、それは、私が自分の手で敵を討ちたい……そう思っているからでしょう。
安心したなど、ありえません」
「そう」
「……」
その笑顔は、明らかにその言葉を信じていない微笑みだと依吹は思った。
「臆病者に興味はないんじゃなかったのか?」
「……っ!きさま……」
「依吹、病室では静かにね」
「う……」
激昂しかけたり黙り込んだりと忙しい依吹を楽しそうに眺めた後、秋子は命に向き直った。
「しかし、大丈夫だとして……紫雲さんは何処に行ったのかしら?」
「……何故自分は敗れたのか。
アイツは、それが単純に能力だけの問題じゃないとわかっているはずだ。
……その答を探すために、アイツはまず今までの自分を見直そうとする。
そして、その為に『過去』に触れに行くだろうな。
アイツの性質や性格を考えれば……十中八九間違いない」
「……」
「アイツの事に関して、私は心配するつもりはない。
アイツ自身の傷は深いが……それでも自分で何とかしてもらう以外にないしな。
むしろ……心配なのは、この街の住人達の方だ」
命はそう言うと、再び窓の向こうに視線を向けた。
変わらない街並みの中にある何かを見詰めるような、そんな眼で。
夢を見た。
それは過去の断片。
……それは、もう必要ないんじゃないか?
そんな疑問に関係なく、それは浮かび上がる。
それは、あの冬の事。
少女の雪うさぎと共に、少女の心を砕いてしまった、あの冬。
……だから、それは。
そこで、疑問が生じる。
何故、雪うさぎを壊してしまったのか。
……何故?
そう『何故』だ。
お前は、少女の事が嫌いだったのか?
……いや……
違うはずだ。
まだ異性として意識していなくても、それほどの拒絶を必要とするほどに嫌いだったわけじゃない。
……そう、だ。だったら、何故?
それは―――――――――☆から●。
……雑音が所々に入っていく。
そ――、★前はし△わ×○♪っ%&*+……
ノイズ。
意味不明。
そして。
後は、赤い色。
「……っ」
そこで、祐一は目を覚ました。
「なんだ、今の夢は……」
周囲を見渡す。
そこは馴染みとなった自分の部屋。
その事になんとなく安堵を覚えながら、祐一は先程の夢について思いを巡らせた。
はっきりとは思い出せない。
おぼろげに残るのは、それが過去に関する事だということぐらいか。
「祐一〜」
ドアの向こうから聞こえてくる、名雪の声。
祐一は、何故か、その声に身を震わせた。
「…………なんだ、名雪」
その事実を首を振って否定してから、祐一は答えた。
「もうそろそろ起きた方がいいよ?今日は午前中からなんだから」
「ああ、そうだな。すぐ、行く」
「うん、待ってるから」
パタパタ……と遠ざかっていく名雪の足音と気配。
それを感じつつ、祐一は考えた。
(そう……もう、あの冬の事は問題なくなったはずだ……)
『眠り姫』だった名雪。
その彼女が祐一よりも早く……まあ、それでもごくたまに、だが……目覚めるようになった。
それは、彼女と強く結び付いた一年半前から顕著になっている。
だから、それが昔の……約八年半前の事が過去でしかなくなった証拠であるはず……そう祐一は考えていた。
なのに。
「なんで……」
祐一の脳裏に浮かんだ赤。
一生消える事はない……そう囁き掛けるように。
それは、まだ祐一の脳裏に刻まれていた。
神尾観鈴と、遠野美凪。
クラスメートという接点しかなかった二人。
そんな二人は、数日前の一件以降、一緒に時を過ごす事が多くなった。
力強い美凪の言葉が、誰かに迷惑を掛けたくない、嫌われたくないという観鈴の気持ちを上回った……のかもしれない。
時には『癇癪』を起こす事もあった。
その時はどうしようもない事に変わりはない。
だが、それでも一緒にいることを、美凪は止めなかった。
『癇癪』が終わった後は、病院に連れ添い、観鈴に静かに話し掛け続けた。
そんな、毎日が続いていた。
「ん。今は特に問題ないな」
「すみません、夜遅くに」
「気にする必要はない。私は医者だからな」
霧島診療所の診察室。
観鈴の言葉に、聖は穏やかな言葉と表情で答えた。
「今日も遠野さんと一緒だったな」
「あ、はい、その……今日も天文部にお邪魔してて……」
今日の観鈴の『癇癪』は、その部活の途中に起こった。
そのすぐ側で。
美凪はそれが収まるのを待ち続けた。
ただ待つしか出来ない……それを悔しく思っているが観鈴には伝わっていた。
辛そうな、美凪の顔が如実にそれを伝えていた。
そして。
怒られるかもしれない……そう思いながらも、観鈴はそれが嬉しかった。
辛そうにしてくれるという事は、自分の事を心配してくれているという事。
今まで、そんな人間に出会う事が殆ど無かった観鈴にしてみれば、それは嬉しい事に他ならなかった。
だが、心配を掛けてしまっているという事を忘れたわけではない。
だから、観鈴はその事を包み隠さず美凪に話し、謝った。
すると、彼女は。
「謝る必要はありません」
とVサインをその指に作り、微かな、それでいて強い意思を込めた微笑みを観鈴に向けた。
……という事を、観鈴は思い出すままに聖に話していた。
「君は、いい友達を得たようだな」
「にはは」
聖の言葉に、観鈴は照れ笑いを浮かべた。
ちなみにその頃美凪は。
「……くちゅん!」
すぐ隣の待合室で、くしゃみをしていた。
「……誰かが私の噂。……ぽ」
というのはあくまで冗談……かどうかを知るのは当人のみ。
ともかく、冷房で身体を冷やした可能性を考えながら美凪は席を立った。
「……」
聖には、そんな観鈴に言うべき事があった。
躊躇われたが……言わない訳にはいかない。
「それは、それとしてだ」
「……?」
「近頃の君は……癇癪に襲われる回数が以前に比べ、飛躍的に多くなっている。
私としてはその事が気に掛かるんだが……何か心当たりは?」
「うーん……その、ありません」
「そう、か」
「その……ごめん、なさい」
「いや、むしろ謝るのは私の方だ。
済まないな、役に立たないヤブ医者で」
「そ、そんな事ないですよ。
普通ならこんな訳が分からない病気、きっと、怒って診て貰えないと思うし……私、助かってます」
「ありがとう」
パタパタと手を振りながら観鈴は懸命に言った。
その真っ直ぐな視線に応えきれず、聖は目を伏せた。
「……そう言えば、去年もこの時期に癇癪をよく起こしていたな」
それを誤魔化すという訳でもないのだろうが、ふと思い出して聖は呟いた。
「今ほどではないが……それまでより頻度が多かった」
「え、そうですか?」
「ああ、間違いない。
彼が来た頃の事だから、よく覚えている」
「彼?」
「君が知っているかどうかは分からないが……遠野さんは知っているよ。
一年前、この街に現れた旅芸人の事を。
手を触れずに人形を動かす……そんな芸を持った男だったな」
「それって……往人さん」
「君も知っていたのか。国崎君の事を……」
その時だった。
「往人くんがどうかしたの?」
明るい声と共に、一人の少女が姿を現した。
少女、霧島佳乃は、聖と観鈴の姿……特に観鈴……を認識して、その動きが一瞬止まった。
「佳乃?」
「……あ、ごめんなさい。うぬぬ、まだ診察してたとは、かのりん一生の不覚だよぉ」
「そうだぞ佳乃。もう少し気をつけるように」
「はーい」
「所で、そこに遠野さんはいなかったか?」
「え?」
「私が何か?」
分かりやすく手を拭きながら美凪が現れる。
「……いや、ちょうど診察が終わったから呼ぼうと思っていた所だ」
「そうですか。では……神尾さん」
「あ、はい!」
美凪の呼び掛けに対し、実に嬉しそうに観鈴が立ち上がる。
……そこに、佳乃は声を掛けた。
「あ、その、待って」
彼女の言葉に、美凪と観鈴は振り返った。
そんな二人の視線に、ほんの少しの戸惑いと彼女が持つ生来の笑顔を見せながら、佳乃は言った。
「えーと、その。せっかくだし、そこまで送るよぉ」
「佳乃?」
思い掛けない妹の言葉に、聖は目を瞬かせた。
「だって、ご近所さんで、同じ学校で知らない仲ってわけでもないのにお話あんまりしたことないなんて残念で残念でもうしょうがなくって大パニックだよぉ」
わたわたとオーバーリアクション気味にそう言う妹に、聖は微笑みを浮かべた。
「……そうか。そうだな。
そういうことなら、気をつけて行っておいで。
あと……役に立つかは分からないが、番犬としてコレも連れて行くといい」
そう言うと、聖は何処からともなくその物体……もとい、その生物を取り出した。
白いモコモコ、もしくは毛玉の塊……そうとしか形容が出来ないその生物は霧島家の愛犬と呼んで差し支えないのかどうか微妙な存在、ポテトだった。
「ぴっこり」
犬としてはありえない鳴き声に、彼女達は眼を輝かせた。
「わ、可愛い〜……でも、何処かで見た事があるような……」
「……真っ白、ふかふか。素敵」
「ポテトって言うんだよぉ。仲良くしてあげてね」
「ぴっこり!」
三人は、そうしてポテトを暫し可愛がった(?)後、霧島診療所を後にした。
「ふう……」
一人残った聖は、そんな息を吐きながら、置きっ放しですっかり温くなった緑茶を啜った。
「しかし、不思議というかなんというか……」
なんとなく呟いてみる。
……それは妹の事であり、美凪の事でもあり、観鈴の事でもある。
聖は、彼女達が特異な状況にその身を置いている、もしくは置いていた事に思いを巡らせていた。
一年前、実の母親に一時的にとはいえ忘れ去られた遠野美凪。
謎の症例にあり、今なお苦しんでいる神尾観鈴。
そして……自分の妹である霧島佳乃もまた、普通では考え難いモノをその身体に抱えている。
「ふむ……」
考えてみると、三人には共通点が多い。
片親、もしくは両親が『いない』事。
明確な治療法がない病気に関わった事。
そして、一年前この町を訪れた国崎往人と親しかった事。
「ただの偶然なんだろうが……」
そう呟きながらも、聖は自分の中に生まれたその考えを否定できずにいた。
もしかしたら、それは偶然ではないのかもしれないという、その考えを。
丁度その頃。
夜の町を歩く三人は、その共通点の一つ……国崎往人について話していた。
ちなみにポテトはというと、その三人の足元を行ったり来たりしている。
「その、霧島さんも、往人さんの事知ってるんだ」
「佳乃でいいよぉ」
振り向きながらの観鈴の言葉に、佳乃は笑顔で答えた。
「でも、そんなに知ってるわけじゃないよぉ。
何度かお話した事があるだけだったから」
「それなら、私もおんなじかな。
何日かは一緒に住んでたんだけど……遠野さんは?」
「……」
問われて、観鈴の隣を歩いていた美凪は一年前の事を思い浮かべた。
国崎往人。
彼とともにあった日々。
かけがえのない、思い出。
彼が居なければ叶わなかった、たくさんの事。
「往人さんは……」
少し長い逡巡の後、観鈴の問いに答え掛けた……その時。
「ぴこぴこっ」
美凪の言葉を遮る形で、ポテトの声が響いた。
その中の懸命な雰囲気を感じ取り、前を歩いていた二人が振り返る。
「あれ……っ」
「……霧島、さん?」
いつのまにか。
後ろを歩いていたはずの佳乃の姿が忽然と消えていた。
「帰っちゃった……のかな」
「いえ……多分、違います。この子がいますから」
「あ、そうだよね……」
あまり話してはいないが、彼女の性格から考えてポテトを放って帰ってしまうとは考え難い。
「じゃあ、一体何処に……どうしたの?」
自分達の周りを走り回るポテトに、観鈴はしゃがみ込みながら声を掛けた。
「ぴこっ」
ポテトは一声鳴くと、ポテポテポテ……と夜の中を駆けて行く。
かと思うと、途中で立ち止まり、観鈴たちを急かす様に再び鳴いた。
「……これは……」
「あの子が、案内してくれてるのかな」
「おそらくは」
「遠野さん、いこっ!
もし何かあったら大変だし……」
「……そうですね」
二人は顔を見合わせて頷き合うと、ポテトの後をついて走り出した。
……そんな自分達の様子を不思議そうに眺めていた存在がいた事に、気付く事なく。
「ここに、いるの?」
「ぴこっ」
観鈴の問い掛けに対し、ポテトは、間違いないと言わんばかりに鳴いた。
走ったり、立ち止まったりを繰り返しながら辿り着いた『そこ』。
それは、この街で最も空に近い場所……夏になると祭りが行われる事もある神社だった。
「神尾さん、あれを……」
そんな場所……神社の境内に佳乃は立っていた。
「え?……あ、霧島さん。
見つかって、よかった……でも、どうしてこんな所に」
安堵の混じった観鈴の言葉に反応して。
……否。
まるではじめからそうなるのが決まっていたかのように、佳乃が振り返る。
「……えっ」
「……?!」
その表情を見て、二人の動きが止まった。
『それ』は、さっきまで話していた少女のものではなかったからだ。
虚ろに宙を見据え、ぶつぶつと何事かを呟いているその姿は、どうやってもさっきの少女には結び付かなかった。
異質な雰囲気が、そこに生まれていた。
「霧、島さん。大丈夫……?」
それでも、放っておく事ができず、観鈴はおそるおそる佳乃のすぐ側まで歩み寄った。
その時。
「……それなら、いっそ……」
そんな声が響いた瞬間。
佳乃の手が、観鈴の首元に伸び……当然であるかのように力を加え、その首を締めた。
「え?う……?!」
観鈴の口から苦しげな息が漏れる。
……一体何がどうなっているのか。
……まったく分からない。
……理解できない。
あまりにも突然の事で、首を締められている観鈴本人でさえ困惑し、動けなかった。
それを見ていた美凪もまた、動けなくなってしまったのだが……
「ぴこっぴこっぴこっ!」
「……!」
悲しげなポテトの鳴き声で、彼女はハッとした。
佳乃の正気を取り戻させる為の懸命な「叫び」。
それは佳乃には届かなかったものの、美凪の正気を取り戻す事に成功した。
そう。呆けている状況ではない。
今は……!
「助けないと……!!」
そう呟いて、美凪が駆け出そうとした、その瞬間。
「大丈夫。僕が、助けるから」
そんな声とともに、一陣の風が美凪の横を駆け抜けていった。
「か、は……っ」
遠ざかっていく意識の中。
観鈴は、いつの間にかそこに立っていた人影を見た。
厳密には夜の闇の中、微かな反射で輝くその眼を。
その眼は、観鈴の記憶の中に残っていたモノと、殆ど一致した。
「……往人、さん……?」
その眼を持った、一年前に出会った旅人の名を、思い出すままに呟く。
あの旅人の眼……?……いや。
違う。
でも、その眼は彼によく似ていた。
一見鋭いが、本当はとてもとても優しい人間の眼。
「……に、はは」
その事に安堵してか。
観鈴は微かな笑みさえ浮かべながら意識を失った。
……その瞬間に合わせる様に。
「ごめん。女の子に手を上げるのは本意じゃないけど……我慢してくれ」
男の声が響き、佳乃の首筋に手刀が落ちた。
的確な部位に入った男の一撃は佳乃の肉体の意識をいとも簡単に奪った。
「神尾さんっ……霧島さんっ……!」
「……大丈夫だ。
二人とも、命に別状はないよ。
この子には、悪い事をしたけど」
力が抜けた二人を抱きかかえる……と同時に、二人の脈や息を確認して、男は言った。
「……あの、君は……大丈夫?」
心配そうな男の問い掛けで、美凪は通常の何分の一かではあったが平静を取り戻した。
それほど、男の声は不安そうだった。
「え……あ、はい。私は……大丈夫です」
「そっか……近くに病院はあるかな。
僕は、今日この街に立ち寄ったばかりだから勝手が分からないんだ。
できれば、場所を教えてくれると助かるんだけど……」
「はい、ご案内します」
「ごめん、よろしく頼むよ」
言いながら男は左右の腕で二人を抱え上げた。
その細身の身体の何処に並外れた力を隠しているのか……
微かな驚きを覚えながら、美凪はなんとなく尋ねた。
「あの。あなたは……誰ですか?」
何故ここに来たのか。
何故自分達を助けたのか。
そんな疑問の全てが固まった、そんな問い掛け。
美凪の問いに、男は暫し考え込んでから口を開いた。
「……紫雲。草薙紫雲。そういう名前の……ただのお節介焼きだよ」
男……紫雲はそう名乗ると、薄い笑みを浮かべた。
「……」
美凪には、その笑顔が酷く無理をしているように思えた。
二人は知らない。
お互いがお互いを知っている事を、この時はまだ知らなかった。
……続く。
戻ります