第八話 宿業再会





「うん。見つかったよ。見つけてくれたから・・・心配してくれてありがとう美汐ちゃん。それじゃ」

そう言って、名雪は丁寧に受話器を置いた。

「ふう・・・・・」

そんな様子を耳に入れながら、祐一は安堵の息を漏らした。
その視線はソファーに眠ったままの真琴に注がれていた。

「よかった、何事もなくて」

名雪もまた同じように真琴を見ながら言った。
そして、その視線を、気絶していた真琴を連れてきた男に向けた。

「ごめんね、真琴が迷惑をかけちゃって」
「ホント、悪いな。草薙」

そこにいる男はにこりと笑った。

二人は気付かない。
その笑顔が、彼らの知る草薙紫雲のものとは反対のベクトルを向いている笑いだという事を。

二人は気付く事ができない。
なぜなら、あの冬、彼ら二人に起こった『奇跡』は紫雲の影響が最小である、起こるべくして起こったものだから。

彼らは、あの冬に出会った者達の中で、一番『草薙紫雲』に縁遠い存在だから。

「それじゃ、僕は失礼するよ。それじゃ、また、いつか」

その男はそう言うと、祐一と名雪の肩に軽く触れてから、その部屋・・・水瀬家を後にした。

・・・二人はやはり、気付く事ができなかった。

気を失った真琴を連れてきたその男が草薙紫雲ではない事。
そして、その男が触れた肩から広がっていった、そして、真琴にも残っていた「黒い染み」の事を。







「いつもすまんな、聖センセ」

晴子のその言葉に、この診療所の主である霧島聖は申し訳なさそうな表情をした。

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。お力になる事ができず・・・」
「ええんよ、あんたの親父さんにも診て貰った事もあったけど、それでも・・・・・
あ。あんたの腕が親父さんに劣っとる言うわけやないからな」
「いえ、私がまだまだ父に遠く及ばないのは事実ですよ。
とはいえ・・・これ以上の異常が認められるようでしたら、隣町の病院に行ってみてはいかがでしょうか?」

それは、聖にとってはある意味断腸の思いから生まれた言葉だった。
今は亡き父から受け継いだ、この小さな診療所でできる事は限られているという事を認めるようなものだからだ。
それでも、患者の、人の命がかかっているのならやむない事だと、聖は自分を納得させていた。

「・・・ああ。少し考えとくわ。
それでも、あんたがこの子の主治医なのは変わらんからな」
「・・・はい。・・・・・しかし・・・・・」

聖はそう呟いて、晴子の横に並ぶ二人の少女を見た。
その二人・・・観鈴と美凪は、二人共に感情の薄い・・・無表情ではない・・・表情を浮かべていた。
中にある気持ちはそれぞれ違うのだろうが、その表情は似通っているように聖には思えた。

「まさか君達がクラスメートだったとはな。少し驚いたよ」
「本当、世間は狭いです。神尾さんもそう思いませんか?」
「え?あ、はい、その・・・・・・はい」

あれだけのことがあったにもかかわらず、親しげに話し掛ける美凪に動揺しながらも観鈴は答えた。

「それじゃ、お世話さん」
「それでは失礼します」
「・・・ありがとうございました」

口々に言って、診療所を出て行く三人を見送る。
それから、少し経って、そこに一人の少女が入ってきた。

「たっだいま〜」

観鈴たちと同じ制服を着た少女がそこにいた。
聖はその少女・・・自分にとって、かけがえのない妹に笑いかけながら言った。

「お帰り、佳乃。今日は早かったな」
「うん、ちょっと、いろいろあっちゃって大変だったんだよ」
「身体の具合がおかしいのか?」

途端に心配そうな表情を浮かべる聖に、佳乃は首を横に振った。

「あ、もう大丈夫だよ。ほーらこの通り」

クルクル回りながらの妹の言葉に、聖は苦笑した。

「そうか」
「でも、皆が念のために帰りなよって言うから、まあ、しょうがないかーって、帰ってきちゃったんだよ」
「そうか。皆優しいな。せっかくだから少し休んでおくといい」
「うん」
「それはそうと、さっき神尾さんとこの観鈴さんが来ていたぞ」

その言葉に、佳乃は複雑な表情を浮かべた。
十年前からこの診療所にやって来ていた少女のことを、自分は少なからず知っていたから。

「そっか・・・観鈴ちゃん、また来てたんだ・・・・・」

そう呟きながら、佳乃は自分の部屋に戻るべく、聖に背を向けた。
だから、その表情を聖が知ることはできなかった。





「それじゃ、うちは仕事に戻るから」

診療所を出て少し、晴子がそう言いながらバイクに跨った。

「うん。お母さん、ごめんね」
「別に気にせんでもええ。・・・それじゃ、遠野さん、後よろしくな」
「はい」

美凪が頷くのを見て、にかっと笑った晴子は、その表情をヘルメットの中に押し込めて、走り去っていった。
それを見送ってから、美凪は言った。

「それでは、参りましょうか」
「え?」
「自宅まで、お送りします」
「あ、う・・・いいですよ。遠野さんは学校に戻ってください。
私は、一人でも大丈夫ですから。にはは」

それを聞いて、美凪は一瞬目を伏せてからはっきりと告げた。

「そういうわけにはいきません。
神尾さんのお母様にも頼まれましたし、なにより・・・友達を放っておく事はできませんから」

その言葉に、観鈴は呆然とした。

「え、と・・・友達?」
「神尾さんは私と友達では嫌ですか?」
「そんなことない!そんなことないよ・・・・・でも・・・・・・」

人に『近づく』事で起こる癇癪。
それで目の前の人に迷惑をかけたくはなかった。
友達と言ってくれた人を「いつか」失う事が怖かった。

それが観鈴の中に躊躇いを生んでいた。

その時。
美凪が静かに観鈴の手を取った。

「神尾さんは、私が嫌でこの手を振り払ったわけではないのでしょう?」

その問い掛けに、観鈴は、ただ必死に頷く事しかできなかった。
美凪は、そんな観鈴に精一杯の気持ちを載せて微笑みかけた。

「なら、私は何度でもこの手を握ります。
振り払われても、それがあなたの意思でないのなら、何度でも。
そうやって、触れ合うのが、友達ですから」
「・・・・・・・遠野さん・・・・・・・・」

観鈴はそう言うと、顔を俯かせた。
とても、その顔を見せられないから。
今この瞬間だけは、心配をさせたくなかったから。
今この瞬間だけは、この喜びの中にいたかったから。

美凪はその気持ちをなんとなく察し、何も言わなかった。

何も言わない二人は、しばしそこに立ち尽くしていた。







「・・・ったく・・・・」

スクーターで移動しながら、紫雲はぼやいた。

世の中、思うようにならない事が多すぎる。
ここ二三日は特にそんな気がする。

そんな事を思いながら、駅前に差し掛かったときだった。

少しの人だかりができていたので、紫雲はそこに目を停めた。

「・・・なんだ?」

興味から、紫雲はスクーターを近くに停めて、その人だかりに向かって歩いていった。
ヘルメットを取りながら、その中心を眺める。

そこには、黒い服の男と長い黒髪の女性がそこに座っていた。

その二人の前を、一体の人形が動いていた。
飛び跳ねたり、踊ったり・・・それは自在に動いていた。

紫雲は何かのトリックかとも思ったが、それ以外の見当がついたので、その考えはすぐに霧散した。

あれは法術だ。
姉貴が教えてくれた幾つかの型の一つ・・・確か、操演の法という筈だ。

フィニッシュに、大きく飛び上がってムーンサルトを決めた人形は一礼すると、糸が切れたような人形のように・・・糸が切れたかはともかく、実際に人形だが・・・・ぱたりと倒れた。

「・・・終わりだ」
「できたら、チップをくださいね」

その芸の凄さと、女性の穏やかな表情で、皆財布を空けて、それぞれ少しずつお金を入れていった。
他に誰もいなくなってから、紫雲は財布を開き、二人に近づいて言った。

「いいもの見せてもらったよ」
「・・・そりゃどうも」

無愛想な男の態度に少しだけムッとしつつも、お金を入れながら紫雲は言った。

「君も法術を使うんだね」
「・・・なに?」

その言葉に男・・・往人は表情を動かした。

「って、ことはあなたも人形を操ったりできるの?」

女性・・・みさきが言った事に、紫雲は苦笑を返した。

「いや・・・僕はそっち方面の才能はなくてね。僕の姉貴ならできるんだけど・・・」
「そんなことはどうでもいい。お前、本当に法術を使えるのか?」

それは幾分興奮した口調で、滅多にない様子だった事にみさきは驚いていたが、往人と初対面の紫雲は気付くはずもなかった。

「ん・・・まあ、少しね。元ある力を増幅させるぐらいしかできないんだけど・・・」
「なら、翼の少女の事は?!」

その言葉に、今度は紫雲の方が表情を変えた。

「・・・どうして、その事を・・・・って、まさか・・・君は・・・・・・・?!」

自分の心当たりが間違いないことを紫雲が知るのは、もう間も無くだった。







その様子を、静かに眺めている人間がいた。
彼は面白そうに笑顔でそれを見ている。

「何をしているの」

そんな声がして、彼は振り返った。
そこには、彼にとって馴染みの顔があった。

「やあ、秋子か」

身構えていた秋子に向かって、彼は笑いかけた。

「無駄だよ。君じゃ、僕には勝てない。
勝てたとしても、滅ぼせない。
僕をなんとかできるのはのは、草薙紫雲や、国崎往人、相沢祐一など、運命もしくはそれに等しい『傍観者たち』に選択された者でなければならない。
それは、君になら分かっているはずだよ。水瀬秋子。それとも、秋、と呼んだ方がいいかな?」
「・・・」
「まあ、どっちでもいいか。
いずれにせよ。僕は今ここで君とやりあうつもりはない。警戒を解きなよ」
「さっきの質問に答えてもらってないわ」

秋子は警戒を解く様子を見せることなく、言った
彼はふう、と肩をすくめた。

「まあ、いいけど。
何をしているかって?この瞬間を見に来ただけさ。
1000年もの時を越えて、二つに別れた存在、その末にして運命の子たる二人が出会うその瞬間を。
実に感動的じゃないか?
あの時、あの場所にいた君ならなおさらだと思うけど」
「・・・っ」

今ここに、水瀬秋子という存在を知るものがいれば、その表情の険しさに戸惑う事だろう。
それほどに、今の秋子は感情を昂ぶらせていた。

「護り、導くもの・・・国崎家。戦い、切り開くもの・・・草薙家。
彼らが出会う事で、運命は動く。いまだかつてない方向に。
なんせ、この時点に至るまでになかったはずの事が多く起こっているからね。
そう・・・草薙家は、元々の正史には存在さえしていなかった事とかね」
「・・・あなたは、何を望むの?」

確認をするために、秋子は問い掛けた。
彼はその問いに穏やかな声で答えた。

「僕はただ、安定を望んでいるだけだよ。
かつて、世界がそうあったように。

このまま、草薙紫雲が望む世界を構築させれば、この世界は不安定極まりない世界になってしまう。
それは多くの歪みと共に苦しみを生むだろうね。
現にあの『冬』の影響で、歪みが生じ始めている。

その中でも特に目立つのは、翼の少女の魂を受け継ぐ少女のこと。
・・・彼女は一年前に死んでいるはずなのに、いまだ存命している。
そのために彼女はいずれもっと辛い道を進むだろう。
彼女の周囲の、幸せだったはずの人間も巻き込んで。

彼のやっている事は、希望がなかった人間に希望を抱かせた上で絶望に叩き落す・・・そういう事に他ならないんだよ。
つまり、彼は存在しちゃいけない・・・そう思わないかな」

「では何故、今、彼は存在するの?あなたと同じ顔の存在として」

その問いに、男はにっこりと微笑んだ。

「紫雲さんが、ただ不安定を生むためだけのイレギュラーなら、あの冬にあれだけの事をできるはずはないわ。
彼は、偶然とは言え、この世界の強制力を破壊して、今に至っているのよ。

そして、何より、そんな紫雲さんがあなたと同じ顔をしているというのは、あなたと同質にして同等の存在である事の証明のはず。
あなたと紫雲さんは表裏一体。あなたが存在する以上、紫雲さんも存在する」

「・・・いいところをつくね。その通り。
彼と僕は同じコインの表と裏。ゆえに同一にして違うもの。
僕らの顔にしても、その理屈は適用されるね」

自分の頬を面白そうに突付きながら、彼は言葉を続けた。

「顔というのは、ただの記号じゃない。
環境や魂によって変化し刻まれていくもの。
それが同一という事には、それなりの意味を持つ。
草薙紫雲くんが僕と同じ顔をしているというのは、君が言うように、彼の存在が僕と同じ、もしくはまったく正反対の可能性ということ。
僕が『安定』なら。さしづめ、彼は『破壊』かな」

「・・・・・それなら、彼はそんなあなたを『破壊』するでしょう。
あなたの言う、悲しみに彩られた『安定』から、不安定でも皆が幸せになる未来を護るために」

「うん。僕もその時を楽しみにしているんだ。
この世界の安定か、それとも『個人』の幸せか。
どちらが果たして優先されるべき事なのか・・・・・実に興味深いよ」

そう言いながら、彼は秋子に背を向けた。

「それでは、いずれまた。・・・君達に僕が止められるかな?」
「必ず、止めてみせるわ。・・・・・月宮紫苑」

その言葉に男・・・月宮紫苑は歪な微笑みを浮かべた。







・・・・・続く。
戻ります