第七話 乱劇駆動






「・・・う」
「草薙君、目を覚ましたみたいよ」

藤依吹はその女性の声に導かれ、ゆっくりと顔を上げた。
気がつくと、そこは見知らぬ部屋だった。
その窓際で椅子に座らされていたようだ。
書類や本などで埋め尽くされたその狭い部屋を、依吹は書類の保管庫だと認識した。
図書室にしては狭すぎるし、何より乱雑すぎたからだ。

辺りを見回す。

そこには自分以外に三人の人間がいた。

顔を見て、自分の記憶と照合させる。
・・・彼らの事は調べてあった。

美坂香里、北川潤。
彼女らは、自分が追っている人間の友人だった筈だ。
そして、もう一人。

彼女が追っている人間本人。

「草薙紫雲っ!!」

依吹はその男の姿を認めると、即座に立ち上がり、自分の懐に入れてある札に手を伸ばした。
だが。

「・・・っ?!」

そこにあるべきはずの札が存在していなかった。
慌てて予備を漁るが、それすらもない。

そこに男の、紫雲の声がかけられた。

「あー。悪いけど、札の類は全部預からせてもらってる」
「な・・・?」
「あ、か、勘違いしないように。僕は君の身体に触れてないから。
そこにいる香里さんに頼んでやってもらった」

依吹の言葉を、彼女の身体に触れた事からの動揺だと勘違いした紫雲は、顔を真っ赤にしつつ、慌てて訂正した。
だが、依吹は元よりそんな事を聞くつもりはない。

「ふっ!」

札がなければ自身の体術で、と依吹は紫雲に殴りかかった。

別に札がなくとも術の行使はできる。
札は術の発動を早める媒介に過ぎないからだ。
だが、集中に時間をかかる場合もあり、この状況では集中は難しいと判断して、今は体術を選択したのだ。

だが、それは簡単に紫雲にいなされ、後ろ手を取られてしまう。
必死に抵抗するが、紫雲の力は尋常のものではなかった。
普通の男なら跳ね飛ばせるはずの力ぐらいあるのに、全く身動きが取れない。

「・・・くっ・・・」
「君には悪いけど、落ち着いてくれないか?話がしたいんだ」
「世迷言を・・・!」
「・・・世迷言?」

その瞬間。
依吹の直感が敏感に”それ”を感じ取っていた。
殺気にも似た怒りの波。
それが紫雲から湧き上がっている。

「・・・!?」
「君は、まだそんな事を言うのか?人を傷つけないようにすることが世迷言だと。人が人を殺さないようにすることが世迷言だと・・・?」
「・・・・・っ」

膨れ上がったそれに、依吹は思わず息を飲んだ。
その空気に、北川が入り込む。

「だああっ!草薙落ち着け!」
「・・・む。ごめん」

北川にそう言われ、紫雲はそれを霧散させた。
とはいえ、まだピリピリしているらしく、やや不機嫌そうな顔をしていた。
その様子を見て、香里はふう、と息を吐いた。

(とりあえず、二人とも落ちつかせるべきね)

そう彼女は判断した。

「北川君。草薙君を食堂まで案内してあげたら?」
「え?なんで?」
「お腹が空いてるから気が立ってるんでしょうから」
「・・・僕は犬ですか」
「今は似たようなものじゃない?」
「ぐ」
「それに、今なら北川君が奢ってくれるわよ」
「おい。誰がいつそんな事を・・・」
「・・・潤」

いつもは苗字で北川を呼ぶ香里が名前で呼ぶ時は二種類のパターンがある。
これは、脅迫のパターンだ。

「了解っ!行くぞ草薙!!」
「・・・相変わらずなんだね」
「あゆちゃんの尻にしかれてるお前に言われたくないっての」

そんな事を言い合いながら二人は部屋を出て行った。
後には、女性二人が残された。

「逃げるなら今のうちじゃない?」

香里はそんな事を言った。
依吹は香里の顔を不思議そうに眺めてから、口を開いた。

「・・・何故、私が逃げなくてはならない?
”逃げる”のは自分を貫き通せなくなった時、自分を正しいとは思えなくなった時だ。
私に、それはありえない」
「大した自信ね。あたしはそういう人嫌いじゃないわ」

きっぱりと言いきった依吹に、香里はそう言って笑った。





「あ、おはようー」
「・・・よう」

秋子を見送った後、朝食を食べていた祐一に二つの声がかけられた。
一つは川名みさきの。もう一つは国崎往人の声だった。
祐一は口に含んでいたトーストをコーヒーで流し込んで答えた。

「おはようさん。あんたらも食事どうだ?」
「いただいていいのかな?」
「いまさら遠慮はいい」

そう言って、祐一は昨日の事を思い返した。
秋子に余裕がなかったので、自分達で夕食を作り彼らにも振る舞ったのだが、その際の川名みさきの食べっぷりは恐ろしいものがあった。
簡単に作れるメニューだからと作ったカレーを、あっという間に5杯平らげてしまったのだ。
しかも、彼女にしてみれば、それはまだ”遠慮”の部類に入るというのが国崎の弁だった。

「食パン一斤分ぐらいは遠慮って言うのかな?」
「・・・俺に聞くな」

首を傾げるみさきにげっそりした顔で往人は言った。
それを見て、祐一は内心で頭を抱えた。
が、気を取り直して再び口を開いた。

「それはともかく、今日はどうするんだ?」
「朝飯を馳走になってから駅前で稼ぐさ。それから、少し野暮用だ」
「・・・昨日言ってた人探しか。よかったら・・・」

手伝おうか、と言おうとした祐一だったが、その言葉はみさきによって遮られた。

「いいよいいよ。泊めてもらってるのに、これ以上お世話になれないし」
「でも・・・」
「それに、これは私がやるべき事だと思うから」
「そっか。・・・ところでさ。一つ変なことを聞いていいかな」
「なにかな?」
「”大切な想い出”を失ってしまうのは・・・やっぱ辛いのかな」
「・・・そうだね。辛いよ。でも、それがどうかしたの?」
「いや・・・少し聞いてみただけだ。気を悪くしたのなら悪かった」

それに首を横に振るみさきを眺めて、祐一は安堵しながらも複雑な思いを抱いていた。
それはかつて名雪との思い出を忘れていた自分への憎しみであり・・・

(何故だろう。もう、思い出したはずなのに。まだ、何かを忘れてる気がする・・・)

そんな漠然とした不安からだった。





紫雲たちがいるのは、香里たちが通う医大。
あの後、紫雲は依吹を自宅に連れ帰るわけにも、放置するわけにもいかず、香里たちの助言を得ようと向かっていた行先を変える事無く医大に向かったのである。

香里たちを巻き込む可能性がないでもなかったが紫雲はそれはないと思っていた。

依吹はいままで二度紫雲を襲っているが、そのどちらも人通りの少ない場所、さらにその上に結界を張った場所で、だった。

・・・もちろん、ただそれだけでは決定的な証拠になり得ない。
単に騒がれるのが面倒だからというだけなのかもしれない。

それでも紫雲は、藤依吹という人間は無関係の人間を巻き込まない、と半ば確信めいたものを感じ取っていた。



・・・そんな紫雲の思惑など知る由もなく。

依吹は考えていた。
何故自分はまだここにいるのかを。

逃げるのがいやだから。
さっき言ったそれも嘘ではない。

札を取り返さなければならないから。
確かに札を作るのには手間がかかるから、そうするのも間違いではない。

ただどれもそれほど強い理由だとは思えなかった。

強いて言えば・・・ただ、なんとなく、ここにいなければならないような気がしていた。

「あなた、草薙君や命さんを殺すつもりらしいけど、どうしてなの?」

沈黙を破って、香里がそんな事を言った。
依吹は顔色を変える事無く答える。

「何故お前に話さなければならない?」
「彼はあたしの友人よ。そして彼のお姉さんはあたしの恩人。その事実以外に理由が必要かしら?」

そう聞かれることを予想していたのか、香里はあっさりと答えた。
依吹は、ふん、と面白くなさそうに息を洩らした。

「・・・いいだろう。ただし、今からする話をお前が信じないという事までは責任を取れない」
「構わないわ。・・・もう”そういう”話には慣れっこだから大丈夫だとは思うけど」

香里の言っている事について、依吹はすぐに見当がついた。
約一年半前、彼女は草薙命の法術により死ぬはずだった妹を救われている。
おそらくはその事を指しているのだろう。

(恩人か・・・)

自分の仇が人によっては救い主であるという”当たり前の皮肉”が、依吹は少し苛立たしく思えた。

それでも、自分がやる事は変わらない。変えられない。
”その”事を確認するために、依吹はそれを語りだした。





翼人という種が存在していた。
かつての天皇家は神の使いとされる彼らを奉じていたが、それを快く思わない者たちがいた。

それが藤家。
彼女、藤依吹の先祖である。

ちなみに、彼女の名前は正確に言えば藤依吹ではなく”欠けた”名前である。

藤家は天皇と親戚関係を結ぶ事で権力を握っていた。
そんな彼らにしてみれば、天皇に奉じられている翼人は、その特異な力の恩恵を差し引いても、邪魔者でしかなかった。
彼らは、自分達の専制を確かなものにするために陰陽師の一部と結託し、翼人の存在を抹消しようとし、紆余曲折の果てに最後の翼人とされた少女を調伏し、彼らの存在を歴史から抹消した。

だが。



「・・・私の一族はその報いとして呪いを受けた。それはただ死ぬ事よりも恐ろしい呪いだった」
「呪い・・・?」
「短命続縁の呪。
そういう名前だと教えられたそれは、早死する呪いであり、それが未来永劫まで続く呪いだ」
「それは矛盾してない?早死なら子孫を残せるとは思えない。
なにより”藤家”と貴女が呼ぶ一族は滅んだ訳ではなく、以後も勢いこそ衰えたけど、いくつかの”家名”に別れただけじゃなかったかしら」

香里は聡明な彼女にしては珍しい、訝しげな表情を浮かべて尋ねた。

「ああ、そうだ。だが翼人を滅ぼす指示を直接下した私の祖先は呪いを免れなかった。
そして、指摘した矛盾だが、その矛盾がこの呪いの恐ろしい所なんだ」

そこで言葉を切ってから、数拍の間の後に依吹は言った。

「・・・子供を残さない限り死ねないんだ。そして、全身に想像を絶する苦しみがはえずり回る。
早く子供を生んで早く死ねば、苦しみは少ない。
だが、子孫を残さない期間が長ければ長いほどに苦しみは増す。
しかもその苦しみは、配偶者にも伝染した。
その苦しみを自分達で終わらせようとした人もいた。
だができなかった。それだけ、その苦しみはひどいものだったという。
それは永きに渡って続いたが、それは私の祖父の代までだった。
何故終わったのかは分からないが、私の父も母も苦しみを受ける事なく私を生み、今も存命している」

彼女の名前が本名ではないのも、名を変えれば呪いを回避できるかもしれないという思惑からつけたものの名残である。

「・・・だが」

依吹の眼に激しい憎しみが浮かぶ。
その眼に、香里は微かに息を飲んだ。

「それはそこまでの報いを受けるべきものだったのか?」
「・・・・・」
「そして、呪いが解けたからといって、それを許せるはずがないだろう?
私は、私の一族にその運命を背負わせた存在が憎い。
その一族を救おうとする草薙家や国崎家も同じくだ。
私がいかに熟達した陰陽師になったところで過去をやり直す事はできない。
ならせめて、奴らを滅ぼさなければならない。
それでなければ、私たちの誰が報われるというんだ・・・!!」


しばし、沈黙が辺りを支配した。


全てを聞き終え、香里は素直に思った。
依吹の言う事はある意味正しいと。
自分が彼女の立場なら同じ事を思うかもしれない。

なにより、もう自分には関係の無い呪いで苦しんだ人々を思い、怒りを覚える事ができる彼女は、肉親でさえも目的や利があれば殺す今の時代において、”いい人間”ではないだろうか。
・・・その”報い”が人を殺す事でさえなければ。

「・・・あなたの言い分は分かったわ。確かに、あたしが口を挟める問題じゃないかもしれない。
でもね、相手が悪過ぎだわ」
「・・・?」
「草薙君はこの事を知っているの?」
「・・・私の上司から聞いているはずだ」
「そう・・・」

彼女の矛先が並の人間なら、彼女は目的をあっさりと果たしていただろう。
・・・その後に残る虚しさを抱えることになろうとも。

だが、相手はあの草薙紫雲なのだ。
他人に誰よりも優しいあの男が、事情を知ってこのまま放っておくとも思えない。
今は何とかならなくとも、なんとかしようとあがき続けるだろう。
彼自身が死んでしまうその時まで。
それが彼なのだから。

「それがどうした?」
「今に分かるわ」

依吹の問いに、複雑な思いで香里は答えた。





「どうするつもりなんだよ、実際」

北川はコーヒーを啜ってから、呟くように言った。
医大の食堂で男二人は向き合っていた。
昼時には早い時間帯で、人もまばらなので、部外者の紫雲も特に気にしないですんだ。

香里が依吹に話を聞いていたように、北川もまた紫雲から話を聞いていた。
その聞き出し方も”友達が死ぬかもしれないのが無関係なのか?”というものであった所からして、二人は似たもの同士なのかもしれない。

それはともかく、全てを聞き終えた北川の言葉を受けて、同じ様にコーヒーを啜ってから紫雲はあっさり言った。

「正直、まだわからないよ。いったいどうすれば彼女を助けられるのか、全然わからないんだ」

そう呟く紫雲は心底悔しそうだった。
それを見て、北川は深い深い息を吐いた。

「お前って奴は本当、相変わらずなのな。事情はともかく、お前を殺そうとしている女なんだろ?」
「そうは言ってもな・・・放っては、おけない」
「ったく・・・」
「だから、今はただやれる事をやる。やっぱり、ただそれだけなんだろうね・・・」

コーヒーをその一息で飲み干してから、紫雲は席を立った。
その言い様も、その姿も、”あの冬”の頃と全く変わっていない。
自分の事で精一杯の時でさえ、他人の為に走り回っていたあの時と。

(ったく、だから心配なんだよ)

どんな事に対しても、誰かのためなら自分の事など省みず、ただひたすらに邁進していく。
北川はそんな紫雲が、いつか一人で何処までも、それこそ誰も届かないような場所まで走っていきそうな気がしてならなかった。

「・・・はあ」
「どしたの?溜息なんかついて」
「なんでもない」

紫雲の言葉に、複雑な思いで答えた北川は、その後を追う様に席を立った。







涼しい。

美凪は、いや、彼女の身体はそう感じていた。
さっきまでいた外に比べると、そこは冷房が効いていて快適だった。

だが、今の美凪はその快適さなどどうでもいいほどに他の事を考えていた。
他の事、それは診察室の向こうにいる神尾観鈴の事に他ならなかった。

あの後、”発作”・・・美凪にはそう理解する事しかできなかった・・・が収まった後、力無く項垂れる観鈴を連れて、この町ただ一つの医療機関で、かつて彼女の母も世話になった事のある霧島診療所に向かった。

その間二人は一言も話す事ができなかった。

昨日僅かに埋めたはずの隙間を、その出来事はあっけなく広げてしまった。
その事が、お互いに、ただ痛かった。

「・・・っ!観鈴・・・?!」

いきなり、診療所のドアが開いて一人の女性が現れた。
流れてくる熱気と共に診療所に入ってきた彼女を、美凪は静かに眺めた。

年の頃は二十代半ばか後半か・・・その整った顔は何かの苦渋に染められていた。
彼女は美凪の姿を見つけると、カツカツと歩み寄って、その肩を掴んで揺さぶった。

「観鈴は・・・?!あんたが観鈴を連れてきてくれたんやろ・・・?!」

この状況、その言葉、その表情で美凪は悟った。

「神尾さんのお母様、ですか・・・?」
「そうや!そんなことより観鈴は・・・?!」
「今、診察室に居られます。”発作”は収まったようですので、大丈夫だとは思いますが・・・」
「・・・・・・・そうか。・・・・・すまんかったな、取り乱して」

掴んでいた肩を離して、観鈴の母・・・神尾晴子は頭を掻いた。
それは苛立ちを隠すような、それでいて慌てふためいた自分を覆うような、そんな仕草だった。

「・・・私こそ、申し訳ありません。そばにいながら、何も、何もできませんでした」

美凪は顔を俯かせて呟いた。
その手はぎゅっと握られている。
そんな美凪の手を眩しそうに眼を細めて見つつ、晴子は言った。

「気にせんでもええよ。ああなったあの子には誰にも何もできへんのやから。
少なくとも、あんたのせいやない。・・・それより、あんた・・・・・」

そこで迷うように言いよどむ晴子を見て、美凪は自分の名を告げた。

「私は遠野美凪と申します。神尾さんのクラスメートです」
「そっか。うちは神尾晴子、言うねん。よろしゅうな」
「こちらこそ」
「・・・・・」
「・・・・・なあ」
「なんでしょう?」
「・・・あんたは、観鈴のこと、どう思ってる?」

不意に、晴子はそんな事を言った。
美凪はそれに対し静かに答えた。

「私は・・・友達だと思っています。そうでないのなら、そうなりたいとも」
「そっか・・・」

そうやって。
二人は待った。
扉が開かれ、待ち人が現れることを・・・







「・・・さっきはごめん。あのくらいの事で取り乱すなんて我ながら修行が足らない」

戻ってきた紫雲は開口一番、そう言って頭を下げた。
その姿を見て、北川と香里は同時に形容しがたい表情を浮かべた。
その表情は”まただよ、この人は”と言っているように依吹には思えた。

・・・実際、依吹も近い思いを抱いていた。

この男は一体何を考えているのだろう?

自分を殺そうとした人間に怒りを向けた事で頭を下げる。
しかも、その怒りは自分が殺されそうになったからではなく、自分自身やそれを殺そうとした相手が、理不尽に人を傷つけようとする”事実”が許せないというものなのだ。

全くもって理解できない思考回路だ。

その理解できない男は、真っ直ぐに依吹を見て、告げた。

「でも、これだけは言わせて欲しい。
僕はどんな事になろうと人を殺さない。そして、同じ様に誰かに誰かを殺させはしない。
そこに、僕の目が届く限り。
だから、僕は君を殺さないし、君に僕を殺させはしない」
「・・・・・」
「あ、香里さん。さっきの札を出してくれる?」
「え?・・・はい、これ」
「ありがと」

香里の手から、この世界の理〜ことわり〜を操る為の文字が書かれた札の束を受け取った紫雲は、それをまじまじと見詰めてから、依吹にそれを差し出した。

「これは返すよ。その代わり、今日はもうやめとこう」
「な・・・?」
「君は・・・まだ僕と話なんかしたくないんだろ?
僕も、よく考えたら、まだ君に向ける言葉がないんだ。
だから、勝手で悪いけど、また今度」
「おいおい・・・それだと、お前狙われる事になるんじゃないのか?
それこそ、この人が考えを改めるまでずっと」

北川が呆れ果てた様子で言った。
だが、その表情は苦笑気味だった。

「別に構わない。その標的が無関係な誰かに向かわない限りは。
それに、一回や二回で諦める様な事なら最初からやらないほうがマシだよ」
「・・・言ったでしょ?いずれわかるって。こういうことよ」

北川とは違い、心底呆れ果てた様子で香里は言った。
そんな場の空気に触れた依吹はキッと紫雲を睨みつけて、その手から札を奪い取った。

・・・そこにある”何か”を拒絶するように。

「・・・気勢が殺がれた。だから今日はここまでにしよう。
だが、私はお前の戯言に付き合うつもりは無い。必ずお前を殺す。そして草薙命も」
「それに付き合う義理はないのは僕も同じだよ。だから必ず、わかってもらう」

その言葉に、ふん、と洩らした息で答えて、依吹はその場を去っていった。

「・・・あのさ。今思ったんだけど」
「なに?」
「紫雲とあの人、似てないか?」
「・・・・・似てるかもしれないわね、確かに」
「似てないよ」

二人の言葉を聞いた紫雲は、少し不機嫌そうにそう言い放った。





「うにゅ〜祐一、おはようー」

パジャマ姿で目を擦りながら名雪が降りてきた。
TVを見ていた祐一はおう、と手を上げて答えた。

「今日は昼からだからもう少し寝てても良かったんじゃないのか?」
「むー目が覚めたんだもん。川名さんと国崎さんは?」
「ああ、もう出かけたよ。帰りにでもまた駅前に寄ってみるか?どうせしばらくは帰る場所は一緒だしな」

国崎往人と川名みさきは、旅の資金が貯まるまで水瀬家の厄介になる事が本決まりとなっていた。
往人はそのつもりはなかったようだが、名雪と真琴がそれぞれの思惑から引き止め、彼らも宿に困っていたのは確かだったために、そうなったのである。

「うん、そうだね」

名雪がそれに頷いた、その時だった。

プルルルルル・・・・・プルルルルル・・・・・プルルルルル・・・・・プルルルルル・・・・・

「あ、名雪頼む」
「えー」
「お前の方が近いだろうが」
「むーわかったよー」

不満そうな顔をしながらも、名雪は受話器をとった。

「・・・もしもし。あ、美汐ちゃん。久しぶり・・・・・え?」

その瞬間、名雪の表情が硬化した。

「う、うん。家はもう出てるはずだよ。
本当に?・・・分かった、すぐ探すよ。何かあったら連絡して」

受話器を置くその顔は、暗いものだった。
見かねて、祐一は尋ねた。

「どうした?なにかあったのか?」
「・・・真琴が、学校に来てないって・・・」
「なんだって・・・?!」







「やれやれ、手間がかかってしまった」

その路地裏で、”男”・・・紫雲と同じ顔の男は微笑んでいた。
その足元には、意識を失い倒れた真琴の姿があった。

「しかし、ほぼ人間になった彼女にまで見破られるとは・・・本当に好かれている様だね、紫雲」

面白くてたまらない、というように彼の表情は愉しさに歪んでいた。

「だから、楽しみでたまらないよ。
君の信じているものが、大切な何かが、崩れ去る、その瞬間がね」

呟いて”男”は真琴の頭を優しく撫でた。
・・・その”優しさ”もまた歪んでいた。

「さあ”種”よ。君は君の思いを思い出せばいい。それが全てに繋がるのだから・・・」

その問いに答えるべき少女は、今はただ眠る。
目覚めた時に動き出す歯車の存在に気付く事なく。





・・・続く。
戻ります