AIR another 蒼穹聖歌 第六話
第六話 宿命円舞
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夢。
夢を見ている。
星。
星が降りそうな空。
その空の、下に。
二人の男の人が立っている。
一人は・・・ボクが、よく知っている、大切な人。
もう一人は・・・よく分からない・・・知っちゃ、いけないような気がする・・・・?
二人とも、何かを握り締めている・・・?
あれは、何だろう。
鈍く、光っている。
その輝きが、動いた。
交叉し、火花が散った。
それは一瞬。
そして、一人が地面に倒れ付した。
その、顔は・・・・・
「・・・・・っ!」
がばっと跳ね起きる。
その額には汗が滲んでいた。
「・・・なんなんだろ、あれ・・・・」
そう呟いて、彼女・・・月宮あゆは立ち上がった。
時刻は、もう学校に行く時間を指していた。
「おはよー、あゆちゃん」
「おはようっ」
通学路を駆けていくクラスメートに、あゆは笑って答えた。
「今日、日直だから先行くねー」
「うん、気をつけてねー」
あゆはその笑顔を崩すことなく、クラスメートの背中を見送った。
七年の眠りから解き放たれたあゆは、この4月から中学三年生として学校に通っていた。
学力テストを受けて、その程度の学力は十分にあるという承認を受けての復学だった。
本来なら、言われない偏見に晒されていたのだろうし、事実最初はそういう目にあった。
だが今は、あゆ自身の性格や”強さ”、その辛さを影で支え続けた紫雲の力もあって、楽しい学校生活を送れるようになっていた。
「幸せだな、ボク」
なんとなく、呟いてみた。
それは”今”の確認だった。
家族と呼べる人たち。
たくさんの友達。
なにより、そばにいてくれる、そして、そばにいたいと思うことができる、大切な人がいる。
何の不足も無く、何の不満も無かった。
これが幸せでなくて、なんだろうか。
だが。
「・・・・・・・誰、かな」
あゆには分かっていた。
ずっと続く幸せなど、ありえないことを。
あゆは自分の目の前に現れた影に、真っ直ぐな視線を向けた。
・・・自分の大切な人もきっとそうすると思って。
「・・・・・・・・・え?」
そして、その姿に、ただ息を飲んだ。
「いただきます」
「いただこう」
紫雲と命は手を合わせてそう呟いてから、目の前の箸を取った。
この二人の勤務開始時間は、社会一般のそれよりもやや遅めである。
「なあ、姉貴」
「何だ、愚弟」
味噌汁を啜った口をぬぐいつつ、命は答えた。
紫雲は同様に口に踏んだ茶を飲み干してから再び口を開く。
「姉貴は、会った事があるか?」
「・・・誰にだ?」
「あの秋子さんが唯一嫌ってる、男に」
「・・・・・いや。直接の面識はない」
「そうか」
「どうしてそんな質問をする?」
「・・・いや、容姿とかについて分かってりゃ、警戒ぐらいはできるかなと思って」
「秋子は教えなかったのか?」
「いや、それがよく分からないんだよ。遭遇すれば否が応でも分かるって」
目玉焼きを黄身と白身に分類しつつ、紫雲は首を傾げた。
命はずずず・・・と茶を一口、口に含んだ。
(・・・あの、秋子がえらく遠回りな言い方をする・・・意味があるのか・・・・それとも単純に嫌悪からなのか・・・・?)
「ふむ・・・何はともあれ、どうするんだ、これから」
「そうだな・・・今日は秋子さんと香里さん、それから美汐ちゃんに連絡を入れてしばらく勉強会は中止するって伝えようと思う。
あの藤依吹さんは誰かを巻き込むようには見えないが・・・万が一って事もあるしな。
ここの所、雑用関係の依頼も途絶えてるから、しばし、何でも屋は休業しとくよ」
「・・・この件が片付くまで、か?」
「ああ。少し前のあの依頼で、生活、及び活動資金は十分だしな」
「そうだったな。・・・わかった。私も何か気付いた事があったら報告しよう」
「頼むよ。ただし、無茶はするなよ」
「もちろんだ。こんな所で無駄死にをするつもりはない」
(せっかく、全てが終わる目処が立つというのにな)
その言葉を胸のうちだけに響かせて。
命はすでに空になった湯飲みを置いて、席を立った。
「行ってきまーすっ!」
手をぶんぶん振り回しながら、真琴は夏空の下を駆けて行った。
当然といえば当然のことながら着ているのは夏の制服である。
白を基調としたそれは実に涼しげである。
「行ってらっしゃい」
秋子は優しい微笑みを浮かべて、それを見送った。
角の向こうに真琴の姿が消えるのを見届けてから、秋子は家の中に戻っていった。
と、そこには丁度降りてきた所らしい祐一が立っていた。
その髪は寝癖か、一部跳ね上がっている。
祐一は秋子の姿を認めると、自分でも気付いていたらしいその寝癖を少し整えてから言った。
「あ、秋子さん、おはようございます」
「あら、祐一さん。おはようございます。今日は早いですね」
「・・・・・ベッドから落ちた名雪に蹴られて目が覚めました」
「あらあら」
昨日の話し合いの結果、名雪と祐一が一緒に寝る事になったのを、秋子は知っていたので特に驚かなかった。
それ以前に、年頃の自分の娘が、いかに親戚、いかに甥とは言え一緒の部屋に寝る事を気にしそうなものではあるが、秋子は名雪と祐一の関係についてすでに全てを悟っているので、気にもしていなかったりする。
「名雪って寝相悪いわけじゃないはずなんだけどな・・・」
「そういう日もありますよ。昨晩、名雪の機嫌を損ねたりしませんでしたか?」
「・・・・・・・・」
祐一の額に汗が一滴。
それだけで全てを物語っていた。
「いや、その・・・」
「私に弁解しても仕方ないですよ。今日、しっかりと挽回してください」
「・・・・・・・・・・・・はい」
「ふふふ。それでは、私は仕事に行ってきますから。戸締りその他よろしくお願いしますね」
「あ、はい、わかりました」
何の仕事なのか、いまだに祐一は知らなかったが、最早それを詮索をする気は失せていた。
何処で何をやろうとも、秋子は秋子。
この家にいる真琴や名雪はそう思っているし、祐一自身そう思うようになったからだ。
しかし。
祐一は知らない。
秋子の”仕事”がこれからの自分に大きく関わる事態になる事を。
そして、それが。
名雪との別れに繋がる事を。
知る由も、なかった。
「どうした、あゆ?」
言葉を失ったあゆに、その男は笑いかけた。
その顔は、あゆの良く知る人間の顔だった。
「僕の顔になにかついてる?」
そう、それは。
恩人にして、大切な人の顔。
「ねえってば」
草薙紫雲の、顔。
・・・・・・・・・・・・でも。
「君は誰?」
「え?」
「君は紫雲君じゃない。それぐらい、わかるよ」
自らを詐称しようとする男のその笑い。
それは歪だった。
いや、歪、というよりも。
自分の知る紫雲の笑みとは、対称的な笑みだった。
紫雲・・・いや、そう名乗ろうとしていた男は、あゆの言葉を受けて、その笑みを深めた。
それを見たあゆは思わず後ずさった。
その笑みは、あまりに異質すぎた。
いままであゆが見てきたどんな笑顔とも、それは違う。
・・・その手の顔を直視してきた紫雲がいれば、こう称したであろう。
純粋な悪意から成立する笑顔だ、と。
「よく分かったね。さすがは、血筋の人間だ。それとも、愛ゆえに、という奴かな?」
「あ、愛?」
その言葉に、あゆの顔が真っ赤に染まる。
それに気を取られて、それ以前にあった、気になりそうな言葉に反応できない辺りが実にあゆだった。
「そ、そんなことよりも!・・・君は、誰なの?何で、紫雲君の顔をしてるの・・・?!」
「僕?僕はね・・・君の遠い親戚。彼と同じ顔をしているのは偶然だよ。いや、彼が僕の顔に似てしまった、というべきなのかな」
「い、一体何を言ってるのか、全然分からないよ・・・・!」
あゆは混乱していた。
だが、それは目の前の人間が紫雲と同じ顔をしていたから、だけではない。
あゆは感じ取っていた。
目の前にいる存在の、内から滲み出ている何か、得体の知れない・・・自分には到底理解する事ができない何かを。
それゆえの動揺、それゆえの恐慌だった。
「・・・・・・ごめんごめん。怖がらせてしまったみたいだね。
君に危害を加える気はないよ。君の力も、いずれ必要になるからね」
「・・・・・・・・」
「バレなければ、彼に扮したままでデートでもしようかとも思っていたんだけど・・・現実というのは思うようにならないものだね。
しかし、だからこそ・・・・・面白い」
そう言って、男は身動き一つしないあゆに近付き、その肩をぽんと叩いた。
「またいずれ。それから紫雲君によろしく言っておいてくれ。
君が、どう僕を裁くのかが楽しみだ、と」
・・・・・・あゆが気付いた時。
その男の姿は影も形もなかった。
「おかあさーん?」
神尾観鈴は玄関先から自分の母親に呼びかけた。
彼女の母親は昨日夜遅く帰ってきたらしく、今だ眠っているためか、何の返事もなかった。
「朝ご飯、テーブルの上に準備してるからねー」
言ってからしばしそこで聞き耳を立てていたが、何の返事も返ってこなかった。
もう一度呼びかけようかとも思った観鈴だったが、時間的にギリギリだったので断念して、彼女は家を出た。
海辺の道を歩く。
そんな彼女の髪を微かな風が揺らす。
そうやって歩いていると、彼女の中に浮かぶイメージがあった。
それは一年前、この道で出会い、共に歩いた奇妙な旅人。
彼と交わした、おかしな、それでいて、安らいでしまう会話。
彼とはほんの僅かな間しか時を共にしていなかった。
彼のためにしばし宿として提供していた観鈴の家を出た後も、彼は暫しこの町に留まっていたらしいが一体何をやっていたのか観鈴は知らなかった。
最後に会ったのは、彼がこの町を出る直前で、詳しい話を聞く事もままならかった。
それだけでしかない関係。
だが、何故か観鈴は一年経った今でも彼の事が気に掛かってならなかった。
彼、そう、国崎往人。
「神尾さん」
「ひゃっ!!」
いきなり声をかけられて、観鈴は飛び上がった。
恐る恐る振り向くと、そこには昨夜一緒に星を見ていた遠野美凪が立っていた。
「と、遠野さん・・・おはようございます」
「おはようございます」
道の真ん中で二人向き合って頭を下げている姿はどこか間が抜けてはいた。
が、逆にそれがこの二人らしいとも言えた。
「さ、昨晩はど、どうもお世話になっちゃいまして、その・・・」
「お世話しちゃいましたか」
「え?あ、その」
美凪がいい人なのは十分に承知しているが、この何処か浮世離れした対応にはまだまだついていけない部分があった。
人間性と個性は別問題だという事である。
あわあわ、と観鈴が対応に困っていると、美凪はそっと観鈴の手を取った。
「え、あの・・・」
そのひんやりとした手が観鈴を一時的に落ち着かせた。
美凪はそんな観鈴を見詰めて、ただ優しく微笑んだ。
「そろそろ、参りましょう」
「え?」
「遅刻、したいですか?」
ぶんぶんと首を横に振る。
「では」
そう呟くと、美凪はゆっくりと走り出した。
手を繋いだままで。
だから、それに引っ張られる形で観鈴も走り出した。
・・・少しずつ速くなっていくスピード。
それと共に、観鈴の中で高まっていく何か。
『この人はもしかしたら私の友達になってくれるかもしれない』
それは、そんな淡い願い。
人によっては簡単な、神尾観鈴という少女にとっては困難な、そんな想い。
『遠野さんは私の事が嫌い?』
『嫌いなら、こんな風にはしてくれないと思う』
『遠野さんは私のことをからかってる?』
『遠野さんはいい人だから、そんな事はしない』
『なら』
・・・・・・・本当に、友達?
・・・・・・・本当の、本当に、トモダチ?
その推測が観鈴の中で確信に変わろうとしていた・・・・・まさに、その時だった。
・・・・・・・・・・・・・・・どくん。
観鈴の内から湧き上がってくる衝動。
それは観鈴が掴もうとしていた確信をいとも容易く壊してしまうほどに、強いもの。
幼い頃から克服しようとしてきて、ついには叶わなかった、その感覚。
「・・・・っ?神尾さん・・・・?」
いきなりバッと手を振り払われて、美凪は驚きと共に振り返った。
そこには、身を震わせて立ちつくす観鈴の姿があった。
「かみ・・・」
「・・・・・っ・・・・・近付かないで・・・・っ」
「・・・・・?・・・・・・・・」
そうは言われても、そんなにも苦しそうな観鈴を放っておく事など美凪にはできなかった。
静かに観鈴に近付こうとした・・・その瞬間。
「・・・・・・・・うわああああああっん!!」
「?!」
観鈴は全てをなげうって、地面にしゃがみ込み、ただ泣いた。
美凪はそれに圧倒され、その時はただ、そこに立ちつくすしかなかった。
それは、神尾観鈴が今まで”たった一人”だった理由を遠野美凪が”知った”瞬間だった・・・・・
「しかし、遠いなー。もう少しスピードが出せればいいんだけど、制限速度30キロがルールだからなー」
人通りの少ない道をスクーターでひた走る紫雲はかぶったヘルメットの中一人ぼやいていた。
しばらく勉強会を中止すると決めたのはいいのだが、連絡しようとした美坂姉妹の携帯の電話番号を書いたメモをなくしてしまっていたことに紫雲は気付いた。
紫雲が携帯を持っているのならメモを無くす事もなければ、そんな手間も要らなかったのだが、紫雲は自分を縛りそうな”それ”が面倒に思えて、購入を踏みとどまっていた。
二人の学校が終わってから自宅に赴く事も考えはしたが、生活費をディスペンサーからおろす用事もあったことに気付き、そこから近い香里の通う医大に寄ってみる事にしたのである。
まあ本音としては、香里や北川がどういう学生生活を送っているのかや、二人が通う医大を見てみたいという好奇心が大きかったりするのだが。
「うーん、バイクの免許とろうかな・・・」
ブツブツ呟きながら、紫雲が角を曲がったその時。
白い人影が、紫雲の進路を阻んだ。
「っとおっ!!」
曲がる際に減速したのが良かったのか、紫雲を乗せたスクーターはスムーズに停車した。
その、白装束に身を包んだ人間・・・藤依吹の直前で。
紫雲はメットを外しつつ、スクーターから降り立って、ふう、と息を吐いた。
「・・・・・・・昨日今日で身辺整理ができてると思う?」
「あんな詭弁に付き合うつもりはない。昨日は秋様の手前、引いただけだ」
「その秋様は手出し無用だといってなかったか?」
「言った筈だ。詭弁に付き合うつもりはないと」
その強硬なまでの態度で紫雲は悟った。
どういう形であれ、一度決着をつけなければ目の前の人間は納得しないであろうことを。
「・・・・・今度こそ死ね」
殺意を持ったその一言が。
草薙紫雲と藤依吹の第2ラウンドの幕を開けた・・・が、それは一瞬で閉幕となった。
どむ・・・っ!
一瞬で間合いを詰めて放たれた紫雲の拳によって。
「な・・・・?き・・・さま・・・・・・・・!」
「・・・昨日姉貴に言った手前で悪いけど・・・お互い様って事で勘弁して欲しい」
紫雲の拳はものの見事に依吹の腹部にめり込んでいた。
依吹はなおも何をを言い募ろうとしたが、気を失い、宿敵である紫雲にその身を預ける形となった。
「ったく・・・言う割りに過小評価し過ぎなんだよ・・・というか」
自分にもたれかかったまま意識を失っている女性の顔を見て、紫雲の口からはただ溜息が洩れた。
「どうしたもんかな、これは」
誰に問うたわけでもないその言葉は、ただ虚空に流れて消えていった・・・
・・・続く。
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