AIR another 蒼穹聖歌 第二話






「・・・死ねって・・・物騒だな・・・・」

闇の中から聞こえてきた声に紫雲は言った。
その声は、真面目だった。
その”死ね”という”命令”に対する、普通の人間の対応ではない。
もしも、冗談だと思っていたなら多少笑いを含んだものになるだろうし、本気にとったとすればあまりにも冷静すぎた。


・・・それは紫雲にとって、かつての日常だったから。


「・・・・・なあ、止めとかない?僕は死になくないし、君を傷つけたくない。
仮に君が僕を殺せたとしても、後に残るものはあるのか?」

「・・・・・・・・・・・」

声は答えない。
その沈黙は肯定とも否定とも取れなかったが、紫雲は否定なんだろうなと思った。

・・・自分を囲む空気・・・・それに混じるのは”戦いの意志”だったから。
紫雲の近くに一つの殺気が生まれ出る。
闇から姿を見せた、その姿は・・・

「・・・・・人間じゃない・・・?」

身の丈は、紫雲の頭三つ分よりも大きく、その腕の太さは紫雲の胴回りよりも大きい。
その姿を言葉で形容するなら・・・

鬼。

そう呼ぶのが最も相応しく思えた。

「・・・・・」

紫雲が無言で眼鏡を上げた瞬間。

”彼”は紫雲に襲い掛かった・・・・・!!




第2話 日常終焉




・・・同じ頃。

「今日は少し早いかな・・・」

紫雲たちの街から少し離れた場所にある自宅へと向かって月宮あゆは歩を進めていた。

あゆは現在、中学三年生である。
本来の年齢はもう大人と言っても差し支えないくらいなのだが、彼女は長い植物人間状態にあり、一年前にそこから目覚めたために、もう一度やり直さねばならないことの一つとして、学校への復帰を実行中だった。

その傍ら、彼女は紫雲の”何でも屋”を手伝っていた。
失敗も多々あるものの、学習能力は高いので、今では名実ともに・・・とまではいかないかもしれないが、ちゃんとした紫雲のパートナーだった。

「今日は紫雲君に会えたからよかったな・・・」

ほう・・・とした顔であゆは呟いた。



・・・草薙紫雲。

長身で、割と細めの身体。
伊達眼鏡の奥の眼は吊り目気味ではあるが穏やか。
くそ真面目で人が良過ぎる・・・そういう男だ。

月宮あゆにとって、その彼は恩人であり、それ以上にかけがえのない大切な人だった。

自分を何度となく助け、守り、導いてくれた存在。
そして、いつだって笑いかけてくれる存在。

あゆはそんな紫雲が好きだった。

・・・・・例え、その背中に”かつて”の影が見え隠れしても。








・・・振り下ろされる腕。
その速度、力ともに人間の比ではない。

・・・・・捌けなくはない。
ないが、一応下がる。

跳躍。

振り下ろされた腕は、コンクリートの地面を抉り取った。
・・・確かにすごい力だ。
だが、予測内なので驚く必要がない。

地面の欠片を多少浴びながら、着地した僕はもう一度後方に跳躍し距離を取った。

僕は改めて、目の前の”それ”を凝視した。
人のフォルムを一回り大きくした”もの”。
全身は黒く、影のようだった。
所々・・・肘や膝、背中などの部分に小さな突起物が生えていた。

そして、その顔には目や鼻などはなく、何かの文字がぼう・・・と輝くようにあるだけだった。

・・・・・よくは分からない存在。

ただ、目の前の存在がまともな生物でないらしいことは分かる。
怨霊とか、幽霊とかそういう類のものだ。



・・・そう言うのを”相手”にしたことはなかったが、あの冬の出来事でそういうことには免疫がある。


だからといって、実際に相手にするのは正直御免だった。


『・・・・・・・・・・・』

”それ”は何の意思も示さないままに。
こちらの躊躇いなど、気付きもせず、お構いもなしに。

再び、襲い掛かってきた。



・・・もう、戦いたくないのに。


僕は右手に持った荷物を捨てた。
そして、左手で眼鏡を外し、懐に、しまった。







「ただいまー」
「ただいま」
「・・・邪魔するぞ」
「お邪魔しまーす」

四者四様の声を上げて、彼らはその家に上がった。

「おかえりー・・・って誰?その人たち」

その声とともに四人・・・祐一、名雪、黒っぽい青年、盲目の女性・・・を出迎えたのは、片手にスナック菓子を持ち、もう一方の手には漫画雑誌を持った真琴だった。

「ただいま。・・・この人たち、泊まる場所を探してたから今日泊めてあげようと思って」

にこりと笑いかけて、名雪は言った。

「ふーん・・・・・・・・それはいいけど・・・・
ぞれはそれとして、名雪、秋子さん何処に行ったか知らない?」

「・・・秋子さんいないのか?」

「うん。さっきまでいたんだけど・・・」

「そう・・・一応お母さんに了承してもらおうと思ったんだけどな」

(まあ、どっちにしても一秒了承だろうがな)
名雪の言葉に、祐一は内心そう思った。

「・・・おい。迷惑なら、俺たちは・・・・」

それらのやり取りを黙って見ていた青年がそう告げようとしたが、名雪が慌ててそれを遮った。

「あ、いいんですよ。泊まっていってください。ね、いいよね、祐一、真琴」

「今更帰れって言うのは酷だろ」

「あう・・・真琴も同じだったからいいと思う」

名雪はその二人の答えに満足げに頷くと、客人二人に笑顔で言った。

「そういうことですから。ゆっくりしていって下さいね」

青年は名雪の顔を見詰めてから、盲目の女性の方を見た。
女性はその気配を察したのか、首を縦に振った。
それを見た青年は、ふうと息を吐いてから、言った。

「・・・・・悪いな、世話になる」

「その代わり、ご飯食べたらさっきの、見せてくださいね」

「・・・ああ、任せておけ」







紫の草薙。

それはかつての紫雲の呼び名。
狂った絶対正義の名のもとに、人を破壊していた頃の。
蒼いグローブに血が混じりあったような錯覚を与えることからの”あざな”。

・・・紫雲は、その頃の自分を嫌悪していた。

それは、幼い頃の理想が狂った姿だからであり。
・・・もう一つの理想の究極だから。



圧倒的な速さで”それ”は迫る。
振り下ろされる、腕。
あたれば死ぬだろう。

(・・・・・当たればな)

紫雲が動く。

その速さ、まさに疾風。


バシャっ!!


「・・・・・・!!」


両者が交差した瞬間。
”鬼”の左腕はまるで鋭利な刃が通ったかのように両断され、地面に転がった。
その断面はただ”黒”であり、血などが出てくる様子はない。

それを見て、紫雲は安堵した。

分かっていたこととはいえ、人ではない・・・いや生物ですらないことがこれで確認できた。



(・・・なら、なおのこと遠慮はいらない)



紫雲は先程も化け物の腕を断ち切った手刀を構えた。

・・・草薙紫雲は、自身が潜在的に持つ能力”法術”の力を物理的な力に転化させることで人間離れした力を得る事ができる。
一年前まではそれを無自覚に行っていたが、今は”転化の法”に関しては自在に操ることができる。

この”転化の法”は法術を使える誰しも扱えるものではないらしい・・・紫雲はそう聞いていた。

彼の姉である、草薙命は”自分にはできないこと”だと言っていたのを紫雲は思い出した。

(・・・まあ、いまはどうでもいいか)

紫雲はそう思い、思考を切った。
今はただ目の前の存在を屠るのみ・・・・・!







「・・・じゃ、行くぞ・・・」

青年・・・国崎往人と名乗った彼はテーブルの上の人形の上に手をかざした。
すると、ひょこ・・・と人形が独りでに起き上がった。

「うわあ・・・・・」
「ね、すごいよね、真琴?」
「・・・どう見ても種はないんだけどな・・・」

その姿に、真琴は目を輝かせ、
名雪はニコニコで、
祐一は首を傾げていた。

秋子がまだ帰っていないので、夕食をまだ取れないでいた祐一たちは、その隙間を埋めるべく往人に頼み込んで人形芸を見せてもらっていた。

数分間、それは動いていたが、最後のフィニッシュを決めてようやっとその動きを停めた。

「・・・ふう」

ぱちぱちぱち・・・・・・

真琴と名雪の拍手が居間に響いた。

それを聞いて、盲目の女性・・・川名みさきが微笑んだ。
そのことに気付いて、往人は尋ねた。

「・・・どうした、みさき」

「ううん、国崎君の芸がよろこんでもらえてるなって。
そう思うと嬉しいんだよ。
・・・私には、人が喜ぶ声や拍手でそれを知るしかないから。
今のは、とても優しい拍手だったし」

「・・・そうか」

「・・・・・あの。聞いてもいいですか?」

二人の様子を見ていた名雪がおずおずと尋ねた。

「うん、別に構わないよ」

それが自分に向けられたものらしいと気付いて、みさきは答えた。
・・・その質問が自分の目に関するものであろう事も、気付いていた上で。

「川名さんの眼・・・・・生まれたときから見えなかったんですか?」

「ううん。でも、どうしてそんな質問を?」

「旅を、してるんですよね。
盲目の人が旅をするって・・・言葉にできないくらいに大変なんだろうなって思うし・・・・生まれた時からそうなら分かるんですけど・・・・・」

「ああ、そう思うのも当然かな。
・・・・・私は元々目は見えていたんだ。
でもちょっとした事故で見えなくなって・・・・・
まあ、色々あったけど、それでも私は生きてきた。
そんなときに、出会ったんだよ。
とても大切な人に。
その人はとても面白くて・・・何より優しい人だった」

その人物を思い出していたのだろう。
みさきは懐かしむように、穏やかな顔をしていた。

「・・・それがこの人?」

話を聞いていた真琴が、往人を指差して言った。
それに対し、みさきは静かに首を横に振った。

「ううん。違う人。
それでね、国崎君と出会う少し前なんだけど・・・その人、いなくなってしまったんだ。
・・・生きていた痕跡すら残さずに。
まるで、はじめからいなかったみたいに。
・・・つらかったよ。
その人が、私を裏切るような人じゃなかったから、なおさら。
でも私は、ただ待つことしかできなかったんだ。
すごく歯痒かった・・・
そんな時だった。
私が、国崎君と出会ったのは」

みさきは昔話を語る母親のように、ただ切々とそれを語っていった・・・







・・・そんな水瀬家の外で。




彼らを監視する者がいた。
いや、者とはいえない存在。

水瀬家の向かいの家の屋根にうずくまるソレは、人であって人でないものだった。

「・・・・・・フン、随分とまあ大胆なことだ」

その存在・・・”鬼”がその声のしたほうにゆっくりと顔を向けた。



「傀儡を配置するとはな。お前のご主人はそんなに忙しいのか?
それに、この家の監視とは・・・成り行き上そうなったとはいえ、あいつに背信扱いされても私は知らんぞ」

同じ屋根の上。

声の主・・・女性と”鬼”は静かに対峙した。

『・・・・ミコト・・・・・草薙、命・・・・・・排除・・・予定存在・・・抹消、する』

”鬼”は存在しない”口”でそれを告げると、女性・・・草薙命に飛びかかった。

「・・・陰陽道の一つ。鬼の使役、か。
しかし、まあ、なめられたものだ。
私のテリトリー内にこんな小者を置くとは。
・・・悪いな、命ないものに容赦はしない」

命はそう呟くと、鬼に向かって左手を突き出した。

・・・・・次の瞬間。

四方八方から飛来した何かが恐るべき速度で問答無用に鬼を貫いた。

『・・・・・!!』

鬼はその衝撃で二、三歩後ずさったかと思うと苦悶の意思を伝える間も無く、霧の様に消滅した。

その鬼が存在していた空間から何かがいくつも転げ落ちた。
・・・それはその辺にいくらでも転がっていそうな小石だった。

「そっちが基本でくるなら、私も基本だ。
法術の基礎中の基礎”操演の法”・・・扱い次第では十分に凶器となる・・・」

そう言ってから命は無表情に水瀬家を見下ろした。

「・・・・・さだめの時か。どうして、今、この時なんだろうな」

そう呟く命の顔はどこか悲しげだった・・・・・






「・・・悪いな、消えてくれ」

そう言って紫雲は跳躍した。
その跳躍は鬼の横薙ぎの一撃をかわしたものであり、攻撃への布石だった。


空中に飛び上がった紫雲は踵を上げ・・・それをそのまま鬼の頭部に叩き込んだ。

何でもなさそうに見えるその一撃。
それは、コンクリートなどいとも容易く叩き割る威力を込めた人外の一撃。

その次の瞬間。
鬼の姿は霞の様に消え去った。

すたん・・・と軽く着地して、紫雲は一息吐いた。

「ふう・・・・・好きじゃないな、この感触は。
・・・・・さて、そろそろ出てきてもらっていいかな?」

闇に向かって紫雲はそう言った。

・・・その声に答えてか、それともはじめからそのつもりだったのか。
路地裏の闇の中から、一つの影が姿を見せた。


背は紫雲よりも少し低いくらいだろうか?
長く伸びたその髪を無造作に束ね、白一色に染めた服を纏ったその存在はその中性的な顔を微かに歪ませて紫雲を見詰めた。

「・・・・・・・・やはり、危険だ」

「・・・何?」

「法術を学んでもいないお前がそんな力を秘めていることは、危険すぎる。 お前は、空の果てに辿り着く可能性がある」

「・・・何を言ってるんだ?」

「・・・・・理解しようとするな。
一つ理解すれば、その分お前を殺す理由が増える。
・・・すでに、遅いとしてもな」

「殺す殺さない・・・そういう話題を話すのはやめてほしい。
・・・そういうのは、嫌なんだ」

「・・・ならば何故、あの鬼を倒したとき、お前は笑っていた・・・・・?」

「・・・・・僕が・・・・・?笑って・・・・?」


・・・その言葉に紫雲が動揺した僅かな隙を突いて。
白い影が地を蹴った。

その手には何か札らしきものが握られている・・・!

その襲撃にはっとした紫雲は反射的に拳を握り、繰り出した・・・・・!



ガッッ!!




鈍い衝撃音がただ辺りに響いた・・・・・











・・・・・同じ、空の下なのに。

戦わなければならない者がいて。

ただ穏やかな時を過ごす者がいる。

しかし。

今は、誰も知らない。

その道は、いずれ重なり合う道なのだということを。







遠野美凪は夜道を歩いていた。

その目的は一つ。
彼女だけの部活動をするためである。

彼女は、天文部に所属していた。
星を見ることが幼い頃から好きだった彼女にとって、最高の部活動だった。


ただ、この田舎町では星を見ることは当たり前で、それを観測しようなどと難しく考えるものはいなかった。
だから、彼女は一人だった。

(・・・ただ、星が好きであればいいだけなのに)

そう思うと、美凪は残念に思えてならなかった。
理解できるはずのことを理解できない。
楽しいと思えるはずのことを、楽しいと思えない。
それは悲しいことだったから。

そう思いながら、美凪が曲がり角を曲がったときだった。

そこには、武田商店という店があった。
学校近くのそこは寂れているようで結構繁盛している、そんな店だった。

そんな店も今は閉店時間を迎えていた。

そんな店の前に一人の少女が立っていた。
正確に言えばその店の前の自販機の前に立っていたのだが。



「・・・・・あれは・・・・・神尾さん・・・・・?」

そこに立つポニーテールの少女は、神尾観鈴という美凪のクラスメートだった・・・









・・・続く。


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