AIR another 蒼穹聖歌 第一話
Kanon&AIR&ONE・・・another。
この、物語は。
えいえんを望んだ人間の物語であり、
届かぬ空に手を伸ばそうとする人間の物語であり、
希望ある限り、立ち向かい続ける人間の物語である。
・・・・・・・それはまさしく。
空が歌う、神の詩。
・・・・・・・・・・蒼穹聖歌。
第1部 DREAM、after。
第一話 運命交錯、その始まり
一人の少女が、机に向かっていた。
否。
ソレは正確ではない。
机上に置かれたパソコン・・・それに向かっていた。
それに彼女は少女というよりも女性という風貌をしていた。
それでも、彼女は学生だから、少女としておくのが正しいのだろうか。
ともかく彼女は、パソコンのキーボードを叩いていた。
その動きが実に滑らかで、遠くから見たらピアノを弾いているように見えるのかもしれない。
”・・・・・・・進呈。(仮)
これで累積86枚。
お会いできる日を楽しみにしています”
ソレがどうやら締めの一文のようだった。
彼女は、その文を書き終えると、もう一度文面を確認した。
「・・・・・いい感じ」
ポソリとそう呟いて、彼女は送信を実行した。
数秒もたたぬうちに、パソコンの画面に送信完了の報告が映る。
それを見て満足した後、彼女はパソコンの電源を落とした。
「美凪ー」
部屋の外からその声が届いた。
それは彼女の母親の声だった。
「もうすぐ、ご飯炊けるわよー」
「・・・・・うん、わかった。今日の炊き具合は?」
「もうばっちり。期待してていいわよ」
「それは楽しみ」
そう呟く彼女の瞳は夢見る少女のように光輝いていた。
・・・日本人はお米族でお米好き。
それがこの家のルールであり、常識だった。
「・・・すぐに行くから」
少女は学生服のままだった。
学校から帰って来るなり、パソコンに向かっていたのでまだ着替えていなかったのだ。
「ええ、ご飯はもうついでおきますからね」
それだけ告げると、母の足音が部屋から遠ざかっていった。
・・・ああ、なんて幸せな時間。
少女はそれを噛み締めていた。
一年前の夏、今をこんなにもあたたかく過ごせていけるとは思っていなかった。
あの夏に失ってしまったものは大きい。
でも、それ以上に大きなものを得ることができた・・・今ではそう思える。
それはみんなあの人のおかげ。
かつて、彼女と同じ時を生きた旅人。
今も彼は旅を続けているのだろう。
・・・かつて交わした約束のために。
・・・会いたい。
そう思っていない・・・といえばそれは嘘だ。
今がどんなに満ち足りていても、あの人のことを忘れた日は一度たりとてない。
それは笑顔とともにある思い出であり、彼女にとって大切な想いだから。
「・・・あって話したいこと、たくさんあるんですよ、往人さん」
すっかり”元気”になった母親のこと。
たまにしか会えないけれど、とても愛しく思っている妹のこと。
P・クラウドと名乗っている、随分お付き合いが長くなっているまだ見ぬお友達のこと。
そして。
一年前と変わらない、この何処までも広がる蒼い空のこと。
・・・その想いを込めて、空を見上げるその少女。
それが、遠野美凪という少女だった。
空を眺めていた。
何処までも広がるそれを見ていると、大海を漂っているような気分になる。
何処までも広がる空に対し、僕たちはあまりもちっぽけだから。
そんな気分になるのも間違いではないだろう。
『メールが届きました』
・・・そんな風に少し詩人気分に浸っていた僕・・・草薙紫雲を、その音は現実に引き戻した。
パソコンは便利だ。
一台あれば、その方法さえ覚えてしまえば、書類や文書を作るのもお手軽簡単。
というわけで、僕はもう一つの仕事の傍ら、先月の収支をデータ化していた。
一応これでも、この事務所の主なのだ。
そのメールがきたのは、僕がその作業の手を休めて、何気無しに窓越しの空を眺めていた時だった。
「お、カプリコンさんからだ。久しぶりだな」
その、カプリコンというハンドルネームを持つ人と知り合って一年以上経つ。
ある偶然から知り合ったにしては良好な関係を築いていた。
「え、となになに・・・?」
「ふむふむ」
・・・・・・・・
僕は、はうと溜息をついて、メールを閉じた。
「うぐぅ・・・まだ読んでなかったのにぃ」
「あのね。あゆは読まなくていいの。これは僕宛の手紙なんだから」
僕がそう言うと、僕の後ろに立っていたその女の子、月宮あゆは少し頬を膨らませて言った。
「だって・・・・・気になるんだよー」
その顔が可愛くて、思わず抱きしめたい衝動にかられるが、そこはそれ、きっちり我慢した。
その代わり、僕はあゆの頭にポンと手を置いた。
「大丈夫。気にするようなことは何もないから」
「紫雲君・・・」
「・・・・・あのー」
「・・・お二人とも、私たちがいることをお忘れではないですか?」
「あう・・・」
その三人の方に僕は振り返った。
「・・・忘れてないよ、君たちはクライアントだしね。補習トリオさん」
少しからかうような笑みを浮かべて、僕は言った。
その言葉に三人はそれぞれの反応を返した。
ストレートなショートカットの少女・・・美坂栞ちゃんは「そんなこという人嫌いです」といつものように呟き、
少し天然カールのかかったの髪を持った少女・・・天野美汐ちゃんは諦めたように息を吐き、
髪を長く伸ばし、その一部をテールにした少女・・・沢渡真琴ちゃんは「なによーっ」と不満たらたらに言った。
彼女たちはどうにもこの学期の成績がふるわず、補習を受けることが決まっていた。
と言っても、実際に補習を受ける必要があるのは真琴ちゃんだけで、他の二人はもう3年生ということもあって、付き添いを兼ねて、自主的に夏期講習的に補習を受けることにしたのだ。
そして僕は,僕が経営している”何でも屋”の仕事の一環として、栞ちゃんの姉であり僕の友人である美坂香里さんと、真琴ちゃんの母親代わり・・・いや、母親の水瀬秋子さんの依頼を受けて彼女たちの勉強を見る羽目になっていた。
「はいはい。文句は後で聞くから。とりあえず、今は課題をやるように」
「・・・紫雲さん、結構厳しいですね」
「・・・真琴もそう思う。紫雲だからもっと優しく教えてくれるのかと思ってたんだけど」
「・・・・・・・そこの二人。陰口は本人に聞こえないように言ってくれ」
「・・・聞こえるように言ってるんですよ」
「ボクもそう思う」
美汐ちゃんが冷静にペンを走らせながら突っ込んだのに、あゆが同意した。
・・・そこは夏なのにあたたかさを苦しいと思うことのない場所。
・・・・・ああ、なんて幸せ。
こんな日々が訪れるなんて。
あの冬を過ごしていたときは予想もできなかった。
こんなにもささやかなこと。
それが何よりも尊いことを、僕はあの冬に知った。
だから”いま”がこんなにも、愛しい。
・・・クサイ言葉と笑われたって構わない。
これを見失うことに比べれば、笑われることなど何の痛痒にも思わない。
だから、せめて。
今、この時がずっと続きますように。
僕は、そう祈った。
・・・・・そうはならないことを、僕は痛いくらいに分かっていたから。
駅前。
そこに一人の女性が立っていた。
女性・・・というより少女の面立ちなのだが。
彼女は時計にちらりと目を落とした。
約束の時間には少し早い。
それが分かっていても、彼女はそこにいた。
”もう、待たせたくないからね”
彼女がその想いを確認している時だった。
「名雪!」
その声が彼女の耳に届いた。
彼女・・・水瀬名雪はその声の方にゆっくりと振り返った。
「祐一・・・早かったね」
彼・・・相沢祐一は少し息を切らせつつも、それに答えた。
「馬鹿。早かったのはお前だ。ったく何が悲しくて約束の30分前からいるんだよ、お前」
「私が待ちたかったから。もう、待たせたくなかったから。・・・駄目?」
そう言って、名雪は上目遣いに祐一を見た。
そんな風に見られて、駄目なんていえるはずもなかった。
「・・・馬鹿。それは俺のセリフだ」
「私のだよ」
「俺のだ」
「私のー」
「俺のだって」
「・・・」
「・・・」
「不毛だな。やめよう」
「そうだね」
・・・・・どっちにしたって、想いは一緒なのだから。
水瀬名雪と相沢祐一。
この二人は付き合っていた。
・・・草薙紫雲と月宮あゆもそう言えなくは無かったが、この二人の関係は彼らよりもう少し深いものだ。
同じ大学の同じ学科に通う二人だが、未来はまだ漠然としていた。
でも、自分たちの未来はきっと同じ場所にあると信じている。
そんな二人だった。
「んじゃどこ行く?また百花屋か?」
”んーそれもいいかな”と答えようとした時だった。
名雪の目に入るものがあった。
それは、見慣れないもの、見慣れないこと、見慣れない存在だった。
駅のすぐ前の路地に腰掛ける男と、その側に座る一人の女性。
「・・・なんだ?」
祐一は名雪の様子に気付いて、同じ方向に視線を向けていた。
・・・その男と女の周りには人だかりができていた。
その二人の姿はかろうじてその隙間から見ることができる程度。
だが、名雪も祐一も何となくその場に足を止めていた。
そうしていると、男が口上をあげた。
「さあ、楽しい人形劇の始まりだ」
「始まり始まり・・・って私は見えないんだけどね」
その言葉に男の動きが硬直するが、それは一瞬のことだった。
軽く首を振って、気を取り直した男は”それ”を始めた
男は、手をかざした。
その下には、少し薄汚れたそんな人形。
そんな人形が、いきなりむくりと起き上がった。
おおっ・・・・・!
そんな微かな歓声が上がる。
それに応えて、人形の動きが活発になる。
飛んで、跳ねて、回って、時におどけた様に転んで。
仕掛けはまるで見当たらない、生きたように動く人形。
皆、それに見入っていた。
それは祐一や名雪も例外ではなかった。
呆けたようにそれを見ることしかできなかった。
そして。
いつのまにか”芸”は終わっていた。
皆、それぞれがそれぞれの財布の口を開いて、それに見合うと思われるお金を空き缶・・・それなりに見映えを良くしてあるつもりらしい・・・・の中に入れていった。
そして、それが終わると皆それぞれの道へと帰っていった。
後に残ったのは、その男女と祐一たちだけだった。
「・・・・・なんだ?何か用か?」
祐一たちの姿を認めると、男はお金を整理する手を止めて、そう問うた。
「いやーすごいなあって。どうしてそんなことができるのかな?」
名雪の言葉に、男は少し無愛想に答えた。
「・・・法術だ。って言っても分からないか。まあ、それはともかく、見てたんなら金払え」
男はずいっと手を出した。
「国崎くん、少し乱暴だよ」
男の側に座っていた女性がやんわりとたしなめた。
「あのなあ、みさき。こうしないと今日の泊まる場所さえ確保できないんだぞ。
何処かの田舎町ならともかく、こういう街じゃ野宿してると警官に色々言われるし」
・・・その言葉に反応する二人がそこにいた。
「あの、泊まる場所、ないんですか?」
一人は名雪。
もう一人は無論祐一だが、彼の考えていることは名雪と違っていた。
「ん?ああ、これから探すところだ。今日の稼ぎで足りるかどうか分からないが」
「それだったら、うちに泊まるといいですよ。部屋の空き、ありますから」
・・・名雪がこう言うだろうことを、祐一は反応し、予測していたのである。
そして、こう言いだしたならおそらく考えを曲げないだろうことを。
祐一ははあああ・・・と疲れ切った溜息を吐いた。
<
”これでデートはおじゃんだな”という、内心の思いをかき消すように。
結局四人は足並みを揃えて、その場を去って行った。
・・・それを影から見つめる視線に気付くことなく。
・・・日が落ちて。
紫雲は栞たちをそれぞれの家まで送り、あゆを駅まで送り届けると、その日の夕食の材料を調達してから、帰路に着いた。
「さて、今日は何にしようかな・・・」
適当な材料の中から料理を作っていくのが紫雲は好きだった。
それをこういう道すがら考えることも好きだった。
・・・・・だが。
それを悠長に考えている暇は、今日はないようだと紫雲は悟った。
「・・・・・・・そこにいるのは、誰?」
紫雲の問いかけがわだかまる闇の中に響いた。
・・・問いの答えは返ってこなかった。
ただ、問いが帰ってきた。
「・・・草薙、紫雲だな」
男とも女とも取れない、そんな声が響く。
その声は、何処から発しているのか居所を掴ませない、不思議な声だった。
「・・・・・そうだと、したら?」
ああ早過ぎる。
紫雲は心からそう思った。
「・・・・・・・・・・死ね」
紫雲の望んでいた”とき”は、今終わりを告げた。
そして、それは。
空と永遠に挑む、そんな物語の始まりだった。
・・・続く。
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