生死輪廻〜英雄幻想の父を持って〜
誰かが生まれ、生きて、いずれ死ぬという事。
私がソレを本当の意味で理解し始めたのは、父が死んでからの事だと思う。
父は……普通のヒトではなかった。
明らかに人間の限界を超えた身体能力や、魔術や魔法にも似た力を持っていた事もさることながら、
『正義の味方』になる事を、『絶対正義』を追い求め続けた、夢想じみた精神性もまた普通ではないと言えるだろう。
あらゆる事に真面目だった父は、大人としての強い責任感を持っていた。
反面子供っぽい部分もあり、子供の頃からずっと所謂特撮番組……ヒーローものを凄く好み、毎週放送されるのを欠かさず録画するような人。
その中でお気に入りになった作品の最終回だけは、余程が無い限り生で見るようにしていた、そんな人。
そうして、自分の『英雄幻想』への『栄養』を蓄えていた……そんな人だった。
誰かの力になりたくて仕方が無い人間……それが父。
そういう仕事を自分で生み出し、あるいは探し出した父は、その『仕事』の関係で世界中を駆け回っていた。
父は、自分が持ち、育てた『異能』はその為にあると信じていた。
それは自分にしか出来ない事だと強く思っていた。
”特別な血筋の人間である”というのが、そもそもの理由なのかもしれないが、
それ以上に生来のお人好しぶりからソレを望んでいた。
それこそが、父が世界中を駆け回り、誰かの為に働いてきた答。
……幼い頃から、母からも父自身からもそう聞いていた。
『人が笑っているのが好きなんだ。
だから、人の為に何かしたいんだ』
それは生前父がいつも語っていた言葉。
まるで、自身がいつも見ていたヒーロー番組の主人公のような言葉。
そして、そう言いながら笑顔を浮かべ、私の頭を撫でてから『仕事』に向かう姿。
それらが私が父に抱く基本的なイメージだった。
そんな父は正直家庭に……娘の私にとって良い父親ではなかった。
家庭よりも『他のもの』に眼を向けていたように思える……いい意味でも、悪い意味でも。
そう。
家庭的なイメージは父にはあまり無かった。
決して家族を蔑ろにしていたわけじゃない。
授業参観や三者面談などの各種行事……必要な時はしっかり時間を作ってくれていた。
不安定だったが、たまにある休日の時には、家族の時間を作る努力をしていた。
その時間の中で、私にいろんな事を……自分で自分の身を護る技術や方法、
私の中に流れている父と同じ異能の血や、その使い方について、真面目な顔で教えてくれた。
ただ。
そんな交流の数は、一般的な親子から見ればかなり少なかっただろう。
週に一度ぐらいしか姿を見せないのはざら。
ひどい時は数ヶ月に渡って連絡無しだった事もあった。
だから、子供の私には分からなかった。
笑顔が好きなら、何故自分達を笑顔にしてくれないんだろう。
何故他の人を優先して、私達を後回しにするんだろう。
正義の味方になりたいのなら、何故私たちを一番に護ってくれないのだろう。
そう思っていた。
だが、少しずつ大人になっていくにつれて、そんな思考は小さくなっていった。
大人になって周囲が見えてくると、それが父の姿勢であり事情なのだとぼんやりと理解できるようになっていった。
……それに文句をつけるのは只の子供の我侭なのだと。
だからと言って、父への微かなわだかまりが消えたわけではなく、私は少しだけ冷めた対応と言葉で父とやりとりしていた。
「親父様? まーた特撮ビデオ見てるの?」
「いや。今日は今から最終回でね」
「ビデオ撮ってるんでしょ?
折角作った休みくらい他の事をすればいいのに、もったいない事で」
「これが終わったら買い物の手伝いをするよ? あと……」
「そうじゃないでしょうが」
「……うーん。だって好きな番組だったんだよ。
だから、最後くらい、というか大事な所くらいリアルタイムで見たいじゃない。
それを時間の無駄とは思わないけどな」
「ったく……はいはい、好きになさってくださいな。親父様の休日なんだし」
「ははは、手厳しいなぁ。あ、良ければビデオ見ていいからね」
「……はいはい。見たい時に適当に見るから。
あといい大人なんだから、皆が皆自分と同じものが好きだと思わないように」
「……お前は好きだろ?」
「知らないわよ。っていうか、決め付けるなっての」
たまに家に居る時もそんな感じのやりとりをしていた。
……いつかは、もう少しまともに話せるようになるだろうか、と思いながらも、そうしていた。
そんな事を考えている矢先だった。
唐突に……父は亡くなった。
死因は、当時の私には分からなかった……というか伏せられていた。
伏せられていた理由は今でも分からないが、少なくとも理由の一つに私に対する配慮があったのは間違いない。
死因についてはさておき、私は最初そのあっけなさに言葉を失った。
悲しいとかの感情は無く、ただ『嘘だ』と思った。いや思いたかったのだろう。
様々な事情から遺体が無かった事も、その思い込みを助長させた。
結局私は、父の姉や友人から事情を何度も何度も聞かされた事で、ようやく認識した。
紛れも無い父の死を、感情ではなく思考で認識した。
母はと言うと、最初から事実を受け入れていた。
深く深く悲しんでいたが、事実を受け入れていた。
そうして「そういう生き方の人だった」と呟き、静かに穏やかに葬式の準備を整え、行った。
葬式には……それなりの人数が集まった。
多分、普通の葬式だった。
ただ、そこから後が普通ではなかった。
葬儀を行って暫くの間。
家に訪れる人が絶えなかった。
噂や何かしらで父の死を知った人達が毎日のように家を訪れたのだ。
ある人は語った。
父の力のお陰で、命を救われたのだと。
ある人は語った。
父の心遣いで、誇りを護ってもらえたと。
ある人は語った。
父の仲介により、最愛の人と分かり合う事が出来たと。
ある人は語った。
父がいたからこそ、自分は『正しい大人』になる事が出来たと。
それらを聞いた時。
私は、初めて父がやってきた事を、追い求めてきたものを、本当の意味で知った。
その凄さを、大切さを、込められた優しさを知った。
過酷な世界を生きる誰かの為に必要だった事を知った。
そして……だからこそ、かつて持っていた疑問が再び膨らんでいった。
訪れる人が途絶え始めたある日。
私は母さんに向かって、その疑問を呟いた。
「なんで、なのかな」
「どうかしたの?」
「こんなにたくさんの人に悼んでもらってる『立派な』親父様が……
どうして私達の事を一番大切にしてくれなかったのかな」
「……」
もしかしたらそれは、醜い嫉妬なのかもしれない。
でも、ソレは確かに疑問だったのだ。
他人を家族よりも大切にする理由が、父にはあったのだろうか……?
「親父様なりに大切に思ってくれてたのは、頭では分かってる。でも……」
「違うわよ」
「……え?
「あなたも知ってるように、父さんは『誰か』に凄く優しかったわ」
私の言葉を遮って、母さんは口を開いた。
「眼を凝らして、”遠く”を見て、苦しんでいる人がいれば駆け寄って助けていった。
広く、遠く、多くの人を助ける……それが父さんの望んだ生き方だった。
だから、あの人は近くの事に、私達に目が廻らなかったの」
「灯台下暗し……ってこと?」
「少し、違うかな。
言い方が少し悪かったけど、決して見なかったわけじゃないの。
いいえ、むしろ近くも見ようといつだって努力してた。
でも不器用だったから、それがままならなくていつも苦しんでた。
……父さんがよく言ってた言葉、覚えてる?」
「『人が笑ってるのが好き。だから、人の為に何かがしたい』ってやつ?」
「そうそう。
その『人』には『全ての人』が込められてて、私達もちゃんとその中に入ってたのよ。
あれで結構欲張りだったのよ、あの人は。
私と結婚する前にね、
『家族と他人が苦しんでいる時、どちらかしか助けられない時、貴方はどうする?』って聞いたらね。
あの人『両方』って答えたのよ。
片方だけだからって言って、何度聞いても『両方助ける』って。
結果的に両方助けられなかったとしても、次に両方とも助けられるように頑張り続けるだけだ、って」
そうして父を語る母さんは楽しそうだった。
本当に愉快そうに笑っていた。
ゆえに、分かった。
母さんにとって父は、紛れも無く最愛の人だったのだ、と。
「……」
「そんな父さんだけど……なんだかんだ言いながらも『全ての人』の一番上に私達を置いてくれてたのよ。
誰かと家族、両方護りはするって言ってたけど……一番に考えてくれてたのは私達の事だった。
あの人、そういう『特別扱い』は好きじゃなかったのにね」
「……そんな証拠、あるの?」
「あるよ。
貴女の言葉を借りるなら、あの人が日頃私達を大切にしてくれなかった事。
それが全てを雄弁に語ってる」
「……? どういうこと?」
笑みを微かに引き締めて、母さんは言葉を続けた。
「あの人はね。
本当に大事な時に、本当に必要な時に私達の側にいられるように努力してた……
だからこそ大事がない、必要でもない、普通の時には『いられかった』し、いなかった。
私達が居て欲しいと思う時にこそ、側に居る為に、自分に出来る最大限の努力をしてた。
それが……誰彼かまわず優しい『正義の味方』の歪みであり、
そんな『正義の味方』なりの家族の愛し方だったのよ」
「っ……」
その時。
私の頭に、父と交わした会話が浮かび上がった。
『親父様? まーた特撮ビデオ見てるの?』
『いやビデオじゃないよ。今日は今から最終回でね』
『ふーん? でも、ビデオ撮ってるんでしょ?
折角作った休みくらい他の事をすればいいのに、もったいない事で』
『これが終わったら買い物の手伝いをするよ? あと……』
『そうじゃなくて』
『……うーん。だって好きな番組だったんだよ。
だから、最後くらい、というか大事な所くらいリアルタイムで見たいじゃない。
それを時間の無駄とは思わないけどな』
ああ……そうだ。
『そういう人』だったのだ、父は。
勿論『大切・大事』という事柄に関するベクトルやレベルは全然違う。
でも……いずれも父にとって『大切・大事』なものである事に違いはない。
人によっては違うだろうが、父は『大切・大事』なものに、そういう向き合い方をする人だった。
そして……そんなやり方で、私達を精一杯愛し、愛そうとしてくれていたのだ。
そのカタチが私達に……『今の私』に伝わらないのが分かっていて。
不器用なのにやり方をどうにか出来ないかと努力してきたのだろう。
好きな番組を毎週毎週欠かさず録画するように。
絶えず絶えず欠かさず欠かさず、ずっとずっとずっと。
それが、父さんだったのだ。
そんな事に、私はようやく気がついた。
でも……気がついても、素直に納得は出来なかった。
だから私は、みっともなくも呟いていた。
「そんなの……間違ってる。
一番大事なら、一番近くに居て、ずっと其処で護ってればいいじゃない……」
そんな私に、母さんは優しい笑顔を向けた。
「そうしたらあの人は、あの人じゃなくなるわ。
私が好きになり、貴方を生む理由になったあの人らしさを失ってしまう。
だから、あの人はああいう生き方で良かったのよ。
それに……あの人にもそういう普通さがあってもいいじゃない」
「普通……?」
それは、もっともあの人から懸け離れた言葉ではないのだろうか。
そう思っていると、母さんは言った。
「家族が大好きで本当は家族の側にずっといたいのに、『仕事』が忙しくて。
たまに家に帰ればそのしわ寄せで冷たくされて。
何が悪いんだろうと考えて悩んで。
それでも家族の為に、自分の為に働いて……それって、普通の『父親』じゃないかしら」
「……!」
「あの人もね、心の何処かで少しは望んでたのよ、それを。
貴女が普通の父親をあの人に望んでいたようにね。
ただ、自分の普通を削る事で護れるものを優先しただけでね」
「……父さん、不器用な人だったんだね」
「ええ。凄く真面目過ぎて、硬くて、不器用だった。
本当は平和で穏やかで普通が好きなのに、
それを護る為に『正義の味方という異常』になる道しか選べなかった、馬鹿な人。
そして、そんなあの人だから私は好きになったのよ」
「……なんだ……そうならそうと言ってくれればよかったのに……」
違う。
訊かなかったのは、私。
ちゃんと向き合って話し合ったのなら、素直に話す事は出来た筈だったのに。
自分の我侭を理由に、私は話す事から逃げていた。
そして今。
もう、決して覆らない現実を前に、私はようやく気付いた。
「多分私………そんな父さんも、父さんの言葉も嫌いじゃなかったのに……っ」
そう。嫌いじゃなかったんだ。
他人の為に一生懸命になれる父さんも、そんな気持ちをストレートに込めた『あの言葉』も。
父さんが好きだった特撮番組も。
父さんが私の為に教えてくれたたくさんの事も。
その為に作ってくれた、僅かな時間も。
頭を撫でてくれた、大きな手も。
優しい優しいあの笑顔も。
嫌いでは、無かったんだ。
大好き、だったんだ。
そんな……そんな事にも、私はようやく気がついた。
父さんがいなくなった事で。
「く……っ……う……」
だから、私は泣いた。
悲しみだけじゃなく。
もう本当の気持ちであれ何であれ、父さんに伝える事が出来ない事実に涙した。
それが、人が死ぬという事なのだと、思い知らされて。
「うう……うわあああ……っ……く、うううう……」
悔しさ、悲しみ、虚しさ……いろんなものが交じり合った涙を、ただ無様に流した。
そんな痛みも時間が経てば、それなりに癒える。
それは私も例外ではなかったようで、私は悲しみにばかり暮れる事が無い日々を暮らしていった。
ただ。
学んだ事を、忘れたりはしない。
悔やんで流した涙を、忘れはしない。
父さんへの想いを……忘れはしない。
だから、今私は学んでいる。進んでいる。
かつて父さんが歩んだ道……誰かの力に、『正義の味方』になる道をあえて選んだのだ。
父さんと同じように、自分の持つ『力』で、自分だけが出来る何かをする為に。
父さんが家族への想いを押し殺してもなお進んだ道の価値を、自分の眼で見る為に。
そして、なにより……私がなってみたいと思ったから。
父さんは、確かに死んだ。
自分の意志ではない意志で、死んだ。
だから、進んでいた道はもしかしたら中途だったのかもしれない。
でも、父さんは私に遺してくれた。
父さんが父さんらしく生き抜いた事で、私という存在を私に与えてくれた。
父さんが進んだ道は、過酷だが、それに見合うあたたかさがある事を教えてくれた。
だから、私は私らしく生きる事で、父さんの進んだ道を歩き抜く。
父さんが進んだ、誰かの為の道を閉ざさない為に。
『近く』と『遠く』に父さんが悩み苦しんだのなら、私はソレを克服しよう。
私が感じた事を、いつか生まれるだろう私の子供に感じさせないようにしよう。
その上で、父さんのやっていた以上の何かを成そう。
私は……そんな自分に必ずなってみせる。
私が死に至るその時までに。
私らしい私であり続けながら。
そうして生死は輪廻の如く巡る。
果たすべき役割と、あるべき道を存続させるように。
くるり、くるりと巡り続ける……。
……END