第7話 星を見据えて、歩き出す・3












「……改めてなんだけど、ごめん」

 そんな、初仕事決定に纏わるちょっとしたてんやわんやから約一週間後の日曜日。
 紫雲は初仕事となるヒーローショーの舞台となる、デパートに向かう橙の運転する車に乗っていた。

「何の事ですか?」

 そんな中での橙の発言に紫雲は小さく首を傾げた。
 ちなみに既に『群雲紫』としての姿へと簡単なメイクその他を終わらせている状態である。

「今回の仕事の事だよ。
 できれば、もっとアイドルらしくあって、かつ今後への良いリターンのある仕事をさせてあげたかった」
「ああ、その事だったら気にしないでください」
「いや、でもだなぁ」
「むしろ、私は嬉しかったんですから」

 その『嬉しい』は、初仕事がヒーローショーだから、というニュアンスではなさそうだった。
 なんとはなしに、赤信号のタイミングだったので視線を送る。
 そこには橙ではなく……運転中だから気を散らさないようになのだろう……進行方向を真っ直ぐに見据えている紫雲がいた。

「岡島さんは、私ならこの仕事を断わらず引き受けて、遂行してくれると思ってくれたんですよね? 
 事務所の力になれるような、この仕事を」
「……草薙」

 そう、そうだったのだ。
 幾つかの思惑を含んでいたとは言え、最終的にこの仕事を選んだ事に妥協があったのは事実だった。
 だからこそ、一週間前のあの状況では言えるはずもないし、言う資格も権利もないから口にしなかった。
 だが、そういった、この仕事を請けるに至った真情を、彼女は言わずとも理解してくれていたのだ。

「つまり、私を信じてくれたって事じゃないですか。
 だったら、私はそれに応えたいですし、応えます。
 例えそれがヒーローショーじゃなかったとしても。
 それが、私がなりたいと思っている、正義の味方ですから。
 いえ、初仕事がヒーローショーだったのが凄まじく嬉しかったのは事実ですけどね、ええ」

 誰かの期待に、信頼に応える……それは、正しい人間の在り方だ。
 彼女の場合、それは少し危うさのある真っ直ぐさ、なのかもしれない。
 だが、それこそが彼女が彼女たる部分であり、
 アイドルになる事を了承してくれた理由でもあり、
 橙が彼女を見出した、見出す事が出来た要因でもある。

 であるならば、自分は彼女のそんな面にしっかり付き合い、向き合っていかねばならないだろう。
 それこそ、彼女をこの道に誘った自分の責任なのだから。

「……そう言ってくれると、助かるよ」

 そんな想いを、簡単な言葉の裏に挟んで伝える。
 明確に口にするにはまだ少し早い気がしたからでもあり、
 こんな所で口にするには心情的にも状況的にも難しい言葉だったからだ。

「そうですか」

 草薙紫雲という人間は、普通の人よりは表情の種類や感情の振り幅が少ない。
 感情が皆無とか薄いとか少ないではなく、
 表情や感情は確かに動かすが、大きく変化させるような事そのものが少ないのだ。
 基本的に凛々しく、泰然とし、誰かが絡まない限り物静か。
 そんな彼女が、自分の簡単な言葉に、ごく小さな笑顔で応えてくれた。
 橙には、それで十分だと思えた。
 










『はーい、良い子の皆、元気ですかー!』

 正午を少し回った頃、
 晴れ晴れとしたデパートの屋上、そこに作られた特設ステージには、笑顔で少年少女に呼びかける草薙紫雲こと群雲紫の姿があった。
 日曜日なのでそこそこ見物人が多いが、緊張している様子はない。
 至極順調にシナリオをこなし、台詞を噛んだりもしていない。
 橙が仕事に絡めて与えた、自然に自身をアピールする動きという課題も、稚拙ながらこなしつつ、である。

「アイドル、だったよな、彼女」
「その卵、もしくは端くれ、という所ですね。今回が初仕事ですし」
「だってのに中々段取り、というか間の取り方が上手いじゃないか」
「本人が足しげくヒーローショーに通ってたらしいんで」

 そんなステージの裏、様々な機材が置かれ、スタッフ達が各々の準備を進めている、舞台袖ともいうべき場所。 
 今回のヒーローショー、そのアクター達の纏め役をやっている、元スーツアクターだという男性の呟きに、橙は苦笑していた。
 実際紫は、初めての仕事だというのに、そのおねえさんぶりが板についたものだった。

 ヒーローショーの勘どころやお約束を理解しているからこそ、
 そして紫雲自身が楽しんでいるからこそ、初めてゆえの緊張が吹っ飛んでいるのだろう。
 ……あと、本番前にヒーローや怪人、戦闘員のスーツを間近で見られた事で静かにはしゃいで(目をキラキラ輝かせていたり、いつもより言葉数が多かったり)、結果いい具合にクールダウン、ちょうどいいテンションになったからかもしれない。

 当初こそ少し小さめの(全体的な意味でもスカートの丈的な意味でも)「おねえさん」の衣装に少し恥ずかしがっていたが、それももうない。
 事務所ホームページで初仕事の告知を……現段階では大きな効果はない事は重々承知で……していたためか、
 あるいはヒーローショー目当てなのか『おおきなおともだち』が何人かいたりするが、
 その視線も含めて、数十人規模、四捨五入すれば三桁に届きそうな視線もさして気になっていないようだ。
 彼女自身もおおきなおともだち側だからなのかもしれない。

 なんにせよ、初めてたくさんの視線を浴びながらも、自身の仕事に注力できている。

「いい初仕事になりそうです」

 そんな紫の仕事ぶりが嬉しかった事もあり、口から素直に思った事が零れ出る橙であった。

「あの子にとってそうなるんならよかった。
 どんな仕事にせよトラブルや失敗はない方がいい。
 そういうのを越えるのは成長の糧になるが、それがないままに上手くいくんなら、それが一番いいからな」
「まったくです」
「まぁ全部が全部うまくいく、なんてことはありえないか」
「それもまったくです」

 そうして二人して笑みを交し合う……直後、男性の表情が僅かに曇った。

「……しかし、アイツ遅いな」
「まだ到着されてないんですか?」
「ああ……」

 そこへ、このヒーロー番組の兵士……所謂戦闘員なのだろうがどこかおどろどどろしている衣装……の男性が駆け込んできた。

「た、大変です!」
「どうした?」
「マサトさん、渋滞に巻きこれて身動き取れないらしいです!」

 なんでも、ショー後半登場の、
 この作品に複数出てくるヒーローの一人……
 いわゆるライバルキャラでもある……の役をやるアクターが数日前からの遠出の仕事から自身の車で直接こちらにくる予定になっていたのだが、高速で渋滞に巻き込まれて遅刻しているらしい。

「なんだって!? あのやろ、そんなに遠くないから余裕だよとか言っときながらこれかよ……!」
「いや、前は大丈夫だったじゃないですか。
 今日は多分、近くの町のイベントに巻き込まれてるんじゃないですかね」

 そう言えば、近くで毎週様々なイベントを行い、
 それを三ヶ月ほど続けるという町おこしを行っている町があるとネットニュースに掲載されていた……
 のを、彼らの会話で橙は思い出した。
 少しずつ盛り上がりを増しているらしく、件のアクターもその影響による混雑や渋滞を予期できなかったのだろう。

「それを考慮して早め早めの行動をするのがプロだろうが……
 いや、俺達も間に合うだろうと見切り発車しちまったからな、どうこうは言えないか」
「少し開始時間を遅らせちまった分なのか、余計に人集まっちゃいましたからね……いや悪いのはこっちなんですが」

 スタッフ同士の会話に橙は内心で、さもありなん、と呟いていた。
 以前は間に合ったという要素も含めて、思った以上に人が集まったため中止とは言い辛かったのだろう。

 そもそもこの業界というかこの辺り一帯での人材が不足しており、
 アクターが幾つもの仕事を掛け持ち、
 というより会社・企業同士が互いに助け合っている状況が珍しくないという。

 そんな事情もあり、前日まで何回か行われた打ち合わせにもそのアクターは参加できず、
 その辺りの話を聞いた時は、どこも世知辛いんだなぁ、と紫雲と二人してシミジミした橙であったが、
 今ここに至ってはシミジミとはしていられない状況だ。

「このショーに間に合いそうにないんですか?」

 紫の初仕事を中止にはさせたくない事や、仕事をやり遂げねばという責任感もあり、橙は彼らに問い掛ける。
 すると戦闘員の男性が腕組みしつつ神妙な表情、は、戦闘員のマスクもあって見えないがそうと思しき声音で答えた。

「同乗してる仲間によると、
 一応もう少しで高速から降りられるらしいんで、あと30分くらいでここにはつくらしいですけど。
 ……ただ、下手したらもっとかかるかもしれないです。
 あの人、ここには来た事ないらしいですから」
「さっき前は大丈夫だったって言ってなかった?」
「ああ、その、前っていうのは距離的には同じくらいの別のショッピングモールでのイベントの話なんで」
「お疲れ様です……って、どうかしたんですか?」
「げっ、もう前半終了かよ!?」

 そうして事態収拾の話し合いをしている内に、
 今回のショーの半分を終えた紫雲や主役のヒーローを含めたアクター達がステージから降りてきた。

「どうかしたんですか?」
「そう言えば、マサトまだ来てないみたいですね」
「あー、実は」
「ちょっと大変な事になっててな」

 紫に問われた橙、代表して主役のアクターから問われた纏め役の男性が、
 顔を見合わせた後簡単に事情を説明していく。

「……それはちょっとヤバイですね。
 アクシデントって事で30分くらい待ってもらいますか?」

 状況を聞き終え、主役のアクターが渋い声で呟いた。
 本来は多少スーツを脱いで息抜きが出来る、する為の時間なのだが、
 先の状況が見定まらないままではおちおちゆっくりとはできなかった。

 この小休止の時間は10分。
 前向きに考えても件のライバル役アクターの到着まで20分のずれがある。
 それを考えれば、ショーを中止にしない前提で考えれば、
 ある程度待ってもらうのはショーを運営する側として最善の方法ではあるのだろう。
 橙もそれはそうだろうなぁ、と小さくうんうんと頷いていた。
 だが。

「そうだな、そうするしかないかもしれん。しかしなぁ……」
「あの、横からしゃしゃり出るようで申し訳ありません。
 それは、出来ればしてほしくありません。
 待ってもらうににしても10分ぐらいであるべきかと」

 纏め役の男性が何事かを言いよどむ中、群雲紫がそれに異を唱えた。
 この中では橙と揃っての部外者、更に言えば一番若い人間……この状況に口出しできるような立場ではない少女が、だ。
 それは彼女自身よく分かっていたのだろう。
 だからこその謝罪からの言葉であった。
 だが、この状況でそれを即座に正確に察せられる人間は少なく、
 ここに集まった十人ほどのスタッフ、アクターの訝しげな視線が紫に向けられる。

「ああ、その、俺もそう思います」

 そんな視線を少しでも遮ろうと、橙はまぁまぁと宥めるように両手を軽く上げながら紫の前に出る。

「どうしてかというと……」

 そうしつつ、紫の、紫雲の方へと視線を送る。
 彼女は、会釈なのか頷きなのか橙に小さく頭を傾けてから改めて口を開いた。

「子供達の中には親御さんの買い物の時間だけ見に来ている、見に来る事が出来る子だっていると思います。
 こういったショーが近場で行われる機会は、そんなにありません。
 その子達にとってのそんなわずかな機会を、瞬間を大事にしてあげたい……私はそう思ったんです」

 彼女の言葉に、この場にいる人間の何人かが小さく息を呑んだ。

 確かに、そうなのだろう。
 最初からこのショーを楽しみに来ている人間もいれば、
 今日ここでショーの存在を知って観覧している人間もいる。
 その中には、紫雲が述べたような、時間的な余裕がない子供達もいる。

 休憩が長引いてしまえば、
 それを理由に「また今度」という言葉と共に帰らせられてしまう子供達も出てしまうかもしれない。
「また今度」が本当にあるのかも分からないというのに。

 その事は幾度となくショーを行ってきた彼らもよくわかっていた。
 ショーの隅で泣きながら連れ帰られる子供を、時間を確認して悲しそうな顔で去っていく子供を彼らは何度も見てきていたからだ。

「それに、そうでなくてもショーの展開が楽しみで、
 待ちきれなくてしょうがない子供、人達がたくさんいるはずです。
 ……えと、正直に言いますと、その、実は私もそういう人間でして、
 できれば待たせてあげてほしくないと言いますか、あの、えと、その」
「そ、そうなんだ」
「いや、そりゃあ、俺らも分かるけどさ……」
「つまり、その……
 出来れば、お客様をあまりお待たせしない、ショーの再開を、お願いします――!」

 大半は凛々しく、途中は少し赤面しつつしどろもどろ、最終的に深々と一礼した紫の様子にほだされたのか、
 当初は険しかった彼らの表情は多少なりとも解れていた。

 そんな彼らの代表として、纏め役の男性が言った。

「俺らだってこんな仕事してんだし、君の気持ちは分かるが……実際どうするんだ? 
 何も考えずにそんな事を言ってるわけじゃないんだろ?」

 ライバルのスーツ自体はここにあるので代役を立てる方法もないでもない。
 だがキャラクターへの理解度が低いと「なんだこれ」と言わんばかりの別キャラになってしまう危険性もある。
 子供やおおきなおともだちの中にはそういうところに鋭い者もいるので、迂闊な事は出来ない。
 今の世の中、そういったところから炎上して営業そのものに問題が出る事もある。
 それに彼らの職業意識が理由のない中途半端を許せなかった。

 そんな思いや考えを込めた男性の問い掛けに、紫は小さく頷いてから答えた。

「はい……私に、いい考えがあります。後半登場の敵役の一人にアーマードエゴイストがいましたよね?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
「彼は防御が固い反面、動きは鈍重……であるならば、こういう案はいかがでしょうか」










『ああ、あれはなんでしょうっ!?』

 10分遅れて再開したショーの中、おねえさんこと紫の声が響く。
 彼女が指差したのは、この日の為の特設会場の後方、
 客が座る為に設置されたパイプ椅子の列の最後尾、
 それよりも少し向こうに現れた重厚な銀色の、突起物の多い鎧を模した身体を持つ、
 所謂怪人であるアーマードエゴイスト、その着ぐるみである。
 さらに彼の周囲には、配下となる所謂戦闘員達が数人並んでいた。
 彼らのスーツはヒーローショー専用に作られたものだが、造られたばかりであるという事を差し引いても出来栄えは悪くない、むしろ素晴らしい。
 全国で放映中の本編で使っても遜色なさそうなレベルである。
 きっと作った人たちの拘りなのだろう、と紫雲は考えていた。

『ふっふっふ、よくぞ気付いたな』

 さておき、そのアーマードエゴイストは逆にステージの紫を指差し返して口を開く。
 正確には、現在進行形で裏側からマイクで声を当てているスタッフが喋っているのだが。
 本来は最初から録音されているテープを使うのだが、時間稼ぎのアドリブのために今はそれを使えないでいるのだ。

『中々いい素材になりそうだな。
 お前を捕まえて、エゴイストの一人にしてくれる。そこで待っていろ』

 本当の筋書きとしては、このやりとりが行われるのは全部ステージで、
 ここでおねえさんを助けるようにライバルキャラが登場。
 だが、一戦交えながらも相性の悪さで歯が立たず、おねえさんは怪人に捕まってしまう、のだが。

『ううっ、デッドコード、助けてぇっ!』
『無駄だ、アイツらは今ごろ別の怪人と戦っている。諦めてお前もエゴイストになるといい!』

 そう宣言した後、怪人が走り出す……が、少し走っただけで彼は息切れした様子を見せた。

『ハァハァ』
『あの……? なにをしてるんですか?』
『見てのとおり走ってるんだが』
『なにやってんですかっ! そんなに遅いと逃げられます! ほら、お前ら抱えていくぞ』
『ええ〜この人重いからなぁ』
『仕方がない。いくぞー! よいしょっ!』
『ちょ、まっ、バランスがっ!?』
『というか思ったより重いっ?!』
『うおおっ!? 痛いっ!? なにしてんのお前らっ!!』

 動きが鈍い怪人を見かねて、戦闘員達が持ち上げようとするもままならない。
 その悪戦苦闘ぶりに、皆が思わず笑い声を上げる。

『えっと、その、今の内に逃げた方がいいのかな』

 紫の言葉に、逃げちゃえ逃げちゃえと子供達の声が飛び交う。

『うん、そうだね、皆ありがとっ!』
『お、おのれっ! もういい! 俺の本気を見せてやるっ!』

 そうして逃げるように紫はステージの奥に消え、
 それを追いかけて今度は普通に走り出した怪人達も客席の横を駆け抜けてステージに上がり、
 彼女が消えた方へと去っていく。

『ふぅ……ここまできたら、もう大丈夫かな』

 それを見計らったように、逆側のステージ袖から紫が現れる。だが。

『ふっふっふ、逃げられるわけがないだろう』
『うう、でも、簡単に掴まったらデッドコードに迷惑を掛けちゃう! ここは頑張って逃げないと!』
『ふん、普通の人間にそんな事が出来る訳がないっ!』

 叫びながらトゲだらけの手を伸ばす怪人……だが、それは空を切る。

『くっ、このっ!』
『はぁっ!』

 続けて身体を詰め、再度手を、左手、右手、両手と伸ばしていく怪人。
 そこに戦闘員達も乱入し、ステージ狭しと追い掛け回していく。
 それを、紫はギリギリで見極めて、時に身を引き、そして。

「おおっ!?」
「おねえちゃん、すごーいっ!」
「わあぁっ!」
「やるじゃねぇか、紫ちゃん」
「ヒューヒュー! イカす〜!」
「……それ古くないか?」

 バク転、側転、さらには後退ジャンプ一回転、と様々な、派手な回避劇を繰り出して観客を沸かせていく……。










 少し前、紫雲の挙げた案はこうである。
 まず予定から10分繰り上げた休憩の後、怪人達と自分でアドリブの寸劇一幕を演じる。
 アーマードエゴイストの通常の動きは鈍重である、という設定を活かした時間稼ぎである。
 観客も近くで彼らを見る事が出来るという機会を設け、
 それにより時間を忘れさせる、という目論みもそこには含んでいる。

 紫雲案の元々の案は怪人の息切れだけに留まっていたが、
 そこにアクター達のアイデアで戦闘員達との絡み、すなわち持ち上げようとして転んだりが追加されている。

 だが、これだけでは時間を稼ぎきれないだろう。

 そこで、次に寸劇の第二弾。
 ここで司会役の紫雲が捕まる展開に、
 彼女が自身の身体能力をフルに活かして逃げ回る、というものを追加。
 さらに時間を稼ぐ、という算段である。

 そうして多少時間を稼いだその後、予定通りに捕まってから、それでも到着が間に合わなければ、
 司会役を改造する展開にも一幕入れる予定である。

 お客様を交えての番組のクイズ大会を行い、それが正解できたら助けてやる、
 という展開にして、アクターが到着するまで可能な限り引き伸ばす予定なのだ。

 そして、それでも限界が来て、アクターが到着していないという最悪の状況に陥ったら……
 紫雲自身がライバルヒーローの役を演じる、そういう予定になっていた。

 一応、ライバルが登場する時点でおねえさんは怪人化されている(最終的には無事助けられる)という流れになっており、  別の人が怪人化したおねえさんを演じるのでキャスト不足にはならない。
 また、打ち合わせで脚本は確認済みなので、段取りの理解度も問題はない。
 だが、技術的に可能かどうかはまた別の問題である。

「……君がそれを出来るってのか?」

 当然アクターの一人が怪訝な声を上げるのに対し、紫は大きく頷いた。

「身体を動かす事だけには自信があります。
 そして、デッドコードは毎週録画したものをテレビ画面に穴が開く位見返してます」

 そう言うと、紫は懐から何かを取り出すような動作の後、
 それで大きく天に円を描いてから両手をクロス、直後その両手を正面に突き出し、
 左右逆回転させた上で、懐から取り出した何かを腰へと装填するような、そんな一連のアクションを見せた。

 その、古典舞踊のような、武道の型のような流れるような動きに皆が目を奪われた。そして、気付く。

「それは、デッドコード・ザインの変身ポーズっ!」

 主役のアクターが思わず上げる。
 そう、それは今日遅れているアクターが演じる予定となっているライバルヒーローの動きであった。
 紫が再現したその動きに、纏め役の男性は感嘆の言葉を漏らした。

「完璧だな……しかもキレが半端ない」
「いえ、再現という意味ではまだまだです。……いかがでしょうか?」
「いかかでしょうか、じゃない。
 お前こんな小さなショーだからってスーツアクターを舐めるなよ」

 声を上げたのは、アーマードパーゼスト役のアクターだった。
 彼は後半登場に向けて下半身のスーツを着込んだ状態のまま、渋面での言葉を続けた。

「お前の動きの良さは認める。作品への理解も高いんだろう。
 だがスーツはお前が思ってる以上にお前の動きを阻害するし、重さもそうだ。
 素人がそう簡単に演じられるわけないだろ」

 彼の言葉は、その場の半数が抱いていた思いの代表だった。
 ゆえにというべきか、彼らの少し険しい視線が再び紫へと向けられる。
 先程から紫の側で彼女を守るように立っていた橙は、
 大きめの動作で自身の佇まいを直し、視線を誘導する事で多少でも彼女への視線を軽減させようとする。
 そんな中、彼のスーツの袖が小さく引っ張られる。
 引っ張ったのは他でもない紫で、彼女は思わず振り向いた橙に小さく頷いてみせてから少し前に歩み出た。

「勿論、演じられる、なんて思っていません」
「なに?」
「舐める、なんてとんでもないです。
 私はずっとこういうショーを見てきています。
 子供の頃からずっと、その凄さを見せ続けてもらっていました。
 そこにあるもの全てでヒーローの世界を形作る、ヒーローショーに携わっている方々を、私は心から尊敬しています。
 そしてそれは今も変わりありません。
 だからこそ、凄い方々が作り上げる素敵なショーを壊さないように、私は私の出来る全力を尽くしたいんです。
 私が楽しませてもらってきたように、今見ていただいてる人にも楽しんでほしいんです」
「……」
「それに、今挙げたのは、あくまで最悪の事態の想定です。
 そうならないとは思っていますが、それはそれとして考えておいた方がいい、
 そう思っただけの必要のない案だと私は思っています」
「どうしてそう思うんだ?」
「きっと、間に合ってくれます。だってその方もプロで、ヒーローなんですから」

 纏め役の男性の問い掛けに、紫は凛とした声音とニッカリとした笑顔で答えた。
 こんな状況下での、迷いの感じられない彼女の言葉に、この場の誰もが一瞬呑まれていた。

「……いや、プロだったらそもそも遅刻しないと思うが」
「そうですね」
「まったくだ」
『ははは』
「うぅっ、それもそうなんですが」

 もっともそれは一瞬だけで、纏め役の突っ込みに主役敵役のアクターが続き、他の面々が笑い、紫はたじろいだ。

「……しかし、君の言葉もごもっともだ」
「え?」

 そうして場の空気が和らいだ後、纏め役の男性が改めて口を開いた。

「俺達はプロで、アイツもプロだ。
 アクターと、ヒーローショーのな。
 だったら、どんな状況であれ、可能な限りお客様を楽しませなきゃなるまいよ。
 なら、君の案に乗らない手はない。……それでいいよな、お前ら」

 彼の問い掛けに、アクター、スタッフ達がなんと答えたのか……それは語るまでもないだろう。










「はぁっ!」

 アーマードエゴイストの頭を跳び箱代わりにしたかのような動きで、紫は彼の頭上を越えていく。
 その際、触れたスーツには体重を殆ど乗せてはいなかった。
 あくまで観客への見た目のわかりやすさとバランスの為に触れたに過ぎない。

(……?)

 瞬間、かすかな違和感を覚える紫だったが、怪人にも自身にも特に変わりはなかったので演技を続行する。

『はぁ、はぁ』
『大分疲れてきたようだな。それじゃそろそろ……』

 そろそろ、この場での時間稼ぎは限界か、とステージ上の面々が考え出していた、その時だった。

『いけないなぁ。お前のような不細工が、可憐な女の子を追い回すなんて』

 予定外の、否、本来の予定どおりの台詞が流れ始める。

『な、なにっ!? 貴様は……!』
『ご存知のようだが、名乗らせてもらおう。俺は、ザイン! デッドコード・ザインッ!』

 そうして、当初の予定よりも遅れてだが、先程怪人が現れた場所にライバルヒーローが現れた。

『皆! 見て! ザインが来てくれたよー!』

 ここからは元々の脚本どおり、と筋書きを修正した紫は、
 その確認の為にスタッフが控えている袖へと瞬間的に視線を向けた。
 そこでは纏め役の男性と、橙が揃ってサムズアップする姿があった。










「迷惑を掛けて申し訳なかった。そしてありがとう」

 あの後は無事に予定どおりにショーが進行し、最終的には無事に終了。
 ヒーローのサイン会や握手会の後……ちなみに紫に握手やサインを求める者もいたりした……後片付け含めて一段落した面々は、控え室に集まっていた。
 その中には勿論遅刻したアクターの男性もおり、
 彼はまだ着替えていない紫の姿を認めると、即座に歩み寄り謝罪した。

「いえ、その、私の事は気になさらずに。
 それに、思わぬ渋滞でしたし、仕方ないと思います。
 それに、そんな中でも間に合うように急いでいただいていたわけですし。
 ……むしろ私の方こそ」

 部外者であるにもかかわらずズケズケと口出しした事を、紫雲は申し訳なく思っていた。
 口出ししていた瞬間もそうでなかったわけではない。
 アクター達だけでなく、橙の立場や責任も考慮に入れて、口出しすべきかどうか、実際にはかなり悩んでいた。

 だが、やはり言わずにはいられなかった。

 ヒーローショーに夢や楽しさを教えられてきた、いや、今も教えられているからこそ、
 同じように見て、感じているであろう人々を裏切りたくなかったのだ。  

 ……そして、それはきっと彼らも、ヒーローショーを職業にしている彼らだからこそ同じだと変わらないと思った。信じたかった。
 見切り発車でショーを始めた事も、集まった人達を裏切りたくなかったが故のものだったのだろう、とも。

 だが、それが自分の独りよがり、思い込みに過ぎないかもしれない事も重々承知していた。
 ヒーローショーに携わっている人々全てが、
 見ている人達に楽しさを提供する為だけにショーに参加しているわけではないであろう事を昔の彼女はともかく、今の彼女は理解している。

 だが、それでもやはり言わずにはいられなかったのだ。

 そんな思いで謝罪を口にしようとした紫だったが。

「謝る必要なんかないぞ、紫ちゃん」
「え?」

 それは纏め役の男性の言葉に遮られた。

「君の言葉や気持ちは、君が言い出さなかったとしても、最終的には他の誰かが、というか俺が言ってた事だ。
 それこそ君達に無理強いした上でね。
 なにせ、折角のヒーローショーなんだからな。
 出来るだけこっちの都合は出さず、来てくれた人達皆を良い思い出いっぱいにして帰してあげたい……君もそう思ったんだろ?」
「……はい」
「だったら、暗い顔しないでくれよ。
 良い思い出いっぱいにして帰してあげたいのは、君も同じなんだからな」

 彼の言葉に合わせて、周囲の人々も頷き、気にしすぎーと声を上げてくれた。
 それでも、申し訳なさは消えない。かなり薄らいだが完全には消えるはずもない。
 それは彼女の生来の生真面目さによるものだから。
 だが、そうして気にし過ぎていては、周囲を暗くしてしまう事は分かっていた。

「……はいっ」

 だからそういった諸々を胸の内に格納し、次に活かす事を誓った上で、紫は頷いた。
 彼らへの感謝を込めて、大きく。
   
「でも、まぁあれだ。それはそれというか、もっとソイツはしめていいぞ、紫ちゃん」
「まったくだ。……というか、だ」

 話に入ってきたアーマードエゴイスト役の男性は、何処か気まずげに頬を掻きつつ、紫に視線を向けた。

「……悪かったよ」
「え?」
「舐めてたのは、俺の方だった。すげえな、アイドル」
「いや、この場合に限って彼女が特殊例です。アイドルは関係ないかと」
「そうですよ」

 橙の突っ込みに紫は苦笑を零しつつ、同意する。

「それに、私はまだまだ修行不足です。
 今回ショーに参加させていただいて実感しました」

 寸劇での台詞や、スーツの破損を恐れて案の段階ではアクターや自分の絡みに遠慮気味だった事など、
 穴だらけだった自分のアイデアを短時間で埋めて形にしたアクター達の対応力に、紫はただただ感動するばかりだった。
 今回自分が対応できたのは、あくまで自分の得意分野だったからで、そうでなかったらこうは上手くいかなかっただろう。

「もしまた仕事をご一緒する事があったら、
 今度は皆さんの足を引っ張らないようにします、はい」
「それはこっちの台詞だよ。なぁマサト」
「うぅ、面目ない」

 主役とライバルの二人のやりとりに、皆が笑い合う。

「岡島さんも、ありがとうございました」
「え?」

 そんな中で、紫は橙に深々と頭を下げた。

「あの後、アクターさんを誘導しに急いでくれたんですよね」
「ああ、ごめんね。本当はあの場で君の事を見守ってるべきだったんだろうけど……」

 皆がステージ上での状況打開に動いていた中、
 橙は遅れていたアクターの連絡先や車種、高速の何処から降りるかなどの情報を纏め役の男性から入手、
 彼が迷い、これ以上遅れる事のないようここまでの案内を申し出たのだ。
 そうして急ぎ飛び出した橙と、遅れを取り戻そうと法定速度順守で急いでいたアクターは、
 申し合わせたように高速の出口でバッタリ合流、
 予定よりも遥かに早くデパートに到着する事が出来た。

「謝る事なんかないですよ。……橙さんは、すべきことを最優先してくれたんですから」

 彼の立場を考えれば、今回ここまで自分を好きにさせる……人によっては過剰なお節介を焼かせる必要はなかった。
 あの時、後半再開を遅らせる案に頷いていたのも、もっともな事だ。
 ショーが中止になったとしてもこちらの落ち度ではない以上速水芸能プロとしては問題はなかったはずだし、そもそも迎えに行くのは彼の仕事の範囲外だったはずだ。

 だが、彼は動いてくれた。
 おそらくは、このヒーローショーをちゃんとした形で成功させたいという、自分の我が侭に応える為に。

 そして、自分がアクター達の前で意見を述べている時も、彼はしっかり庇ってくれていた。
 この道のプロである彼らに、大人達に意見を述べる事に、紫雲は少なからず恐れを感じていた。
 いかに身体を鍛え上げ、腕っ節にはそれなりに自信があっても、全ての出来事に恐怖を感じないわけではない。
 誰かに関わり、嫌われる事が、拒絶される事が、好きなわけでは決してない。
 まして、それが自分が憧れを抱いた世界の一部、そこにいる人々ならなおのことだ。
 そんな自身の恐れを、橙が察していたのかどうかは分からない。
 だが、彼が自分の事を慮ってくれた事は間違いのない事だ。

 その事に心から感謝し、敬意を抱きこそすれ、怒る様な事など何もない。

「むしろ、迷惑を掛けてしまっていたのなら……」
「さっきと同じ事を言う必要はないよ、群雲。元より迷惑を掛けた、なんてことはないんだから。
 というか、今日の群雲はちゃんとアイドルをしてくれたしね。俺の考えているとおりのアイドルを」
「……そう、なんですか?」
「そうだよ。間違いない。だから問題なんか何処にも微塵も存在しないんだ」
「それなら、いいんですけど」
「うん、それでいいんだ」

 言いながら浮かべた橙の表情は、これ以上ないほど笑顔らしい笑顔だった。
 それを曇らせるのは申し訳ない、紫に強くそう思わせるほどに。
 そう思った事と、先程の纏め役の男性とのやり取りを思い出して、紫は納得する事にした。暗い表情を避けようと考えた。

 ただ、それはそれとして……彼に訊きたい事が一つ出来ていた。

「あの、橙さん」
「ん?」
「橙さんの考えてるアイドルって……」
「お待たせー! ジュース買って来たよ〜!」

 紫が浮かんだ疑問を口にしようとしたその時、
 スタッフの一人である大量のビニール袋を持った小柄な青年が控え室へとやって来た。

「お、きたきた。
 待たせて悪かったなお二人さん。
 せめてお詫びのジュースでも飲んで帰ってもらわないと俺らの面子が立たないんでな」
「ありがたく頂戴しますよ。群雲も、な」
「……私としては気にしていただかなくても、とも思いますが、わかりました。
 折角なのでいただきます」

 形にしかけた疑問を霧散させて紫は答えた。
 またいつか、機会が出来た時に尋ねる事にしよう、そう考えながら。 

「うん、好きなだけ飲んでよ。
 デザートも買ってきたから、そっちも食べて。
 ……とと、いやー結構かさばっちゃって重くて重くて」
「あ、手伝います」

 青年が一時的に袋を床に下ろしたのを見かねて、駆け寄った紫が荷物を持とうと前屈みになった時だった。
 ピッ……とそんな微かな音が響く。

「えっ?」

 同時に、紫は違和感を覚えていた。それは、数十分前のステージで感じたものと同じ。
 周囲の人々は、何故か赤い顔で慌てて視線を背けていく。
 何故なのか、それは……おねえさんとしての衣装、少しタイトなミニスカートが裂けてしまい、その中身が見えてしまったからに他ならない。

 そうなった理由としては、
 想定外の激しい動きで衣装に負担が掛かっていた事、
 怪人を跳び箱の要領で飛び越えた際にトゲの一部が紙一重程度触れてしまっていた事、
 若干衣装が古くなっていた事などの重ね合わせだったのだが……
 今、その事に思考を回す余裕は、誰にもなかった。

 群雲紫の薄紫色のショーツ、窮屈そうにそれに収まる事で存在をアピールする臀部、少し筋肉質な健康的にむちっとした太腿、
 それらが露になった事に反射的に意識が向いて、向いたそれをどうにか逸らす事に大半は必死だったからだ。

 そして、それを見られた紫に余裕があるかなど……彼女の真っ赤になっていく顔を見れば明らかな事だった。

「ご、ごめんなさいっ!? 見苦しいものをっ、あうっ?!」
「む、群雲っ!? す、すみません、皆さん向こうを見ていてもらえますかっ!?」
「わ、分かった。お前ら、ちゃんと別の方見ろよ?!」
『ウィースッ!!』

 それからどうなったのかというと。

 動転した結果、普段の凛々しさ、運動神経の高さは何処へやら無様に転んでしまった紫、
 ますます破けたスカートをどうにかしようとわたわたする橙の混乱が落ち着くまで数分を擁し。
 その後行われた簡易打ち上げ会の当初は、なんとも言えない空気で包まれる事となった。










「まぁ、良かったじゃないの」

 翌日の夕方。
 速水芸能プロダクションの事務所で、浅葱遙が呟いた。
 彼女の視線の向こうでは橙と揃って改めて事情を説明した紫雲がしょんぼりと椅子に座っていた。

「衣装が元々ボロかった事もあって、修理費は向こう持ち。
 マジマジ見るような不届きな奴はいなかったんでしょ?」
「はい、そうです……でも、こう、なんというか……ただただ恥ずかしいです」
「そりゃあそうでしょうよ。
 これに懲りたら見られても困らないものを履くなり対策するように」
「はい、見せても困らないものはあるのかよくわかりませんが、対策については今現在修行中です」
「ああ、それでミニスカ穿いてるんスね」
「ええ、そうです」
 
 映画のエキストラの仕事から戻ってきたばかりだという矢留紀草の言葉に、紫雲はぐぐっと拳を硬く握った。
 そんな彼女が履いているスカートはいつも事務所で穿いているものより10センチは丈が短いものだった。

「今回の失敗は服の強度もありますが、
 私がミニスカートを穿きなれていないから起こった事……
 二度と失敗を繰り化さない為にも、これは必要な事なんです……恥ずかしいですけど」
「恥ずかしさを軽減する為に黒ストも穿いてるんスね。
 うん、いいッス、素敵ッス。
 今回ばかりは失敗に感謝したいッス」
「アンタは目を輝かせて何を言ってるの……」
「まぁ、その、草薙。
 そのかわりというか、落ち込むようなことばかりじゃないよ。
 ほら、こっちにきてくれよ、皆」

 橙の言葉に従い、今現在事務所にいる紫雲、遙、紀草の三人が彼のデスク周りに集まる。
 それを確認すると、彼は自身が何かしら操作していたノートパソコンを三人に見せるべく、少し椅子を引いた。
 彼が引いた分、三人は身を乗り出してパソコンの画面を凝視した。

「え? これって……」
「あのヒーローショーについて語ってるんスか?」

 そこにあったのは、数日前のヒーローショーを見ていた誰かの『呟き』だった。
 録画されていたのだろう、怪人相手の紫雲の大立ち回り、その動画が『呟き』と共に貼り付けられ、
 そこからさらにその素人とは思えない動きについての感想……大半は賞賛の『呟き』で埋め尽くされていた。

「うわ、めっちゃ反応されてるじゃない……凄いわね」
「……おお、幾つかのサイトでも纏められてるみたいッスね。
 結構な人が、しうちゃんが誰かって気にしてるみたいッス」

 自身の手持ちの携帯で簡単に検索した紀草は、楽しげに、というより嬉しそうに笑みを零す。
 それは橙も同様で、彼は少し自慢げに胸を張って見せた。

「そりゃあそうさ。こんなに華麗に動けて綺麗な女の子、注目されて当然っ!」
「……まさか、アンタこれ、最初から狙ってたの?」
「ヒーローショーに出る綺麗な子、ってな感じで多少話題になってくれたらなぁとは思ってましたけどね。
 予想以上の反響は、怪我の功名です」
「……でも、しうちゃんは落ち込んでるッスよ」
「何故っ!? ど、どうしたんだ、群雲?!」

 先程よりもションボリした様子で地面に蹲る紫雲に橙が声を掛けると、
 紫雲は普段は凛々しい彼女らしからぬ弱弱しい声音でブツブツと呟いていく。

「わ、私が目立っちゃ駄目なんです……
 ヒーローショーは、ヒーローが目立たないといけないのに……
 私が台無しに……私が、私が……」

 実際『呟き』の一部にはその事について触れている者もいたため、
 それを確認するたびに紫雲の落ち込みはより大きくなっていった。

「ごめんなさい、私、そんなつもりじゃ……ううう」
「めっちゃショック受けてるわね」
「よほど好きなんスね、ヒーローショー、というかヒーロー」
「あー、草薙?」
「なんでしょう……」

 少し涙の滲んだ視線で見上げられて一瞬、うっ、と声が出てしまった橙だったが、
 即座に気を取り直し、フォローの言葉を口にする。

「いや、まぁ、言ってる事は分かるけどさ、今回は仕方ないだろ? 
 君が頑張らなかったらそもそもショーが成立しないかもしれなかったんだし。
 草薙はそうならないよう可能性を繋げたんだ。
 それはアクターさんたちだって分かってる事じゃないか」
「そ、そうでしょうか……」
「そうですよ。それに、うちとしても次に繋がるいい仕事になりました」
「社長?」

 そこに、この事務所の社長、速水柔一がいつも浮かべている柔和な微笑みとともに現れた。
 少し用事があって外出中、との事だったのだが……。

「それってどういう事なんですか?」
「ご当地ヒーロー番組のゲスト枠が取れたんですよ。
 ちょうどある程度アクションが出来る女の子を探してたらしくてね」

 遙の問いに、柔一は手にしていた鞄を床に一回下ろし、そこから何かの書類一式を取り出して、橙へと差し出した。

「ネットに上がってる動画と、君達が一緒に仕事した元アクターさんの推薦もあってね。
 交渉の必要は殆どなく、即座に快諾してくれたよ」

 一番上の書類は、この街のご当地ヒーロー、その番組のタイトルと話数が書かれている……脚本だった。
 その下は、契約その他の確認など、この件に纏わる書類のようである。
 最初はその事を飲み込めずにいた面々だったが、なんとなく顔を見合わせ合う時点で、ようやくそれを理解した。

 つまるところ。

「それって……テレビ出演って、事ですか?!」
「ええ、そうです。
 全国ではなくローカル放送ですが、地元の人に知ってもらえる機会が増えるのはいいことでしょう?」

 少し震えた声で確認する橙に、柔一は笑顔を崩す事なく頷いた。

「おお〜一気に大きくなったッスね、話」
「ええ。結果として『近道』を作り出すなんて……やるじゃない。いいコンビね」

 結局の所、二人はこの仕事が決まった時の自分達の心配を懸念だったという事実に変えてみせた。
 勿論、仕事そのものは社長の動きあってのものだが、紫雲達の頑張りがなければ実現は難しかったはずだ。

 まだまだ先行きは分からないが……確かに彼女は持っているようだ。
 アイドルとしての大きな大きな可能性を。

 こうして。
 草薙紫雲こと群雲紫はアイドルとしての小さくも大きな第一歩をしっかと踏み出したのだった。

 もっとも、その当人はその事を未だ理解しておらず、
 自身のプロデューサーにしてマネージャー、その他諸々兼任している橙がはしゃいでいる横で、
 予想外の展開に呆然と目をパチクリさせるのが精一杯だったが。










 ……続く。






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