第6話 星を見据えて、歩き出す・2
「えっとだな。最初の仕事は……ヒーローショーの司会のお姉さんだ」
「え?」
窓からの夕日で赤く染まった速水芸能プロ事務所での橙の言葉に、紫雲は目を瞬かせた。
瞬かせた後、内容を確かめるように橙を見つめる。
その橙は何処か沈んだ、どんよりとした表情を浮かべていた。
ここ一ヶ月の訓練期間中同様に、
今日も橙は下校途中の紫雲を迎えに来てくれたのだが、
その時点から彼はずっとそんな表情……正確に言えば一週間ほど前から少しずつそうなっていった……であった。
どうかしたのか尋ねてもはぐらかされてしまい、紫雲は僅かな困惑と心配を織り交ぜた心境のまま今ここに至っていた。
そうした状況で語られたのが、アイドル群雲紫、最初の仕事の内容であった。
「いや、うん……探したんだよ、初仕事らしい仕事を」
自身を窺うように視線を送ってくる紫雲に、
あるいは事務所内の他の人々の若干呆れ気味、微妙に冷たい視線に耐え切れず、
橙はポツポツと事情・状況を語り出した。
「でも、その、アイドルらしい初仕事にふさわしい仕事は、
殆ど他の事務所のデビューアイドルに取られてしまったんだ」
「なにやってんのよ、アンタ」
口を挟んだのはかつてアイドル今事務員の浅葱遙だった。
彼女は先程からの冷たい視線を隠そうともしないまま言った。
「紫雲さんの仕事は自分が一番相応しいものを取ってくるって息巻いてたじゃない。
あの時の気合はどこに向かっていったわけ?」
「……面目次第もない」
「今は、アイドル全盛の時代だからね」
穏やかな口調で会話に入ってきたのは、この事務所の社長である速水柔一であった。
彼は事務所内におけるの自身の定位置である窓際のデスクに座したまま言葉を続けた。
「同時に、どれだけ有名かつ有力なアイドルを抱えているかが事務所の力に直結する状況でもある……。
うちはね、うん、私の力不足で申し訳ない」
『いやいやいや、違いますよっ!』
社長たる彼の発言に、慌ててその場にいた橙、遙、会話に入れずにいた矢留紀草が否定の声を上げた。
ちなみにルーナ緋渡は事務所の稼ぎ頭として仕事の依頼を受け、少し前から撮影旅行に出ている為、不在である。
「社長が社長だから今事務所はなんとかなってるんスよ!」
「全くです。そもそも、自分で何とかする、したいとか言い出したのはそこの岡島君で」
「そうです、自分が……なんとか、自力で探したくて、結局探せなくて失敗しただけです……」
「……まぁ、そりゃあ、仕事見つからないのはわかるッスけど、なんでそうなったんスか?
もう少し初仕事らしい仕事なかったんスか?
仕事に貴賎はないッスけど、アイドルらしい仕事ならもっとあるでしょうに」
「そ、それは……」
「岡島君、事務所の経営状態に気を遣って支払いの良い仕事を選んだとかじゃないでしょうね?」
「……」
遙の指摘に、皆の視線が橙に集まる。
その視線の中、彼は顔を明後日の方向へと向けた。語るに落ちていた。
「アンタねぇ……
その辺りは私がちゃんと舵取りしてるんだから、余計な事を考えなくていいって言ったじゃないの!」
「いや、分かってます! 分かってました!
でも、自分草薙が来るまで仕事らしい仕事出来てなかったですし、
その分をどうにか埋めたくて……
埋めつつも、初仕事らしい良い仕事を手に入れてこようとしていたわけでして……」
「それ、二兎追う者は一兎も得ずって奴じゃないッスかね、オレンジ兄さん?」
「うぐっ」
呆れ顔をしたままの紀草の正鵠を得た指摘に、橙は思わず呻き声めいたものを上げた。
実際、橙も分かっていはいたのだ。
事務所の将来を考えるのなら、紫雲の初仕事を最優先させる事こそ自分の仕事である事は。
最終的に『群雲紫』がトップアイドルになる事が出来るのなら……
勿論橙にはその確信があり、そうするつもりでいるのだが……
今現在赤字でも取り戻す事は十分可能なのだから。
だが分かっていても、そうせずにはいられなかったのだ。
速水芸能プロダクション・芸能部部長という肩書きを与えられながらも……
箔をつけるための半ば鍍金の役職だとしても……
今まで満足な成果を上げられていない、少なくとも自身はそう思っている焦りゆえに。
そして、なにより草薙紫雲というアイドルの卵を見出せた喜びと彼女への期待ゆえに。
だが、結果としてアイドルらしい初仕事は得られなかった。
少し前にルーナ緋渡に受けた忠告、危惧のとおりとなった。
結局の所、足元をちゃんと見ていなかったのだ。浮かれすぎて。
「二人とも、その辺りにしてもらえませんか?」
「社長、しかし……」
「元を糺せば事務所存続の危機に原因があるんです。
岡島君はそれを憂わずにはいられなかった。
それを私には責められません。君達はどうですか?」
「それは……」
「俺達もそうッスから、というか責めたいわけじゃないッスよ」
「うん、ありがとう。
なら、そういう話はここまで、という事で。
しかし引き受けた以上それはここ速水芸能プロダクションの仕事。
なら、それを全力で果たそうじゃないですか。
となれば、今の問題はそれを果たすのは誰なのか、という所ですが」
「……生憎、皆予定は埋まってます」
橙から受け取っていた資料と、事務所のホワイトボードに記されたメンバーのスケジュールを確認し、遙が呟いた。
予定が空いている、空白なのは、当然というべきかただ一人だけである。
「……草薙、すまない」
そのただ一人、今ここに至るまで殆ど会話に参加せず状況を見守っていた紫雲に、後ろめたさと躊躇いを交えながらも橙は話しかけた。
彼女は、何も言わず橙を見据えていた。
橙にはそれが無言の抗議のようにも思えた。
もっと別の事を考えている可能性もあったが、今はそれがもっとも強く彼の頭を過ぎっていた。
だから、紫雲に拒絶される可能性はある。
実際そうされても仕方がないとは思っている。
この一ヶ月間のトレーニング中も、
君に相応しい初仕事を取ってくる、と事あるごとに豪語していたのに、この体たらくだったのだ。
失望されても当然の事。
だが、だとしても、これは自分が彼女に取って来た仕事なのだ。
相手先も、彼女だからこそ、とまではいかずとも彼女の『条件』を鑑みて仕事を任せてくれたのだ。
おいそれと他の誰かに任せるわけにはいかない。
だから、橙は躊躇い、後ろめたさ、申し訳なさ……様々な感情を胸の内に飲み込みながら深々と頭を下げて頼み込んだ。
「最初の仕事、アイドルらしい、とは言えないかもしれない仕事だけど引き受けてもらえないだろうか。
自信満々に色々言っておきながら本当に申し訳ないと思ってる。
だから、次は次こそはもっとアイドルらしい仕事を探してくるから……」
今回は許してもらえないだろうか、橙がそう言い掛けた瞬間だった。
「何を言ってるんですかっ!」
「「「え?」」」
これまでの空気とは真逆の、極めて明るい声が響いた。
声の主は当然草薙紫雲こと群雲紫ご本人である。
両手をグッと握り、目をキラキラと輝かせるその様は、誰がどう見ても100%純粋に喜んでいた。
誕生日プレゼントに望みの玩具をプレゼントされた子供のように。
「最高、最高ですよっ! 初仕事がヒーローショーなんてっ!」
「えと、あの、草薙? 普段のテンションと全然違うんだけど?」
基本的にいつも落ち着いており、あまりはしゃいだり騒いだりしない、
笑う時も静かに穏やかに表情だけだったり息を零す程度の紫雲が、いつもの2倍ほど声を上げている。
彼女のそんな様子に、思わず顔を上げていた橙のみならず遙達も目を丸くしていた。
そうして皆が戸惑っている事にも気付かず、紫雲は興奮のまま言葉を続けていく。
「だって、嬉しくて……ちなみに、どんなヒーローなんですか?
勿論どんなヒーローだっていいんですけどねっ?!
ご当地ヒーローかな?
それとも仮面の戦士だったり、光の戦士だったり、隊を組む人達だったりかな?
……って、仕事の選り好みをしちゃいけませんよね。
すみません。ヒーローの話ではなく仕事についてですよ、ええ」
「……。
いや、今の所仕事はその一つしかないから、選り好みにはなってないよ、うん。
今後仕事がたくさん来た時にそうしなければいいと思う」
「あー……ごほん。はい、気をつけます」
「じゃあ引き受けてくれるという事で、いいかな?」
「勿論です」
「えっと、その、いいの? 本当に?」
「一時のテンションで決断すると後悔する事ってあると思うッスよ?
本当にアーユーレディ?っスか?」
紫雲のテンションの高さから、それまでとは違うベクトルで心配になった遙と紀草が、心情を表情に滲ませつつ尋ねる。
それに対し紫雲は、ニッカリとした笑顔でキッパリ迷いなく答えた。
「ええ。そう問われたら、できてるよ、そう返せます」
「いいんスかね」
正式に仕事を引き受ける事が決定され、
詳細確認をすべく紫雲と橙が会議室……要するに隣の部屋……に移動した直後、紀草がなんとはなしに呟いた。
その表情もまたなんとはなしな、幾つもの感情が入り混じった漠然としたものだった。
「仕方ないじゃない。私的にはどうかと思うけどね……」
この一ヶ月、橙に次いで紫雲と多くの時間を過ごし、
彼女の人となり、そして素養を観察してきただけに遙としては正直残念な思いが強かった。
アイドルの仕事と言っても、最初から華々しいものになるとは限らない。
最初からある程度約束された華やかな道を歩く事が出来るものもいれば、
地道な下積みを数年単位で積み重ねる事でようやっと道の入り口に辿り着くものもいる。
今現在のこのプロダクションで一からアイドルを育てる場合は後者とならざるを得ない。
だが、紫雲はアイドルとしての道筋をかなりショートカットできる。
下積みにより鍛えるべきものが彼女には最初からある程度備わっているのだ。
初仕事次第ではソレは更に縮まり、
上手くすればとんとん拍子に華やかな道へと辿り着けるかもしれない、そう思っていた。
だからこそ、彼女の初仕事はもっとしっかり選んでほしかった。
プロダクションを思う橙の気持ちが嬉しくない事はない。
だが、遙としては彼らには彼らの目標に専念してほしかったのだ。
……最早その道を歩けない自分に代わって。
ただ、事務員としての自分の事を信用してないのか、とは思わない。
つまるところ、それだけこのプロダクションが危機的……
少なくとも事務員一人が立ち回ったところでなんとかできるほど甘くはない……状況にあるという事なのだから。
「そうだね。
もっと選択肢があったかもしれないのは事実でしょう。
ですが、本人があれだけ楽しそうなら、初仕事としては悪くないんじゃないでしょうか。
思いもよらない縁を紡ぐ事になるかもしれないですし」
「……そうかも、しれませんね」
そうして残念に思う反面、柔一の言葉も尤もだと遙は考えていた。
初仕事が紫雲にとって良い思い出、経験になるのなら、次の仕事へのモチベーションにも繋がるかもしれない。
アイドルとして優れた持ち物、素質や実力を揃える事は確かに重要だ。
だが、いかに素質を備えていても思うようにならないことはこの世界では珍しくもない。
そんな中で「またあんな事ができたらいいのに」「またあの仕事が出来るように」……
そう思える出来事、仕事に巡り合う事はモチベーションの維持の観点では軽視できない、大切な事なのだ。
また、今回の仕事が実際にやってみて紫雲にとって『ハマ』るものであれば、
あるいは予想だにしない何かしらの道に……あるいは【近道】に繋がる可能性もある。
「この世界は、何が起こるのか分かりませんから」
「そッスね。
これがきっかけになって、しうちゃんがオレンジ兄さんが言ってたようなアイドルに本当になってくれるかもですし」
何がどう流行っていつ廃れるのか、
それらの移り変わりは早いのか遅いのか、
本当にこの世界では何が起こるのか予想がつかない。
今のアイドル全盛期は、
そんな予測の付かない世界で生まれ出る、とんでもないアイドルを皆が期待しているから、
あるいはその誕生……いや、再来を予感しているからではないのか、というのは、今ここにいない橙の言葉である。
「だといいけどね。
でもまぁ、紫雲さんが【あの人】の再来ってのは流石に無理があるでしょ。
というか、そもそもこの世界全体を見渡してもそんな子がそうそう出てくるとは思えないし」
「ああ、あの伝説の人ッスね。
そう思うとかーなーり惜しかったッスね、あの子は」
「……それは言わない約束よ、矢留君」
「いや、約束はしてないっス」
「……こう、あるでしょ、暗黙の了解的なの」
「それなら分かるッス」
「それが分かるんなら否定しないでよ……」
ドッと疲れた気分になって、遙は息を吐いた。
(でも、それを言うなら私もそうか)
実際、そもそも創める事さえ出来なくなるよりは、どんな創めてであれ経験させた方がずっといい。
少なくともこの世界に関してはそうだろうと遙は考えている。
橙もそう思っていたのなら……分かっていながら否定したのは、自分も同じだったのかもしれない。
それに、だ。
岡島橙にしてみれば草薙紫雲は、プロダクションにとっての救いの可能性であり、大切な夢の種でもある。
……かつての事を思えば、尚更に、彼は強くそう認識しているはずだ。
そんな彼が、他のそれらしい仕事がなかったとは言え、金額優先の、苦し紛れに選んだだけの仕事を彼女に経験させるだろうか?
もし何かの思惑があったのだとすれば、自分達は過剰に彼を追及し過ぎたのかもしれない。
(いや、考え過ぎかもだけどね……)
そんな、なんとなく・僅かな申し訳なさもあり、
せめて初仕事が無事に終わってくれる事をより強く願う遙だったが……そうは問屋が卸さなかった。
彼女もよく知っている、この世界においてそこそこの頻度で発生・遭遇する、してしまう理不尽ゆえに。
……続く。