第3話 星を見上げて、彼らは出会う・3











「ここが事務所ですか」

 出会いから一夜明けて。
 本格的な活動を開始するという事で、
 放課後、橙に迎えられて紫雲が運ばれてきた先には……煤けたような灰色のビルが一軒あった。
 ここに事務所がある事を示すような広告などはまるでなく、一見だけでは入居者さえいないように見える。
 ぼんやりとビルを見上げる紫雲に橙は苦笑した。

「ボロビルだろ?」
「……すみません、正直少し古いビルだな、とは思ってしまいました」
「謝る事じゃないって事実なんだから。それにしても……」
「な、なんですか」

 車から降りた紫雲は、男子高校生からうってかわった姿となっていた。
 彼女が身に纏っているのは、彼女が通う高校が共学だった頃の女子制服……ということらしい。
 男装のまま事務所に出入りしては何処に人目があるか分からないから、という橙の配慮により着替えたものだ。

 手順としては、
 高校の裏口から少し離れた所で車に搭乗→
 そこから多少走った人気のない路地で橙が降車、車内で紫雲が着替え→
 改めて事務所へと→
 今ここ!、となる。

「いやーそうして女の子の格好すると、やっぱり女の子だね、うん」
「……そうですか?」

 殆ど着た事のない女性向けの衣装や、被ったカツラの違和感が拭えず、小首を傾げつつ紫雲は呟く。

「そう見えてるんならいいんですけど」

 彼女としては、女装している男にしか見えないのではないか、という不安があった。

 そもそも紫雲は、
 鍛えたが故の筋肉質だろう多少かっちりとしているかもしれない体付きや、
 女性にしては高めの身長などなど、
 そういったものを含めた自分の身体は、
 一部のかろうじてらしいところを除けば女の子から程遠いだろうと常日頃から考えていた。

 だが、それは紫雲視点で考えればの話だ。

 通常紫雲が男装している状態は、制服などでかろうじて、

「ん? 女の子っぽくも見えたけど男の制服着てるし、男子だよな」

 という認識になっているに過ぎない。

 同級生にしても男子校であるという前提からよもや男装しているなどと普通は思わないだろう。
 本来無理があるはずのそれ……男装を無理なく違和感なく成立させているのは、紫雲の中性的な顔立ちによるものだ。

 女性でありながらも男性にも見え得る顔立ちには二種類ある。

 すなわち、
 男性的な要素を多く持っている場合か、
 男性と女性どちらにも偏らない、どちらにとっても特徴的な部分を持たない場合。

 紫雲の場合は後者である。
 そして、そうしたどちらの性にも寄らない目や鼻、唇などのパーツ調和のレベルがかなり高い……
 全体的に綺麗なもので構成されている、つまり素材として『整っている』のだ。

 そんな中性的な顔立ちと、女性としては高く、男性としてはそこそこの身長、
 無駄な所などない体付きが見事に噛み合った結果……一つの魅力が成立している。
 それは、男性的な衣服を着ても、女性的な衣服を着ても、どちらでも魅力を引き出しうる、奥深いポテンシャル。
 そんな魅力を草薙紫雲は秘めているのだ。

 勿論、現時点ではそれを全く引き出せてはいない。
 基本男装していた彼女の自覚がないのも当然の事だ。
 それを少しずつ引き出していくのが自分の仕事なのだ……そう考えながら橙は言った。

「見えてるって。気にしすぎだよ、君は。
 ……むしろ服とかカツラは今後一考の余地ありだな」

 借りてきた制服は紫雲の身体には少し小さく若干パツパツの状態だった。
 あまり上等なものではないカツラも近くで見れば若干不自然だろう。

「……一考するついでにスカートはやめにしません?
 どうにも、こう、スースーして、落ち着かないんですけど」

 言葉どおり着慣れていない恥ずかしさからなのか、紫雲はモジモジと僅かに顔を赤らめていた。
 ……それが自然と少女らしい可愛い仕草になっており、この時点でもかなり破壊力があるのだが、
 とりあえずそれについては言及せず、橙は答えた。

「いや、今後それが普通なんだから今の内から慣れとかないと。
 そういう意味も含めて穿いてもらってるんだし」
「そ、そうだったんですか」
「その辺りはこれからまた考えるって事で……まずは、事務所の面子と顔合わせといこう」

 そうして、紫雲はビルの最上階にあるという事務所へと案内された。
 そこは芸能事務所、というより小さな会社の職場という雰囲気を醸し出していた。
 レッスン場や事務所が管理している衣装などは、
 ここに来るまでの途中の階にあるとの事で、芸能界に絡んだものが殆どないゆえなのだろう。
 塗装が剥げかかった壁に、かろうじてアイドルのポスターや予定表などが貼られているのがかろうじてらしさを生み出していた。

 そんな事務所で紫雲を出迎えたのは、三人の男性と一人の女性であった。
 橙は、具体的にどの程度男装がバレるのかマズイのかという線引きを紫雲に聞いた上で了解を得て、彼らには先んじて事情をある程度聞かせている。

 草薙家としては、
 流石にこの現代社会においてはある程度バレるのは避けられないだろうと考えており、
 『不特定多数の誰かにバレる状況』という事を線引きとしているらしい。

 公衆の面前で草薙紫雲が女だと知られてしまう……
 つまり、紫雲の基本的な生活の場である、
 通っている男子校を辞めざるを得ないような状況などがそれに当たる。

 その線引きを考慮すると、
 アイドルとしての別人となった草薙紫雲がそういった活動をする分にはセーフだが、
 そのアイドル活動をしている少女が円脇男子高校に通っている草薙紫雲だとバレ、
 男装している事が周囲に明らかになるような状況はアウトとなる。

 そうなってしまえば、紫雲は草薙家の後継者、伝承者としての立場を失効し、
 最後の最後、最終的に受け継ぐ事になっている【奥義】の継承も許されなくなるという。

 正義の味方として強くなりたいと思っている紫雲としては、
 可能な限りそれだけは回避してほしい状況だと橙は聞かされていた。

 その時の紫雲が浮かべていた表情があまりに苦しそうだったので、
 橙は紫雲にとって奥義の伝承が大きな事なのだと深く理解した。

 なので、事務所の面々には口を酸っぱくして紫雲の男装についての口止めを頼んでいたりする橙であった。

 閑話休題。

「はじめまして。私はこの事務所の社長を務めている、速水柔一(はやみ・じゅういち)だ」

 失礼だからとカツラを外し、紫雲が自己紹介した後、
 まずは私からだろうと声を上げたのは、気弱そうな初老の男性だった。

「事情は聞かせてもらっているよ。うん、無茶を言ってすまないね」
「いえ、そんな事はありませんので……」
「ふむ、そうならいいんだけど。
 いずれにせよ、過剰な無理はしなくていい。
 この事務所の命運は君にかかっているっ……なんて言うつもりはないよ。
 そういった事情や状況があるのは事実だけど、それは大人の話で、責任だ。
 君はのびのびアイドルをやってくれたらいい」

 人柄の良さを如実に感じさせる穏やかな表情は、警戒、というより緊張していた紫雲を少し和らげた。

「そうですね、それが一番いい……ああ、はじめまして。
 私は浅葱逢(あさぎ・はるか)。
 昔アイドルだった、という意味でも貴方の先輩であり、今はここの事務員でもあり……
 まぁ、色々やっているわ」

 そんな柔一の言葉に頷いて、次いで言葉を発したのはスーツを着こなしている女性だった。
 身長は紫雲より頭一つ半ほど低く、体付きも一回り細い。
 それらも含め、アイドルをやっていた、という言葉に納得出来る愛らしさのある容姿だと紫雲は感じた。

「そこの馬鹿が事務所的な危機だからって引っ張ってきたって聞いたけど、
 貴女がそんな事を気にする必要はないわ。
 義務感だけで出来るほどアイドルは簡単じゃないから……と言ってもまだ分からないわよね」

 浮かべた微笑みも他者を安堵させる優しさに満ちたものであり、
 言葉にも説得力があり、紫雲はますます彼女の素性に納得するのであった。

「義務感でも何でもいいわ。貴女が無理しなければね。大変だけど、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします……!」
「じゃあ、次は私ね」

 そう言って前に出てきたのは、女性らしい口調とは真逆の、大柄な体格の男性であった。

「私は、ルーナ緋渡(ひわたり)。見てのとおりの……」

 彼は喋りつつ身体をフィギュアスケートの選手のようにクルクルッと回転させた後、
 これまたフュギュア競技のシメのようなポーズを決めつつ、断言した。

「アイドルよ」
『いや、違う』っしょ」でしょ」

 ルーナ火渡の言葉に、橙と遥、まだ自己紹介を終えていない青年が突っ込みを入れる。
 そんな様子に苦笑しつつ、柔一が紫雲に尋ねた。

「えと、なんだ。彼の事は知ってる?」
「はい、何度かテレビで拝見してます。
 ここの事務所の方だったんですね。
 凄く面白くて活き活きしてて……素敵な方だと感じてました」
「お褒めいただき嬉しいわ」
「うちの自慢の稼ぎ頭だよ」

 ルーナ火渡。
 いわゆる「オネエ」系な芸能人である。
 デビューは十数年前で、当時からアイドルを自称してきた彼女は、
 少女アイドルの衣装を身に纏い、主にバラエティ番組によく出演している……
 という程度の事は、芸能人に疎い紫雲でも知っていた。
 ジャンルを問わない豊富な知識や高い身体能力、そしてなによりキャラクターの濃さで目立ちまくっており、
 それでいてしっかりとした人格者である事から老若男女問わず人気が高い、という事も。

「まぁ、最近は目立ちすぎるせいか、仕事を減らされてるんだがね」
「そうなんですか……。
 目立ちすぎてもいけないなんて、やっぱり難しいんですね」
「心配は無用よ。
 私のようなアイドルはいずれまた引っ張りだこになるのだから」

 気の毒そうに表情を顰める紫雲を笑わそうとしているのか、
 彼はいつもそうであるように大仰なポーズを取りながら言葉を発していた。

「貴方もそんな私を見習って、アイドル道を邁進なさい」
「アイドル道……む」
「どうかしたの?」

 ルーナ緋渡の姿をしみじみと観察して考え込む紫雲に、彼が問う。
 すると紫雲は心苦しいと感じているのが伝わる苦い表情で、申し訳なさげに呟いた。

「私、誰かを笑顔に出来るような事を中々言ったり出来ませんし、豊富な知識もありませんから。
 貴方のようなアイドルには、そう簡単になれない気がします。
 ですが、私なりに貴方に少しでも近づけるよう、精進させていただきますので、ご指導ご鞭撻よろしくお願いします」
「……。ええ、任せなさいっ!」

 期待に添えないかもという申し訳なさからなのか、
 丁寧に深々と頭を下げた紫雲に何か思う所があったのか、
 一瞬だけ言葉を失っていたルーナ緋渡だったが、あくまでほんの一瞬であり、
 直後彼は顔を上げた紫雲に笑顔で握手を差し出した。

 握手に応えた直後は少しだけ暗い表情の紫雲だったが、彼の満面の笑顔にほだされ、少しずつ笑みを取り戻していった。 
 少し強引な、力技な時もあるが人を良い方向へと引っ張る力……これこそが彼の真骨頂である、そう橙は考えていた。
 おそらく彼の存在は紫雲にとって良い刺激になってくれるだろう。

「紫雲ちゃん、分からない事があったら、何でも聞いて頂戴ね」
「というか、とりあえずメイクを教えてやってください緋渡さん。
 草薙、知ってるかもしれないが、彼はそういった知識にもかなり明るい人だ。
 普段の男装の完成度も上げるようなメイクも教えてくれると思うぞ」
「それはとても助かります……!」
「ふふ、任せなさいな。
 メイク道もまた一朝一夕でなるようなものではないけど、少しずつ教えてあげる。
 それに……」

 ルーナ緋渡は、紫雲の顎に手を掛けて、顔を上向かせる。
 あっさりそうされた事に戸惑う紫雲だったが、抗う理由はなかったので、されるがままじっくり彼に観察される事となった。

「……橙ちゃんが見出したのも分かるわ。
 かなりの素材で逸材ね。メイクのしがいがあるわ」
「私の時はそんな事言ってくれなかったじゃないですか」

 彼らの様子を見て、不満げな声を漏らしたのは遥だった。
 そんな彼女にルーナ緋渡は、まったくもう、とばかりに苦笑を漏らした。

「貴女は最初から自分の最適解を見つけてたんだもの。教えるまでもなかったわ」
「むー。そうかもですけど、貴方のメイクの教え受けたかったんですよー」
「じゃあ今更でよければ紫雲ちゃんと一緒に少しは教えてあげるわ。
 紫雲ちゃん優先だけど、そこは我慢なさいね」
「その話はまた今度に頼むよ。
 ……こっちにまだ紹介してない奴がもう一人いるんでね」
「やっと俺の紹介ッスね。待ち侘びたッス。矢留紀草(やどめ・のりくさ)ッス」

 先程からチョコチョコ動き回って自身の存在をアピールしていたのだが、皆に完全にスルーされていた青年が前に出る。
 ……紫雲は先程から声を掛けようか悩んでいたのだが、橙達が何も言わなかったので、とりあえずそれにならっていたのだ。

 紹介されたのを機に、改めて紫雲は彼に意識を向けた。
 いかにも、今時の若者、という衣服・風貌の、何処に現れても違和感を感じなさそうな青年である。
 一部だけ金髪にした髪は、自分よりも相当に手入れがされているんだろうな、というセット具合で、紫雲はただただ感心していた。
 
「はじめまして」
「うぃッス」

 年齢が近いという事もあり、他の面々より話しやすいだろう……
 そんな彼を通じて紫雲がこの事務所に慣れる事を橙は願っていた。
 その願いはとりあえず少しは叶ったのか、彼との挨拶は他の面々の時より固くなかった。
 それまでの皆とのやり取りで肩の力が抜けていったのもあるのだろうが。
 ともあれ、そうして二人が頭を下げあったのを見計らって、橙と柔一が紀草について語る。

「彼は、ドラマや映画のエキストラとかちょい役とか、何か緊急時の色々細々した仕事を請けて回ってくれてる」
「矢留君はこの事務所の縁の下の力持ちだよ」
「いやいやまだまだッス。
 まぁでもそんな感じで色々やってるんで顔が利くのは取りえだと思うッス。どうかよろしくッス」
「よろしくお願いします。……あの?」

 自身の周囲をグルグル回りながらしげしげと観察する紀草に紫雲が意図を尋ねるように呟いた。
 すると紀草は足を止め、うんうん、と納得し、満足した様子で頷きつつ、力強く言った。

「いやー普段は男の格好してるって話だったからどんなゴリウーか思ったもんだけど……
 可愛いじゃないッスか! 可愛いじゃないッスか! 美人さんッス!
 遥さんとは違う方向性の癒しきたぁっっ!って感じッスね!
 個人的には背が高すぎな気がするッスけど、ささいな問題ッス」
「あ、う、その、えと、お、お褒めいただき、ありがとうございます」

 あまりにもストレートな褒め言葉に紫雲は赤面する。
 美人ではないと思います、と否定の声を上げたかったのだが、
 あまりに直球かついい笑顔で言うもので否定しづらかった。

「いやぁ、中々いない初心な女の子って感じッスねぇ……
 この個性は残しておくべきだと思うッス、オレンジ兄さん」

 恥ずかしげに縮こまる紫雲の様子を見て、紀草は進言する。
 オレンジ呼びされたのは橙だったが、いつものことなのか何も言わずに頷いた。
  
「ああ、自分もそう思ってるよ」
「あと、早くいいカツラとかエクステとかつけないともったいないッスよ。
 今度知り合いのスタイリストに当たってみるッス。
 いやーいいわーこういう子いいわー」
「うぅ……」
「まぁ、こういう憎めない奴なんだよ。
 全体的にチャラいけど、仕事はキッチリしてくれる頼れるヤツさ」
「チャラいのが俺の個性なんで」
「それを堂々と言えるのはカッコいいわね」
「お褒めいただき、あとーござまーす!」
「……相変わらずバイトの店員みたいな感じだなぁ」
「というわけで、ここにいる連中と今仕事でいない二人含めてが、今現在の事務所のフルメンバーだ」
「皆それぞれに業界の色々を知ってるから、戸惑う事があったら彼らに尋ねるといいわよ」
「改めてになるけど、よろしくね、紫雲さん」
「こちらこそ、改めてになりますが、よろしくお願いします。当方未熟者で……」

 紫雲は居並ぶ大人達の厚意に心が震えていた。
 年下の、常識から外れた存在にも礼を尽くしてくれるのが伝わってくる彼らの言動が嬉しく、
 入ってきた時の緊張を思い出しながらカチカチに頭を下げようとする。
 と、そこに紀草が突っ込みを入れた。

「さっきから思ってたッスけど、硬い、硬いッスよ、しうちゃん。
 もっとリラックスリラックス」
「し、しうちゃん? は、はい」
「まず深呼吸ッスよ。ラジオ体操の最後を思い出しながら……」
「分かりました。これですよね」
「そうそう、それそれ。あの夏の暑い日。
 スタンプ、朝から面倒臭いけど、続けるとそれなりに愛着ある日常になっていく……」
「いや、そこまで思い出さんでも」
「……さて、リラックスしたところで、まず草薙君の芸名を決めようか」

 紀草の気遣いで紫雲が解れた所を見計らって、柔一が声を上げた。
 その提案に、遥、ルーナ緋渡がうんうんと頷く。

「そうね。素性を隠すのなら、芸名は必須だわ」
「今の時代、迂闊に本名は使えないわ。本名に近い名前もね」
「……あー。
 とりあえず、自分考えてきてるんで、まずこれを見てください」

 言いながらホワイトボードにペンで書き込む橙。



 そこには、

『群雲紫』

 と書かれていた。



「いやいやいや、ちょっと待ってください」

 あんまりな名前に紫雲は思わず声を上げた。
 よく知らない世界なので基本的に大体の事を任せるつもりでいたのだが、流石に突っ込まざるを得なかったのだ。

「何か問題が?」
「いや、滅茶苦茶本名が残ってるじゃないですか」
「うん、分かってる。それはそうなんだが……紫って君のイメージにピッタリ合うからさ。
 そこは消したくなかったんだ」

 イメージの元は、
 艶やか、というには少し手入れが足りない、
 男子と考えると長めだが女子として考えるとそう長くはない、彼女の髪。

 後ろは首元まで、前は眉毛より少し伸びている髪……
 橙には、子供を助けた時に光を受けて紫紺に輝いて見えたのだ。
 その印象はとても強かった事を、橙は皆に熱弁した。それはもう熱く。 

「……なるほど、納得ッス」
「そういう閃きって大事だよね」
「橙君がそこまで言うのならねぇ」
「そういうものなんでしょうか……」

 その熱弁ぶりに納得した様子で皆が頷く姿に紫雲は赤面しつつ戸惑うものの、大きな反論は思い浮かばなかった。
 直感が大事、という事は、紫雲的に試合や喧嘩の立会いなどの経験からではあるが理解出来たからでもある。
 
「でも、さすがにこのままだと連想されやすぎると思うんですけど……」
「じゃあ紫を平仮名とかカタカナにしようか?」
「えー? 漢字の方がしうちゃんのイメージに合うと思うッスよ」
「それは確かにそうねぇ」
「逆に考えるべきかもね。
 あえてストレートに名付ける事で、いざ疑われた時はそんな分かり易い芸名にしない、みたいな言い訳をしやすくする、とか」
「いや、あの、そもそもこの芸名が疑われる理由になるのでは……?」

 などと色々錯綜したものの、最終的に代案が出なかった事で『群雲紫』が紫雲の芸名となった。
 この結論に紫雲は「えぇぇ……」と戸惑ったものの、この件に関しては彼女の味方がいなかった為渋々諦めた。
 ……まぁ、努力次第でそうそう疑われる事態は起こらないだろう、という皆の意見に最終的に納得した為でもあるが。

 そうして、アイドルとしての名前が決定し、
 幾つかの書類の確認などを済ませた後、草薙紫雲のアイドル一日目はとりあえず終了、という事になった。

「一日目はどうだった?」
「私自身はなんともまだ実感がありません。
 でも、緋渡さんにお会いして、本当に芸能事務所なんだなって思いました」

 とりあえず家まで送るという橙や、見送りたいからと出てきた逢や紀草と共に階段をゆっくり降りていく。

「自分、まだ疑われてたのか……」
「いえ、そういうわけじゃなくてですね……」

 そうして話しながら、皆が一階分下った時だった。

『オラァッ、はよ金返さんかい!』

 下から……正確には外から、そんな声と同時に何かが蹴り倒される音が響いてきた。
 それまでの穏やかな空気とは真逆の出来事に、紫雲の表情は硬く、そして鋭くなっていくのであった……。









 ……続く。






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