注意文。
この作品はこのホームページに掲載しているKanon二次創作長編、Kanon another1 ”snowdrop”の後の物語です。
それでいて、やや(?)キャラを崩したギャグとおぼしき作品です。
ゆえにオリキャラが出ますし、snowdropを読んでいないと面白さは半減しますし、snowdropの余韻を壊す危険性もあります。
ですので、上記の事に関しての苦情は受け付ける事ができません。
それらを了解できる方のみ、この下へとお進み下さい。
それは。
『冬の物語』と『空とえいえんへの物語』。
その狭間にあった、ささやかな物語。
……彼らは、こんな日々を過ごしていました。
あの冬から、一年もの時が流れた。
僕、草薙紫雲は思い出深い高校を卒業し、今は何でも屋を営んでいる。
その『何でも屋』事務所の窓から外を見る。
青空が広がっていた。
「いい天気だね、紫雲君」
「そうだね……」
そんな僕の近くには、帰って来た月宮あゆがいる。
穏やかな日曜日。
朝の澄み渡った空気。
春の穏やかな風。
それを一緒に感じられる人がいるのなら、こんなに幸せな事は無い。
いつまで続くかはわからないこの穏やかな時を、僕は大事にしていきたい……
「おおいっ!!草薙、力を貸してくれっ!!」
……いきたいんだけど……そうはいかないのが世の中の常だったりするんだな、これが。
Kanon another1 after こちら草薙何でも屋本舗……そのいち
「はい、どうぞ」
「お、悪いね」
「ありがとう、あゆ」
来客用の席に着いた紫雲と北川は、ずずず……と、二人揃ってお茶を啜る。
あゆはというと、紫雲の後ろでさっきまでお茶を乗せていたお盆を抱えて微笑んでいる。
(実にまたこれが可愛かったりするんだよなぁ……)
「草薙。月宮さんが帰ってきて嬉しい気持ちは分かるが、弛み過ぎだぞ、顔」
「ごふっ!!げほっ!!がほぁっ!!」
最初の一回目は単純にむせて、二回目は逆流したお茶が一部鼻に入って炸裂し、三回目はそれらの総合で悶絶する羽目となり、紫雲は一瞬お花畑……とまではいかないものの、遥か彼方に見えざるものを見てしまったような錯覚に陥った。
「だ、大丈夫?紫雲君……」
「ああ、なんとか……ま、まあ、それはさておいて。どうしたの北川君。
せっかくの日曜日にこんなところに来て」
「実は、お前を見込んで頼みたい事があるんだ」
「そう……なんだ」
紫雲としては、そう言われると悪い気はしない、というか嬉しい。
彼にとって、人の助けになる事は喜びなのだから。
その為に何でも屋を開業しているのだし。
「それで、どんな事を頼みたいの?」
心持ちも軽やかに、紫雲は尋ねた。
それに北川は。
「美坂の身辺を洗ってくれ」
などと、答えた。
爽やかな空気が多少澱むような、そんな錯覚を紫雲は覚えた。
気を取り直して、もう一度。
「……今なんと?」
「美坂香里の身辺調査を頼む」
聞き間違いではなかったらしい事に、紫雲は頭を抱えた。
「……あのね、北川君?」
言葉を選んで、紫雲は言った。
「君が香里さんにどんな想いを抱こうとそれは自由だし、それが純粋な好意なら僕は力の限り応援もするし、力だって幾らでも貸すよ?
でもストーカー的行為は褒められたものじゃ……」
「おい。いつ誰がそんな事をしろと言ったよ」
「今君が限りなくそれに近い事を」
「……おぉ。まさか返されるとは思いもよらなんだ……」
「返されるつもりで言ったの?」
「まあ、それはさておき」
「さておくんだ」
「話を元に戻すぞ。何日か前、美坂をデートに誘ったんだ」
「へえ……うまくいってるみたいで何よりだよ」
『あの冬』以来、北川と香里は一緒に行動する事が多くなった。
どうしてなのかと問う必要は無い。
仲がいいのはいい事だから、無用な荒波を立てる必要など無いのだ。
……その辺に突っ込みを入れて荒波を立てた、彼ら共通の友人である相沢祐一が、香里の「あたしと北川君はなんでもないのよ!」という照れという名の攻撃の前に全治三日の打撲を負った事を思えば尚更だ。
「うむ。最早俺に躊躇いは無い!美坂のためなら俺は死ねる!!」
「それは素晴らしいね」
えらく大仰なポージングをしながらの北川の言葉に、穏やかな笑顔で紫雲は答えた。
「……いや、素で返されるとそれはそれで困るんだが」
「……自分から言っておいてそれは無いんじゃないかな?」
キュピーン!!と目を光らせてみたりする紫雲。
それだけで凄まじいプレッシャーを感じさせる辺りが草薙紫雲という男なのである。
「すみませんごめんなさい。俺が悪かったです。いやマジで」
「……いや土下座までしなくていいから。それでどうしたの?」
「ん、ああ。えーと何処まで話したっけか……そうそうデートに誘ったんだよ。
ほら、近所のスポーツクラブのプールが今安いだろ?」
「ああ、あれね」
紫雲は新聞に入っていた広告を思い出した。
春先という時期外れ、少しでも客足を近付けようとする策の一つか、通常の半額というサービスを知らせる広告の事を。
思い出して、紫雲は深ーい溜息をついた。
「それは直球過ぎない?男として気持ちは痛いくらい分かるけどさ、あからさまなのは……」
「……あのな、草薙。
お前、俺が美坂の水着姿を夏に先駆けて見たいがためにそこに誘ったとでも思ってるのか?」
「え、違うの?」
横合いからのあゆの突っ込み。
それに対し北川は、視線をツツツーと何処かに向けた。
「……北川くーん……?」
「ま、まあそれはさておいてだな」
「それもさておくんだ……」
「だったらネタを振らなきゃいいのに……」
そんな二人の呟きを微妙に無視しつつ、北川は言葉を続けた。
「まあ、結局、ものの見事に断わられてな」
「それは断わられるよ……」
「いや、そこまではいいんだよ。
時期外れだから、まあ、断わるのも分からなくもないし。
それに元々美坂はつれない所があるから、というかそこがまた良かったりするんだが」
「……」
なにやら不憫そうな哀れんでそうな対応に困っているような視線を紫雲が送っていたのだが、北川はそれに気付く事無く尚も言葉を続ける。
「それから、どーも避けられてるみたいなんだよ。
話し掛けてもいつもより素っ気無いし、何かにつけ話し掛けても受け答えが単調だし」
「香里さん、怒ったんじゃないの?」
「俺も初めはそう思ってたんだけど、怒ってる感じじゃないんだよな……」
「ふむ……何か心当たりは?」
「あったらここに来ると思うか?」
「……来ないだろうね」
「というわけで、だ」
北川はそこでお茶の残りをぐぐいっと飲み干して、口内の渇きを消してから言った。
「それとなーく美坂の事をいろいろ調べてくれないか?
んで、なんかあったら俺に報告してほしいんだ」
「……うーむ。僕としてはあんまり感心しないな」
「そうだよ。本人に直接聞けばいいじゃない」
「……それができたら苦労はしないんだって」
口々に言う二人に北川はやれやれと首を振った。
いかにも苦労してるようだが、この場合は情けない。
とはいえ、放っておくのも気が引ける。
そもそも北川も『本気』で調べろと言っている訳じゃない。
相談の延長上として、やってみてくれないか、ぐらいなのだろう。
二人の共通の友人である紫雲がいろいろと考慮してくれる事を理解した上での『依頼』なのだ。
そういった事を踏まえ、少し悩んだ末、紫雲は答えた。
「……分かった。引き受けたよ」
「よっしゃ。さすが草薙」
「はいはい」
「んじゃ、悪いけど俺はこれで。ちっと用事があるんだ」
そう言って北川は席を立つ。
その北川をあゆが呼び止める。
「あ、待って。北川君、はいこれ」
言いながら北川に差し出したのは一枚の紙。
「……あの、月宮さん。これは?」
「請求書だよ。今度来た時払ってね」
当たり前のように、あゆは笑顔(営業スマイル)で言った。
紫雲はそれに少し渋い顔で告げる。
「あゆ。北川君だし、料金を請求する事はないじゃないか」
「紫雲君……君がそう言ってばかりだから、この事務所、中々お金稼げないんでしょ」
不機嫌そうにあゆがそう嘆くのにも理由があった。
基本的に人が良過ぎる紫雲は、設定した基本料金よりも安値で仕事をする事が多かった。
それが、女子供からだとさらに顕著になる。
……まあ、今あゆが不機嫌そうなのは、女性に優しくする紫雲の姿を思い出し、やきもちを焼いている部分もあったりするのだが。
「いや、しかし……」
尚も言いよどむ紫雲に、あゆは必殺の言葉を口にした。
「ボクだってこんな事言いたくないけど……最低限稼がないと命さんに追い出されるよ?」
「ぐうっ!!」
この事務所のある雑居ビルは、紫雲の姉である草薙命の所有物なのだ。
命は、この何でも屋事務所のとりあえずの活動資金も出していて、それを出世払いで返す事、月々の利用料をちゃんと払う事などをしっかりと契約させられている。
それを守らないとどうなるのか。
姉である命は何をするのか。
『それ』は、弟である紫雲がよく知っていた。
「北川君……」
目の幅涙を流しながら、紫雲は呟いた。
「不甲斐無い僕を笑ってくれ……」
「……難儀してるんだな、お前」
そんな紫雲の肩を、北川とあゆはポンポンと叩いて慰めた。
……結局。
通常料金の十分の一を北川が支払う事で、両者の折り合いはついた。
「とは言ってもな……」
紫雲は少し困っていた。
友人の身辺調査と言えば聞こえはいいが、傍から見ればストーカー(大袈裟)。
これが全くの他人ならまだしも、なまじ友人であるがゆえに、どうにもいい気分はしない。
改めてその事実に気付いたのだが、既に引き受けてしまったし、同じ友人の頼みを断われもしない。
いっそのこと、香里に直接理由を聞くべきかとも思うのだが……
北川とて、自分で聞けないから頼みに来たのだろう。
それがいかに臆病風……もとい、慎重さから来ているものとは言え、それをただの友人である自分が訊くのはルール違反のような気がする。
それに、下手につつくと香里にいろいろと勘付かれる公算の方が高い。
美坂香里の聡明さは、紫雲自身理解している。
そうして失敗することで問い詰められるのは……結果として北川になるだろう。
そうなると、北川は高確率で痛い目を見るだろうし、その上。
「…………失敗したら報酬が入らなくなるだろうからなぁ」
「世知辛い世の中だよね」
遠い眼で虚空を見上げながら、二人はしみじみと呟いた。
社会で生きていくというのは、甘さや優しさだけではやっていけないのである。
いや、本当。
「……となると、やっぱり調べないとまずいか」
気が進まないが仕方がない。
そう思いながら紫雲が席を立った、その時。
「紫雲君、ボクに任せてよ」
「え?」
ポン、と胸を叩いてあゆは言った。
紫雲はそれに眼を瞬かせるばかりである。
あゆは、うんうん、と頷きながら言葉を紡いだ。
「前々からちゃんとしたお手伝いをしたいなって思ってたんだ。
事務所で留守番やってるばかりじゃ、紫雲君の役に立てないし……
ボクが調べてくるよ」
「あゆ……」
その気持ちは、紫雲にとって心の底から嬉しいものだった。
思わずジーン……と感動し、あゆを見詰める。
「全然知らない人だったらまだ無理だけど……
相手は香里さんだし、ボクがちゃんと理由を聞いてくるよ」
「うんうん……って!」
それは今さっき紫雲自身断念した事だ。
それに、あゆが香里に依頼の事を気付かれる事なく聞きだせるかどうか……
「ちょ……あゆ……」
「じゃ、行ってきまーすっ!!」
制止する暇も追う間も無く。
あゆは事務所を飛び出していった。
「あ、香里さんだ」
建物から出て来る香里に遭遇したあゆは、慌てて電信柱の影に隠れた。
香里の自宅で張り込みしようなどと探偵、もしくは刑事ドラマさながらに考えて自宅に向かっていたのだが、その必要が無くなってあゆはなんとなく安堵した。
ちなみに香里が自宅に帰っていなかった場合や、そもそもにして外出するつもりがなかった場合をあゆは全く考慮していなかった。
ゆえに、ここで香里に遭遇したのは幸運と言えるだろう。
……少なくともこの時点においては、だが。
「よーし……」
気分はスパ○大作戦か、0○7か。
あゆは呟きながら愛用の羽リュックを背中から下ろした。
その羽リュックには、あゆの固定観念による必要な道具類が詰め込まれている。
ちなみにその固定観念の資料が、すっかり仲のいい友達である真琴から借りた漫画類だったりする辺り、既に致命的なミスなのかもしれない。
あゆがリュックの中から、遠くからでも目標を確認し追跡できる様に準備したオペラグラス(秋子から借りた)を取り出そうとしたその時。
「あゆちゃん、なにしてるの?」
「うぐぅぅぅっ!?」
急に呼びかけられて、あゆは叫んだ。
そして、呼び掛けられた相手を見て、その表情がひきつる。
「か、香里さん……」
オペラグラスを取り出す事に夢中で、香里があゆの存在に気付いた事……しかも羽リュックの白い羽が目に付いた……に気付かなかったのだ。
「奇遇ね。あゆちゃん、この辺りに何か用なの?」
「あ、え、その……この辺りって言うか、実は北川く……って、うぐぅっ?!」
慌てて口を閉ざすあゆだったが。
「北川君が、どうかしたの?」
しっかりと聞かれてしまっていた。
……とは言え、この段階では「北川に依頼されて香里を探っていた」などという事がわかるはずもないのだが……
『秘密の漏洩は死に繋がる』
真琴から借りた漫画に書かれていた台詞を思い出したあゆには、限られた選択肢しか見えていなかった。
………なんというか、ひどく哀れな事に。
(こうなったら……最後の手段……!)
決意して、あゆは香里に告げた。
「ごめんね、香里さん……こんなことはしたくなかったんだけど……」
「え?なんのこと?」
「えーいっ!!」
気分はもうスパイ、もしくは探偵状態のあゆは、羽リュックから捕獲用ロープを取り出した。
ここに紫雲がいれば突っ込んでいただろう。
探偵もスパイもそんなもん使わない、と。
あゆが事務所から出て行って数時間後。
「……」
紫雲は西に傾き始めた太陽を一瞥して、重い息を吐いた。
あれから、あゆから何の連絡も無い。
いや、そもそもにして。
いかに知り合い、危険がないとは言え、あゆにまともな尾行や聞き込みができるだろうか。
「いや。無理だ(断言)」
紫雲はあゆの事を大切に想っている。
だが、それとこれとは激しく別なのである。
あゆの持つある種天才的なスキル(天然)は、そういう仕事には全く向かないものだ。
「…………今日は、店仕舞いかな」
仕事の失敗を予感し、そう呟いた紫雲が後片付けという名の撤退を始めた……その時。
「そうはいかないのよね、草薙君」
その声と同時に、事務所のドアが開いた。
恐る恐る振り向いたその先には、自分のロープでとっ捕まっているあゆ、そのロープをしっかと握る香里の姿。
両者とも髪の毛は乱れ、服もえらくボロくなっていた。
……なんというか、激しく乱闘したかのような(紫雲は知らないが実際はそう)そんな姿。
「えーと……あゆ?」
「あはは……失敗しちゃった」
何をどう失敗したらそうなるのか。
今の紫雲に考える余裕はなかった。
じりじりと迫る香里の迫力には、数々の修羅場を越えた紫雲でさえたじろがせる何かがあったから。
「……さて、まずは差し向けた人に責任を取ってもらおうかしら……」
香里の拳には、妙に物騒な形のメリケンサックが光り輝いていた……
「で。結局どういうつもりだったの?」
「……そればかりは言えないな。これ以上失態を犯すわけにはいかない」
「安心しなさい。それ以上の失態なんて無いわよ」
「そうだねー」
あゆともどもロープで縛られ、ボロボロの体で床に転がされている紫雲の姿は哀れ以外の何者でもなかった。
「気迫に圧されるとは……ふ……まだまだ未熟だな、僕は」
「紫雲君、そんなかっこよさげに台詞言ってる場合じゃないよ」
「あゆちゃんの言う通りよ。はやく事情を説明しなさい」
「と言われてもな。依頼を受けている立場が……」
「あゆちゃんのおかげでこっちが被害受けてるのに?出る所に出てもいいのよ?」
『(う)ぐぅ』
ぐぅ部分で紫雲とあゆの言葉がハモった。
まさにぐうの音も出ない……いや、この場合は出たのだが。
「仕方ない……」
いろいろな負い目やそもそも気が進まなかった事も相まって、紫雲は簡単に事情を説明した。
全てを話した後。
香里は目を見開いた後、何処へともなく視線を背けた。
「……そう」
「この際だから、教えてくれないかな。どうして北川君を避けてたのか」
……こんな事になるんだったら最初から直接話を聞いてた方がよかったと心の奥底から思いながら紫雲は言った。
「別に理由なんてないわよ。一人になりたい時はあるでしょ?」
「……」
「ねえねえ香里さん」
「なに?」
「関係ないけど、どうしてあんな所から出てきたの?」
そのあゆの言葉に。
香里の表情が、思う様ひきつった。
それはもう、面白いぐらいに。
「行ってたんなら、最初から北川君と一緒に行けばよかったのに」
「……あんな所って?」
「あのねスポーツクラむぐ!」
あゆの口を塞ぐ香里。
だが状況証拠としては完璧。
それで、紫雲は大体の事情を察した。
「あゆナイス。事態が理解できた」
「……ふぐ?」(口塞がれっ放し)
「”そういう”解釈でいいのかな?」
「……………………………………ええ、そうよ……」
長い沈黙の後、これ以上の否定は無意味だと悟ったのか、香里は顔を赤らめながら答えた。
同時に口を塞がれたあゆも解放される。
「ぷっは……どういう事?」
「んー……つまり」
香里は別に北川のデートの誘いそのものが嫌だったわけじゃない。
ただ、プールという場所に問題があったのだ。
「分かりやすい連想で説明するなら……」
プール→水着(十中八九、北川の目当て)→ボディーラインがもろに出る→見せられるラインかどうかが気になった→今は断われても夏の事を考えると看過はできない→早目に調えておこう→でも北川には恥ずかしくて言えない→ましてや誘われたプールがあるスポーツクラブ→隠し事をしているようで後ろめたい→ゆえに素っ気無くなる……
「……と、なるわけ……」
最後まで紫雲は言葉を言えなかった。
……問答無用で叩き込まれた香里の拳の前に、沈黙せざるを得なかった。
「うわわ、紫雲くーん!死んじゃ駄目だよーっ!」
「ふ……この程度ならば、死にはしない……」
「死にはしないでしょ……。……それはともかく、意外とお喋りなのね、草薙君?」
「う。申し訳ない。あゆが一人だけ分かってないのはどうかと思ったので、つい」
「あゆちゃんに甘いのは、相変わらずね」
「まあ、それは向こうに置いておくとして」
ごほん、と咳払いをして……縛られたままなので様になっていないが……紫雲は言葉を続けた。
「男の立場から、それと、北川君の友人として言わせてもらうけど、北川君は香里さんとただデートがしたかっただけだと思うよ」
「”だけ”?……下心がなかったとでも言うの?」
「それは、あると思う。でもそれはそれ。全く別の問題だって」
「別の、問題?」
「そうだよ」
眉を寄せる香里に、あゆが言葉を繋いだ。
「香里さん、すっごくスタイルいいじゃない。
ボクは……子供っぽいから、すごく羨ましいよ。
でも、そんなボクでも紫雲君に誘われたら、スタイルを気にしてても結局プールに行っちゃうよ。
だって、楽しいのが一番だから」
屈託の無い笑顔であゆは言う。
「そういう事。そりゃまあ、男にしても女にしても気になる事だけど……それ以上に大事な事もあるんじゃないかな。……少なくとも、僕とあゆはそう思ったけど」
あゆの言葉に、紫雲も笑顔で頷いた。
恋という文字は下心。
それを含めて付き合うのが、男女の付き合い……紫雲はそんな事を考えていた。
香里が同じ事を考えていたのかどうかはわからない。
だが。
「……そうね。そうかも、しれないわね」
香里はそう呟いて、微かに微笑んだ。
その笑顔を見て、紫雲たちは、うんうん、と頷いた。
「……一件落着、だね」
「うん。…………納得してもらった所で……早くロープを解いてほしいよね」
「………………そうだけどね……」
「……(うんうんと一人頷いている)」
満足げな香里に声を掛ける事が躊躇われて、二人は暫しの間そのままだった。
それから一週間後の日曜日。
「うわーすごい綺麗だね、紫雲君」
「そうだね」
あゆ、紫雲、そして香里と北川はスポーツクラブのプールにやってきていた。
「まったくだな。それに人が少ないから独占してる気分になれていいしな」
「それもあるね」
北川の言葉に、紫雲はしみじみと頷いた。
あの後。
香里が普段通りになった事で、北川からの依頼は解決。
そもそもの依頼は調査だったが、結果として関係が元通りになれたのであれば北川としては大満足だったらしく、事件(?)経緯を詳しく聞くことも無かった。
……そもそもの理由から考えて、北川が何も疑問に思わなかったのは香里としては救いだった。
そうして、わだかまりを消す事ができた香里は、北川、そして紫雲とあゆをここに呼んだのだ。
……それぞれへのお詫びとして。
「お待たせ、皆」
と、そこに。
やっと着替え終わったらしい香里がやってきた。
その水着姿を見て、北川が口を開く。
「ん。その、美坂」
「え、なに……?」
北川の顔は微かに赤くなっていた。
それにつられて、香里も赤くなる。
「ちょっと言い難いんだが……」
躊躇いがちに、北川は言った。
「少しだけ、太ったな」
「……」
「……」
「……」
北川の言葉に、周囲の全てが凍りついた。
その言葉は、いかに『他に大事な事がある』と言っても、いくらなんでもストレート過ぎた。
「痩せ過ぎてるよりそのぐらいの方が好きだぜ。俺は」
……北川の言葉はまだ続いていた。
後半の言葉の方が本命だったのかもしれないが、それが真実かどうかは分からない。
というか、もうそれは意味をなさなかった。
立ち昇る怒りのオーラに、北川は気付いていない。
……その中で、紫雲が動く。
その表情には、極めて深い哀れみが刻まれていた。
「お、おい草薙……?」
「全部、君が悪い。諦めてくれ。あと報酬は返せないからそのつもりで」
「って、その鎖何処から持ってきたんだ?というか、その錨は?」
「……北川君、最低……」
「月宮さん何を……って……は?!ま、待て美坂!!違う!誤解だ!!話せば……!!」
「ふふふふふふ………覚悟はいいわね?」
「か、監視員さ……」
その声は監視員に届く事無く。
北川は十数分間の強制潜水の憂き目に合い。
生死の狭間を彷徨ったという。
その北川の姿を見た紫雲とあゆは、十字を切った。
それだけが(巻き込まれたくない)自分たちにできる唯一の事だと理解していた。
『……アーメン』
……終わり。
珍しく後書き。
苦手分野の克服を、という事で壊れギャグにチャレンジしたのですが……
センスないなぁ(涙)。
今後も一人のギャグ好きとして、そして苦手克服のためにも、時々はこのシリーズをやっていこうかなと思います。