プロローグ
夜。
世界がより暗闇に包まれる、新月の夜。
闇に融け消えそうな、何処か禍々しい、漆黒の戦士がそこにいた。
頭部は、四本の『触覚』を角のように生やした黒い複眼の『仮面』。
全身は、その『仮面』と同じ方向性の形状、デザインの『鎧』。
そして、両肩の突起物からは左右二枚ずつの、四枚の黒いマフラーが海風に棚引いている。
しかし、その戦士の全てが漆黒ではなかった。
戦士の鎧の至る所には、三本の光のラインが走っていた。
溢れんばかりの力を、命を証するように力強く、赤・白・紫の光が、脈動するかのように輝き続けていた。
光と闇、矛盾する要素を兼ね合わせたその戦士は、
その刃のような鋭さの姿、生けるもの全てを怯えさせるような威圧感とは相反する役目を背負った存在であった。
人類の自由と平和を守る、その願いを背負い生まれた戦士……仮面ライダーKEY。
雄々しく立つその存在を目の当たりにして、その男は、全身から血を流し、衣服をボロボロにした男は呻くように呟いた。
「さすが、アンチパーぜストプログラムの単体完成形。
どれだけ強化したとて、擬似ライダーシステムでは歯が立たんか。
まさに、最強。まさに、最高。まさに、頂点」
その姿はどう見ても、限りなく死に近付いているはずなのに、男の言葉に淀みはなかった。
ウットリと、まるで最高の美術品を見つけたかのような、感動に満ちた、陶酔した声で男は続ける。
懐から取り出した何かしらの端末を、画面も見ずに何かしらカチカチと操作しながら。
「私の理想、そのまま……実に素晴らしい。
そこに至る為のデータは確かにいただいた」
「こんな時でもデータ取り、か。
でも……もうそれを使う機会なんかないだろ」
仮面ライダーKEYは、ふと背後に視線を向けた。
そこに、白銀の狼、それを人の形にした存在が、その背に一人の青年を背負いつつ、舞い降りた。
「大丈夫……そうだね、相沢君」
「ほら、だから言ったろうが。余計な心配は要らんだろって」
「……でもついてくるんだね、折原君は」
「うっせ。暇だからだよ」
青年を地面に降ろしつつ、言葉を交わしつつ、白銀の狼・ウルフパーゼストは姿を変える……いや、戻したのだ。人の姿に。
白銀の狼だった中性的な容姿の若者……草薙紫雲は、自身が連れて来た折原浩平との会話が途切れると、KEYへと視線を送った。
まだ決着を付けていない事への不満なのか、眉を顰める紫雲に対し、KEYこと相沢祐一は肩を竦めて見せた。
「漫才はともかく、ご覧のとおりだよ。もう終わりだ」
「……みたいだね。
異科学者、G・シューラー。もう貴方に逃げ場はない」
「うむ、確かにそうだね、ハイパーゼストキャリアー、草薙紫雲。
私はこの場に追い詰められ、背後は断崖絶壁、数十メートル下は海面……
この国のドラマでは良くあるシーンだね、うむ」
「妙に詳しいな、オッサン」
「研究の合間にテレビを見ていたからね、アームズ適合者にして抗体保持者、折原浩平。
ああいった様式美はいつどこで生まれるものなのだろうね。
興味深いものだよ実に。暇があったら研究したくもあるね。
だからこそ、ここで死ぬわけにはいかないなぁ」
「……素直に投降するのか?」
「おいおいおい、相沢。コイツはここで始末しとけって。
コイツは、コイツの所業は、もう人間じゃねぇ。
コイツの実験とやらで、どんだけ被害が出たと思ってんだ」
ぶっきらぼうに、どうでも良さそうな口調で浩平はそう口にした。
ただ、彼の眼は刃のように細められ、男を見据えていた。
「今は人の姿してるけどな、実際は……」
「分かってる。分かってるさ……」
祐一の表情は、仮面に遮られて分からない。
それゆえに、浩平は「どうだかね」と吐き捨てるように呟きつつ、もう一人へと視線を送る。
もう一人、草薙紫雲は険しい表情をしていた。
この場に到着する道中にて、いざという時は自分が始末をつける、と断言していた際の表情と同じだ。
だが、それが可能かどうか、浩平は若干怪しんでいた。
相沢祐一にしてもそうだが、草薙紫雲という人間の御人好しぶりもよく知っている。
元々、目の前の男と同じ組織に所属していた自分を勧誘するほどの御人好しなのだ。
そして祐一はそれを認めた上で、今もこうして共に戦っている。
ここ以外のアレコレでも、正直大丈夫かコイツら、と呆れる事も少なからずあった。
(まぁ、それこそ、いざって時は俺がどうにかするがね)
この甘ちゃん共が迷うのは想定の範囲内なのだから。
その決意の下で、浩平が懐の銃……憑依体対策班の人間から拝借してきた……に手を伸ばした時だった。
「若者達よ、心配は要らないよ。
私には投降する気など毛頭無いのだから……!」
男が、パチンッ、と両指を鳴らしたのは。
直後、男の周囲の風景が、ユラリ、と陽炎のように揺らめいた。
「「なにっ!?」」
「転移魔術……!」
紫雲の叫びで、祐一は思い出した。
目の前の存在は、科学のみならず、いや正確に言えば元々オカルト方面の専門家……『魔術師』でもあったらしい事を。
それゆえに、人間では不可能な……
低い適性だったはずの自身の身体を人工のパーゼストに作り変えたり、
擬似ライダーシステムを限りなく本物に近づけたり、
そんな自分自身を全く同じ在り方・性能で量産したり……
事柄の数々をやってのけてきたのだと。
だが、それらの殆どは無効化されている。
擬似ライダーシステム、すなわちベルトはここで完全に破壊したし、
クローンの工場は、裏切り者への粛清としてレクイエムの氷上シュンによって爆破された。
そして、今まさに行われている、人工パーゼスト……パーゼストの生物的な意匠から離れた、無機質なロボットの姿形をしている……への変化だが。
「遅いっ!」
彼自身も言った様に、アンチパーゼストプログラムの完成形である仮面ライダーKEYが、生半可なパーゼストに後れを取るはずもない。
人を越えた怪人さえも凌駕する超人となった、仮面ライダーKEYの電光石火という表現すら生温い速さは、最早人間では認識出来ないレベルであった。
彼の、何かしらの思惑を持った動作の完了よりも速く、KEYの手が人工パーゼストの腕を掴み、動きを阻害する。
だが。
「ああ、その速さは知っているよ……!」
人工パーゼストが声だけでほくそ笑んだ瞬間、KEY掴んだ腕に違和感を覚えた。
何かが、流れていく。
自分の周囲にあるそれ、すなわち、溢れんばかりの生体エネルギー。
仮面ライダーKEYそのものから奪い取られている、という感じではない。
その余剰エネルギーを含めた周辺にあるエネルギーを、吸い込んでいる、というのが近いか。
「術の発動の型が多少崩れても、このエネルギーがあれば転移には……」
男が、そう言い掛けた時だった。
二人の、いやその場にいた者達全員の視界が光で支配された。
その光の中心にいたKEYこと相沢祐一でも、それがなんだったのか、最初は分からなかった。
だが、直後自身の鎧の表皮を焼く熱で……祐一自身にダメージは全くなかったが……気付く。
唐突に、あまりにも突然に……地面が爆発したのだ。
「KEYから立ち上る生体エネルギーを取り込めば、転移の魔術とやらで逃げられたのかもね。
まぁ、させるわけがないけど」
「お前か、氷上ぃっ!」
瞬時にウルフパーゼストとなった紫雲に庇われた浩平の叫びに答えるように、
暗闇の中から音もなく歩み出たのは、温和な表情の青年。
この状況に不似合いな笑顔さえ浮かべている彼の名は、氷上シュン……祐一達とはほぼ敵対している組織、『レクイエム』の人間である。
「そうだよ。まぁ正確に言えば、レクイエムの工作班だけど。
流石にあれだけダメージを受けた後の、対パーゼスト地雷の直撃は効果抜群のようだね。
コソコソ逃げ回って迷惑を掛けまくってくれたけど、これで終わり……」
「俺ら巻き込んだらどうするつもりだこらぁっ! 治療費よこせぇっ!」
「チンピラか、お前は」
「いやいやいや、君達の行動を予測して、しっかり場所を選んで仕込んで、その上で指向性をちゃんと持たせて爆破したし。
裏切り者討伐の協力の御礼として、そこにいる草薙君以外の仮面ライダーなら死なない程度にしてあげたんだから。
まぁ草薙君ならそれでもそうそう死なないだろうけどね、残念な事に」
実際、今の爆破での三人のダメージは皆無だった。
強いて言えば、肉体的にパーゼストである紫雲が爆風でヒリヒリした、その程度。
それとは対照的に、レクイエムのターゲットたる男は大きなダメージを受けていた。
パーゼストとなっていた全身に皹が入り、右手は失われ、左足の一部も抉られていた。
灰色の身体の半分は赤い血で……完全なるパーゼストの血液は緑色である……染まり、至る所から滴っていた。
「本来レクイエムを裏切ったものには、別の、正しい処置があるんだけど……。
今回はね、色々と事情があったから、君達も使った上での、こういう形になったんだ。
……こんなスマートじゃない方法になったのは、貴方の功績を思うと少し残念な事です、博士」
男の姿を目の当たりにして、祐一は気持ち目を細め、ウルフパーゼストの口元がギチリと鳴った。
決して同情しているわけではない。
むしろ自業自得であり因果応報なのは、この場の誰もが理解していた。
ただ、人間のままの血を流す男に、様々な感情が渦巻かずにはいられない、それだけだ。
「……は、ははははっ!」
だが、こんな状況でも男は笑った。
よろよろとよろめき、後ずさり、ついには人間の姿に戻っても笑っていた。
「いやはや、組織というのは、やはり面倒事の種だ。
何処であっても、どんな事をしていても……やはり私には向かないな。
唯一無二、ただ一つの頂点を目指す私には、な」
「失礼ですが、質の良いコピーを得意とする貴方が唯一無二の頂点、というのは高望みじゃないですか?」
「ふふ、コピーする、という事の本質を理解出来ない者の言いそうな事だ。
今時はコピーがオリジナルを凌駕し得る、なんて珍しくないぞ?
そして、コピーだろうとイミテーションだろうと、どんな形であれ、頂点にさえ立てば、それは……ゴホッ! ガホァッ!」
言葉の途中で咳き込み、口からも血を撒き散らす男。
その姿を見て浩平は、ハッ、と鼻で笑うように息を吐き捨てた。
「……もうケリはついただろうが。おとなしくしてやがれ」
「いやいやいや、私はね、諦めが、悪いんだ。
まだ、そうまだ……全ての、生物の、頂点に……立つ、までは……っ!」
「おいっ!」
男は逃げようとしたのか、
あるいは意識が朦朧として状況が把握で来ていなかったのか、
この状況としては不自然なまでに軽やかにバックジャンプした。
そうして飛んだ先には……何もない。
あえて言えば、崖の先端があり、男は無様にそこに踵を引っ掛けて……
バックジャンプの軽やかさが嘘の様に、ひっくり返って落ちていく。
「……っ!」
男が最後に見たのは、人外の速度で自身を追いかけ、手を伸ばす……銀色の人狼。
自分を助けようと思ったのか?
あるいは罪に罰を与える為に生かそうとしたのか?
ただただ何も考えずに、体が動いたのか?
いずれにせよ、興味深くも……中々に、心滾らせるものだ。
その人狼の手を掴み、支えている、先程まで自分を追い詰めていた、目標となるべき存在……だったものも。
「……惜し…な。君…女性であ…たなら……」
全ての頂点に君臨した上で、そうなった自身の次に強いモノを后として、番として、迎え入れる。
そうして、真の意味で生物の頂点に立つ……その対象になったものを。
そんな、完全な言葉にならない声を風に乗せた後……男は海へと落ちていった。堕ちていった。深く深く。
「……外道の末路なんて、あんなもんだろ」
あわや自身達も落下寸前となりつつも、男へと駆け寄ろうとし、そう出来ず、戻ってきた……既に変身を解いている……祐一と紫雲に浩平は言った。
詰まらなそうに、呆れたように。
「僕も同じ意見だね。
まぁ僕達が言えた義理じゃない、と言われるかもだけどね。
……何故助けようとしたんだい?」
何処か悲しげにも、哀れむようにも見える表情でのシュンの問い掛け。
それに対し、紫雲は目を背けるように、男が落ちていった先へと顔を向けつつ答えた。
「……助けようと思ったわけじゃない、そう思う。
ただ、ただ……なんとなく。なんとなく、手を伸ばそうと思った。それだけだよ」
「ああ、そんなもんだ……」
祐一もまた、呟きつつ、紫雲と同じ方向を見据えた。
彼が落ちた先に、何かを見出そうとするかのように。
「ふむ、そういうものかな。まぁ、君達なら、らしい、のかな。
じゃあ今日は帰るよ」
「戦わないのかよ?」
力瘤を作るポーズでそう告げる浩平の姿に苦笑しつつ、シュンは言った。
「流石にお互いに疲れただろ?
というかそう言いながら、少なくとも君は帰る気満々だろ?」
「お前が戦いたいんならやってやってもいいんだぜ?」
「……君は本当に面白いなぁ。
でも、今日は勘弁してもらおうかな。
それじゃあ、ライダーの皆、またいつか近い内に」
そう告げると、氷上シュンは現れた時と同様に静かに暗闇の中へと去っていった。
それを見届けた後、浩平は言った。大きな声で。
「あー疲れた。帰るぞ、お前ら。酒でも飲んで色々発散してからグースカ寝ようぜ」
「……そうだな。そうしよう。お前も付き合うだろ草薙」
「……未成年は飲酒禁止」
「おーおー、いつもの調子が出てきたな。
んじゃ、酒が駄目ならカラオケでも何でもいいから、とりあえず行こうぜ」
そうして、大股で歩き出す浩平。
そんな彼の背中を眺めた二人は、何とはなしに顔を見合わせる。
「……行くか」
「……行こうか」
いつもであれば、顔を見合わせ、付き合わせれば互いに不機嫌となり、口論となる事が多い二人だったが、
今この時は、交わす言葉をそれだけに留めて歩き出した。
「そう言えば、アイツ、最後に変な事言ってたな」
だというのに。
沈黙が思いの他重かったからなのか、
あるいは何か口にせずにはいられなかったのか、
最寄の道路への道を歩く中、祐一が呟いた。
話題としてはどうなんだそれ、と思わないでもなかったのだが、
紫雲もまた何かしら思う所があったのか、憮然とした表情ではあったが、無視せずに答えた。
「……いつぞやの君の夢じゃあるまいし。
なんで誰も彼も僕を女にしたがるんだか……」
「誰も彼も言っても二人なんだが。その内一人が俺なのはアレだが」
「……言葉のあやだよ」
「まさか他の誰かにも言われた事があるのか?」
「……言葉のあやだよ」
「いや、そんな悲痛な面持ちで言わんでも」
紫雲があまりにもなんとも言えない表情をしていたので、祐一は脳裏に浮かんでいた思考をかき消す事にした。
草薙紫雲が女であったなら、もしもそんな世界があったのなら、
あの男は、あの結末は、何か変わっていたのだろうか、というソレを。
……そうして帰路に着く彼らは知らない。
この結末は結末ではなく、この世界の存亡……
否、この世界と、もう一つの世界の存亡にも関わる事件の始まりである事を。
その開幕ベルであるかのように、海底へと沈んでいく男の端末の画面が、緑色に明滅していた事を。
知る由も、なかった。
……続く。