〜Re:start〜


 建物から大きな柱を取り除いたら、支えきれずに倒れてしまう。

 それは、建物に限らない。

 ……集団という中でも同じこと。


 大黒柱に頼りすぎていたあたしたちは……。

 最悪の事態で、ここを支える術を持たずにいた。

 ……何も、できないままで。








 強烈なボールがコートに突き刺さる。
 以前のあたしたちなら、慣れていたはずのボールだった。
 いや、むしろあれよりも強いボールを知っていた。

 ……でも。
 今のあたしたちには届かなかった。
 実力だけじゃない。
 精神的なこともあったんだと思う。

 あたしは、コートの外で「最後」の瞬間を見ているしかできなかった。



「ゲームセット。
 3−1で玄武2中の勝ちです」

 無常にも、審判の声が響き渡る。
 夏の終わりは、あまりにもあっけなかった。

 こんなことはあたしたちが入学してから初めてだった。
 常に県大会上位の常連だった去年からは想像もできなかったこと。
 まさか、地区予選の2回戦で負けてしまうなんて……。


「……勝てたのは、なぎさだけね。
 まだ始めて2年経ってないのに、よくやったわ」

 先輩の声が聞こえた。

 ……褒められて嬉しくないはずはない。

 だけど、それ以上に悲しかった。
 あたしは、こんな形で褒められることを望んでいなかった。
 本当に褒めて欲しかった人がいなかったから……。


「……はい」

 あたし、矢沢なぎさは小さく応えることしかできなかった。





「なぎさ」

 帰り道、泣きそうになる気持ちを抑えながら歩いていると、隣を歩いていた親友の秋山ふぶきが声をかけてきた。
 ふぶきもまた、初心者から始めて夏から試合に出してもらったうちのひとりだ。
 そして、同じ先輩から恩を受けたひとりでもある。


「……どうしてだろ?」

 あたしは呟く。
 あれだけ強かった中学がここまで弱体化したのは……。

 あたしたちがあの2人の先輩に頼りすぎていたから……だろう。
 全てを預けられ、そして頼れる先輩たちを、あたしたちは一度に失ってしまった。

 誰のせいでもなかった。
 だからこそ、悲しかった。


「……私も、あそこまで3年生が弱くなるなんて思ってなかった。
 依存しきってたのかもね」

「うん……」

 あたしは小さく返す。


 だけど。
 もう先輩が戻ってくることはない。
 分かっている。

 3年生は引退してしまった。
 今度はあたしたち2年生がこの部を取りまとめていかなくちゃならない。
 それが、あたしたちに残された課題だった。



 半年前。
 とある事故が元で選手生命を絶たれた同級生の責任を取って、副部長だった先輩が退部に追い込まれた。
 先輩のせいじゃない。
 誰もがそう言ったけど、あの人は鞘を納めるような先輩じゃなかった。

 そして、退部の日。
 ライバルだった部長は最後の勝負を挑み……。
 これまでの無理が祟ったのか、ラストショットを打った瞬間に腕の筋を切ってしまった。

 ……あたしたちは、2人の「終わり」をその場で見ることになってしまったんだ。







 それからしばらくの時が過ぎた。
 1学期が終わったあたしたちは、夏の練習を続けている。
 でも、まとまりはなかった。

 ……なぜなら、まだ部長が決まってなかったからだ。


 本当は3年生の「部長」が、次を指名する形だった。
 だけど、「部長」はあの時から存在せず、代理はやる気をなくしていた。
 ……こんなんじゃ、負けるのも当然だったのかもしれない。



「行くよ」

「はいっ」

 あたしはふぶきと一緒に、1年生の初心者練習に付き合っていた。
 彼女たちももしかしたら、先輩の話を聞いてここに来たのかもしれない。
 本当はガッカリしていたのかもしれない。

 ただ、それだけで続けたくないなんてことは言って欲しくない。
 去年の今頃、貴重な練習時間を割いてまであたしたちに付き合ってくれた人のためにも。

 あの人と全く同じことはできない。
 でも、少しでも上達して欲しい。
 あたしみたいに、下手でも練習して試合に出られるようになって欲しい。



「なぎさ先輩、ふぶき先輩」

「ん?」

 休憩時間、あたしとふぶきは何人かの1年生と話をしていた。
 少しでも慣れて欲しいと、あたしとふぶきは名前で呼ぶことを禁止していない。


「……ここにいた、村上先輩と真田先輩って、どういう先輩だったんですか?」

「……」

 あたしたちは少しだけ瞑目した。
 やっぱり訊きたかったんだろう。


「市の大会で、見たことあるんです。
 すごくかっこよくて……」

 1年生のひとり、二木りさは目を輝かせていた。
 実際のところはあたしやふぶきも先輩に憧れて入ったクチだ。
 その気持ちはよく分かる。


「強くて、だけどそれに驕ることなく常に向上心を持ってる人たちだった。
 器も大きくて、あたしたちみたいに経験がなくても、練習に付き合ってくれたし」

 あたしは話す。
 殊に面倒見がよかったのは、副部長だった真田実花先輩。
 明るい、姉御肌の先輩だった。

 練習で球拾いしかやらせてもらえなかったあたしたち初心者に、一から教えてくれた。
 基本練習の大切さを説きながら、自分自身でも手を抜かずに一緒にやってくれた。
 そして、部長の村上恵理先輩に話して、技術の練習もさせてくれた。

 この2人についていけば、きっと楽しく、上手くなれる。
 ずっとそう思ってた。


「……1年前に見た先輩たちは輝いてて……。
 その周りで応援してるなぎさ先輩たちも素敵でした。
 でも……」

 りさは俯く。

 あたしだって、それは分かっている。

 あの日から、ここにあった明るさは姿を消した。
 大黒柱2人を失った部は、一気に弱体化したんだ。

 3年生はやる気をなくし……。
 2年生も元気を失っていった。

 それが今の姿であることは否定できない。
 結局、あたしたちが実花先輩たちに頼りすぎてたことが原因だったんだから。



 あたしはコートを見た。
 向こうでは何人かの同級生がボールを打ち合っている。

 それは1年前、あたしが羨ましく見ていた光景。
 あたしよりもずっと上手だった子たちだった。

 でも、今のみんなは……。



 ポーン


 ふと、足元にボールが転がってきた。
 見てみると、あたしたちのものじゃない。
 この色は……。


「あ、悪いな」

 向こうから来たのは、ひとりの男子テニス部員だった。
 でもこの人は見たことがある。

 3年生で、今も部長を務めている小幡先輩だ。

 男子部はまだ試合が残っている。
 弱くなったのは、女子部だけだから。


 あたしはボールを拾って小幡先輩に手渡す。


「おうサンキュ、矢沢」

 先輩はあたしの名前を覚えてくれていた。
 実花先輩と仲が良かったからだろう。

「先輩は……、今日も練習ですか?」

「ああ、全中まであとちょっとだからな」

 そう言って笑う。
 何となくだけど、人気があるのは分かる気がする。


「あの……先輩」

「ん?」

 あたしはどうしても話が聞きたかった。
 今のままじゃ、絶対によくならないと思ったから。


「……実花先輩、どうしてますか?」

 包むこともなく、あたしはストレートに質問をぶつけた。

「真田は……、身体は問題なさそうだ」

 小幡先輩の答えはこうだった。
 「身体は問題ない」。
 つまり、体調を崩したり……ということはないということ。

 だけど、それに続くものをあたしは知っている。


「相変わらず、感情を殺したような表情をしてるけどな」

「……」

 あたしは何も言えなかった。
 感情を殺したような顔。
 それは、実花先輩の顔には感情が見えないということ。

 実花先輩の精神的ダメージは計り知れなかった。
 あの、明るい笑い声を……、今はもう聞けない。
 全てを照らしてくれる太陽のような先輩は……、もういないのだった。


「ただ。
 お前らを心配してるのも事実だ」

「えっ?」

 思いがけない言葉だった。


「今のあいつにはまだ……、受け入れられるだけの心の準備がない。
 だが、あいつは今まで世話を見てきた後輩のことを忘れるようなやつじゃない。
 言葉には出してないけどな」

「……」

「多分だが、今回の夏の大会の話も真田の耳には入ってると思う」

「……」

 それは間違いないだろう。
 実花先輩と同じクラスの先輩だっている。
 情報は実花先輩が聞く意思がなくても、耳に入ってしまうだろう。


 ……あたしは愕然とした。


 実花先輩が自分のテニス生命を賭けてまで守りぬいてくれたあたしたちが……。
 こんな形でまだ先輩を苦しめているなんて。



「長話しちまったな。
 またな」

「あ、はい。
 失礼します」

 あたしとふぶきの表情が蒼白になっていくのをわかってか、小幡先輩は練習に戻っていった。


 ……後悔してほしくない。
 これじゃ、恩を仇で返してるようなもんだよ。

 悔しかった。
 嘆きながらも、結局何も動いてない自分が情けなかった。





 練習後。
 あたしたちは顧問の先生と話していた。
 議題はもちろん、新体制のことだ。

 三役も決まっていない状態でまとまるなんて無理がある。
 どうしても早い段階で決めておく必要があったのだ。


「本当にそろそろ決めないとまずいわよ。
 秋の新人戦だって、9月の終わりには始まっちゃうんだから」

 先生は心配そうに言う。


 本来なら、実力者がやるのが筋だ。
 今の2年生には主力がちゃんといる。

 あたしたちで一番上手いのは、夏も出た原柚香だ。
 もちろん、誰もが認めている存在だし、誰も異論はないはず。
 柚香ならやれる。
 そう思っているのだ。

 だけど。


「……私じゃ、無理だよ」

 本人がしり込みしていた。
 自信がなさそうな目を、全員の視線にさらされながら潤ませている。

 ここの部長を務めることはあまりにもプレッシャーがかかること。
 何せ、実花先輩と恵理先輩の「後継」。
 加えて夏の大会の惨敗。
 いやでも負担は倍増する。

 誰だってやりたくない。
 そんな空気がこの「部長」のポストには漂っている。


 こんな話がもう何日続いてるんだろう。
 柚香は一向に首を縦には振らない。
 時間だけが無益に過ぎていくだけだ。

 あたしにしても、重圧のかかるポストには就きたくなかったし、経験者を差し置いて自分がなるなっておこがましかった。


 でも。
 今日は違った。

 さっき、小幡先輩の見せた悲しげな表情。
 実花先輩もまた心配しているという事実。

 ……それらが脳裏に浮かんだあたしは、すっくと立ち上がった。



「なぎさ?」

「あたし、やる」

 みんなの視線が集まる中、あたしはこう宣言した。

 誰もやらなくていいなんてことはない。
 あの顔を見て何も起きなかったら、本当に実花先輩に顔向けできない。


「ちょ、ちょっと!
 本気なの、なぎさ?」

「冗談じゃ言わないよ。
 誰もやらないなら、あたしがやる」

「……」

 あまりにも強く言ったあたしの言葉に、みんなは呆然としていた。


 もう後には退けない。
 あたしは、左手で拳を握った。


「ここでこのテニス部をダメにしちゃ、絶対にいけない。
 それこそ、実花先輩や恵理先輩に失礼だし、顔を向けられないよ」

「……なぎさ」

 少しずつ、みんなの表情に赤みが戻ってくる。
 やっぱり先輩の存在は大きいと思う。


「みんなだって、実花先輩にも、恵理先輩にも助けてもらったんだよ?
 だったら、その恩に今こそ応えるべきだと思う」

 自分でも不思議なくらい口が滑らかだった。
 しどろもどろになりがちな自分が、珍しいことだ。


「秋と冬の大会で頑張って、ちょっとでも強くなって……。
 春の卒業式の日に……。
 実花先輩に『安心して卒業してください』って、あたしは言いたい!」

「……」

 志半ばで部を辞めなくちゃいけなくなった実花先輩だって、悔いは残ってるはず。
 もしかしたら、もうテニスを嫌いになっちゃうかもしれない。
 だけど、あたしはそんなの嫌だ。
 テニスの楽しさを教えてくれた実花先輩が、テニスを嫌いになっちゃうなんて絶対に嫌だ。


「私もなぎさに賛成。
 副部長、私がやるよ」

「ふぶき」

 隣に座ってたふぶきが協力してくれた。


「……なぎさ、強くなったよね」

 柚香も最後は笑ってくれた。
 そして、もうひとりの副部長になってくれたんだ。



 どこまでできるか分からない。
 でも。

 あたしたちの目標は決まった。


 秋の大会で結果を出して……。

 卒業式の日に、実花先輩に笑顔で伝えるんだ。


 先輩が守ろうとしてくれた部は……。

 頑張ってます……って。



「よし、明日から練習頑張ろう。
 完璧に先輩の真似をするのは無理だけど、練習メニューはメモしてあるから」

「うん」

 あたしの声に、みんなが頷く。

 これが新しい始まりになれば……、きっと強くなれる。
 部室から出たあたしの目には、大会の日とは違う夕焼けが映っていることを信じて疑わなかった。



(Fin)



*コメント

 こんにちは、tukiです。
 創作活動を始めて数年ですが、次第に減っていく仲間に少し寂しい想いがします。
 それでも自分たちは好きだからやっていきたい。
 そんな思いを書いてみることにしました。

 …とはいえ、ちょうど自分のとこの作品と重なる形にしてしまいスミマセヌ…。


 これからもともに歩んでいきましょう。
 「ゆーとぴあ本舗」6周年、おめでとうございます。



※管理人のコメント

 好きな事を続けるという事。
 それは好きな事を『教えて』くれた人への感謝の思いの形でもある。
 そんな事を読ませていただいて思いました。

 tukiさん、素晴らしい作品をありがとうございます。
 これからも共に歩けるよう頑張りますので、どうかよろしくお願いします。