オタクな生き方〜オタク国家資格S級 久遠征の場合〜 












『征君は、私の事好きだよね?』

放課後の教室。
夕闇に翳り始めたその場所で、彼女は言った。
その問いに、俺……久遠征(くどう・ただし)は迷いなく答える。

『ああ、好きだ』
『……嬉しい』

そう言うと、彼女は一歩前に進む。それは……息が触れ合うほどの距離。
その距離で顔を上げる。

『……』

 そんな彼女に俺は無言で顔を寄せ……。



「お兄ちゃんっ!」

寄せた、ところで現実に引き戻された。
そこは6畳半ほどの部屋。
至る所にアニメやゲーム(主に美少女モノ)のポスターが貼られ、窓際の棚にはロボットや美少女のフィギュアが占拠している。
その上には『オタク国家検定試験 美少女部門 S級』の証書が入った額縁がある。
ちなみにどれも埃等を被らせたりはしていない。
毎日一時間掛けて丁寧に掃除しているからだ。
つーか俺の命に埃なんぞ被らせてたまるかっての。
まあ、それはさておいて。

「……おいおい、勝手に部屋に入るなよ高美。
 んで、仕事が無い日曜日くらいゆっくりさせてくれ」

クルリ、と座ったまま椅子を廻してパソコンに背を向ける。
そうした先に立っていたのは、俺が目に掛けていた美少女ゲーム専用VUG(ビジュアルアップグラス)を手にした妹の高美。
高校二年のわりにちまっこい身体だが、本人はそれを特に気にもしていない。身内褒めで恐縮だが、明るく元気ないい妹だ。
そんな高美は、怒りゲージ満タンな顔で余り無い胸を主張するように身体を反らし、ツインテールを揺らしながら言った。

「さっきから呼んでるのに返事もしないからじゃないの」
「む。それは俺が悪かったな。……ってどうした顔赤いぞ?」
「ぱ、パソコンの画面がそういうシーンの最中だからよっ」

チラリ、とパソコンに顔を向けるとさっきのキスシーンの途中。
つまり、美少女(巡夏見という優等生キャラでメインヒロイン)が顔を上げて、唇を向けている所で停まっている。
こういうのに免疫が無い(もしかしたら免疫の有無は関係なく女の子は恥ずかしがるものなのかもしれないが……)高美は顔を赤らめたままで、言った。

「大体、お兄ちゃん……恥ずかしくないの?
 妹の前でその、ギャルゲー、だっけ? そういうのやるの」
「別に。俺の身体は三次元に存在していても、俺の心は二次元にある。
 ゆえに三次元の事象にとらわれたりはしないっ!」

冗談1割、本気9割の言葉に、高美は頭が痛そうな(多分実際イタイ)素振りをしてみせた。

そう。俺は三次元の女性に基本的に興味が無い。
言っておくが、一応人並みの美的感覚はあるし、三次元への興味が皆無なわけじゃない。

ただ、二次元と三次元の優先順序が逆なだけだ。
ちなみに声優さんは、両次元に住む存在な。

「うう、お兄ちゃん……私には優しいし、別に不潔でもないし、背は高いし、カッコ悪いわけじゃないのに…………全部台無しだよぉ……」
「こう育ったもんは仕方ないだろ。
 国家試験Sクラスに受かるほどのオタクが兄である自分の生まれの不幸を呪え。で、なんだよ?」
「あ、そうだった」

 コロリ、と立て直す辺り高美も慣れたものだった。うむ。我が妹ながら流石だ。

「清子さんから電話。
 買ったオンラインシアターセット取り付けて、だって」
「おい。今日俺出掛けるって話しただろ」
「ちょっとくらいいでしょ、って言ってたけど」
「つーか。何で家の方に電話するんだ?」
「お兄ちゃんが携帯をオフにしてるからじゃない」

高美の指摘に、机の隅に置いてあった携帯を拾い上げる。
見ると高美の言う通り電源を切っていた。
というかゲームに集中したいから切ってたのを思いっきり忘れていた。

「あー……そうだった。
 でもそれにしても、電話しなくても直接来ればいいのにな」

電源を入れたついでに、メールを確認する。
お、幾つか入ってる。って今日の約束とイベント参加の確認か。
アイツらも行く気満々だな。それでこそ俺の同士、いや同志。
そうして、メールの内容にウンウン頷いていると、高美が言った。

「この部屋に入るのが嫌なんじゃないかな。
 私はもう慣れたし、お兄ちゃんのせいか別に偏見は無いけど……普通の女の人は少し引くよ?」
「ま、そりゃそうか」

こういう文化が日本・秋葉原で主流だった(と思われていた)時代から半世紀以上経ち『オタク』という存在、否、称号が国家資格になるようになっても一般の人の『オタク』への見方はあまり変わっていない。
俺が愛用するようなVUGも、一般的な使用法……スポーツ番組での臨場感を味わうなど……にも応用利用されていて、いわゆるオタク系技術の一般利用が数多い昨今だが、それでも偏った見方は変わらない。
そして、それは俺の幼馴染で、近所に住む高崎清子も……変わらない。

高崎清子。
小さい頃はよく一緒に遊んで、勉強もして、中学までは学校にも一緒に行った。
なのだが……俺の単純なアニメ好きが『世間一般で言うオタク』の方向に行くにつれ、清子が俺と一緒にいる時間は少なくなっていった。
そして高校を卒業後、清子がエスカレーター式で大学に上がり、俺が会社で働くようになってからは会う事自体は余り無くなった。
清子が同じ大学に通う男(ちなみにコイツも幼馴染だ)と付き合うようになったのも、理由の一つなのかもしれないが。

「まあ、いっか」

とりあえず、パソコンの電源を落とし、俺は椅子から立ち上がった。



「おっす、清子。元気にしてたか?」

もうすぐ春なのにいまいち寒さが抜け切らない中を歩く事三分弱……そんな距離にある、一般家庭な一軒家。
広すぎず狭すぎずちょっと質素な玄関に、三次元にしては魅力的な顔を少し歪ませる女が立っていた。
彼女こそが、件の幼馴染、俺の腐れ縁の一人……高崎清子だ。

「……まあ、身体は元気ね。そういうアンタは相変わらずのオタク?」

長い黒髪を手櫛で梳きながら、少し嫌そうな顔で清子は言った。
だがまあ、もう慣れっこなので軽く受け流す。

「まあな。知ってのとおりだ」
「そう。……そんなんだと、一生結婚出来ないわよ」
「いいんだよ、俺はそれで。
 で? 機械オンチの清子様が苦戦してるブツは?」
「リビングよ」

頷いて、俺はリビングへと進むべく、靴を脱いで一歩上がった。

「ちょ……アンタ、靴下は三日履き古したりしてる奴じゃないでしょうね」
「心配するな、俺は常に清潔だ」
「本当でしょうね? オタクって不潔らしいじゃない」
「馬鹿を言うな。俺は二次元の美少女達に嫌われるような真似はせん。
 何処の世界に、不潔で匂う男を最初から好ましく思う美少女が存在してるんだ。
 フラグが立たないじゃないか」

まあオタクなのも結構条件的に不利だが、それは彼女達との接点なので勘弁してもらおう。

「……あーはいはい。
 言ってる意味はよく分からないけど、不潔じゃなきゃいいわ」

呆れた清子の声を耳に入れながら、家に上がった俺は勝手知ったるなんとやらでリビングに到達、作業を開始した。
が、作業は思いの他簡単で、ものの十分でケリがついた。

「ったく、滅茶苦茶簡単じゃないかよ」

昔からあまり変わらない高崎家のリビングの真ん中で俺は言った。
ちなみに時刻としてはおやつ時を回り、夕方に入るかどうか位なので、共働きの清子の両親は当然不在。
大学卒業間近な一人娘の清子さんは慣れない機械を前に一人で途方に暮れていた、というわけだ。
しかし、あまりにも簡単すぎる。普通説明書読めば誰でも出来るぞこの位。

「これなら明の奴で十分だったんじゃないか?」

アキラ。直谷明。俺の親友にして、清子の彼氏。
なんというか……漫画の主人公のような男だ。コイツには色々と思う所があるのだが……。

「明は……その」

その思う所は、清子の煮え切らない言葉と表情のせいで浮かんだ疑問にとりあえず打ち切られた。

「なんだ? また喧嘩してるのかよ」
「わ、悪い?」

思ったままを口にすると、清子は赤らめながら顔を背ける。
清子と明は、正式に彼氏彼女として付き合っているにもかかわらずラブコメの友達以上恋人未満を地で行っている。
つまる所よく喧嘩するのだ。というか傍から見てるとただの痴話喧嘩。
……ったく、コイツらはいつまで経ってもコレか。

「いい悪いの問題じゃないだろ、少なくとも俺に取っちゃあな。 
 つーか、いつもどおりで飽きた。勝手に仲直りすりゃあいい」
「な、何よ、その言い草! 今度は……」
「今度は、なんだよ?」
「う…………なんでもない」
「ふーん?」

実際の所、なんでもない事はないのかもしれないが……まあ、大丈夫だろう。いつもの事だし。

「ま、いいさ。じゃ用も済んだし。
 俺は行くわ。待ち合わせしてるんでな」
「ちょ……待ちなさいよ。コレ」

そう言うと、清子は何かを俺に放り投げた。
ソレをパシッと掴み取り、手を開く。そこには500円玉が一枚。

「おいおい。俺らの仲でこれはないだろ?」
「ア、アンタに貸し借りは残したくないのよ」
「……」

その言葉で、思う。
俺達の関係は、かつての幼馴染で友人な関係ではなくなっているのだと。
何が原因なのかは、分からないが。
……まあ、大方俺がオタクなせいなんだろうけど。

「そか」
「何よ、その何か歯に挟まったような顔は」

その的確な表現だけは流石に付き合いの長さが窺い知れるのだが……今は、ソレが少し空しかったりした。
まあ、その辺りをコイツに語る必要は無い。

「別に。
 まあ、受け取っておくよ。後、見送りはいらんぞ」
「しないわよ」
「じゃな」

彼女の姿を見ずに、背を向けながら手を振って、俺はリビングと高崎家を後にした。



「やれやれ」

清子の家を出た俺は、コートの襟を正し、白い息と呟きを零しながらボンヤリと道を行く。
住宅街を抜け、人の喧騒で満ちた駅前を通り過ぎ、それなりに高いビルが立ち並ぶ中、全国にチェーン店があるファーストフード店に入る。
なんというか、世間様は『オタクは皆メイド喫茶を利用するんじゃないの?』だとか思っているらしいんだが、それは大いなる誤解である。
そう、オタク国家資格のジャンルに『メイド』ができてもおかしくないほどの誤解だ。
……って、この喩えじゃ伝わりにくいか。

さておき、無料スマイルなイラッシャイマセを受けながら、俺は混雑した店内を軽く視線を彷徨わせる。
すると、目的の人物達は簡単に見つけ出せた。

「うぃっス」

ので、軽く手を上げながら連中の傍に近づく。

「おお、来たな」
「というか、待たせてくれたなぁ」

まず、並んで座る男二人がこちらに気付いて声を上げる。
一人は少し痩せ気味で小さく、もう一人はデカい、つーかデブ(本人にそう言うと殺されそうになるが)で横にも広い。
完璧なまでの凸凹コンビと言えるだろう。

痩せ気味な方がグレ丸で、太いのが剣タロ。当然ながら本名ではなく、ハンドルネームだ。
勿論本名を知ってはいるが、そっちの方が呼び易いというか慣れているので定着している。
ちなみに二人ともオタク国家資格 美少女部門B級を持つ中々のツワモノだ。

「悪い悪い」
「ううん、時間は間に合ってるよ。気にしないで久遠さん」

携帯の時刻表示を一瞥しつつ、ショートカットな髪を整えるようにかき上げる彼女の名前は法杖真唯子(ほうじょう・まいこ)。ちなみにこれもハンドルネームだ。
彼女はオタク国家試験をまだ受けていない……いわゆるアマチュアのオタクだ。
しかし、その潜在能力はS級クラスではないかと俺は睨んでいる。
そんな彼女は俺より年下な為か、あるいは俺の所持する資格ゆえか律儀に『さん』付けで呼ぶ(俺はネットにおいても基本的に本名で通している)。
仕事場は男ばかりで、そこでも苗字でしか呼ばれた事が無いのでそれを少しくすぐったく……俺が三次元の存在に抱く感情としては珍しい限りなのだが……思いながら、俺は言った。

「うんうん、君のその心遣いが嬉しいぞ、法杖。
 君が三次元でさえなければ惚れてるところだ」
「う、うーん……喜んでいいんだか悪いんだか分かんないなぁ」

窓際の隅の席に陣取っていたこの三人は、ネットで知り合った俺の同志。
俺と同様に二次元に魂を賭けられるナイスな奴らだ。
そうして軽い挨拶を済ませた俺はレジに向かった。
そこで注文&商品確保して、再び彼らの元に舞い戻る。

「悪いな、待たせた」

言いながら、バーガーセットを載せたトレイを空いた席……法杖の隣……に置き、紺のコートを椅子に掛けて座る。
そのタイミングを見計らったように、男にしては少し高い声でグレ丸が言う。

「気にするなよ、大した事じゃない。……来週のイベントに遅れたら話は別だけどな。
 なんせ遅刻厳禁だし」

その隣……丁度俺の真向かい……に座る剣タロはSサイズのコーラを一口啜ってから見た目のイメージ通りの太めで低い声で言った。

「馬鹿だな、彼がそんな遅れを取る筈はないじゃないか。彼は『S級』だよ?」
「はっはっは、当然だ」

オタク国家資格。
それは今や『オタク産業』を国の武器にしていると同時に、オタクを数多く擁する日本が作り出した、他の国家資格とは趣が異なる特殊な資格制度。
アニメ、漫画、ゲーム、特撮、美少女……などなど、それぞれのジャンルの高い知識と経済貢献証明の果てに与えられるこの資格を持つ者は『オタク産業』な仕事に就く際に大いに有利となり(勿論ジャンルが合えば尚良し)、
各ジャンルのイベントなどに優先的に参加できる他、様々な恩恵が与えられる。
その中でも、俺が持つS級資格を所持(ジャンルは問わず)しているのは、今の所日本に十三人しかいない(ちなみに俺は経済貢献はさほどではなく、知識でカバーしているS級だ)。

この国家資格の案が出た時の混乱は大きかった。
だが、それでも当時の政府は強行にこの国家資格を実現させた。
その裏には増え続けていた異常な犯罪(オタクが引き起こしたとよく言われていた)に対応するべく、犯罪者予備軍であるオタク……世間一般の人々はそう考えている節がある……をリストアップする為、という考えがあった、のではないかとまことしやかに囁かれている。
当然と言うべきか、今もって真相は定かではないのだが。

まあ、俺達にしてみればどうでもいい事だ。
試験を受けて、毎年の資格更新試験と経済貢献証明書を提出さえすれば、就職に有利になる上に、色々なレアイベントやレアアイテムが手に入りやすくなるのだから。

仮にこの資格で捕捉され、捕まる奴が出たとすれば……それは真の『オタク』ではない。
真のオタクは人に多少迷惑は掛けても、自ら害を与えるような存在ではない。
俺はそう思っているからだ。

「……しかし、お前ら相変わらず食事バランスが逆じゃないかと思うんだが」

そんな脱線気味な思考を切って、意識を三次元側に戻して言う俺。
その言葉に法杖はクスクスと笑ってみせた。

「うん、本当だよね。というか不思議かな」
「ふふ、その方が意外性あって面白いだろ?」
「そりゃあ、認めるが……って、それより本題はいいのかよ?」
「グレの言う通りだね。じゃあ、確認を。
 イベントが行われるのがピッタリ一週間後の日曜日。
 今の所全員参加で問題無し。というか参加しない奴がいたら修正したいと思います、うん」
「うんうん、この機会じゃないと手に入らないレアイベント&データだもんね」

法杖の言葉に、俺達は揃って頷く。
一週間後に行われる都内某所で行われるイベント。
それはパソコン美少女ゲームのキャラクターライブだ。
半世紀前のこの手のイベントは、キャラクターの声優さんがメインとなるイベントが主流だったらしいが、今はソレ半分、もう半分はVUG持込による『キャラクターそのもの』のライブなのだ。
そして、ライブイベントに参加した人々には、専用のイベントが追加されるディスクが贈られる(ちなみにディスクには完璧なコピー不可システムが盛り込まれている)。
基本そこに来た人にしか配らないものなので、そのキャラクターのファンであるならば死んでも行きたい、というか行かなければ処刑モノ。

「しっかし、法杖も相変わらずモノ好きだよな」

女の子であるにもかかわらず、美少女キャラのイベントに参加する法杖。
というか、以前から何度も参加していると彼女は語る。
そうそう。初めてオフ会で会った時は名前通り女の子だった事に多少なりとも驚いたっけ。

「なんというか、いいのか?」
「いいのっ! だって、あの娘可愛いじゃないっ!
 可愛いものを愛でるのに、二次元も三次元も男も女も関係ないよっ!」

俺の発言に、瞳をキラキラさせながら高々と拳を掲げ握り締める法杖。
周囲の視線が集まるが、拳を引っ込めたりはしない。

「うむ。ソレでこそ我らが同志」

いい意味で周囲が見えてないのは立派なオタクの証だ。
悪い意味では問題ありだが今は問題無しだろう。

「久遠さん……私を試していたの?」
「フ……。の、つもりだったんだがな。試すまでも無かった。君の目は俺と同じだ」
「久遠さん……」

見つめ合う俺達。そこにあるのは確かなシンパシー。
コレが二次元の世界ならば多分バック周囲には点描が輝いているだろう。
うむ、理解し合うとはいい事だ。

「おーい、お前ら〜。なんというか、俺達的にはいい会話だが一般人は引く事を忘れるなよー?」
「はいはい」
「はーい」
「まあ、いつもの事だからそれはさておき。会場へはどうしようか?」

剣タロが言う『どうする』は、厳密には『どうやって行く?』だ。
まあ選択肢としては、バス、タクシー、徒歩辺りだろう……そう考えていると、法杖から意外な提案が挙がった。

「あ、それなら私の車で行こうよ。
 下調べで近くに駐車場あるの確認済みだし」
「お、免許取ったのかマイっち」
「やるなぁ、マイの字」

ちなみにマイっちと呼ぶのがグレ丸で、マイの字と呼ぶのが剣タロ。
ポテトを頬張り、その数を消化しつつ、法杖は二人の言葉に頷いた。

「うん、思いの他お金掛かって掛かってゲンナリしたけどね。
 後、個人的にはバイクが良かったけど……市販のバイクじゃ仮面の戦士チックになれないし、今回は諦めたの。
 いや、勿論魂的にはいつだって風を力に出来る勢いなんだけどね」
「うむ。その心意気や良し」
「お前らジャンル特撮でも資格取れば?」
「もう少し知識を蓄えたらな」
「そうだね」

グレ丸の提案に、日曜朝の特撮を欠かさずチェックしている俺達はそれぞれ答えた。
そんな会話の後は当日の待ち合わせ場所と時間を決めて、一時間ほど雑談して解散となった。
その頃には少し暗くなっていた事もあり、俺は法杖を家の近くまで送る事にした。
俺達がこうしてつるむのも、広大なネットで知り合ったにもかかわらず割と近所に生息しているからでもある。
勿論一番の理由は『共感できる』から、だが。

「久遠さん、いつもありがと」
「気にするな。
 君は確かに分類上三次元だが、それ以前に同志だからな」
「ははは…」
「それにこの辺りは良く知ってるしな」

冷えた風が吹く夕闇の道をノンビリ歩きながら話す俺達。
駅前を通り過ぎた少し先の住宅街には冬らしい冷たさと静けさがあって、心を二次元に置く俺でさえ染み入るものがある。
オタクと言えども、こういう情緒は嫌いじゃないのである。

「それにしてもイベント、楽しみだね」
「そだな」
 
なんせ今回配布されるイベントディスクにはゲーム非攻略キャラクターイベントが入っている。

「久遠さん、最初から彼女の事クリアしたいって言ってたもんね」

美少女ゲーム『とりおと。』。
美少女ゲームオタクの猛者達をいとも簡単に昇天させ、多くの一般人をオタク道に引きずり込んだ名作中の名作だ。
作られて二年になるが、今もってその輝きは色褪せない。
そんな作品なだけに登場キャラクター全てにバランス良くファンがついた……のだが。
その中において、例外的に頭一つ分高い人気を誇るヒロイン……否、サブヒロインがいた。

『星華彩』。
基本は気さくで明るく優しいお姉さん的同級生だが、その所作の隙間隙間に深い闇を垣間見せる少女。
彼女が絡むシナリオは長いので内容は割愛するが、友達の少女の為に自分自身の想いと命を犠牲にしたシナリオは賛否両論を巻き起こしながら、彼女のファンを増大させた。
シナリオ自体は王道中の王道なのだが、それがまたいい。
俺が王道大好きなのを差し引いても素晴らしいものがあった。
だが、その素晴らしさを引き立てたのは紛れも無く『華彩』の魅力によるものだ。
そんな彼女の専用シナリオをプレイ&クリアできるシナリオが追加されるディスクが手に入るというのなら行かない手はない。
つーか行く。行かないと生きてられん。
最初から……それこそゲームが発売される前から直感で彼女が一番だと感じていた俺なら尚の事だ(勿論ライブそのものも楽しみだが)。
だから、俺は法杖の言葉に鷹揚に頷いて見せた。

「ああ。俺はこの日が来るのを待っていた。
 ゲームについてたユーザー葉書には命を込めてヒロイン化要望を書き、違う方向性からアピールするメールを送り、彼女関連のライブイベントでは吼えたぎり、彼女の関連商品はCD、DVD,アンソロジーコミック、フィギュア、カード、デフォルメヌイグルミ、同人誌、エトセトラエトセトラ、全てそろえた。
 そして、その果てに俺は限定千人イベントのチケットを手に入れたのだ……!」

同士達の屍を、血の涙を流し、飲んで、踏み越え乗り越え手に入れたプラチナチケット。
言っとくが例え億や兆単位を詰まれても売る気は毛頭無いぞ。絶対無い。売ってたまるかあああああっ!

「……ありがと。
 そんなイベントに私も行けるのは久遠さんのお陰だよ」

今回はS級資格の恩恵で、割と簡単に(まあそれでも遊園地で人気の乗り物待ちに半日掛ける程度の苦難はあったが)二人分入手出来た。
その一枚を彼女に渡した、という訳だ。
ちなみにグレ丸&剣タロは自主取得。
まあ二人は資格を持っていて、彼女は持っていないので当然と言えば当然の処置だが。

「この広い世界で特に親しくなった同志だからな、当然だ」
「同志……か」
「ああ。……それがどうかしたか?」
「あのね、久遠さん、私……」

そうして法杖が何か言い掛けた時。

「お、征じゃないか」

法杖が何かを言葉にするそのタイミングに、道の向こうから現れたその男……中肉中背で、三次元的に見ればまあまあの美男……は、軽い笑みを浮かべながら親しげに俺に声を掛けた。

「……む、明か」
「あ、そ、その。お知り合いだね。
 じゃあ、私は邪魔にならないようにここで」
「ん? 別に気にしなくていい……って、速いなっ!」

俺がそう言う前に、法杖はその男に会釈しつつも脇を通り過ぎ、路地の向こうに去って行った。
仕方なく、俺は彼女に軽く手を振った。

「気をつけてなー! イベントに行く前に怪我とかするなよーっ」
「うんっー……」

大きく頷きながら手を振り返し、法杖は路地裏の向こうに消えた。

「イベント、か。……相変わらずだな、お前」

その全てを見届けた後、男……もう一人の腐れ縁幼馴染・直谷明はそう言った。
明の呟きに、俺は顔を僅かに顰めながら答える。

「それはこっちの台詞だ。また清子と喧嘩してるんだってな。
 夫婦喧嘩は犬も食わんが、お前らのはいい加減犬が食えそうなレベルに調理されてきたんじゃないかって気がするぞ」
「なら、お前の駄目っぷりレベルも相当なものじゃないか。
 さっきの雰囲気から言って、あの子、お前の事好きなんじゃないのか?」
「……少なくとも好意を持ってくれてるのは、気付いてるよ。
 だが、お前も知っての通り、俺は……。」
「二次元愛好者だってか? それは聞き飽きた。耳にタコだよタコ」
「……それに、彼女が抱いている好意が俺を純粋に男として見ているものかなんて分からないだろ」
「そうか? 単にお前が鈍いだけって気が……。」

 プツン。

「……って、征? どうしたワナワナ震えて」
「あのな、明……。
 高校時代二次元的王道主人公な生活に生きて……多くの美少女の好意に滅茶苦茶鈍かったお前がソレを言うなぁぁぁっ!」
「おおおおっ? 首を絞めるなぁぁぁ!」
「何だよお前! ハーレムエンドも可能だったってのに!
 謝れ! 全国の夢見る青少年達&大きなお友達に謝れ!
 大体そんなのの間近にいながら無視られた俺が三次元を面白いと思えるかああああああああっ!」
「言い掛かりだあああああああああああああああああああああっ!」

……これで大方の人が勘付いたのではなかろうか。
今の俺が二次元愛好に走った理由を。

そう。
それは眼前の男のラブコメ漫画及び美少女漫画の主人公かと思わせるほどのハーレムっぷり、そのすぐ傍にいたにもかかわらず少女達に半ばシカト、及びイイヒト扱いされただけで終わった俺の男の悲しみによるものなのだっ!
この野郎、中学・高校時代は少し特殊ではあるが三次元としては中々な美少女達にモテて(当時の本人自覚無し)、傍目ハーレム状態の中から幼馴染の清子を選んで今に至っている。
あまりのモテぶりに、当時は『コイツ漫画から抜け出てきたんじゃあるまいな』とも疑ったものだ。
……そんな『目覚め』であるにもかかわらず、今の俺がヒネることなく王道好きなのは俺自身不思議でたまらないのだが。

「く、待て……! た、確かに当時の俺は嬉しい事にあの子達に慕われていたが、お前の趣味は元からだろうが……!」
「む。……それは否定せんが」

明の言葉に納得して、首を絞めていた手を離す。
……確かに、明のハーレム状態に気付く以前から二次元には傾倒していたのは事実。
ただ、それで七割、いや八割方だった傾きがほぼ決定的になったというか、覚醒したという事なのだが。

「ゴホッゴホッ……ったく、お前って奴は……」
「ふむ。少し行き過ぎたところがあったな。謝罪しておこう」
「お前言っとくけど、ソレ謝ってないからな。まあ、俺はお前の事知ってるから許してやるが」

その言葉に、俺は思わずニヤリと笑う。

(……ったく、相変わらずか)
 
何度も言うようだが。
コイツは主人公のような男なので、器がデカイ、いい奴だ。
さっきの事にしても、多分やったのが旧知の仲である俺でなくても、謝罪があれば簡単に許してしまえるだろう。
そんな奴だからこそ、二次元最優先な俺でさえ友人関係を続けていられるのだし、近くにいるほどに性格が粗く悪くなっていく清子とも付き合えるのだ。
そして、だからこそ……中学・高校時代、多くの悩みを抱えていた少女達にも好かれていたのだろう。

「……まあ、それはともかく、だ」

 ゴホンゴホンと咳払いをして(なんとなく様になるから)、俺は言う。

「俺を二次元の世界に導いてくれた事には感謝してるぞ。なんせ今の俺の毎日は薔薇色だ。
 ああ、夏見ちゃん、惠、クリスさん、喜代先輩、ハナ、メルティ、雪、ソラ、アカネ、草子(以下五百人ほど人名が続きますが省略)……目を閉じれば彼女達との思い出が色鮮やかに蘇るっ!」

ちなみに、言うまでも無いが全員美少女ゲームのヒロインだ。

「いや、俺はそんなお前の姿が俺のせいだって言うなら罪悪感を覚えるんだが……」

思いっきり顔を引きつらせる明。その肩をポンポンと叩いてやる。

「気にするな。どの道、今は今でしかない。イフを語っても仕方あるまい。」
「そりゃあそうだが……」
「ともかくだ。幸せな俺の事を気にする暇があるなら、清子の事を気にしてやれ。
 二次元三次元関係なく女の子を悲しませるものでもないだろ。俺は基本二次元オンリーだが」
「……」
「なんだ? えらく反応が鈍いが」

明は急に押し黙ると、こちらの様子を伺うような視線を向けた。

「……お前、清子から話聞いてないのか?」
「? 俺はお前らが喧嘩してるのを清子の様子から悟っただけだ。
 大体、今のアイツは俺を嫌ってるからな。痴話喧嘩の事情まで話すわけ無いだろ。
 何か、あったのか?」

僅かに沈む明の様子にどうやら思っていたようなただの喧嘩ではないらしい事を悟って訊くと、明は素直に事の次第を話し出した。

「……実はな。これからの事で揉めちまったんだ」
「これから……?
 ああ、お前ら今週大学卒業するもんな……って、今更今後の事で揉めてんのかよ」

三月始めで、もうすぐ春に入ろうとしている時期。
今更単位が取れてないから卒業できないとか言うつもりじゃなかろうな、と呆れ顔を明に見せる。
その視線の意味に気付いたのか、明は即座に付け加えた。

「一応言っとくが、卒業は出来るからな」
「む。そうか。じゃあ……あれか? 就職が決まってないのか?」
「いや、それも決まってた。つーか、前決まったって話したろうが」
「覚えちゃいるが、駄目になったって可能性を踏まえて言ってるだけだ。
 ……じゃあ、何が問題なんだよ?」
「二ヶ月前、さ。俺の親父死んだだろ?」
「……ああ」

明の親父さん。
生前は有名な総合企業に勤めていた中々に優秀な会社員だったらしい。
だが、優秀だったからなのか、何か問題でもあったのか、俺達が小さい頃から出張ばかりしていた。
それにうんざりしていたらしい親父さんは、明の高校合格が確定したやいなや「丁度いい機会だから」と明のおふくろさん共々田舎の支社に移っていった。
親父さんの多忙さを目の当たりにしてきた明もソレを承諾し、寮暮らしを始め(それが清子との縁が深まる理由の一つでもあった)……直谷家は二つに分かれた生活を始めた。
だが、そんな暮らしを始めて身体が安心したのか、はたまたそれまでの無理が祟ったのか、明が大学に入った頃から親父さんは色々な病気に罹り始め……つい二ヶ月前に亡くなった。
不幸中の幸いで、それまでの積み立てがかなりあった事、明の大学卒業が間近に迫っていた事、明が一人息子だった事もあって、お袋さん一人の生活はさほど苦にならないらしい……葬儀に参列した時にそう聞いて少し安心していたのだが。

「それが、どうかしたのか?」
「ん……一週間位前か。お袋が倒れたって連絡が来てな。
 なんかさ、心労で倒れたらしい。……いや心配するな、大した事は無かった」
「そう、か。それは良かった」

昔、明や清子と一緒に遊んでいた頃、よく手作りのお菓子を振舞って、優しくくれた明のお袋さん。
いくら基本二次元に心を置く俺でも、その無事は素直に嬉しかった。

「心配してくれてサンキュな。
 まあ、それでだ。倒れてから三日も経たずに元気になったお袋は、何事も無かったように俺を追い出した。
 で止むを得ず一旦こっちに帰ってきた。……でもな。」

そこで言葉を切ると、明は何処か遠い目をして……お袋さんに視線を向けているのだろう……呟いた。

「実際、倒れられると気が気じゃなかった.
 今はもう元気で大丈夫だってお袋は言ってたし、事実そうなんだって医者も保障してくれた事は頭で分かってる。
 でも……一度考え始めると、気になって気になって……で、色々考えた挙句、この期に親孝行しょうって決めた。」
「就職蹴って、お袋さんの傍に行くつもりなのか?」
「ああ。お袋にはまだ話してないけどな。説得する。
 仕事は……探す意欲さえあれば見つかるさ。」
「ふむ。まあ、俺的には悪くないと思うが」

もし、問題があるとすれば……唯一つ。

「アイツは……清子の奴はどうするんだよ。
 いや、っていうか、それ聞いてアイツが黙ってるはずが無い。
 それを考えるに……お前、まだ詳しい事を清子に話してないな」
「流石に分かるか。その通りだよ」
「なんで話してないんだよ?」
「アイツ、さ。……夢、叶えられそうなんだよ」
「……そっか。先生になれるのか、清子の奴」

清子の夢。それは先生になる事だ。
なんというか、小さい頃から俺と明が迷惑を掛け捲ったのが切欠で、教育に目覚めたとか何とか。
要するに、俺らみたいな……というか明みたいな……馬鹿を放っておけないのだろう。
明の話によると、とりあえず採用候補者名簿に登録され、そろそろ勤務地の連絡があるらしいが……つまるところ、余程の事が無い限り教鞭を振るうのは本決まりらしい。

「話せばアイツの事だ。俺と同じ様に採用蹴って俺と一緒に行こうとする。
 自分の一番大事なことをほっぽりだして。ただ俺の為に……苦労を共にしようとしてくれると思う。
 だからまだ話してない……話してないんだが、やっぱりというか、薄々勘付いてるみたいで……んで、その辺の事突付きあってる内に軽く喧嘩しちまったんだよ。それが一昨日」
「お前ら本当に相変わらずだな」

ほとほと感心していいやら呆れていいやら、だ。
互いの大事は感じ合っているのに、微妙にすれ違ったり喧嘩したり。
つくづく王道なラブコメカップルだ。

「……で、どうするんだよ? まさか、このままダンマリ続けるわけじゃないだろ。」

そうだったら、とりあえずお決まりの説教でもしようかと言ってみる。
だが明は首を横に振って、キッパリと言った。

「ああ、明日話す。
 つーか……お前にそう言われて、踏ん切りがついたよ」

流石に今のコイツには中学・高校時代の優柔不断さは無かった。
『経験を重ねた主人公』の顔をしていた。
……これなら余計な心配はしなくていいだろう。少なくともコイツに関しては。

「ふん。まあ、精々上手くやるこったな」
「ああ。悪いな、変な話聞かせて」
「気にするなよ。一応、ダチだろ」

まあ、俺の心は二次元在住なのだが。

「一応じゃない一応じゃない。俺達三人は、ずっとダチだ」
「そっかぁ? 清子はそう思ってないだろ。アイツの俺嫌い、拍車掛かってる気がするぞ」
「んな事はないって。まあ、その辺はまた今度話すとするか、もう暗いし」
「今度話すかは別として、そうだな」

夕闇だった世界は既に闇になり、街灯がボンヤリ俺達を照らしている。
いつまでもこんな所でしゃべっていても通行の邪魔になるだけだ。
身体が三次元にある以上は、そういう事にもちゃんと気を配らないとな、うむ。

「じゃな。重ねて言うが上手い事やれよ」
「お前はさっきの娘の気持ちを考えてやれよ」
「やかましい」

最後に毒づく形で俺達は別れ、それぞれの帰路に就いた。



それから、二日後。

「ただいまー」

これでも俺は一応会社勤め(世間一般から見て普通の会社員だ)している。
たまに『オタク資格あるのになんで普通の会社に?』と訊かれるのだが、俺は創作する側でも、提供する側でも、それらをサポートする側も合わないと思っている。
電波受信オンリーというわけだ。
まあ、そういう方向に興味が無いわけでもないのだが。

「あ、お兄ちゃん、お帰り」

そんな事を考えながら靴を脱いでいると、風呂上りなのか、濡れた髪をタオルで擦るように拭きながら高美が現れた。

「おう、ただいま」

軽く答えながら湯気といい匂いが立つ脇をすり抜けた俺は二階の自室に上がった。
適当に楽な服に着替え、やれやれと肩を廻しつつ、パソコンを起動させる。

「……晩飯まで時間ありそうだな」

時刻表示を確認した俺は椅子に座ってVUGを装着し、この間からハマっているパソコンの美少女ゲーム(年齢制限付き)をプレイ開始する。
昨日三人目である巡夏見嬢をクリアしたので、涙を飲んで彼女とは一時お別れ。
4人目のヒロインとの逢瀬に入る。
さてはて……今回は誰とお付き合いすることになるのやら。

「ん。このオープニングは何回見ても凝ってるな。」

プロローグの後に始まる、主題歌と共に流れるオープニングムービーを眺める。
VUGのお陰で映画館か、それ以上の臨場感が俺の頭を刺激した。

「……そうだな。彼女にするか」

その中に登場する、少し活発そうな女の子が網膜に刻まれる。いわゆる幼馴染ヒロインだ。

「……ふむ。そういや、アイツら大丈夫かねぇ」

幼馴染という単語で、少しだけ三次元に心を送る。
あれから二日が経っているが、果たして問題は解決したのか。多少気にはなっているのだが……。

「ま、今はイイか」

それはそれ、これはこれ。三次元の出来事は二次元マインドには関係ないのである。
そうして俺は二次元世界に帰還していく……。

「お兄ちゃん、電話だよって言ってるじゃないっ!」
「……って、またか高美」

その矢先。高美が声を上げながら部屋に入ってくる。
二日前と違って、二次元世界に完全に没入する前なので俺は手早くVUGを外して、高美に向き直った。

「またお兄ちゃんが携帯をオフにしてるからでしょ。」

また、を強調しながらの高美の言葉に、苦笑を零す。

「しょうがないだろ。兄ちゃんは二次元の世界に帰ってたんだから」
「三次元が帰る世界でしょっ!」
「はっはっは、今更気にするなよ。で、今度は何だよ」
「もう……清子さんから電話。
 こないだのシアターセットがちゃんとセットされてないから速攻来なさいって」
「なにぃ?」

俺は思わず首を捻った。
起動は三度確認したし、オンラインからのダウンロードも問題なかった筈だ。

「アイツ壊したんじゃなかろうな」
「うーん……清子さん一家、機械オンチだしね。ともかく行ってあげてよ」

高美は、清子や明と遊ぶ機会が多かった事もあってか、二人の事を実の兄である俺と同じ位か、それ以上に尊敬し大切に思っている。
良きお姉ちゃんとお兄ちゃんとして。
だから、二人が困っているのを放っておけないのだろう。それがどんなに小さな事だとしても。

「……分かった。そう心配そうな顔をするな。俺が何とかしておいてやるから」
「うんっ」

ポンポン、と頭を撫でてやると、高美は満面の笑顔を浮かべた。



「……遅かったじゃないの」
「うるせ。急な呼び出しに答えてやっただけでもありがたく思え。」

着替えニ分駆け足一分で夜の町を駆け、高崎家に向かった俺は、高崎家の門に寄り掛かる清子の姿を認め、挨拶無しに話しかけた。

「で、問題のシアターセットの調子は?」
「……」
「おい?」
「あ、あれね。アレは少し弄ったら直ったわ」
「なに?」

……信じられない。
コイツは恐ろしいまでの機械オンチ。
コイツが触った機械は例外なく壊れるといっても過言じゃないほどの家電クラッシャーなのだ。
それが、直った? ぶっちゃけ有り得ん。
なら……嘘か。何の為に……?
疑念のこもった視線を送る。
それを受けてなのか、最初からそのつもりだったのか、清子は言った。

「まあ、それはもういいから、少し歩かない? 久しぶりに話でもしよ」
「なんだよ一体。つーか、珍しいな。お前、今の俺嫌いじゃなかったのか?」
「……」
「?」
「……誰がいつそんな事言ったのよ。別に嫌いになった訳じゃないわよ。
 それともなに? 私が人の本質を見ない人間だとでも?
 ……まあ、世間一般のイメージのオタクは嫌いだけどね」
「おいおい。それは一般的なオタクに失礼ってもんだ。俺はいいが、彼らには謝れ」

同胞を否定されるのは気分が良くないので、言っておく。
だが、清子はそれに答えることなく、チラリとこちらを一瞥して歩き出した。

「……ったく」

なんと言うかコイツも昔から変わらないよなぁ、とか思いながら、清子の後を歩く。
昔、コイツを先頭に三人で街中を歩き回っていた時のように。

「昔はさ、こうやって街を三人で歩き回ってたよね」

どうやら同じ事を考えていたらしく、清子が言った。

「そうだな」
「あの時から、色々変わったわね」
「ああ。ま、俺はお前らが付き合う事になるのは随分前から予想してたけどな」
「私はアンタが国家資格を取るまでのオタクになるとは思わなかったけど。
 しかもジャンルは美少女」
「悪いか?」

背を見せたままの清子に言う。清子は振り向かずに答えた。

「私は女だからね。
 例え作り手や受け取り手が思わなくても、女の子を食い物にしてるようなのはあんまりいい気がしないかな」
「そらそうだな」
「……怒らないの?」

意外そうに呟く清子に、俺は「やれやれ」と零す。

「そういう見方があるのは当然だろ。慣れっこさ」
「……ね。一つ訊きたい事があるんだけど、いい?」
「言ってみろよ」

何か空気が変わるのを感じて、素直に話を進める。
すると清子は星が余り見えない夜空を見上げながら、その『訊きたい事』を形にした。

「アンタの大好きなフィクションの……ラブコメとかにあるじゃない。
 恋に恋するヒロインが二者択一を迫られる。
 好きな人と一緒にいるか、自分の夢を叶えるか。
 アンタの知る王道とやらなら……その子はどっちを選ぶのかな」

ソレが何の事を指しているのは、火を見るより明らかだ。
なるほど。最初からその話がしたかったわけで、その為の嘘だったか。

「……そういう場合、王道なら結果で言えばハッピーエンドなんだけどな。
 真の王道ってのは、道筋はともかくとしてハッピーエンドになる事だし」

とりあえず、冗談交じりにそう答えてみるが……真剣モードな清子はやはりお気に召さなかったようだ。

「はぐらかさないで」
「へいへい。……簡単だ。そのヒロインの恋人がヒロインの夢を叶えさせる。
 無理して一緒になっても、ヒロインの夢を潰した重みに二人とも耐えられなくなるからな」
「……やっぱ、そっか」

俺がそんな王道を口にすると、清子は微かな笑みと共にこっちに振り向いた。
言葉と共に白い息が零れ……闇に散っていった。正直、綺麗だった。

「じゃあ、ヒロインは黙って、我慢して、夢を叶える事にしますか。
 いつか恋人が迎えに来る日まで、ね」

そう言う清子の笑顔は……酷く寂しそうだった。
昨日クリアしたばかりのゲームのヒロインの顔を思い出す。
それもまた、今清子が語ったような王道な物語だったから。
ソレを思い出したからか。あるいは柄にも無く、三次元を綺麗だと思ったからか。

「……一つ、言っとく」
「なに?」
「様々な王道を知る俺の立場から言わせてもらえれば、だ。
 たまには王道から外れるのも悪くないと思うぞ」

俺は、思うままに、呟いた。
それは……昔から見ていた『王道』への、反発だったのだろうか。
正直、よく分からないままに呟いていた。

「……なによ、それ」

そんな俺の言葉は……さっきの冗談よりも、清子のお気に召さなかったようだ。

「……」
「なんで、そんな事言うのよ……! やっと諦められそうだったのに……!」
「そんなの俺が知るか」
「な……!」
「俺はただ、言いたい事を言っただけだ。
 主人公とヒロインをよく知る友人……『脇役』としてな」
「……!」
「大体“ソレ”はお前が決める事だろ。
 んで誰かの言葉にふらつくような決心なら考え直した方がいいぞ。それこそ後悔するだけだ」
「う、ぐ……」
「じゃあな。後は自分で考えろ」

言葉と心が詰まった清子を置いて、俺は家に戻った。



それから数日経って……日曜日。
その日その時の俺は、法杖が運転する車の助手席で流れる街並み、雑踏を眺めていた。
程好い暖房が心地よく、ボンヤリ度が高くなっている。

「ちょっと回り道しちゃったな」

夕方から始まる……後三十分位が開園予定時刻……イベント目指して、法杖の車が日曜の街を縫うように走っていく。

「しょうがないってマイっち。この辺は車も多いし道は入り組んでるし」
「そうだね。……久遠?」
「ん?」
「いや、さっきから無言だから……」
「ああ、悪い。少し考え事だ」
「イベントでどう騒ぐか考えてたんだろ? 流石だな」
「……まあな」

実際の所を言えば、ソレが半分、あと半分は微妙に呆けていた。
理由はある。
アイツ……明の奴が今日発つ。
新幹線とローカル線の組み合わせで行くとかメールには書いてあった。
一応日時は聞いたが、今日のイベントと重なってしまったので見送りはしない。
その旨はちゃんと伝えたし、代わりに高美が行く事になってるし問題ないだろう。
清子は…………なんか喧嘩したまま連絡がつかないらしい。
どうやら、俺との『会話』の前から明と揉めたままだったようだ。

「……久遠さん、気分悪い? 私運転下手かな」

そんな不安そうな言葉で、チラチラと横目で俺を心配そうに見る法杖の視線に気付く。

「……んにゃ。問題ない。悪いな。考え事に没入し過ぎた」

やれやれ、二次元の住人たる俺とした事が。
ここからは気分を切り替えるとしよう。
まあ、気になっている事は否定しないが、脇役的には事後に結果を知れれば十分……。
そう、考えていたのだが。

「ちょ……悪いっ! 法杖、停まってくれ!」

ソレを見た瞬間、俺は思わず叫んでいた。

「え? え? ちょ、ちょっと待って脇に寄せるから」

俺の急な注文に文句さえ言わず、法杖は車を止めてくれた。

「すまん、ちょっと待っててくれ」

不思議そうな顔をしている面々に告げて、俺は車から降りる。
そうして……『その姿』を確認した。

「なにやってんだ、清子……」

俺の目に写ったのは、周囲に気も止めず……すぐ近くで停車した法杖の車を一瞥さえしなかった……人を抜けて、何処かに向かって走る、清子の姿。
何処か……? いや、違う。

「駅、か……」

そう行先は多分、いや絶対駅……明の居る所だ。
どうやら、転んだか足を捻ったかしたらしく、足を少し引きずっている。
そして、それでも『走って』いた。

「駅? ……ってあの人……彼女さん、なの?」

いつの間に車から降りていたのか、俺の視線の先を追って法杖が言った。
同じ様に降りてきた、グレ丸と剣タロも彼女の後ろに並んで発っていて、同じ疑問を浮上させた表情をしている。

「トモダチだ」

迷う事無く答えるその間にも俺は考えていた。

(……あの調子じゃ、時間までに間に合いそうにないな……)

そして、アイツの行先は俺達の行先とは方向が違う。
逆方向とまでは言わないが、離れている事に違いは無い。
……つまり、法杖に頼んで『ついでで』乗せてもらう事は出来ない。

「……」

放っておけばいい、という答が浮かぶ。
今日は一度しかない。今日のイベントは一度しかない。
そして、アイツらは『王道』だ。
放って置いても、勝手に上手くやるだろう。
だから、俺が当然のようにイベントを優先させても問題ないと、そう思う。
もとより俺は、三次元より二次元を取る『オタク』なのだから。

「あー……くそ」

だが、俺の頭にはそれとは別の答が浮かび上がっていた。

「……最悪、だな」

思わず、顔が笑っていた。笑うしかない気分だった。
一部の意味で非常に腹立たしい限りなのだが……答は、どちらを選ぶかは、簡単だった。

「久遠さん?」
「法杖、グレ丸、剣タロ。お前らはイベントに行け。俺は用事が出来た」

そう言った俺に、三人はそれぞれの驚きの顔を浮かべた。
当然だろう。オタク国家資格・美少女部門S級の俺・久遠征がイベントをばっくれようとしているのだから。
しかも、他ならない、この俺自身が惚れ込んだキャラクターのイベントで、だ。
正気を疑われても仕方が無いほどの暴挙だろう、多分。

「分かってるのかよ……? このイベント逃したら、データ手に入らないんだぞ?」
「分かってる」

グレ丸の言葉に、頷く。

「コピーは不可なんだよ?!」
「しゃーねーさ」

剣タロの言葉には、肩を竦める。

「なんで、なの? あの人の事、好きなの?」
「馬鹿、違うさ」

それは、好きとか嫌いじゃなくて。

「こういう時、手助けしてやるのがトモダチって奴だろ。俺達は……それを知ってる筈だ」
『!』

オタクであるがゆえに。
俺達は、こんな時何を選択すべきかよく知っている。
確かに俺にとって二次元の世界、ソレに連なる出来事は通常の三次元の出来事よりも優先される事項だ。特に今回は……優先しなかったら一生後悔するほどのイベントだ。

だが。
俺の好きなキャラクター……『星海華彩』は、シナリオの中で友達の為に自分を犠牲にした。
そして。
俺の心が二次元にあろうと、俺の身体が三次元にあって、身体が生み出す繋がりが、トモダチが確かに存在しているのなら……今の俺のすべき事は、一つ。

「で、残念ながらというべきか、アイツは……俺のダチなんでな。なら、手助けしないとな。
 それに、多分……『華彩』も同じ状況なら、同じ事をすると思うし。
 俺は自分の好きな奴に胸を張れない生き方はごめんなんだよ」

それが、それこそがオタクの生き様だから。

「久遠さん……」
「じゃな! お前らは楽しんで来いっ!」

そうして。俺は死ぬほど楽しみにしてきたイベントを棒に振って、駆け出した。



「……ったく……」

愚痴っぽいものを漏らしながら走っていると、清子の後姿を発見。
よっしゃ、超特急っ!

「よっ! 苦戦してるじゃないかよ」
「た、征……?」

清子を追い抜いた俺はその前に急停止し、彼女の足を止めた。

「何処に行くのか知らないが、そんなに急ぐならなんでタクシーを使わないかな、お前」

あえて知らない風を装って言ってみると、清子は滅多に無い剣幕で答えた。

「使おうとしたわよ! でも、こんな時に限って捕まらないのよっ」

その剣幕に少し驚き、少し怯む。
ちなみにここから駅まではそう離れてはいないが……それでも走っては間に合わないだろう。
……少なくとも、今の清子のスピードでは。

「そういう事なら仕方がないな。
 ほれ、俺の背中にカマンッ! って痛たたたたっ! 蹴るな蹴るなっ!」
「今の私に、アンタの冗談に付き合ってる暇なんかないのよ!」

しゃがみ込んでおんぶを主張する俺の背中を、清子は情け容赦なく蹴った。
いや、本気で容赦ないぞ、コイツ。

「待て待て! 冗談で蹴り殺されてたまるか! お前、駅に……明の所に行くんだろうが!」
「!」
「どうせお前のこった。焦り過ぎて転んだんだろ? このままじゃ出発時刻に間に合うまい。
 だからカマンッ!」
「だ、誰がアンタの力なんて……」
「馬鹿かお前っ!」

この期に及んで考える清子に、俺は吼えた。今度は清子が怯む番だった。

「う……」
「アイツへの答、見つけたんだろ? だから走ってるんだろ?
 それを伝えなくていいのかよ! 今、伝えたいんだろうが! 後悔したくないなら四の五の言わずに来いっ!」

叫びが雑踏を通り過ぎる。
近くを通る人は何事かと、こちらを見る。
だが、そんなもので動揺なんかしない。そんなもの、いまはどうでもいい。
俺はしゃがんだまま、清子の動きを、ただ待った。

「……分かったわよ」

逡巡の末、そう呟いた清子は俺の背にのっかってきた。
その確かな感触を確認して……俺は、再び走り出す。

「……うおおおおおおおおおっ!」

人目を気にせず、雑踏を抜けて、ただひたすら、町の中を、走る、走る、走る走るっ。

「は、速いわね……!」

これでも、それなりに身体は鍛えてある。
勿論、二次元の美少女達が惚れる男であるための努力の一環として。
ので、背中に女乗せて走る程度なんでもない……はずのだが。

「く……ハッ……ハッ……」

清子が通常時より遅かった分位は取り戻しただろう……そう思い始めた矢先だった。
やはりいくら鍛えているといっても慣れない事はキツイのか、それとも俺の見立てが色んな意味で甘かったのか、息の乱れと共に体力と速度がどんどん落ちていった。

「……しかし……お前……本当、あんま……胸ないな」

意気を上げる為の軽口も上手く回らない。

「あ、アンタ……」

怒る筈の清子の、逆に心配そうな声音が耳元で響く。

「滅茶苦茶キツそうじゃない……!」

(んな事あるか)

 そう答えようとして、一瞬答え切れない。何とか息を整える努力をして、言葉を紡ぐ。

「馬鹿……ん、な、事……ある、か……」
「馬鹿はアンタよ! もういいっ! あとは……」
「……やっぱ、バカはお前、だ、ここで諦めるなんて事例……は」

そう、ここで諦める、なんて事は。

「二次元世界の辞書には無いんだよっ!」

ギリ、と奥歯を噛み締める。全身の力を引き出そうと力を込める。
だが。

「く……!」

そこから体力がもったのはほんの数十秒程度。コレが三次元の悲しさだ。
どんなに頑張ろうとしても、限界がある。折角限界を越えても、それにも限界がある。
認めたくない。認めたくなんかない。

「……ちっ……」
 
だが、このまま意地を張っていても、しょうがない。
清子のスピードロス分を折角取り戻したのに無駄になってしまう。
しかし、清子を下ろした所でおそらく総合的な速度に差は無い。

(くそっ、どうする……?)
 
そんな時だった。けたたましい、クラクションの音が鳴り響いたのは。
その音に思わず足を止め、振り向くと。

「久遠さんっ!」

見覚えのある一台の車が俺達の進行方向の信号辺りで停まっていて。
その運転席から顔を出している一人の女性がいた。

「法杖っ!?」

それは、イベントに向かった筈の法杖真唯子、その人だった。

「なんで電話に出ないかな……さっきからイチイチ停車しては掛けてたのに……」
「電話…?」

どうやら必死になりすぎて、気付けなかったらしい。
そんな様子を大体察したのか、法杖は詳しい事を聞く事をせずに半ば叫ぶように言った。

「とにかく、二人とも車に乗って! 駅に行くんでしょっ?」
「でも…おま、イベント……」
「イベント? 何の事?」

息も絶え絶えの言葉に、清子が鸚鵡返しに問うた。

「お前、には…関係の、ない……話だよ」

どうにか息を整えながら答える。
馬鹿正直に答えれば余計な事を考えさせてしまうのは目に見えていたからだ。

「何よ、その言い草! 関係なくないんじゃないの?!」
「うるさい、関係ないったら、関係、ない」
「な……」

そうして不毛な会話が続こうとしていた中。

「二人とも、いい加減にしてっ!」

そんな法杖の一喝が、俺達の馬鹿さ加減を止めた。

「ほ、法杖?」
「え? え?」
「そんな王道な痴話喧嘩をしてる場合じゃないんじゃないの?!」
『何処が痴話喧嘩だっ!』
「そういう所がっ!! いいから、早く乗って!」
「う……」

普段大人しい、というか穏やかな法杖なだけに、今の迫力は俺を圧倒させた。
ある意味、さっきの清子以上に。
それは初対面の清子でさえ同じらしかった。

「お、おう、分かった」
「そ、そうね、分かったわ」

そうして。最終的には法杖の剣幕に押される形で、俺達は彼女の車に乗り込んだ。



「到着っ」

ブレーキ音と法杖の声が響く。
法杖の運転する車は、俺達の苦戦が嘘のようにあっさりと駅に到着した。
他の利用者の邪魔にならず、さほど離れていない位置に停車する車。
時間は……何とか、かろうじてだが……まだ余裕がある。

「サンキュ、法杖。……ほら、行って来いよ。もうギリギリだぞ」
「……うん。あの、ありがとう。誰だか知らないけど感謝するわ」

後部座席からの言葉に、法杖は顔半分だけ向けて、言った。

「感謝なら、久遠さんにしてあげてね」
「…………………行って、来るわ」

法杖の言葉に微妙に答えないまま、清子は一度俺をジッと見据えてから、車から降りた。
その姿が駅内に消えていくのを目で追い終わって……俺は、助手席を後ろに倒し、体を伸ばした。
そうして……人心地つけて、色々な事を思い出した。

「法杖……時間は、どうだ?」

寝転んだまま、呟く。

「何が?」
「イベントの時間」
「もう光の速さでかっ飛ばしても間に合わないかな。タイムマシンなら間に合うけど」
「そっか。残念ながらソイツはまだ出来てないしな」
「そうだね」

二人して、笑い合う。
今の所……思っていたより悔しくない。実感が無かった。
でも、家に戻って、ネットでアップされるであろう、イベント参加連中のレポートを見るにつけ、悔しさと悲しさが込み上げていくだろう。
だから……あえて、今は考えないようにしよう。

「――アイツらは?」

さっきまでは余裕が無かったから聞きそびれていた、グレ丸と剣タロの事を尋ねると、法杖は苦笑した。

「バスかタクシーを使ってどうにか間に合わせる。
 お前はあの馬鹿の力になってやれ、って送り出してくれた。
 俺達も行ってやってもいいが、意味が無い以上余計な罪悪感を増やすだけだしなとも言ってたかな」
「……そっか」

倒していた椅子を起き上がらせ、元の位置に戻す。

「アイツら……」

あの状況で法杖を俺の所にやれば、自分たちもイベントに間に合わなかったかもしれないはずだ。
いや、下手したら間に合ってないかもしれない。
なのに、アイツらは。

「馬鹿だなアイツら。法杖もな。こんな三次元のダチの為に」

そう言うと、法杖は、クスリ、と綺麗な笑みを浮かべた。

「久遠さんもね。
 でも……それがトモダチなんだよ。久遠さんが言った、その通りに」

そして……微かに頬を紅く染めながら、こう付け加えた。

「でも、私はちょっと違うかな」

その言葉の意味。
ここに来て分からないほど鈍くはないし、スルーするほど男として弱くはない。
そして、ここまで付き合ってくれた彼女に報いたい気持ちもあった。
だから、意を決して俺は言った。

「あーなんだ。……やめた方がいいと思うぞ。
 ここにいる馬鹿は、君みたいな純粋な子に好意を向けられても……どうしていいか分からない、基本二次元にしか興味がない奴だ。
 君みたいにいい子を好きな奴は世界中にたくさんいて、これからもきっと増え続けていくよ。
 でも、君が好意を抱く奴は……そんな中でも底辺にいる野郎だ。少なくとも三次元においてはね」
「そんな事言わないでほしいな。
 そんな事言われたら……私の気持ちは何処に向けたらいいか分からなくなるよ」
「……悪い」
「それに二次元云々言うなら、私も基本二次元にしか興味がない人だしね」
「……それがなんで、俺みたいな馬鹿を?」
「久遠さんが、今日みたいな事をする人だから、かな。そういう意味で『趣味』が合うから」
「……なるほど。それなら俺も同じかな」
「そう思うでしょ? だから……」

そこで言葉を区切ると、法杖は心を溜め込むようにして、告げた。

「だから私は……久遠さんの例外になれるよう、地道に頑張るつもり。
 久遠さんが、私の例外であるように」
「……難しいと思うぞ?」
「それをなんとかするのが、女の子ってモノです」
「そうか。んじゃ、ま……俺もそれなりに努力するよ。
 君の事は……正直、かなり好きだし。っていうか今日ので惚れ直した」
「それでも、三次元にしてはだよね」
「う。まあ、そうだけど」

付け加えようとした言葉をキッチリ追加される。分かってるなぁ、流石に。

「でも、今はソレで十分」
「そっか。………じゃあ、悪いけど、今のところは、俺行くよ」

言いながら、ドアを開く。
暖房に守られていた場所から降り立つと、冷たい風と紅い光に包まれていた世界を体で感じられた。さっきまでの身体の熱だけが風にさらわれて消えていく。
それが心地よかった。

「……今日の埋め合わせは何時か何処かでする。あ、勿論君への答とは別でね」
「うん。待ってるね。……あの、最後にもう一度だけ訊いていいかな?」

ドアを閉めようとした時、ちょっと待って、と俺を手で制して、法杖は言った。

「なんだ?」
「あのね。その。今日、あの人を助けたのは……本当に、ただトモダチだから?」
「……」

その問いに、俺は。



「やっぱり、まだいたのね」
「結構な言い草だな。高美は?」

法杖と別れて十数分後。駅前のベンチに座っていた俺を見つけ、寄ってきた清子に問いかけると、清子は駅の中を指差して答えた。

「今トイレ。というか泣いてくれてたから、顔を洗いに」
「やれやれ。で、どうだったよ?」
「……上々よ」

コイツが最終的にどんな選択をしたのか……それは分からない。
ただ……なんにせよ言葉通りの結果である事は間違いないようだ。

「ったく。ホント、お前らは何処まで行っても王道だよな。心配するのが馬鹿らしくなる」
「……そんな事無いよ。アンタに……征に助けてもらった。そうじゃなかったら……
 でも、その為に、アンタは……」

多分、高美や明に『今日の俺の予定』を聞いたのだろう。
清子は、申し訳なさそうに顔を俯かせた。そんな清子に、俺はキッパリと言ってやった。

「似合わないぞ、そんな間抜け面」
「な」

あまりの言い様に、目を見開く清子。構わず、言葉を続ける。

「大体、俺は自分のオタク信念のままに動いただけだっての。
 っていうか、考えてみるとそれ含めて王道だな。
 ほら、ああいうピンチの時は何処からか助けが来るものだろ。
 うん。まさに王道。くくぅ、自分の手で王道再現とは……オタク冥利に尽きるってもんだ」

少しばかりおどけて見せる。その方が俺達的に楽になれる……そう思えたから。

「ま、だから別に気にするなよ」

そんな俺に、清子は言った。
真剣に、神妙に、そして、少し悲しそうに。

「……ねぇ、一つ聞いていい?」
「なんだよ?」
「……今更だけど……本当に、今更だけどアンタがオタクになっちゃったのは……」



 俺が『目覚めかけていた』あの頃。
 アイツの周りには三次元にしては魅力的な女の子ばかりで。
 皆、アイツが本当に好きで。



「いつも言ってたみたいな明のせいじゃなくて、本当は私のせい、なの?」



その中には、俺の好きな……三次元なのに、好きだった『女の子』がいた。



「なんで今更そんな事を言うんだよ?」
「さっきまでのこと、明に話したら……明が『アイツはお前の事が好きだったからな』って。
 その為に色々無理してたのかもなって言ってたから。
 私も……もしかしたら、そうだったんじゃないか、って少しだけ、心の何処かで、思ってたから」
「……」



でも、俺は……その『女の子』にとっては所詮『脇役』でしかなくて。
だから『女の子』にとっての『主役』に道を譲るしかないと思った。



「ねえ、どうな……」
「アホ。切欠は確かにお前やお前らのせいだがな、無理なんかしてるわけないだろ。
 アイツにも言ったが、今の俺の毎日は馬鹿みたいに充実してるんだぜ?」



でも、違う。
確かに、俺は『女の子』にとって脇役だと最初は思ってた。
でも、違うんだ。



「ま、お前に惚れてたのは認めるけどな。そりゃあもう昔の話だ」
「……」



『女の子』にとって俺が脇役でも、俺にとっての『女の子』はヒロインだった。
だから、俺はヒロインの幸せを望んだ。
それが……俺の、久遠征という人生の主役たる久遠征の『王道』だった。
そして、それは……色々な物事の形が変わっても、今も変わらない。
俺がオタクだからこそ、オタクになったからこそ、心からそう思う事が出来る。



「お前とアイツが付き合い始めた時から,心の整理はついてたさ」



誰かがこの話を聞いて、俺のやった事が現実逃避だ、と思いたいのなら思えばいい。
そうじゃないと、俺自身が胸を張って言えるのだから。
俺が好きになったモノ達に、言えるのだから。



「今日お前を手伝ったのは、さっき言った事プラス、俺がお前ら二人のダチだからだよ。
 それ以上でも以下でもない」



さっきの『法杖への答』のままに答える。それは紛れも無く、今の俺の真実だった。



「……そうなんだ。なんだ、馬鹿みたい」
「何がだよ」

清子の言葉の意味を図りかねて首を捻る。すると、清子は苦い苦い笑いを漏らした。

「正直に言うとね……私ね。征が変わっちゃったのかなって思ってたんだ」
「俺が?」
「幼馴染で友達だった筈なのに、私が明を好きになった頃から知らない征がドンドン増えていって、それが私のせいなのかもしれない……そう思うようになって、征とあんまり向き合えなくなってて」

その言葉で気付く。『俺を嫌ってた態度』の意味に。

(なんだ、そりゃ)

内心で、クックック、と笑う。
そんな俺の心の内を知ってか知らずか、清子は夕日を浴びながら言葉を紡ぎ続けた。

「でも、違ってた。征は……征のままだった。友達思いの、征のままだった」
「ったく当たり前だろ。というか危うくトモダチやめる所だったぞ」
「馬鹿ね」

昔のままの……幼馴染で友人な俺に向けていた笑顔を浮かべて、清子は言った。

「アンタはそんなタマじゃないでしょ。今、改めて思い出したわ。
 ……さて、それも確認できた事だし、帰りますか」

清子の視線の先に、人波に足を取られながらもこっちに向かって駆ける高美の姿を見つける。
もう、ここにいる意味は無い。

「ああ。だな」

頷いて、俺は立ち上がった。
そして、なんとなく見上げた夕焼け空に向かって、なんとなく呟いた。

「やれやれ。今日はとんだ王道日和だな」
「なによ、それ」

変な顔をする清子に、俺は自信満々に答えてやった。

「言っただろ。
 真の王道ってのは、道筋はともかくとしてハッピーエンドになる事なんだってな」
 
今日は二次元マインド的にはハッピーじゃない。
だが、三次元的にはお釣りが来るほどのハッピーエンドだ。

だから王道日和。

こうやって、二次元と三次元の挟間の中で、ハッピーエンド……幸せという名の王道を探していこう。
まぁ出来れば、俺にとっても、誰にとっても王道になる道がいいかね。

そう。
それが、俺の、オタクな生き方。





 
END