第十話 クロスオーバー・中編










「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 冷たい空気に晒された白い息は、幾つもの塊として吐き出され、霧散していく。
 住宅街の細い路地を縫うように、正登は走っていた。
 遅れた分を取り戻すべく。
 薄暗く街灯もまばらだが、歩き慣れた道だけに迷いもしなければ、躓きもしない。
 だから、ただひたすらに走っていた。

「くっそ、急がないと……!」

 握り締めた携帯の外側の時刻表示はいつも通るよりも遅れた時間を指していた。
 いつもならば一緒に帰る紫須美はいない。
 会社を出た直後に『一緒に帰れないから先帰れ』と携帯の方のメールで送っておいたからだ。
 にもかかわらず、遅れているというのは……歓迎できる状況じゃない。
 ソレを打破すべく、正登はさらにスピードを上げる……が、その時だった。

「……!」

 赤い光が視界に入る。
 その源は……携帯と一緒に握り締めていた、ティラルにもらったペンダントだった。
 そして、その輝きの意味は……自分に向けられた敵意の存在。

「……誰だ!」

 七割の真実をあてにして足を止め、正登は叫んだ。

 足を止めるべきではないのは分かっていた。
 無視して走りぬける事もできたのかもしれない。
 それでも、止めなければならないような気がしていたのは……ティラルから贈られたものだったからなのか。

 ともかく、正登は薄闇の向こう側に向かってそう叫んでいた。
 その声に導かれるように。

 一つの影が、闇の中……曲がり角からその姿を現した。

「……お前……?」

 現れたのは……正登の知る人物だった。
 セーラー服の上に紺色のコートを羽織った、少女。
 そう……藤原紫須美。

「おい……メール送ったろうが……なんでいるんだ?」
「いちゃいけないの?」

 静かに呟く紫須美。
 その顔を見て、正登は何をどう言って説明したらいいものか、とおたおたした。
 これが他の誰かなら素通りしていたのだろうが。

「いや、いちゃいけないことはないが……お前家反対方向だろ……」
「……そうね」
「そうねって……お前もなんかノリが悪いな。何か隠し事を……」

 そこで、ふと思い当たり……ペンダントを見る。
 ペンダントは……先程より強く輝いていた。

「紫須美……?」

 その名を呼びながら、昨日の『チャット』の最後を思い返す。

 『誰か』『妨害』『そっち』。

 鮮明に思い出せはしないが……そういう単語が確かにあった。

 それらを繋ぎ合わせて連想すると……『こちらの世界』の誰が邪魔しているという意味になるのではないだろうか?

 邪魔できるものなのか……正直、その可能性はかなり低いと正登は考えていた。

 ただ、もしも。

 万が一に、こちらの世界で自分達の『チャット』を邪魔できる者がいるとするのなら。

 単純に……魔法やら何かの探知やらの可能性を差し引いて、極々単純に考えたのなら……。
 それは街川正登が異世界交信を行っている事を知っている人間のみ。

 そして、それは……この世界においては、ただ一人しかありえない。

 今、ここにいる藤原紫須美しか。

「まさか、だよな。お前がそんな……」
「その、まさかだったら、どうするの?」

 瞬間、世界が変わった。
 そんな感覚に……襲われた。
 変化の中心に立つのは……紫須美。

「紫須美……?」
「お察しの通りよ。
 一昨日、昨日、異世界交信を邪魔していたのは、この私……藤原紫須美よ。
 まあ昨日に限っては、向こうの管理人も邪魔してたみたいだけど」
「な、に?」

 動揺する正登に、紫須美は一歩一歩近付き……手を伸ばせば届くほどの距離で立ち止まった。
 その行く手を……遮るように。

「紫須美、お前……」
「どうやって、っていうのは省略するわね。
 どうせ分からないだろうから。
 ただ、どうしてなのかは説明してあげる」
「……」
「ジット。貴方は、昨日……友達の人から何かをもらわなかった?」
「何か?」
「多分、そのペンダント辺りじゃないかって睨んでるんだけど……。
 今はただ、送られてきたのか来なかったのか、そこが聞きたいのよ。どっち?」
「送られてきたとしたら、どうするんだよ」
「って事は、やっぱり送られてきたのね」
「だから、それが……」
「送る事が可能だった……そこが問題なのよ。
 その異世界との物質のやりとりが可能という事は、人間を送る事が可能となる可能性があり、それは 異世界侵攻の可能性も示唆しているから」
「……!」

 正登は、言葉を失った。

 昨日、様子がおかしかったティラル。
 その理由は分からない。

 ただ……今、紫須美が口にしたソレは、その理由になりえるものなのではないだろうか……?

 いや、それよりも……。

「お前、どうしてそんな事を……いや、そもそもそんな絵空事を信じてるってのか……?」

 ティラルと『チャット』している自分でさえ、半端な信じ方なのに……そんな思いが正登の中に渦巻いていた。

「信じてるわよ。
 それが、私がジットの近くにいた理由なんだから」
「……!?」

 予想だにしない言葉に、正登は目を見開いた。
 そんな正登に構う事はせず、紫須美は言葉を続けた。

「パソコンそのものも鍵の一つなんでしょうけど……。
 今のこの時代、インターネットを使っている人間は、かなりの数よ。
 その中で何故ジットだけが明確に異世界からの干渉を受信できたんだと思う?」
「……」
「もう気付いているんじゃない?
 それは……ジット自身に要因があるからよ」
「俺に……?」
「ジット貴方はね……特異点なのよ。
 異世界とのチャンネルに近い因子を持って生まれた特異点存在。
 そんな元々の因子を、人との交流を望むが故に、成長させてしまった貴方の特性」
「……」
「ジットに友達ができないのは、半分くらいはそのせいよ。
 おかしいと思わなかった?
 ジットの性格や容姿に多少の難があったとしても、貴方ぐらいの歪みを持った人間はこの世界にいくらでもいる。
 いくらなんでもおかしい事ぐらい、ジットは気付いている筈よ」
「……そ、それは……」
「君子危うきに近寄らず。普通の人間達は本能的にそう悟っていたからよ。
 貴方がいずれ呼ぶ、何かを感じていた」
 
 そんな馬鹿な。
 言葉だけなら、正登には一笑に付す事もできた筈だ。

 だが、できなかった。

 余りにも心当たりが多すぎる。
 それらは……どうしようもなく紫須美の言葉を肯定していた。

 ただ、それならば……正登には疑問が生まれていた。

「じゃあ、お前は……なんだ?」
「……」
「それでも俺の側にいる、お前は何者なんだ……?」

 そんな搾り出すような問い掛けに、一瞬目を伏せてから、紫須美は答えた。

「私は……この世界の管理人。
 この世界をあらゆる脅威から守るためのゲートキーパーの役割を負った者。
 紫色の管理人・藤原紫須美よ」

 その宣言と共に、彼女の両目が紫色に光ったような……正登にはそんな気がしていた。
 だが、そんな事は些細な事だ。
 もっと重要な事が、今の正登を支配していた。

「お前、その為に……俺の近くにいたってのか?」
「ええ」
「この間、アイツに……ティラルに会いたいって言ったのは……?」
「確認の為よ。そう焚き付ければ何かしらのリアクションを起こすだろう……そう思ったから。
 案の定、品物を送り込んでくれたみたいから危険性を確認できたわ」
「じゃあ、今までの事は……」

 その質問には不安があった。
 だが、避けては通れないものだと、今の正登には分かっていた。
 ソレを受け止めた紫須美は、じっ……と正登を見つめて答えた。

「嘘じゃないわ」
「は?」
「信じてもらえなくても構わない。
 私の役目は、特異点となっていった貴方の監視で、貴方がこの世界にとっての害悪な決断を下す事を避ける事。
 その為に貴方を犠牲にしても。
 でも……一人の女の子として、私が貴方を好きであることに偽りは無いわ。
 すごく自分勝手な言い草だけどね」

 そうして、紫須美は笑う。
 その笑顔だけは、いつもと変わらず……穏やかな空気が辺りを包む。
 先程の刺すような空気が嘘であるかのように。
 ゆえに……。

「……ああ、それは分かったよ」

 正登は、そう言わざるを得なかった。
 ここにいるのは紛れもなく、自分の彼女である藤原紫須美。
 その事に変わりはないのだと、正登は改めて理解した。

「ありがと。でも……」

 微笑みのままで、空気が変わる。
 だけど、今度は少しだけ。
 ほんの少しの鋭さと、ほんの少しの優しさを空気に滲ませて、紫須美は言った。

「私の任務とは、別問題だから」

 そう宣言した紫須美の右手に、何処からとも無く一振りの刀が現れた。
 紫色の刀身の、刃そのものの刀。

「うわ……お前魔法使いだったのかよ」

 ティラルの事もあって、正登の中では「ありえないはずの現実=魔法」という方程式が組み上がっていた。
 そんな正登の発言に、クスクス、と紫須美は笑みを零した。

「なんでも魔法で片付けられるものじゃないのよ。覚えておきなさい」
「っていうか銃刀法違反だぞ」
「そういうのにカテゴリーされないし、大丈夫よ。
 ちょっとした細工をしたから、暫くはこの辺りに人来れないしね」
「それで……お前はどうするんだ? 俺は急いでるんだが?」

 動揺して忘れていたものを、場の空気と共に取り戻した。

「そうね、いつもの時間だものね。だったらそろそろ話を進めますか。
 うーん……まあ、簡単な事よ。
 私は、昨日の段階で貴方がこれ以上異世界に接触するのは危険だと判断した。
 だから、ここから先は通せない。そゆこと」
「軽く言うな軽く。でもな……異世界とやり取りするのがそんなに危険か?」
「別に異世界交流そのものに反対しているわけじゃないわ。
 もしも上手くいって、世界同士が更なる発展を遂げるのなら、ソレに越した事は無いし。
 ただ、世の中は正しい事や素晴らしい事だけでまかり通ってる訳じゃないから。
 貴方の友達がどんなに素晴らしい人物でも、その周囲にいる人間もそうとは限らないしね」
「なるほど」
「結局の所、時期尚早なのよ。最低、どちらかの世界で体制を整えない内は。
 だから、今は……私が貴方を止める事で、チャンネルを閉じる」
「……」
「別に貴方だけが『扉』じゃないし、いずれは技術があれば特異点無しでも異世界移動は可能になる。
 でも、今、貴方が『扉』である以上、こちら側の管理人として、貴方が向こうの『扉を開く者』とこれ以上接触するのを許すわけにはいかない。
 何より万が一『扉』が悪い方向性で開かれた時、『扉』の近くに立つであろう貴方の危険を見逃せない」

 ヒュッ……と刀を振るう紫須美。
 ソレは素人目から見ても、扱い慣れた者の動きだった。

「そう言った事を踏まえた上で。
 もし、それでもどうしても通りたいというのなら、道は二つ。
 もう異世界とのチャンネルを開かないと誓うか。
 私をどうにかするか、よ。
 勿論、ジットがここで二度と異世界交信しないと誓ってくれるのなら、普通にここを通すけどね」
「……」

 口先だけの約束は出来る。
 だが。

「俺、そんな約束はできないわ。お前に嘘つきたくないもんよ」

 紫須美が刀さえ……おそらく出す必要がなかったのに……出したのは、覚悟。
 いざという時は、傷つけてでも正登を留め、結果として護る為に。
 そんな覚悟に見合わない事は……男としてしたくなかった。

「……ありがと」
「まあ、だから……俺にできるのは一つだけだ……」

 スゥ……、と息を吸う正登。
 その挙動を見て、紫須美は刀を構える。
 何処を駆け抜けようとも、一撃で叩き伏せる……その気配、その力。
 それが正登の行動より先んじて爆発しようとした、まさにその時。
 行動ではない、紫須美にとって予想外であった声が、辺りに響き渡った。

「紫須美! 愛してる!」
「は、わ、な、とぉっ……!?」
 
 そのあんまりに予想外な言葉に、紫須美は思いっきりズッコけた。

「じ、ジット? えと、その、あの……もしかして……それでうやむやにしようとか?」

 顔を思いっきり赤らめる紫須美。
 そんな彼女に、同じくらい顔を赤らめた正登は言葉を投げ掛け続けた。

「思ってる! でも、本音だ。
 んで、俺が思ってるお前なら、藤原紫須美なら分かってくれる筈だ」
「……」

 黙りこむ紫須美。
 そこが好機だと睨んだ正登は、咳払いで場を整えた上で、口を開いた。

「世界をどうしようか俺は考えてないし、そんなん起こるのだって冗談じゃないって、ちゃんと分かってる。
 それは……ティラルの奴だって、同じだ」
「信用できるの?」
「信用じゃない。信頼だ。
 んでそうできるかどうかっていうと、できる。根拠はそんなに無いけど、できる」

 交わした言葉を、覚えているから。
 あえて言うなら、それが根拠。

「……」
「約束する。
 このせいで何か起きて、お前に責任が行く時は、俺が全力で主張する。
 全部俺のせいだってな。
 それこそ世界中の馬鹿に何言われても、絶対にだ」
「ジット……」
「だから、頼む! 今だけは……今だけは行かせてくれ!
 今日を逃したら……アイツとは二度と話せないかもしれないんだ……」

 はっきりとそう言ったわけではない。
 だが、それが逆にその予感を強くさせていた。

「ジット。一つだけ、聞いていい?」
「なんだ?」
「友達と、私どっちが大事?」
「……今は、ダチだ。基本的にはお前でもな」

 ソレを聞いた紫須美は、フフ、と穏やかに微笑んだ。

「……うん。それでこそ、ジットだよ。
 悪っぽく見えるのに、大事な事だけはちゃんと分かってるんだから」
「紫須美」
「行ってきて。その代わり……いざという時は守ってよね」
「勿論。約束だからな」

 そうして頷いた正登は、駆けて行く。
 その後ろ姿を、紫須美はぼんやりと眺めた。

「馬鹿よね、私は。初めて任された任務だってのに」

 責任を取ってくれるとは言ったが、そんな事はできる筈がない。
 一会社員の失敗の責任を、違う会社の一会社員が取れないのと同じだ。

「失敗したら……私殺されるんだろうなぁ……」
「ん。そうはならねーだろ」

 唐突に響いたその声に振り向く。

「速水さん」

 一体、いつからそこにいたのか。
 正登の同僚であり、紫須美の同僚でもある速水剛史がそこにはいた。

「お前さんの初仕事だからな、悪いと思ったが観察させてもらってたぜ。
 アイツとも知らない仲でもないしな」
「……というか、いくらなんでも偶然が重なりすぎなんじゃ」

 管理人の観察対象者が、管理人の一人にとっての日常側の仕事場に就職する。
 世界でたった七人しかいない管理人の存在を思えば不自然ですらあった。

「それが、特異点としてのアイツの一端なんだろうな。
 世界が自然にバランスを取る、もしくはいざと言う時の対応の為、か」
「そういう事なら、速水さんが……」
「まぁ、そう言うなよ。お前さんの初任務としては手ごろだったんだ。
 それに適材適所って奴だ。
 俺みたいなオッサンより、お前さんみたいな美少女が相手した方がいい奴もいる」
「……美少女……?」
「自覚がないって恐ろしいな」

(……まぁ、父親がアレだったからある意味納得だが)

 正義の味方を目指し続けた紫須美の父親。
 彼は結局正義の味方になれなかったと思っていたようだが、
 誰かを、世界を守り続けた生き様を、正義の味方と思っていなかったのは当人だけだ。
 その辺りを考えれば彼女の反応も納得できるか、と首を傾げる紫須美を見ながら剛史は思った。
 
「えと、その。それはさておき。
 この流れを考えると私より速水さんが適任だったんじゃ? 速水さんなら彼を……」
「そうでもないさ。実際、俺も足止めに失敗したし。
 それに、まあ……結果待ちになるが、お前の判断は正しいと俺は思うぜ。
 この世界を管理するのが、俺達の仕事だが、一人一人の命や心を守るのも俺達の仕事だ。
 多分に私情が混じってたとは言え、お前さんの判断はソレに敵うものだ」
「速水さん……」
「いざって時は、俺ら七人が総出で出張ればなんとでもなるさ。
 王様だって、力を貸してくれる。
 責任問題は、それでもなんともならなかった時の話って事にしようや。
 なにはともあれ、後は見守っとこうぜ」
「……はい」

 そうして……二人の管理人は、この世界の命運を握っているかもしれない青年を見送った。

「というか、紫須美」
「なんです」
「お前さん本当に大丈夫なのか、受験」
「大丈夫ですよ。ただ……」
「ただ?」
「万が一駄目だった時は永久就職も悪くないなと思ってますから。うふふふふ……」
「……怖」

 まあ、もっとも。
 その青年の運命は既に他人に握られてしまっているようだった。不幸な事に。 










……続く





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