第九話 クロスオーバー・前編










 その日の正登は、仕事が手につかなかった。
 昨日の事が……ティラルの事がずっと頭に引っ掛かり、作業能率を著しく落としていたのだ。
 そして、そのツケは正登自身に回っていく。
 社会とはそういうものだ。

「そんな……残業なんていつもないじゃないですか……!」

 工場から出て行く他の社員を横目に見ながら、正登は半ば叫ぶように言った。
 その正登の前には、速水剛史が不機嫌な顔で立ち塞がっていた。

「確かにいつもはない。だが今日は違う。
 呆けていて仕事が遅かっただろうが」
「分かってますよ、それは……だから、それは明日……」

 そう言い掛けた所で、正登の顔が揺れた。

「っ……」

 口の中に、鉄の味が広がる。
 それで、自分が殴られたのだという事に正登は気付いた。
 そのまま、作業着の胸元を掴み上げられる。

「ぐ……」
「何が、明日だ。明日が来なかったらどうするんだよ?」
「……!」

 剛史の言葉は、正登の胸を貫いた。
 胸を貫いたものは、昨日の言えなかった言葉を正登の脳裏によぎらせていた。
 そんな正登に構う事無く、剛史は言葉を続けた。

「風邪とか事故とか、ソレこそ腐るほど理由はあるだろうよ。
 それで明日お前が来れなかったら、その穴埋めを誰かがやんないとならないんだよ」

 ポン、と捻り上げられていた胸元を離されて、正登はたたらを踏む。
 だが、その思考はこの状況から遠い事を考えていた。

(穴埋め……?)

 穴は埋める。それは当然だ。
 この工場での仕事は……穴埋めが『出来る』。
 自分がすべき事ではあるし、しないつもりはないが、いざとなれば『他の誰か』でも出来る事だ。

 だが。
 昨日の……いや、今日の穴埋めは……。

「おい、聞いてる……?」

 ソレは、剛史が完全に口を開きかける直前に起こった。

「お前……なにしてんだ」

 先程までの空気を忘れ、何処か呆けた調子で剛史はソレを眺めた。
 生意気な中途採用者である、街川正登が土下座をしているその姿を。

「……今日の事は、本当にスミマセンでした。
 言ってる事、正しいと思います。
 明日なんかあてにしてられない……そうだと思います。
 だから、頼みます! 
 明日からはキッチリやります! だから今日は……帰らせてください!」
「お前、ちゃんと話聞いてやがったか?
 明日をあてにするなって、言ってるだろうが……」
「だから、です……!
 だから、今日動かなきゃならないんです……!!」
「……いつか言ってたダチか?」
「はい」
「……そうかよ。
 なら………今日は、ここまでにしておいてやる」

 その余りに必死な正登の様子に、完全に毒気を抜かれたらしい剛史は、やれやれ、と言わんばかりに呟いた。

「だが、この分はしっかり埋め合わせしてもらう。
 明日もフヌけてたら……今日以上にぶん殴ってやるから覚悟しろよ」
「……はいっ! ありがとうございます!」
「頭擦りつけてる暇があったら帰りやがれ。
 ダチが待ってるんだろ」
「……はいっ!」

 立ち上がった正登は剛史に一礼した後、タイムカードを押し、作業着から着替えもせずにあっという間に会社を後にしていった。

「……ふふん、かっこいいな俺は」

 そんな正登の後ろ姿を眺めていた剛史は偉そうに笑った。  そして、その笑みを潜め、真逆の……真剣な表情でポツリと付け加えた。

「さて。冗談はさておき、俺も行くかな」










 その日のティラルは、仕事が手につかなかったわけじゃない。
 ただ憂鬱だった。
 テロの後、グラードの言う事を肯定するような空気が国内、城内に溢れ始めている事を感じ取れば、そんな気持ちにもなろうものだった。、

 そして、そんな憂鬱さに流されているうちに、気がつけば……日は落ちかけていた。
 そんな夕日を、玉座の間の真正面にあるテラスで、ティラルはガードと二人して眺めていた。

「……我が王」
「なんだ、ガード」
「答は、出されましたか?」
「答は……出ている」
「やはりクトゥーナを?」
「普通に考えればそうなる」

 隣国であるクトゥーナへの宣戦布告。
 それには、戦いを挑む確かな口実があり、皮肉にもグラードがかつて言った通り、軍事力ではこちらの国が明らかに上。
 おそらく幹部からも国民からも不満の声は出るまい。
 出たとしても、世情の流れで押しつぶせるだろう。
 異世界を侵略するよりも、他の国に戦いを挑むよりも、明らかに正しく、明らかに被害が少ない選択。
 なにより昨日決めたようにこっちの世界の都合で異世界に迷惑は掛けられない。
 ……だが。

「でもね、そんな答……間違ってるわよ」

 それは、選ばざるを得ないから選ぶ答でしかない。
 そんなものは、答じゃない。
 甘いのかもしれない。
 だが、まだ話し合う余地は十二分に有る。
 その努力をしてもいないのに、血を流す選択をするなど、ティラルにはできなかった。
 すでに血で汚れた手をこれ以上汚した所で変わらないのかもしれない。
 今まで、幾つもの国を攻め、領土を奪ってきた人間の言う事じゃないのかもしれない。
 それでも……少なくとも今までは、自分の判断、自分の選択だった。
 情勢が危うい国、国民が虐げられている国、他国をむやみやたらに侵略しようとする国。
 そういう選択を、ティラルはしてきた。
 だが、今回は……選択肢に見せかけた一本道だ。

「ねえ、ガード。私……どうしたらいいのかな」

 だから、ティラルには分からなかった。
 いままで、精一杯に自分の道を選び取ってきたティラルには。

「……異世界のご友人なら、なんと答えると思いますか?」
「んなもん自分で考えろとか、私の好きにすればいいって、言うんじゃないかって思う」

 自分に近しい、マサト・マチカワなら、そう答えるだろう。

「でも、その私は……王じゃない私だから。今の答として正しくないと思うのよ」
「そうですね」
「ねえ、貴方はどう思う?
 王の私を知る友達として、仮にでいいから、答えてくれない?」
「………………………それはできません」
「どうしてよ?」
「…………………………………………………」

 少し、いやかなりの間を置いた後に、彼は言った。

「私は……友達にはなれません。なりたいと思えません。
 ゆえにその立場では考えられません」
「はい?」
「あなたを……異性として愛しているからです」
「へ……?」

 両者とも、ボッ、と灯が灯ったように赤くなる。
 今ならこの状況から連鎖して魔法が使えそうだ……。

「って、そんなことはどうでもよくて……いや、どうでもよくなんか、その、あの、ガード?
 貴方、いますんごい事言っちゃったわね」
「は。失礼かとは思いましたが、その、今そう言わなければ伝えるべきことが伝えられないと思いましたもので」
「伝えるべきこと?」

 ゴホン、と咳払いをしてから、ガードは言った。

「私は貴方を愛しています。
 それと同時に私は貴方の盾です。
 親衛騎士団長・ガドロデス・デフェナ・ウィルズなんです」
「……」
「私にはどちらか一方の意見を言えるほど器用ではありません。
 ゆえに、そんな二つの私の中間として……私自身として、意見を語らせていただきます」
「……聞かせてくれる? その意見」

ガードは、少し小さなティラルの声に頷き……告げた。

「貴方は、貴方の思うようにすればいい」

 それは同じ。
 マサトが言うであろう意見と。
 しかし、それは同じでありながら違う意見。
 王としてのティラル、女性としてのティラルを踏まえた筈の……そんな意見。
 それだけに、ガードの言葉は、ティラルには驚きだった。

「そんな……私の決定は……下手をしたら二つの世界の運命に関わるのよ?」
「その重さを理解しているのなら、貴方には正しい選択ができるはずです。
 そこに、貴方らしさを残したままで。
 それが、それこそが我が王・ティラル・フィリアヴァレル・ケイウォルシア・ジーケティス、なのですから」
「え……」

 思わず、声が零れた。
 弟とは違い、いつも気難しい顔しかしていなかったガード。
 その彼が、微笑んでいたから。

「……」

 穏やかで、その中に強さを感じさせるような、そんな微笑み。
 ガードらしからぬ、それでいてガードらしい、公私全て織り込んだ上での、ティラルへの信頼に溢れた笑顔。
 そんなガードの顔を見ていると、湧き上がってくるものがあった。

 そうだ。
 何を思い違いをしていたのか。
 私は私だ。
 王でありながら、私。
 私でありながら、王。

「……馬鹿ね、私は」

 そんな事にも気付かずに、自分で勝手に仕切りを作っていた事に気付かずに、全てを受け入れる人がここにいた事にも気付かなかった。
 だが、気付いたからには、気付かせてもらったからには。

「よぉっっし!」

 ぐ、と両拳を握り締める。
 心の内から沸きあがってくるものを留めておくかのように。

「ありがとガード。答決まったわ」
「そうですか」
「ついては、その答の為に準備してくるから、グラードに遅れるかもって言っておいて」
「御意」
「ふふふ、ちゃっちゃと決着をつけてやるわ。
 そんな事よりも遥かに大事な約束があるからね」
「大丈夫ですね?」
「勿論よ。私はティラル・フィリアヴァレル・ケイウォルシア・ジーケティス、なんだから!」
「はい」
「んじゃ」

 そうして玉座から立ち上がったティラルは、力を両足にしっかり込めて駆け出し……その足を止めて、振り返った。

「えと、ガード?」
「はい」
「さっきの言葉、前向きに検討しとくから。
 今回のゴタゴタが終わったら、その辺りゆっくり話しましょ」

 そう言ってティラルが微笑むと、ガードは面白いほどに石化した。
 なんというか、かわいいものがある。

(なんとなく、納得したわ)

 マサトが言っていた事が、今なら少しだけ分かる……テイラルはそう思った。
 友達と恋人は違うもので。
 違うからこそ与えてくれるものも違い……今、この時、頑張る理由や意味さえも『違う』のだと。
 マサトの為に頑張るという事。
 ガードの為に……ガードが信じてくれる自分自身の為に頑張るという事。
 そして、その二つに繋がる、王として為すべき事の為に頑張るという事。
 一つ一つは独立して、それだけでも頑張れる理由になる。
 それらが全て一つの方向に向かっている、今。
 それは、困難な現状をも覆すとてつもない力を生む……ティラルはそう思えてならなかった。
 
 だから、そう。
 やれる事は、やるべき事は、たった一つ。

「さあ、頑張りますか……!」

 そうして自分の答を見つけたティラルは、その答を確かなモノにする為に走り出した……。










……続く。





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