第八話 動き始める異変(大)・後編
「……」
優しすぎる?
グラードの言葉を思い返して、ティラルは唇を噛み締めていた。
そうなのかもしれない。
いや、正確に言えば、優しいのではなく……甘すぎるのだ、恐らく。
ならもっと非道な……非情な王になればいいのか。
自分達の国の繁栄だけを望み、その為に他の全てを踏み躙れる、そんな王に。
(……まっぴら、ごめんだわ)
確かに王として、自分は不完全で未熟なのかもしれない。
だが、だからといって……。
(って、今はそれより考えるべき事があるでしょう……!)
自己批判や否定は後でも出来る。
そんな事よりも……『彼』にこの事態を知らせないわけにはいかない。
「ガード」
「はい」
「……夕食時間を削る代わりに自由時間を延長するわ」
「……いえ、そういうわけにはいきません」
「ガード?」
「今日は、食後の雑務の方をお休みなされてください。
私が目を通しておきますので。
なにより、王には今やるべき事があるはずです。違いますか?」
「……そうね。ありがとう」
「気になさらずに。王を護るのが私の仕事ですから」
そう言ってくれるガードの為に懸命に笑みを浮かべた後、ティラルは自室へと駆け出した。
「我求める。我願う。我叶える」
その呪文と共に、部屋に入ったティラルは、く、と声を漏らした。
さっきまでは気付かなかったが、確かに自分以外の魔力痕跡がある。
おそらくは不在中に何度か侵入されていたのだろう。
「うかつだったわ……」
自分しか知らない場所だからと気を緩めすぎていた。
だが、今はそんな事を言っていても始まらない……そんな思いで、ティラルは鏡の前に立った。
(お願い、繋がって……!)
初めての二回目。
それも向こうの受信体制が整っていなければ届かない。
懸命に祈りながら、ティラルは魔力接続の意識端子を走らせた。
「……届いた!」
世界の接続を感じてティラルは思わず声を上げる。
彼女はこの機を逃すまいと、即座に文字を鏡に走らせた。
『マサト! いるのなら答えてくれ!』
『……いるが。 ゆっくりしてる最中に呼び出すとは……』
『あれか? 嫌がらせか?』
そんな返事が帰ってくる。
予想もしなかった二回目に少し不機嫌そうに首を捻っていそうな……そんな言葉だった。
しかし、とにもかくにも繋がった以上、事情を説明しなければ……。
「……!」
そう考えて、ティラルの思考は停止した。
背中に冷たい水が通り抜けるような、そんな感覚を覚えて。
「……私、馬鹿じゃないの……?」
言える筈がない。
自分が友達欲しさに創めた事が、その友達のいる世界の平和を乱そうとしているなんて。
どんな顔をすればいいのか分からない。
いや、これでは……顔を見せる事すら出来ない。
伝えられるのは……ただ、文字だけだった。
ただ、謝る事しか、出来なかった。
『済まない……』
そう書くしか出来ない自分自身が情けなくてたまらなかった。
今まで王として様々な苦境を乗り越えてきた自分が、各国の王や高位の竜とも渡り合ってきた自分が、何も出来ないでいるという現状。
彼女の人生においても、これ以上はないという無力感がティラルの心を占めていた。
『……? 何かあったのか?』
『……』
『お前……そも二回目なんて、おかしいだろ。
それにノリが悪いし、暗いぞ。
何かあったんじゃないのか?』
「……マサト……」
その文章を見て、ティラルは先程の無力感と入れ替わるような、内から湧き上がってくる熱さと共に『彼』の名を呼んだ。
この瞬間、自分達はほんの二三言葉をやり取りしただけだ。
相手の顔も見ていない。見れるはずもない。
にもかかわらず。
こうまで、分かるようになってしまった。親しくなってしまった。
ティラルは、ただただ嬉しかった。
言葉しか交わした事のない自分の事を考えてくれている事が。心配してくれている事が。
そして、それゆえに……”その決意”が自分の中で固まっていくのを感じ取れた。
『……いいや。なんでもない』
そう……だからこそ、巻き込めない。
自分の不始末は、自分で片付ける。
(ううん、なんとしても、片付けてみせる……!)
『なんでも、ないんだ』
そんな決意を固めての言葉を鏡に書き込むティラル。
『いや、何でもない事ないだろ』
だが、何かを感じ取ったらしいマサトは食い下がった。
嬉しいが、だからと言ってホイホイと話すわけにはいかない。
話せば、余計な不安を与えてしまうだけだ。
だから……話せない。
『いーや、なんでもない。ただ、からかいたかっただけだ』
虚勢を張って、はしゃぐような文章を鏡に書き込むティラル。
ただ、彼女のその手は……力の込めすぎで、震えていた。
『……ふーん。お前にしちゃ悪趣味だな』
そんな内心の葛藤を感じ取れる筈もないが、とりあえずマサトが納得したらしい事にティラルは安堵した。
『そうだな。それについては謝る。許してくれ』
後は、マサトの世界に迷惑をかけないように、自分が努力するだけだ。
そう決意しながら、謝罪の文を書き込むティラル。
だが。
そんなティラルの決意を裏切るように、ソレは起こった。
『……ティラル…&%%た文字が$#&'』
「っ!? これは……?!」
その瞬間起こった異常にティラルは目を見開いた。
そして、脳裏に甦るのは、グラードが語っていた『昨日の不審な魔力』。
「まさか……?」
時間は少し遡る。
「……?」
それは夕食を終えた正登がネットサーフィンを楽しんでいた矢先だった。
見知ったウィンドウが強制的に展開されたのである。
『マサト! いるのなら答えてくれ!』
『……いるけど、なんだ? 折角ゆっくりしてたのに……』
言いながらネットの方の接続を切る。
というか、できるかどうかも分からずにやったら成功したという感じだったのだが、とりあえずそうして通常ネットを切断した正登はウィンドウの方に意識を向けた。
「……二回目、か」
正登は二度目の『会話』に引っかかるもの……違和感を感じていた。
彼が知るティラルは、基本『真面目』だ。
ある程度の不真面目さもあるが、基本的には決めた事や習慣を判を捺したようにこなすタイプだと感じていた。
そんな『彼』が二度目の会話を望む……違和感がない方がおかしいと、彼は思った。
だが、ティラルも人間だ。
気まぐれを起こす事もあるだろう。
またしゃべりたくなった、ただそれだけなのかもしれない。
「ふむ」
少し考えてから、正登はキーボードを叩いた。
『あれか? 嫌がらせか?』
軽い気持ちで、ちょっとした喧嘩を吹っかける。
そうしたら、向こうもやり返す……そう正登は思っていた。
何事もなければそれで終わり。
後はいつののような『会話』をすればいい……そう考えていた。
だが。
『済まない……』
返ってきたのは、そんな言葉。
唐突な二回目を謝るにしては神妙すぎる。
らしくない様子に、正登は緊急事態らしい事を悟った。
『……? 何かあったのか?』
『……』
『お前……そも二回目なんて、おかしいだろ。
それにノリが悪いし、暗いぞ。
何かあったんじゃないのか?』
『……いいや。なんでもない』
『いや、何でもない事ないだろ』
明らかに様子がおかしい。
『いーや、なんでもない。ただ、からかいたかっただけだ』
なんでもない。
そんな事は無い事ぐらい、分かっていた。
『……ふーん。お前にしちゃ悪趣味だな』
ソレが分かっていたのに、正登はそうとしか書けなかった。
あくまで語ろうとしない様子に何か理由が在るのでは……そこに躊躇いなく踏み込んでいいものか……そんな柄にも無い遠慮が彼の中に生まれていた。
初めて得た”友達”であるがゆえに。
それを失うかもしれないという、自身ですら気付けなかった微かな恐怖ゆえに。
そう書く事しか出来なかった。
『そうだな。そ$ては''謝る&%%れ』
「……? また?」
そんな中、突然画面に”ノイズ”が走った。
昨日も起こった、文字化けとともに。
『ティラル? 文字がまたよく読めないぞ?』
心に走る冷たい感覚を打ち消すためにか、何故か何処からか湧き上がる焦りからなのか、いつもより速くキーボード上の指を走らせる正登。
『マサ&、誰かが、妨害して&#よう&。そっち&%$』
だが、起こる状況は冷たい感覚をより悪化させるばかりで。
『ティラル……? おい!』
『気を&%#。&%@;*マサト&&%%%%%%%%%%』
「な?」
解読不能の……いや、はじめて”会った”時の様に、元通り解読不能になった文字がウィンドウ内を駆け巡り、そして。
「……閉じ、た?」
それきりだった。
画面には何も開いていない。
いつもどおりの、ただのパソコン画面、ただの壁紙が映るだけだった。
「おい……? ティラル?」
今度は明確な焦りから、闇雲に操作する。
インターネットを繋ぎ、フォルダを開き、画面を点けたり消したりする。
だが……あのウィンドウは開かない。
「くそ……」
無駄だとは、分かっている。
それでも……何もせずにはいられなかった。
先程の冷たさは既にない。
今は興奮と焦りで逆転し、身体と心を熱くさせていた。
「開け……!
開きやがれ……!
これで終わりだなんて、俺は認めない……認めてたまるか……!」
だが、やることをやってしまって、最早打つ手がなくなればどうしようもない。
正登は、やむなく手を下ろす。
「冗談じゃ、ない」
まだ顔を合わせたことすらない。
初めて、ようやくオフ会をやれそうなのに。
「こんな事なら……!」
あの時、妙な遠慮などせず言えばよかったのかもしれない。
『そんなんで誤魔化されない。本当の事を言え』と。
だが、結局柄にも無い遠慮が、その機会を逃した。
もしかしたら、永遠に。
「くそっ!」
苛立ちからベットに拳を振り下ろす。
当たり前の事だが、埃が舞うばかりで何の解決にもならなかった。
「何がどうなってやがる……?」
話の途中でウィンドウが閉じるなんて事は今までなかった。
その直前までのティラルの様子も含めて……関係があるとは限らないが……異常事態であるのは、間違いなかった。
「畜生……」
だが、自分には何もできない。
ただできるとすれば……明日、いつもどおりの時間に、待つ事だけだ。
正登は、ぶつけようのない気持ちを宥める様に、パソコンのハードディスクの上に置いたティラルが送ってきたペンダントを拾い上げ、強く握り締めた。
ヒンヤリとしたペンダントの冷たさは、手の熱さを冷ましてくれた。
だが、心の温度には、届かなかった。
「どういう事なの……?」
完全に接続を切られてしまった事に、呆然とティラルは呟いた。
管理人の魔力波動を感じたから、何かしらの干渉……おそらくは妨害……をしてきた可能性はある。
何故そんな事をやるのかは分からないが……。
だがしかし、それだけでは切断はされないはずだ。
知識の差こそあれ、管理人とティラルの魔力はほぼ同等。
それを見越して先刻張っておいた防壁が何の役にも立たないという事はない筈だ。
「やっぱり、マサトの世界に何かあるみたいね」
仮にそうなら、こっちの問題を片付けたとしても、向こうの準備が整わなければ、接続する事は叶わない。
「それでも……」
ただできる事は……マサトを信じて、いつもどおりに接続するしかない。
マサトが諦めていない事を、こちらを信じてくれる事を信じて。
「問題は……こっちがどうするかよね……」
マサトの世界に迷惑は掛けられない。
その為に全力は尽くす。
そう決めた。
だが、どうすればいいのか。
その為に何をすべきで、何をどう決断すれば良いのか。
そこから先が、ティラルには思い浮かばなかった。
……続く。