第七話 動き始める異変(大)・中編










 ティラルにとって心身ともに疲れ果てる、そんな一夜が明けて。







『そう言えばさ』

 …………

『一つ聞きたい事があるんだが……』

 ……

『ティラル? 阿呆、馬鹿、無能』
『って、誰が無能だ!』

 うつらうつらしている内に好き放題書かれてしまっているのに表示から数瞬遅れで気づき、怒りの突っ込みを入れるティラル。
 彼女の眼の下にはうっすらとクマが出来ていた。
 そんな彼女の様子など知る由もないマサトの文字が鏡に浮かび上がっていく。

『お前だよお前。
 それはそうと、どうかしたのか? 今日のお前反応が鈍いぞ?』
『いや、すまないな。
 昨日は思わぬ事態が起こって寝不足だ』

「ふあ……眠いわ……」

 欠伸をしつつ、魔力で文章をつらつらと書いていく。

『で、聞きたい事とは?』
『お前……こっちには来れないのか?』
『何?』

 いきなり何を、という心境で鏡を凝視する。
 その間にもマサトの文章は続いていった。

『いやさ、俺の彼女がお前に会ってみたいって言い出してな。
 そう言われると、俺も会ってみたくなっちまって。
 という事で、どうなんだ?』
『それは……考えてなかったな』

 ふむ、と考え込んでみる。

 こうして交信する事により、ある程度の座標は掴めている。
 更に言えば、マサト自身の生体反応もある。
 そこに繋ぐ形で移動転移魔法を使用すれば……可能性はあるかもしれない。

 移動転移魔術は、かなりの魔力量を消費する。
 人一人瞬間的に移動するだけでも、並みの魔力量の魔法使いでは一日に一回という所。
 並以上、特上レベルのティラルでも十回と使えないだろう。
 世界を跨ぐとなれば尚更だ。
 だが……

「試してみない手はないわね」

 魔法使いとしての興味、ティラルとしてマサトに会ってみたい気持ち……それらを統合するに、試さないではいられなかった。

『じゃあ、やってみるか。ちょっと待っててくれ』

 そう書き込んだティラルは、周囲を見渡し、歩き回った。
 魔道書、魔具が散らかり、積み上げられた、その部屋を。

「うーん……これがいいかな」

 そうして、割と上の方にあった魔力の篭ったペンダントを拾う。

「これなら、あまりかさばらないし、いいかも」

 赤色のペンダントを握り締めつつ、鏡の前に戻る。

『待たせたな。
 では、掌に意識を集中してくれ。
 その方がマサトの生体反応を捉えやすい』
『生体反応が何か知らんが、了解』
『……安心した』
『何が?』
『掌も無いとか言われたらどうしようかと思った』
『……ォィ』
『まあ、基本的にはそんな事は無いだろうが』
『どういう事だ?』
『色々話を聞いての推測だが、数ある異世界の種類の中、こっちとそっちはいわゆる並行系異世界のようだからだ。
 ヒトという種が繁栄している形では違いはない筈だ』
『そうなのか? 
 もしかしたら他の生命体が知性を得てる可能性もある筈だろ?』
『そういう世界もあるにはあるだろうが……可能性としては極端に低い筈だ。
 こうしてゼロの世界を通じて会話できているしな』

 ゼロの世界。
 それは全ての出発点であり終着点。
 その世界に接触する事により言語翻訳が可能という事は、同じ可能性からの派生である事に違いはないという事だ。

『まあ、それはともかく送るぞ。意識を集中してくれ……』







 正登は訳がわからないながらも、言われたままに集中していた。
 それらしく目を瞑って、暫し待つ。
 すると……。

「……!」

 掌の中に、何かがある。
 さっきまで何もなかったはずなのに。

「……」

 少し興奮しながら、目を開ける。
 すると、赤色の宝石が収まったペンダントが、首に掛ける為なのだろう白い紐を揺らしながら、そこに有った。

「異世界、か」

 ここに来て、半信半疑が七割信じる側に傾く。
 実際に見せられると百パーセント信じざるを得ない所なのだろうが、そこをあっさり完全に信じる気になれないのが正登だった。

『……どうだ? こっちからは消えたんだが』

 なんでもない事のように、ティラルの文字がウィンドウ内を走る。

「ったく……とんでもねぇな」

 そう呟く事で平静さを多少装い、正登は返事を打った。

『ああ、届いた。マジで届いたぞ』
『どうだ。これが魔法だ。恐れ戦くがいい』
『誰が恐れ戦くかっての』
『と、折角だから言っておくが、それには魔力効果が付加されている』
『さらっと聞き流せない事を言うなっての。で、どんな魔法だ?』

 ここまで来たら、毒を喰らわば皿まで。
 諦めてるんだが呆れてるんだか正登自身分からない心境をそのまま疑問にすると、ティラルは即座に応えた。

『危険を知らせる魔法だ。
 数回程度だが、持ち主に向けられた負の感情を察知して、鈍く輝くようにできている』
『ふーん……炎でも出して敵を攻撃するのかと思ったけど、案外地味なんだな』
『そういうのが良かったのか? 
 お前の国は平和なんだろうに使い道はあるのか?』

 ご尤もな意見だった。

『やかましい。
 ともかく……それなら、こっちには来れるんだな?』
『ああ』
『これで、オフ会ができるってもんだ』
『オフ会?』
『ふふん、さっきまで訳の分からない言葉で翻弄されたお返しだ。
 自分で考えやがれ』
『……ああ、昨日言っていた、マサトが恋人と出会うきっかけとなった催しものだな』
『ぐぅ……昨日ざっと説明した程度だから理解してないと思ったら、きっちり把握してやがる』
『まあ、これでも頭は日頃使っているんでな。
 ともかく、承知した。オフ会、やろうじゃないか』
『……ああ』

 簡単に返事を打って、正登は思った。

(不思議な、もんだな)

 オフ会というものを理解はしても知らない存在がオフ会をやろうと言い……他ならない自分を誘っている。
 これを不思議と思わずにいられるのなら、それこそ不思議だろう。

『今からはムリだから……明日辺りでどうだ?』

 その返事に答えるべく、正登は自分の思考を中断した。
 そうして、少し考えた末の文をサッと打ち込んだ。

『オーケー。明日だな。時間は空けておく』
『ああ、私も予定は空けておく。楽しみにしておくぞ』








「……本当に、楽しみね」

 世界接続を切って、呟く。

「ま、その前にゴタゴタをある程度片付けないと」

 昨日のテロ事件そのものは、ある程度の事後処理も含め、すでに決着している。
 だがクトゥーナへの対応については、ティラルの考えは甘いという意見がグラードのみならず、他の将軍や大臣の中にも見え始めていた。

「やれやれね……」

 世の中楽しい事ばかりではないと、息を吐く。

「世の中は楽しい事ばかりではないですよね」
「……また貴方?」
 
 部屋を出た途端、視界に入った顔を見て、なんとはなしにそう呟いていた。

「申し訳ありません。そして昨日同様お話があります」

 呆れ半分なティラルの顔もなんのその。
 跪いたグラードは、いけしゃあしゃあと言った。

「重要な話なの?」
「ええ。そうでなければ、お邪魔したりはしません」
「……そうだな」

 グラードの言葉に合わせ、ティラルは口調を王としてのものに変化させた。
 思考も、一人の女から、一人の王へと変わる。

「ココではなんですので、玉座の間でお願いできますか?」
「ああ」

 反対する理由もなく、ティラルはそれに頷き、二人して玉座の間に向かった。

「……む? ガードか」
「我が王」

 玉座の間につくと、ガードが玉座の側に立っている。
 ティラルはなんとはなしに少し速足でその側に駆け寄った。

「なんでガードまでここに?」
「兄上にも聞いてもらいたかったので私が呼びました。
 それに、その方が安心でしょう?」
「私はグラードの事信用してるけど?」

 その瞬間だけ、王ではなくティラルとして、彼女は呟いた。
 いかに憎悪を抱えてとち狂っても、自分を殺すような真似まではしない……幼い頃からの付き合いでティラルはそう信じていた。
 そうして首を傾げたティラルに、グラードはいつもの笑みを浮かべて見せた。

「いや、そうではないのですが……」
「?」
「ともかく、話を始めましょう。
 時間は有限ですから、無駄にするのは惜しい」
「まったくだ」

 またしても夕食を食べる前に呼び出されたティラルとしては早く済ませてしまいたかった。

「で、話とは?」
「領地問題について、妙案があります」
「なんだ? またクトゥーナを侵略するとか言うんじゃなかろうな。
 テロが起こったといっても、あの国を標的にする気は無いぞ」
「いえ……クトゥーナよりも侵略するに相応しい土地があります。
 この世界の誰も踏み入った事がなく、それゆえに誰の文句のつけようもなく、王の良心以外には何の問題もない場所が」
「なに?」
「異世界です。貴方が毎晩ご友人と交信されている……その異世界です」
「……なっ!」

 思いも寄らない展開に、ティラルは王である自分を忘れ、思わず声を上げていた。

「グラード、何故……?」
「何故その事を、でしょうか? 
 それとも何故そんな事を、でしょうか?」
「両方だ」

 ティラルは滅多に見せない敵意を剥き出しにする……いや、そうせずにはいられなかった。
 それは事態が事態だからであり、まったく予想もしない点を突かれた事への怒りでもあった。

「返答次第では……許さんぞ」
「我が王……! 落ち着かれてください……! それでは冷静な判断も出来ません……」
「しかし……」
「そのご友人の為にも、今は落ち着くべきです……!」

 ガードにそう言われる事で、ティラルは猛る気持ちをどうにかある程度まで押さえ込んだ。

「ほら、兄上を呼んでいてよかったでしょう?」

 そう言って笑うグラード。
 その悪意のない笑みはいつもと変わらない。
 変わらないが故に……今はより一層、癇に障る。

「……いいから、説明しろ」

 その怒りをも押し殺しながら、ティラルは玉座に座る。
 そうする事で王としての自分を押し出そう……そう考えていた。
 そんなティラルを満足げに眺めて、グラードは語り出した。

「忘れてはいませんか、我が王。
 この世界を脅かすような事……例えば異質な魔力波動があれば即座に探知し、調査する方がこの国におられる事を」
「……!」
「昨夜不審な気配を感じて、かの管理人様がいらっしゃったんですよ。
 王もご存知の通り、緊急時という事で、私がお相手しましたが」

(……あの時か)

 面倒臭がるべきじゃなかったな、と今になって思うが、今更遅い。
 それに変化があった時は、とすでに宣言されている。
 である以上、ソレを忘れていた自分の迂闊さに歯噛みするしかない。
 ただ、それはそれとして疑問な点が一つ。

(あの時は……変化は……特になかったはずだけど)

 ペンダントを転送した今日ならばともかく、昨日は特に変化はなかったはずだ。
 だが、今はソレを気にかけている場合ではない。
 そう判断し、ティラルはグラードの言葉に耳を傾け続けた。

「そこで、私は魔法使い様の証言にはじまり、最近の王の様子や言動から察して、王が異世界に通じている事を把握しました。
 こんな有益な事を黙っているとは、我が王も人が悪い」
「……で、何が言いたい」

 御託はいいとばかりに斬り捨てる。

「貴方も薄々気付いている筈です……この国も、世界も、バランスの限界が訪れつつある事に」
「……!」
「領土を巡る長い長い争いは、終わるめどが立ちません。
 少なくとも、その為の刃を『誰か』が手にしている限り。
 かといって、眼前の『誰か』が武器を持っているのに刃を手放す人間もいないでしょう。
 だから争いはなくならない。
 そして、なくならない争いに対し、世界は有限です。
 ですが……異世界が存在し、そこに侵攻できるのならば話は別です」
「その為に、何も知らない世界を一方的に踏み躙っていいと言うのか?」
「思いません。ですが、ならばどうすると?
 まさか王。何も傷つけずにこの国を維持できるとでも?」
「グラード、お前無礼にも程が……!」

 弟の余りの言い様に、ガードは怒りを露にした。
 この場の王が冷静であろうとする代わりの怒りの発露。
 が、それさえもグラードはあっさりと遮った。

「失礼。そうでした。
 我が王はこれまでにも幾度となく戦ってこられました。
 侵略を誰よりも望んでいないにもかかわらず。
 勿論、宣戦布告を堂々と行って、相手に猶予を与えた上ですが」
「今回も、そうすればいいと言う事なのか?」
「そうです。いつものように宣戦布告をして、正々堂々と挑めばいい」
「異世界の情報が少なすぎるだろう」
「そうでもありませんよ、兄上。
 王のご友人から得た情報は、それなりに使えるものでした」
「……プライベートの侵害とは、やってくれるものだな」

 恐らくは、魔法使いの力で記録を漁ったのだろう。
 それは、そんな事ではティラルが怒れない事を十二分に承知した上の行動だった。
 他の配下がいる場所でなら見せしめとしての怒りは必要かもしれないが、ティラルの事を熟知している人間しかいない、この状況ではできない。
 さらに言えば……。

「あの方の判断ですから」

 そう。
 かの魔法使いは、世界の管理人として、王さえも退ける世界権限を与えられている。
 その判断ともなれば、ティラルの意思でさえ意味がないものに変わる。

(……やたら強気になれるわけね……)

 舌打ちせんばかりの思いで、唇を強く噛む。

「会話記録によると、王の友人の国は平和ボケしているとのこと。
 奇襲を掛けられれば……勝ち目はあります。
 魔法という向こう側の世界にとって未知を使役できる我々ならば、勝てます」

 押し黙る二人を一瞥し、グラードは言葉を繋げた。

「王は言われました。個人の感情で動くなとは言わないが。個人の感情だけで動くな、と。
 そう語った王自身がそれができないはずはないでしょう」
「……」
「しかし、王が言う事ももっともです。
 こちらの世界の争いを、違う世界に持ち込むべきではない。
 そこで、王には選んでいただきたい」
「……何をだ」
「異世界への進軍か。それとも、クトゥーナへの侵攻かを」
「なるほど……それがお前の策略か」

 その選択肢を突きつけられる事で、完全にティラルは理解した。
 グラードの考え。
 それは、これを機にクトゥーナを制圧する事。
 異世界の友人の為に、あるいは無関係な世界を巻き込まない為に、結果として隣国を捨てる道をティラル自身に半強制的に選ばせる事で。

「馬鹿な……そんな選択肢成立するか……!
 そもそも、異世界侵攻など管理人様が許すと思っているのか……?」
「兄上は物を知りませんね。
 管理人が管理するのはあくまでこの世界であり、彼らが望んでいるのは我々の世界の繁栄です。
 ゆえに、こちら側の世界が繁栄するのなら……侵攻さえ是なのですよ。
 仮にその善悪を全管理人で協議するとしても、その判断の前に侵攻を始めれば、彼等は我が国に味方せざるを得なくなります。この世界を守る為に。
 現に記録を見られた管理人様も、向こうからの干渉はできないらしい事やその他を知って、とりあえずは安心されたようですし」
「く……」
「なお、決断は急がれた方がいいですよ。
 もしも決断ができないようでしたら、私は正式に会議の場で同じ事を進言させていただくつもりですから。
 そうなれば、選択せざるをえないでしょう」
「……グラード第二将軍」
「はい」
「分かっているのか? 
 お前がどれほど無謀な事を言っているのかを。
 そして、どんなに贔屓目で見ても、お前がやっている事は脅迫だという事を」

 ティラルは理解している。

 これまでのグラードの言葉は、自分にクトゥーナを攻めさせる口実をもっともらしく作り上げようとしているだけだと。
 そう差し向けるには、異世界侵攻はあまりにもリスクと問題が大きく、多い。
 まずソレを協議する以前で、王に対する不敬罪で処刑される可能性がある。
 異世界侵攻については、いかに座標情報があっても、軍勢を送る際には膨大な魔力がなければならない。
 いかに魔法が向こうでは未知でも、それはこっちも同じ事だという事。
 そして、なにより自分が強硬に否定すれば叶わない。

 全てにおいて、穴だらけだ。

「承知しております。
 もしもお望みならこの場で斬り捨ててもらっても構いません」

 王と将軍の視線が交錯する。
 だが……グラードの眼には迷いも揺らぎも存在していなかった。
 むしろ、迷いや揺らぎがあるのは……。

「ですが……貴方は気付いている筈です」
「なに?」
「私の言っている事は、決して全てが見当違いではない事だと。
 どちらを取っても、この国が抱える問題を全て解決……とまではいかないものの、それなりに軽減できる筈です。
 そして、貴方には国内の被害を最小限にソレらを達成できる度量、頭脳、手腕、カリスマがあります」
「……」
「問題は多いでしょう、確かに。
 ですが……貴方は頭の何処かで考えておられたはずです。
 決してクリアできない問題でもない、と。
 そして、この国の有能な方々は、貴方がそう思う事、貴方がソレを可能にする『能力』を持っている事を良く知っておられます。  ゆえに本会議を通した場合、どちらが通っても不思議は無い」
「……」
「いずれにせよ決断は早い方がいいでしょう。
 ご友人に説明するにしても、ご意見を伺うにしても。
 お返事は明日伺わせていただきます。
 それが私に出来る最大の譲歩です」
「貴様……覚悟は出来ているな」

 ガードが剣を抜く。
 その意味はただ一つ。
 この場で、グラードを斬ればいい。
 そうすれば全ては丸く収まる……という意味に他ならない。

「王を侮辱した事、王を悩ませた事、苦しめた事……万死に価する。
 我が弟でも……許せん」

 混じりっけのない、純粋な殺気がガードから解き放たれていく。

「死……」
「やめろ、ガードッ…」

 だが、それは……王自身の言葉で遮られた。

「しかし、王!」
「いいから、やめてくれ……」

 そう。ティラルにそれはできない。
 彼女自身が望む、王の形に反するが故に。
 そして、それさえもグラードが計算に入れているのは、明らかだった。
 ガードの殺気を受けてなお、平然としていた事からもソレは明らかだった。

「く……」

 動けない二人を一瞥した後、グラードは一礼した。

「それでは今日は失礼します。明日のこの時間にお待ちしておりますので」
「……」

 ティラルは答えられなかった。答える気力を失っていた。
 そんなティラルを見て、ポツリ、とグラードは零した。

「……貴方は、優しすぎるんですよ」

 去り際の小さな言葉が、やけにハッキリとティラルの耳に残っていた。







……続く。






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