第六話 動き始める異変(大)・前編
「うーん……やっぱマサトと話すのは楽しいわね」
廊下に出て、趣味の部屋の『扉』を閉じながら、正直な所を口にする。
そうして形にすると、自分の心情が改めて確認できた。
ティラルにとって、王である自分を知らない『マサト』という存在は、これ以上ないほどの安息の場所だった。
(マサトの個性も、中々に面白いしね)
互いに気兼ねなく話せる存在……それがこんなにも素晴らしいものだったとは……。
(うん、魔法の才能があってよかったわ)
自分の生まれ持った才能に感謝しつつ、歩き出そうとしたその時。
「ご機嫌ですね、ティラル王」
そんな声と共に、一つの影がティラルの眼下に現れた。
「グラード……?」
そこに跪いていたのは、この国の軍事責任者・将軍の一人である、グラード・デフェナ・ウィルズだった。
「貴方、いつからそこに?」
部屋から出てくる所を見られたのではないか……そんな懸念からティラルは尋ねた。
別にそこまで秘密にする必要はないのだが、せっかく秘密なんだし、という思いがティラルにはあった。
そんな思惑を知ってか知らずか、グラードは跪いたまま、薄い笑みを浮かべた。
「ついさっき、通り掛った所ですよ。
秘密の部屋なんか知りません」
その台詞をまったく邪気のない笑みで言うのだから、恐るべしとしか言い様がない。
「…………貴方、相変わらず真っ直ぐなのに黒い性格してるわね」
「はい」
「……まあいいわ。
じゃ、私これから夕食だから」
そう言って、グラードの横を通り抜けていく。
「その前に、王としての貴方に、お話したい事があります」
ピタリ、と足を止める。
いかに先刻まで王である自分を忘れていたとしても。
彼女、ティラル・フィリアヴァレル・ケイウォルシア・ジーケティスは、一国の王なのである。
グラードに向き直るその顔は、すでに王としての彼女に変化していた。
「何だ、それは?」
「二つあるので、まず一つ……
先刻、国境警備軍から相互伝達魔法で連絡がありました。
国境近くでテロが起こったそうです」
「何……?」
その報告に、ティラルは表情を歪ませた。
最早、先程までの上機嫌は何処にもない。
「と言っても、結果としては未遂です。
国境線を護る我らの軍に、連鎖爆式・咆哮陣を展開しようとした所を取り押さえたそうです。
簡単な調査をした所、テロの実行犯はクトゥーナの過激派軍人である可能性が濃厚だそうです」
「……!」
ジーケティス王国とクトゥーナ国は、ほぼ同じ規模の領土を持つ隣国同士……だった。
大陸の中央に位置し、様々な国に囲まれた両国は、互いの背中を護り合う事で、国を維持してきた。
そのバランスが崩れ始めたのはいつの頃か……はっきりとは分からない。
ただ、ジーケティスが世界有数の強国となり始めたのがきっかけだったのは確かだ。
常に苦楽を共にし、同じ事をやってきたはずなのに、二つの国はいつの間にか様々な面で差がつき始めていた。
親交の深さが増すごとに、一部の国民の潜在的な羨望が大きくなり……いつしか、クトゥーナの一部の人間はジーケティスを敵視するようになっていた。
そうして散発的なテロが起こるようになった。
事件一つ一つは両国の協力体制ですぐさま解決しているし、事件の数もそう多くはない。
だが、テロ事件同士の繋がりが薄い為に一網打尽という訳にはいかず、禍根はいつまでも残る……いや、むしろテロが起こる度に深まっていった。
それでも、ここ十数年……ガードとグラードの父親の事件以降は、不安定ながらもテロは起きていなかったというのに。
「ちなみに、報道管制は間に合わないと思われます。
未遂でこそ終わりましたが……未遂で終わらせる事で逆に騒ぎが大きくなってしまったとの事ですから」
「そうか。
なら、情報公開は仕方ないな。死傷者は?」
「幸い死者は出ていません。ただ……軽傷者が三名ほど」
「そうか」
そう呟いて、ティラルはグッと唇を噛んだ。
怪我人が出ただけでも、やはり辛い。
戦争で多くの死者を見て、自ら作ってきたティラルだが、その本質はあくまで戦いを嫌っていた。
それでも戦うのは、戦う事で戦う事を最小限に抑える為だ。
だからこそ、戦争でもないのに死傷者が出る事は避けたかったのだが……。
「どうします、我が王」
ティラルの苦悩を遮る、その『どうします』の意味は今後の方針ではない。
そろそろ、隣国との戦争に突入するべきなんじゃないのか、という意味に他ならない。
確かに、今回の事件で隣国への不満がかなり高まるのは事実だろう。
だが、かといって……簡単に戦争に踏み込むわけには行かない。
十数年前……グラード達の父親が亡くなった時はもっと大きな被害が出た。
その時でさえ、戦争は回避できたのだ。
それゆえに、ティラルはこう告げた。
「犯人は捕まったのだろう。
なら今回は事件の事後処理だけだ。
調べて他に計画者、首謀者がいるのなら捕まえる。それだけの事だ」
「王……!」
普段の、『日常』の彼からは予想がつかない強い非難の声。
だが、それでも。
「駄目だ」
ティラルは『それ』を認めるわけにはいかなかった。
「一部の人間の暴走で戦争を始めるわけには行かない。
それでは、こっちも同じになる」
「……」
「私は玉座の間にいる。
食事は後回しだ。
各将軍、大臣を招集しろ。事態を収拾する」
「……分かりました」
一分の迷いもないティラルの言葉に、グラードは不精不精に頷く。
「……」
正直、意外だった。
今回の事件は彼にとっては格好の理由。
それをこうも簡単に諦めるものなのか……?
「……王?」
「ん、済まない」
疑問には思うが、今はソレを詮索する時じゃない。
ティラルはそう判断する事にした。
「それじゃ、私は……」
「お待ちください。あと一つお話したい事が」
「と、そうだったな。なんだ?」
「先程、王に用事がある、と客人が来られていますが……?」
「今はそういう状況じゃない。
悪いが緊急事態だと引き取ってもらってくれ。
そちらも火急の用件なら待ってもらうよりないが……」
「いえ、そういうわけではなさそうでした。
よろしければ、私が行って断わってきましょうか?
その方が、先方に失礼がないかと」
(確かに、その方がいいわね……)
将軍が相手をすれば失礼にはなるまい。その上で後日謝罪するとしよう……
「……分かった頼む。
それが終わったら、すぐに来てくれ」
そう言い残したティラルは、今度こそグラードから離れ、自身の為すべき事を為す為に颯爽と歩き出した。
その場に跪くグラードの浮かべる……薄い、本当に薄い笑みに気付く事なく。
……続く。