第四話 それぞれの日常、それぞれの異変(小)
ティラルが一日の中で最も多くいる場所……それは玉座の間である。
玉座の間は、市民謁見、定例会議、ごくたまに行われる舞踏会などの催しものを始め、様々な事に使われる。
そして、その様々な事は王であるティラルを欠いては行えない。
という事で、今日も今日とてティラルは玉座の間にいる。
玉座の間の最奥部……その頂とも言える玉座に、ティラルはいつもどおりに座っていた。
彼女の横にガードが盾として張り付いている点も含めて、いつもどおりである。
「それで……今一番の問題としては、やはり領土です」
そんなティラルから少し離れた位置に跪く、派手な服装の男はティラルに向けて、そう告げた。
やや細く神経質そうな顔つきに似合わない、光沢を放つ服装をしたその男は、このジーケティス王国の大臣の一人である。
服装のセンスが悪い事を除けば、忠誠心に溢れる上に有能な、ティラルにとっての頼れる腹心の一人だ。
そんな彼が問題としてあげるという事は……かなりの問題だという事に他ならない事をティラルはよく理解している。
「ふむ……」
ゆえに、その報告を耳に入れたティラルは、眼下に居並ぶ自国の重要なポジションに立つ人間達を眺め、微かに顔をしかめた。
一国の主としていかに有能で、王に相応しい大きな器があったとしても、避けられない問題というものはある。
領土問題もその一つである。
ティラルが一国の王として存在するこの世界が、群雄割拠そのものの世界である事も、その問題をややこしくしていた。
国家転覆が日常茶飯事……とまでは言わないものの、今日は自国の領地だったものが、一週間後には隣国の領地、なんて事がザラに起こる世界なのである。
そんな中にあって、ティラルの国は建国から数百年経っても健在どころか、むしろ領土を拡大している強国ではある。
ではあるが、年がら年中領土が拡大できるわけでもないし、歴代の王は戦争狂でもなかったし、世界に領土が無限に存在しているわけではない。
である以上、時には外交上領土を譲る事も必要になるし、逆に奪わなければならない時もある。
そうして自国を護る為の戦争、領土を広げる為の戦争に勝利しつつ、そういった事をバランス良く続けてきた事が、この国の現在を支えている。
だが……ここ最近、その状況が危うくなってきたのである。
「報奨としての領地が予定より確保できなかったのは痛かったな」
苦々しげに呟くティラルに、大臣はフォローを入れる。
「それも仕方ないかと。
前回の遠征先であるスアウルはそもそも使える土地が少なかったのですし」
「そうだな。ある程度はそれを承知で遠征したんだしな。
かといって、あれ以上領地を奪う事はスアウルにとって危機的状況になっていただろうし……反感を招き、更なる抵抗を招きかねなかった」
そう言って、ティラルは小さく息を吐いた。
勘違いする者が多いが……戦争というのは勝てばいいというものでもないし、他国を占領して好き勝手やればいいというものではない。
攻め込んだ場所の特色や風土、人心をそのままに自国に取り込む事こそが勝利であり、その勝利を維持する最良の策なのだ。
……それ以前に、ティラル自身無闇やたらに攻め込んだり、人々の生活を乱すのを嫌っているからの溜息でもあるのだが、そんな個人の思考や感情では成り立たないのが王という職業なのである。
かといって、そういう『個』の部分をないがしろにもできないのが頭の痛い所でもある。
国をまとめる者が、感情のないマリオネットではなく、愛されるキャラクターである事を国民は望んでいるのだから。
結局の所……全てにおいて、いかにバランスを崩さないかが重要なのだ。
最近、そんな色々なバランスが崩れてきているのが、王としてのティラルの悩み所なのだが。
そもそもスアウルという、言ってみれば辺境の地に多少の無理を承知で遠征したのも、そのバランスを保つ為だった。
だが、それでも、バランスは保てなかった。
その有効な解決策も今の所見当たらない。
有効じゃない……というより、気が進まない解決策ならいくつかあるのだが。
(……この国は、長く続きすぎたのかもしれないわね)
王としては考えてはならない事なのかもしれないが、それも一つの真実だとティラルは思っていた。
長い繁栄の為に、少しずつ先送りにしてきた問題が、今の自分を苦しめているのは、紛れもない事実なのだから。
かといって、過去の王たちを責めるわけにはいかない。
彼らは彼らで自分のできる精一杯で国を護ってきた……それも真実なのだから。
「……分かった。
その件については近いうちに案を出そう。今日の所は解散だ」
「ですが、各騎士団や領主達への報奨については……」
「そちらは宝物庫から幾つか稀少品を出して、当座は納得してもらうしかないな。
今回の遠征については前々から説明はしてあったから、暫くは我慢してもらえるだろう。
その間に、約束の領地については方策を考えておく。
異議はないな?」
そうティラルが言い放った時だった。
居並ぶ男達の中の一人……異彩を放つほど細い体付きの青年が、音もなく挙手した。
「……なんだ、グラード。異議があるのか?」
「異議はありません。
が、しかし……これからの事については提案があります」
グラードと呼ばれた黒い軽装の鎧を纏った青年は、
その外見に見合わない、明瞭な迷いのない言葉で、そう言った。
その顔には……悪意の見えない笑みを浮かべている。
ティラルは、そんな青年を眺め、少し不機嫌そうに眼を細めた。
「……どうせまた隣国を完全制圧しようとか言うんだろう?」
「そうです。
現在の、かの国の情勢は不安定です。
いつまたテロが起こるかも分からず、それが我らに悪影響を及ぼす可能性がある以上、放置はできません」
真顔で答えた青年に対し、ティラルはこれ以上ないほどハッキリと溜息をついた。
「それに対する答えは決まっている。却下だ。
隣国であるクトゥーナとは、互いの背中を護り合う間柄であって、無防備な背中を襲う仲ではない」
「護り合うというのは、対等の力があってこそです。
我が国とかの国では比較にならない軍事力の差があります」
「口を慎め、グラード。
軍の強さが、国の強さではない。
かの国には、私達は軍事力とは違う部分で護られている」
「ですから、制圧する事でその部分をも……」
「グラード・デフェナ・ウィルズ第二将軍」
なおも言葉を続けようとした青年の言葉を遮って、ティラルはその名を呼んだ。
ガードと共に幼馴染である青年の本名と肩書きを。
「何度言えば分かる?
個人の感情で動くなとは言わないが。個人の感情だけで動くな、と。
お前は自分が踏み躙られたように、誰かを踏み躙りたいのか?」
「……いえ」
刺す様な……とまではいかない、指で小突くようなティラルの言葉で、グラードは浮かべていた笑みを消し、俯いた。
「ああ、そうだろう。
お前は、それが分かっている男だ。
お前は、辛い境遇にありながらもソレを理解できる、鉄の精神力を持ち合わせている。
だからこそ、その年で将軍の地位にいる」
「……」
「確かに隣国の情勢は微妙だ。
もしかしたらお前が危惧するような事態が再び起こらないとも限らない。
だが、まだ起こってはいない。
起こっていない事で他国を疑えば、我らも同様に疑われ、排斥される可能性を生む。
納得が行かないだろう事は分かるが……納得しろ。以上だ」
そうして、不満気なグラードに一方的な言葉を投げ掛けたのを最後に、週に一度の定例会議は終わった。
「やれやれ……」
肘掛に腕を乗せ、頬杖をするティラル。
先程までは十数人いた大臣達もすでにおらず、玉座の間は平均的な静けさを取り戻していた。
「あの……」
「ん?」
ティラルの様子を見て、ずっと彼女の側に立っていた男……ガドロデス・デフェナ・ウィルズは、ティラルからすれば「ガードには珍しい」と言われるであろう、おそるおそるな調子で彼女に声を掛けた。
「すみません、弟がご迷惑を……」
「お前が謝る事じゃない。そしてグラードが謝る事でもない」
ぶっきらぼうに、ティラルは言った。
「結局は、この世界のありようが問題なんだ。
争いが絶えない、この世界のな」
「……」
「歴代の王たちも、同じ様に悩んできた事だが……自国を護るのが手一杯だった。
昔の、即位する以前の私は、そんな事はない筈だと息巻いていたが……やはり自国を護るのが精一杯だ。
情けない限りだな」
国を維持し、護るという事は難しい。
一国の特色、産業、位置、軍事力、国民性……そういったものを把握しても足りない。
他の国の事も同様に理解した上で、先を見据えなければならないし、今を怠る事も許されない。
世界を変える事は、それらが出来た先にあるもの……ティラルはそう感じていた。
自分よりも何代か前の女王が、そうして強い王の時代を塗り替えたように。
「そんな事はないかと。
我が王は立派です。
他国を必要以上に踏み荒らさず、それでいて自国の発展、世界情勢を見失わない。
弟もそんな貴方を尊敬しています」
「だからこそ、期待してくれるんだろうな。
自分達の敵を討ちながらも、平和的な手段を模索してくれる、とな」
ウィルズ家は、代々王家に仕えてきた騎士の一族だった。
彼等は血筋に守られた形ばかりの一族ではなく、極めて優秀な剣士であり、戦士であり、統率者だった。
国民が彼ら一族の事を、王家の盾と称するほどに。
ゆえにこの国を疎ましく思う者にとっては、国そのものと同じくらい疎ましい存在だった。
そして、それがある一つの事件を生んだ。
十数年前……友好関係にある隣国・クトゥーナとの関係がとある事情から悪化していた頃。
王同士は争う姿勢をまるで見せず、あくまで友好関係であると国民に強く訴えた。
だが、それが一部の反感を買ってしまうこととなり……隣国の過激派がテロを起こしたのだ。
その犠牲となったのが、その空気を諌めに隣国を訪れていたウィルズ家の人間……先代の将軍の一人である、ガドロとグラードの父親だった。
「私だって、あの方にはお世話になっていた。可愛がってもらっていた。
だから悔しかったさ。悲しかったさ」
ティラルの脳裏に、自分に剣のコツを教えてくれた姿が思い浮かぶ。
だから、当時は二人同様に隣国を憎みもした。
「だが、隣国そのものには罪は無い。
当時のテロの実行犯はとっくに処刑されている。
だから、そこまでだ。
どんなに心に燻るものがあっても、それ以上形にする事は許されない。
それが個人ならいざ知らず、王や将軍、親衛騎士団長なら尚更だ」
「はい。アレも、それは十分に分かっています」
「だから、納得が行かないだろう事は分かるが納得しろ、と言ったんだよ。
アイツならそうできる筈だからな。
まあ、それが中々できないのは……真っ直ぐすぎるお前達らしいとは思うがな」
「……お許しください」
「だから、謝らなくてもいいって。
ともかくだ。その事についてはお前からもよろしく言っておいてくれ」
「分かりました」
「……と、今日はこれまでね」
視界に入った赤と黒の交じり合った空が、時計を見るまでもなく、その時刻を示している。
いつもどおりに口調を変えて、ティラルは一日の終わりを自分で形にした。
「あのね、ガード」
「なんでしょうか」
「さっきも言ったけど……おじ様の事については、私だって辛いわ。
でもね、私がそれを晴らすにはただ一つしか術がないの」
「この世界を、変える……ですか」
「ええ。二度と起こらないように、なんて口には出来ないけど。
その回数を限りなく減らす事はできるはずだから。
その為に……私は、世界を変えたい。
それがグラードや貴方、おじ様への答よ」
「分かっています。我が王。
そんな貴方だからこそ、私はお側に仕えているのです」
「ありがと。でも友達にはなってくれないのよね」
「……私は、あくまで騎士団長ですから」
ふい、と微かに視線を逸らしながら呟くのをティラルは見逃さなかったが、彼女はソレを期待に沿えない罪悪感なのだと判断した。
「ホント、クソ真面目よね。
……まぁ、だからこそガードなんだけど。
じゃあ、また夕餉時にね」
「あの」
「ん?」
「最近、夕餉時になるとご機嫌になってらっしゃるようですが……何かあったのですか?」
その質問に、ティラルは僅かながら驚いた。
基本的に遠慮がない発言こそ多いガードだが、彼自らの発言は案外少ないからである。
今回のように弟であるグラード絡みか、それなりの事態ではない限り。
(……それだけ、目に見えて上機嫌なのかしらね)
そう思うと、なんだか笑えてくるものがある……ティラルはそう思った。
「王……?」
「あ、いやなに。プライベートが上手くいってるからよ」
「…………まさか、また城下に?」
「あははは、まっさかー。んなこともうできないって」
窮屈な生活の憂さ晴らしに、変装して城下町に繰り出していたのは昔の事だ。
今はもう、そんな事はできない。
あまりにも名も顔も知られすぎている。
だからこそ、ガードは不思議だった。
代わり映えのしない……いや、むしろ不穏な空気に包まれつつある状況で、最近とみにご機嫌なティラルが。
そんな思いから不思議そうな表情を浮かべるガードを見て、ティラルは言った。
「そうね。ガードには特別に教えてあげるわ。
友達ができたのよ。ずっと遠くの場所に、ね」
満面の笑みでそう告げて。
鼻歌交じりに去っていく自分の王を、親衛騎士団長ガドロ・デフェナ・ウィルズはぼんやりと見送った。
……その後で。
「だそうだぞ、弟」
玉座の間に左右三本ずつ並んでいる稀少な石で作られた柱。
その柱の影に隠れていた存在に、ガードは呼びかけた。
その声に応える形で、一人の青年……グラードがその姿を現した。
先刻は消えた笑みを浮かべながら。
「流石、兄上。気付かれていたとは……」
「当たり前だ。私は王の護り。王の盾。周囲の気配にはいつだって気を配る。
ともかく、話は聞いていたな?」
「勿論。聞いていました」
「納得は、できるか?」
「できるわけないでしょう。それは兄上が一番理解している筈です」
「それは王も同じだ。その上であの方は理解しろとおっしゃっている」
「……分かっていますよ。
ですが、あの方のように皆強いわけじゃない。
少なくとも、私は強くない……」
「グラード……」
「努力はしますよ。
ただ、私が黒い衝動を晴らす手段を模索し続けている事もお忘れなく。
そう、王に伝えておいてください」
それだけを告げて去っていく弟の背中を、ガードは王にした時と同様に、ただぼんやりと見送った。
弟の問題を、時間が解決してくれる事を祈りながら。
……続く。