第二話 『はじめて』の友達
「……なんだ、これ?」
正直、俺は驚いていた。
ウィンドウの中に現れた、その文章に。
もう一度確かめるが……やはり何かのプログラムが動いているわけではない。
なにがなんだか……サッパリ分からない。
厄介事なのは間違いなさそうだが。
「ったく。しょうがないな……」
利き腕である左手で頭を掻きながら、電源を強制的に落とそうと右手を伸ばす。
その途中。
視線の中に……さっきの文面が目に入った。
「……」
友達にならないか。
それは……かつての俺が考え……今も続けている事。
そもそもネットを始めたのも、その為だった。
ホームページを立ち上げて、
さして文才があるわけでもないのに小説や詩を書いて、
さして絵心があるわけでもないイラストを描いて、ひたすらにアップし、
創作系のホームページを作り上げてきたのは、
誰かの眼に止まる事、そこから始まる何かに期待していたからだ。
そんな中、紫須美に出会えただけでも幸運だった。
勿論今も友達は欲しいが、紫須美がいるおかげでトラウマを少しは忘れることができている。
もしも。
このメッセージを送っている誰かが、俺と同じなら。
何かの理由で友達が作れずに、苦しんでいるのなら。
俺にとっての紫須美が、この誰かにいないのなら。
「……」
俺は……おそるおそるキーボードに手を添えた。
「駄目もと……だな」
これがただのトラブルなら、何も出来ないのなら、迷う事無く電源を切ればいい。
そんな考えで、必要以上の力と覚悟を込めて、俺はキーボードを叩いた。
「返って、きた……」
私の書いた文章の下に浮かび上がった青い文字に、正直私は驚いた。
そのつもりだったとはいえ、実際返ってくるとやはり驚きは隠せない。
その蒼い文字……私のものと区別する為に魔力パターンを変えて青くしている……は、
私の呼びかけに対して、こう答えていた。
『友達になって欲しいのなら、まず名前を名乗れ。
名前を。
ハンドルネームでもなんでもいい。とにかく名乗れ』
なんか、偉そうな文面だ。
だが、それでいい。そうでなくちゃいけない。
私が欲しいのは対等な相手なのだから。
「にしても、ハンドルネームってなによ?」
少なくともこの世界の用語ではないだろう。
となると、やはり異なる世界との『扉』を繋げてしまった可能性が極めて高い。
正直、そうだと嬉しい。
この世界の人間だと、万が一身分がばれてしまうと、はいそれまでよ、の可能性がある。
だからこそ、私は異世界の人間に交信を求めたのだから。
まあ、この世界の人間であれ、私が偽名を名乗れば事足りるのかもしれないが……。
「って、ひょっとしてハンドルネームって偽名の事?」
なるほど、それなら文面の意味としては通る。
ただ、それだと異世界(仮)は、
偽名が当たり前の事としてまかり通っている世界だという事になるのではないか、
などと推測が頭を駆け巡る。
「まぁ……世界は広いしね。
なにかしらの背景があるのかもしれないし」
それはそう納得するとして、偽名を名乗るかどうか。
「……」
私は少し悩んだ末に、魔力を指に這わせ、鏡に文字を書き込んだ。
「わ、マジで返ってきた」
返事が、ウィンドウの文字として走る。
こちらから文字が打てたのも驚きだったが、返事が返ってくるとは驚く。
どうやら普通のチャットのような感じでやりとりできるようだ。
あるいは、新しいタイプのチャットそのものなのか。
まあ、それはさておいて。
気を取り直しつつ、俺は改めてその文章に視線を落とした。
「えと、なになに」
『偽名なんか名乗らない。異なる世界の交信なのだから必要ない』
「はぁ? 異なる世界?」
いきなり何を書いてんだ。
確かに、この状況は異常事態だが……さすがに、それはないだろう。
違う世界の人間が、パソコンを通じて話している、なんて。
「……いや、面白いかも」
確かにありえない可能性の方が滅茶苦茶高いが……実際、こんな事は普通じゃ起きない。
だったら、そのありえない事が本当に起こっている可能性も少なからずあるわけで。
そんな面白げな可能性を自分で潰すなんて、勿体無いにも程がある。
だったら、どうするのか。
『異なる世界かどうかなんて分からないし、信じない。
でも、アンタが本名を名乗るなら、信じて付き合ってやってもいい』
そんな文面に自分で笑う。
そうして煽った結果向こうが名乗った本名が日本人名だったら面白いし、
それならそれでいざと言う時……これが悪質な悪戯だった時……に役に立つ。
日本人名じゃなかったら、それはそれで面白い。
勿論、日本人名であろうとそうでなかろうとも偽名の可能性だって、大きい。
そもそも馬鹿正直に本名を名乗る方がおかしい。
「賭けてみるか」
それでも。
もしも、画面の向こうの『異世界人』が日本人名じゃない、外国人っぽくもない、
みょうちきりんな名前を名乗った時は『異世界交信』を信じる。
そうでなければ、電源を切って、同じ事が起こっても相手にしない。
「さあ、どうする?」
そんな期待を乗せて、俺は画面に注目した。
すると画面の中に、その文字の羅列が浮かび上がった。
『ティラル・フィリアヴァレル・ケイウォルシア・ジーケティス。
それが私の本名だ』
「これで、文句ないでしょうが」
割と長い本名を書き終わって、私は言った。
本名を名乗る事は、私にとって確認となる。
この鏡の向こうの『異世界人』が本当に『異世界人』なのかどうかの。
私の名前は、いい意味でも悪い意味でもこの世界で有名すぎるからだ。
やれ「世界一のアイドル女王」だとか「騎士王国の異端たる魔道女王」とかで。
……自分で思い浮かべておいてなんだが、ちょっと気が滅入る。
まあ、それはともかく。
勿論、向こうが存在を偽る可能性もある。
仮に全て私の勘違いで、これが同じ世界に繋がっているのなら、
私の身分や立場を利用しようとする可能性は決して低くは無いからだ。
ゆえに、話を合わせられ、存在や身分なんか簡単に嘘をつかれるかもしれない。
それでも。
もしも彼が私の名前に無反応なら……私は私の魔法を信じる事にしよう。
そんな期待から、私は画面を注視した。
「お……一応、日本人名じゃないし、それっぽい感じの名前だな」
となると、一応は信じる方向性で行く事に決定という事になる。
「じゃあ、普通に……じゃなくて、予定通りに対応するか」
うん、と自分を納得させるように頷く。
「にしても……長ったらしい名前だな」
その上で、言葉と同じ文面を画面に打ち込む。
『……余計なお世話だ。それよりも今度はお前の番だ』
「……確かにそうだな」
ジット、と打ってみる。
それはネットを始めた時からずっと愛用しているハンドルネーム。
じっと忍耐強く待ち続ける……気が短い俺が自分を戒める為に考えた、仮の名前。
でも……。
「やめた」
さっきのティラル云々の名前が偽りなのかどうかは分からない。
ただ、これが日本人名じゃない事は明らかで。
そして、それが本名とするなら……付き合うと決めたのだ。
なら、向こうの流儀……向こうの言い分に合わせるのが筋と言うものだろう。
『俺の名前は……街川正登。マサト・マチカワだ』
そう決めたとは言え、不思議だと思う。
『ネット上』で本名を明かすなんて事、普段の俺はしない。
……まあ、これがネットなのかどうなのかさえ怪しい所だが。
ともかく、不思議な事の連続で、気が動転していたのか。
それとも……コイツになら名乗っていいと思ったのか。
なんにせよ俺は、そう名乗ったし、そう名乗る事にした。
『マサト、でいいのか?』
『それでいい。っていうかアンタ』
『ティラルでいい』
『んじゃ、ティラル。
アンタ、日本語分かるのか? それとも翻訳ソフトでもあるのか?
異世界なのに、言葉通じるのか?』
それは名前を打ちながら疑問に思った事だ。
ティラルとやらの言い分を信じた上で、
こうして意志の疎通ができているという事は、
なにかしらの処置がしてあると言う事に他ならない。
『翻訳ソフトというのが何なのかは知らないが……
日本語。それがそちらの言葉なのか?』
『えと……一つの国の言葉だ』
『世界共通語は無いのか?』
『ない』
世界の全てに共通する言葉だという意味なら、そんなものは存在しないとしか言い様がない。
そんなものがこの世界にあるのなら、昨今の世界情勢は少しはマトモになっている気はする。
『不便な世界のようだな、そちらは』
その返事は、そういう含みを悟ったもののようで、なんとなくムカつく。
我ながら捻くれてるなぁ、とは思うのだが。
そんな俺の自分勝手な感情など知る由もなく、向こうの文面は続いた。
『とにかく、質問に答えよう。
お前が如何なる形でこの交信をしているのかは私には分からないが、
こちら側からの交信には意思疎通の魔法を掛け合わせている』
『意思疎通の魔法?』
『並べられた文面のパターン、文字の流れやリズムを『ゼロの世界』からの鎖の繋がりで解析する魔法だ。
それがあれば文字と言う形である以上、どんな文字・文面でも訳する事は可能だ』
その説明もそれなりに興味深い。
だが、それ以上に興味深かったのは、魔法。
しつこいようだが、向こうの言い分が正しいのなら、それは確かに存在しているということになる。
『その魔法で、交信してきたわけか』
『そういう事だ』
『へぇ……魔法ねぇ』
『そちらの世界には魔法さえないのか?』
その言葉に思わず苦笑する。
いかにも、本当に魔法が発展している世界の人間らしい言葉だからだ。
『ないない。その代わりに科学って奴が進んでる。
お前と交信してるのも、その科学の産物によるもののお陰だ』
確信は無いがそうなのだろう。
多分、このパソコンの位置だとか、構造だとか、仕様だとか……そういう要因が重なって、
この『チャット』はできているのだ……多分。
少なくともパソコンが無ければ、こんなウィンドウは開かなかっただろうし。
『科学か。なるほど。
そちらとこちらはそういう価値観で別れた世界なのかもしれないな。
しかし、あの時感じた……』
『それはそれとして……』
なんとなく、長い文章になりそうだったのを遮る。
自分勝手極まりないが、俺はそれ以上に気になる事があって、少し焦っていた。
その心情を……冷静に文章にして落ち込む。
『あんたはさ、なんで異世界と交信しようとしてるんだ?
さっき書いた通り、友達を作る為なのか?』
『……否定はしない』
『お前、友達いないのか?』
『そういうお前もいないんだろう?』
ぎっくぅ。
文字こそ打たないものの、図星を指されて俺の顔は引きつった。
「案の定みたいね」
クスクスと、自然に笑みが零れる。
止まった文章から察するに図星だったようだ。
『この交信の波長には、私に近い精神波長を捉える事も含めている。
つまり似たもの同士が引っ掛かる可能性が高いという事だ』
笑みを浮かべたまま、私は鏡に文字を書き込む。
そうする事で今までの文字が上にせり上がり見えなくなるが、
それはちゃんと鏡に魔力で記録されているので、会話の記録はばっちりである。
後で異世界情報を纏めるのも悪くないなどと考えつつ、返事に注目する。
『くぅ……悔しいが、認めてやろう』
彼……マサトの返事に、フフン、と笑みを深める。
ちなみに、さっきの発言は七割がたハッタリである。
残り三割は……こういう通信をする存在は、
何処かに寂しさを抱えているんじゃないか、などという自分勝手な推論だったりするが。
しかし、そのハッタリもあながち間違ってはいないのかもな、
とマサトの肯定を読み直して私は内心自慢げになった。
だが、それもほんの一瞬の事。そのマサトの言葉であっさりと覆される事になる。
『まあこっちが認めるのはいいとして、結局どうするつもりなんだ、あんた?
まさか、交信する事は考えていても、
その先の事を考えてなかったとかそういうんじゃないだろうな?』
「……あ」
今度はこちらが図星を指された。
多分、鏡の向こう側のマサトはさっきまでの私同様ほくそ笑んでいる事だろう。
否定するのは簡単だ。
だが、向こうが恥を肯定したのなら、こちらも肯定しないわけにはいくまい。
きぃ〜、と軽く歯軋りなんぞしつつ、私は文字を書き込んだ。
『ああ、まったく考えてなかった。
私としたことが痛恨だ』
『やれやれ……』
呆れたようなその文字から一拍空いた後……それは鏡に浮かび上がった。
『じゃあ、始めるか』
『???』
『友達付き合いって奴をさ。
アンタ、この時間はいつも空いてるのか?』
『基本的には、そうだが』
『俺もそうだ。
だから、アンタがよければだが……今後はこの時間帯に異世界交信をするってことでどうだ?
……友達として』
「ふぅ……」
文章自体は気軽い感じだろう。
だが、俺自身は結構……いやかなり緊張していた。
こういう会話の流れは、ネット上、現実問わず何回か経験している。
でも、いつも『友達』のくだりになると拒否されていた。
そこには、相手の拒否があり、俺が急ぎすぎるがゆえの失敗があった。
受け入れた奴もいたが、明らかな遠慮や気遣いが見て取れて、俺自身が拒否した事もあった。
今回は……いや、今回も、急ぎすぎているのは分かっていた。
あくまで気軽にいきたいのなら、無理に「友達」なんて言葉を入れる必要はなかった。
でも、いつも浮かび上がる昔の事と、それに連なる強迫観念が、結局そうさせなかった。
昔の事。
それはしごく単純だ。
友達と思ってた奴に笑いながら「何言ってんの? 友達なわけないじゃん」と言われた事。
普通なら、冗談だと思う事は出来たのかもしれない。
ただ、俺にはできなかった。
それだけの事だ。
それが俺のトラウマ。
友達と思しき人間には、友達であるかの確認をしなければ友達と思えない……そんな強迫観念。
そして、今。
今度は、どうだろうか? どうなるのだろうか?
不安と緊張をのせて、俺は画面に集中した。
「……」
私は、その文面を見て、胸が痛くなった。
これは……私だ。
勿論、立場や状況、世界さえも違う。
でも。
いままで、そうして呼びかけてきた私自身が……そこにいた。
だから、分かる。
ここに込められた緊張や、願いが、痛いほどに伝わってくる。
問い掛けなければ確かめられない、そんな苦しみが。
鏡の向こうの彼が、私と同じ気持ちでいる事が……本当に分かった。
「……うん」
そうである以上。答えは、ただ一つだった。
『ああ、そうしよう。
また繋がるかどうかの保障は完全には出来ないが……。
もしも、またこうして繋がったのなら、異世界交信をやろう。
友達、として』
その後の事を……俺はハッキリと覚えていない。
ログ……記録に残せなかったから、確認も出来ない。
ただ、それでも……確かな事が一つあった。
「……」
その日、ホームページにアップする日記の内容を俺は考え込んでいた。
その際、いままでの日記の内容が目に入っていく。
誰かを惹き付けるものが欲しくて、毒ばかり吐いていた日記。
誰かを惹き付ける為に、
何かを批評したり、真面目ぶったりして、
逆に人を遠ざけていたかもしれない、そんな日記。
「……よし」
そんな日記に、意を決して、俺はこう書いた。
『形だけかもしれない。
言葉だけかもしれない。
それでも……友達ができた』
恥ずかしくても、そう書きたかった。
俺自身の確認の為に。
「さて、寝ますかね……」
夕食後。
玉座の間で自主的にこなしている雑務を終えて、私は席を立った。
そうして、側に立つガードに声を掛ける。
「今日もご苦労様。明日もよろしくね」
「はっ」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
その声を耳に捉えつつ玉座を後にして、私は、自室……秘密ではない方に……に入った。
そこで寝間儀に着替えた後、日記を取り出し、ベッドに飛び込んだ。
フカフカのベッドに身体を伸ばしながら、日記を開く。
日々の愚痴ばかりを書いてきた日記。
あまりいい出来事が書けずにいた日記。
そんな日記に……意を決して、書く事にした。
『形だけかもしれない。
言葉だけかもしれない。
それでも……友達ができた』
少し恥ずかしかったが、それでも書く価値はある……そう思えた。
確認の、為に。
こうして。
彼らは生まれて初めての、互いが認め合う友達を得た。
しかし、そんな些細な願いと出来事が、
後に一つの大きな事態を引き起こす事になる事を、この時の二人は知る由もなかった。
………続く。