雪が降る。

冬という季節に相応しく、この土地に相応しい雪が。

だから、人は気にも留めず歩いていく。

休日という事もあって人の流れが激しいこの場所なら、それは尚更だろう。

駅前のベンチ――そこに一人の女性が座っていた。

そこは、彼女にとって思い出の場所であり……今、現在の待ち合わせの場所でもあった。

そして、今日という日は、彼女にとって特別な日だった。

「祐一……まだかな」

呟くと、白い息が零れ落ちる。
その時。

「まだかな、じゃないだろーが」

聞こえてきた声に顔を上げる。

そこには一人の男性が立っていた。

「約束の時間の十分前だってのに、不満を言われる筋合いは無いぞ」
「不満じゃないよ。ただ、早く来て欲しいって思っただけだよ」
「む。口が上手くなったな」
「そんなんじゃないよ」

苦笑いを浮かべる男性に、女性は微笑みを返した。

「……まあ、いいか。ただいま、名雪」
「うん、お帰り、祐一」

そう言って、二人はごく自然に、ごく当たり前に、一瞬のキスを交わした。







水瀬名雪誕生日記念SS・Present for……







相沢祐一と水瀬名雪。

二人はイトコ同士だった。

幼い頃はよく一緒に遊んでいたという、ありきたりなそんな仲。

ある時期を境に疎遠になっていたのだが、二人が高校二年生の冬、祐一は彼の両親の都合で、名雪の母親であり、彼の叔母である水瀬秋子の家に住む事となり、その流れから名雪と同じ高校に通う事となった。

そこで二人は様々な時間を共にし……二人はいつしか想いを重ねていた。

それは、名雪にとっては、初恋の成就。
そして、二人にとって、とても幸せな時間だった。

だが、その時間がずっと続く事はなかった。

その時間は、はじまりと同じ様に……祐一の両親の都合で終わりを告げた。
祐一が、戻ってきた両親の元に呼び戻される事になったのである。

二人はそれを否定しようとした。

……それは祐一が約束を交わしていたから。
……どんなに季節が流れても、好きになったこの街で、名雪の側にいるという約束を。

だが、彼らの親達はそれを認めなかった。

至極当たり前の事だった。

祐一は、あくまで水瀬家の居候であり。
二人は、まだ『子供』だったから。

そして、それと同時に、それぞれの親は二人に諭した。

本当にお互いを思うのであれば、もっと先を見る事も大事だと。
本当の意味で、ずっと一緒にいたいのなら、何をするべきなのか、分からない筈はないだろうと。

その言葉を真摯に受け止め、決意と約束を新たにした二人は、高校卒業と同時に離れるという現実を受け止め、互いがいない日々を越えていった。

そうして、ただ年月を重ねて……四年。

大学卒業を間近に控えた……十二月二十三日。

その日は、水瀬名雪の誕生日だった。







「そっちはどうだ? 変わりないか?」

名雪の隣に腰掛けて祐一は言った。

その隣に座る名雪は、心から満足そうに答える。
……こうして顔を合わせて話すのは半年振りなだけに、名雪の嬉しさは誰が見ても分かるほど大きなものだった。

「うん、お母さんは元気だし、香里や北川君も元気だよ」
「北川は落ちぶれてないのか。チッ」
「ダメだよ、そんな事言っちゃ……北川君頑張ってるんだから」
「そうらしいな。
 香里と一緒の医大に受かった時点で奴の運は尽きたと思ってたんだが……」
「だから、そんな事言っちゃダメだってば」
「いいだろ。どうせ数時間後には本人に同じ事言うんだから」
「本人に言ったら、もっとダメだよ」

駅前のベンチに腰掛けたまま、他愛ない会話は続いていた。

本当なら、合流して即座に水瀬家に向かう予定だった。
そこで今日はささやかな催し物……パーティーが行われる予定だからだ。

今日は、水瀬名雪の誕生日。
祐一が戻ってきたのも、年に一度のこの日を祝う為に他ならない。
水瀬家にはすでに秋子や、彼らの友人が集まり、二人の到着を待っている筈だ。

だが、二人とも早く家に行こうとは言い出さなかった。

今だけの……二人だけでいられる時間を大事にしたい……少なくとも名雪はそう思っていた。

でも、そんな我侭はいつまでも許されるわけでもない。
というより、祝ってもらう立場である、パーティーの主役が現れないわけにはいかない。

そんな思いからか、名雪はちらりと腕時計に視線を落とした。

(……あと少しだけ、なら……大丈夫かな)

心の内で母と友人達に謝りながら、名雪は、うん、と頷き、祐一に向き直った。

「……えと、祐一、無事に卒業できそう?」
「ああ、問題ないよ。
 お前こそ、卒業できるのか?
 今更だが、高校の時みたいに、授業……っつーか講義中に寝てばっかりとかないだろうな?
 居眠りしてて単位落としました、じゃ洒落にならないぞ」
「えーと……寝てたりは時々……」
「寝てたのかよっ!」
「でも、ちゃんと卒業できるよ。頑張ったから。
 ……電話で話した通り、就職も大丈夫」

名雪は、高校時代から続けていた陸上の延長で、体育教師になる事を早々に決意していた。
すでに内定しているので、余程の事が無ければ卒業と同時に教員免許を手に入れ、名雪は教職に就く事になる。

彼女が生まれ育った、この街で。

彼女が望んだその通りに。
そして、交わした約束を護る為に。

「そっか。まあ……やりたい事ができるなら、それが一番だな」
「うん。……祐一も就職先、決まったんだよね?」
「ああ、なんとかなりそうだ」
「それで、祐一はどういう所に就職するの?
 全然教えてくれないから、私心配だったんだよ?
 その……約束、忘れたりしてないよね……?」

不安げに問う名雪。
その問い掛けに、祐一は優しく笑った。

「……そうだな。
 まあ、そういった諸々の事に答えるために……名雪、お前にプレゼントをやろう」
「え?」
「誕生日プレゼントだよ。
 まあ、とは言っても、今年は何も準備してない」
「あ、えっと……そうなの?」

何がなんだか訳が分からず、名雪はとりあえずそう言うしかできなかった。
判断力が追いついていないので、準備していない、という点も半ば聞き流していたりした。

「って言っても、本当に何もないわけじゃない。
 プレゼントは、ちゃんとある。
 でも、それは形がないんだ」
「……???」
「じゃあ、今それをあえて形にするな」
「う、うん」

すうー、と息を吸って、祐一は一息に告げた。

「名雪。結婚するぞ」

白い息が零れる。

「え……?」
「ある意味ありきたりかもしれないが、これがお前へのバースデイプレゼントだ」
「え?え?でも……あれ……?」

突然の事に名雪はただ戸惑った。
そんな名雪に、祐一は穏やかに語り出した。

「実はな、この街の会社に就職する事が決まったんだよ。
 給料も悪くないし、仕事内容も俺の性に合ってそうで、随分前からあたりはつけてたんだ。
 んで面接して、割合あっさりと内定した。
 内定自体は割と早かったんで、もっと早く報告しようかとも思ったんだが……この日の為に取っておいたんだ。
 って、訳でだ」

祐一はそこで居住まいを正すと、真っ直ぐに名雪を見つめた。

「春になったら、約束を果たす。
 春も、夏も、秋も、冬も、ずっと一緒にいる為に、この街に戻ってくる。
 水瀬家に住むか、別の住居を探すかは……まだ決めてないが……俺とお前、それから秋子さんたちが納得できる場所をちゃんと探すつもりだ。
 だから……春になったら、結婚するぞ」

何の迷いも澱みも無く、祐一はそう告げた。 

……そう告げるには、どれほどのものが必要だろうか。

相手がこれを受けてくれる確信。
相手が喜んでくれる確信。
二人が幸せになる、幸せにする意志。
そして、そう告げる相手への……強い信頼とキモチ。

その『強さ』を名雪は知っていた。

そして、水瀬名雪は確信した。

あの『再会』の冬。
この場所で交わした約束は、揺るがないままに、より強くなってここに在る事を。

相沢祐一となら、幸せになれる事を。

だから、名雪は微笑んだ。
そうして、息を吐く事のように当たり前に、何の迷いも澱みも無く、ただ頷いた。

「うん……!」

そんな名雪を、祐一はただ穏やかな、真っ直ぐな眼で見つめ続けていた。

揺るぎない、思いと約束を証しするかのように。

そして、そんな二人を雪が飾っていった。
…………約束を交わした日と同じように。

あの日と変わらないものを、雪が讃えている――名雪はそう感じた…………







「でも……ずるいよ、祐一は」

ややあって。
目の端に少しだけ浮かんでいた涙を拭いながら、名雪は言った。

「何がだよ」
「今までで一番安上がりなのに、今までで一番嬉しいプレゼントだから……」
「……安上がりってはっきり言いやがったな。すっかり現実的になりやがって、コイツ」

軽く小突きながらも、祐一の顔は優しく微笑んでいた。

「ちょっと痛いよ……でも、嬉しいよ」
「なんでだ?」
「だって、夢じゃないって分かるから」
「ばーか。こんなんでよけりゃ何度だってやってやるさ。
 何度だって現実だって教えてやるよ。
 春になったら、ずっとな」
「……春になったらか……うーん……待ち遠しいよ」
「籍入れるだけなら今すぐでもいいんだけどな……まあ、ケジメもあるし、その辺は我慢しろ。
 その代わりと言っちゃなんだが、クリスマスプレゼントに婚約指輪を渡してやるな」
「うわ。祐一、ひどいよ。
 クリスマスプレゼントの中味をもう言っちゃうなんて。
 それに、なんかずるいよ、やっぱり安上がりだよ〜」
「ずるくない。計画的って言うんだ。
 大体、同じ日にいい目ばっかりあっても、面白くないだろ」
「……ううー祐一、女の子の心を全然分かってないよ……」
「俺は、お前の事だけ分かってりゃいいと思うんだけどな」
「そう言って、誤魔化そうとしてる?」
「……さあ、そろそろ行かないと秋子さん達が待ちくたびれてるぞ」
「あ、待ってよ、置いてかないでよ。っていうか、逃げるのは卑怯だよ〜」

……そうして。

二人は歩いていく。

「ははは、速い者勝ちだ!」
「何言ってるのか、全然分からないよーっ」

この先に幸せがあるのかはわからない。

幸せであり続けられるのかなんて、わかる筈もない。

それでも、今、二人でいる事が幸せなら。

二人で歩く未来以外は想像もつかない。

だから、二人は一緒に歩いていく。

それだけの事だ。

「……祐一」
「ん?」
「……この四年間、頑張ってきてよかったよね。祐一も、私も」
「何言ってんだよ。頑張るのはこれからだ」
「……そうだね」

白い息に彩られた、そんな言葉を交わして。
二人はどちらともなく手を伸ばし、互いの手をしっかりと握り合った。

例え、この手は離れても。

心だけは、離れないように。

強く強く握り締めた。

「頑張って……幸せになろうな、名雪」
「うんっ!」







……END







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