水瀬名雪誕生日記念SS ぷれぜんと
12月23日。
その日が何の日であるか。
人によっては休日だと言う人もいるだろう。
逆に『何の日?』と問い掛ける事もあるのかもしれない。
だが、少なくとも”彼女”にとってはその日は特別な日であった。
何故ならその日は……
「ねえ、祐一」
私……水瀬名雪は、リビングでくつろいでいた私の従兄弟にして、一番大切な人に話し掛けた。
そんな事を考えていた恥ずかしさもあって、躊躇いがちになった言葉。
それを耳に入れた祐一は、TVに向けていた視線をこっちに向けてくれた。
「なんだよ名雪」
「今日が何の日か分かる?」
「天皇誕生日だな」
世間一般の常識を極めて普通に言うので、私はがっくりと肩を落とした。
「祐一〜」
すると祐一は、ははと笑って言った。
「冗談だよ。名雪の誕生日、だろ?」
穏やかな表情で言われて、私の胸が高鳴った。
「覚えててくれたんだ……」
「馬鹿にするなよ。ったく、いくら俺がいい加減だからってなあ、自分の、その」
そこで祐一は真っ赤になって言葉を止めた。
そこから先の言葉は予想できたけど、言えないのが祐一らしかった。
「祐一?」
それでもその先を聞いてみたくて私は問いかけた。
祐一は赤面しながら咳払いをした。
「なんでもない。……それより名雪、今、暇だろ?」
「うん」
「なら、今から駅前に出かけないか?プレゼント、欲しいだろ?」
「えっ……くれるの?」
予想していなかった……と言えば嘘になるけど、そうしてくれると強く思っていたわけでもなかったので、私は素直に驚いていた。
祐一はそんな私に苦笑を向けながら、言葉を続けた。
「ああ、まあ予算は限られてるけどな。……行くか?」
「うんっ」
そんな祐一の言葉。
それを否定する理由なんかあるはずもなく。
私は一も二もなく頷いていた。
人で溢れかえる駅前の通りを、私たちは二人並んで歩いていた。
それだけで私は幸せ……のはずだった。
でも、今は少し違う。
祐一がさっきから不機嫌で、どうにも落ち着かなかった。
「祐一、どうしたの?」
「別に。強いて言えば、あれだけ何時間もかけて散々迷った挙句にやっぱやめるとかいったからじゃないか?」
さっきの洋服屋さんでの事を言っているのだろう。
私は少し申し訳なくて、俯いた。
「ごめん……」
「ったく……」
「でも、祐一もちゃんと見てくれてなかったし……」
「俺の服じゃないだろうが」
「そんな……」
祐一が私のために何かしてくれる……私はその気持ちだけで十分だった。
なら、その”何か”でもっと祐一を幸せにしてあげたい。
だから、祐一に服を見てもらいたかった。
祐一が喜んでくれるような、一緒にいて恥ずかしくなくて、むしろ自慢できるような服を。
だから私は、少しぶっきらぼうな祐一の物言いに不満の声を上げていた。
「ひどいよ……」
「どっちがひどいんだよ?」
その言葉に胸が詰まる。
私は祐一が側にいればそれでいいのに……
そんな気持ちを伝えたくて。
「……私は……プレゼントなんかいらないよ…………!」
私は思わずそう呟いていた。
だけど、それは。
言葉だけを聞けば、ただの拒絶の言葉だったのかもしれない。
その言葉を聞いた瞬間。
祐一の表情が、怒りに歪んだ。
そして不意に目を逸らして「なら好きにしろよっ!」と叫ぶと、祐一は私に背を向けて、何処かへと走り去っていった。
私は、自分の言ってしまったことに後悔して、そこから動くこともできなかった。
まるで、8年前のあの日のように。
……だから、なのか。
気がつけば、私は8年前と、そして1年前と同じ場所に座っていた。
無意識の内にここにきてしまっていた。
「……私って馬鹿だよね……」
祐一はただ純粋に私の服を買ってあげようと。
私を喜ばせたいと思っていただけだ。
そして、祐一を喜ばせたいというのはあくまで私の勝手な気持ちだ。
「……どうしよう……」
自分が言ってしまった自分勝手な言葉に、私は呆然と呟いた。
そうすることしかできなかった。
……その時だった。
「どうしたの、名雪さん?」
聞き覚えのあるその声に顔をあげると、そこには一人の少女が立っていた。
「あゆ……ちゃん……」
私の言葉に応えるように、あゆちゃんはぺこりと頭を下げて言った。
月宮あゆちゃん。
1年前に知り合った、祐一の、友達。
彼女は一年前とまったく同じ格好だった。
そのリュックからぴょこんと生えた羽がまるであゆちゃんを天使のように見せていた。
あゆちゃんは笑顔を浮かべていたけど、私の表情を覗き込むと心配そうな顔をして言った。
「お久しぶり、だね。どうしたの?悲しそうな顔をしてるよ」
「え?こ、これは……」
「良かったら、話してみてよ。少しは楽になると思うから」
あゆちゃんは優しい微笑みを浮かべて言った。
その微笑みに導かれるように、私は今さっきの出来事をあゆちゃんに話してしまっていた。
そうする事が当たり前であるかのように。
「……それは祐一君が悪いよっ」
全て話し終えると、あゆちゃんは憤慨した様子で言った。
「でも……」
「名雪さんの気持ちをぜんぜん分かってない!昔から、そうなんだよね」
「…………」
「デリカシーが無くて」
「…………」
「こっちの都合なんか全然お構いなしで」
「…………」
「すぐ悪ふざけするし……」
「……でも……」
なおも何か言おうとするあゆちゃんの言葉を遮って、私は口を開いた。
これ以上祐一の悪口を言われたくなかったから。
あゆちゃんの言ってることは間違っていない。
でも、それが祐一の全てじゃない。
あゆちゃんの言葉で、私は改めてそのことに気がついた。
だから、私は想いの全てを乗せて、あゆちゃんに言った。
「でも……祐一は……優しいよ……私は、そんな祐一が大好きなんだよ……!!」
そんな言葉が、雪が降る街角に響いた。
吐く白い息が、空気の中に広がって消えていくように。
すると、先まで怒っていたあゆちゃんの表情が急に和らいだ。
まるで私の言葉を待っていたかのように。
「……うん。そうだよね」
そして、そう言うとあゆちゃんは少し困ったような笑顔を浮かべた。
「そんな名雪さんだから……そう言える名雪さんだから、祐一君も名雪さんの事を好きになったんだね……きっと」
そんなあゆちゃんの言葉は、自分自身と私を納得させるように思えて。
その姿は……何処か物悲しかった。
「あゆちゃん……」
「名雪さん、奇跡って信じる?」
何か言葉を掛けようと口を開きかけた私を遮るように。
あゆちゃんは唐突にそんなことを聞いてきた。
それは、すぐに答えられるはずはない問い掛けだっただろう。
でも、私はその答えを持っていた。
一年前に『それ』に出会っていた。
だから、当たり前であるかのように答えることができた。
「……うん。私が祐一と”再会”できたこと。それが私にとって奇跡だよ……」
それは奇跡と呼べるようなものじゃないのかもしれない。
でも私にとって、祐一とこの街で再会し心結ばれた事は……奇跡としか思えない。
可能性が高い、それでも何かがずれていれば辿り着く事ができなかったかもしれない奇跡。
私と祐一の事を知らないあゆちゃんが、そこまで分かるとは思わない。
でも、あゆちゃんは全てを悟っているように深く頷いて言ってくれた。
「うん……その奇跡を、こんなところで無駄にしちゃだめだよ。
祐一君だってそう思ってくれる。ここで待っていて。きっと祐一君は戻ってきてくれるから」
真っ直ぐな笑顔から生まれたその言葉。
それは疑いようのない真実に私には思えた。
だから、私は精一杯の笑顔を浮かべて、静かに頷いた。
あゆちゃんはそれに応えるように微笑み返してくれると、こう言った。
「それじゃ、ボク行くね。……最後の確認、済んだから」
「え?」
「ボクがいなくても、祐一君は幸せになれる。それがわかったから」
「あゆちゃ……」
「バイバイ名雪さん。そして、祐一君」
その言葉が響いた瞬間。
まるで雪が視界を埋め尽くすように、私の意識が真っ白に染まっていった……
「名雪。おい、名雪」
「……ん?」
誰かにゆり動かされて私は目を覚ました。
目を覚ましたその瞬間、まず飛び込んできたのは、祐一の心配そうな顔だった。
「……え……と……」
私はいつのまにか眠ってしまっていたようだった。
誰かと、何か大事なことを話していたような気がするのだが……思い出せなかった。
「え、と……よくここだってわかったね」
まだはっきりとしない頭を動かしながら、私は懸命に言葉を紡いだ。
祐一はそんな私を呆れ顔で見詰めながら言った。
「何言ってんだよ。お前がここ以外の何処にくるってんだ」
そう言うと、祐一の顔が真っ赤に染まった。
その顔は今朝と同じものだった。
祐一はそのままの表情と感情で告げた。
「その……怒ったりして悪かった。
お前がのんびりとした奴だってことぐらい分かってるのに……
……その、なんだ。本当はプレゼントを選ばせるつもりなんか無かったんだよ。
でも、お前が一番喜ぶ物分からなくて……それならお前に任せたほうがいいかなって……ごめんな。
そんなの俺の怠慢だよな。ほんと、ごめん」
たどたどしく紡がれたその言葉に全てがあった。
祐一も私と同じだった。
お互いがお互いに喜んでもらいたくて。
ただ、それが空回りして。
「祐一……私こそ、ごめん……プレゼントなんかいらないなんて……
私は、その気持ちだけで十分だったから……祐一がいてくれれば他に何もいらない……それが言いたかっただけなのに……」
「それなら、おあいこってことにしていいか?……勝手なのは分かってる。
でも、俺も……名雪がいれば、他に何もいらないから……名雪は俺にとって、一番の人だから……」
「……祐一……!!」
朝から聞きたかった言葉を聞いて、嬉しくなった私は思わず祐一の中に飛び込んでいた。
祐一はそれを受け止めて、優しく抱き返してくれた。
互いの体温が、心が温かかった。
今、このとき。
通い合った気持ち。
これが、この冬の中、神様……いや天使から贈られた最高のプレゼントだと私は思った。
「祐一が気にする事なんか何もないよ……何度も言うけど、私は祐一がいればそれでいいんだから」
「……そっか……」
と、思っていたのだが。
そこで私はふと思いついた。
何故そんな事を思いついたのかも、分からないままにだったけど。
「……あ、でも、やっぱり形に残るものが欲しいな」
祐一の耳元で私は囁いた。
この日をいつまでも、忘れないために。
形として残したいと思った。
思いが風化しても、残るものが。
「なんだよ、俺がいればいいんじゃないのか?」
「う、ごめん」
「この欲張りめ……」
そんな事を言いながら祐一も私と同じ気持ちだということが今ならわかる。
その笑顔で分かる。
「まあ、いいけどな。それで、何が欲しいんだ?」
「う〜んとね……」
何がいいだろうか。
そう思いながらも、私はすでに『それ』を思いついていた。
その日。
水瀬家の名雪の部屋に一人の住人が増えた。
その住人は、羽を生やした天使の人形だったという。
その日。
12月23日。
それは、一人の少女の誕生日であり。
それを祝う少年がいて。
そんな二人を祝福する誰かがいた……そんな、ただそれだけの冬の物語。
……終わり。