第17,5話『えぼらぶ外伝〜紅い眼の少女〜』







私の名前は、平良芽衣。
基本的にはごく普通の人間のつもりだ。
……まあ、ある二つの事柄を除けば、だが。







それは夏休みにも入ろうかという時期の、ある日の夕方。

「芽衣ちゃんっ」

下校途中買い物を済ませ自宅に向かう途中、名前を呼ぶ声に気付き、私はゆっくりと振り返った。
そこには、私の双子の兄である平良陸の彼女である、霧里薫さんがいた。

「薫義姉さん」

私は半分冗談で彼女をそう呼ぶ。
残り半分の半分は願いであり、もう半分は……。

「ううー、その義姉さん呼びはやっぱり照れるなぁ。
 いや嬉しいんだけどね」

私がそんな事を考えている間、薫義姉さんは少し照れた顔で頭を掻いていた。
その、ひたすらに純粋な感情の発露に、私は思わず顔を緩める。

しかし、それはそれとして。

「薫義姉さん、兄さんは?」
「あ、陸君?」

そう問うと薫義姉さんは少し寂しそうな顔で言った。

「陸君、演劇の練習だから遅くなるって。
 夏休みの最初に大会があるらしくて。
 いつもなら終わるまで待ってるんだけど、今日は予約したフィギュアを取りに行ってたから」

薫義姉さんは言いながら、鞄とは逆の手に持っていた袋……『めでぃあに』と書かれた緑色の袋……を掲げた。
おそらく兄さんから話を聞いた、最近流行のアニメのフィギュアなのだろう。

「そうですか。
 ……というか、いつも待ってるんですか?」
「うん」

考えたままに呟くと、薫義姉さんはあっさり頷いた。

去年今年の兄の言葉や帰宅時間を参考すると、この時期の演劇部の活動が終わるのは6時から7時。
遅い時は8時以降だし、事実最近の兄はその時間帯に帰って来る事もある。

それをいつも待っていると言う。
演劇部に入っていないらしい、この人が。

「退屈じゃないですか?」
「うーん、そうでもないよ?
 由里奈と一緒に見に行く事もあるし、部長の西華さんや部員の日景ちゃんがちょくちょく話し掛けてくれるし。
 陸君も手が空いた時は……まあ、なんか忙しいからそんなにないけど、空いた時は話してくれるし。
 あと、それに勉強というか、ネタになるしね」
「ネタ、ですか?」
「あ、その辺は気にしないで。……うーん」

そう唸ると、薫義姉さんは肩を一二度廻すように竦めて見せた。

「どうかしましたか?」
「ん。なんか近頃肩がこっちゃって。
 慣れない試験勉強頑張った反動なんだろうけど」
「……」
「あ、そうだ。芽衣ちゃん時間ある?」
「はあ。何か用事でも?」
「いや、用事があるわけでもどうかしたわけじゃないけどね。
 折角会ったんだし、その辺で少し話してかない?」

『私は帰って夕食を作らなければならないんです』

そう言うのは簡単だし、そう言えばこの人は簡単に私を解放してくれるだろうが……いい機会だ。
不肖の兄を持つ私としては、薫義姉さんともう少し話してみたかった。
それに……気になる事もある。

「少しでしたら」
「そうこなくちゃね。
 じゃあ、何処かファーストなフードなお店に寄る?
 勿論誘ったのは私だから奢るし」
「……いえ。人気があるところは余り好きではないので、よければ別の場所でお願いします」
「いいけど?」
「此処から少し離れた商店街の端に、人気が無い広場があるのはご存知ですか?」
「ん? ああ、あそこね。分かる分かる」
「そこで何か食べながらお話しましょう」
「オッケ。
 んじゃ夕食に差し障り無い程度の何かを買ってからいきましょっ」

そう言うと、薫義姉さんは笑顔を浮かべ、少し大股気味に歩き出した。
多分、行先は商店街にちらほらとある、たこ焼き屋さんとかアイスやクレープのお店とかだろう。
そんな事を考えながら、私は薫義姉さんの後を少し小走りな感じで追いかけた。







「んー、おいし」
「はい、確かに美味しいです」

先述した通り、人気の無い広場のベンチに私と薫義姉さんは並んで座っていた。
それぞれ膝の上にたこ焼きのパックを載せ、頬張っている。

ちなみに薫義姉さんの奢りだ。
私としてはやんわりと遠慮したのだが、やんわりとした遠慮を強引なまでに振り払った笑顔で、
「いいじゃないの義妹−いもうと−なんだし。義姉さんに任せなさい」と言われてしまっては、普段『義姉さん』呼ばわりしている私としてはどうしようもなかった。

……なんというか。
こう言うと失礼かもしれないが、この人は意外に物事をしっかり見て、考えているようだ。

「……」
「ん? 私の顔に何か付いてる?」
「……歯に青海苔が」
「う。そればっかりは避けられないのよね。
 ……まあ、今はいっか」

一瞬は青海苔を取る事を考えたのだろうが、取り難い事や洗い流すようなジュース類も無い事から諦めたようだ。

「……」
「……私にも青海苔が付いていますか?」

薫義姉さんの顔を見ていた私を逆に見つめ返している薫義姉さんに私が言う。
すると薫義姉さんは、目を瞬かせながら言った。

「ん……いやね。芽衣ちゃんの眼……紅くて綺麗だな、って思って。
 カラコンか何か?」

カラコン……カラーコンタクトレンズか。
その言葉の意味を把握してから、私は首を横に振った。

「私の眼は生まれつきこうなんです。
 そのせいで昔はよくからかわれたりしたものです」
「え? 芽衣ちゃんもそうなの?」

そう言う薫義姉さんの瞳の……瞳孔の色は灰色だ。

「薫義姉さんも、珍しいですよね」
「うん、まね。
 んで結構珍しいからか、芽衣ちゃんと同じく昔は色々言われたりしたかな。
 まあしつこい馬鹿はとっちめてやったけどね」
「そうなんですか」

力瘤を作るように拳を自慢げに見せる薫義姉さん。
それは、なんだか様になってるようで、それでいて女の子らしい薫義姉さんの容姿とアンバランスなようで可愛く見える。

「ちなみに、なんで灰色のなのかって言うと、
 母方が外国の血を引いてたりとか……んで、眼の色素が薄いとかなんとからしいの」
「……なるほど」
「芽衣ちゃんの眼の色はどうして……あ、ごめん。そっちは話し難い事だったりする?」
「いえ、構いません。
 と言っても、私にも何故こうなのか分からないので説明できないんですよ」

双子の兄である陸兄さんは茶色の瞳……つまり一般的な日本人の眼で、両親も同じくだ。
つまり、私だけが、こうらしい。

「所謂、突然変異とか遺伝子の異常とかなんでしょうね。
 まあ日常には差し支えないみたいですから気にはしませんし……
 薫義姉さんと同じく、色々おっしゃるような方々は常に『とっちめて』ますから」

ニヤリ、と笑っておく。
すると薫義姉さんも同様に笑い返してくれた。

「フフ、やるわね、芽衣ちゃん」
「いえいえ」

私の眼の事は、人によっては暗くなっていたかもしれない話題だろう。
それを薫義姉さんは簡単に明るく持ち上げてくれた。

こういう人だから、私は兄さんにピッタリだと思うのだ。
なんだかんだで細かい事を考え気味で、下手したら暗くなりがちな兄さんに。

そう考えると……ある事が思い浮かんだ。
前から少し気になっていた事だ。

「あの」
「ん?」
「前からお聞きしようと思っていたんですけど……いいですか?」
「なんでもいいよ」
「はい、ありがとうございます。
 ではお尋ねしますが、薫義姉さんはどうして兄さんと付き合おうと思ったんですか?
 初めてお会いした時も同じ様な事を訊きましたけど、改めて、という事でお願いします」
「あぅ。そ、そう来たかぁ……」

その質問は予想外だったのか、はたまたされたくない類の質問だったのか、薫義姉さんは動揺を露にした。
あたふたと、頭を掻いたりした(その所作が兄さんに似てきたような気がする)後に、薫義姉さんは言った。

「あ、えとその……強いて言えばね、それを知る為に、かな」
「知る為に?」
「うん。
 なんで陸君は私を好きになってくれたのか。
 陸君もだけど、私自身どうして付き合ってもいいと思えたのか……それが知りたいから、だと思う」
「……」

正直、不思議に思った。

確かに今の薫義姉さんの言葉に嘘は無いのだろう。
だが、付き合うに当たっての『何か』が無ければ、そもそも付き合えないのではないだろうか?
容姿や性格、趣味……その辺りが自分と合わなければ、その気にはなれないのではないだろうか?
その辺りが絶対必要、と言うつもりはないが、基本的な事例としてはそういうものだと私は思う。

まあ、その辺りには薫義姉さんが気付いていない、忘れているような何かがあるのかもしれないので、なんとも言えないが。

「そうですか」
「変とか思う?」
「いいえ。それに変であれなんであれ問題ないです。
 私としては、何よりそういう理由、素敵だと思いますから」

その言葉に嘘はない。
自分を好きになった理由を知る為に……これほど、相手の事を考えた『理由』は中々に無いような気がする。

「……ほんと、薫義姉さんは兄さんに勿体無いですね」
「そうかな? 私は陸君が私には勿体無いと思うけどね」

真っ赤な顔で薫義姉さんは言う。
そこには何の偽りも感じられない。

本当にこの人は、あの冴えない糞真面目で何事にも一直線過ぎる兄さんを自分には勿体無いと思っている。
……いや、本当にそれこそ勿体無いと思うのだが。

「私は、陸君の気持ちに上手く応えられてないし、ね」
「そんな事はないですよ。兄さんは十二分に楽しそうですから。保障します」
「はは、ありがと」
「……あ」
「どうかした?」
「失礼します」

ソレに気付いた私は、薫義姉さんの『肩に在るもの』をはらった。

「え?」
「肩にゴミが付いてましたので」
「あ、そうなんだ、ありがと」

薫義姉さんの笑顔を見て、思う。
……もう、今日の用事は終わった、と。

名残惜しいが、時間的にそろそろ限界だ。
今帰らなければ、腹ペコな皆を一時間ほど待たせなければならなくなってしまうだろう。

「……では、私はそろそろ」

食べ終わったたこ焼きのパックを閉じて立ち上がる。
薫義姉さんも既に食べ終わっていたので、私に倣う形でパックを閉じて立ち上がった。

「ん。今日はお話できてよかったよ」
「いえ、こちらこそ。……義姉さん」
「んー?」
「兄さんを、よろしくお願いしますね」
「……うんっ。
 じゃあね、芽衣ちゃんっ。
 夏休み、もしよかったら一緒に遊ぼうねっ」

満面の笑顔で答えて、薫義姉さんは走り去っていった。
少し照れていたのか、あっという間だった。
……まあ、その方が都合がいいので助かるのだが。

「…………やれやれ」

薫義姉さんを見送った手を下ろした後。
私はそう呟いて、再びベンチに腰を下ろした。

「まあ、ああいう明るい人ですから、貴方が惹かれるお気持ちは分かりますが」

……先刻、薫義姉さんには話してなかった事がある。
……それは、話しても意味が無いのであえて話さなかった事。

「今後は薫義姉さんに絡むのはなるべくよしてくださいね。
 私の義姉になるかもしれないヒトなので」

そう言って、私は其処に浮かんでいた『薫義姉さんの肩に憑いていたモノ』……所謂人魂を優しく撫でた。
ちなみに、炎の形をしているが、実際に熱があるわけではないので熱くはない。

『……』

人魂さんは、私達の会話に満足したのか、私の言葉に納得してくれたのかあっさりと消えていった。

おそらく前者だろう。
薫義姉さんの言葉に何かしらの感銘を受けた瞬間、憑いていた『力』を緩めてくれたようだから。

多分、薫義姉さん達の学校で亡くなった人なのだろう。
それらしい記憶の残滓が視えたからだ。

「……さようなら。気をつけて」

せめてもの気持ちでそう告げてから、私は今度こそベンチを立った。







私の名前は、平良芽衣。
基本的にはごく普通の人間のつもりだ。
……まあ、ある二つの事柄を除けば、だが。

一つは薫義姉さんにも話した眼の色。
そして、もう一つは……この眼が持つ『力』。

何故こんな眼を持っているのか、私には分からない。

だが、私のこの眼には意味がある。
意味が無く人と違う色、人には普通無い色ではないのだ。

私には時々『視える』。
幽霊とか人ではない、人に見えないモノ。何かが普通と違うモノ等のカタチや在り方が。
あるいは、気になったモノや人の過去・現在・未来が。

この『力』を持って分かった事は、幽霊だとか亡霊だとかは、綺麗な精神や魂に惹かれやすいという事。
あと、私の『力』で視えたものは確実に『現実に顕在化する、あるいはした事例』だという事。

私はこの『力』を完全に制御できるわけではない。
だが、必要な時には確実に発動する。

先刻の薫義姉さんに憑いていたヒトもそうだし、たまに兄さんの真っ直ぐさに惹かれてか憑いてくるモノも察知してきた。
(その度に『説得』をしたりして結構面倒臭かったりしたが。)

そして。
薫義姉さんと初めて出会った時も『視えた』のだ。
どんなカタチでそうなったのかは分からないが、楽しそうな兄さんと一緒に歩く薫義姉さんの姿が。

それが過去・現在・未来、いずれなのかは分からないが(個人的には未来の気がする)、あんなに楽しそうな兄さんは滅多に見れない。

実の所、兄さんは滅多に楽しそうな顔をしない人だ。
しない人なのだが……薫さんと付き合い始めた時期から、そういう顔を見せる頻度が多くなった。

そして、兄さんと同じ位……薫義姉さんも楽しそうに見えたのだ。

だから二人には、一緒に在って欲しい。
二人並んでいる事が、あの素敵な二つの笑顔を生む方法ならば。

先述した通り、私が彼女を薫義姉さんと呼ぶ理由の四分の一は、そんな願いからなのだから。







「まあ、大丈夫でしょうけど」

帰り道の途中。
薫義姉さんと呼ぶ理由の四分の一である、確信からそんな事を呟いてみる。
ちなみにその確信は最初は『力』によるものだったが……今では純粋に『あの二人だから』という無根拠な感覚に変化していたりする。

……そんな時だった。

「お、其処にいるのは芽衣ちゃんじゃないか」

今日はよく呼び止められるなぁ、と思いながら振り返る。
ついでに周囲を改めて確認すると、そこは通学用のバス停付近で、なるほど『この人』に会う訳だと納得した。

「今日は奇遇だな、帰り際に会うなんて」
「そうですね」

そこにいるのは兄さんと同じ学校の男子生徒さん。
この辺りは彼にとっても登下校の道らしく、ほぼ毎朝この辺りで出会うし、その度に私に声を掛けてくる。

いや、ホントに何が楽しいんだか。

(ふぅ……『力』が私の事にも適用できれば便利なんだけど)

ちなみに。
私は『私自身』に深く関わる事、『私自身』が関わるのではないかという認識を持ってしまった存在については基本的に『視れない』。
これまた何故かは分からないが……まあ、これに関しては私自身がシャットアウトしているのかもしれない。

何かしらの『不愉快な事』を知った場合、自身の性格から考えて私はろくでもない方法を取ってでもその事例を叩き潰そうとする。
約十七年の人生で身につけた私の理性としては、それは好ましくない。
何せ私の考える打開策は、最終的に私の望む望まざるにかかわらず物騒な結果になる事が多いからだ。
それが私周辺に与える影響を考えれば尚の事。
……まあ、もし兄さん達に余計な真似をするような人がいれば容赦するつもりはないが。

「仕方ないか」
「何が?」
「いえ、お気になさらず」
「ふーん……あ、そうだ。折角会ったんだし、これからさ」
「もう家に帰りますので」

つい十数分前に薫義姉さんが言ったような台詞を察知して、牽制しておく。
するとその人は、呻き声を上げて肩を窄めて見せた。

「うっ、そ、そうか。それは……残念だ」

その心底残念な様子に、クスクス、と思わず笑ってしまう。

そして、同時に悪いとも思った。
笑ってしまった事も、折角のお誘いを断った事も。

まあ、なんというか……こんな私でも一応微妙な年頃の存在なので。

だから、こう最後に付け加えてから、私は歩き出した。

「それでは、また明日」
「……え? あ、ああ! また明日!」

嬉しそうな言葉を背に、私は歩く。

『力』を持つ意味はまだ分からないけれど。
それを理由に日々を歩く事を疎かにするつもりはない。

それに。
あの色々な意味で手の掛る兄と、素敵な義姉が少しは安定して成長するまでは、
ちょくちょく見てあげないといけないみたいからボンヤリしてる暇はないみたいだし。

(……案外、その為の『力』なのかもね)

そうして思い付いた答に、結構満足しながら私はノンビリと家路に着いた。
私の眼よりは紅くない、夕焼けの中で。







……END