最終話 エピローグという名のプロローグ、プロローグという名のエピローグ
ふと、あの日の事を思い出す。
私・スギナと浪之歩二が深く関わりだした、あの日の事を。
あの頃、私は仕事上のストレスを蓄積させ、感情というシステムのバグを積み重ねていた。
『アンタには人間の感情が、小さな心の機微が理解出来ていない。
そんなアンタに心を込める声なんか生み出せやしないのよ。
いつか思い知るといいわ』
それは、私が関わった事で仕事を奪われた人間が放った理不尽な、言うなれば負け犬の遠吠えだった。
私が『仕事』に就いて以来、私はその手の事を腐るほど言われてきた。
だが、もし彼女達の言う通りだとすれば、私が今やっている仕事は彼女達のもののはずだ。
だが現実にはそうなっていない。
むしろ私の仕事は……キャラクターとしての人間、あるいは人間のキャラクターを知る為にはじめた『声優・筑紫トクサ』としての仕事は確実に増えていた。
だから彼女達の言う事は理不尽でいかなく、負け犬の遠吠えに過ぎない、そう思っていた。
とは言え、私は私なりに『自分が機械である』事を気にしていた。
……まったく、心がないと思って言いたい放題言ってくれるものだ。
その辺りを前向きに解決する為に、
私は、若さという未熟が生む豊富な感情を観察するべく学校に通っている(収穫がなければ早期撤退も考慮していたが)。
その日々は、思ったより悪くなかった。
フィクションの中だけだと思っていた事を観察できたりする事もたまにあり、良いデータも取れていた。
だが、それはそれとして、認識できないバグは蓄積されていく。
見えない負荷というものは、有機物無機物関係なく存在しているという事だろう。
そんな訳で、その日は特に蓄積された負の感情反応値に私は落ち着かなさを感じていた。
だから私は、人間らしくストレスを発散しようと『八つ当たり』を実行した。
ターゲットは、県立慶備高等学校の初代校長の銅像。
その時点の周囲内に誰もいない事を確認した上で、私は校長の首に一撃を繰り出した。
それは私にとっては当たり前に、校長の首を飛ばす事に成功した。
「……ふむ」
なるほど、人間の『八つ当たり』というのも馬鹿にならないもの、
と多少の爽快感を感じながら私は地面に落ちた首を元の位置に戻した。
そうして、後日こっそり修理しようと考えながらその場を立ち去ろうとした時だった。
「?」
周辺の状況情報に注意したままだった私は、話し声(何処か一方的なやりとり)に気付いて、そちらの方に足を向けた。
澄ませた聴覚センサーなどの情報をまとめると、クラスメートの浪之歩二が勘違いで怒られ、掃除をやらされているらしかった。
私はそこからの浪之クンの様子を観察した。
理由としては、ある意味で私と同じ理不尽さに晒されていた、というのが大きい。
そうして私が見たのは、普段とは違う、理不尽さへの不満を歌や奇行で晴らし、『八つ当たり』している浪之クンの姿だった。
普段の浪之クンは、
理不尽な事(基本的には真面目さゆえに引き受ける数々の仕事)への不満を殆ど形にする事がない人間だった。
何か言いたそうな筋肉の動きを刹那で抑え込み(それゆえに誰の目にも不満が見えない)、
黙々と為すべき事に向かう、概ねそんな人間だった。
だから、私は彼を単純な善人として、
多少の抑え込みで不満を納得してしまえる真面目で優しい存在だとしてカテゴライズしていたのだが。
「……そうじゃなかったのね」
彼は自分の感情や言葉を強く抑え込み、周囲に合わせていたのだ。
世間一般で言う善人であろうと懸命に努力している人間なのだと、この時改めて理解したのである。
その努力のカタチは、殆どつく必要のない『嘘』。
自分の気持ちを覆い隠す事で、彼は周囲に溶け込んでいた。
隠さなくても誰も咎めはしないような、ごく些細な真実を覆い隠す事で。
それは、私にはないカタチ。
感情の声……つまりは生きた声を仕事にする世界での日々を、
機械であるがゆえに隠す事を義務付けられた点以外には隠すものがない私にはない、人間のあり方。
そう……おそらくは、彼女達が言っていたような、小さな心の機微。
なんというか、そのあり方は。
「……なんだか、楽しそう」
八つ当たりしている浪之クンの姿は、声は……私には楽しそうに見えたし、聞こえた。
笑顔など見せてはいないのに、だ。
ストレス解放中なのだから当たり前なのかもしれないが、彼のあんな顔を私は教室で見た事がなかった。
憧れていると思しき貫前紘音への視線も、ある意味でコレに近いものはあるが、
多少息苦しさを見せるソレとは違い、今の彼は『軽そう』だった。
「……」
ふと、思う。
笑顔がなくても、こんなにも楽しそうな彼の『本当の笑顔』はどんなものなのだろう、と。
私は、ソレを知りたいと思考した。
ソレを知る事は、私の仕事のプラスにもなるだろう。
彼が普段吐いている『嘘』という、ある意味人間らしい行いを分析する事でプラスになっていくだろう……いや、それは建前だ。
思えば、私は生の笑顔をそんなに知らない。
今の私になる前、私は笑顔とは縁遠い世界にあった。
むしろ、笑顔……いや、感情の元となるものを奪う存在だった。
あの頃の私は自立思考……『感情』が生まれる前で、ただの機械でしかなかったとは言え――あの頃の事は思い出したくもない。
現在は現在で仕事上における『架空の世界』の笑顔を見る事の方が圧倒的に多い。
仕事場においても、演技や愛想としての笑顔が多く、生の笑顔を見る機会はそんなにない。
少なくとも、遠くから眺める事があっても、私自身に向けられた『笑顔』を見る事はほぼ皆無だった。
だから、笑顔を知りたい。
本当の笑顔をきっと知りたいのだと……否、それも事実だが、同時に建前だ。
多分、本当は。
「……笑顔が見たい」
彼の笑顔が見てみたい。
おそらくは、そう思っただけだ。他に理由は無い。
「それを見る為の方法としては、どれがベストかしら」
一番良いのは、彼が常に自然体の状態を維持できる事、もしくはそれに近い場所を作る事だろう。
感情を押し込めている場所での笑顔ではなく、何も縛りがない場所での笑顔。
おそらくは、それが本当の笑顔。
機械の私が考え得る、本当の笑顔。
では、どうやって自然体に持っていけばいいのか。
簡単だ。
隠しているものを隠す必要のない世界を作ればいい。
では、基本遠慮がちで周囲から外れる感情を隠すであろう彼が、それを隠さない場所や世界を作るには?
「隠さない、隠せない理由を作ればいい」
幸いにも、というべきか。その理由は既に思考できていた。
先程思考した、私自身のプラスになる事を理由にしたなんらかの契約、もしくは頼みごとか何かをすれば、彼の嘘を封じる事が出来るだろう。
そう。
私の前では嘘を吐かない、というような感じで。
基本真面目な彼ならば、一度交わした約束……否、契約を破ろうとはするまい。
だが、そうさせる為には、そこに至るまでの別の、彼が私に従う『理由』が必要になる。
ここまでの奇行だけでは『脅迫』には不十分だ。
もっと、大きな理由が必要……そう思考していた時だった。
「丁度いい……アンタ、生贄な……」
普段の彼にはない悪っぽい声に、顔を上げる。
思考しながら続けていた情報収集で現状を把握、
収まらない怒りをこの銅像で晴らそうとしていると推測できた。
そんな推測からなる未来の可能性を私は幾つか思考した。
その中において、一つ、さっきの『理由』に足るものがあった。
だが、それは可能性として低いもの。
ゆえに、他の可能性から『脅迫』材料を考えようとしていたのだが……
「くらえ、チェストォォォォォォッ!!」
彼は、私が推測した中の、可能性が低い未来を選び取った。
その結果、校長の首が、私が既に切断していた校長銅像の首が宙を舞い、地面に落ちた。
これにて『脅迫』材料は出来上がった。さっきまでの奇行も入れれば申し分ない。
だが、その時の私は、ソレを思考できないでいた。
「……クッ……クク」
その瞬間、私は笑っていた。
浪之クンの、私と全く同じ行動に、笑いを零してしまっていた。
「……ハハハ……参ったわね、これは」
これは、なんなのだろうか。
ただの偶然の一致なのか、カオス理論的な何かの結果なのか、あるいは……人が運命と呼ぶ類の何かなのか。
分からないが、ここまで条件が揃った以上、計画を実行に移さない手はない。
「いえ、そうじゃないわね」
ああ、そうだ。
移さない手はないんじゃない。
見てみたいのだ。
偶然の一致が生んだ、この『出会い』から形作られる未来と、
私を思わず笑わせた彼の本当の笑顔を。
「ォォォォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおっ!?
え、マジ?! どうして!?
俺の手刀ってそんな切れ味あったっけ?!
じゃなくて、これど、どうするよっ!?」
混乱の極致にある浪之歩二を見て、私は不敵な笑みを作る。
一番適当だろう、という判断とそうしたいという思考を織り交ぜたその表情のまま、私は第一声のタイミングを見計らった。
そこからはじまる、非日常の可能性を、幾つも幾つも考えながら。
「今更過ぎるだろ、おい」
そう言って、彼は……浪之歩二は笑った。
「全くもって、その通りね」
そう言って、私・スギナも笑った。
浪之クンの笑顔を見て、私は笑っていた。
「……やっと、笑ってくれたのね」
「やっとってなんだよ」
「……今度話してあげる」
話すべき事は、話したい事は、たくさんある。
言っていなかった事、仕事の事、今までの事、これからの事。
そして、私が一番最初についていた、大嘘の事も。
そのための時間は、作っていけばいい。
もう、ココを離れる理由はないのだから。
そして、ココにいる理由が、確かな理由が出来たのだから。
仕事とは今まで以上に上手い事付き合えるよう方策を考えればいい。
人間じゃない事をフルに活かせば、それは出来ない事じゃない。
そして、ココでの日々は、そんな日々に活力を和えてくれるだろう……なんて、我ながら随分人間臭くなったものだ。
「……っと、電話……? いやメールか」
音か振動か……恐らく後者で何かしらの着信があった事に気づいたらしい浪之クンが携帯を取り出す。
彼は、開いた携帯に記された情報を認識し、表情を緩めた。
破顔一笑という表現が合うような表情だ。
「どうかしたの?」
「ああ、草薙から。
俺に絡んできた番長を引き受けてくれてたんだけど、どうにか説得してお引取り願えたらしい。
だから、先に行って待ってるって」
「草薙、ねぇ。自然なカンジで呼び捨てにしちゃってまぁ」
「な、なんだよ」
なんというか、こういうのを妬ける、というのだろうか。
いや、別にそこまで苛立っているわけでもないのだが。
……こんな、上手く表現できない『感情』が私の中に生まれるとは。
いや、似たような感覚は今までもないでもなかったのだが。
しかし感情やら感覚やら、そういう単語を使うのに違和感がないというか、どうにもしっくり来るようになったというか。
ホント、人間臭くなってきたものだ。
「その辺りは今度ジックリ聞かせてもらうわ。
それより、草薙サンや皆も待ってくれてるみたいだし。
クリスマス会、いきましょうか」
”心”の内でそう思いながら、私は、私が人間臭くなった一番の理由を見つめた。
様々な積み重ねでいつしか生まれた好意……その対象となった、心優しい大嘘吐きを。
「……ココに、いてくれるのか?」
私の発した言葉に対し、不安げに問い掛ける浪之クン。
後からもう一度確認を入れる辺りが表層的には少し臆病な彼らしい。
だけど、彼のそういう表情は見ていてどうにも落ち着かない。
「当たり前よ。
私は、浪之クンが好き。
そして、浪之クンは私を好きだって言ってくれた。伝えてくれた。
……なら、可能な限り、一緒にいたいわ」
だから私は、もう一度笑った。
彼が私に浮かべてくれた笑顔のような笑顔のつもりで、笑って見せた。
それが浪之クンの不安を取り除き、笑顔に繋がる事を。
この機械仕掛けの心は、信じてやまなかった。
そんな私の『感情』から生まれた行動の結果、浮かんだ浪之クンの表情は……。
「……やっぱり、素敵ね」
「え?」
「なんでもないわ。さぁ、行きましょうか」
私に『感情』が存在している事を。
私が浪之クンに恋をしている事を。
改めて確信させてくれたのだった。
……終
・後書き
県立慶備高等学校 青春混沌物語〜機械仕掛けの大嘘吐き〜、いかがでしたでしょうか?
僕としては『ヴァレット』同様に執筆時は気付かなかったアレコレに気付いて再び凹んだり。
ただ、追加部分で応募時には書けなかったあれこれを書く事が出来て個人的には楽しかったりしました。
しかし、それでも、スギナの過去についてや、番長のことなど、まだまだ書き足りない事は結構あったり。
実際の所、他にも様々な要素をもっと入れるつもりだったのですが、
物語のバランスなどを考えた結果、思ったより挿入出来なかった次第です。
個人的には大いに反省。
それらの部分をいずれ何かの機会で放出したいと思ってはいるのですが……そのためのアイデアが中々思いつかなかったり。
あと、日記でも書いたことですが、所謂『別ルート』の物語も書きたいと思っているので、
いつか纏まり次第執筆してみようかなぁと企んでおります(ぉ。
そんな訳で、色々語りたい事はありますが、今回はこれにて。
興味を持ってくださった皆様、僅かでも読んでくださった皆様に感謝を。
最後までお読みくださった皆様にはより深い感謝を。
この物語にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。
心から感謝御礼申し上げます。
2011年 9月18日 情野 有人