第17話 嘘とホンネと大嘘吐き達・6












 
 雪が降る。
 人間ならば寒さを感じるモノが降る。

「……綺麗だわ」

 教室の一角にある歩二の席で、窓の外の雪を眺め、スギナは呟いた。

「機械の私がそんな事を言うなんて、おかしいと思うかもしれないけど」

 こういう時に、人間がそう言うだろうから言っているのか。
 彼女の中の積み重ねたデータが、そう呟く事を、感じる事を『選ばせて』いるのか、誰もそんな事は分からない。

 人間の感情にしても、生まれ出た後、様々な世界の情報を取り入れる中で徐々にカタチになって点で見ればスギナと同じ。
 そうである以上、誰も本当の心、本当の感情を知りえないのかもしれない。

 ただ。
 彼女にとっての真実は一つだけだった。

「ただ、私は、そう思ったのよ」
「……そっか」

 呟いた後スギナが振り向くと、そこには寒い中を走ってきたためか、
 顔を真っ赤にさせた歩二が教室の戸に寄りかかりながら立っていた。

 歩二は切らせた息を整えつつ、スギナとの距離を詰める。
 そうして、スギナの座る席の前に座り……いつも話していた距離にした上で、白い息と言葉を口から零した。

「他でもないお前自身が思うんなら、それがホントのことなんだろうさ」
「……そうね。私もそう思うわ」

 いつも使っている教室で、いつもの放課後のように言葉を交わす二人。
 でも、二人は知っていた。気付いていた。
 ここは、そんないつもの延長線にある、いつもとは違う『場所』なのだと。

「ところで、なんだか雪塗れだけど、どうかしたの?」

 その上で、なのだろうか。
 スギナはここが延長線である事の証のような歩二の姿について尋ねた。
 それに対し、歩二は一瞬……殆ど瞬きのような、本人的には瞑目の後、口を開いた。
 そのほんの僅かな瞑目の間に、最後の躊躇いを心の何処かに押しやって。

「ココに来る途中であの番長に絡まれた。
 詳しい事は省くが、その時に転んでな。
 まぁ、どうにか切り抜けさせてもらったから、その辺は別にいいんだけど」
「……そんな面倒事があったのに、どうしてここにいるの? ここにきたの?」
「そりゃあ、お前を連れ戻しに。
 んで、出来るなら、この先もココにいてもらう事を頼む為に来た」
「……どうして?」
「正直、ついさっきまで俺自身分からなかった。……だから、ここに来るまでに考えてみたんだ」
「どんなことを?」
「そう、だな。
 えーと。仮にの話だけど。
 今日のクリスマス会でさ、貫前さんがいなくてお前がいても、俺は普通だったと思う。
 貫前さんがいなくて残念だなって心底思う以外はいつもどおりで、特に何も変わらない」
「……?」
「でも。
 貫前さんがいる代わりに、お前がいなかったら、俺は……きっと落ち着いてなかった。
 残念とかそれ以前に、何か足りない気がきっとしてた」
「……え」
「それは、クリスマス会に限った事じゃない。
 お前とちゃんと普通に話せなかった間、俺、なんかつまらなくて、駄目だったんだ」
「……」
「そんな時間があって、なんでなんだって色々考えて、貫前さん達にヒントもらって、ようやく気付いたよ。
 俺は……俺は、スギナと一緒にいたいんだ。
 きっと、そう思ったんだ」

 視線が重なり合うのを感じながら、歩二は言葉を続ける。
 大切な事を告げる為に。

「それが正しい答だとかなんかは分からないけどな……ただ、その上で我侭を言わせてくれ」

 そう言った直後。
 歩二は立ち上がり、大きく息を吸うと大声で告げた。

「あの時、文化祭の夜、お前が言ってくれた言葉が、気持ちが、
 もし今もまだ続いていたら……続けてくれているのなら、頼むっ!
 ココに、いてくれ……! 
 俺は、お前にココにいてほしいんだ……俺の近くにいてほしいんだ!」
「っ……!」
「お前の、スギナの事が、好き、だから、ここにいて欲しいんだ……!」




 俺は、ココに来て、ようやく気付いた。

 貫前さんが投げ掛けた、質問の意味に。
 俺が抱いていた、スギナへの気持ちの答に。

 あの時、貫前さんの問いに答えられなかったのは、
 言葉には出来ない何かの気持ちをスギナに感じていたからだ。

 それがいつからかは分からない。

 ただ、その何かは、貫前さんに感じていたものとは違う。
 遠くから眺めてただ綺麗だと思えるような、
 野道に咲いている花を見守りたいようなものじゃない。

 その何かは、草薙との関係とも違う。
 近くにいても、多少離れても、会えばなんとなく笑えるような、
 見ているものが同じか、限りなく近い同士の安心できる関係とも違う。

 結局の所、その何かがどんなものなのか、今の俺には上手くカタチに出来ない、
 ただ、それは、俺がずっと昔から考えていた事に繋がっている気がした。

 そう。
 俺は、長い間考えていた事の答を今なら出せる気がしていた。
 『自分から好きになる』事の意味を。

 好きになったから好きになったんだろう、と言われたら、確かに否定は出来ない。
 そうじゃない、なんて断定出来るほど、その気持ちが判断出来るほど、
 俺は好きになったり好かれたりの経験をしていない。
 全然分からない事ばかりだと、今の俺自身痛いほど理解していた。

 だから、スギナに何を言われても仕方がない。
 罵倒されても、馬鹿にされても、本当の意味で嫌われたのだとしても、それは仕方がない事だ。
 どんなに心を痛め、互いに傷つける結果になったとしても。

 でも、そうなのだとしても。
 この気持ちを、伝えずにはいられない。
 伝えなかったら、一生後悔してお釣りが来るほどの、そんな気持ちが今ココにある。

 多分、これが……俺には無理だと思っていた『自分から始める』という事だと、俺はようやく気付いた。
 だから、俺は……スギナに対する俺の全部を、本当を今ココで伝える。
 それが、どんなに無様な形になったとしても。





「自分勝手なのは分かってる。
 今更なのも分かってる。
 俺は、お前が言うように嘘吐きだから、信じてもらえないのは当然だ。
 今更貫前さんへの気持ちが憧れだとか、友達としてだとか、
 そんな事を言うのは、都合がいいし、自分でも信じられない。
 正直、本当に好きだって言えるものなのか、不安で不安でたまらなくて、怖い」
「……」
「それでも、今言ってる事が、
 どんなに見苦しくても、どんなに醜くても……俺は、お前にいて欲しいんだ。
 今も、そして、これからも」
「……」
「……」
「…」
「…」

 そんな歩二の言葉が、冷たい空気に満ちた教室に響き渡り、やがて春の中の雪のように解け消えた頃。

「ホント、貴方は嘘吐きで自分勝手よね」

 心底呆れ果てた、そんな感じのスギナの呟きが響いた。
 歩二は至極当たり前な彼女の言葉に顔を俯かせる。

「……ああ」
「おまけに、恐ろしいほど全く自己を客観視出来てないわ」
「……全く返す言葉がないな」
「そんな自分自身のことが分かっていない貴方に……一つ、教えてあげる」

 スギナは立ち上がると、項垂れ気味の歩二の側に歩み寄り、彼の真正面に立った。
 そうして、彼女の接近で思わず顔を上げた歩二の眼を少し下から見上げるように見据え、
 彼が自分から眼を逸らしていないのを確認した上で、その言葉を口にした。

「人間の描いてきた多くの物語では……貴方が抱くその気持ちを、好意と呼ぶの」
「え……」
「少なくとも私は、そう感じたわ。
 だから、自信を持って。
 不安だからって、自分が信じられないからって、たくさんの言葉を並べ立てないでいいの。
 そんな苦しそうな顔をしなくたって、いいの」
「で、でも、俺……お前が知ってる通り、貫前さんの事……好きだった……
 なのに、いまさらなんて、だから、苦しまなきゃ、嘘吐きだって思われる……いや、でも……」

 自分でも訳が分からない事を口にしている事は、歩二自身よく理解していたのだろう。
 歩二は自身を制御出来ない事に苛立つ様に唇を噛み、表情を歪め、握った拳を震えさせていた。

「俺は……くっそ……ごめん、ごめんな……それでも、俺は……俺は」

 それでも、歩二は懸命に言葉を捜し……
 その果てに、砂の中に埋もれ隠れた砂金を見つけたような、そんな金の輝きを眼に宿らせて、言った。
 
「俺は、お前が好きだって事を、本当にしたいんだ…っ…!」
「浪之クン……」
「嘘吐いてばかりだけど、
 今はまだ本当の本当じゃないのかもしれないけど、
 お前を好きな事だけはいつか絶対に本当の本当にしたいんだ……! 
 だから、俺は、いや、だから……」

 様々な感情や出来事の中に埋もれていた、その気持ちを伝える為に。
 必死に、懸命に、我武者羅に。歩二は言葉を並べ立てていく。

「……俺は……くそ、自分の事ばっかりじゃないかよ、さっきから……スギナ、ごめ……」

 それでも伝え足りず、それでも伝えきれず……
 少なくともそう思い込んで、顔をくしゃくしゃにしていた歩二の言葉を止めたのは、
 歩二の肩と手に添えられた、人ではないのがすぐに分かる、スギナの手の感触だった。

「スギナ……」

 硬質的な、人ではありえない冷たい手は、確かに歩二を冷ましていく。
 込められている、機械仕掛けのあたたかい感情で。

 そうして、穏やかな表情で自分を見上げるスギナに歩二は呑まれ、絆されていった。
 自身の中にあった焦りが、苦しさが、徐々に抜け落ちていくのを、歩二は感じていた。

 そんな歩二に、スギナは微笑み掛けた。
 普段の彼女からは想像出来ないような、穏やかで優しい、そんな微笑みのままで、彼女は言った。

「もう、いいじゃない。
 私達同士が、私達の事を一番分かってるんだから」
「スギナ……」
「私には、分かるわ。確かに伝わった。
 今、貴方が掛け値なしの本当を語っている事が。貴方の気持ちが」
「……」
「貴方にも、私の本気が、言葉が本当だって分かるでしょう? 分かってくれたんでしょう?
 だから、こんなにも悩んでくれたんでしょう……?」
「………ああ。分かるよ」

 重ねてきた時間が、教えてくれる。
 互いにとっての真実を、気持ちを、二人に確かに伝えていた。
 『嘘』をついていた日々があればこそ、今この瞬間の『本当』があった。

「だから、ソレでいいの。分かった? 分からない?」
「ああ、分かる。でも……」
「でも、なに?」
「さっきも言ったけどさ、正直まだ不安なんだ。
 俺がスギナを信じられても、俺は俺自身を、俺が本当だって信じたいものをそう簡単に信じられない。
 俺はなんだかんだ言って根っからの『嘘吐き』だからな。
 だから」

 言いながら、歩二は自分の手に添えられていたスギナの右手を持ち上げ、握手の形にして握る。
 握り締めながら、しっかりとスギナを見つめ直す。
 そうする事で、互いの気持ちを確かに伝え合えるかもしれない、いやきっと……と、願い、思い、信じながら、歩二は言葉を紡いだ。

「お前が俺に教えてくれないか? 
 俺がお前に伝える、俺の本当の気持ちを」
「……ええ、教えてあげる。
 だから、貴方も私に教えて。
 私が貴方に伝える私の本当の気持ちを」

 歩二からの言葉と握手をゆっくりと、確かに握り返して、スギナは応えた。

 それは男女のハジマリにしては華が無い。
 誰かが見たらきっとそう思うのだろう。

 だが、彼らは……自分達は自分達でしかないから、何の問題もないと確信していた。
 さっきまでの、悩んだり、考えたり、迷ったり、苦しんだりが嘘のように。

「でも、その前に」
「? なんだよ」
「私と会っていなかった間、気まずかった時のレポート提出はするように。
 改めてデータが欲しくなったから。色々な意味でね」
「……はいはい」
「ハイは一回。あ。あと肝心な事を言うのを忘れてたわ」
「なんだよ」
「私ロボットなんだけど、いいの?」
「今更過ぎるだろ、おい」

 そう。
 結局の所、こんな自分らしさで進んでいくだけだと、彼ら自身が一番良く分かっていたのだから。












 ……最終回に続く。








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