第13話 嘘とホンネと大嘘吐き・2















「……♪」
「相変わらずいい歌だな」

 コッソリと近づいてスギナに声を掛ける。
 だが前とは違い、スギナはこちらの接近に気付いていたらしい。
 驚く様子を見せず、むしろ余裕を感じさせる調子で振り返り、言った。

「……それは遠回しに私を褒めてくれてると思っていいのかしら?」
「自信過剰だな、オイ。
 まぁ、上手いのは認めるが」
「フフ」

 話す事で白い息が口から零れていく。
 その事と肌を刺す寒さで、改めて今の季節が冬である事を実感しつつ俺が笑うと、それに釣られてか彼女も笑った。

「……しかし、珍しいわね。貴方から私を呼び出すなんて」

 貫前さんとクリスマス会の事を話したその日の夜。
 意を決した俺は、用事が、話したい事があると言ってスギナを呼び出した。
 もしかしたら断われるんじゃないかとも思ったが、それは杞憂に過ぎず、スギナは簡単にOKしてくれた。

 そうして、今。
 雪が舞う薄暗い空の下、いつかの公園で町並みを眺めながら、俺達は言葉を交わしていた。

「まぁ私も済ませておきたい事が一つあったし、丁度いいわ。
 それで用事って?」
「さっき貫前さんと話してな。
 お前と仲直りできたらいいねって言われた」
「だから、仲直りするの? 
 ……別に喧嘩してたわけじゃないけど」
「まぁ、そう言うなよ。
 正直貫前さんに言われたってのもあるけど。
 やっぱり、俺は今のままお前と話せなくなるのは嫌だって思ったんだ」
「そう……なの?」

 薄い戸惑いを見せるスギナ。
 そんなスギナに向き直った俺は、自分の中にある、未だカタチが見えていないスギナへの答を懸命に紡ぎ、捻り出していく。

「昔の俺なら、俺がそんな事を考えるなんて信じられなかったろうな。
 お前凄いむかつく事あるし、イチイチ嫌味だし、腹黒いし、俺の不幸を笑うし、はっきり言って最悪だ」
「……それはそれは」
「だけど、俺……それでもっていうか、それとは別っていうか、お前と話してると……うん、そうだな、やっぱり凄ぇ楽しいんだ」
「ドM?」
「そうじゃねーよっ!
 ああ、もう、なんだ。
 お前相手だと隠す事何も無くて、いつも本音のキャッチボールが出来るってのもあって、
 なんていうか、その、上手く言えないんだけど、やっぱり楽しいんだってそう思うんだ」
「……」
「だから、だからさ。また教室で話そう。
 お前の気持ち、どうしていいか、どう答えたらいいのか正直分からないけど、
 少なくとも、俺お前の事、嫌いじゃないんだ。だから……」
「……ありがとう」

 明確なカタチの答に出来ない俺に業を煮やした……というわけじゃないんだろうが、
 スギナは穏やかな声で俺の言葉……意志に答えてくれた。

 だが、その直後スギナは何故か少し寂しげな表情を浮かべ、言った。

「でも、多分放課後のあの時間は……ああして話す機会はもうあまりないと思うわ」
「どういう、ことだ?」
「元々私は仕事の為にココに来て、人間の事、嘘の事を学んでた。
 でも、それもそろそろ終わり。
 もう少し引き伸ばしてもよかったんだけどそろそろ頃合だと私が判断したの。
 貴方のお陰で、私なりに色々分かってきたし、そろそろ仕事に本腰を入れようと思って……。
 だから、この学校にいるのは二学期までにしよう……そう思ってるわけ」
「なんで今まで……って、話せなかったのは、俺のせいだな」
「そうね」

 2人してニヤリと笑い合う。
 ソレは心地良くて楽しいのに、何処か哀しかった。

 だが、そんな哀しさとは裏腹に。
 スギナがいなくなる事は、なんだかイマイチ、ピンと来なかった。

 だからなのか、俺はつい呑気に先の事について口にしていた。

「クリスマス会には?」
「……参加するつもり」
「そっか」
「……」
「……」

 言葉が途切れる。
 なんとなく、交わす言葉が出なくなっていた。
 俺も、スギナも。

「……」

 何かがあるような気がした。
 語るべき何かが。
 でも、それは言葉に、形にならない。
 さっきのスギナへの返事以上に……いや、今考えている何かこそスギナへの返事なのか?
 それさえも分からず、俺は喋れなかった。

「……」

 スギナも何を言わないままだった。
 スギナも同じ様な何かを抱えていて、だから言葉が出ないのだろうか?
 それとも、俺だけがそうなのだろうか?

 そんな沈黙が少し続いた後。

「ああ、そうだ。そう言えば話してなかったわね」

 結局俺の考えなんか的外れだったのか、スギナが軽く口を開いた。
 内心微妙なショック……らしきものを受けながら俺も口を開く。

「……何のことだよ」
「約束よ」
「約束……ああ、あれか」
「そう、あれよ。……ホントに分かってる?」
「いや流石に分かってるし覚えてる。
 全部終わったら俺のデータ取り終わったらどうするかを話してくれるって奴だろ?」
「ええ、それよ」

 それはかつて交わしていた言葉であり約束。
 今それを口にしたのは、話す事が思い浮かばなかったからなのか、今話せるうちに話しておこうと思ったのか、あるいはその両方か。
 いずれにせよ、スギナは今が話すべき機会だと思ったのだろう。
 スギナは仕方ないと言わんばかりに肩を竦めて見せた。

「まぁ全部終わったって訳じゃないけど、ここを逃すと話す機会なくなりそうだし。
 折角だし私がココに来た理由、ひいては貴方を使って嘘を学んでた理由、それをどうするのか、全部ひっくるめて話すわ」
「……ああ」

 断わる理由もなく俺が頷くと、スギナは視線を俺から空に向けて語り出した。

「随分昔……元々の私は、人間社会とは縁遠い場所で従事する作業ロボットだった。
 とてもとても嫌な仕事を人間の代わりにする為に私は生まれたの」
「………」
「私は、来る日も来る日も人間の為に作業を繰り返してきた。
 毎日毎日毎日毎日。
 そんなある日、そうして作業をする私の中であるバグが動き出した」
「バグ?」
「自立思考を持たないはずの私が、
 回路の欠損その他の理由の重なり合いで自立思考を発生させたの。
 それはとても珍しい事で、その事実をたまたま見つけたとある高名な博士によって私は作業場から回収された」
「……」
「そうして拾われた私は、大幅な改良の果てに今の私になった。
 そうなった私は検査した自立思考が規定レベルだったから人権を得た。
 そんな私に私を拾った博士は尋ねたわ。『君は何をしたい?』と」
「……」
「その問いを私なりに考えた結果、私は一つの答、欲求に辿り着いた」
「それは?」
「今までやってきた事と真逆の事よ。
 人間社会の真ん中で、人間の顔色を伺いながら、可能な限り人間として生きてみたい。
 私はそれが自分のしたい事だと認識した。
 私を道具として扱ってきた存在への好奇心ってところかしらね。
 そう答えると、博士は言ったわ。
”実に興味深い”ってね。
 そうして私に興味津々になった博士は、そんな私の願いを叶える事を、その成就の為に色々な形で援助する事を約束してくれた。
 その見返りとして、貴重なサンプルである私についての観察・研究の許可と協力を約束させられたけどね。
 まぁ互いに利のあるギヴアンドテイクという感じかしら」
「……おい。それって俺とお前みたいじゃねーか」
「フフ、そうね、確かに。
 まぁ貴方との関係ほど毒々しくは無いけど」
「お前との関係が毒々しいのは九割方お前のせいだろうが」
「貴方の内面のせいでもあると思うけど。
 ともかく、そうしてはじめた、今も続けている人間としての生活や仕事は最初苦戦の連続だった。
 でも最近は……仕事の内容は色々規定があるから話せないんだけど……
 学校の生活と貴方、貴方から学んだ“嘘”のお陰で噛み合い始めているわ」
「ふーん。そう言ってもらえると嬉し……」



 嬉しいのか?
 本当に、嬉しいのか?
 彼女が自分みたいになるのが、嬉しいのか?



「……いや、嬉しくないな」


 嬉しい。
 そう言うつもりだった。
 でも、言えないし、言いたくなかった。


「……どうして?」
「いや、その、なんだ。
 お前の役に立ってる事自体はいいんだけどな。
 なんていうか、お前は、お前のままでいいだろ。
 嘘を吐くのが良いとか悪いとか、そんなんは今どうでもいい。
 嘘は、結構きついぞ。
 俺は……今のお前で嘘を吐かないお前でいいと思う。
 あー、その、なんだ。俺はお前に嘘なんか吐いて欲しくない」

 俺がそう言うと、スギナは静かに微笑を浮かべてみせた。
 彼女が初めて見せたソレは、とても綺麗だと素直に思えた。

「安心して。データを集めたのは事実だけど、データを元に積極的に嘘を吐くつもりは無いわ」
「?」
「もう気付いてるかもしれないけど……元々、私は嘘を吐けない、という事はないの」
「へ?」

 スギナの言葉に、俺は目を丸くした。
 そんな俺に困ったような笑みを向けながら、スギナは言葉を続ける。

「いいえ、むしろ確実な嘘を吐くという能力で言えば、人間以上だと思う。
 ただ、日常で嘘を吐く必要性と意味を理解・判断出来ない……
 見出せなくて、難しいし、貴方風に言えば面倒臭いからしていないだけ」
「ああ、まぁ、そうだなぁ」

 その言葉を聞いて、俺は思わず笑っていた。
 確かに思い当たる節は幾つかあったからだ。
 俺みたいに嘘を吐くまでもなくどんな世界だって歩けるのだ、この『強い』ポンコツ女は。

「……確かにお前は嘘を吐く必要ねぇからな。色々な意味で」
「まぁね。
 ただ、私が仕事とか人間関係とかをより理解する為に、嘘が発生する瞬間を知りたかっただけ。
 貴方のデータはそういうものに使おうと思ってたし、一部は使ってる。
 それだけのはずだったんだけど」

 視線が重なる。

 俺の目に映るのは、忌々しい存在のはずだった機械仕掛けの女。
 彼女の目に映るのは、どうしようもない平凡な馬鹿高校生。
 
 俺にとっての彼女は、脅迫者で利用者。
 彼女にとっての俺は、脅される側で使われる人間。
 そのはずだった。

 でも……今は違う。きっと違う。

 何を言うべきか分からない俺は、それをせめて口にしようとして……。

「……」

 出来なかった。
 何故か、思うように口が、心が動かなかった。

「まぁ、そんな感じかしらね」

 俺が何も言えずに……小さな白い息を零すしか出来ずにいると、
 スギナはこれまでの話のまとめと言わんばかりの言葉を紡いだ。

「じゃあ、短い間だけど、後もう少しよろしく。
 これからは……自然に話しましょう。
 私だって、最後くらいは仲良くしたい気持ちぐらいならあるのよ」

 俺としてはそれに異論は無いわけだが……。

「……」
「浪之クン?」
「……おっと、あ、あんまり意外な事言うから、びっくりして言葉がでなかったじゃないかよ。
 そんな気持ちあるのかよ、お前に?」
「人が折角和解してあげようっていうのに……これだから霊長類様様は」
「抜かせこの改良ポンコツ娘」
「ぬ。早速私の過去をネタに使うなんて……嘘吐きの上に鬼畜ね」

 それは、本当にいつもどおりのやりとり。
 ソレが出来ただけで、俺は凄く楽しかった。

 俺は……もしかしたら、自分が思っていたよりずっとずっと、コイツとの時間を楽しんでいたのか……?

「まぁ、いままでどおりのやりとりはさておき」
「……さておくのかよ」

 自分の思考をとりあえず置いておいて、スギナに突っ込みを入れる俺。
 今は自分の考えよりも、会話をしていたい気分だったからだ。
 そんな俺の思考を知る由もないはずのスギナは、毒のある笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「折角関係修復したんだし、今までの関係を記念する意味でも、貴方にプレゼントをあげるわ」

 そう言うと、スギナは学校指定の補助バッグから、何か四角いケースを取り出した。
 どうやらCDらしいが……よく見るとアニメ絵が描かれている。
 って、あの絵は確か……?

「ここで歌ってたでしょ? その歌のCD」

 そう。
 あの歌のCDジャケットだ。

「わざわざ買ったのか?」
「……買ったわけじゃないわ。必然的に手に入ったのよ」
「なんじゃそりゃ。でも、俺そのCD持ってるんだけど」
「え?」

 気に入った歌のCD、それもシングルを買わないほど俺の経済状況は逼迫していない。
 ので、あの後小遣いを貰った日に購入していたのだが。

「……」
「どした? 沈痛な顔してるぞ」

 スギナはこれまた珍しく渋い顔をしていた。
 だが、それも少しの間だけで、二三度頭を振る事で渋い顔を何処かに追いやった。

「いえ、なんでもないわ。それにその上で持っていても問題ないし」
「なんでだよ」
「これにはね、歌っている本人のサインが入っているんだから」
「……マジか?」
「仮に浪之クンがサインに興味を持っていなくても付加価値は見逃せない……損は無いはずよ」

 クルッとCDを裏返すと、見覚えのあるジャケット裏に青字でサインが書かれていた。

「……やれやれ、やはり保険は掛けておいて正解ね」
「そりゃ、すごいが……
 あのさ、この場で渡さんでもクリスマス会でプレゼント交換予定してんだから、その時でいいんじゃないか?」

 クリスマス会の企画としてプレゼントは欠かせないでしょう、という貫前さんのアイデアによりソレは準備・予定されている。
 ただ、それは……。

「くじ&シャッフルによるランダム仕様ででしょう? 
 浪之クン個人に渡すには確実じゃないじゃない」
「そうなんだろうけど……まぁ、いいか。
 っていうかさ。
 保険云々言ってたが、付加価値があろうが無かろうが俺はちゃんと受け取るぞ」
「そうなの?」
「……そりゃ、お前、なんだ。
 折角準備してくれたのに悪いだろうが。そりゃあ、俺は嘘吐きかもしれんが」
「しれんじゃなくて嘘吐きでしょ」
「やかましい。
 とにかく、嘘吐きかもしれんが、そういうのを無碍にするほど外道じゃないぜ」
「まぁ、そうなんでしょうけどね。
 全く模範的回答過ぎるわ。この嘘吐き偽善者は」

 とかなんだかんだ毒を吐く割に。

「なんか知らんが、嬉しそうだな」

 スギナの表情は、何処か楽しげに見えた。
 そう言うと、スギナは、ふ……、と小さく息を零した。
 呼吸機能などないはずなのに、その息は白い靄を一瞬形作る。
 その靄が消える頃に、スギナは言った。

「……プレゼントを受け取ってもらうのは、悪い気はしないものよ」
「もらうんじゃなくて、か?」
「ええ。渡すのもありよ。
 分からないのなら、貴方が紘音にプレゼントを渡す時の気持ちを考えてみたら分かりやすいんじゃない?」
「貫前さんに? ……って、お前……」
「ぬ。失言だったわね。今の言葉は気にしないで。覚えていてはほしいけど」
「……」
「じゃあ、今日は用事も済んだから帰るわ」

 フゥ、と再び、基本必要ないし存在しないはずの息を吐いて、
 文化祭の夜の時のように、スギナはゆっくりと俺に背を向けた。

「じゃあ、また学校で」
「……ああ」
「あのさ」
「なに?」
「……」
「なによ」
「……最後なんだから、クリスマス会、ちゃんと来いよ」

 俺の言葉に、スギナは手を振って答え、去っていった。
 その背中を見送りながら、俺は呟く。

「……俺は」

 何か、言うべき事があった。
 何か、言いたい事があった。

 でも俺は結局それを言えずにいた。
 カタチに出来なかった。

 ただ、去っていくスギナを見送る事しかできなかった。

 カタチにできないならできないで、カタチに出来ない事を話す事も出来た筈なのに。

 つまり。
 結果として、俺は、また、嘘を吐いたのだ。

 嘘を吐かないのが、約束だったのに。
 その為にここに来たはずだったのに。

「ッ!」

 スギナの姿が見えた後。
 拳に力を込めて、俺は自分の顔面をぶん殴った。
 そうして生まれた微かな鉄の味を噛み締めながら、俺は白い息と無様な言葉を吐き捨てた。

「俺は……………………確かに、大嘘吐き野郎だな。スギナ」








 ……続く。





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