第12話 嘘とホンネと大嘘吐き・1
浪之歩二は、小さい頃から友達が少なかった。
基本内向的な為、元々誰かに話し掛けるのが苦手で、愛想良くする事も出来なかった。
近所の、あるいはクラスの皆がグランドで遊ぶ様子を遠くから眺めていた。
誰かと全く遊ばなかったわけではない。
人数が足らなかった時は呼ばれ、あるいは誰かの気まぐれで呼ばれ、参加した事も何度かあった。
ただ、自分から踏み込む事はしなかった。
そこに大きな理由は無い。
ただ、それが彼の個性であり、性格だっただけだ。
慣れない場所への居心地の悪さ(自分が慣れようとしないだけ)。
見慣れない遊び相手からの『コイツダレ』という視線(始まりは皆そうなのに)。
誰かの役に立つような大きな事……
草野球でヒットが打てなかったり、鬼ごっこでいつまでも鬼だったり……
が出来ない自分自身への苛立ち(ただ自分が中心でありたいだけ)。
そんな事の蓄積が、歩二のカタチを作り上げていった。
他人に極力近寄らず、誰かに極端に嫌われる事を避ける、そんなカタチを。
それが『嘘』を吐く、現在の歩二の雛形であり、土台となっていった。
そうして成長していく歩二は、心の何処かで考えていた。
こんな自分でも誰かに好かれる事、愛される事ががあるのだろうか、と。
嫌われなければ基本それでいいが、誰かから好かれ好き合う事は決してしないのだろうか、と。
『まず自分から愛さなければ始まらない』
そんな言葉を歩二は何時か何処かで聞いた事があった。
おそらく漫画か何かの言葉のだろう。
ソレに従えば、自分はきっと誰からも好かれも愛されも、ましてや相思相愛になることなどないのだろう。
だが、少し大きくなった頃、歩二は、その言葉に疑念を持った。
自分から愛す。自分から好きになる。
でも、それで相手が応えなかったら?
応えなくても、好きでいる……それが愛とか、本当に好きだって事なんだとは思う。
でも、それを自分から始める必要はあるのだろうか?
もし『まず自分から』が正しいのなら『愛し始める誰か』が自分を見てさえくれれば、
好き同士になれる関係は始められるんじゃないだろうか?
(誰か、俺を見てくれないかな)
自分から好きになれる誰かが、自分を好きになってくれないか。
そう、歩二は思うようになっていた。
その為に『嘘』を多く吐くようになっていった。
それが卑怯で、臆病で、意気地の無い事だと、歩二自身よく分かっていた。
自分から踏み出せない者の我侭だと、痛々しく、苦々しく、思っていた。
でも、それでも。
誰かに、言って欲しかった。
好きだとか、愛してるとか。
そこまででなくても……せめて。
生きていていいよ、と、言って欲しかった。
「浪之クンみたい人がいてくれてよかった」
だから、生まれて始めての誰かの言葉に、あの時の紘音の言葉に強く惹かれた。
歩二の目を見て、純粋に笑い掛ける紘音に、歩二は焦がれた。
初めこそ憧れだったが、おそるおそるの会話の中で、歩二は強く惹かれるようになっていった。
「そうは言うけど……結局は誰でもいいんじゃないの?」
いつか『本音』を話さざるを得なかった時に、スギナはそう言った。
(確かに、そうかもしれない)
スギナに答えたままに、歩二は思っていた。
自分に優しくしてくれるのなら、誰でも良かったのかもしれない。
そう。
だから逃げた。
紘音に自分の想いを告げる事をせず、浩の方がお似合いだから、という免罪符で逃げた。
言ってしまえば、彼女は優しくしてくれなくなるかもしれなかったから。
勿論逃げたい気持ちだけじゃない。
ただ、逃げたい気持ちも、今のままでいたい気持ちもあったのは事実。
だが。
そうして逃げた先で、歩二は突きつけられた。
結局、嘘は誰かを傷つけるのだという、至極当たり前の結論を。
「……浪之クン?」
「あ、うん。ごめん」
文化祭から一ヵ月後の放課後。
二学期学級委員最後の仕事として、
貫前さんとクリスマス会についての話し合いの時間を過ごしていた俺は、軽く咎める彼女の声で顔を上げた。
どうやら、呆けていたらしい。
そして、それで思い出す。
呆けていた理由……少し前まで、つい三日前まで、
この時間、この場所で言葉を交わしていた、契約を交わしていた機械仕掛けの少女の事を。
三日前に、最後に交わした会話の事を。
『……浪之クン?』
『あ、悪ぃ』
『……言わなければ、良かったわ』
『……言わなければ良かった、って事は、ないと思うぞ』
『ここでも、嘘を吐くの?』
『そういう、わけじゃ』
『……もういいわ。
ここでさえ嘘を吐くようになった貴方との時間は無駄ね』
『……』
『暫く、時間を置きましょう。頃合を見てからまた呼ぶから』
『お、おい……』
『なに? 自分が悪いとでも言うの? 貴方を困らせているのは、私なのに』
『違う……! そうじゃない……!! 俺が……』
『謝らないで。
そうすると、私も貴方に謝らなければならなくなる。
私は、貴方に謝りたくなんかない。
だから、黙ってて。何も言わないで』
「じゃあ、こんなものね。
集まる場所、学校の外だけど先生の許可は貰ってるんだよね?」
「うん、大丈夫」
そうしてぼんやりしながらでも話を進められる自分は器用なのか、人間的に問題なのか。
なんにせよ、モヤモヤしたものを抱えながらも、俺は言葉を続ける。
「ちゃんと先生も監督に来てくれるし。
後は当日何も起きなければ問題なし」
「うぅ……あの時は、本当に……」
当日という言葉に文化祭の事を思い出したらしく、貫前さんはガックリと肩を落とす。
俺は暗いオーラを漂わせかけている貫前さんをフォローすべく、否定の意味を込め、パタパタ手を振った。
「いやいや、そういう事を言ってるわけじゃないから。
ともかく、クリスマス会……最後の委員の仕事だし、頑張ろう」
「うん」
クリスマス会だなんて子供っぽいかもしれない。
だが、正直言えば、楽しければなんだっていい。
俺はそう思う。
だが、その楽しい時間を過ごす為には、俺にはクリアしておかければならない問題が一つあった。
その問題を解決すべく、俺は思い切って貫前さんに尋ねる事にした。
「ねぇ、全然関係事無い事なんだけど、聞いていいかな」
「うん、なんでもどんとこいよ」
分かっていた。
今まで重ねてきた会話、時間で、この人は俺の疑問を笑わないし、ちゃんと聞いてくれる事を。
だから、俺は遠慮なく疑問を口にした。
「謝りたくない時って、どんな時だと思う?」
「謝りたくない時? 詳しい状況とかはなし?」
「……とりあえず無しで」
この期に及んで隠すとは、とも思うが、ややこしい事情説明は逆に考えを鈍らせるかもしれない。
そう考えて、俺は言った。
すると貫前さんは、ふむ、と言葉を零し、少し考えてから答え始めてくれた。
「謝りたくない時って事は、自分に何か悪い所があったって分かってる時よね」
「あ、うん……そうとも言いきれない部分もあるけど……説明不足でゴメン」
「謝らなくてもいいわよ。
そうね、謝りたくない時かぁ。
アタシの場合、謝ったら『負け』って思った時かな」
「負けと思った時?」
「うーん、なんて言えばいいか……そうね、謝るのが、アタシがアタシらしくない時って言っていいと思う。
それって癪に障るし、嘘吐いてるみたいでアタシ的には落ち着かないし」
「……そっか」
それは、元々『嘘を吐かない』スギナだと尚更当て嵌まるのかもしれない。
昔の俺ならロボットがそんな人間臭いなんて、とか思っていたのかもしれないが、
アイツとの数ヶ月を経た今、アイツが『人間と同じ』なのは疑う余地も無かった。
もっとも、当て嵌めた所でどうしようというのか、俺自身分かっていないのだが。
「まぁ、そういう意地もそこそこにしとかないといけないのは分かってるんだけどね。
文化祭の時にみたいに皆に迷惑を掛ける事になるし」
「……」
「参考になった?」
「うん、ありがとう」
「ふふ、なんか珍しいね」
「?」
「浪之クン、いつも謝ってる人だから。
誰かが頭を下げるより先に、自分の頭を下げようとする人だから」
さっきの問いについて、『俺自身』の事だと思ったのか、貫前さんはそんな事を言った。
「……」
「あ、その、悪口に聞こえたらゴメンね。むしろその逆なんだよ、アタシ的には」
言いながら、貫前さんは優しい微笑みを俺に向けた。
「さっきも言ったけど、アタシ我が強くて、意地っ張りだから。
それで引かなくて人に迷惑掛けることも多いし。
だから、誰かの事を考えて、自分から引ける、そんな浪之クンをアタシ結構尊敬してるんだよ」
「……そう言ってもらえると……」
嬉しいのか?
本当に、嬉しいのか?
彼女が自分みたいになるのが、嬉しいのか?
「嬉しい、かな」
内から沸きあがる声を抑えて、俺は言う。
貫前さんはそんな俺の言葉に満足そうな、嬉しそうに笑ってくれた。
少し、心が痛んだ。
「じゃあ、今日の話し合いはココまで。
スギナちゃんと、早く仲直りできるといいね」
「え?」
「アタシだってそれぐらい分かるんだから。
それに、クラスの皆も心配してたよ?」
「……そうなんだ」
「そうなのよ。
いつも周囲に気を遣ってくれる浪之クンが気付いてないなんて、ホントイッパイイッパイなんだね」
「……」
「その……あのね。
もしもアタシに手伝える事があったら言ってね。
アタシ、その、えと……貫前クンの事、凄く大事な、友達だって、思ってるから」
「……貫前さん……」
多分。
それがあの文化祭の夜に言おうとしていた言葉だったのだろう。
貫前さんの言葉は、とても温かい響きを持って俺の中に染み渡っていった。
「おーい。話し合い、終わったかぁ?」
思わず感動してしまい、俺が言葉を失っていたその時。
唐突に教室の戸が開いたかと思うと、守臣君が顔を覗かせた。
「ヒー君……待ってたの?」
「まぁな。外で待ってたから寒くてな。
つい温まりついでにのぞきにきちまったぜ」
守臣君はそう言って、息を吐いて手を温めた。
その赤い顔で、結構長い時間外で待っていた事は窺い知れた。
……他でもない、貫前さんを。
「あー、ちょっと待ってて、俺ホットコーヒー買ってくるから」
「お、悪いな浪之」
「ちょ、アンタ波之クンを顎で使わないのー!」
「んな事するかよ。
そもそも浪之から言ってくれたんじゃねーか。
というか、浪之もなんか買って来いよ、奢るぜ」
「んー……じゃあ、お言葉に甘えようか」
「おう、そうしてくれよ。
少しは借りを返させといてくれ。
この位じゃ全然返せてないけどな」
「借り……じゃないと思うけどな、俺は」
「いいや、借りだ。
あと、困ってる事があったらたまには頼れよ。
借りとか関係なく、お前にならいくらだって力貸してやるんだから」
「スギナちゃんとの事をアンタが手伝えるとは思わないけど」
「うるせぇ」
「それに……借りって何の事よ」
「お前が聞くな、お前が」
「?」
そんな会話を耳に入れながら、俺は教室を出て、自販機のある場所へと足を進めた。
あれ以来、二人はますます仲良くなっている気がする。
それはとても胸が痛くなるが、嬉しい事でもあった。
俺は……二人の友達なのだから。
「……んー」
貫前さん達と別れた後の一人での帰り道。
俺はここ暫くの事を思い出して、苦笑していた。
色々な人に心配してもらっている。スギナとの仲、あるいは喧嘩について。
草薙にも思いっきり心配された。
なんというか、気付かなかったのは当人達ばかりだったのかも……いや、俺だけか。
「はは」
笑いがこみ上げる。
ああ、なんだろう、この気持ちは。
こんな嘘を吐いてばかりの自分が、こんな暖かい気持ちになっていいのか、なれるものなのか。
もう、気付いているはずだ。
今こんな気持ちになれているのは、スギナのお陰だ。
スギナとの会話から、契約から始まった、色々な事が、いつのまにか少しずつ色んなものを変えていた。
そんなスギナへの気持ちのカタチ。
それは未だに分からない。
でも……だからこそカタチにしなければならないんだ。
例え、半端なカタチだとしても、このままでいる訳にはいかないとそう思えるから。
「……嘘は吐かない。約束したもんな」
そう、契約じゃない。
あれはもう約束だ。
そんな事、とっくの昔に分かってる。
そうでないなら、校長銅像が直されてた時点で、契約のカタチを変えているか、契約を無くそうとしたはずだ。
それについて特に触れる事なく『俺達の日常』を続けていた時点で気付くべきだったのかもしれない。
……気付いたからと言って、何がどうなったかなんて、分からないけど。
ただ、なんにせよ。
俺の今やるべき事は一つだけだ。
「約束は、守る」
そう心を決めて、俺は携帯を取り出した。
……続く。