第8話 迷う人々(色々な意味で)~前編~
文化祭という大きなイベントへの準備が進む一方で、
生徒側から見れば小さな準備で事足りる小さなイベントや行事もちらほらある。
それもまた学校生活である。
その日は、そんな小さな行事……遠足の日だった。
遠足と言ってもも、『身体を鍛える』名目が強く、
道程的にキツイものがある為、厳密には遠足とは言い難い。
だが約半分の生徒にしてみれば授業しない分マシなので、
気分的には十分遠足だと言えるものだろう。
そんな約半数の明るい気分を後押しするかのように、遠足当日は良く晴れていた。
まさに遠足日和ともいうべき、そんな空の下。
「……ちょっと困ったな」
「……ああ、うん。ちょっとね」
守臣浩と浪之歩二は、山の中で顔を引きつらせていた。
事の起こりは少し前。
慶備高校の全校生徒は、
遠足の目的地である山……高校のそこそこ近くにある……の頂上を目指していた。
運動不足の教師達が少し苦しげにする中で、
生徒達の大半は談笑しつつ余裕を持って登っていた。
そんな生徒達の最後尾。
全クラスの中で、一際ゆるくだるく楽しげに登っているクラスがあった。
言わずもがなと言うべきなのか。
浪之歩二やスギナが所属するクラスだった。
「……なんというか、ホント良いクラスだよなぁ」
「あら、珍しく意見が合うわね」
学級委員として、
クラス最後尾(全校生徒最後尾でもある)でクラスの皆に異常が無いか眺め、確認しつつ登っていた歩二の呟きに、
そのすぐ近くで同じようにクラスを眺めていたスギナが呟き返した。
「このクラスは実に興味深くて、観察のし甲斐がある。
良いクラスね」
「いや意味が違うし」
スギナの言葉を、パタパタ手を横に振って否定する歩二。
実際歩二は、このクラスの調和っぷりというか、平和ぶりに改めて感動していた。
なんというか、悪い意味でハブられている人間が1人もいないのだ。
それは歩二の主観でしかない。
だが、その主観に間違いはなさそうだと、
歩二は確信には至らない確信を覚えていた。
勿論クラスには様々な人間がいる。
誰かと話すのが大好きで、今現在も常に誰かと話して回っているような人間もいれば、
1人を好み、現在進行形で黙々と山を登っている人間も何人かいる。
しかし、そういう1人を好むクラスメート達と、
和気あいあいとしているグループやコンビ達との間に溝は感じられない。
普段、クラスメート同士での摩擦がまるでないわけではない。
喧嘩やいがみ合いもそれなりにあり、そりが合わない人間達もいるのも事実だ。
しかし、それが逆に一種の均衡やバランスを生んでいるように歩二には思えた。
そりが合わない者同士、その両者に合う者の位置関係やバランスが極めて絶妙というか。
一時何かでバランスが崩れても、いつのまにやら誰かや何かで解決し、
気付けばゆるくだるい空気に戻っている……ココは、そんなクラスだった。
今もそんな感じで、
あるグループの果てしなくエスカレートするボケ会話に、
普段は一匹狼風な生徒・麻尾慎が顔を引き攣らせながらやむを得ず突っ込み、
それに対しまたボケが返され、それに周囲が突っ込む事で、
このクラス特有のゆるい空気が生まれ、それがなんとなく全体に伝わっている。
それこそが彼らのクラスの雰囲気。
『普通』の歩二だからこそ分かる、独特の空気がこのクラスにはあった。
そして、それを歩二は好ましく感じていた。
「……ったく。俺とお前の意識の差に改めて驚くよ」
「そんなに差はないわよ。
誤解があるようだから言っておくけど、貴方の言う意味合いでも良いと思ってるわ。
……クスクス」
「おい、最後の邪悪な笑いはなんだ」
「なんとなくよ。……クスクス」
「だからなんだよその笑みはっ!?
……はぁ。お前ってホントいい性格してるよ……」
呆れつつ、再びクラスを眺める歩二。
少し前まで歩二と話していた草薙紫雲は、
現在、彼の幼馴染である艮野灰路、及びその周辺人物達と談笑しつつ、足を動かしている。
山歩きに慣れているのか、この山によく来ているのか、その足取りは極めて安定していた。
楽しい事大好きな波出州貴は、
色々な人物に楽しげに話し掛けては時にボケ、時に突っ込みと楽しそうにしている。
他のクラスメートたちもそれぞれの形で山歩きを楽しんでいるようだ。
イベントごとという事もあるからなのか、
普段は見られない組み合わせが見られたりで、
成程スギナのいう事も尤もかもな、と歩二に思わせた。
そんな中。
「ヒー子、俺ちょいトイレ行ってくるわ」
「はぁ?」
守臣浩の言葉に、貫前紘音が振り返る。
振り返った紘音の顔は、
筑留眞子との最近読んだ小説についての楽しい語らいを邪魔されたからか、
あるいはかけられた声の主が浩だったからなのか、少し不機嫌そうだった。
その顔は『何言ってんのこの馬鹿』と言わんばかりだなぁ、と歩二が思っていると。
「何言ってんのこのバカ。ついでにアホ」
「って……っとと」
そのまま以上の言葉が紘音から放たれ、
『って、そのままかっ! いやそれ以上かよ!?』と突っ込みかけた口をどうにか閉じる歩二。
スギナ相手だったら確実に即行で突っ込んでいた事に、歩二は内心で冷や汗タラタラ。
「……面白い兆候ね」
「その笑いはやめれ」
大邪神的な底意地の悪さが溢れる笑みを浮かべるスギナ。
そんなスギナに顔を引き攣らせながらも、歩二は二人のやり取りを眺めていた。
歩二のそんな視線に気付いているのかいないのか、
二人は彼らのクラスにとって馴染みのやり取りを続けていく。
「誰がバカでアホだ。……まぁ、いいや」
「あらえらくあっさり」
「俺は大人だからな。
この辺りだとなんかアレだから、ちょっと戻った場所の草むらでしてくるぜ」
「……アタシだからいいけど、普通女の子にそういう事言う?
って言うか、我慢しなさいよ。子供じゃあるまいし。
大人なんでしょ?」
「うっせ、大自然の摂理に老若男女なんぞ関係あるか」
「あーごめんねぇ、訂正するわ。この子供未満。
子供だってもう少し我慢するんじゃないかしら。
大体、喉乾いたからって無計画にお茶飲み過ぎなのよ、バカ」
「無計画じゃありませんー。
ちゃんと水筒何個も持ってきてますぅー」
「そういう問題じゃないでしょ、二重バカ」
「なに……ぉぅ」
言葉途中で勢いを失う浩。
微妙に内股気味になる浩の様子を見て、紘音もまた喧嘩腰な勢いを失っていった。
「ま、マジでヤバいの?」
「……ぉぅ。
ぉぉぉぉおおお、これはヤバい」
「道理であっさり食い下がったわけだわ。
あーあ、ホントにバカね。……しっかし、どうしたものかしら」
一人勝手に列から離れるのはよろしくないだろう。
本来なら担任に話した上で対応策を練りたい所なのだが、何故か担任教諭の姿が見当たらない。
実は彼らの担任は、
この瞬間においてのみ、歩二達の前を進む隣のクラスの教師と、
今日の日程についての確認をしに歩二達から離れていたのだが、
その事を紘音達は知らなかった。
時間にしてみれば、それはほんの数分間の事だったのだが……。
「ぉぉぉぉっ……!?」
浩にとってはその数分間が命取りな状況だった。
「や、ヤベェ。
こんな所で洩らそうものなら末代までの恥だぜぇ……」
「そこまでにはならないにせよ、忘れられない思い出になりそうねー……」
「思い出じゃねぇぇっ! それは断じて思い出じゃ、ぁ、ふ、ぉぉぉ?!」
「……あー、こりゃマジで駄目ね。うーん」
流石に漏らすのを直視出来ないが、
乙女の自分(浩からすれば乙女(笑))が一緒に行くわけにはいかないしと、
紘音が頭を悩ませていると。
「……あー、俺が一緒に行くよ」
ソレらの状況を見かねて、歩二がたまらず声を掛けた。
「え? ……いいの? 浪之クン」
「俺も一応学級委員だしね。
貫前さんだと不都合かもだけど、俺は男だから問題ないし。
あと、少し俺も行きたいと思ってたところだから。
1人だと不安だけど、2人なら大丈夫かなぁ、なんて」
「おぉっ!、流石浪之、話が分かるっ! ぬ、ぬぐぅっ!?」
「ああ、うん。
守臣君はサムズアップしてる余裕があったら、我慢の方に回した方がいいと思うよ」
プルプル震えるその姿に、
何とも言えないモノを感じながら歩二は言った。
微妙に顔が引きつってないだろうかと、内心では変な方向に気が回っていたが。
そんな二人を交互に見た後、紘音は歩二に言った。
「……お願い出来る?」
「うん。
任せて、とは自信満々に言えないけど、2人なら何とかなると思うよ」
「……そう、ね。ごめん、お願いするわ。
ヒー君、浪之クンに迷惑掛けるんじゃないわよ」
「は、お前に迷惑は掛けても浪之に迷惑かけるかよ……」(プルプル)
「子犬みたいに震えながら、よくもまぁ威勢よく言えるわね。
ふんだ、アンタなんか適当に迷ってればいいのよ。
勿論波之くんだけ帰した上でね」
「そ、それは無茶というか無理があるんじゃないかなー……。
ああ、まぁ、ともかく、行ってくるよ。
守臣君、大丈夫?」
「あ、あぁ、まだなんとか……ぉぉぉ?!」
「……急ごうか。刺激しない様に早歩きで」
そうして、内股気味早歩きな浩の後に続く形で、歩二が来た道を戻り出した瞬間。
「……嘘一つね」
ポン、とすれ違いざまに歩二の肩をスギナが叩いた。
掛けた声は例によって例のごとく歩二にしか届かない程度である。
「……どっちみち後で報告するんだから黙ってろよ」
浩の為に気を遣ったのは見え見えだったか、と思いつつ歩二は呟く。
そんな歩二にスギナは肩を竦めて見せた。
「はいはい。まぁ精々気をつけなさいな」
「了解。気持ちは怪しいが、言葉は受け取っておくよ」
「まぁ、失礼ね。私はこんなにも心配してるのにー(棒読み)」
「……それでどう気持ちを信じろってんだ、お前」
「冗談よ。ともかく気をつけなさい」
「へいへい」
「返事は正しく、一回で」
「はいよ」
そうして、いつものやり取りを簡単に交わした歩二は、浩の後を追った。
数分後、2人して途方に暮れ気味に顔を引き攣らせる事になるとも知らずに。
……続く。