第6話 嘘吐き男のとある一日(前編)
それは、四月の頃。
新しいクラスになった感慨も何もなく、俺・浪之歩二は日々をぼんやりと過ごしていた。
そんなある日のこと。
下校途中、俺は校門付近で何かのビラ配りに悪戦苦闘する誰かを見かけた。
「……あれは、貫前さんか?」
貫前紘音さん。
美人で、明るく優しい、俺とは真逆の完璧人間。
俺は、正直それをスルーしようと思っていた。
面倒臭いし、彼女なら俺の手なんか必要ないと思っていたから。
しかし。
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「……」
いくら彼女が魅力的でも、ビラの数が多過ぎた(後に知った事だか、複数の部活動のビラ配りを頼まれてしまったらしい。ちなみに彼女はどの部活とも無関係だ)。
この学校は、そこそこ大きく生徒の数も多いから、それぞれの部活がビラの数を多くするのは当然だったが、配る時間帯や人数を間違えているとしか思えない。
「……ま、それでも貫前さんならなんとかなるだろ」
放って置くつもりだった。
関係ないし。どうでもいい。
そう考えていた。
だが。
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「……」
「よろしくお願いします!」
「………………………ああ、もうっ!!」
結局放っておけずに、俺は貫前さんに手を貸した。
我ながら難儀だとシミジミ思いつつ、山のように詰まれたビラを配りまくる事30分。
「……やっと終わったね」
「そうだねー。
ありがとう。浪之クンみたい人がいてくれてよかった」
その時向けられた、輝くような、いや、光そのものの笑顔。
その時贈ってくれた、宝石のような、いや、星のような言葉。
ソレは、俺でさえ心から言っている事を信じられた。
ソレは、今も俺の中に色褪せる事無く存在している。
そして、そこから始まった何かは、俺の頭を凄い頻度で支配するようになっていた。
(ワン、ツーッ!)
力を入れ易いよう、心で叫びながら二発のパンチを放つ。
自分的にはかなりの速度が出ているはずだった。
しかしそのワンツーはいとも容易く軌道を読まれ、受け流された。
手にはクリーンヒットの感触は無く、ただ上滑りするような感覚しか残らない。
なんのまだまだと追撃しようとする俺だったが、 それは赤いミットにより視界を遮られ、出来なくなった。
というかミットを動かした事さえ認識できなかったんだが。
ともあれ、ミットの主である同好会メンバー・草薙紫雲は、俺の眼前のミットをゆっくり下ろしながら言った。
「今日はここまでにしようか」
「え?」
「なんか、身が入ってないみたいだから」
思いっきり見透かされていた事に少し驚く。
所謂拳で語る的なノリで伝わったのだろうか。
でも、流石に思考の内容までは伝わっていないだろう。
この間から、より強く貫前さんの事が気になって、彼女の事を考える時間が増えている事は。
「そういう時、怪我しやすいからやめとこう。文化祭も近いしね」
「う、ごめん」
「謝る事じゃないよ。僕自身の為にも安全第一を選択しただけだから」
そう言って笑みを浮かべながら、草薙はミットを外した。
……というか、片手ミットでこっちの両手攻撃を全部捌ききる辺り、本当に凄まじいなぁ草薙は。
「あと、これは前にも言ったから余計なお世話かもしれないけど」
「?」
「浪之君はスギナさんが言うように確かにむらとか無駄が多い。
でもその分、意識をしっかり集中できるようになれば……きっと今とは桁違いに強くなれるよ」
「……そうかなぁ」
「そうだよ。一意専心……覚えてて。
浪之君が本当にその意味を理解出来る様になった時は、浪之君は自分が思っているよりずっと強くなるから。
少なくとも、前に話してた番長さん位なら何とかなると思うよ」
「そうだといいんだけど。まぁ、俺なりに肝に銘じておくよ」
なんとなく、腕を組んで俺は唸ってみる。
草薙は俺とは違ってホントに真面目だから言ってる事は本気なんだろうが……。
「もしかして、最近前より気合が入ってるのは番長さんのせい?」
「んー、かもね。多分」
まぁ当たらずも遠からずだから肯定の言葉を呟く。
実際この間の衝突が原因と言えば原因だし。
それに。
「やりたい事をやれないのは、ストレス溜まるし、それに……結構、悔しいし」
「……そういう事なら、今後はもう少し実戦風味に教えようか?
なんか件の番長さんと浪之君は妙な縁があるみたいだから。用心の為にも、ね」
「……んー、分かった。なんというか、難しいとは思うけど」
あんな事は三度もないと思うが、二度あることは三度ある。
用心しておくに越した事は無い。
あと、やっぱり悔しいし、あんな思いはそう何度もしたいと思わない。
草薙の言う通り勝てるとは思わないが、何もしないというのも落ち着かない。
「やれるだけはやるさ。
文化祭の時にも役立つと思うし。
そんなわけだから時間がある時でいいから付き合ってくれるか?」
「勿論。時間が合う時だけになるけど、頑張ってみて」
「まぁ、俺は俺で頑張るけど、スギナの奴はいいのかね。
『私は所謂ハッケイって奴なら出来るわ。衝撃の打点をずらすんでしょう?』
とかのたまってあんまり練習に参加しないけど」
確かに何度か組手してアイツが恐ろしく強いのは分かっているが、こうも休んでいると文化祭当日が心配になる。
だが、そんな不安をかき消すように草薙は笑った。
「大丈夫だよ。僕も何度か彼女と手合わせけど、彼女は言うだけの力を持ってる」
「ふーん。まぁ、草薙君が言うなら大丈夫か」
「あはは、信用してくれてありがと。じゃ、そろそろ帰ろうか」
グラウンドの隅、更にその隅で組手をしていた俺達は道具を体育館の中にあるロッカー(備品は自前だがこれだけはどうにか確保した)に、ミットとグローブ、スギナが何処かで調達してきた最新のビックミットを仕舞い込み、グラウンドの端に設置された水飲み場に足を運んだ。
ちなみにスギナは用事があるとかで欠席中。
「ふぅ……そろそろ冬場なのに結構汗をかいたね」
俺が水を飲む横で汗を拭く草薙。
最近用事や美術部で忙しいらしく、着替える時間を惜しんで制服で相手してくれたのでこの寒空でも汗が出る理由としては十分だろう。
しかし、こうして汗を拭く姿を見ていると、何処か色っぽくて時々女の子の様にさえ見えるからなんとなく視線のやり場に困る。
いや、男だって分かってる筈なんだがね。
なんというか、元々中性的な顔立ちだからというのもあるが、それぐらい美形なのに、性格もよくて、腕っ節も強いなんて世の中は不公平だ。
「……どうかした?」
「あ。いや……」
なんでもない、と言おうとした瞬間、不意にスギナの顔を思い出した俺は「なんか絵になるなぁ、って思って」などと、本音を含んだ言葉を漏らす。
……って、なんでいない奴を気にしてるんだ、俺は。
「あ、うん。なんか良く分からないけど、ありがとう。
え、えーと、それはそれとして」
褒められた事に照れているらしい草薙は少し強引に話の方向を変えた。
「文化祭、スタートダッシュは遅かったけど、どうにかなりそうだよね」
「そうだなぁ」
草薙の言葉通り、我がクラスの文化祭の準備は好調だった。
回転数を上げる意味合いからさほど長い映画ではない事もあり、既に撮影は終了、現在は編集作業中で、それも終わりに近付いている。
ウェイター・ウェイトレスの衣装やレクチャーも進められ、料理はいい味を出せるようになり、純粋な喫茶店としてでも十分客を呼べそうだった。
我が武道同好会も公開組手と草薙君・スギナによる試しミット打ちを準備済みで、それなりの形になりつつあり、全体的には順風満帆。
そんな中で仮に俺の周辺において、問題があるとすれば。
「……原因はスギナさん?」
その問題である所の俺が腑抜けな理由を、校門を出て、暫し一緒に歩く中、草薙は推測し口にした。
草薙は俺達の関係をある程度理解している。
スギナが協力の際に簡単に事情を説明した事、それからの三人でいる時の空気が彼に悟らせた……とのことだ。
それもあり、彼の前でのスギナへの突っ込みは、スギナと二人だけでいる時に近いものになることがしばしばあった。
閑話休題。
「いや、違うよ。アイツと俺はいつもどおり」
正直に思ったままを口にすると、草薙は、ふぅ、と安心したっぽい息を零した。
「そっか。喧嘩でもしてるのかと思ったよ」
「それもある意味いつもだろ」
「違うんじゃない?」
「え?」
「僕は二人が言い合いしてるのは何回か見てるけど、喧嘩してるようにはあんまり見えなかったよ。
なんていうか……仲の良い猫がじゃれあってるみたいな……うん、貫前さんと守臣君みたいに」
「俺らは……あの二人とは違うよ」
あの二人は幼馴染同士の関係、あるいはそれ以上の関係として殆ど完成されているような安定感がある。
それと比べると月とスッポンというか、比べたら失礼じゃないかなと俺は思うぞ、うん。
「うーん、そうでもないと思うけど。
なんというか浪之君もスギナさんもそれぞれの前だと、凄く自然体に見えるから」
「俺はともかく、アイツは基本いつも同じだろ? 冷たくて割とバイオレンスチックだし」
実際、アイツは俺だろうが番長だろうが岡島さんだろうが対応は変わらない。
少なくとも俺はそう思っている。
「確かに、スギナさんは誰が相手でも基本のスタイルはぶれないね。
でも…君の前だと特に生き生きとしてる気がするんだ。なんとなく、なんだけどね」
そうかなぁ、と俺が首を傾げていると、いきなり何処からか歌が流れ出した。
「っとと、電話だ」
どうやら草薙の携帯の着うたらしい。
取り出すのに時間が掛かっているせいか、着うたを一番だけだが全部聞く事が出来た。
中々いい歌だ…というか、何処かで聞いた事が有る様な無い様な。
「はい、もしもし。……あ、灰路君?」
灰路というのは確か、クラスメートの艮野君の名前だったはずだ。
んで、記憶に間違いが無いなら、彼は草薙の幼馴染。
なんというか、このクラスの幼馴染含有率は正直かなり高いと思う。
直谷・高崎組、直谷一派内の草薙&艮野、そして僕が良く知る貫前・守臣組の他、数組存在している。
なんというか、その数の多さは狙って作ったんじゃないかと思える位だ。
「明日? 分かったよ。うん、はいはい」
簡単に話を済ませ、電話を切った草薙は携帯をズボンに入れ直した。
「なんか明日買い物に付き合えとかどうとかの電話だったよ」
「ふーん」
聞かれてないのに答える辺り真面目と言うか、あるいは自慢?……って男同士の買い物を自慢する奴もいないか。
それはさておいて、一つ気になったことがあった。
「ところで、さっきの着うたって、何処の誰が歌ってるんだ?」
「ああ、あれ? ちょっとオタクな久遠君経由で灰路君から教えてもらった、アニメの声優さんの新曲。
確か筑紫トクサって名前だったかな。
結構いい声と歌だったから着うたサイトからダウンロードしたんだ」
「うん、確かに歌は良かったなぁ」
感情を抑えた声でありながら強く響く声と、徐々に微かに熱を帯びていく、明るくも何処か物悲しい曲の調和が取れている、というべきか。
専門家ではないので表現下手なのは勘弁してほしいが、言いたい事は一つ。歌が良かった。それに限る。
「ただ、久遠君はちょっとどころのオタクじゃないと思うけど……」
「あはは、そうだね。
それはそれとして、あの歌に何か気になる事でもあったの?」
「いや、何処かで聞いた事が有る様な気がしたからなんとなく」
多分何かのランキングとか、コンビニとかで流れている有線放送だろう。
そう決め付けた俺は曲名を改めて教えてもらった辺りで、草薙と別れ、気の向くまま足を動かしていった。
「さて、今日はスギナもいないし、適当になんか美味しいもの食ってから帰るかな」
スギナは基本週一度、多い時は半数学校を休む事がある。
学校公認で仕事やメンテナンスに行っている……そう聞いているけど。
「アイツ、一体何やってるんだか」
というか『人間性』を学ぶとか以外にアイツの事をよく知らないような。
そんな事を考えながら車で鯛焼きを売っているおっちゃんから二個(黒あんとカスタード)を購入し、
坂道を登り見晴らしのいい高台にある公園に脚を向ける。
「……まぁ、あいつの事なんか、どうでもいいか」
街が見渡せる位置に設置されたベンチに座り、鞄を適当に投げ捨てて呟く。
スギナ。
脅迫者にして俺のある意味での本質を知るポンコツ女。
いないと静かで寂しい。それは認める。
だが、アレは所詮他人(正確に言えば他ロボ)だ。
他人が何処で何をしようとどうでもいいし、興味はない。
アイツだけじゃない。
草薙もそうだし、守臣君もそうだし、波出君も、クラスの皆も、家族も、もしかしたら貫前さんも。
「ちっ」
自分の思考に不愉快になって、思わず舌打ちを漏らした。
「スギナの言う通り、嘘吐きだよな、ホント」
気にならない、という事はない。
だが、その興味が人に比べて薄く、誰かのプライバシーだからとか傷つけるのが嫌とかで押し込めて、閉じ込めているだけだ。
『フジ君は傷つくのも傷つけられるのも怖いのね』
ずっと昔、遊んでもらった従姉妹に悲しそうに言われた言葉が脳裏を掠める。
言われた時期やシチュエーションは忘れているのに、言葉自体は子供心になんとなく頭に残っていた。
(実際そのとおりなんだよなぁ……)
溜息を吐きながら、鯛焼きを頬張った。
傷つけられるのが嫌だから、その場限りの愛想や嘘を振りまく。
傷つけるのが嫌だから、自分を抑えて誰かに合わせる。
それが俺だった。それでいいと俺は思っている。
『嘘吐き』
「嘘吐きで、何が悪いんだか」
頭に浮かぶスギナのイメージを振り払い、食を進める。
元々ネガティヴなせいか、こういう事を考えると際限なく暗くなりがちで困る。
いつもならスギナが余計な事を言って、そんな事を考える暇もないのだが。
「……ったく」
気分転換に、なんとなくさっき草薙の携帯から流れていた着うたを口ずさんでみた。
明るい曲調なのに、何処か物悲しい、不思議な曲。
しかし、曲調自体明るいのであればとりあえずOKだ。贅沢は言わない……つもりだったのだが。
「あー、フレーズが思い出せねぇ」
ちょっとは覚えたつもりだったのだが、やはり一度かそこら聞いただけでは覚えきれない。
その辺りは凡人ゆえに仕方が無い所なのだが……。
「ちょっとは所詮ちょっとなのか……? いや、そんな事はないっ」
暗めの気持ちを持ち上げようとしていたからでもあるが、元々一人になるとテンションが上がりやすい事もあり(そのせいでスギナに弱みを握られたわけなのだが)、俺はリズムを取りながら前後のフレーズを繰り返し思い出そうとした。
すると、どうだろう。次から次にメロディーが頭に流れてくるではないか。
「そうそう、これだ、これ……って?」
冷静になって気付く。
これは俺の脳内再生ではなくて、何処から普通にか流れている。
どうやら、有線とか誰かが流しているモノではなく、俺と同じく歌っている、女の子の声……かな?
「……ふむ」
いつもなら、それ以上気にすることもなかったのだろうが、今日はなんとなく好奇心が湧き上がるような、そんな気分だったので、
俺は音の聞こえる方向……落下防止の柵を沿って歩いていった。
歩いていった先にあったのは、聞き覚えのある歌を歌う少女。
それは、見覚えのある存在だった。
「スギナ?」
「…………………っ。浪之クン?」
思わず声を上げると、休んでいたのに何故か制服姿のスギナは、彼女にしては珍しい驚きの声を上げた……。
……続く。