第5話 祭りの準備もある意味祭り(後編)
「屋上かぁ……」
微かなざわつきのある職員室の隅で、渋い声を零しながら考え込んでいるのは、歩二達の担任である山本教諭。
彼の前には歩二、スギナ、紘音、浩の四人がいた。
歩二、スギナ、紘音、浩のカルテット(紘音の仕事が多いのでその補助で多く人数を割いた)は、まず最初にクライマックスシーンの屋上シーン交渉の為に担任である山本の元を訪れていたのだ。
「別に立ち入り禁止とかじゃなかったですよね」
「近々そうなる予定なんだよ。
ほれ、今までボロッちいし、汚かったから殆ど誰も立ち寄らなかっただろ?」
「あー。そう言えば」
「フェンスとかもなくて、錆出来た高めの手すり位しかなかったしな」
紘音と浩のやりとりに、担任はウンウンと頷く。
「そういうこと。
だから、文化祭の後にちゃんとしたフェンスだか金網だかに改修して、自販機なんかも設置するつもりなんだと。
そうすりゃおおっぴらに使えるようになって、来年以降の売りに出来るからな」
来年度以降の入校希望者を増やす為にも、現在の学食の混雑を無くす為にも、屋上の改修は都合が良いらしい。
なるほど、と納得する面々に対し、山本は「あとな」と言葉を続けた。
「おおっぴらには言えないが、岡島財閥の娘さんがたが通っている学校が貧相なのもどうかって意見も多くてな」
「というか、あの人達、なんでウチに通ってるんですかね?」
先日の輝代の事を思い出しながら呟く歩二に、担任は軽く肩を竦めてみせる。
「まぁ、人にはそれぞれ理由があるもんさ。なぁ?」
「そうですね」
担任の言葉にスギナが頷く。
その際微妙な視線のやり取りが合ったのだが、歩二以外は気付いた様子はなかった。
「とりあえず話は分かった。俺が校長に話をつけてみる」
『ありがとうございますっ!!』
四人揃って感謝の言葉を口にする。
ただし、スギナだけは多少抑え目かつクールだったが。
そんな四人に山本は苦笑いのような微かな笑みを浮かべ、注意事項を付け加えた。
「ただし、撮影の時はくれぐれも気をつける事。
部分部分、かなり脆い部分もあるらしいからな。
お前等の安全もそうだが、俺の老後のためにも頼むぜ」
「はい」
「了解」
「努力します」
「善処します」
冗談っぽさと同時に真剣さを感じさせる山本の言葉にそれぞれ頷いた後、歩二達は次の目的地へと向かっていった。
「じゃあ、ここから二人ずつに別れて行動しましょう。
それぞれ終わったら、あそこのマケドに集合ね。
で、最後に全員で必要道具を纏め買いして、今日は各々が保管、後日学校に持っていく」
「まぁ、その方が効率いいか。じゃあ、二人組は誰と誰に」
校内で使えそうな場所や図書室での簡単な検索を済ませた一同は、校外に出て商店街にやってきていた。
赤く染まった商店街は、夕方時のピークを過ぎ人通りが落ち着きつつある為か、周囲の音や誰かの声が必要以上によく響いている。
「提案するわ」
そんな中、浩の言葉を覆い隠すようにスギナが発言した。
……ちなみに、ピンポン、とクイズ番組の効果音付きで。
「私と守臣クンが商店街内のロケ場所の探索を、浪之クンと紘音で料理の本や細々したものの買い物をした方がいいと思うわ」
「なんで?」
「料理やらはそっちの二人の方が専門でしょ?」
「まぁ」
「それはそうだけど」
ほぼ何でも出来る……苦手な事が殆ど存在しない紘音もそうだが、両親が共働きの歩二も料理は出来る。
ちなみに、この二人が料理班に行かなかったのは、紘音が目立てないからで、歩二は人に食べさせるようなものは出来ないという自信のなさゆえだったりする。
「専門書なんかを探すのも、図書室をよく利用する浪之クンは手馴れてるし、効率としては問題ないはずよ」
「……おま、いや、スギナさん、ス」
「行動観測の結果による推理よ。ストーカーなんて言いがかりはやめてほしいわね」
「……そうですね、すみません」
「で、どうする紘音?」
「そうね。……まぁ、少しの間だし……」
「何か言った?」
「あ、ううん! なんでもない!」
問い掛けるスギナに対し、紘音は必要以上に大きな声を上げる。
そんな紘音に歩二が疑問の意志を浮かべる間もなく、彼女は歩二に呼びかけた。
「じゃあ、浪之クン行きましょうか。
……ヒー君、スギナちゃんに変な事しちゃ駄目よ」
「誰がするか。浪之、コイツには気をつけろよ。
いつ襲われるか分かったもんじゃないからな」
そんな冗談めいた言葉を交わした後、それぞれがそれぞれの役目を果たすべく、二人と二人は別れていく。
「……後日、いつもどおり私がいない間の事は細かいレポートを提出するように。
感情表現も出来る限り詳しくね」
交差する刹那、スギナが発した囁くような言葉。
それをしっかり耳に入れてしまった歩二はゲンナリした表情を浮かべたのであった。
「こんなところかな?」
皆で買う分を除いた細々した必要品、その中身を確認して俺・浪之歩二は貫前紘音さんに尋ねた。
貫前さんは満足そうに、うんうん、と頷く。
「うん、とりあえずはこれでいいんじゃない?
少なくとも一日でこれだけ揃えられたんだし……今までの遅れ、少しは挽回出来たよ」
「そうだね」
「責任も、少しは果たせたかな?」
「それは……全然大丈夫だよ、うん。
貫前さんは十分に果たしてる」
「えへへ、そう言ってくれると助かるわ。文法は変だけど」
「……勉強しておきます」
約30分で買い物をあっさり済ませた俺達は、そんな会話をしつつ待ち合わせ場所へと歩き出した。
「スギナちゃんの言ってた通り、浪之クン頼りになるなぁ」
「そう、かな」
「すぐに本は見つかるし、買い物は手早いし」
「こういう雑用事は昔から手馴れてるから。
って、自慢にはならないけどね」
「そんなことないよ。今こうして役に立ってくれてるんだし」
「ありがとう」
素直に礼を口にする俺。
スギナに散々嘘吐きだと言われている俺だが、別に好きで嘘をついているわけじゃない。
言うと嘘に聞こえそうな事とか、人を傷つけそうな言葉があるだから、言わなかったり言葉を変えたりする事が多いだけだ。
だから、そんな必要が無い時は言いたい事を素直に口にする事だってあるのだ。
それをあのポンコツは……。
「それにしても、スギナちゃん」
「え?」
考えている事を読まれたようなタイミングでのその名前の登場に、俺は思わず声を上げていた。
その間抜け声は自分の言葉への反応だと思ったのか、貫前さんは気にせずに話を進めていく。
「アタシと浪之クンのコンビが適正なのは分かるけど、余りモノタッグのあの二人は大丈夫なのかしら?」
「大丈夫だよ。……にしても余りモノは酷くない?」
「……」
「え? 何か変な事言ったかな?」
「ううん、そういうわけじゃないけど……
なんか意外と言うか……浪之クンもハッキリと言っちゃうこともあるんだねー」
「……」
迂闊だった。
なんというか、スギナの影響は自分でも思っている以上に少しずつ、それでいて大きく出始めているみたいだった。
「……アタシ達がこんな感じで話してるみたいに、あの二人も話してるのかな……」
その事に俺が多少ショックを受けていると、ポツリ、と貫前さんがそんな言葉を漏らした。
「え?」
「あ、ううん。
なんというか、浮気じゃない、えと、あの馬鹿ヒー君が変な事してないだろうかなって。
勿論その、分別とかモラル位分かってるって思うんだけどね」
そんな貫前さんの言葉に、俺は正直複雑な心中だった。
浮かべている笑顔は可愛い……でも、それは、守臣君を思っての事。
なんというか、少し胸が痛い。
買い物中、妙に急いでいたので気になっていたが……それが理由だったのか。
(しかし、アイツ何であんな提案をしたんだろ)
ふと浮かんだ疑問は、先程のスギナの提案の事。
(純粋に効率を考えての事なのかもしれないけど、実際何を考えてたんだか。
もしかして、スギナの奴、守臣君の事が好きなのか……?)
そう考えると色々と辻褄は合う気がする。
彼女が俺に気を遣っているように見えるのも、ある意味スギナ自身の為?
嘘を吐ける様になって、人間らしさを手に入れようとしているのも、もしかしたら。
(って、それはないか)
スギナが学校に来たそもそもの理由が『研究』だと聞いている。
だから、スギナが守臣君を好き……の線はなきにしもあらずだが、そのものが目的ということはないのだろう。
そうして、貫前さんと一緒にいる上にそんな事を考えていたからか。
普段周囲には気を配る(面倒事をはじめ、色々避けるため)俺には珍しく、真正面から人と衝突してしまった。
「す、すみません」
「ほう、この俺にぶつかるとは……って、貴様、この間の……!!!」
「……あ」
奇縁と言うべきなのか。
そこには少し前に遭遇、衝突した番長さんこと、田中太郎さんがいた。
「……あー覚えてらっしゃいましたか。
俺みたいな没個性の人間の事なんか忘れてくれていいのに」
冷や汗がダラダラと流れていく感覚が身体を支配する。
この人がこの間の事を忘れてないのなら、この流れはマズイ。
そんな不安を具現化させるように、番長さんはイヤーな感じに笑った。
困った事に目は笑ってない。
いや、だからこそイヤな感じの笑みなんだけど。
「そうは行くかよ。
俺様にあれだけの屈辱を与えた人間を忘れるわけがないだろう」
「いや、屈辱を与えたのは俺じゃないし……」
「言い訳するとは男らしくないぞっ!」
「ぐぅ」
「では、納得してもらった所でこの間の雪辱を晴らさせてもらうっ!!」
いや、納得してないし、屈辱・雪辱はむしろ俺なんだけど……
と言いたかったのだが、多分無駄なんだろうなぁと思い、諦めた。
しかし諦めたのは目の前の人物に道理を説く事と、俺の事の二つだけだ。
「何、この天然記念人間」
この状況を見て、いぶかしげに、それでいて何処か楽しそうに呟く貫前さん。
そんな彼女に、スギナに対する時とは違い、若干聞こえ易い声のボリュームで……震えそうになる声音をどうにか整えながら俺は言った。
「……貫前さん、とりあえず何処かに行ってて下さい。
この人は俺が狙いっぽいですから」
実際、無関係の人間……特に貫前さんを巻き込むわけにはいかない。
ぶっちゃけ面倒臭いことこの上ないのだが、他人を巻き込む方が俺的な面倒度数は上がるのだから止むを得ないと言うところだろう。
しかし、こんな漫画じみた台詞を言う羽目になるとはおもわなんだ。
「ん? この間のロボッ娘に助けてもらったように、今度はその子に助けてもらうのか?」
どうやら、小声会話をそういう意味に取ったらしい。
「何処までも弱く、何処までも臆病者で卑怯者だな、はっはっは」
「……」
そんな番長さんの嘲笑に俺が何も言えずにいると。
「ちょっと、貴方!!」
俺の代わりにと言わんばかりに、貫前さんが大きな声を上げた。
「事情はよく知らないけど、人には得手不得手があるんだからねっ!!
浪之クンはね、ちょっとひょろっちいかもしれないけど、人への気配りとか、真面目さとか、そういうのが良い所なのよっ!
貴方みたいに基本暴力にしか頼れないっぽい人とは違うんだから!!」
「貫前さん……」
貫前さんの怒りの篭った言葉に、俺の胸が、心が熱くなる。
そう、こういう事を言ってくれるから、本気で語ってくれるから、俺は……。
と、そんな思考の最中、身体にいきなり衝撃が走った。
「っ!?」
驚く間も殆ど無く、俺は近くの壁に叩きつけられていた。
腹の痛みから、どうやらこないだみたいに殴り飛ばされたらしい。
「けほっ! ごほっ!!」
気付けば咳き込んで地面に座り込んでいるという無様さ……しかし、そんな無様さを気にしている場合ではなかった。
「貫…ゴホッ……前、さん……っ」
「浪之クンっ!!」
「はははっ! だらしないなぁ。確かにひょろっちいよ、お前」
「……っ!」
「じゃあ、今度はこっちのお嬢さんをボコってから、ぬふふ、お楽しみと行くか」
「や、やめっ……!!」
貫前さんに向かって番長が手を伸ばすのを目の当たりにしながら、俺が声を上げることしかできずにいた……その時。
「ぬっ!?」
振り上げた番長の腕を掴む、太い腕が視界に入った。
「っとと、危ない危ない」
「ヒー君!」
「スギナ……!」
現れたのは、雑用その他を終えたらしい二人。
他でもないスギナと守臣君が、貫前さんを守るように番長の前に立ち塞がっていた。
「だらしないわね。相変わらず」
「……」
実際クールなスギナの言葉どおりなので言葉も無い。
それでも、貫前さんに何事も無くて、俺は安心した。
それが守臣君のお陰だとしても。
「ぬ、貴様……って、ロボッ娘もいるぅぅぅぅぅぅぅっ!!??」
あ、こないだの事がトラウマになってる。
ガタガタ震えまくっている番長さんに、守臣君は掴んだ腕を捻りながら呆れ果てた調子で笑い掛けた。
「おいおい、アンタ。
なんで震えてるかは知らないが、それ以前に腕力的な弱いものいじめなんて番長として恥ずかしくないのか?」
「な?! ぐおおおおおっ!」
守臣君の握力・腕力は凄まじいものらしく、自分の腕より一回り太い番長の腕を赤子の手を捻るように捻っている。
「全くね。
そんなんだから駄目なのよ……エグリゴリ第1巻新刊予約さん?」
小声で微妙に脅迫するスギナも流石である。
というか外道。
「今日はこのぐらいにして帰ったらどうだ?」
「そうね。恥をかかずに済むわよ?」
「ぐ、う、っ……畜生っ!! 今日の所はこの位にしてやるぅぅぅぅ!!!」
二人がかりの脅しが効いたのか、守臣君が手を離すと番長さんはあっという間に逃げていった。
まさに脱兎の如く、というかゴキブリだなアレ。
長いガクランが羽に見えるし。
「おおーゴキブリなチンピラだな」
「確かに、番長というよりチンピラなゴキブリだわ」
「うん、ゴキブリのチンピラね……ふぅー」
番長さんが去ったのを確認して安心したのか、貫前さんは長く息を吐き出した。
その息の長さは、俺の無力さの大きさと同じのような、そんな気がした。
「……ごめん、貫前さん……俺、何の役にも立てなくて、それどころか俺関係の因縁なのに……」
言うべきかどうか悩んだが、というか、自分自身のかっこ悪さを決定付けるようで言いたくは無かったけど、俺は言わずにはいられなかった。
言わない事の方が辛かったから。
どうにか立ち上がっても視線は地面気味な、そんな情けない俺に貫前さんは苦笑い、というより困ったような笑顔を浮かべた。
「何言ってるの、浪之クンはちょっとぶつかっただけじゃない。
わざとでもないんだし、全然悪くないわよ」
「そうだって。
悪いのは向こうなんだし、浪之が気にするこたぁないだろ」
貫前さんの言葉を、守臣君が肯定する。
彼の言葉や表情は貫前さんと同じ優しいもの……少なくとも俺にはそう感じられた。
「い、いや、元々あの人と俺に因縁があったから……」
そんな優しさに触れて、申し訳なさが最高潮に達した俺は慌てて改めて謝ろうとする。
だが、そんな俺の言葉を、貫前さんの綺麗な声音が優しく強く抑え付けた。
「その因縁にしたって、浪之クンが悪さしたわけじゃないんでしょ?
というか、そんなん絶対無いし。
だったら、絶対謝る必要なんかないんだから」
「というか、コイツ割と腕力あるんだし放っておいても大丈夫……いたたたたっ!?」
「アンタには、か弱い女の子を守ろうって気は無いわけ……?」
「何処がか弱いか疑問ね」
三人のそんなやりとりを見ながら、俺は胸の奥が痛むのを感じていた。
貫前さんと守臣君は出会って数ヶ月の『普段の俺』を信頼してくれている。
この二人は俺なんかと違ってただ純粋に優しく、素直に誰かを信じる事が出来る。
そして、そんな二人だからこそ、幼馴染である互いの信頼関係は俺に対するものなんかとは桁違いなんだろうな、と感じさせられた。
入る隙間なんか、何処にもない。
というか、助けられもしなかったくせにこんな不埒な事を考えている自分に腹が立つ。
こんな自分だから、嘘を吐きたくもなるんだ……。
「……見せ場は作れなかったみたいね」
「別にいいんだよ、スギナ」
作れるはずなんかない。
作った所で何かが変わる筈もない。
「浪之クンにしては頑張ったのにね」
「スギナ?」
「なんでもないわよ。……ほら、紘音が何か言いたそうにしてるわよ」
「え?」
何処か少し不機嫌そうな顔で言いながら、
スギナは守臣君を折檻し終えた(守臣君は白目向いてノックアウト中)貫前さんの背中を押して、俺に向き合わせた。
貫前さんは、頬を掻いてから少し顔を赤らめながら、俺に淡く笑いかけてくれた。
「……ありがと浪之クン、守ろうとしてくれて」
分かっている。
こんなに情けない俺にさえ、笑いかけてくれるこの人は、俺には相応しくない。
そんなこと、分かりきっていた。
そして、思い出す。
こんな貫前さんだからこそ、俺は好きになったのだと。
……続く。