第3話 原因と結果と、その先……というか今







 浪之歩二は、一般的に見て一般人である。
 真面目で、どちらかと言えば表向きには善人に傾いている、基本なんら問題のない人間だ。
 そんな彼だが、いつも『そういう人間』と言うわけではない。
 人には見せない、見せる必要のない顔を持っている。
 正確に言えば、それは顔ですらない。顔を形作るのには少し足りないパーツの欠片だ。
 だが、それが時に完全な顔になる事がある。
 足りないパーツを埋めるのは、普段にはない感情や思考。
 その時、歩二のパーツを埋めたのは『魔がさす』という非日常だった。

「……ふぅぅぅぅっ……!」

『現在』から遡る事数ヶ月。
 その日、歩二は溢れ出す感情(怒)を息として吐き出しながら校舎裏の掃除をしていた。
 理由は掃除当番だから……というわけではなく。
 たまたま落ちていた空き缶を拾い上げた(帰る途中に通り掛る空き缶捨てに捨てようと思っていた)所を教頭に見かけられ、ゴミをその辺りにポイ捨てしようとしていたと一方的に勘違いされ、罰としてこの辺り一帯の掃除をするよう申し付けられたのである。

「……なんで俺が。何で俺が。関係ないじゃんか……」

 周囲には誰もいない。
 その為、歩二は思う存分息では収まらなかった愚痴を吐きながら、掃除を続けた。

「うぜぇ。ドイツもコイツもうぜぇ。面倒臭ぇ。かったりぃ」

 ブツブツ呟きながらも、しっかり作業しているのは、基本的な外面ゆえか。
 途中箒を振り回したり、ギター代わりにしたり、若干危険な歌詞の歌を熱唱しつつも、猫被りか純粋な真面目さか、いずれにせよ掃除は少しずつ進展していく。
 ともあれ、歩二は遠目から見たら極めて真面目に掃除を続け、約30分後に終わらせた。

「……ふぅぅぅぅっ……!」

 辺りはすっかり綺麗になっているが、それに反比例して歩二のイライラは高まり、終了時現在彼の怒りはクライマックスだった。

「っ! っ!」

 ふしゅうう……と獣っぽい息を吐きながら、歩二は辺りを見渡し、怒りをぶつけられそうなモノを探し……そして、発見した。

「丁度いい……アンタ、生贄な……」

 そこにあったのは、この学校の初代校長の銅像。
 元々目立つ場所にあったのだが、繰り返される学校の改装・改築に伴い様々な場所に追いやられ、最終的にこんな目立たない場所に移されてしまったという経緯があるのだが、普段ならいざ知らず、今の歩二にはどうでもいい事だった。

「くらえ、チェストォォォォォォッ!!」

 どうせ自分の手が痛くなるだけ。
 そんな考えの下だったのだろう歩二が放った跳躍手刀は……初代校長の首を思いっきり刈っていた。

「えっ?」

 ゴトッ。

 数瞬後。 
 重いものが地面に落ちる音が辺りに……というか、歩二の耳に響き渡った。

「……」

 本当の危機に陥った瞬間、人は言葉を失う。
 そして、時間の経過と共にパニックに陥るのが普通の人間だ。
 当然、基本普通の歩二もまた、その流れに沿い、風が何回か通り過ぎる程度の時間を経て、パニックというなの精神内的地獄へと到着した。

「ォォォォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおっ!? 
 え、マジ?! どうして!? 
 俺の手刀ってそんな切れ味あったっけ?! 
 じゃなくて、これど、どうするよっ!?」

 結構重い首を持って右往左往する姿はテレビだとコントだが、現実に我が身に降りかかれば悲劇以外の何者でもなかった。

「よし、落ち着け俺。とりあえず、元の場所に戻そう。
 それで安定するようであれば、とりあえず今日は帰ろう。
 それで、帰ってから方策を考えよう」

 あわよくば、それであと約二年間誤魔化せるかも……
 そんな事を思考していたのが丸分かりの悪っぽい笑みと共に銅像によじ登った歩二が、フルフル震える手で元あった場所に首をセットしようとしていた時だった。

「……見ちゃった」 

 あってはならない、というか、あってほしくなかった第三者の声に、歩二の動きが硬直する。
 その拍子に、ゴト、と初代校長の首が再び地面に落ちた。 
 ギ、ギ、ギ、と、電池切れなロボットの玩具のような如何にも限界そうな動きで顔を動かした先には、クラスメートである……この時はさして関わり合いが無かった……ロボット・スギナがいた。

「どどどどど、何処から?」
「実は最初から。面白そうだなって思って。
 浪之君って、結構チンピラな言葉遣いをするのね」
「……………………………」
「普段はしないような事も一人きりだとやっちゃうのね。
 ただの真面目な人だと思ってたけど」
「……………………………」
「普段の貴方は、猫被り? あるいは嘘吐き?」
「……べ、べっべべべべ、別に嘘ってわけじゃないよ。猫被り、は微妙かもだけど」
「ところで、首を戻せたらあわよくばしらばっくれようと思ってなかった?」
「…………………………………な、何の事かな」
「嘘吐きじゃない、やっぱり。貴方の心拍数からよく分かるわ」
「………」

 終わった。
 別にスギナは何も言っていないのに、歩二はそう思ったかのようにガックリ地面に崩れ落ちた。
 頭の中にはドナドナが流れ、何処かに連れて行かれる囚人服の自分というありきたりなイメージがあるに違いない。
 
 しかし、ここで歩二にとっては全く予想外の展開が起こる。

「ふむ、興味深いわ」
「はい?」

 顔を上げた歩二を他所に、うんうん、と頷きながらスギナは続けた。

「教室では真面目で、一人の時は違った顔を持つ浪之歩二。
 研究対象として丁度良いわ」
「な、何の……?」 
「ねぇ、私と取引しない?」
「と、取引?」

 頭の中はそれどころではないのだろう。
 視線は初代校長の頭とスギナを往復している。

「この取引を成立させるのなら、手刀による校長首狩り事件は黙っていてあげる。
 というか、この銅像、こっち全負担でコッソリ直してあげてもいいわ」
「え?!」
「さぁ、どうかしら?」

 この時点で取引の内容について何も語っていない上、約束を守る保障なんか何処にもないのだが、それでも歩二にしてみれば選択の余地がない。
 普段真面目すぎるがゆえに、日常から足を踏み外すのを恐れたのだろう歩二は、彼にしては素早く決断した。

「分かった、取引する」

 それが今までの彼からすれば非日常に分類される、現在の歩二とスギナの関係の始まりだった。
 








「……あの時、なんであんな事したんだろうなぁ」

 たまたまスギナと登校が一緒になったその日。
 いつものようにスギナに色々弄られた歩二は『契約の日』の事を思い返し、何処までも深い息を吐いた。

「それが『魔がさす』という事なのよ。いい加減諦めなさい」

 あの時交わした『契約』。
 それは基本的にいつもどおり生活し、その内容を定期的に歩二立会いの下、分析させる事だった。
 その際、スギナと二人の時は基本的に嘘を吐かず、猫を被らない事もセットになっている。
 最初の内は遠慮や建前を理由に全てを出し切れずにいた歩二だったが、毎日のように続くいびりと本性引き出しに根負けし、学校や夏休みの間のイベントの数々(紘音や浩に誘われて夏祭りなどへの参加)を経て、現在では家族にさえあまり見せない一面をスギナに見せるようになっていた。

「諦められたら苦労するか、ポンコツ」

 それだけならまだよかったのだろうが、嘘を吐かない事を上手く利用され、現在歩二は基本他人に語らない事の殆どをスギナに知られてしまっていた。
 クラスメート達への本音、女の子の好み(極端じゃない巨乳、腰のくびれ、黒髪、長髪などなどの嗜好)、実はたまに煙草を吸っている事や、ブログを書いている事、学校に隠れてたまにバイトをしている事、そして好きな女の子まで。

「お前が秘密を漏らさないってのは、まぁ、分かってるけど。
 というか、むしろばらさない事で一生搾取しようとか考えてるんだろうけどさ」
「貴方にしては的確な指摘ね。で?」

 スギナが話の先を促すと、歩二は渋面で続けた。

「頼むから、貫前さんと守臣君には余計な事何も言うなよ? 
 言ったら相打ちになってでもお前を破壊してやるからな」
「まぁ、怖い(棒読み)。
 どうせ出来ないくせに……というかしないから、また嘘カウント1ね」
「……せめて虚勢って言ってくれ。
 後、どうでもいいが、いちいちカウントしなくてもいいだろうが。うざったい」
「クスクス、相変わらずの小物っぷりね」
「てめぇ……い」

 いい加減にしろ、と言いそうになった瞬間。

「おっはよー、浪之クン、スギナちゃん」
「よう」

 貫前紘音と守臣浩の幼馴染コンビが現れた。
 この二人はフィクションの幼馴染のように毎朝起こし合ったりして一緒に登校してくる。

「か、っ、げ、ん……おはよう、貫前さん、守臣君」
「どうした? なんか一瞬凄い顔してた気がしたが」
「あはは、気のせいだよ、気のせい」
「……クスクス」
「……にゃろう」
「二人って、なんかよく一緒にいるね。仲良いの?」
「っ」

 その時の歩二の心情を、スギナは手に取るように理解できた。
 否定はしたいが、真っ向否定は恥ずかしいし、スギナを傷つけるかもしれない(別にどうでもいいと思いたいが一般道徳的な意味で避けたい)。
 だとすれば、どう答えるのかベストか。
 思考の果てに、歩二は若干顔を引き攣らせつつ、言った。

「……仲良くしたいとは思ってるんだけど。友達として」
「そうなんだぁ」
「スギナはどうなんだ?」

 興味があるのか、浩は楽しげに尋ねた。

「仲良くする事に異存はないわ。
 彼が私にとって利用価値のある存在なら尚更ね。友達かどうかは知らないけど」
「またまた照れちゃって」
「というか、仲良くする事に異存ないなら、友達じゃね?」
「そうそう。ヒー君の言う通りだとアタシも思うよ」

 紘音は、ニヒヒ、と笑いながら両腕をスギナと歩二の首に絡ませた。
 歩二は驚きと困惑と大っぴらには出来ない喜び(紘音とのスキンシップ)に顔を赤らめる。

「だ、だったらいいんだけど……」
「……フン」

 スギナは不機嫌そう……には微妙に聞こえない鼻息には強く、言葉というには弱い感情を零す。

「お、なんか珍しいな、基本クールなスギナがそんな顔するの」
「うるさいわね。放っておいて」

 浩の言葉に、歩二と同時に紘音から解放されたスギナは不機嫌さをそのままにそっぽを向いた。

「スギナ? お前……」 
「ところで、浪之クン」

 スギナに対し、いつものように小声で何か言おうとした歩二だったが、それは紘音によって遮られた。

「今日のホームルームの議題覚えてる?」
「おい。お前曲がりなりにも学級委員の片割れだろ」
「うるさいなぁ。ヒー君は黙っててよ。忘れる時だってあるわよ。ねぇ?」
「あ、ああ、うん。あると思うよ。俺だっていくらでも忘れるし」
「へぇ、浪之もそんな事あるのかよ」
「当たり前じゃない、浪之クンだって人間なんだから」
「ははは……」
「それより、議題、教えてくれないかな? この通りっ!」
「いやいや、そんなしなくても教えるよ」

 スギナ以外に見せる対応・態度……これは確かに多少なりともだが猫被りではある。
 しかし、これが基本的な浪之歩二の生活スタイルである以上、文句を言われる筋合いもなければ変えるつもりもない……そこに関しては歩二とスギナと数少ない共通見解だった。
 スギナ曰く「嘘を吐かない浪之クンは浪之クンじゃないんじゃない?」とのことらしい。

「ああ、そうだった。今日の議題はね……」

 ともあれ、紘音に対しては顔を緩めながら、歩二は今日の議題を口にした。








……続く。










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