第2話 おかしな二人のおかしな関係・後編
無駄に騒がしいホームルームから掃除やらで1時間ほど経ち。
皆が下校した後の教室には、ただ一人を除いて誰もいなくなっていた。
その一人とは……差し込む日光を浴びて、作られた体の部分部分が反射による光沢を放っているロボット・スギナ。
彼女は自分の席じゃない……窓際の歩二の席に座っていた。
視線はぼんやり窓の外を眺め、その口は少し小さく何かの歌を口ずさんでいる。
「……何処に行ってたんだよ。探したぞ。
つーか何歌ってんだよ」
スギナが響いた声に顔を上げると、自分の方に向かって歩いてくる歩二が視界に写った。
自身の中で響くカメラ(青い眼)のモード切替の作動音を聞きながら、スギナは口を開いた。
「借りていた本を返すのを忘れていたから図書室に。
悪かったわね、手間を取らせて。
あと、暇潰しに歌位歌っていいじゃない」
「別に大した手間じゃないし、人に迷惑掛けない限り歌うのは自由だからどうでもいいがな。
それでも、約束を持ち掛けた方が規定の場所からいなくなるのはどうよ?」
歩二の口調は、通常の、クラスメートに向けるものとは違う、荒々しい……とまでは言えないが、若干荒っぽいものになっていた。
それが、彼女と交わした『契約』の一環であるがゆえに。
「悪かったわね」
「ったく、二人して教室で待ってれば手っ取り早いじゃねぇか」
「前にも言ってなかったかしら。
私としては貴方に気を使ってるつもりだったんだけど?」
「何のことだ?」
「紘音に私と二人きりになっているのを見られたくはないでしょう。
どちらかが一旦教室から離れれば、下手な勘繰りの可能性をを避けられる……。
いくら私がロボットと言っても、外見が女性である以上色々邪推できるから。
まぁ、紘音はそんな『邪』はないでしょうけど、念の為にね」
「どうでもいいだろ。
その時はなんとでもなる。
……って、それだったら学校じゃない別の場所で会う方がよくないか?
その方が、その、なんだ、二人きりの場面を見られずに済む可能性が高くなりそうだし」
「甘いわね。
確かに、それはその通りだけど、その可能性を越えて他の場所で見られたら言い訳も通り難くなるわ」
「屁理屈臭くないか?」
「それはそっちも同じ事。……そんなに私といるのが嫌なの?」
「死ぬほど面倒臭いが……別に死ぬほど嫌なわけじゃない」
「そう」
「んな事はどうでもいい。さっさと話を進めろ」
「そうね。じゃあ、今日の確認をさせてもらうわね」
「はいはい」
「はいは1回」
「お前は保護者か」
「言われる貴方が子供なのよ」
「余計なお世話だ。いいから進めてくれ、時間が惜しい」
うんざりした表情を隠す事をせず、
隠す事が面倒くさいとばかりの言葉を吐き捨てる歩二。
それに応える形で、スギナは話を進めようと口を開いた。
「午前中、人との会話において貴方が発した言葉は102回。その内、内容確認が必要な文脈は30回」
「……」
「まず、草薙サンとの会話。
私についての暴言を隠したので確認するまでもなくカウント1」
「ちょ……お前、見てたのか?」
「たまたま見掛けただけよ」
「お前、ス」
「確証もないのにストーカー呼ばわりは失礼よ」
「速っ!?」
「浪之クンの思考を読むのは簡単よ。不毛だから話を進めるわ。
次にその後の草薙サンとの会話中に出てきたドラマの視聴について。
物語の展開について納得いくものかどうか。
満足そうな彼に対し、貴方は同意した……実際はどう思ってた?」
「……同意について嘘はない。
ただ、納得できない部分が4割あったから、草薙君に言ったほど同意していない、と思う。
あんまりにも王道過ぎるし、ご都合に頼りすぎだったからな。
いや、実際あの距離間に合うわけないじゃん。瞬間移動でも使ってるのかってーの」
「ふむ。その辺りは私も興味深いけど、後回し。次に……」
そんな質疑応答を繰り返す事10分。
「データ収集完了。同時に計算開始……計算終了、結果出力」
カシャカシャチーンっ!とアニメっぽい効果音が鳴るのに、歩二は苦笑いを浮かべた。
「相変わらずだな、それ」
「……こういう効果音割と好きだから。生活にはこういう潤いが必要でしょ」
「いや、これ潤いか? 違うとは言わんがなんか少し違う気が……」
「今日の貴方の偽りは56%」
「スルーかよ。相変わらず容赦も躊躇いもないな」
「大したものね、普通にお喋りしているだけで嘘が半分以上とは。
あえて称号を与えるなら嘘吐き大魔神かしら」
「……大魔神は何処から出てきたんだ」
「それだけ重度の嘘吐きって事よ」
「せめて大魔王にしないか?」
「それだと無駄に派手になるじゃない。貴方には相応しくないわ」
「そっちにしてくれよ。個人的に少しはマシだから。
……なぁ、それはそれとして前から思ってたんだが」
「なに?」
「人と付き合うための世辞とか、調子合わせも嘘にカウントするのはおかしくないか?
そも、それ無くしたら人間社会は廻らんと思うし」
少し顔を顰めながら歩二は腕を組み、首を傾げた。
スギナはそんな歩二の顔の動きや心拍数などを事細かに観察する。
そうしつつ、少し冷たそうな、彼女にとっては基本的な表情を歩二に向けた。
「おかしくないわ。
私はどういう状況でそういう微妙な誤差……
嘘が生まれるのかのデータを収集しているのだから」
「うーん、ま、そういうもんか」
「……また嘘をついたわね」
「なっ!?」
「本当は納得していないくせに。
息をするようにさらりと嘘をついて。さすが超魔神」
「ランクアップしてるっ!?」
「全く。そんなんだから、本当に言いたい事も言えないんでしょうに」
「……ッ」
「それでいいとでも……」
「うるさい、黙れ」
若干強めの言葉を吐き捨てスギナにぶつける歩二。
……だったが、即座に渋い顔で謝罪を口にした。
「悪い。今のは俺が悪かった。
……駄目だな、俺は。嘘をついている事をつつかれて逆切れとは」
「ええ。駄目ね。駄目駄目ね。
どれくらい駄目かって言うと、
超大作と期待されたゲームに致命的なバグがあって、超絶盛り上がった所で進行できなくなる位駄目だわ」
「そ、それはとんでもない駄目っぷりだな。反論は出来んが」
「まぁ、でも、謝れるのならまだ救いはあるわね。
そういうゲームも回収して謝罪キッチリできればいいわけだし」
フッ、と微かに……パッと見では分からない程度、スギナは表情を緩めた。
「もっとも、謝ればいいと思ってる節があるのはいただけないけど」
「いちいちやかましいんだよ、スギナは」
「反省の色がないわね。このチキン」
「誰にも腰抜けなんて言わせねぇっ!! って、こんなネタ知ってる人いるのか?」
「知ってるでしょ、有名な映画だし。というか誰に聞かせる気なのよ」
漫才というには毒々しく、喧嘩というにはやや弱い。
これがこの二人の日常だった。
「あのさ」
「なに?」
日課を終了し二人して下校する途中。裏門への道の途中で歩二は声を上げた。
「お前、あとどれくらいで満足するわけ?」
「さぁ?」
「さぁ、っておい」
「嘘なんて曖昧なもの検証に必要なデータの量がどの程度なんか分かるわけないじゃない。
なんにせよ、それまでは貴方は私のシモベ的なノリのまま」
「……俺、時々お前がロボットである事が疑わしくなるよ」
「差別ね」
「差別違うだろ」
「そんなに疑わしいなら、ちょっとその辺の物陰にでも行って確かめる?」
「は?」
「鈍いわね。
服でも脱いで全部見せてあげようか、って言ってるのよ。
余す所なく、全てをね」
「はへにゃっ!?」
「変な声上げちゃって、馬鹿じゃないの?」
「……」
「そもそも、私の身体は純粋なヒューマノイドタイプじゃないわ。
脱いだ所でボディースーツ&マネキンっぽい素体が出てくるだけよ、このムッツリ」
「ぐ……お、お前、やっぱりロボットじゃないだろ。
そんなに人間臭いからかいが出来るのがロボットのわけあるかっ!」
憤りのあまり、拳をわなつかせる歩二。
「きゃー。襲われるー。誰か助けてー」(棒読み)
「誰が襲うかっ!!」
「本当に襲わないの?……クスクス、勿体無い。
素体はともかく、一応それなりの機能は持たせてるのに。
どうせ、人権があるってっても本当の人間様には敵わないんだから、別に襲ってもいいのよ。
……貴方が良ければ、だけどね」
「だ、誰がするかっ!! ったく、馬鹿にするなよ。
性欲ぐらい自分でコントロールするわいっ」
「ま、性欲ですって。これだから有機生命体は」
「お、お前なぁ」
「きゃー。襲われ……」
『襲われるぅっ!! 誰か助けてぇぇぇえっ!!?』
スギナの棒読み悲鳴を覆い隠す、本当の悲鳴。
唐突に響いたソレに、二人は思わず顔を見合わせた。
「なんだろ」
「なにかしら」
「……ったく、行ってみるか」
「本音は?」
「どうでもいい。関わりたくもない。
でも、後からそれで文句をつけられるともっと面倒だろ」
「……また、嘘を吐いて。正直に『後味が悪い』って言えばいいのに」
「俺がそんな人間なわけないだろ。知っての通り、マジで面倒ごとが嫌いなだけだ」
吐き捨てるように言った後、歩二は悲鳴のした方に駆け出した。
「やれやれ」
そう言って肩を竦めた後、スギナもまた声のした方……否、歩二の後を追った。
そこは二人が歩いていた場所から遠くない、校舎の裏庭。
なんというか、ある意味でお約束な光景がそこには展開されていた。
「誰か、来て下さい〜!」
「ふっふ、騒いだって無駄だ。
俺に恐れをなして、誰も来やしねぇ。
なんせ、ここにいるのはこの学校の番長様だからな。さぁ一緒に茶にでも行こうかぁ」
「近寄らないでケダモノぉっ!」
「な、なにぃっ!?」
一人は長い黒髪を首を振る度に大きく揺らす女生徒。
慌てているが、彼女の動きには独特の…品を感じさせるような動きがあった。
もう一人は時代からずれているような番長スタイルのがっしりとした体格の男。
ちなみに髪型はご丁寧にリーゼントである。
「……ふむふむ」
「…ぬぅ」
歩二とスギナは、そんな状況を茂みから顔一つ分出して覗き込んでいた。
「男は……噂の今時珍しい番長さんだな。確か三年の田中太郎」
「そうね、極めてシンプルな名前と共に、悪役風味な外見と、チンピラ風味の内面を持つと言う意味ではその珍しさは天然記念物クラスだわ。
今時の漫画とかアニメは逆に男前過ぎる番長が多いのに」
「何でそんな事を知って……まぁ、いい。
あっちの女の子は確か……一年の有名人だったよな」
「データ解析完了。女子生徒は1ーAの岡島輝代(おかじま てるよ)。
岡島財閥トップの娘たる三姉妹の末妹。
ちなみに三姉妹はそれぞれ1、2、3学年に所属。
彼女は三姉妹の中でも特に問題児で、
極めて被害妄想が激しく、かつ自己中心的な面があり、その事による被害者多数」
「あー、なるほど。それであの事態か」
自信過剰な番長と被害妄想のお嬢様。
その組み合わせの妙もあって、事態が悪化の一途を辿っているのだろう。
「というか、見かけた人達皆あの二人に関わりたくないんだろうなぁ」
「でしょうね」
今時番長という存在は希少である。
彼の番長という自称が通っているのは、皆番長とかどうでもいいと思っているからに他ならない。
しかしどうでもいいとは言え、番長は番長。
昔ながらのイメージの番長(この場合不良と言い換えても可)なら、基本ロクな事はしないだろう。
お嬢様はお嬢様で、ある意味でステレオタイプなら性格悪いを地で行くに違いないし、実際自己中&被害妄想の重ね業を持っているのであれば、避けて通りたいと思うのが当たり前だ。
「なんというか、この学校変人ばっかだな」
「この街自体が変人の巣窟だから仕方ないじゃない」
この街・平赤羽市は、元々極普通の地味目な街だった。
だったのだが、このままでは廃れてしまうという危機感を持った地元住民が、とある学術的な発見をキッカケに、発展の為に様々な人間を誘引する様な施設・娯楽・観光名所を作りまくった事で、多くの人間達が集まる街となった。
だが、その結果、極めて濃い人間達も多く集まってしまい、いまや平赤羽市は日本でも屈指のカオスな街となってしまったのである。
そうなるまでには色々な事が(少なくともかなりの出資者が必要な筈)あったらしいが、
歩二を始めとする『子供達』の大半は、その辺りの事をよく知らなかった。
ともあれ、血は水よりも濃いというべきか、朱に交われば赤くなると言うべきか、
この街の住人達もまた濃い人間になっているのが現状である。
「……貴方もその一人とか言わないのか?」
「貴方は嘘吐きだけど、変人というレベルには達してないわ。
色々な意味で馬鹿なのは確かだけどね。で、どうするの?」
「……うーん。冷静に考えればスルーがベストなんだろうけど。
嫌がってる以上、助けるのが道理だよなぁ」
「私は一般的な道理が聞きたいわけじゃないわ。貴方の意見が聞きたいの」
「……う。あー、その、なんだ。
正直に言えば……そりゃあ、俺としちゃとっとと逃げたいよ。面倒臭いし」
「なら、そうすればいいじゃない。別にそうしても私は何も言わないし、他言もしないわ」
「……ぐ。なんかそういう物言いを聞くとなぁ。意地でも助けたくなってくるよ」
「見栄っ張り」
「うるせ。……それに助けたい気持ちも嘘ってわけじゃないしな」
「やれやれ。つまり、助けるっていう事でOKね?」
「ああ」
「分かったわ」
ニヤリ、と笑うスギナ。
「舐めたまねしやがってぇ! この俺、浪之歩二が相手だ!!」
次の瞬間、スギナの口から出たのは、歩二の声そのもの。
ロボットである彼女にしてみれば声帯模写(デジタル)などお手の物なのだ。
「ちょ、スギナっ!?」
「状況にもよるけど私と二人でいる時は嘘を吐かない。
それが契約よ。言った以上通してもらうわ」
「こ、こういう場合も適用されるのかよ?!」
「勿論。むしろこういう状況の時の為の契約だったりするのよ。
危機的状況こそ、人間の本質が浮き彫りになるものだし」
「は、はめられた?! というか、助けるプランを考えてからのつもりだったのにっ?!」
「また建前? どうせ、考えている間に事態が動けばいいとか考えてたくせに」
「うっ」
図星を突かれて歩二は呻いた。
実際、面倒事を避けるに越した事はないとそう思っていたのは事実だった。
間に合うのならしっかりプランを作ってから助けようと思っていたのも事実だが。
「おい、こら、なんだぁl!? 文句でもあるのかぁ!!?」
茂みの中でまごついていると、番長は辺りに石を投げまくり始めた。
このままでは普通にヤバイ。
「さぁ、これで逃げられないわ。ふぁいと♪」
「し、白々しい事この上ねぇぇぇっ!!」
この状況、歩二的には避けたいがどうあっても避けられないらしい。
覚悟を決めた……わけではないが、
どうしようもない諦観から歩二は茂みから立ち上がり、二人の間に進み出た。
どうせ出るのならしっかり庇おうと歩二なりに女の子を背中に隠しているつもりだったりする。
「あー、えー、その。
こんなに嫌がってるんですし、やめてあげたらいかがでしょうか?」
「ほほう? この番長様に意見するとは中々勇敢な奴だな」
「はぁ……」
「しかし、俺様に意見するとは言語道断!」
「えと、け、結局どっちなんですかね?」
「なにがだ?」
「勇敢か、言語道断か」
「そんな事を尋ねた時点で万死に値するっ!!
というわけで、ココで死ねぃっ!!」
「ぬううっ?! 状況悪化?!! くっそ、こうなったら」
ワキワキ、と両手の指をわなつかせる番長を前に、愚痴めいた覚悟を口にした歩二は紫雲に習っているとおりに構えた。
歩二、紫雲、スギナで構成される同好会の正体……実は武道同好会だったりする。
問題は、その同好会はスギナが歩二との『会話』の口実(口実の説得力の為に招いた紫雲は、同好会を作りたい、とスギナが述べると無条件に人数あわせでいいならと参加した)の為に設立した半分位しか中身がないものなのだが。
それでもたまには活動をしないと生徒会に睨まれるという事で紫雲に協力願い、週に1、2回位で彼らは活動している。
そんなわけで、歩二はそこらの素人よりは格闘に慣れているのだが……。
「……そのガクガクの足、なんとかならない?」
「うるさいなぁ! 実践は始めてなんだよ」
茂みから顔だけ出しているスギナの指摘どおり、
歩二の足は生まれたての小鹿の方が立派と言う位ガクガクしまくっていた。
「ふむ。緊張を解す意味で一つ教えてあげる。
身体能力を数値化した上での浪之クンの勝率は30%よ」
「おおう、思いの他低くない?! なら……」
その言葉を支えに、足の震えの6割を押さえ込んだ歩二は今度こそ覚悟を決めて殴り掛かった。
だが、しかし。
「ふんぬっ!」
「はぶべらっ!?」
次の瞬間には、フィギュア選手のトリプルスピンも真っ青な回転数で廻りながら宙を舞い、地面に転がっていた。
「言い忘れたけど、あくまで身体能力だから。
モチベーションとか、精神状態とか性格は考慮に入れてないわ。
というか、そんな踏み込みの遅さとガチガチの身体で何を殴れるって言うのよ」
「そ、そういう事は先に言え……」
淡々と解説するスギナに文句を言いながらも、立ち上がる歩二。
それはひとえに寝ていた所で問題は解決しないどころか、ボコられた上に何をされるか分からないという恐怖心による所が大きいだろう。
「おおう、中々タフじゃねぇか。殴り甲斐があるってなもんだぜ」
「くっ!! こ、こういう場合は…」
恐怖やら混乱やらで体全体をガクガクさせまくった末に歩二が出した決断。それは……。
「逃げるっ!!」
極めて分かり易いものだった。
「き、貴様、それでも男かっ!?」
「残念ながら男ですっ!!」
「おのれぇぇえっ!!」
そうして逃げまどいながら、歩二は呆然と事態を見守っていた少女・岡島輝代に対してサインを送る。
シッシッ、と追い払うようなモノと、裏門の方を指差す二種類を交互に。
そうして彼女が逃げた後、自分もダッシュで逃げようというのが歩二の算段だったのだが。
「失礼な、私は逃げませんっ!
貴方のような臆病者と一緒にしないでください!!」
「おぉぉぉぉいっ!?」
全く持って予想外の反応に、歩二の希望は東京タワー(展望室でも天辺でも可)から全力で投げつけられたグラスのように完膚無きまでに粉々に砕け散った。
「ぬ!? 貴様、よもや今の逃走は策略か!!
何処までも汚い奴め! 恥を知れ、恥を!!」
「ぐうううううっ!?」
助けようとした人間に臆病者。
そもそも襲おう(?)としていた男に汚い呼ばわり。
自分から首を突っ込んだとは言え、あまりの事に歩二の眼には微かに涙が浮かんでいた。
「くっそぉぉぉっ! 俺が一体何したよぉぉぉっ!!」
「俺様の邪魔だぁっ!」
「ふぐげふっ!?」
叫んだ瞬間に動きが鈍り、そのタイミングでヤクザキックを喰らった歩二は二度空を飛んで地面に転がった。
「くっくッく……よく粘った方だが、ここまでだ。
邪魔した分それなりに痛めつけてから屋上で晒し者にしてやる……おお、なんか番長っぽい」
「……やれやれ。ここまでか」
自己陶酔する番長こと田中太郎に冷たい視線を突き刺しながら立ち上がったスギナは、
ズビシッ、と効果音が付きそうな……というか、スギナの内臓スピーカーから実際に出ている効果音と共に言った。
「そこの時代錯誤男、待ちなさい」
「ぬ。貴様は二年のロボット娘。
ほほう、俺様の勇姿を見て惚れたわけか。英雄色を好む。来る者は拒まんぞ」
「大したポジティブ発想ね……というか、一体何処の誰が英雄なんだか」
「勿論俺様だ」
「勿論違うわ。
ともかく、その辺にして、今日はもう帰りなさい。
さもなくばタダでは済まなくなるわよ」
「ほう? お前がこの小物に代わって相手をすると?」
「ある意味では、そうね」
「そうかそうか。
俺様は男女差別はしない主義でな……じっくりいたぶってやらぁっ!」
叫んで放った番長の拳が、スギナの眼前に来た瞬間。
「……ハネオト。
近々アニメ化予定の少女漫画。第5巻初回限定版、本日発売。三冊購入予定」
ポツリ、とそれでいてやたら辺りに響く声で、スギナが呟いた。
その刹那、番長の拳がピタリ、と一時静止状態となった。
「な、な、なんで、い、いや、なんのことだっ?!」
「語るに落ちるとはこの事ね」
先程の歩二と同等かそれ以上の震えっぷりを披露する番長に、
スギナは酷薄な笑みを浮かべて見せた。
「私は情報戦術にも特化している機体でね。
その名残もあって、この学校の生徒のあらかたはデータが入っているわ。
勿論貴方の……少女漫画好きというデータもね」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!?」
番長の叫びに倒れたままの歩二は、心臓に杭を刺された吸血鬼を連想した。
その間にもスギナによる番長イジメは続いていく。
「揃えた少女漫画は数千冊……最近はボーイズラブが気になるとか?
その気も無いはずの自分に苦悩する毎日……大変ね?」
大変ね、とか言うその口には言葉とは真逆の笑み。
まさに悪魔降臨というべき光景がそこには展開されていた。
「貴方が番長をやっているのも
”普段は悪そうだけど実はイイヒト”のギャップを生み出す為だと見たわ。
馬鹿ね、心底までチンピラな貴方にそんな真似出きる訳ないじゃない。
無駄だわ。無駄無駄。クス」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?
貴様、俺様を脅す気かっ!!? き、ききき、汚いぞ……!!」
「なんとでもおっしゃい。私は男じゃないし、ましてや人間でもない」
もし絶望という言葉がカタチになるのならこんなカタチではないかと思わせる狼狽ぶりの番長。
そんな番長とは対照的な、悪魔の、いやさ大邪神スマイルを浮かべながらスギナは問うた。
「今日引き下がれば、とりあえず公言はしないであげる。
さぁ、どうする? 貴方次第よ?」
「ご、おおお、おおおおお、覚えてやがれぇぇぇっ!!」
悪逆非道な口撃の前に手も足も出ず。
眼から涙を流しまくりながら、番長は走り去っていった。
「ふむ。悪役としては王道ね。
夕日であればもう少し絵になったものを」
さっきまでの大邪神スマイルは何処へやら、いつもの少し冷たそうな表情に戻ったスギナは、
倒れたまま歩二の元に歩み寄って、手を差し伸べた。
「立てる?」
「あ、ああ、なんとかな……スギナぐわっ!?」
スギナに引っ張り起こされた歩二が三度宙を飛ぶ。
その原因は、一連の流れをずっとみていたお嬢様こと、岡島輝代だった。
彼女は全て終わるや否や、スギナへとダッシュをかけていたのである。
その視界にはスギナしか写っておらず、臆病者は入っていなかったのだ。
「く、ひ、ひどい……」
フルフルと三日三晩不眠不休かつ何も食べていない人間のようなボロボロぶりで立ち上がる歩二。
何度も言うようだが、そんな歩二など視界に入っていないお嬢様はスギナに向かって言った。
「素敵でしたわ。
噂はかねがね伺っていましたが、
これほど人間に近く、それでいて人間を凌駕する存在だったとは……」
「……まぁ、確かに凌駕してたな、色々な意味で。
並みの人間にあんな非情な事は中々出来ん」
どうせ自分の話し等耳に入れていないだろうと、歩二は本音を口にした。
案の定輝代は何も聞いていなかったらしく、スギナへと言葉を投げ掛け続けていた。
「私、とてもとても気に入りました。
貴方、私のモノになりなさい。
待遇は破格のものを準備させます。文句などないでしょう。では早速……」
「……ちょ」
「お断りよ。私は人間に隷属を約束されたロボットとは違う」
自分勝手に話を展開させ自己完結しようとしていたお嬢様はおろか、
不満そうな顔で話に割って入ろうとした歩二さえも遮って、一陣の疾風のような声音でスギナは言い切った。
「なっ!?」
戸惑いの声を上げる輝代に構う事無く、スギナは言葉を続ける。
そこには一点の躊躇いもない。
「私は私なりに不相応だと思うけど人権を有している。
その権利を行使し、私は貴方の言う事を聞かない」
「なっ、なっ!?」
「お帰りなさい、貴方の家へ。
私に貴方は必要ない。
そして、貴方に私は必要ないはずよ」
「ぶ、無礼なっ!! その言葉、一生後悔して生きなさいっ!!」
あっさりとフラレタ輝代は、バッサァッと、スカートと黒髪を翻して、
ノッシノッシ何処ぞの怪獣映画の怪獣のような勢いで去っていった。
「……凄いな、誰も彼も」
全てが終わって、
ようやくまともな思考が戻ってきたらしい歩二は、
上半身を起き上がらせて呆れ気味に呟いた。
「全くもってね。
あの時代錯誤振り、世の中は広いわ」
「いや、時代錯誤はさておき、
今一番凄かったのはお前だと思うんだが。
誰がどう贔屓目に見てもそう思うぞ、多分」
「褒め言葉と取っておくわ」
「そう取りたきゃ勝手に取ってろ。ったく……」
「少し、心配を掛けたかしら?」
「なんでだよ?」
「さっき何か言い掛けたみたいだったから」
「あれは………うるせぇ」
「答になっていないわね」
「答える義理はねぇよ。お前なんかどうでもいいわい」
「フン。それはそれとして、礼の一つもないの?」
「俺のダメージの大半お前のせいじゃねーか。
大体そういう弱みを知ってるんだったら教えろっての」
「馬鹿正直な貴方じゃあのカードは上手く切れないわ。だから何も言わなかったの」
「はいはい」
「はいは一回」
「はいよ。
しかし、なんというか、色々な意味で酷いなお前。
岡島さん、結構傷ついたんじゃねーか?」
「知っての通り、私はロボットなのよ。
誰が相手だろうと殆どの状況において基本的に嘘は吐かないし、その必要性を感じないわ。
だから、貴方のデータを集めてるんじゃないの」
「……ああ、そうだったな」
スギナは『嘘を知る』為に歩二と『ある契約』を交わしている。
歩二は基本彼が思うままに生活しているが、スギナが指定した時間だけは……主に放課後の間、スギナの前で嘘を吐く事を禁じられる。
スギナは、その時間の間、通常の彼の生活と彼の本音を比較・研究し、歩二が……広く見れば人間が嘘を吐く時を知り、人間の感情やその動きをデータ収集しているのだ。
ちなみに、何故そんな事をしているのか歩二は未だ聞かされてはいない。
「何でそんなに嘘を吐きたいんだかね」
「嘘を吐きたいってわけじゃないんだけど……まぁ、いいわ。
気が向いたらいつか教えるから」
「……別に無理しなくてもいいぞ」
「はい、また嘘一つカウント。やっぱり生粋の嘘吐きね、貴方」
「だから社交辞令とかそういうのは抜きに……
がぁぁぁあああっ、今日は最悪だぁぁぁっ!! 帰れ! もうお前帰れよっ!」
「言われなくても帰るわ。いつもの通り、送ってくれるんでしょ?」
「ぐぐ……ああ、そうだよっ。今日は世話になったしなっ!」
「クスクス」
ドサクサ紛れの言葉に、スギナは笑い、歩二は不機嫌顔を浮かべた。
改めてもう一度。
これがスギナと浪之歩二の日常だった。
……続く。